捕えられた吉備真備
吉備真備は遣唐使として中国に渡ってきました。しかし唐王朝の役人たちは、真備のあまりの頭の良さに危機感を覚え真備を罠にしかけました。「さあさあ真備殿、この楼台に上ってください」。「景色がいいんですよ」。「そうですか。では…」。ギシギシ…。階段を登っていく真備。楼の上に設けられた部屋を覗きこむと、「えいっ!!」。「わあ!!」。後ろから尻を蹴られ、部屋の中に押し込められてしまいました。バシッと戸が閉まり、カタリと錠が下されます。「ひひひ、真備、これでお前もおしまいだ。その楼には恐ろしい人食い鬼がいるのだ」。役人たちは大笑いしながら、引き揚げていきました。
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鬼の正体
(鬼だと?面倒なことになったなあ…)真備はムニャムニャと呪文を唱え、自らの姿を消します。そして、暗闇の中にいると思われる鬼に向けて、話しかけます。「これ、鬼よ。私は日本国の使いだ。それを取って食おうとは、とんでもない了見だぞ。何とか言ってみろ」。すると、暗闇の中から声が響きました。「日本国の使い?おお…嬉しや!我も日本国からの遣唐使よ」。「なんと!そちも遣唐使か。早く姿をあらわすがよい」。暗闇の中から、すーーと悪鬼の姿が浮かび上がります。悪鬼といっても、冠をつけてキチッとした正装姿です。「私は阿倍仲麻呂」。「おお!あなたが仲麻呂殿ですか。お話はうかがっております」。仲麻呂の霊は、この楼に閉じ込められ食物を絶たれ、死に至ったまでを涙ながらに語ります。吉備真備も同情し、涙を流しました。そして吉備真備は、夜通し阿倍仲麻呂の霊に語ります。日本のこと、仲麻呂の子孫が官位をたまわって立派に出世していることなどを。「おぉおぉ、嬉しや。嬉しや」。朝になると、仲麻呂の霊は引き返していきました。
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「文選」の試練
次の朝。「死んだかな真備の奴」。「ズダズダに引き裂かれているかもなあ。いひひ」。役人たちが楼台の上の部屋をのぞきこんでみると、真備は何食わぬ顔で眠りこけていました。「こ…こいつ!ただ者ではない!」。夜。ふたたび仲麻呂の霊があらわれます。「真備、油断するな。奴ら、ロクでも無いことを考えているぞ。お前に書物を読ませて、ぜんぜん解釈できないのを見て、なんだ日本の使いもたいしたことないないかと、バカにするつもりだ」。「ううむ。ただバカにされるなら我慢するが…
事は外交問題だ。それで、何の書物だ」。「文選だ。難しい本だ」。「仲麻呂、お前暗記しているなら俺に講釈してくれ」。「俺はしらん。自分で勉強してこい」。「勉強してこいって仲麻呂、そんな…」。言ってるそばから仲麻呂の霊はすーと吉備真備を引っ張り上げて、空に飛んでいきます。「わあああーーーっ」。吉備真備の体はどんどん上がっていき、はるか真下に長安の街並みが小さくなっていきます。「すごいなあ。仲麻呂。お前こんなこともできるのか」。「ふはは。これぞ飛行自在の術。それ、着いたぞ」。すーっと降りていくと、そこは、皇帝の学問所でした。ここでは夜通し『文選』の授業を行っているのです。吉備真備は何食わぬ顔で教室に入って行って、生徒たちにまじって『文選』の講義を受けます。「ふんふん、なるほど」。「覚えたか?」。「覚えた」。「よし」。ふたたび阿倍仲麻呂は吉備真備を引き上げてすーっと空を飛び、長安の上空を飛び、楼台まで戻ってきました。「仲麻呂、チラシの裏かなんかあったら、差し入れてくれ」。「何をするんだ?」。「まあ見てろ」。吉備真備はチラシの裏かなんかに文選の文句をズラズラズラッと書きまくりました。翌朝。儒学者の一人が吉備真備を試みようと楼へやってきます。すると、なにかチラシの裏にいっぱい書いてある。なんだろうと見ると、「これは…!!」文選の文句でした。「どうして知っているのだ!わが国の『文選』をッ」。「ん?日本では『文選』なんて、そのへんの子供でも暗記しているぞ。ふつうだ」。「なっ!!」。儒学者は打ちのめされて、すごすごと引き返していきました。この顛末を皇帝に知らせると、皇帝は大変口惜しがった。
