1853(嘉永6)年11.5日
「太田雄蔵-秀策(先相先の先番)」
(「恐らくは太田氏畢生の傑局」)
(最新見直し2015.02.12日)
(囲碁吉のショートメッセージ)
ここで、
「太田雄蔵-秀策(先相先の先番)」
(「恐らくは太田氏畢生の傑局」)を研究する。
2014.07.25日 囲碁吉拝
【「太田雄蔵-秀策(先番)」(「恐らくは太田氏畢生の傑局」)】
1853(嘉永6)年11.5、28日、三十番碁第23局「太田雄蔵-本因坊秀策(先相先の先番)」
左辺で競り合いが始まり、白1(62手目)から3と軽く進出。右辺白5と消して、双方に地が少なく細碁模様。中央白も9まで薄いが黒から厳しい手はない。白はその後も戦いながら薄みをシノギきり、終盤に左上でコウ材有利を見越して白A〜Eとコウを仕掛け、ついにジゴとした。黒に悪手らしい手は無いにも関わらずジゴとしたことで雄蔵の代表作とされ、秀策は「恐らくは太田氏畢生の傑局とならん」と評している。また秀和とは互先から始まり、その後雄蔵先相先と定先を往復し約140局が残されている。
(私論.私見)