囲碁史上の逸話、名勝負考その1

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).8.29日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで囲碁落語、囲碁逸話を確認しておく。囲碁吉は、既成の囲碁落語に対して、囲碁落語そのものを創作していたことに敬意を表するが、その内容については今ひとつ不満がある。それは、語り手の落語家が案外囲碁に通じていない気配を感じるからである。ないしは脚本そのものが案外囲碁に通じていないからかも知れない。そういう意味でもう少し真に迫るよう書き換えてみる。

 2014.04.25日 囲碁吉拝


【碁泥(ごどろ)】
 「ウィキペディア碁泥(ごどろ)」その他を参照する。
 碁泥(ごどろ)は、落語の演目の1つの典型的な滑稽噺である。上方では「碁打盗人」と呼ぶ。以下のサイトを参照する。「(ユーチューブ)古今亭志ん朝 碁泥(碁どろ) 」。「(ユーチューブ)柳家小さん(五代目) 碁泥」その他。
 囲碁吉版「碁打ちの上の空」
 譬(たとえ)に『碁に凝ると親の死に目にも遇わない』という言葉があります。どういう意味かと申しますと、碁に凝ると、頭の中が碁で一杯になりましてナ、大事の用も仕事も後回しにしてすっぽかし、夢中になって碁を打ち続ける、そういうことがしょっちゅうになると云うことへの戒めでありましてナ、碁打ちなら誰しも身に覚えあることでございます。

 碁つうものは、いいおとなをそれほど虜(とりこ)にするものなんですナ。碁を知らない人からすれば、実にケシカランということになりまして、中には『碁には何か、人を夢中にさせる麻薬のような媚薬が入っているんではなかろうか、医者に調べさせぇ』、と疑うようになる訳でございます。しかし幾ら碁盤と碁石を引っくり返しましても何にも出て来ませんありはしません。何にもないと云うことは分かりましたけれども、ケシカラン派の人はあきらめませんで、碁に嵌(はま)ってしまっておる碁打ちを碁から抜け出させる良い方法はないか、碁を知らない者をこれ幸いとして碁に嵌(はま)らせない良い方法はないかな、とまぁこう考えるようになる訳でございます。

 とは申しましても、今現に囲碁が盛んな訳でございまして、日本では囲碁人口が減り続けておりますが、世界では逆に囲碁愛好者が急激に増えておりましてナ、囲碁退治は失敗し続けているようでございます。これが実際のところなんですナ。


 ところで、『碁に凝ると親の死に目にも遇わない』の本来の意味を説き分けしときませう。世間で云われているような意味とは少し違いますでナ。この言葉は正確には江戸時代の頃、本因坊家、井上家、安井家、林家の家元四家の代表棋士が、一年に一度家元の名誉を掛けて江戸城で争う、お城碁に上がった時に生まれた言葉でございましてナ、対局の際中は親の訃報を聞いても帰れない、と云う縛りがあったところから始まっているのでございます。

 本来の意味は、『親の死に目にも遇えない』のはお城碁の専門棋士に限っての話でありまして、その他大勢の者には当て嵌まらないのですが、面白いことにこの「家に帰れない」のところがいろんなところに感染してしまいましてナ、庶民の碁打ちが囲碁に興じ過ぎて、仕事そっちのけで碁に興じ、仕舞いには「家に帰らず」のまま打ち続けとなり、その間に親危篤の報を聞いても打ち続け、帰って来た時には親が死んでいたと云う、碁を知らない者からすれば理解不能のまったくの碁キチ物語なんですナ。実際にあったかどうかは別としてありそうな話に大化けして今日の風刺格言、諺になっている次第のようでございます。


 こういう碁キチぶりは何も江戸時代が始まりと云うのではありません。碁が生まれたはるか昔のその時から生まれているようでございます。碁を別名『爛柯』(らんか)とも云う故事がそのことを伝えております。これがまた凄いお話でして、さすがにスケールの大きい中国故事でございます。爛柯の「柯」(か)は斧の柄(え)を意味しております。「爛」(らん)は爛熟(らんじゅく)の爛で腐るの意味です。中国の晋の時代の伝説でございますが、王質という木こりが山中に迷って洞窟の中に入りますと、四人の仙人が碁を打っていたそうでございます。これを見始めているうち時のたつのをすっかり忘れ、気がつくと持っていた斧の柄が腐りはてておりました。これは少し見過ぎたわいと驚いて家に帰ってみれば、昔の人はみんな死んで一人もおりませんでした。日本の浦島太郎の玉手箱の煙伝説と似たところがあります。『爛柯』はこの故事より生まれた雅称、雅びなネーミングなんですナ。

 これとよく似た話しで『橘中(きっちゅう)の楽しみ』との例えもございます。これも中国の伝説でございまして、巴蜀(はしょく)の国の某(なにがし)と云う人が庭の巨大な橘(たちばな)の実を割ったところ、中で身の丈一尺ばかりの仙人がそれぞれ二人一組で泰然自若に碁を興じていたとの説話であります。橘の中は俗界と違う時間の流れる別天地で、碁をその小宇宙に遊ぶ神仙の遊戯と例えているとのことでございます。

 それほどまでに楽しませてもらえる碁ですから夢中になるんですナ。負けた方が『もう一番』、次に負けた方が『もう一丁』と互いに繰り返してしまうと、これはもうマージャンと同じですナ。マージャンでは、負けた方が『あと半チャン』と云い、そうやってずるずると続き朝を迎えると云う『徹マン』が付き物です。『もう一番』、『もう一丁』は碁もそうでして、勝負事、賭け事に共通しているんでせうナ。そのうち、乳飲み子を抱えた奥方が目を吊り上げてやってきて、『こら親父ぃ。エエ加減にせんかァ仕事をせんかい』と怒鳴りながらやって来ることになる訳でございます。あるいは、碁会所じゅうを箒(ほうき)を持って追い駆け回すつう武勇伝になる訳でございます。これは、そういう現場を見たもんから聞いた話しでございまして、実話のようでございます。

 『碁は亡国の遊びなり』として国策で禁止しよう、こう考える者がいてもオカシくはありませんが、これが実際に問題にされたことがあるようなんですナ。歴史を紐解いて見ますと、701年と云いますから大昔の奈良時代のことでございます。中臣鎌足の二男にして光明皇后の父、聖武天皇の祖父であります右大臣・藤原不比等(ふひと、659-720)が、中国の隋や唐のような大国を真似て大宝律令と云う法律集を編纂させた訳ですが、その中の僧尼令(そうにりょう)に次のように記されております。『スゴロクやバクチは禁止する。碁琴(ごきん)は禁止しない。僧尼が音楽と博戯をすれば百日の苦役、碁と琴に制限はない』。これによりますと、囲碁も博打と同じとして禁止しようとしていたところ、「囲碁と博打は違う。博打は禁止するが囲碁は禁止しない」と云う沙汰になったようでございます。昔から碁が格別の地位で待遇されていることが分かる興味深いことですナ。

 と云いますのも、昔から碁が頭脳の筋肉を鍛える効果があることが知られていたんですナ。脳に筋肉があるのかどうか知りませんが、例えてみればそう云う風に言える訳です。同じように夢中になっても博打とは違う。分かり易く云いますと博打が悪玉菌、碁は善玉菌と位置づけられていたんでせうナ。従いまして碁を禁止しろと云うのは碁を知らない側からのもの云いでありまして、何事も物事は両方から言い分を聞かねばなりません。碁を嗜む者は逆にこう云うんですナ。『碁を知らずして生きていて何の価値がある。碁を知らないまま生きるつうのは人生の半分しか生きていないようなもので、勿体なさ過ぎる。碁がなければ人生が退屈でしようがない。これを知って楽しむ人生からすれば、知らずに過ごす人生にゾッとする。碁が打てることがどんなに冥利なことか。そうではありませんか碁打ち仲間の皆さん』。これは、とある碁会での会長さんの言葉でございます。私自身が皆んなが頷く光景を見たことがあります。碁にはそれほど魅力があるんでせうナ。昔から愛好されており、これだけ長く続くからにはよほど値打ちがあると考えるべきでせうナ。

 そこで、仮にですヨ、タバコ吸いの呑み助の碁打ちに対して、『碁と酒とタバコのどれか一つを捨てよ、そうすれば命は助けてやる』と、匕首(あいくち)を突きつけられながら迫られたとしませうか。これが案外と困るんですナ。碁を知らないタバコ吸いなら、迷わず碁を抜き取るでせう。タバコ吸いの呑み助の碁打ちは何を抜きますかナ。(しばらく掛け合い) 恐らく碁を抜くことはありませんよ。酒も抜けませんな。結局タバコを抜くことになるでせうナ。ところが、タバコはまだ話しが簡単です。『碁と酒と女のどれか一つを捨てよ』と云われたとすると、これはどうなりますかナ。女のところは女性からすれば男に置き換えれば宜しいのですが、どれを抜きますかな。ここに女好きの呑み助の碁打ちの方は居られますか。(しばらく掛け合い) これは難しいですナ。碁、酒、女、どれも一筋縄ではいかない曲者、魔物、嵌まり物ばかりですなアハッハッハッ。
 と云うことではございます。前ぶりが長くなりましたが、本日はその碁に魅せられた者同士のお話しの一席をばしようと思います。碁仇(がたき)が碁を打っている間に忍び込んだ泥棒との滑稽噺しでございます。
 主人が碁仇(がたき)を呼んで碁を嗜む。碁仇つうのは、言葉そのものの意味での仇ではありませんヨ。勝ち負けに拘り親の仇を打つようにして何番も打ち続ける、その間盤外作戦の口撃も始まりお互いに口でも負けない、そうやって打ちながらも実はお互いに居なければ寂しくて堪らない仲良しの得難き友、これが碁仇なんですナ。今日の話に登場する碁仇は二人ともが滅法タバコを喫います。そういう舞台設定になっているんですが、場所は江戸。上方でも全国どこでも宜しい。時代も江戸でも明治でも昭和でも大正でも只今の平成でも宜しい。ここでは昭和初期風にやってみませう。

 碁打ちのタバコ喫いに奥さんが困ってしまいましてナ。タバコをスパスパやりながら碁に夢中になるので、しょっちゅう畳を焦がされてしまう。そこで敷物を敷いてみたが、替えても替えても又焦がす。堪り兼ねまして、或る日のこと、主人の頬っぺたを掴んで敷物を上げさせる。見たら何と、畳のあちこちが黒焦げになっております。
碁は碁!煙草は煙草!に分けてくださればよろしいですのに。碁は座敷で打って、終われば縁側で外の景色でも見ながらゆっくり煙草を吸えば宜しいではありませんか。こんな簡単なことが何で分からんのですか、私の苦労も考えてくださいよ。
主人 なるほど理屈だな。これからはそうしてみるかな。

 と云うことになりまして、対局中は禁煙、一局終わるごとに縁側で喫煙と云うことになりました。ところがイケマセンナ。一度や二度はそうしたこともあるのかもしれませんが、局面が熱くなり手どころを迎えると気持ちが高ぶり、そうなるとタバコが急に欲しくなる。奥さんの戒めを忘れて『おい!煙草盆がないぞ!マッチがないぞ。早く持って来い』と怒鳴ってしまいます。これが毎度のことでして、奥さんが呆れてしまうのも無理もありません。ところが、この奥さんは相当デキが良くて、それというのも若い時は無論のこと老いた今でも主人にホの字のようでしてナ。気になりまして聞いてみましたら、こうおっしゃいましたよ。うちの主人は今まで商いをしっかりやって来た上に、よその亭主みたいに女遊びするでもなく、老後の道楽に碁に目がないつうぐらいのことは大目に見なければバチが当たります。とまぁこうおっしゃるんです。愚痴ることはなかったそうナ。どこぞの女房さんに聞かせてやりたい話しですなハッハッハッふっふっふっクックックッ。


 そういう或る日のこと、今日も碁仇が来ておりますところに、奥さんがどうしても出掛けねばならん用ができたんですナ。気にかかることは煙草の世話のことです。これを按配よくしないと出掛けようにも出掛けられません。そこで考えたんですナ。あらかじめ煙草盆を出しておき、その煙草盆の中に真っ赤なところが火付石(マッチ)のように見える紅生姜を入れておく。こうしておけば、煙草に火がつかないから火事を起すことはないだろう。碁に夢中になり過ぎて、ひょっとして煙草吸うのも忘れてくれたら良いのにと神棚に手を合わせましてから、『暫くの間留守をしますからねぇ。くれぐれも火の元の用心頼みますよウ』と云って出掛けました。

 二人は碁に夢中になっておりますので、奥さんが出掛けたくらいのことは分かるものの何を言ったかなんてことは耳に入っておりません。その後、手どころを迎え、いつものように煙草をつけようとしたものの、幾らこすっても火がつかない。紅生姜だから火がつかないのは当たり前。『あれ!?おかしいなあ。つかねえ』と言いながらも目は碁盤に釘付けしたままですから、火がつかないことさえ上の空でございます。オカシな話しだと思う方も居られませうが、碁を打つ者なら理解できるあり得る姿なんですナ。要するにそれほど夢中になっている訳でございます。

