「ユダヤ人と彼等の嘘その3、本文後段」 |
(最新見直し2007.5.28日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「ユダヤ人と彼等の嘘 目次: マルチン ルター著」の読解テキストと思われる「歴史情報研究所 島講一氏ブログ」、 「ユダヤ人の偽りの引用」を参照する。 2006.2.28日 れんだいこ拝 |
統治者の方々ヘの進言 |
ユダヤ人達を配下に持っている王侯、領主諸侯殿が私の進言を容れぬとあらば、要するに皆さん自らがより良い「解決方法」を見つけるぺきであろう。つまり、それによって我々全員がユダヤ人という耐え難い悪魔的くびきから解放され、また我らの主イエスキリスト、その御母、すぺてのキリスト教徒そしてすぺての統治者の方々と我ら自身に対して、荒れ狂うユダヤ人達が神の御前でなしているあらゆる嘘と悪口、つばを吐き掛ける行為、呪いに対し共犯者にならないで済む「解決方法」を。即ち、あなたがたはユダヤ人達に対して保護や安全通行手形や組合員の地位を与えてはならない。ましてやあなたがた及び臣下の方々の所持金や財産を彼らの高利貸しの元手とするのを許してはならない。
我々はいまだに多くの自分自身の罪を背負っている。そして我々が神の恩籠と御働きに感謝する事を忘れたり、軽んじたりする事で日々その罪をさらに付け加えている。この上ユダヤ人などという卑しい外国人の悪徳をそれに付け加え、さらには我々の所持金や財産を彼らに与える必要など全くないのだ。 我々が日々トルコと戦闘状態にあり、それゆえ我々は自分達自身の罪から免れて魂の成長と向上を計る必要が多いにあるのだという事を思い起こそうではないか。この事に関して私は一連の事態を暴露し、それに警戒を促した者として自らの良心が潔白であり、何らやましい所が無い事を望むものである。 |
●統治者への進言 要は、ユダヤ人を配下にもつ王侯、領主諸侯がもし私の進言を容れぬとあらば、みずからよりよい「解決方法」を見いだすべきであろう。われわれ全員がユダヤ人という耐えがたき悪魔の軛から解放され、わが主イエス・キリストとその母、全キリスト教徒、そして全統治者とわれわれ自身が、荒れ狂ったユダヤ人どもが神の御前で演じているあらゆる虚偽、悪口、唾を吐く行為、呪詛の共犯者とならないですむ「解決方法」を。つまり、あなたがたはユダヤ人に対して保護と安全通行手形と組合員の地位を与えてはならないのである。ましてや、あなたがたや臣下の所持金や財産を彼らの高利貸しの元手とするようなことは決して許してはならない。 |
キリスト教徒の死を熱望する |
一人のユダヤ人に会ったりその男の事を考える時にはいつでも、あなたがたは自分で自分に次のように言い聞かせるぺきである。見よ、自分が向こうに見るあの「口」は、毎週土曜日には、そのかけがえのない血によって私を救って下さったわが主イエス・キリストを呪い、忌み嫌い、そして唾をかけ続けている。そしてまた神の御前で私や私の妻子達とすぺてのキリスト教徒が最も悲惨な形で刺し貫かれ、殺されるのを祈願し、呪っているのだ。 もしも彼らが我々のようには神を信じないなら、我々はそうするように手助けする事はできないし、信仰を受け人れるように強いる事もできない。しかしながら我々は、彼らが故意に嘘や冒涜、呪い、そして恥をかかせんとする点において彼らを力付けてしまう事だけは避けなけれぱならない。そして彼らに庇護(肉や飲物、宿泊場所、そして近隣者としての親切)を与える事によって彼らの悪魔的な夢と大言壮語の共犯者になってはいけない。特に、我々が彼らに対し友好的であったり、彼らに奉仕している所ではどこでも、彼らは神が彼らを主人にさせ、我々を召使いにさせたのだと得意になって、そして横柄に自慢するのであるから。 安息日にはキリスト教徒が彼らの火をつけ、彼らが望むものは何でも料理してやるのだが、この事に関して彼らはまるでなにか良い行いをしているかのように我々を呪い、唾を吐き、中傷するのである。しかし彼らは我々から盗んだ我々の財産をすっかり食ぺ尽くしているのだ。ここ1400年の間、我々の疫病神にして害毒、そしてあらゆる災難の元凶であり続け、現在もそうであるユダヤ人達は、かかる絶望的、悪魔的であり、害悪を流す者どもなのである。 |
