1688-1704年の元禄年間 道策-雛屋立甫(5子)
(道策の5子局白番中押勝。大技で決めた一局)

 (最新見直し2015.02.12日)

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、「道策-雛屋立甫(5子)」(道策の5子局白番中押勝。大技で決めた一局)を研究する。

 2014.07.25日 囲碁吉拝


【「道策-雛屋立甫(5子)」(道策の5子局白番中押勝。大技で決めた一局)】
 1688-1704年(元禄年間)の一局、「(坊)道策名人-雛屋立甫(5子)」、白番中押勝。類見ない大技の決まった碁。
 雛屋 立圃(ひなや りゅうほ)
 (1595(文禄4)年 - 1669(寛文9)年)
 江戸時代初期の日本の京都で活動した絵師であり俳人でもある。姓は野々口(ののぐち)、名は親重(ちかしげ)。野々口立圃としても知られる。俗称として紅屋庄衛門、市兵衛、次郎左衛門、宗左衛門など諸説がある。絵師としては狩野派に属する。京都一条に生まれ、父の代に丹波国桑田郡木目村から京へ上り、雛人形を製造・販売していたため雛屋を称す。松永貞徳に俳諧、猪苗代兼与に連歌、烏丸光広に和歌を学び、尊朝流の書を能くしていた。絵画は狩野探幽あるいは俵屋宗達に学んだとも、また土佐派を学んだともいわれるが未詳である。土佐派を基調にし、宗達流の墨法を交えて立圃独自の俳諧趣味を加味した古典画題の作品、墨画、風俗画、俳画、奈良絵本などと多方面に画作を残した。1631(寛永8年)7月、『誹諧口五十句魚鳥奥五十句草木』を纏めて貞徳に認められ、1633(寛永10)年、『誹諧発句集』を上梓した。この作品は『犬子集』と並んで貞門の句集として名高い。以降、多くの句集を出している。1636(寛永13)年、俳諧論書『
はなひ草』(「花火草」「嚔草」とも記す)を刊行している。これは、江戸時代初期の史上初めて印刷公刊された俳諧の式目・作法の書として、俳諧および俳句の世界では極めて重要な位置付けにある。1661(万治4)年、源氏物語のあらすじを書いた『十帖源氏』を著し作画している。なお、この頃の仮名草子の多くを立圃が書いたともいわれるが詳細は未詳である。他に奈良絵本『文正草子』、『俳諧絵巻』3巻(天理図書館所蔵)の作画もしている。俳文や紀行文なども多く手がけたようで、後に江戸に下ったりする間に弟子を増やした。晩年は俳諧をして備後福山藩の水野家に仕えた。寛文の頃に執筆、刊行した版本に『休息歌仙』、1665(寛文5)年のものに『小町躍』があり、ほかにも多くの版本を手がけている。1669(寛文9)年、京都で没す(享年75歳)。法名は松翁庵立圃日英。画の門人に実子の生白(号は鏡山)がいる。

 囲碁もたしなみ「雛屋立甫」名での棋聖
本因坊道策との五子局戦が棋譜として残されている。(「ウィキペディア(Wikipedia)雛屋立圃」その他参照)

問題図
実践図
検討図
 (解説) 
 (参考資料) 





(私論.私見)