 そこへ泥棒が入って来たんですナ。対局中の二人は碁に夢中なので気づきません。目ぼしい物を大きな風呂敷に包んで首元に括り、さあ引上げようとしたら、夜更けにパチリ!という碁を打つ音が奥の方から聞こえる。因果なことに、この泥棒がイの一番の碁好きときている。『おっ、いい音だねぇ、やってるナ。私はこの音を聞くと痺れてしまう。どれどれ少しだけ覗いてみよう』と、音のする奥の座敷の方に忍び足で行き、そっと戸を開けて覗く。『あぁふっくりとしたいい石だな。一度でも良いからこういう石で打ってみたいなぁ』とつぶやく。

 この泥棒さんは、ここでお暇すれば良いのに、遠目で碁盤全体を眺め局面を読み始めました。丁度中盤の攻め合いが始まろうとしておりました。ここが一番面白い宴たけなわなところなんですナ。棋力を測りますと、石の形からして泥棒さんの方が少し上と云うことも分かりまして、少し先輩風吹かせようと思ったのでせうか、あれっどうしたことか泥棒さんが吸い込まれるように部屋の中へスルスルと入って行き始めました。よほど興に乗ったんでせうナ。それから段々首が伸びて行きましてナ、しまいには盤のすぐ側までにじり寄り、盤を覗き込むようにして観戦し始めました。それにしても随分大胆な泥棒ですナ。ここで止しとけばまだしも話しかけ始めました。『甚(はなは)だ失礼ですが互先(たがいせん)のようですねヱ。碁は互先に限りますねヱ』。碁仇同士は碁に夢中で、碁の風景には付き物の、好き者観戦者が寄って来たのだろうぐらいに聞き流しております。口出しする者の方に目が行かないものですから、その風体が分かりません。『ふっくりとしたいい石ですねヱ。がいいと平常(つね)より二目(にもく)がた強く打てると云いますね。羨ましいですネェ』。

 そうこうしているうち相手が覗きの手を打つ。ツグべきかつがずに反発すべきか腕組みして考え始めると、ここで、つい思わずでせうが泥棒が口を挟み始めます。『ここは切られると拙いでせう。ツグ一手ですヨ』。それぐらいで止しとけばよいものの次第にぶりがつき始めます。言い出したら止められないカッパエビセンの心境になったようです。『そこの手抜きはないですよゥ』。『そこをそういう風に受けると利かされですねェ』。当りになると『当りですヨゥ』、シチョウになると『シチョウは大丈夫ですかァ』、放り込みの手が見えると『放り込みの打って返しになってますよゥ』と口出しする。仕舞いには、『いよいよ手どころを迎えましたネェ』、『ハハァ、大石同士が攻め合いになってますナ。どちらが勝ちですかどうなりますかネェ』。『アヽヽその手は酷い。内からダメ詰めしてはいけませんねェ』。

 見物人がこう次から次へと意見し始めると、形勢の悪い方がイライラして来るのも仕方ありません。主人『見物人は黙って見てくれなきゃねェ。一手一手、横からうるさいなァあなた。傍目八目(おかめはちもく)、助言は無用ですよ』と云いながら見やる。客『助言はご遠慮願いたいねェ』。泥棒『へぇ、あいすみません。見ちゃいられなかったもんで』。この時、両者が初めて泥棒を見て、『あれ?知らない人だナ』と見慣れない人であることに気づく。ここで大騒ぎとはならないのが碁打ちの真骨頂でせうか。更に熱戦が続きます。手どころが一段落した頃、打ちながら尋ね始めます。

『大きな包みを背負ってますねェ』とパチリ。
主人 『どこのどなたか分かりませんが見慣れない方ですねェ』とパチリ。
『あなたは一体誰でせう』とパチリ。
主人 「じゃァ私も…お前は誰だい」とパチリ。
泥棒 『へへエヽあっしは泥棒です』。
ここで終るのが普通ですが、この後の会話が次のように続いております。
『成る程、お前は泥棒さんかい』とパチリ。
主人 『これは泥棒さん、よくおい出たねェ』とパチリ。
それじゃ私は、ここに、泥棒さんかい、と行きましょうとパチリ
主人 『なるほど泥棒さん、うまい手だねぇ』とパチリ。
『泥棒さん、景気はどうかね』とパチリ。
泥棒 『今日はしこたま稼いで袋が一杯になっています』。
主人 『泥棒さん、お仕事は大事ですよぅ、仕事はしっかりやりなさいよぅ』とパチリ。
泥棒 『それではそろそろお暇(いとま)いたします』。
泥棒が下がり始める。
『抜き足さし足がお上手ですねぇ』とパチリ。
主人 『それでは、またちょいちょい、いらっしゃい、、、、』とパチリ!。
そこへ女房殿が御帰還遊ばれました。どうなりましたことやら、お後は皆様方でお続けくださいませ。

【碁泥(ごどろ)】
 碁どろ(ごどろ) 四代目柳家小さん 

 この碁どろというお噺(はなし)は、師匠(三代目)が得意中の得意としてはな(演)しましたもので、我々がどうやりましても、とてもアヽいう味は出ません。実に師匠が独特の妙技として類(るい)真似人(まねて)がないといってもいい位のものでありまして、高座ではあまり私どももや(演)りませんが、今度落語全集の出版について除くことのできないお噺でございますから、ホンの物真似に申し上げることに致します。

 譬(たとえ)にも碁将棋に凝ると親の死に目にも遇わないという戒めの言葉がございますが、全くどうもこれに凝ると、どんな大切の用を控えていても忘れるほど夢中になります。しかしまた、それだけ面白い物には違いありません。けれども当人同志が勝負を争うのが面白いというのは判っておりますが、それを脇で見ていて、助言をする人がおります。それがまた幾ら断わられても怒られてもや(止)められないというのは不思議で、同じ助言をされても、勝った方はそれほどでもないが負けた人はきっと腹を立つ。これはマァ当然のことで、随分それがためにトンだ喧嘩を始めることなどが幾らもございます。
「どうだい一丁いこうか」。
よ(止)そう」。
なぜだい」。
なぜって、この涼み台でやってると、横丁の隠居が来やがって、口を出して仕様がねえ。こないだ(此間)もあんまりうるせぇからけんつく(剣突)を食わしてやったら、いいあんばい(塩梅)に帰ったと思うと、またあくるひ(翌日)来やがってツベコベ口出しをしやァがって煩(うる)さくってならねえ。あの爺(おやじ)が来るから御免蒙(こうむ)る」。
「もし来たら助言をしちゃァいけねえと断ってしまおうじゃァねえか」。
「断ったって性分だから駄目だよ」。
「それで口を出したら、こりゃァ賭け将棋なんだ。百円の勝負だから一生懸命だ。側(そば)で口なんぞ利いて邪魔をする者は、誰でも構わねえ、ひっぱたくと脅かしてやろうじゃァねえか」。
「成程そんなら大丈夫だろう。じゃァそろそろ始めよう」。
隠居 「やァこれは、相変わらずやってるねヘボ同志で」。
「ホラやって来た」。
「エヽ隠居さんお出でなさい」。
隠居 「イヤどうも好きだな」。
「ナニ好きッてえ程でもねえんですけれども…今日は隠居さん、少し口を出さねえようにしておくんなさい」
隠居 「アヽ出しませんよ」。
「出さないといいながら、お前さん直(じ)きに夢中になって口を出すから困っちまう。今日は只(ただ)の将棋でねえんで、賭け将棋なんですから」。
隠居 「賭け将棋はお止(よ)しよ。かの事で了簡(りょうけん)が卑しくなるから」。
「ところが僅かじゃァねえんで、どうも只じゃァ張り合いがねえから、百ずつの賭けで始めたんで」。
隠居 しなさいよ、馬鹿/\しい」。
せったってモウ約束をしちまったんで、百円の遣り取りだから、互いに一生懸命だ。側(そば)で口を出しちゃァいけません」。
隠居 「そういう将棋では、迂闊(うかつ)に口は出せない。出しませんよ」。
「出さなけりゃァようございますが、欲と二人連れだからね。一身上ひとしんしょうに有り付くか、身上を潰すかという興廃存亡の場合だから」。
隠居 「イヤ大きく出たね。そういうことなら決して助言はしない」。
「見ているだけならようございます」。
隠居 「アヽ見ているだけだ。しかし初めの内は将棋というものは面白くないな」。
「そんな事を言わねえでおくんなさい」。
隠居 「ナニ助言をする訳ではない。…アヽ失礼ながらお前さん(たち)の将棋はこれだから面白いな。モウそこへ喧嘩ができた。ウームとうとうこれは戦争になった」。
「うねせえな。戦争も軍(いくさ)もねえんだから、隠居さん、黙ってゝおくんなさい。後生だから」。
隠居 「イヤ助言をする訳じゃァない…」。
「けれども騒々しくっていけねえ、百円の遣り取りで今大切のところなんだから」。
隠居 「エヽ口は出しませんよ…。アヽ辰(たつ)さん、お前の方が少し旗色が…」。
「それがいけねえんだよ。旗色が悪かろうがよかろうが、大きなお世話だ」。
隠居 「そうでもあろうが、ウーム、こりゃァどうも…」。
「オイ殴るよ。誰だって構わねえから…、こっちァ百円の一件なんだ」。
隠居 「イヤ助言をする訳ではない」。
助言でなくってもうるせえよ」。
隠居 「アヽそら…ウーム口は出さない」。
「出さなけりゃァいい。見ているだけなら構わねえが、黙っていておくんなさい…、コウッと…こう往(ゆ)けばこう来ると、どうも弱ったな」。
隠居 「弱ることはないだろう。筋違(すじかい)に銀を突っ込めば」。
「エーッ此奴(こいつ)ッ」。
隠居 「痛い、ったな」。
打(ぶ)たなくってよ。百円のいきさつだ」。
隠居 「ウーム、ヤッ成程約束だから、たれても仕方がない。モウこれきり口は出しません。しかし面白くなって来たな。アヽそいつを…」。
「オイまた殴るよ」。
隠居 「けれどもこの位のことは、いったっていいだろう。何も助言という訳ではないから」
「いけないよ。うるさくって仕様がねえ、何でも口を出せば殴るから、その心算(つもり)でいておくんなさい」。
隠居 「しかし、それでは以来口は出さんことにする。けれど面白いな。アヽ詰(つめ)があるよ、そこには」。
こいつッ」。
隠居 「痛いなこれは…イヤまた来ます」。
「ウフッ行ちっまやァがった。思う様殴り付けてやったら、変な面(つら)をして行きゃァがった」。
親方 「オイ門口(かどぐち)で将棋を差すのは止(よ)しなよ。今見ていりゃァ横丁の隠居さんを殴ったじゃァねえか」。
「ナニ約束なんだから構いません」。
親方 「約束だってえ者は老人(としより)を労(いた)わるべき者だ。幾ら将棋で夢中になったって、老人を殴るという法はねえ」。
「ナニ先方も覚悟なんで」。
親方 「覚悟だってピシャ/\、音のする程殴る奴があるか、門口で差すからいけねえ」。
「モウこれから差しません」。
親方 「ありゃァ只の隠居じゃァねえぜ」。
「ヘエー、なんの隠居なんで」。
親方 「元剣術の先生じゃァねえか、よくも男の面体(めんてい)を打ったな、恥辱を雪(すす)ぐから覚悟に及べとか何とか言って今に来るぜ」。
「ナニ大丈夫ですよ」。
親方 「大丈夫じゃァねえ」。
「オイそうでねえよ。親方のいう通り来たぜ向こうから」。
「ドレ…アヽ来た/\。なにか(かぶ)ってると思ったら剣術の被(かぶ)って来やがった」。
隠居 「ヤー先程は失礼。サァおやんなさい」。
「モウやりませんよ」。
隠居 「そう言わんでモウ一番、今度はたれてもいいように面をって来た」。

