1517年10月31日、マルチン・ルターはウエッテンベルグの城門の扉に、カトリックの免罪符に関する95か条の提言を張り出した。この提言は丁度開発されたグーテンベルグの印刷機によって瞬く間に当時の全ヨーロッパに伝えられ、宗教改革の火が燃え広がった。しかし、いつの時代でもそうなのだが、時の権力や体制にこびへつらう輩は、これら改革者らの叫びをあざ笑い、攻撃し、それが正しい事だと思っていたのである。
さて、ここにお送りする『新しい95か条の提言』は、20世紀のドイツ民族の魂の叫びである。我々はここに第二次世界大戦以来50年間に渡って、屈辱の中にうごめいていたドイツ民族の苦しみの一端を垣間見るのである。戦後、我々はナチスドイツの悪業を映画、テレビ、小説、評論などを通して嫌というほど見せられてきた。そしてドイツ民族は好戦的であり、平気で残虐な行為をする民族だと言う常識が世界に広まった。
しかし、常識とはいかに空しいものだろうか。戦前、日本人は国のために命を捨てる事は美徳であると言う事が常識であった。しかし、戦後それは最も馬鹿げた行為であるとすることが常識となった。かつて常識の誤りを犯した者はもはや誤りを犯さないのだろうか。もしかすると今も同じ様に新しい誤りを犯しているのではないのだろうか。
ここに書かれていることは実に常識的な事である。しかし、この文章はドイツでは決して公に見ることは出来ない。このような文章は極右の、ナチズムの、好戦的な亡霊が書いているというのが常識とされているので、決して一般には公表されてはならないのである。私は現代におけるユダヤ人の研究をした結果、実にユダヤ人は今や世界を支配していると結論づけないでいられないのである。事実、最近のイスラエルの新聞〃ハーレツ"に「ユダヤ人はアメリカを支配した」と言う記事が載っている。ただ、この支配がユダヤ国家による軍事的占領という形をとらないので判らないのである。だから人はそれを陰謀と呼ぶのである。本来このような行動を、軍事行動、作戦行動としてみるならば、これは特に邪悪でもなく不道徳でもない。ただ、これまでの世界史の常識にはなかった作戦なので、うろたえ、戸惑い、陰謀だと叫ぶことになったのである。確かにユダヤ民族は世界を支配した。今や彼等に対抗できる勢力は地上には存在しない。私はその事を非難するつもりはない。問題は我々の側にある。我々が占領され、支配されているとは思っていないところにある。この文章はその事をドイツ国民に訴えているのである。同じ様に日本も支配され占領されている。ドイツのように正面から攻撃されてはいないけれど、もっと巧妙にだまされている。そして骨抜きにされている。これはユダヤ人の作戦ではあるが、それに気がつかない者の愚かさこそ責められるべきであると私は思う。
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マンフレッド・レーダー氏の来日
偉大なドイツの愛国者マンフレッド・レーダー氏が来日された。氏については太田龍氏の「週刊日本新聞」に詳しく載っているので参照されたい。私は氏の「ドイツ国民への95か条の提言」を翻訳し著書に載せたことがある。今回、氏の来日に関し、成田からホテルまでの送迎を担当させていただいた。本来なら数千人の会衆に語られるべき人物なのであるが、氏の講演会は今回は非常に小規模に行われた。それというのもこれまでジョン・コールマン氏やユースタス・マリンズ氏の来日がキャンセルされて、太田氏が警戒されたこととレーダー氏が講演目的と判ると来日の許可が下りなかった可能性があったからである。このような人々の招請と講演会には莫大な費用が掛かるものである。今回も数十名の参加者では到底その費用は賄えない。太田氏は相当の赤字覚悟でなさったことであろう。本号では「ドイツ国民への95か条の提言」を再度お送りすることにした。私の本を読まれていない方も居られると思うのと、すでに10年近い時間を経ているので、改めて氏の主張を読み直してみる必要を感じるからである。なお、この文書の日本語訳は私のものだけらしい。残念である。もっと多くの人に周知されるべきであるのに。 |