1841(天保12)年3.8、22日 伊藤松和-秀和(先相先の先)
(松和一生の傑作)

 (最新見直し2015.02.12日)

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、伊藤松和-秀和(先相先の先)(松和一生の傑作)を研究する。

 2014.07.25日 囲碁吉拝


【「伊藤松和-秀和(先相先の先)」(松和一生の傑作)】
  1841(天保12)年3.8、22日、「伊藤松次郎(松和)-秀和(先相先の先)」、ジゴ。伊藤松次郎(松和)41歳6段、秀和21歳7段。秀和は前年に丈策の跡目となっている。松和は坊門の大先輩になる。本局は松和先相先の白番で、布石から機敏に打ち細碁に持ち込んで持碁とし、松和一生の傑作とされる。この碁を評した丈和と井上幻庵因碩は「石立、手順、堅めに至るまで、秀和の碁として一点の非難すべきなし。然るに松次郎、白を以て持碁となせるは名人の所作なり」とと絶賛したために、松和一生の傑作と喧伝された。
Matsujiro-shuwa-18410308-32-46.jpg
 白1(32手目)から9が名調子で、さらに白11、15と軽妙に進出しつつ下辺黒に圧力をかける。すでに細碁の局面で、この後黒から中央で仕掛けていくが、白がうまく打ち回している。

 「坐隠談叢」が次のように記している。
 「幻庵、丈和とこの碁を評し、『石立、手順、固めに至るまで、秀和の碁として一点の非難すべきなし。しかるに松和、。白を持ってジゴとなせるは名人の所作なり』」。





(私論.私見)