 夢中になるとそんなものでございましょう。碁でも将棋でも違いはございません。
「今晩は」。
「オヤお出でなさい、どうもお気の毒様、ツイ無人(ぶにん)だもんですから、ちょっと使いでも上げればようございました」。
「イエナニ別の用もないからブラ/\来ました。また明晩伺います」。
「イヤ、少し待って下さい。明日の晩もいけないんで」。
「じゃァ明後日(あさって)」。
「明後日にもなんにも当分碁が打てない事ができちまって」。
「ヘエー」。
今朝(けさ)家内がな、碁の事について、少し愚痴を言いました」。
「ヘエー、しかしお互い様に碁を打つために、夜更しをして、商売を外にすると言う訳じゃァなし、昼間一日稼いで夜の楽しみに打つんで、それも時間を極(き)めて十時をチンと打てばマァ打ち掛けていてもめて、明日打ち直すという事にしているんだから、差し支えないじゃァありませんか」。
「イヤそれは俺(わし)もそう言った。ところが女房のいうには、外(ほか)に何もいう所はないが、火の用心が悪いからどうか碁だけは打ってくれるなと言うんで」。
「ヘエ火の用心が」。
「なんで火の用心が悪いのかと聞いて見た所が、奥の六畳へ行って見てくれというから行って見た」。
「ウム」。
「六畳といえば、毎時(いつも)碁を打つ座敷だ。昼間は敷物が敷いてある。この敷物を上げてこの通りだと言われた時には、我が身ながら慄然(ぞっ)としたね」。
「どうして」。
「碁盤の周囲(まわり)は焼けげだらけ、因果と二人ながら噛むほど煙草が好きだし夢中になって碁を打ちながらうので、吹きが畳の上へ落ちる。この吹き殻のために火事になった事が昔も今も有りがちの事で、如何(いか)にも無用心だから、なにか外(ほか)に安心のできる慰みと変えて碁だけは打ってくれるなと、こう言われて見ると、それでもやるという訳にはいかない」。
「ハァー、また因果と煙草が好きだからなァ。困ったねえどうも、火事を出して構わないという訳もなし、宅(うち)へお出でを願うと言ったところが子供が多いからゴタ/\騒々しくっていけず、どうにか一つ火の用心をして、これならば安心という事にしてやろうじゃァありませんか」。
「そこだてね。安心と言ったところで煙草を喫(の)まねぇということはできない」。
「それはできないけれども…じゃァ庭の池を拝借しましょう。池には水があるから吹き殻が落ちてもチュウ/\消えてしまう」。
「それはいいが水の中は冷たい」。
「冷たいぐらい我慢をしなければならない。好きな道だから」。
「好きな道だって私ゃァ身体(からだ)が弱いから到底(とても)池の中へなんぞ入ってる事はできない」。
「それでは畳をトタンで張るということにしては」。
「そんな事は今夜の間に合はない」。
「それだから今夜だけ池でやりましょう」。
「どうも池じゃァ碁盤が仕様がない、水の中に立っちゃァ」。
「首から(ひも)を下げて両方に吊っていれば差し支えはない」。
「どうも首から吊ってるのは勝手が悪いねえ。しかしそれはマァいいとして、碁器(ごけ)はどうする。石を袂(たもと)に入れてちゃァ重くっていけず、一(つか)み出すというのも工合(ぐあい)が悪い」。
「それは腰へ魚籠(びく)を提げてその中へ入れる」。
「それじゃァ釣りだ。馬鹿/\しい」。
「馬鹿/\しいと言わないで、これならばやれるという所を一つ御相談をしよう、モウそう寒くもなし、アノお座敷へ二人楯籠(たてこも)って」。
「中は全然火の気なし。マッチ一本置かない事にしたら、幾らみたくっても、火の気のない所では煙草はめない」。
「それはいけない。お互いに碁が好きか、煙草が好きかといえば、碁の方は去年の暮れなどは十日ばかり商法が忙しくって休んだ事もある位だから、この方は我慢もできるが、煙草の方は十日はたて置いて、只の一時間でも我慢ができない」。
「成る程」。
「シテ見ると、碁より煙草の方がつまり好きのが強い」。
「もちろん」。
如何(いか)に碁が面白いといった処で、それより以上好きな煙草がめないということになると、物に譬(たと)えて見れば頭を擦(さす)られて尻の方をたれる理屈でつまらない」。
「イヤ全然まないということは到底(とても)できない話しだが、一石(せき)の勝負が何時間掛かるというものじゃァない。大体こりゃァどっちが負けだと見切りを立って半ばで毀(こわ)しちまうような碁ばかり打ってる我々だから、十分か十五分で形(かた)が着く。その間はピッタリ我慢をして、次の間(ま)へ火を置いていて勝負が着いてからその喫煙室へ行って煙草をむ。腹に溜まるものじゃァないから随分み置きもできる」。
「そんなに沢山みゃァ目が眩(まわ)る」。
「マァ眩暈(めまい)のするほどウンとんでまた盤に向かって碁を打つ、一石打ってしまったら煙草をむ。碁は碁で片を着け、煙草は煙草と、こう別にやれば大丈夫だと思う」。
「成る程。それは気が着かなかった。碁は碁でやって、煙草は煙草でむ。イヤそれならいいだろう…。エヽ其方(そっち)で何を笑ってるんだ。笑うどころじゃァない。どうか安心なことをしてやりたいと思って種々(いろいろ)相談しているんだ。なにも可笑(おか)しいことはないじゃァないか。エヽ、そんならは差し支えないッて、当然(あたりまえ)だ。火のない所でやって差し支える道理がない。サァどうぞ此方(こっち)へ」。
「じゃァ早い方がいい。一石も余計に打ちたいから」。
奥へ通って盤へ向かったらモウ夢中で、
「エヽト、碁は碁で打って煙草は煙草と」。
(碁を打つ動作)
「今日は最初から甚(ひど)く考えてるのは可笑(おか)しいね。どうしました」。
「イヤ今夜の碁は難(むつか)しい、煙草は煙草と」。
「ハァ仰(おっしゃ)るね、それなら此方(こっち)でも、煙草は煙草、碁は碁と、こんなものだ」。
「ウーム、煙草は煙草、碁は碁と」。
「お前さんも煙草と仰るから、此方でも煙草は煙草と…アヽ悪いなァこれは、こういけばこうとどうも、全然(まるで)遣り損なった。エーッ煙草とやっちまえ」。
「ウム成る程。道理(もっとも)です。そう来ればまた此方でも…煙草と行くかな」。
「どうもこれは裏門からお出でなすったな。コウッ…と渡ると…渡らせんと、これを打ち切る、覗いて来る。ぐの一手、サァ悪い石ができたよ。これは、煙草は煙草と、…待って下さいよ。ここだけは考えものだ」。
 もう盤へ気が入って二人ながら、全然(まるで)夢中、煙草入れを出して、幾ら夢中でも煙草は詰めたが火がない。これはある道理がございません。
「オイまだ此処(ここ)へ火が来ていないよ。どうしたんだ、火を持って来なよ」。
「アラ持ってッちゃァいけないよ。困ったねえ、モウ例の通り全然夢中になって在(いら)っしゃるんだよ」。
下女 「どう致しましょう。持って来いと仰(おっしゃ)いますが」。
「今夜ばかりは大丈夫だと思って、いい敷物を敷いて置いたら、あれもまた焼け穴だらけにしちまっては仕様がない。御自分でしといて、後(あと)でお小言だから困っちまう。持ってッちゃァいけませんよ」。
「オーイ火を持って来ないか」。
下女 「アラまた言ってらっしゃいますよ」。
「なにか火の代わりになるものはないかい」。
下女 「炭を入れてきましょうか」。
「炭じゃァ黒くっていけない。なにかないかねえ、煙草盆ばかりじゃァ持って行かれない。アヽこうおし、縁側の庇(ひさし)の裏に烏瓜(からすうり)が吊るしてあるだろう」。
下女 烏瓜」。
「アヽあれを一つもぎってお出で、黄色いのがあるけれども、真っ赤になってるんでなくっちゃァいけないよ。…ナァニ夢中で分かりゃしないよ。スッカリ埋(い)けて、なにを笑ってるのさ、笑って持ってッちゃァいけないよ。笑わずにいいかえ」。
 両人(ふたり)は気がつきません。
後(あと)を閉めてけ(スッパ/\煙草を吸い付ける動作)ハテナ…碁は碁煙草は煙草」。
 烏瓜(からすうり)の頭を持ってっては、スパ/\やっておりますが、幾らスパ/\やっても烏瓜の頭から火が発するする訳がありません。煙管(きせる)咬(くわ)えて見てはまた烏瓜の頭をでている。これなら安心と細君は下女を連れて風呂へ参りました。

 両人
は差し向かい、表の方は誰もおりません。そこへ入ったのが因果と奥の二人より碁が好きという泥棒で、大きな包みを造(こし)らえて、それを背負(しょっ)て逃げ出そうとした時が、モウ十時近い刻限、パチリ/\と碁石の音、これが耳に入ったから堪(たま)りません。
泥棒 「イヤ蔭(かげ)で聞いても快(い)心地(こころもち)だな、どこだろう」
 と音に引かされて、泥棒が奥の方へノソリ/\包みを背負たまゝ入って来た。
泥棒 「アヽここだな。気が散るといけないというので、ピッタリ閉め切って差し向かいだ、アヽふっくりとした、いい石だな。碁石がいいと平常(つね)より二目(にもく)方(がた)強く打てるというが真実(まったく)だね。いい石だ、塩煎餅(しおせんべえ)生(なま)見たように、反(そ)っくり返った石じゃァ面白くない。(はなは)だ失礼ですが。互先(たがいせん)ですな、碁は互先に限りますな。ハァ、その大きな石が攻め合いになってますな。力の入る碁だ。コウッとここは切れ目と、ここを…アヽ貴所(あなた)その黒は悪うございますよ。それはぐの一手だ」。
うるさいな。黙ってゝ下さいよ、見物は黙ってゝ下さい。見ているのは構わないが、口を出しちゃァ…岡目八目助言は御無用と、一つこれへ打って見ろい」。
助言御無用とは御道理(ごもっとも)。私も助言は御無用と」。
泥棒 「アヽヽ、アヽ手を放しちまっては仕方がないが、攻め合いの石を、あなたダメを埋めてくれなんて、そんな…」。
蒼蝿(うるさ)いな、また口を出して…、オヤ/\あまり平常(ふだん)見たことのない人だ…、エーコウッ…と。あまり平素見たことのない人だと…。大きな包みを背負てますね。大きな包みだと」。
「これは大きな包みと」。
「大きな包みを背負てお前は誰だい…と一つ打って見ろ」。
「成る程、お前は誰だいは恐れ入ったな。それでは私もお前は誰だいといきますかな」。
「じゃァ私も…お前は誰だい」。
泥棒 「ヘヽヽヽ、エヽ泥棒」。
「フーン泥棒」。
「成る程、お前は泥棒かと」。
「これは泥棒さん、アヽよくお出でだねッ」。
 碁泥

 昔から、碁将棋ってぇものは夢中になると廻りのものなど一切目に入らなくなるものでして、、、これはプロの先生に本当にあった話なんですが、、プロってなぁ勝負の最中におやつを持ち込んでも良いってことになっているらしいですな。あるとき、えらーい先生が、キャラメルを取り出して紙を剥いて口に入れようとした刹那、ふと妙手が浮かんだんだそうです。碁盤に意識を集中させた先生は、キャラメルを口にいれるのも忘れ、その手を膝に置きコンコンと読み耽ります。うん、間違いない。これは良い手だってんで、気合を込めて碁笥に手を入れた!!ありゃぁ~と叫ぶ先生の右手は、ドロドロに解けたキャラメルと、それにくっついてきた白石が5つ6つばかり、、、専門家でさえ、いえ、専門家だからこそかもしれませんが、碁に没頭するとまわりのことは何もみえません。震度5の地震さえ気がつかなかったってぇ先生もいるくらいですから。

