【「(坊)丈和-赤星因徹(先)」(「因徹吐血の局」)】 |
1835(天保6)年、7.19、21、24、27日、「本因坊丈和-赤星因徹(先)」、丈和の白番中押勝。
メイン対局の「(坊)丈和-赤星因徹(先)」(「丈和-赤星因徹(先)」)は三度打ち掛け四日に及んだ。19日は50手で打ち掛け、21日に続行して99手打ち、24日に72手、27日に打ち切った。序盤、因徹は井上家一同で研究した「井門の秘手」と云われた大斜定石の新手をを繰り出して互角以上に戦うが、老練な丈和の前に少しずつ形勢を損ねていく。 |
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右辺黒が1、3と形を決めに来たところを白4と内側からスベったのが「第一の妙手」(「内からの持ち込み妙手(白68)」)で、手を抜くと内側で生きられるため黒5の備えが省けない。さらに白6と先手で左下を間に合わせたのが「第二の妙手」(「利き味妙手(白70)」)で、aのキリを狙っているので黒7と備えざるを得ない。白からb,cのキキがあるためこの白の一団は心配がなく、先手で白8と左辺の打ち込みに回った。黒13に対し、頭をぶつけるような白14から形の悪い白16が力強い手が「第三の妙手」(「ブツカリ妙手(白78)」)の三妙手で形勢を挽回し、結果は、黒の優位を突き崩し壮絶な戦いの末逆転に成功し、白246手目のコウ取り(10十二)を見て因徹が投了し丈和の中押勝ちとなった。丈和の読みの深さと強腕を示す手で、後世に「丈和の三妙手」と語り伝えられている。
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本局は別名「丈和の三妙手」として知られ(光の碁採録名局「(坊)丈和-赤星因徹(先)」、白中押勝ち)、丈和の後半生における唯一の勝負碁で江戸囲碁史のハイライトとされる。この時既に重度の肺結核を患っていた因徹は対局中に吐血したと伝えられており「因徹吐血の局」として知られている。敗けた因徹は2ケ月後、吐血して亡くなるという悲劇的な結末となった(享年26歳)。 |
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赤星因徹(黒)の優勢、少しづつ差を縮める丈和の苦吟、因徹の苦吟を「坐隠談叢」が次のように伝えている。
「その打ち掛けの時、独り一室にこもりて碁盤に対し、手談に余念なく、家人はただ時来れば白粥をさ作りてそのかたわらに置き去りて、一言も交わしたることなし。(中略)因徹もまた必死の研究。独り孤灯に対し、考慮夜の徹するを知らず、あるいは扁舟を墨江に浮かべ、碁局に対して月の落つるを覚えず」。 |
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余談ながら、一門の盛衰を賭けたこの局中、幻庵は某寺に依頼し、不動明王に護摩を焚かせ修法して貰っていたと云う。これに対して、丈和の妻は浅草観音にお百度を踏み日参りして夫の勝ちを祈願したと云う。さらに後日談がある。林元美が帰国する途中に立ち寄った寺で松平家碁会の話をすると、僧は既に知っており、「丈和の技倆は神仏の力でも動かし難い」と長嘆息し、不動明王に護摩を修した反動で因徹が死に至った事情を打ち明けた。後、丈和がこれを聞き、因徹が投了した時に気を失いかけたのはその為か、と改めて戦慄した云々と伝えられている。 |