最近のキリスト教福音主義、原理主義のヌエ論理考
現代キリスト教原理派批判 今時のキリスト教原理主義の噴飯もの考 |
(最新見直し2006.8.11日)
Re:れんだいこのカンテラ時評199 | れんだいこ | 2006/08/11 |
(れんだいこのショートメッセージ) 【今こそイエスの論理論法に耳を傾けよう】 第二次世界大戦後、韓国、米国に新興「キリスト教福音主義」なるものが相次いで誕生した。これを凝視せねばならない。無知な自称知識人が、時にこれを原理主義とみなして評する向きがあるが、何でキリスト教原理主義であるものかは。開祖イエスを知らないにも程があろう。 近時の新興「キリスト教福音主義」なるものは、はっきりしていることは、原理的に矛盾であるキリスト教の名を被せてのユダヤ教との融合化であり、それはとりもなおさずキリスト教の解体の道でしかない。それを許しているのは、よほどキリスト教側が腐敗しているからであろう。 キリスト教の開祖イエスは去る日、ユダヤ教の選民主義的枠組みを食い破って、世界市民及び諸民族に通じる愛の信仰を掲げ、ユダヤ教パリサイ派に濃厚な徹底報復主義に対峙した。その他諸々ユダヤ教の否定の上に新宗を成立させた。近時のキリスト教側からのユダヤ教との親和は、イエス新宗の歴史的意義を否定するものであり、それでもキリスト教原理主義呼ばわりし続けるのは為にする邪悪な意図に基づいているとしか云いようがない。 あるいはそういうことも分からず、キリスト教を信仰している単なる馬鹿かも知れない。歴史がまるで分かっていない。そういう認識では全てが却って混乱させられる。れんだいこは、憤然とナンセンスと指弾したい。 れんだいこは、このことを論証する為に2004.11.15日、「イエス論」をサイト化した。読む者には何らかの認識改めを提供できたと自負している。2006.8.11日、二度目の読み直しをして相当部分書き直した。読み手の欲求に耐え得るものを草稿化できたと思っている。 現在、パレスチナで第6次中東戦争が行われている最中であり、イスラエルの得手勝手な独善と報復主義が時空2千年を超えて相も変わらず続いていることに憤然としつつ、イエスならどう難詰するだろうかと思いつつ再弁証した。 まことに今や、イエスの登場が望まれていると思った。彼の当時の警句は今も素晴らしい。ズバリ当っている。パリサイ派の論理論法の将来に於ける危険を指摘しているが、歴史はその通りになった。ネオコン及びネオ・シオニズムは、当時のパリサイ派の典型的な末裔である。改めてイエスの凄さが分かった思いがする。 それにしても、日本のジャーナリズムは、中東問題に及び腰であり過ぎる。思えば、1970年代まではNHKなら少なくとも世界の動きを伝えていた。今めっきり報道番組が少なくなった気がする。民間テレビは言わずもがなの愚民化番組のオンパレードで、現代パリサイ派の世界支配戦略に迎合している。 その及び腰の中で、イスラエルの先制攻撃を支持し、日本の一蓮托生を唱える論調のみ聞こえてくる。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。下手に学べば阿呆になる典型だろう。日本のメディアにただの一社でもよいからアルジャジーラ型が生まれることを切に願う。 「最近のキリスト教福音主義、原理主義のヌエ論理考」(religion_christ_fukuinhaco.htm) 2004.11.15日、2006.8.11日再編集 れんだいこ拝 |
【太田龍・氏の指摘】 | |||
太田龍・氏は、2006.8.2日付「時事評論bP760」の「米国は、神権体制国家に変身した(ケヴィン・フィリップス)と言うことの意味を日本人は真剣に検証すべき時」は次のように述べている。(れんだいこが再編集)。
太田龍・氏は、2006.8.6日付「時事評論bP764」の「今、日本のエリート権力階級の中にカトリックが急速に拡大しつつあると言う、そのことの意味」は次のように述べている。(れんだいこが再編集)。
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(私論.私見)