「ごめんください。ごめんくださいまし。お、こんにちは。いえね、今ちょうど、時間が空いたんで、お宅様にお会いして碁でも1局打とうかななんて思ってお伺いした、とこういうわけでして。いかがです?1局」。
「あ、こりゃまた都合の悪いときにお出でになりましたね。残念なことに当分あなたとは碁を打つわけにいかなくなりました」。
「おや、そりゃいったいどういうわけで?」。
「あなたも悪いんですよ。いいですか。あなたも私も碁は好きだが、お互いそれに輪を掛けてすきなのが煙草だ。今朝、うちのかみさんが大掃除だってんで毛氈ひっくり返し、まあ驚いたね。あっちもこっちも、煙草の焼けっ焦がしだらけ。まあ、中に入ってその目でよぉーくご覧なさい。実はこれ、あなたと私で作ったもんですよ。毛氈の毛足の陰で今までわかんなかったんですけどね。ひっくり返したらこうなっちゃってましてね。うちのかみさんが『こんなんじゃぁ危なくってしょうがない、しばらくはこちらで碁なんぞやめてください』って言うんで、当分碁はご法度ですよ」。
「、、、そう。そんな粗相をしておりましたか?それは大変に失礼をいたしました。いえ、奥様のおっしゃるのもごもっともです。しかしまぁ、残念ですなぁ。碁を打てなくなるとつまりませんなぁ、、、そうだ、どうでしょう?ここが畳だからいけないんで、ついでですから、この場所を三和土(たたき)にするってぇのは?」。
「何のついでなんですか。だめですよ。碁のためだけにここを三和土になんか出来ませんよ」。
「そうですか。じゃ、こうしましょう。お互い、服を脱いでお宅様のお池でやるっていうのは」。
「裸になって、なにをしようってんです?」。
「いえね、それで池の真ん中に碁盤を置きましてね。ま、碁石のほうは魚を入れる魚籠でも使って、碁石を洗いながらジャブジャブと、そうしてビシャッと打つ、と」。
「そんなわけには行きませんよ。とはいえ、あたしも碁は打ちたいし、、、じゃ、こうしましょう。私たちゃぁそんなに長い勝負をするわけじゃない。ともすりゃぁものの10分もありゃあ終わっちまう。ですから、碁をやってるときは煙草を我慢して、一局終わったら煙草をお尻からやにが出るほど吸うってんで決めときましょう。碁は碁、煙草は煙草。これで行きませんか?」。
「『おーい、それならいいか?』、あ、向こうでかみさんがあきれて笑ってるよ。どうやらお許しが出たようだ。じゃあ、早速、始めましょう。この部屋に煙草盆を持って行っちゃいけませんよ」。
「わかりました。じゃ、早速やりましょうか」。
「さあさあ、やりましょう」。
と座るが早いか、碁石を握ってます。
「碁は碁、煙草は煙草、と、まずこう打って、、、」(パチリ!)。
「では、私のほうは、碁は碁、煙草は煙草と、こういった作戦で」(パチリ!)。
「なるほどね、碁は碁、煙草は煙草だね。ならばこう打ちますか」(パチリ!)。
「ほう、そう来ましたか。じゃ、私はここに碁は碁、煙草は煙草、と」(パチリ!)。
「いや、なるほど。そんな手で来ましたか。それじゃ困ると、ここんとこに碁は碁、と打ちますよ」(パチリ!)。
「そうですか。ならば私は、煙草は煙草、と、こう行きましょう。あ、これはいい煙草を打たれちまったなぁ」(パチリ!)。
「お、良い煙草を打ち返してきましたな。うーん、では私はここに煙草は煙草と。いや、さっきのは悪い煙草だったか、、、こう、、なんか煙草の形が悪いね。、、、ちょっとお待ち煙草を、、、うーん、これは考え煙草ですな、、、」。
こうして考え事を始めると、もう止まりません。いつのまにやら着物の袂から煙管を取り出しております。
「、、、おい、火がないよ。火はどうした!」。
これには奥方もあきれてしまいまして。
「ほら、舌の根も乾かないうちから、もうこれですよ。煙草盆に火なんか持って行っちゃいけませんよ。また焼け焦がしが出来ちゃいますよ。、、かといって持って行かなきゃまたうるさいし」。
部屋からは、だんだんと怒鳴り声になります。
「おーい、火はどうした! 火は!」。
「はーい、ただいま。もう、困ったね。あ、そうだ、そこの紅しょうがでも煙草盆の中に入れて持っていってやりましょう。どうせ赤くて硬けりゃ炭と見分けなんかつくわけがないんですから。、、、こう、ちょっと灰をまぶしてね」。
「火はまだかぁ!」。
「はい、ただいま! さ、これをもってお行き。いいからだまってそうっと置いて来るんだよ」。
「早くしなさいと。早くね。煙草盆をそっちに置きなさい。置いたら部屋を閉めて、そうそう。…えー、ちょっと考えさせて下さいよ。まだ、考え煙草ですからね、、、」。
考えながら、煙管の先に火種を近づけますがつくわけありません。なにしろ、紅しょうがなんですから。
「なんだ、ちょっと吸うのをやめただけで、この煙草湿気っちまったよ」。
しめしめ、やっぱり気がつきゃあしない。これなら安心、と奥方のほうは湯屋に行ってしまいました。と、そこに運の悪いことに、泥棒が入ってまいりました。湯屋に出かけたその隙に、と見計らって、ひととおり金品、着物を盗みますってぇっと、よっこらしょっと風呂敷包みを担ぎやしたが、部屋の向こうから碁の打つ音が、パチリ、またパチリ、と聞こえてきます。それでもってこの泥棒、二人に輪をかけて碁が好きだったからたまらない。
「うーん、いい音させてやがるなぁ。これはきっと盤も石もいいもんを使ってやがるんだろうなぁ。う、たまらねぇ。ちょっくら覗いて、、、、ごめんくださいやし」。
まさか泥棒が入ったなんて2人とも気がついちゃいません。ましてや碁を覗きに来たなんて、つゆ知らず。二人が夢中になってやってますってぇっと、
「ほう、いいところですなぁ。天下を争う天王山ですな。ここはどう打つか難しい!」。
「シー、静かにして下さいよ。今、大変なところなんだから、、、」(パチリ!)。
「いや、本当に難しそうなところだなぁ。あ、え?あなたそこに打つんですか?それはちょっとおやめになった方が」。
「静かにして下さいよ。見物はいいが助言はいけないよ」(パチリ!)。
「そう、助言をしては、、いけません、と」(パチリ!)。
「へぇ、あいすみません。見ちゃいられなかったもんで」。
「見ちゃいられないとは、失礼なことを言う、、、」
と、ふと手を止め、ご主人、ひょいと見るってぇっと、これが見慣れねぇ顔。
「おかしいねえ。いったい、あなたは、、誰ですか、と行きましょう」(パチリ!)。
「では私はこちらに、あなたは誰ですか、と打ちましょう」(パチリ!)。
「、、、へぇ、、、あっしは泥棒なんです」
「ほう、泥棒さんね。それじゃ私は、ここに、泥棒さんかい、と行きましょう」(パチリ!)。
「それでは、私は、こっちのほうに、泥棒さんか、と行きますよ」(パチリ!)。
「お、その手はいい泥棒だねぇ。これは、うまい泥棒だったなぁ、、、」。
「ほら、旦那。こりゃいけませんや。だからあっしのいうとおりきいておけば、、」。
「あんたもたいがいうるさいね。人の碁のこたぁいいから、自分の仕事をしなさいよ」。
「そうそう、その通りですよ。では、泥棒さん、景気はいかが? と打ちましょう」(パチリ!)。
「エヘヘ、、、それが、この家に入って、こんなにどっさり戦利品が」。
「おや、泥棒さん、それは良かったですね、と打ちましょう」(パチリ!)。
「それでは、またちょいちょい、いらっしゃい、、、、と」(パチリ!)。

【笠碁】
  「ウィキペディア笠碁」その他を参照する。

 笠碁(かさご)は古典落語の演題の一つ。 囲碁をテーマにした人情噺で、原作は初代・露の五郎兵衛((つゆの ごろべえ、1643-1703)の「おしの釣り」。1691(元禄4)年刊「露がはなし」中の「この碁は手みせ金」です。明治に入ると、三代目柳家小さんが、碁好きの緻密な心理描写と、いぶし銀のような話芸の妙で十八番(おはこ)中の十八番としました。名人・円朝が、はるか後輩の小さんの芸に舌を巻き、そのうまさに、「今後自分は笠碁は演じない」と宣言したといいます。五代目小さん(永谷園の)も得意にしましたが、五代目の「笠碁」は、大師匠の三代目の直系でなく、三代目柳亭燕枝に教わったもので、従来は、待ったの旦那が家の中から碁敵を目で追うしぐさだけで表現したのを、笠をかぶって雨中をうろうろするところを描写するのが特徴でした。

 「(ユーチューブ)立川談志の笠碁」。「(ユーチューブ)馬生の笠碁」。「(ユーチューブ)小さん 笠碁」。「(ユーチューブ)十代目 金原亭馬生笠碁」、「(ユーチューブ)柳家権太楼 笠碁」。「kiguchi.net笠碁(かさご)」 その他参照。

 囲碁吉版「笠碁」
 今日は『笠碁』をやらせて貰います。参考までに申しますと、囲碁落語には『碁どろ』と『柳田格之進』とこの『笠碁』が代表的ですナ。それぞれ冒頭か末尾に特徴の囲碁言葉がありまして、『碁どろ』は冒頭を『碁に凝ると親の死に目にも遇わない』、『笠碁』は冒頭を『碁碁敵(がたき)は憎さも憎し懐かしし』から入っております。『柳田格之進』は末尾を『なる堪忍は誰でもする、ならぬ堪忍するが堪忍』で締めます。いろんな入り方、締め方があるんですナ。

 『碁敵(がたき)は 憎さも憎し 懐かしし』と云われております。碁打ちにとって碁仇(ごがたき)を見つけて打つのが極上の楽しみでございます。この気持ちは碁を嗜む者でないと分からんでせうナ、ピンとこないでせうナ。例えばこういうやり取りをする訳です。『あんさん、またえらい焼きもち焼いて深入りして来ますナ。しからばこうオツムテンテンしておきますかナ』。これは、陣中深く入ってきた石に対して、上から帽子と云われる手を打った時の情景です。その手を見て、『やはりそう来られましたか。ウーーム困りましたナ。少し深入りし過ぎましたかナ』と云って腕組みする。小考して『カニの横ばい泡ぶくぶく』とか云いながら二間開きに打つ。それから数手進んだ後、大長考に入ったとします。

 そこで、相手からこう云う合いの手が入るんですナ。『そろそろ打ってもらえませんかナ。下手の考え休むに似たりと云いましてナ。そう長く考えこまれると、手を考え続けているのか、ひょっとして寝てるのと違うかなと気に掛かる今日この頃でございます』。云われた方も怯みません。『そうはおっしゃいましてもねエ、ここは手どころですからねエ。あなただって長考するときがあるじゃぁありませんか』。『了解しましたが朝刊がこんうちに頼みますヨ』。互いに口しゃみせんしながら、それも相当強烈にトゲある言葉で面白く皮肉りながら碁が打てる相手が碁仇なんですナ。

 こういう碁仇ともなりますと、毎日それも同じ相手と毎日打つと云うのに、何度打っても飽きが来ないんですナ。同じ相手で打つのだから同じ図柄ができても良さそうなのにできない。これは七不思議の一つですナ。それはそれとして、石には感情が篭っておりまして、石が攻められて殺された日には、こちらの命が本当に取られたような気になりましてナ、そういう時には体中が熱くなって言葉にも感情が入りましてナ、それが元で諍(いさか)いを起すこともあります。碁会所なぞで、年に一度や二度、『ヤイッ表へ出ろ。テメエの言い草が気にいらねェ、もう我慢ならねェ』なんて言い合って、中には本当にボコボコにしたり、するつもりが逆にされたりすることがあるんですナ。血の気が多いのでせうが、それもエエ年のお爺さんがやるもんだから魂消(たまげ)ますわナ。

 不思議なことに碁仇の場合には直(じき)に仲が直ってしまうんですナ。昨日のことは昨日の口喧嘩でございまして、今日は今日で碁仇はまだかと首を長くして待っておるんですナ。碁仇が来ないと寂しくてしかたない。こうしてお互いが鶴か亀かの首長族になっているんですナ。碁仇が来たのを見つけるや相好を崩し、駄洒落の一言二言(ひとことふたこと)を云いながら打ち始めます。暫くしますと、負けている方が歯ぎしりし始め、勝っている方は恵比須顔になります。この恵比須顔が入れ替わるのが碁仇でございまして、そういう羨ましい仲なんですナ。口喧嘩できるほどに親しくなり、親しくなればなるほどに口喧嘩をするのが碁仇なんですナ。

 そういう碁仇はお互いが碁が好きなだけではなれません。上手は上手なりの下手は下手なりの、手が合ってこそ碁仇となりますんですナ。手合いの差は置碁で調整ができるのはできるのですが、やはり互い先と云いますが互角の好敵手が一番ハラハラドキドキするんですナ。手が合った上に打つ時間も合う相手を見つけるのが至難でございましてナ、そういう相手が見つかったときには極上の楽しみ碁が打てる訳でございます。本日は、その難しい仲を取り持った碁仇が『待った』、『待たない』を廻って、碁仇には珍しい本当の喧嘩別れし、結局はめでたく復縁できるのですが、これに少々時間がかかったと云う囲碁噺(はなし)の一席をさせていただきます。
 或る日の囲碁の手合わせの時のことでございます。話しを分かり易くする都合上、招く方の亭主を綿旦那、客人の方を大工の棟梁としておきませう。時代劇風に越後屋対備前屋、伊勢屋対美濃屋でも構いませんヨ。江戸であろうが上方であろうが地方都市のどこであろうが良いですヨ。時代もいつでも良いです。キーワードは碁仇です。

 綿旦那『今日もようこそ大工の棟梁ご苦労さんいらっしゃいまし。早速ですが打つ前に聞いてくんなまし。実はねエこの間、根岸の隠居に招かれましてネ、碁を打たしてもらいましたが、いやぁ参りました。打つ前からひとしきり碁の講釈がありましてナ、あたしに一日にどれくらい番数(ばんかず)を打つかと聞かれるから、サア勘定をしたこともありませんが、昼頃から夕景まで十番ぐらいは打ちますと申したところ、それはご熱心ナと云うた先から吹き出されましてナ。それじゃァ腕の上がりっこない、綿旦那さんはどうも囲碁と云うものを早打ち芸のものと勘違いして居られる。石の働きつうものを考えてじっくり打つのが碁でございますよ。あなた方の碁は碁ではなくてゴジャやぁと云いながら、大口開けてハハハッと歯を剥き出しにしながらお笑いなさるんですワ。