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囲碁の試練
また阿倍仲麻呂の霊が吉備真備に教えます。「今度は囲碁で勝負を挑んでくるぞ」。「囲碁って何だ」。「なに!そこからか。もうダメだ」。「安心しろ仲麻呂。お前知っているなら教えてくれ。俺の記憶力を甘く見るな」。「わかった。…天上を見ろ」。阿倍仲麻呂の霊は、格子状の天井を碁盤に見立て、囲碁のルールを説明します。「ふんふん…こうなって、ああなって。これで勝てるわけか」。二人でイメージ上の白石、黒石を戦わせているうちに、朝がきました。「吉備真備!今度は囲碁で勝負だ!」。「望むところ!!」。ピシッ、ピシッ、「黒三の六」「白八の七」とかどこかのテレビ局の囲碁中継みたいな、陰気な声もあったかもしれません。ところが吉備真備は敵の白玉を前もって一個、飲み込んでいました。ここが引き分け、あと一手で勝負が決まるという時、敵方が碁石をつかもうとすると…「ん?あれ?無い?」。碁石がありません。吉備真備は余裕で言います。「どうやら私の勝のようですなあ」。「いや、しかし、これは、納得できん」。そこで碁石の数を数えてみると、一個足りませんでした。「お前、飲み込みおったな!!」。「さーて、何を証拠に?言いがかりですよ。名誉棄損だ」。「証拠なら、今すぐつきつけてやる!!」。そこで呵梨勒丸(かりろくがん)という下し薬を無理矢理飲ませますが、吉備真備は術をもってぐっと下痢をおさえ、ついに出てきませんでした。こうして囲碁は真備の勝利ということになり、唐の役人たちはいよいよ納得いきませんでした。
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野馬台詩の試練
食物を与えず餓死させようとしても、夜ごとに仲麻呂の霊が物を与えるので、平気な顔で吉備真備は生きていました。「仲麻呂。いつもお前が助けてくれるんで助かるよ」。「それがな真備、今度ばかりはどうにもならん。あの難解な野馬台詩を解読させようとしている」。野馬台詩はその昔、さる徳の高い僧によって書かれた予言の詩です。しかし文字がバラバラで暗号のようになっていました。誰も読めませんでした。皇帝は吉備真備を召し出し、野馬台詩を前に、さあ読め、お前がそんなにかしこいなら、読めるはずだ野馬台詩を。読めといったら読め。もし読めぬならその時はとすごみます。(はあ…まいったなあ…)。そこで吉備真備は日本の方角を向いて、(住吉大明神よ、長谷寺観音よ、私にご加護を!)すると、ぽとりと蜘蛛が一匹落ちてきて、野馬台詩を記した紙の上を、糸を引きながら歩きまわります。(おお…読める!読める!)こうして吉備真備は野馬台詩を見事解読し、今回の試練も切り抜けました。
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日月を隠す
皇帝以下、驚きあきれて、もう食物を一切与えるなと再び吉備真備を楼台に押し込めてしまいます。「どうしよう。いかな俺でも、お前を日本まで連れて帰ることはできんぞ」。「うーん。仲麻呂。用意してほしいものがある」。吉備真備が阿倍仲麻呂の霊に用意させたものは、サイと、サイを振るための筒。そして双六の盤台でした。吉備真備はサイを盤台の上に置き、「きええええーーーっ」。筒で、サイを覆ってしまいます。すると、一天にわかにかきくもり、太陽も、月も、その姿を隠してしまいました。唐土全土がまっ暗闇となります。「あわわ、どうなっちゃったんだ」。「これじゃ生活できない」。「祟りか?世の終わりか」。恐れおののく人々。占わせてみたところ、吉備真備の幽閉されている楼の方角が指し示されました。ワアワア文句を言う役人たちに、真備は「日本に帰してくれるなら、日月を戻しましょう」。「わ…わかった」。そこで真備がサイをおおっていた筒をはずすと、たちまち太陽と月がもとに戻りました。こうして吉備真備は無事に日本に戻れたという話です。
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