補足・キリスト教の国教化の裏事情考 |
(最新見直し2006.8.5日)
【その後の宗教戦争史概括】 |
イエスの磔処刑後の西欧宗教史を概括しておく。(関連「三位一体教説考」) 歴史は面白い。それまで原始キリスト教を迫害し続けてきた各国の支配者は、ユダヤ教のイデオロギー攻勢に手を焼き続けており、ユダヤ教義に対抗し得るイデオロギーとして原始キリスト教を取り込みし始めた。それには、イエスの御教えからその革命的要素を骨抜きにし、それを応法的に改造する必要があった。キリスト教団は数次にわたる会議を通じてこれを上手く導く。 この時代、コンスタンティノポリスを首都とするビザンティン帝国が形成されつつあり、キリスト教は、ビザンティン帝国下に教会を設けていった。その後、キリスト教団は、西方ローマを中心とするラテン語文化圏キリスト教(仮に西方教会とする)と、東方のコンスタンティノポリスを中心とするギリシア語文化圏キリスト教(仮に東方教会とする)へと分離する。西方教会はカトリック教義を生み出していく。カトリック教義は、西欧諸国の王権護持教となり、次第に国教的地位を勝ち取っていく。こうして、中世期、キリスト教は体制支配イデオロギーとして利用されていくことになった。 キリスト教とユダヤ教のバランス関係は、その後数百年間にわたって、キリスト教優位のままに推移していく。逆に云えば、ユダヤ教は雌伏を余儀なくされる。ユダヤ教徒は社会の表舞台から遠ざけられ、ゲットー化される。このバランスに変化を兆すのが、プロテスタント教義の誕生によってである。ルター派とカルビィン派は、あまりにも体制イデオロギーとして馴致されたカトリック教義に対して、原始キリスト教時代の御教えへの復帰を求めて抗議し始める。この流れが、並行して開始されたイタリア・ルネサンスと結合し、歴史的転換を促し始める。イタリア・ルネサンスは西欧各国に飛び火していく。この経緯は同時に、雌伏を余儀なくされていたユダヤ教に再台頭の機会を与えることになった。 以降歴史は、東方教会が雌伏させられ、カトリック・キリスト教、プロテスタント・キリスト教、ユダヤ教の三者鼎立時代へと向い始める。 この三者鼎立時代が次第にユダヤ教の一強時代に傾いていきつつあるのが現代史のように見える。これを指導したのがユダヤ教内ロスチャイルド派であり、「シオンの議定書」で大指針を打ち出し、以降怒涛の世界革命に向うことになる。(以下略) 凡そこういう風に概括できるのではなかろうか。 |
(私論.私見)
ローマ帝国皇帝コンスタンティヌスがキリスト教公認。