 あたしは黙って聞かせてもらいましたヨ。そういうご高段の囲碁話しをたっぷりご拝聴させられた挙句の一局と相なった次第ですが、それが何とですナ、妙にいつものように負かされるのがシャクになりましてナ、必死で打ち続けましたら運よく私が勝ってしまいました。その時の隠居の顔をあなたにも見せたかったですナハハハッ。やる前の講釈がきいてますからナ。やっこさん引っ込みがつかない。穴があったら入りたい、押入れの中に顔突っ込んでみたかったんと違いますかハハハッ。苦虫噛みつぶした顔つうのはああいう顔云うんですかねエ。それでね、アリマセンと潔く頭を下げて投げっぷりの良さを見せれば良いのに、急にどもられましてナ、口を斜めに歪めながら『待ったに敗けた』と云って横向くんですナ。

 私ァその言い草が癪(しゃく)で腹がたちましてナ。次に呼ばれました時には意地でも待ったなしで打ち続け、あわよくばまた勝たせて貰おうと思うんですヨ。そういう訳ででしてナ、これからはよそで打った時にも通用するように待ったなしの癖をつけねばなりません。これに協力してもらおうと思いましてナ。ようございますか。待ったなしですゾ』。

 大工の棟梁『ほぅあのお強(つお)い根岸の隠居に勝たれましたか。それは殊勝な。近頃、親方様の腕前たるやうなぎ上りの上がりぱなしと云うことになりますなア。天晴れ天晴れの登り竜。分かりました。ようござんすヨ。待ったは上達の妨げですからナ。世間で通用するように待ったなしの碁で参りませウ。いよいよ今日からザル碁卒業ですナ』。

 とまぁこういう調子で『待ったなし碁』を打ち始めた訳でございます。問題は、今まで待った碁をしていた者が急に待ったなし碁に切り替えて、うまく行くのか、どこまで待ったなしで打てるのかというところにあります。その時の碁は最初の50手辺りまでは待ったの影が微塵もありません。まことに順調に打ち進められていかれました。いつもならこの辺りまでに互いに待ったが出ているところなんですが、待ったなし碁が続きました。

 続いて100手辺りになりました。ここまで手が進むとこの辺りではどうしても互いの石が捩れあい思案峠にさしかかります。シチョウアタリなんかも出て参ります。これを目で追うて考えねばならんことになる訳ですが、これはちと芸が高等でして、なかなかできる訳ではありません。しかしエライもんで、こういう場合には知恵が湧くんですナ。親方が、こうしてですナ、打ちたいところに石を握ったまま打ち下ろさずに、石を碁盤のすれすれの上に置いて考え始めたんですナ。

 これは違反ではないのでせうがマナーは良くないですナ。それはともかく、それだけ気をつけていても悪手が出るもんでございます。これを棋力と云うんですナ。そもそも初めから終わりまで悪手を指さずに碁が打てるつうのは名人芸でありましてネ、素人ではとてもできません。素人碁では、お互いに悪手を出すのですが、勝負は肝心なところのやりとりで最後に悪手を出した方が負けになるんですナ。この碁では、100数十手目の手どころのややこしい局面で、待ったなし言い出しっぺの親方の方がポカのような悪手を打ってしまったんですナ。ポカとは信じられないようなうっかりミスの手を云います。それでどうなりましたかと云うと。
綿旦那 『ちょっとこれは酷い。ここは待った、ちょっと待った、待ったのお願いのこころ』。
大工の棟梁 『待ったなし碁のはずですよ』。
綿旦那 『最近は目がかすむし頭が悪うなりましてナ。こういう見落しするんですナ。これは年寄りポカですから待ったさせてもらわんと困りますヨ。ここは一つ待っておくんなまし』。
大工の棟梁 『今後のこともございますんでネ、待ったなしで参りませう』。
綿旦那 『後生一度のお願いですヨ。これは何でも酷過ぎる』。
大工の棟梁 『ダメよダメなのダメダメ。待ったはダメの約束ですよ』。
綿旦那 『この碁は私にすこぶる形勢が良い。だいたいがもうオワってるんだよ。あんたがいつ投げるか気になっていたぐらいの碁ですよ。それをこの一手が台なしにしてしまった。うっかりミスでありますから、この手だけは待ったありで頼みます。
大工の棟梁 『ダメなものはダメ』。
綿旦那 『後生だからこの石をどけてくださいヨ。何でそんなに勝負に拘るんですかい』。
大工の棟梁 『自分の方から言い出しておいて自分から破るんじゃ世話ねぇヨ』。
 
 暫くの間、こうして『待った』、『待てない』の互いのやり取りが続きました。

 そのうち段々雲行きが怪しくなり、綿旦那の口調が哀願調から居直り調に変わりました。『私がこれほどお願いしても首を横に振り続けるとは、お前さんも強情だねェ、融通つうものを知らんねェ、理屈っぽ過ぎるったらありゃしない』。こう前口上して昔話しを持ち出しました。『どうしても待ってくれないのなら、云いたくないんだが云いたくないことも云わねばならん。いいですか。おととしの暮れにあなたに金を貸した時のこと、あれはどうだい。ちゃんと返す日を決めてましたよ。それが何ですか。約定の正月明け十日目になっても返済がない。それならそれであなたの方からお詫びがあって然るべきなのに現れないから私の方から出掛けて掛け合いましたよ。聞けば何たらかんたら言い訳の挙句、もう一月(ひとつき)延ばしてくれと待ったをお願いされましたヨ。その時、私は約定を盾にならんならんと云いましたか。気持ちよく待ってあげたですヨ。世の中、融通つうものが大事ですからナ』。

 棟梁の方も黙ってはいない。『何でエ。その恩義があるから売り出しの時には手を貸してくれと云われるままに行き、大晦日の大掃除にも手伝いに行きましたヨ。こっちにはこっちの用があったんだけれども他でもない恩のある人の頼みごとだから断れないつうことで義理立てしたつもりですヨ。それにしては蕎麦一杯いただいた覚えがねェ。一体、この家(うち)に何度手助けに来たと思っていやがるんでェ』。

 ここまで云い始めたらもうお互いに後へ引けない。待った待たないの碁の話しが金の貸し借りの話しに飛び、それが奉公の時の蕎麦の話しまで飛ぶんだから、面白さを通り越して訳が分からないキリがない言い合いになりました。こうなると既に冷静さを失っておりますから、後は興奮の挙句の罵詈雑言になるのがオチなんですナ。綿旦那『あんたも強情だねエ』。棟梁『その言葉、そっくりあんたに返したいやネ』。仕舞いには、綿旦那『帰れ!もう来るな!このヘボ』、棟梁『あぁ二度と来るもんけえ。このザル』。綿旦那『おのれぇ死ねぇ、今後は一生そちとは打たんぞ』、棟梁『如何にも。もう二度と敷居を跨がんわぃ』。とまぁ、こぅ喧嘩別れしてしまいました。

 さてそれからです。以来、この碁仇は顔を合わさぬまま数日経ちましたが、本音を言うと二人とも寂しくてしようがない。綿旦那の方は、最初のうちは孫を連れてあちこちに出掛けたりしましたが、それにも飽いてしまいます。毎日会って互いに減らず口を叩き合わす相手が急にいなくなる寂しさは碁仇でないと分かりませんナ。そこへ雨が二、三日降り続く日がありましてナ。この雨が恨めしい雨でしてナ、暇の持て余しをよけいに強める降り方をしたんですな。こうなると碁仇と囲碁を打ってた、あの楽しい日々が恋しくなります。『よく降るねヱ。こんなときにあいつが来てくれたらねえ』と喧嘩別れしたことを後悔し始めます。かといって店の者に呼びに行かせるのも気が引けて、そこまではしたくない。ならば碁会所へでも行くかと云うと、他の相手じゃ駄目で、やはり手が合う碁仇でないと面白くありません。

 痺れを切らした親方はとうとう店先に碁盤を出して一人で碁を打ち始めました。これは棋譜並べと云いましてナ。碁は一人で打とうと思えば打てるし勉強になるんですが、碁仇と打つのに比べたら面白うありませんナ。石を並べながらも、心の中では『あの野郎、今頃何してるんだろうなア。やはりあいつと打ちたいなア。あいつと私は碁の恋人同士つうことがよぅっと分かりましたよ』とか云いながら一人碁をしております。

 一方、大工の棟梁の方も同じこと。家でごろごろしていても落ち着かず退屈でしかたない。こちらも最初のうちは孫を連れてあちこちに出掛けたりしたのですが、それにも飽いてしまう。そこへ二、三日雨が降り続く。イライラ当り散らし始めていたんでせうナ。堪りかねた女房が、『いつまでも意地を張らず碁を打ちに出かけられればよろしいのに。綿旦那の方もお待ちかねですよきっと』と背中を押される。『じゃぁそうするか』で出掛けることにしたものの、あいにく傘が1本しかない。買い物の時に女房が使うので持っていく訳には行かない。代わりの傘はと探すと、お山詣りの時の菅笠(すげがさ)の古いのがあった。これをかぶって出掛けた。

 碁仇の家まで来たものの、いつものように『ヨゥッ』と声かけて中へ入るのが照れくさくてできない。さっきから玄関先を何度も行ったり来たりしているのに店の者から呼び止められもしない。何度目か通り過ぎる時、中の様子を窺いますと綿旦那が店先に碁盤を出して一人で碁を打ってやがる。『ははぁ、あいつも私と同じ気持ちなんだな。一人じゃ面白くないだろうにナ。こうやって私が行き来しているんだからヨ、少しは店の前を見やって俺を見つけて声かけりゃぁ良いのに。それにしても碁もザルだが人を見つけるのもザルだなア』。

 そのうち綿旦那の小僧が大工の棟梁を見つけ主人に耳打ちする。綿旦那が外をみやった時、大工の棟梁がやって来るのが見えた。『おっ、来たぞ来たぞ。おい、客人が前まで来てるんだ。早く茶と羊羹出しとくれ。それにしてもエライくたびれた笠被ってやがるナ。やいこっちを見やがれ、こっちを。私が一人碁打っているのが目に入らんのか。お前と碁を打ちたくて堪らないんだよォ』。『あれっ向こうへ行きやがった。しょうがない奴だなぁ素直に入って来ればいいのに。あっ又来やがった。あれっけつまづきやがった。何だい早く入って来いったら』。見るほどにじれったくて堪らなくなった綿旦那が無意識に碁盤の横腹に碁石を打ち据えパチンパチンと鳴らし始めた。これが合図となって棟梁も堪らなくなり店の中へ入る。それを受けて綿旦那が『やいヘボ!』。棟梁『なんだザル!』。綿旦那『言いやがったな。じゃあヘボとザルで勝負だ』。棟梁『よぅし、いっちょうやったろうじぇねえか』。綿旦那『まぁ上がんねぇ』。棟梁『そうこなくっちゃ』。

 てな具合で奥の部屋に通され、久しぶりに碁盤越しに向き合った。碁打ちと云うのは石を持てば満悦の習性がありましてナ、そこを心得た奥方は主人が怒り出すと碁石を握らすんですナ。この時もすぐさま碁の神妙な世界に入り込み堪能し始めましたんですナ。こうして、碁がたきがめでたくよりを戻し、久しぶりの手合わせと相成りました次第でございます。碁に酔う碁打ちの姿は粋ですナ。それは結構なのですが、そのうちなぜか盤に雨のしずくが落ちて来る。綿旦那がいくら拭いても落ちる。『今日は恐ろしく雨が漏るなあ』。ひょいと見上げる。『お前さん、まだかぶり笠被りっぱなしだぁ』。

 笠碁

 「碁仇は 憎さも憎し なつかしし」とは、よく人情をうがったもので、碁というのは負けりゃ悔しいし、こんなヤツと二度と打つものかと別れても、顔が見れなきゃまた淋しくなるものでして、、、
     *
 町の碁会所なんざぁ行きますとみんな強いような顔をして打っていますが、これが誰もがわかっているかというとそうでもなく、中にはわかってるんだかどうだか、腕を組んでうんうんうなってのぞいている人もいます。「お、やってるね。うんうん、ほぉ~、なるほど、、、、お、お前さん、この白石はどちらのだい?」、「あんたもうるさいね。白はあたしだけど、いったいなんだって言うんだい?」、「おお、あんたが白か。ときに、そのスミの白石は、危ないね」、「何を言ってるんだ。このスミの白は、こうして眼を作ってしっかりと活きている。危なくなんかあるものか」、「そうかなぁ、危ないと思うけどなぁ、、、ほら、危ない。、、ほぉ~ら、落っこちた!」
     *

