1842(天保13)年5.16日 「井上因碩-(坊)秀和(先相先の先)」
(因碩が碁所を逃した見損じ局)

 (最新見直し2015.02.12日)

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、「井上因碩-(坊)秀和(先相先の先)」(因碩が碁所を逃した見損じ局)を研究する。

 2014.07.25日 囲碁吉拝


【因碩が碁所を逃した見損じ局】
 1842(天保13)年5.16日、因碩/秀和争碁第2局「井上因碩(幻庵)-秀和(先先相の先)」。旗本磯田助一郎宅で始まり、その日は69手で打掛け。二日目は徹夜となり、5.18日昼、270手で終局、秀和の先相先の先番6目勝ちとなる。因碩は秀和の先番を破れず、名人碁所復願を断念する。
 譜1、2隅を空けたまま白1(16手目)から3、13と奔放に打って上辺を大模様にする。

Gennan-Shuwa18420516-1.jpg

 譜2. 白は左下で黒一目を切り離し、白1(66手目)から上辺も大きく囲って白5まで白優勢だが、白7、9が打ち過ぎで、後に黒Aのコウを狙われて苦戦となった。

Gennan-Shuwa19420516-2.jpg

 終盤で黒1目勝と思われたが白の見損じで5目損し黒6目勝となった。この碁で名人の道を断たれた悔しさが5目損の手を打たせたとの後世の見方もある。
 丈和が本局を調べて次のように述べている。
 「因碩の技、実に名人の所作なり。ただ惜しむらくは、その時を得ざるなり」。





(私論.私見)