二世安井(保井)算哲(先)の対道策に初手天元の局、道策の9目勝ち |
(最新見直し2015.02.12日)
(囲碁吉のショートメッセージ) |
ここで「二世安井(保井)算哲の天元の局」を研究する。 2014.07.25日 囲碁吉拝 |
【天元の局】 | |||
1670年(寛文10年)10月17日、御城碁「坊)道策-安井算哲(先相先の先番)」。この時、道策は三世の跡目本因坊にして7段、26歳。安井算哲(第1世安井算哲8段の長男にして2代目安井算哲、後に保井、更に渋川春海。 算哲は、その弟が3世安井を継いだ知哲。後世、1世算哲を古算哲と呼んでいる)は8段、32歳。両者3局目の対戦。 算哲が第一着を天元に打った(大極星の発想から生まれた初手天元)囲碁史に残る「第一着天元の局」として知られている。碁の内容は、第一着天元に対し、白は天元の効果をけずることを念頭において全局のバランスを考慮しつつ巧みに打ち回し、黒の気勢をはずして、いたる処に実利を確かめ、100手目のころには、すでに細碁、それも白に有利となっている。「春海はこの1局を名残りとし、断然袂(たもと)を払いて棋園を去り、終生また石を手にせず」(旧「談叢」)とある。勝負は道策の白番9目勝ち。 (光の碁採録名局「道策-安井算哲(先)」)。 (11.29日、「道策-安井算哲2代(渋川春海)(先相先の先)」。白番9目勝ち)。 |
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(解説) 1670年(寛文10年)10月17日、二世安井算哲(八段、のち渋川春海、1639~1715)、32才は、将軍らの御前で対局する御城碁(おしろご)に出仕し、本因坊道策(七段、三世の跡目、のち四世、1645~1702)、26才と対局し、第一着を碁盤の中央に打った。これが囲碁史に残る有名な「初手天元の局」である。碁は、白が常に天元の効果をけずることを念頭において全局のバランスを考慮しつつ、巧みに黒の気勢をはずして、いたる処に実利を確かめ、100手目のころには、すでに細碁、それも白に有利を思わせる内容となっている。 囲碁は、盤上の石を打つ場所が19路×19路(391路)で、1年の日数に近く、暦学と関係が深いという。坐隠談叢によると、算哲は、天文その他の学問から割り出し、こう考えました。「天文の理(ことわり)を囲碁に応用し、局面第一着の石は、盤面中央の一石にありとの断案を下し、名づけて大極、又は天元の一目と称し、以(もっ)て天下敵なしとせり(黒をもって天元に第一着を打てば必勝なり!)」。結果は、算哲の志ともちがって、道策に9目負けを喫した。敗れた算哲は「益々碁道の玄妙さは、はかりしれない」と嘆き、以来、天元は打たなかったと伝えられている。ただ、敗因は天元そのものにはなく、その後の打ち方、さらに「棋聖」とうたわれることになる道策との実力差にある、という見方が一般的である。 |
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(参考資料) 第一着天元(1670年(寛文10年)10月17日、本因坊道策ー安井算哲(のち渋川春海)、古今著名局集、木石庵): http://mignon.ddo.jp/assembly/mignon/go_meikyoku.html.
渋川春海の天元の局(天地明察、たかお日記、高尾紳路九段、オフィシャルブログ) |
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(私論.私見)