 「ごめんくださいまし」、「おや、伊勢屋の旦那。いらっしゃいまし。待ってましたよ。しばらく見えないんで、そろそろ使いのものでも寄越そうかと思ってたところだよ。さあさあ、さっそく一番」とばかりに碁盤を取り出します。「そう、あたしも気にしてましたよ。この間は、たまたまあたしのほうに幸いして3番ほど勝たせていただきましたのでね。今日はお返ししませんと」、「そうなんですよ。あたしゃ、あれから悔しくて悔しくて、こんどは負けてなるものかと一昨日は隣町のあたしの碁の師匠のところまで習いに行ってたんだ。そこで師匠が言うにはね。『貴方は仕事が忙しくて、このところ碁など打っちゃいないのではありませんか?』と聞くんで、いえ、あたしゃもうそれこそ週に一度は伊勢屋の旦那が来るんで10番も20番も打ってます。そう答えたよ。そしたらね、『それにしちゃぁ、上達してないねぇ、うっかりした手も多いし、、、ははぁ、もしかしたら貴方は待ったをなさいますな? あれはいけません。待ったを許すと、どうも手がおろそかになる。待ったをしなければ、自然と落ち着いて考えるようになって、すぐに上達しますよ』と、こう言うんですな。そこで今日はひとつ待ったなし、ということでやってみちゃぁどうか、とね」、「ああ、待ったなし、そりゃぁいいですねぇ。あたしも日頃から待ったがおおいなと思ってたんですよ。あっちこっち待ったばかりしてると、終いにはあたしゃ、碁を打ってるんじゃなくて、待ったを打ってるんじゃないかと勘違いするんですよ」、「よし、じゃぁ決まりだね。じゃぁ、さっそく一番」。

 こうして待ったなしという約束で打ち始めました。「待ったはなしですよ」(パチリ)、「待ったをしてはいけません、と」(パチリ)。しばらくはこうして打っていましたが、やはり、うっかりはそうおいそれとは直りません。「お、そこは切れるのかい?そいつはしまった。待っ、、いや、あの、その、、、なんだっけ」、「いえ、今日は待ったなしだとおっしゃいましたから、、」、「そうかい? そうだな、じゃあしかたないな。では、こっちの方に、、、、いや、だめなんだよ。この切られた石が大きすぎるんだよ。どうだろう、ここは、ひとつ、、、」、「いや、それはだめですよ。あなたが最初に今日は待ったなしといったんだから。まぁ、この一番だけでも待ったなしで行きましょうや」、「あたしが最初に言ったからって、、、だから待てないって、、、わかりましたよ。じゃぁ、あたしが、ここのところを1回だけ待ってもらう。で、あとであたしが貴方のを1回待つ、と。そういうことで」、「だめですよ、それじゃ、みんな同じことになってしまいます。ささ、このまま続けましょう」、「続けましょうったって、これじゃどうしようもない。決まりだから待てないって、、人間てなぁそういうもんじゃないでしょうに。、、、、あなたもね、今でこそ、あの大きなお店を持てるようになりましたけど、昔はそうじゃなかった。二間ばかりの小さな店を構えてから今日まで、まさか自分ひとりで大きくしたとでも思ってるんじゃないでしょうね」、「そりゃぁ、うちの店は貴方様のおかげで随分とご贔屓にしていただいて、立派になりました。これはもう本当にありがたいと思っていますよ」、「そこまで感謝してるのなら、、、悪いけど、この石を待って待ってはもらえまいかね」、「いいえ、それとこれとは話がべつでしょう。ですから、毎年のように暮れ大掃除には店のものに『手のい空いているものがいたら二人ばかり大旦那の店の掃除の手伝いに行くように』とこちらに寄越してるわけでして」、「何を言ってるんだい。あんな店の事情を知らないものを寄越したって、仕事なんかいくらもできやしない。あんなもの、来られたってね。邪魔なだけなんです!」、「邪魔とはなんですか。とにかくなんと言われようと待てません!」。 

 「ふーん、そうかい。あなたねぇ、三年前の暮れの一二月八日を覚えてますかね。あたしゃよぉーく覚えてるんだ。あの日は雪だったね。そこへあなたが血相を変えてやってきた。そして、そこの土間だ。ちょうどその辺だな。あなたはそこで膝をついて頼んだね。『実は商売でしくじり、年を越すにはお金の都合がつきません。年が明けてすぐには返済のめどがございます』。あたしゃ、金は天下の回り物、困ったときは御互い様、どうぞ持ってお行きなさい。と渡しましたよ。あなたは喜んだねぇ。もうこれ以上はないくらい喜んだ。で、年が明けたよ。あなたはお金を返しにきましたか? 返せなかったでしょう。やってきてそこの土間に頭をすりつけて頼んだね。『都合がつくはずでしたが、少々先延ばしになりました。来月には必ず入りますので、それまで待っていただけませんか』とね、、、、、、そのときあたしが待てないといいましたか?」、「三年前って、、そこまで言いますか。こうなりゃあたしも意地だ。何をなんと言われようと絶対に待てません」、「ああ、そうですか。どうしても待てないっていうんだね。わかった、わかりましたよ。もう金輪際お前さんなんかと碁なんか打つもんか。とっとと帰りやがれ」、「帰りますとも。ええ、そうさせてもらいますよ。こんなところで碁なんか打つものですか」。

 とまあ、喧嘩別れをしてしまいました。しかし、この二人、他にたいした趣味があるわけではありあません。1日もあければもう淋しくなってしまいます。しかも表はあいにく雨までふっています。「はぁ~、よく降るね。こう降られちゃ何もすることがないねぇ。、、、はぁ~~。こんなことになるくらいなら、あのときちょっと待ってやればよかったんだ。あたしだって鬼じゃぁない。待ってもいいかなって思ったんだ。それをあの野郎が3年前の借金がどうだとか言い始めるから、、、はぁ~~。え?なに? そんなに碁が打ちたいのなら、碁会所でも行って来いだって? あんなとこに行けますか!どうしてって、、、皆、強すぎるんですよ!あたしの相手は、あいつしかいない」。ため息ばかりついていても仕方ありませんが、袂に手を入れるとハタと思い当たることがありあました。「おい、お前、俺の煙草入れどこやったか知らないか? うん、一昨日から見つからないんだ。知らない? そうか、やっぱりあいつのとこに忘れてきたんだ。こりゃゆっくりしちゃぁいられねぇ。あんなヘボのところに煙草入れ預けといたら、煙草入れまでヘボになっちまう。ちょっくら行って取り返して来るぞ。、、大丈夫大丈夫、喧嘩なんかしやしねえって。何だと? この雨で店のもんが傘を全部差して行っちまったって? お前はどうして私が出かけようっていうときに嫌がらせをするかね? お、ここに被りもんの笠があるじゃねぇか。これで十分だ。ちょっと行ってくらぁ」と、頭から笠をかぶってでかけました。

 一方の旦那のほうも、店の中から表を睨んで、今来るか、今来るか、と待っています。「まったく、待ったをするしないで、強情なんだよあいつは。それに本当に来やがらねぇ。知らん振りしてまた打ちにくりゃぁいいじゃないか。本当に融通がきかないんだから、、、ん? おや? 来たよ来たよ。あの塀の陰に隠れてるのはヤツじゃないか。何だよ、変な笠被って目立つったらありゃしない。、、こっちの様子を伺ってるね。しかたない、こっちから声をかけてやるか。おいおい!そんなところから店の中をのぞくんじゃないよ!用があるならこっちに来りゃいいじゃねぇか」、「用なんかあるものか。ちょっと前を通りがかっただけでぃ。それと、、、ここの店に、煙草入れを忘れちまって、こんなヘボのいるところに置いとくと、煙草入れがヘボになっちまうから」、「ヘボとは何だ。打っても見ないでわかるわけがあるめぇ」、「どうせヘボだから、ヘボと言ったんだ」、「そこまで言うのなら、ヘボかヘボでないか、一番打ってやらんでもないぞ。打ってやるから碁盤の前にすわりやがれ」、「おお、どのくらいのヘボか確かめてやる。さぁ石を持ちやがれ」、「さぁさぁ、座った座った。おい、誰かいないか。お茶をお持ちしなさい。一番いいやつをね。あと、棚に羊羹があったろう。あれを厚ぅく切って持ってらっしゃい。いや~、この間は本当に悪かった。もう全部私が悪い!待ったがどうかなんて、どうでもいいんですよ。あたしゃあなたと碁が打てればそれだけで満足なんですから」。もう2人とも夢中になって打ち始めます。「これこれ、この石の手触りですよ。お茶はどうしたかな、うん、早く持ってらっしゃいよ。、、、おや、何だやだね、雨漏りがしてるよ、碁盤の上に。、、、、いったいどこから、、、、」(と、そこで初めて顔をあげて)、「おいおい、あんた、笠ぁかぶったまんまだよ!」。

【柳田格之進】
 落語「柳田格之進」の原話は江戸後期の碁打ち林元美著「爛柯堂棋話」。原話では、浪人は猪飼某。泉州堺で娘と二人暮らし、手習師匠して生計を立てている。時々商人宅へ碁を打ちに行くうち、金を盗んだと疑いをかけられ、返却後、出奔した。その後、商人宅で金が出てきた。が、猪飼は行きかた知れず、5年後商人の雑談から娘が京の島原遊廓にいることがわかった。娘にきけば、父は郡村というところで小作をしているとのこと。番頭はすぐに郡村に行き、許しを乞うて金を返そうとしたが猪飼は拒絶する。追い返された番頭は、京の有力商人を介して詫びたが猪飼は聞かず、娘の身請けも許さず、置いていった金には手を触れぬまま郡村で生涯を終えたとなっている。これでは情噺にならないので落語「柳田格之進」ではハッピーエンドにさせている。「ウィキペディア柳田格之進」その他を参照する。「立川志の輔 柳田格之進 YouTube」、「古今亭志ん朝 (三代目) 柳田格之進」、「古今亭志ん生(五代目) 柳田格之進 」、「古今亭志ん朝 柳田格之進 」。
 囲碁吉版「柳田格之進」
 柳田格之進は元藤堂家の家臣で文武両道に優れた、加えまして生来の正直さを持つ武士でござった。その柳田様が同僚から疎まれ、讒言(ざんげん)される身となりましてナ。それが元で主家から放逐され浪人の身となり浅草阿部川町の裏店(だな)に暮らして逼塞していた。その後、妻に先立たれ、娘のおきぬとの二人暮らしをしていた。今日の米にも困る暮しぶりだが、そんな中にあっても武士の誇りを捨てない実直な人柄は少しも変わることはなかった。そのうち浅草馬道1丁目の両替商・万屋源兵衛と知り合い、碁を打ち酒を酌み交わすのがただ一つの楽しみとなっておられた。

 8月15日の夜、格之進は「今日は中秋の名月、十五夜の晩に月見としゃれながら一番いきましょう」との源兵衛の誘いで万屋宅に招かれ、月見の宴を貼った後、離れの奥座敷で碁を打った。二人が対局しているところへ、番頭の徳兵衛が50両の売掛金を届けにきた。源兵衛は碁に夢中で生返事ばかり。しかたなく革財布を主人の膝の上に乗せて部屋を出た。格之進の帰宅後、源兵衛がふと金のことを思い出し、徳兵衛に尋ねると、確かに旦那さまのおひざに置きましたと言うばかり。座敷の隅々まで探したが金は出てこない。こうして50両紛失事件が勃発した。

 徳兵衛が云う。『云いにくいことではありますが疑わしいのは柳田さまだけ』。源兵衛答える。『あのお方に限ってさようなことはありえまい』。徳兵衛言い返す。『人には魔がさすことがあります』。源兵衛『万々が一そうあっても柳田様には仔細あってのこと』と庇(かば)う。番頭の徳兵衛は納得がいかない。源兵衛が止めるのも聞かず、主人への忠義立てとばかりに格之進宅を訪れ、ことの真偽を糺す。

 疑われた格之進は、『浪人はしていてもいやしくも身共は武士、人様の金子などに手を付けることはない』と強く否定し、『何ゆえあってかような疑いをかけるか』と激昂した。徳兵衛が言い返す。『さようなれば致し方ございません。何しろ五十両の大金でございます。お上の方へ訴えて、お上の御取調べで白黒つけさせてもらいます』。格之進はこれに参った。と云うのも近々元の主家への復職の道が開かれようとしていた。お上の御取調べの身になると、これに差し障りが出る。藤堂家への復職の道が遠のく上に、裁きになれば疑いは晴れても汚名は消えない。格之進『訴えだけはご免蒙りたい』と頼む。徳兵衛はそう云われれば逆に怪しいと思う。暫くの押し問答の挙句、格之進『是非もない。金子はこちらのあずかり知らぬことではあるが、紛失した場に身共がいたことがわが身の不運。…よし、近日中に用立てる。その節は当方より連絡申し上げる』と約束し、武士の魂の大小刀を預けて番頭を帰す。