●キリスト教徒の死を熱望する ユダヤ人に出会ったり、その男のことを考えるときには、あなたがたは常に自分に次のように言い聞かせるべきである。見よ、あの「口」は、かけがけのない血で私を贖って下さったわが主キリストを毎週土曜日に呪い、忌み嫌い、唾を吐きつづけている。そしてまた、神の御前で私と私の妻子と全キリスト教徒がこの上なく悲惨な状態で刺し貫かれて殺されることを祈願し、呪っている。彼らは、できるものならば、われわれの財産を所有したいと思っているのだ。彼らは(自分たちの習慣に従って)今日まさにイエスの御名に唾を吐いており、おそらくその唾は彼らの口や顎髭を濡らしているが、彼らの顔面にはまだ十分に唾が付く余地がある。こうした悪魔のような連中(口)と一緒に食べたり飲んだり話したりすべきなのだろうか? 私は、ユダヤ人のなかに棲む悪魔の仲間となり、キリストの尊い血に唾を吐きつづける多くの悪魔どもの虜になってしまうのだろうか。神よ、どうか私がそうならないようにして下さることを! |
説教士の方達への忠告 | |
とりわけあなたがた説教士の方達は、あなたがたの王侯や摂政の方々が神から課されたものとしての祈祷の義務を思い起こさせ、ユダヤ人達に労働を課し、彼らが高利貸しを営むのを禁じ、彼らが神への冒涜と呪いを為すのを妨げるよう繰り返し主張しなければならない。それらの方々が、我々キリスト教徒の盗人やかっぱらい、殺人者、中傷誹謗する者ども、その他の悪魔的行為を為す者を処罰しているというのに、ユダヤ人どもの中の悪魔の子達が我々に同じ様な悪行を働くのを放置しておくのは何ゆえだろうか? 我々はスペイン人達からよりもユダヤ人達からこそ多くの災いを被っているのではないか。これらの者どもは、彼らの主人達から台所、酒倉、たんす、金袋をかっぱらい、それに加えて主人の方々を呪い、死をもってこれらの方々を脅迫するのである。そして我々も同様にかかる響応をユダヤ人達から受けているのである。かくして彼らは我々から盗み、強奪し、我々の首に寄り掛かり、怠惰で怠け者の腹をだし、食ぺたり飲んだりの大食漠ぶりを発揮し、我々の祖国の中で安逸な日々を送り、その代償として我々の主キリストや教会、王侯、そして我ら全てを呪い、絶え間なく我々を脅し、我らの死と災難を願うのである。 丁度ユダヤ人達が彼らの不信仰の中にいるように、私達はかかる無慈悲な悪漢からの圧政を被っている事がわからず、感じもせずに、彼らを我々の王に、貪欲な専制者にしているのである。我々は彼らの捕虜であり臣下てある。それにも拘らず、彼らは我々に捕虜として捕らえられていると嘆き、当然の如く我々を馬鹿にするのである!
この世の王は11代目のアバプ王(訳者注一列王記一六:二九)の加くにこの世を統治する。同様に彼らは、我らキリスト教徒と人間に対する血に飢えた敵であるユダヤ人達に寛容であり、それによって天国を手に入れたいと願うっているかもしれない。 つまり、これらのユダヤ人達が毒蛇の子孫であり、悪魔の子供達以外の何者でもないという事。そしてまた、彼らの父である悪魔と同じくらいに良き事を私達にもたらしてくれるであろうという事を。 粗野な言い方を許してもらえば、それはユダヤ人達の野蛮な呪いと言われている。この点に関しては他の方達が多くを記しており、ユダヤ人達も彼らがそれによって故意に呪い、冒涜したいと願っているのであるから、それが呪いと呼ばれるぺきものであるという事は良く承知しているのである。この点につき、我々もまた明晰に、そしてキリスト教徒として霊的な表現て話す事としよう。 |
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●説教師に対する忠告 とりわけあなたがた説教師は、神から課された祈の義務を王侯や摂政たちに思い出させ、ユダヤ人に労働を課し、高利貸しを営むことを禁じ、神への冒涜と呪詛をやめるよう繰り返し主張しなければならない。彼らがキリスト教徒の盗賊や追剥、殺人者、誹謗中傷者、その他の悪魔的行為者を処罰するのに、ユダヤ人の悪魔の子らがわれわれに同様な悪事をなすことを放置しなければならないのはなぜか? われわれは、スペイン人よりもユダヤ人からより多くの災いを被っているではないか。 〈わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです〉(「マタイ伝」第十章四十節) *訳注――アハブ王/オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。アハブはアシュラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。(列王記T第十六章二十九〜三十三節) |
彼らは新約聖書を冒涜する | |
あなた方は、「そうです。ユダヤ人達は新約聖書を受け入れないのだから、前章でキリストが言われたような事を信じないし、知らないのです」とでも言うのだろうか。私はこれに答えよう。「願はくば、ユダヤ人達がそれらのうちの一つでも知るか、信じてくれる事を」と。我々キリスト教徒は、彼らがイエスを冒涜し、呪っている時、彼らは公然とその父なる神を冒涜しているのだという事を知っている。 もし神が我々に今、または審判の日に次のように言われたとしたら、私達は何と答えたら良いのか教えて欲しい。「お前達はキリスト教徒でありながら、ユダヤ人達が公然と私と私の息子とを冒涜している事を知っており、またお前達は彼らがそうする事ができる余地を与えた。そしてまた彼らがお前達の国や町や家の中において、妨害も盧罰も受けることなくそうした事ができるように彼らを守り、庇護した!」と。 (原英訳書、訳者注、この後には、イエスの救世主としての御業に関する聖書の文章を引用した長い論述が続くが、それらは学術的、理論的性格の論述であるため、ここでは割愛する) 従って、我々はかかる事態を冗談事としてすますわけにはいかないのだ。我々はこれに対抗する知恵を真剣に見つけだしてユダヤ人達から我々の魂を救出せねばならない。即ち、ち永遠の死より救出せねばならない。既に述ぺたようにこの知恵こそが、まず第一に肝心なものである。即ち、我々は彼らが会堂(シナゴーグ)を持つ権利を拒否する。ユダヤ人達がその内部において我らの創造主、そして父なる御方をその御子息といっしょに長きに渡り冒涜し続けるような建物を我々が許しはしないという事を世間に知らしめるためにである。そういう事を我々が知らずに黙認する事など断じてできないのだ。 第三に、我々の領地においては彼らが神をたたえ、感謝し、祈り、説教する事は公的には禁止されるぺきである。そんな事は自分達自身の国においてか、我々キリスト教徒の耳に届かないどこか知られざる所でさせようではないか。これに関する理由は、彼らの神に対する讃美、感謝、祈祷、そして説教は彼らの心と口が父なる神をネーベル・ボリック(サムエル記T第二十五章二十六節、ダビデの要請を拒絶して死んだ富裕なカレブ人でアビガイルの夫ナバル、愚かの意がある?)と呼ぷ事に他ならないからである。そして神の御子、我らの主イエス・キリストをも彼らが同様に呼ぶからである。彼らが神の御子を呼ぴ、たたえるのと同様に父なる神の名か呼ぱれ、たたえられるからである。彼らが沢山の美しい言葉を使い、神の御名を華々しく用いたとしても彼らが救われる事はないであらう。次のように記されているからである。
丁度彼らの祖先がイスラエル王国時代に神の御名を用い、そしていまだにその御方をバール(邪神、偶像)と呼んでも何の救いにもならないように。 神は、彼らがこうした事を知らざるをえぬようにほぼ1500年にわたって伝道されるように取り計らって来たのであるからユダヤ人達は彼らが知らなかったのだと言い訳はできぬ筈である。神は又彼らにもそれを知るように要求されたのである。 何故なら1500年にもわたって神の御言葉を聞きながら私はそれを知りたくないなどといっている者は誰でも当然の報いとして、その人間には卑しい言い訳、すなわち七倍の負債がもたらされるであろうから。 |
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●彼らは新約聖書を冒涜する あなたがたは、「そうです。ユダヤ人は新約聖書を受け入れないのだから、前節でキリストが言われたようなことを信じないし、知らないのです」とでも言うのだろうか。私はそれに対して次のように答えよう。「願わくば、ユダヤ人たちがそれらのうちの一つでも、知るか信じてくれることを」と。われわれキリスト教徒は、彼らがイエスを冒涜し、呪っているとき、その父なる神を公然と冒していることを知っている。 |