 格之進はかく約束し、心当たりに無心したものの五十両の大金を貸してくれる者なぞいない。最後の綱で叔母に頼ろうとして手紙を認め、娘おきぬに持って行かせようとした。狭い長屋のこととて、娘おきぬに五十両紛失騒動のやり取りの弁が入らない訳がない。娘おきぬは、手紙の内容は知らぬが、手紙を届ける道中での格之進自害を危ぶみ身を伏せて云う。おきぬ『お父上、もしや御自害など考えあそばされているのでは。母なき今、たった一人の親でございます。どうかご自害をおやめくださいまし』。格之進は黙って聞く。おきぬ『されば私が苦界に身を沈めて大金を用立てませう。外聞を憚れば私との親子の縁を切ればよいこと』。格之進『それはならぬ』、おきぬ『他に術がありませぬでせう』、格之進『そうはいっても』、おきぬ『私は構いませぬ。腹を決めております』。暫し目をつむり深い沈黙の後、格之進『かたじけない』と深く首を垂れ、断腸の思いで娘を吉原に売る。半蔵松葉という店に行き五十両の金ができた。

 二日後、訪ねて来た徳兵衛に五十両手渡す。柳田『ただし番頭。もし金子が出てきたら、その方の首を申し受けるが、よいか』。徳兵衛『へい、よろしゅうございます』。徳兵衛は格之進からの五十両を回収したことを源兵衛に報告する。それを聞いた源兵衛。『なんてことを…番頭。あたしはね、そんな金子ぐらい、私と柳田様の信義の前では他愛ないこと。いらざる忠義立てだ。主思いの主倒しとはお前のことだ』と徳兵衛を叱り飛ばし、急ぎ謝罪に行かせる。が既に格之進は家を引き払っていた。

 さて、年末のすす払いでとんでもないことになった。何と、例の金子が離れ座敷の欄間の額の後ろから出てきた。源兵衛が小用に立つとき何気なく欄間の額の裏に革財布ごと隠していたのが出てきたことになる。折からの格之進との碁の勝負に気をとられ失念していたのであった。驚愕した源兵衛は『ああ柳田様に申し訳が立たぬ』と番頭の徳兵衛を叱り飛ばし、店の者に懸賞金つきで格之進の行方を捜させた。ようやく柳田様の転居先が見つかったが、その家も立ち退いており、それ以降の行方は八方手分けして探してみたものの杳として分からなかった。

 年が明けて正月の4日、徳兵衛は年始回りの帰りに、湯島天神の切り通しで、蛇の目傘をさし、宗十郎頭巾を被った身なりの立派な武士から、『これ、そこに居るは浅草馬道1丁目の万屋のご番頭とみたが』と声をかけられる。『へい。仰せの通り手前は万屋の番頭、徳兵衛でございます。して、あなたはどちらさまで』と軽く会釈しながら見やる。『あっ!柳田様でいらっしゃいますか。これはこれは御無沙汰をしております。…それにしてもご立派なお姿になられて』。聞けば、格之進は主家への帰藩が叶い、今や江戸留守居役三百石に出世しているとのことであった。

 『どうじゃ一献傾けぬか』と誘われるまま湯島天神境内傍の茶屋に行く。番頭は、以前のことがあるので気もそぞろ、針の筵(むしろ)で畏まった。柳田格之進は四方山話をする。番頭は暫くは問われるままに返答していたが、遂に決心して金子発見の経緯を告白、涙ながらに粗忽を詫びた。こうなると約定通りなら首を差し上げねばならない。格之進は無念の疑惑が晴れたことを喜んだ。『さようか。よくぞ伝えてくれたことは殊勝なり』と述べた後、云う。『首差し出しの一件、私の一存では参らぬ。あの金は娘おきぬが並々ならぬ苦労で用立てたもの。おきぬと掛け合いせねばならぬ。うまく話しができれば明日の昼過ぎそちらに伺う。そう云えば、娘と辛い別れをした時、もし金が出てきたら相手様の首を私にお見せくださいと頼まれておる。番頭、今日は長湯して世を惜しみ、特に念入りに首の辺りを洗って待っておれ』。こう言い捨てて去った。

 翌日、格之進が万屋に赴く。源兵衛が飛んできて詫びる。『ああ、これは柳田様!久しくお目にかかりませんで。50両の件では大変な粗相をしまして申し訳ありませぬ』。額を畳にこすりつけて詫びる。『おお万屋か。久方ぶりじゃ』。『見ればご立派なお姿になられまして、・・・仔細は番頭から聞きいております。まずはこちらへ』と奥座敷に通された。源兵衛は徳兵衛を去らせ襖を締めた。振り返りざま、『柳田様、このたびの不始末は皆な主人の私の誤ちでございます。疑う番頭に負け、そうまで云うのなら柳田様のもとに行って確かめて来いと申しました私が悪うございます。番頭はまだ若うございます。斬るのならこの源兵衛をお斬りください』と泣いて詫びた。そこへ徳兵衛が『旦那様!』と入ってくる。『番頭!なぜ入って来るんだ。良いから下がれ!』。『いいえ、とんでもございません。もし柳田様!旦那様の責任ではございません。私の一存でお取立てを強い、かくなる赤恥を晒している手前です。私をお斬りくださいまし!』。『ならぬならぬ、お前は若い。どうかこの隠居をお斬り下されませ』と互いにかばい合う。

 『黙れ黙れもうよい!両名ともそこに直れ!』。格之進は名刀の来国次の長刀を抜いて、『エエイッ』と気合いもろとも振り下ろす。『パーーン』の音でものが砕けたような音がする。首が二つ転げ落ちたと思いきや、床の間の碁盤が真二つに割れていた。これはと驚く二人に、『身共とて、娘への面目なさに斬らんとしたが、その方らの情けに打たれ斬ることができぬ』。『して、お嬢様はいかがなされました』。『それが…』と、格之進は娘の犠牲で金子を工面したことを告げる。驚いた万屋は急ぎ吉原遊郭の半蔵松葉に向かい身請けを申し出る。おきぬは『父上次第。私は何も申すことはございません』と万屋を許す。万屋がおきぬを身請けし、格之進は元通りに万屋と交誼を結ぶ。それから何とおきぬは徳兵衛と夫婦になりましてナ、萬屋の夫婦養子となる。できた男子には柳田家の跡目を相続させたそうナ。『なる堪忍は誰でもする、ならぬ堪忍するが堪忍』の『格之進堪忍袋の碁盤割り』の一席でございます」。

 柳田格之進

 この噺は、直接的に碁を題材にしたものではありませんが、別名[碁盤割り」、「柳田の堪忍袋」という人情噺として知られています。本来は45分ほどの大作ですが、端折ってご紹介しましょう。

 彦根の城主井伊氏のご家来で柳田格之進というものがおりました。文武両道に優れ品性正しく潔癖なお人柄と評判をとりましたが、正直すぎるのが玉に瑕。周囲の人からは疎まれ、閑職に廻され、ついには浪人の身となり、早くに妻を亡くして、浅草阿倍川町の裏長屋に娘の"きぬ"と二人で住んでおりました。「お父っぁん。そんなに毎日家の中にいても退屈でしょう。たまには好きな碁でも打っていらっしゃい」。努めて明るく振舞う娘の声に急き立てられ、「そうか、すまないなぁ」と碁会所に顔を出す格之進。と、そこに馬道一丁目に住んでいるという質屋の万屋源兵衛というものがおり、まず一番。するとどういうものか馬が合い、番数を重ねるほどに親密となって、それからというもの碁会所に足を運ぶたびに二人で対局をするようになりました。

 「どうでしょう、柳田様。こうして碁会所でお会いして打っても、その日そのままお別れするのもつまりません。できましたら、私どもの屋敷においでいただき、碁を打ちながら軽く一献、というのは」。「おぉ、それは願ってもない。是非に」。ということで、それからというものの、二人は万屋源兵衛の家の離れで打つようになり、終われば一献傾けて楽しんでおりました。格之進の娘きぬも、毎日のように出掛ける父の変わりようを嬉しく思い、また万屋源兵衛には言葉にいえぬ感謝をしておりました。

 さて、時は8月15日、「今日は中秋の名月、十五夜の晩に月見としゃれながら一番いきましょう」との源兵衛の誘いに格之進は万屋へと向かいました。すると、番頭の徳兵衛が迎えにでてまいりました。「主の源兵衛は、ただいま集金に出ております。少々手間取っているようで、帰りが遅れておりますが、じきに戻るかと、、、」。「そうか、では、いつもの離れで待たせてもらってもよいか」。番頭の徳兵衛は、主人の大切な碁友とはいえ、相当に身なりを窶した浪人姿の格之進をあまり信用してはおりません。かといって、「後ほど改めておいでください」などといえば主人に叱られることは目に見えています。渋々と離れに案内すると、まもなく主人源兵衛が帰ってまいります。「柳田様が既にいらっしゃっていますよ」と言うが早いか、源兵衛は離れに一目散。こうして、碁と月を肴に大いに飲んで食べて、いつもより遅い時間に格之進が帰った後に片付けの女中とともに番頭徳兵衛も離れに顔を出します。「だんな様、だいぶお楽しみのようすでしたのでお待ちしておりましたが、そのぉ~今日の集金を付けませんと帳場が閉まりませんもので、、、」。「おお、そうだったな。ほれ、ここに五十両、、、おや、右の袂だったかな。いや、右では碁を打つのに不自由だし、、そうだ、そこの座布団の下ではなかったか。何? どこにもない? そんなはずはありませんよ。私は確かに集金して、この部屋まで持ってきたんですから」。徳兵衛は、日頃思っていることが口をついて出ます。「だんな様、ことによるとこれはぁ、、、」。「徳兵衛!その先を言うんじゃありませんよ。そんな間違いなどあるわけがありません」。「でもだんな様。だんな様は確かに五十両集金して、懐に入れて、この離れに入った。この離れにいたのはだんな様と柳田様の2人だけ、柳田様が帰られて金子もない、となれば子供でもわかる引き算じゃありませんか」。「何を言うか。柳田様はそんなことをする方じゃありませんよ」。「しかし、あの食い詰めた様子に、あの着物だってツギアテだらけ。何か間違いがあってもおかしくないでしょう。つい、うっかりということだって、、よし、これから私がちょっと柳田様のお宅まで行って聞いてきましょう」。「黙りなさい!それ以上何か言うと承知しませんよ。柳田様は決してそんなお人じゃありません。あのお金は、私が集金してどこかに落としたんです。それで処理しなさい。この話は金輪際してはなりませんよ」。「しかし、、、」。「済んだことです!」。

 こうして、あるじ源兵衛はことを収めましたが、収まらないのは番頭・徳兵衛。そんな馬鹿なことがあるものかと、あくる日になってから主に黙って柳田様のお宅へと伺います。「ごめんください」。「お、これは万屋の番頭だな。昨晩はたいへん馳走になった。どうしたのか? 何か忘れ物でもあったか?」。「へぇ、ちょっと柳田様の忘れ物がございました。ただ、お届けに参ったわけではございませんで、お出しいただきたいと」。「だせ? とはどういうことだ」。「お心当たりはございませんか」。「知らぬ」。「ならば仔細をご説明申し上げますが、実は昨日、主人の源兵衛が昼間集金に回って五十両懐に帰りましたところ、すでに柳田様がお待ちですよと言うが早いか、離れのほうにすっ飛んで行きました。柳田様と碁を打ち、酒を呑み、お帰りになりましたところで、今日のご集金を帳場にお預かりをと言うと、件の五十両がございません。主人が申すには、碁を打っている間、碁盤の脇に置いておいたというのですが、もしかしたら柳田様がご存じかと・・」。「拙者が盗んだというのか」。「いえ、盗んだなどとんでもない。ただ、思い違いでそこにあったものを懐にしまわれたりしてはおりませんかと・・」。「私はどんなことがあっても、人の物を盗むという事はない!」。「では、仕方ありません。かくなるうえは、お上に届けて裁いてもらいますが・・」。

 こうしたやりとりの後、格之進はしばし押し黙ったのちに尋ねます。「番頭。ときに今日ここに参ったのは、番頭の一存か? あるいは、主人の源兵衛殿のお指図か?」。「それはもう、身供の主も『それは柳田様に間違いない。行って返してもらっておいで』と申しており、こうして私が参ったというわけでして」と番頭徳兵衛、ありもしない嘘をつくと、格之進は何事かを考えているようでしたが、やがて口を開いて「あいわかった。それでは私が五十両用立ててお返ししよう。ただし、今はないぞ。明日の昼に来なさい」。こうして番頭徳兵衛を帰した後、格之進は娘のきぬを呼びます。「実は、昨晩万屋で金子五十両が紛失するという事件がおきた。その場に居合わせたのは主人の源兵衛と手前だけであったということから嫌疑を掛けられておる。番頭は御上に訴えるといっているが、むしろそのほうが事実を知るには都合が良い。だが、それで汚名は拭えても、かように訴えられた恥は拭えない。かくなるうえは、腹を切り身の証をたてようと思う」。すると、きぬもまっすぐに育てられた武士の娘、気丈そうな眼差しを父に向け、「父上様、その五十両、私が身を沈めて作りましょう。それで万屋様にお返しください。かようなことは万屋様に何か勘違いがあったのでしょう。私は万屋様を恨みはしませんよ。この数ヶ月、父上様はとても楽しそうでした。職を失い、この長屋に移り住んでからは決してみることのなかった明るい顔も、万屋様とのお付き合いがあればこそと感謝しておりました。どうか事を荒立てませんように。真実は一つ、いずれ疑いの晴れることもございましょう」。