彼らの救世主は「にせもの」である。 |
最後に、私は自分自身に以下のごとく言い聞かせる。もし神が私に対しユダヤ人達が望み希望する救世主とは異なった救世主を与える事を望まないのであれば、私は人間でいるよりも雌豚になった方がずっと良いのだ! この事に関して私はあなたがたに幾つかの正当な理由を示す事にしよう。ユダヤ人達は彼等の救世主にコハブや世俗的な王になって欲しいと強く望んでいるだけなのである。その王とはキリスト教徒を虐殺し世界をユダヤ人のあいだで分割し、そうして彼らを金持ちの王侯とし、最後には他の王や彼の子供達と同様に死んでいくような世俗的な王にである。
もし、ユダヤ教の救世主が私という哀れな人間を私の精神的な貧しさにも拘らず、救ってくれないのだとすれぱ、そして私の人生を雌豚のそれの十分の一も良くできないのだとすれぱ彼は私にとって善いものと言えるであろうか。私はいうであろう。わが主なる神よ、あなたの救世主を我が物とする者に与えたまえ、と。しかし私は雌豚に変えて下さいと。何故なら全く死んだ人間であるより生きた豚の方がましであるから。そう、キリストが宣べられたように「生まれなかったとしたら、それはその人の為にはましだったろうに」。 しかしながら、もし私が霊的に私を救済し給う救世主を得られるなら、私は死を恐れる必要はないし常にそして永遠に人生に確信を持ち、悪魔や地獄をあざけり、神の怒りの前に身震いする必要もないであろう。その時には私の心は欣喜雀躍し、幸せに酔いしれる事であろう。そして私は神への愛の燈をともし、神に感謝し、神を賛美するのをやめないであろう。もしその時、神が私に金や銀や他の富を与えなかったとしても、全世界は私にとって楽園(バラダイス)であるだろう。たとえ私が牢獄に繋がれたとしてもである。その様な救世主を我らキリスト教徒は持っているのである。それゆえ我々は圧倒的な心の喜ぴを以って父なる神に感謝しているのである。 |
●彼らの救世主は「にせもの」である 最後に私は、みずからに次のように言い聞かせる。もしも神が私に対して、ユダヤ人が望みこいねがう救世主とは異なった救世主を与えることを望まないのであれば、私は人間でいるよりも雌豚になったほうがずっとよい! |
彼らの神への冒涜と高利貸しを警戒せよ |
私の考えでは以下のような結論にならざるをえない。もし我々がユダヤ人達の涜神から潔白で、彼らの共犯者になってはならぬとすれば、我々は彼らと分離して住まねばならないし、彼らは我々の国を離れねばならない。かくして彼らは、もはや我々が彼らを捕らえていると嘆く事もできないし、神に嘘をつく事もできない。我々も彼らが涜神と高利貸しによって我らを悩ますと嘆く事もなくなるであろう。これが両者に封して安全を保証する最も手っ取り早い最善の方策である。 (この後にはキリスト教の教義に反するユダヤ人達のキリスト教に封する非難に聖書からの長い引用による反論が績いている。−−英訳注) |
●彼らの神への冒涜と高利貸しを警戒せよ 私の意見では、以下のような結論にならざるを得ない。もしもわれわれがユダヤ人の神から潔白で、彼らの共犯者になりたくないのであれば、彼らと分離して住まなければならないし、彼らはわが国を去らねばならない。かくすれば、彼らはもはや、われわれが彼らを捕らえていると嘆くこともできないし、神に嘘をつくこともできない。われわれとしても、彼らが神と高利貸しによってわれわれを悩ますと嘆くこともなくなるであろう。これが、両者に安全を保証するもっとも手っとり早い最善の方法である。 |
結びの言葉 |
善良な閣下諸氏、友人諸氏、私はあなたがたの督励を受けてあなたがたの小冊子に多くのことを書き記した。そこでは、一人のユダヤ人が無関心なキリスト教徒に対して狡賢い議論を展開している。目下のところ、神の御加護により、彼は私になにもしていない。 ユダヤ教徒になりたくないキリスト教徒が、盲目的で有害なユダヤ人に対抗し自衛するに十分な論拠を、この小冊子に見いだしてくれることを望むものである。また、ユダヤ人の邪悪さや虚偽、呪詛といったものに対抗すること、彼らの信念が偽りであるばかりか、彼らがあらゆる悪魔にとり憑かれていることを知るに至る縁とされんことを望む。 わが主キリストがユダヤ人たちを恵み深くも改宗させ、我々を永遠の生命という叡知の中にしっかりと据えて下さいますように。アーメン。 |
善良な閣下諸氏、友人諸氏、私はあなたがたの督励を受けてあなたがたの小冊子に多くのことを書き記した。そこでは、一人のユダヤ人が無関心なキリスト教徒に対して狡賢い議論を展開している。目下のところ、神の御加護により、彼は私になにもしていない。 ユダヤ教徒になりたくないキリスト教徒が、盲目的で有害なユダヤ人に対抗し自衛するに十分な論拠を、この小冊子に見いだしてくれることを望むものである。また、ユダヤ人の邪悪さや虚偽、呪詛といったものに対抗すること、彼らの信念が偽りであるばかりか、彼らがあらゆる悪魔にとり憑かれていることを知るに至る縁とされんことを望む。わが主キリストがユダヤ人たちを恵み深くも改宗させ、われわれを永遠の生命という叡知のなかにしっかりと据えて下さいますように。アーメン。 |
●人類の評価 |
以下には、ルターのさまざまな説教や著作より引用された数節が続いており、各文章のあとに引用文の原典が記されている。 *原注――「W」と記されたルターの著作からの引用はウェルマー版から、「E」と記されたものはエアランゲン版からのものである。 ユダヤ人は地獄行きを宣告された若い悪魔である。(E32巻二七六頁) おそらく、温和で心穏やかなキリスト教徒は、私が彼らを嘲笑し、多くの皮肉を湛えて彼らを扱っていると考え、哀れで迫害を受けているユダヤ人にはあまりにも厳しすぎ、激しすぎると思うであろう。だが実際には、私は弱すぎて、かかる悪魔的な獣を笑うどころではないのだ。できるものなら、私は喜んでそうしたい。しかし、彼らは嘲ることに関しては私よりも上手で、その技術にかけては達人の神を擁しているのだ。それは悪魔自身である。(E32巻二八六頁) 旧約聖書以上の証拠はないが、私は以下のことを主張したいと思う。これらのことに関しては、地球上のだれも私の意見を変えることはできないだろう。つまり、ユダヤ人は現在そうであるように、世界中に広がるすべての真に堕落した評判の悪い悪漢どもの混合体であり、タタール人やジプシーと同様に世界のあらゆる国に離散してきたのである。 |
●ユダヤ人の危険性 外科医とか医者とか表明しているユダヤ人は、彼らの薬を用いるキリスト教徒の健康、財産を奪うであろう。それは、こうしたユダヤ人医師は、もしも彼らがキリスト教徒を苦しめ、ひそかにキリスト教徒を殺害するならば、彼らの神から特別の恩寵を得られると信じているからである。にもかかわらず、われわれ愚かな者たちは、自分の命が危機に晒されているときに、われわれの敵と彼らの悪魔的な技術に救助を求めさえするのである。まことに悲しむべきことだが、これは神の試練なのである。(E62巻三六七頁) |
●ルターの遺言 主要な著作が完成すれば、私はただちにユダヤ人の追放に全力を注がねばならないであろう。アルブレヒト伯爵は彼らに敵対的な態度をとり、すでに彼らを見限っている。しかし、いまのところ彼らはまだ誰によっても妨害されていない。神の御加護によって私が行なう説教で、説教台からアルブレヒト伯爵を支援し、彼らを追放してやろう。(死の直前にルターが妻へ宛てた一通の手紙からの引用) |
●ルターの最後の説教「ユダヤ人への警告」 ……そのうえ、国内にはたくさんのユダヤ人が居住しています。彼らは多くの災いをもたらします。……あなたがたは、これから述べる事実を知らなければなりません。つまりユダヤ人は、われらの救世主の御名を日々冒し、汚しているということを。この理由によって、あなたがた閣下ならびに当局関係諸氏は彼らに寛大を示すことなく、追放しなければなりません。彼らはわれわれの公けの敵であり、絶えまなく主キリストを冒涜しています。彼らは、われわれの聖母マリアを娼婦と呼び、その聖なる御子キリストを私生児と呼んでいます。そして彼らは、われわれキリスト教徒を「取り替えっ子」(妖精が替わりに置いていったという醜い子)とか「片端」といった悪口を言っています。 *原注一――マンスフェルトの伯爵たちの意見の相違がルターの旅行の動機であった。 |
(私論.私見)