 こうして、娘きぬの心に打たれて、泣く泣く別れ、作った五十両。翌日参った番頭に。これを手渡します。「確かにこれに五十両用意した。ただし、申しておくが、この金は先日の金ではない。ゆえに、もし万一、後日屋敷の中から金が出できたらなんとする」。「(やっぱり五十両でてきた。後からでてきたらどうするって? 今になって返すのが惜しくなったか。そんな脅かしに乗るものか)へぇ、万が一にもそんなことはございませんと思いますが、」。「だから、その万が一があったらどうするかと尋ねておる」。「そんなことがあるわきゃぁありません。もし、もしですよ。万が一のことがあったら、その時は私と主人源兵衛の首を差し上げます」。「しかと、約束したぞ」。

 こうして番頭・徳兵衛は帰って行きました。「ほうぁら、やっぱり五十両持っていた。謹厳実直な武士と言ったって、ああ尾羽打ち枯らしては、一時の気の迷いってこともあるもんだ。だんな様も本当に気がよすぎる、はい、ただいま帰りましたよ。あ、だんな様、これへ」と五十両を差し出します。「どうしたんだ、この金は」。「へぇ、返してもらってまいりました」。「返してもらったって、お前まさか、、、」。「へぇ、そのまさかで、、、やっぱり柳田様がお持ちでした」。「どうしてお前は主人の言うことが守れないんだい。柳田様に尋ねてはならぬとあれほどきつく言っておいたのに。もし、柳田様であるのなら、この五十両差し上げたものと思えばよいのだ。何月もの間、碁を打ち、酒を酌み交わし、心を開いた仲であればこそ、もし柳田様がこの金を必要としたのなら、深い事情があったに違いないのだよ。もし、必要なものなら渡せば良いじゃないか。たとえ戻らなくても構わない、そう思って貸すのが真の友情だよ。それをお前ってやつは」。「へい。あいすみません」。「まぁ、お前の主人思いの気持ちもわからんでもない。番頭として当然のことをしたのだろうから、これ以上怒りはしませんよ。ほら、これから柳田様のところまで行くからお前もおいで。そして、番頭の身分で差し出がましいことをして申しわけありませんでした。この五十両は元の通りお収めくださいませと言ってお渡しするんだよ」。「へぃ、しかし、それがそのぉ~、、ちょっとまずいことになっちまってまして」。「何がまずいんだい」。「柳田様に約束しちまったもんで。もし、他から五十両でてきたら主人と私の首を差し上げるって」。「まったく、馬鹿な約束をしたもんだね。とにかく私も一緒に頭を下げるから、いらっしゃい」。

 こうして源兵衛は番頭を連れて安倍川町の裏長屋に来てみると、すでに格之進は家を引き払った後でした。「あぁ、たかが五十両の金のことで大切な友人を失った」と落胆して戻る源兵衛と番頭・徳兵衛。「しかし、あの長屋の暮らし向き、決して楽ではなかったろう。金のことなどどうでもいいから、また戻ってもらい、碁を打ち酒を酌み交わしたいものだ」。源兵衛はそう願って、店の者にも、出入りの者にも頼んで「かような人相風体のご浪人を見かけたらご連絡を」と、格之進を捜し回ったが、とうとう見つけることができませんでした。

 さて、その年の暮れ、万屋では総出で大掃除の日のことです。離れのすす払いをしていた使用人が、額縁の裏にあった五十両をみつけて大騒ぎになります。騒ぎを聞きつけた徳兵衛、「さては」と思いました。「だ、だんな様。で、で、でました」。「いったい、何が出たっていうんだい。そんな幽霊でも見たような顔をして」。「こ、これです」。と差し出す財布をみて源兵衛も、はたと思い当たる。「これは、あのときの五十両の財布」。「へぇ、離れの額縁の裏からでてきたと、、」。「額縁の裏? あ、そうかぁ。思い出しましたよ。あのとき、一目散に離れに向かい、羽織を脱いで座ったはいいが、大金の入った財布を見せびらかして碁を打つとは品がない。目に入らないところに置いておこうと、さっと額縁の裏にポン、と」。「それは、思い出してようござんした」。「何を言ってるんだい。よかぁないよ。すると、あの柳田様の五十両は何だったんだい」。「とうてい柳田様ご自身が五十両の金を持っているとは思えませんでしたが、確か、柳田様には年頃の娘がおりましたな、もしや、娘が身を落として、、、」。「徳兵衛。なにがあっても柳田様を探し出しなさい!」。

 こうして改めて格之進を探し始めた徳兵衛。あらゆるツテを頼ったが、この年のうちにはどうしても見つけることができませんでした。さて、年が改まって、正月4日、番頭・徳兵衛が出入りの者を連れて山の手の年始挨拶に廻ったその帰り道。「だいぶ、雪が積もってきましたね。少々急いで店に戻りましょう」と、湯島の切り通しにさしかかったそのとき、向こうから駕籠かきと1人の侍が坂を登ってまりました。「おや、ずいぶんと人情に厚いお侍様だねぇ。雪で滑るのをいたわって駕籠を降りて歩いてるよ。また、蛇の目傘の内のこしらえ物の贅沢なこと」。その立派ないでたちが目に留まり、それに見とれて通り過ごそうとした、その時。思わずその侍から声をかけられます。

 「お、その方、、」。「へ?」。「万屋の番頭、徳兵衛ではないか」。「へぇ、身供は徳兵衛でございますが、お侍様は?」。「拙者の顔を見忘れたか。それとも、この姿に見違えたか」。「あ、あ、あなたは、柳田様」。「いかにも。どうだ、主の源兵衛共々達者にしておるか?」。「へ、へぇ、それはもうおかげさまで。柳田様は、またたいそうなご出世をなさいましたようで」。「うむ、あのときのような汚名を着せられるのも、浪人暮らしの身から出た錆、いろいろと改めるところもあったが、おかげで今は三百石に取り上げられておる」。格之進に濡れ衣を着せたことがわかっている徳兵衛は、身の縮む思いで立ちすくんでおりました。「おお、これは失礼した。雪の中で立ち話などしたおかげですっかり体が冷えてしまったようだな。どうだ、湯島の境内に良い店がある」。

 こうして、格之進は徳兵衛を連れて歩きますが、番頭にしてみれば、まるで閻魔様に連れて行かれるようで人心地もしません。「まずは一献」と格之進が差し出す徳利を受ける盃を持つ手も震えが止まりません。「どうした、まだ寒いのか」、「い、いえ、そんなことはございません」。「こうして酒を飲んでいると源兵衛殿を思い出すな。良い碁仇、いや碁友と言うべきか。あれ以来、碁が打てなくなったのは心残りだ」。「来たっ」と思った徳兵衛。あのときは、間違いないと一本気な性格で押しかけたものの、過ちであったことを知りながらしらを切り通すことができません。「実は、あのことなんですが、、、五十両は、、、離れの部屋にございました。申し訳ありません」。「ほう、あったのか。それは良かった。では拙者の疑いは晴れたというわけだな」。「さようでございます。あのときの五十両は、間違いなくお返しいたしますので、なにとぞご勘弁を」。「勘弁するも何も、徳兵衛、あのとき確か『もし、他から五十両でてきたら何とする』と約束してあったな。あの五十両は娘が身を売ってこしらえたものだ。いまさら五十両を返されても元の娘に戻るわけはなし。明日、昼頃に万屋に伺うので、源兵衛共々首をよく洗って待っておれ」。そういい残して帰っていきました。

 早足で帰った徳兵衛は主人に報告をいたします。「だんな様、柳田様がみつかりました。先ほど湯島の切り通しで立派なお侍様とすれ違ったところ、よく見ればそれが柳田様。今では三百石のお取立てのご出世だそうでございます」。「そうか、ご立派になられたのだな。して、五十両の件は話しただろうな」。「へぇ、もちろんです。五十両ありましたと詫びたのですが、柳田様の五十両はやはり一人娘の身で作られたそうで、、、それで、、あぁ、だんな様申し訳ありません」。「なんだ、どうしたというのだ。話を続けなさい」。「実は、あの五十両を受け取るときに、柳田様から万一他から金がでてきたら何とするかと言われたので、まさかそんなことはあるまいと、もし出てきたら主人と私の首を差し上げる、と。そうしたら、明日の昼に店に来るから首を洗って待っていろとのことです」「主人と言ったら私のことかい? まったく何だってお前が私の首を賭けるのかね。こうなったら謝るしかないし、元はといえば私が置きっぱなしにして忘れたのがいけないんだ。もし、許されなければそのときは覚悟しましょう。」。

 そうして明くる日。源兵衛は番頭を呼びつけます。「徳兵衛。ちょっとお使いに行って来ておくれ。いつもの本郷の高田屋さんまで届け物だよ。急いで行っておいで」。「へぇ、しかしもうすぐ昼時ですし、柳田様をお迎えしませんと。誰か他のものを使いに出すわけにはいきませんか」。「何を言ってるんだい。高田屋さんはいつもお前が行ってるんじゃないか。いつもの通りいってらっしゃい。柳田様が来られたら私が話をしておくから」。こうして追い立てられるように店を出たものの、源兵衛は気が気ではありません。もしやだんな様が一人で罪を被る気ではと、出掛けたふりをして店の奥の部屋に隠れておりました。「ごめん」。「お、これは柳田様。よくいらっしゃいました。昨日番頭から話を聞いてお待ちしておりました」と、屋敷のほうに案内します。「番頭がおらぬようだが」。「はい。徳兵衛は今使いに出しました。一刻ばかりは戻りませんでしょう。まずは、この度の不始末、責任は全て身共にございます。この通りお詫び申し上げます」。「番頭から話を聞いているならわかっていようが、この度の件は娘までも犠牲にしている。決して許すわけにはまいらん」。「はい。そうでしょうな。心中お察しします。覚悟もしております。どうぞ、この首を刎ねてください。ただ、一つだけお願いがございます。番頭と2人の首をとの約束ですが、それではこの万屋が立ち行かなくなります。どうか、私一人の首でご勘弁願います」。

 それを物陰で聞いていた徳兵衛が、源兵衛と格之進の間に転がりでてまいります。「お待ちください。柳田様。実は、あのときのことは私の一存で取立てに参ったものでございます。ご主人様は何も知らぬことなのに、主の命令だと嘘をつきました。罪は私一人が被るものでございます。どうか、私の首を刎ねてください」。「いや、哀れむならば、売られていった我が娘。娘の手前、どちらか一人といえども許すわけにはいかぬ。そこに並んで首を差し出されよ」。

 ああ、万事休すと覚悟を決めて、2人は揃ってその場に座り頭を垂れて目を閉じた。そこへ柳田格之進の刀の鍔がチンと鳴るが早いか、えいっと振り下ろされた。すると切られたのは2人の首ではなく、後ろの床の間にある碁盤が真っ二つ。こうして2人は一命を取り留めた。「こうして切り捨てようと思うたが、自分一人が悪いと互いを慮る、主従の真心がこの柳田の心に響いて手元が狂ったようだ。一度振り下ろした以上は、これにて良しとしよう。碁盤に免じて2人を許そう」。

 こうして許された万屋源兵衛は、さっそく、半蔵松葉から、柳田の娘きぬを身請けしてまいり、番頭共々娘にも深く詫びを入れ、娘も父上の許すことならばと快く応じました。また、以前よりも格之進と源兵衛は深い付き合いをするようになり、番頭の徳兵衛も本来は真心のある人物、晴れてきぬと夫婦となり、万屋の夫婦養子としてめでたく収まりました。二人は仲が良く、まもなく男の子を産み、その男子を格之進が引き取り、柳田の家名を継がせることに相成りました。柳田の堪忍袋の一席、これにて追い出しにございます。


【谷風の人情相撲(佐野山)】
 http://ginjo.fc2web.com/208sanoyama/sanoyama.htm
 江戸時代の大横綱の谷風梶之助に纏わる、生涯に一回だけ八百長相撲をヤッタという噺。
 谷風は名人を通り越して人情家で人格者でもあった。谷風の大横綱時代、小兵ながら親孝行の佐野山が十両の筆頭に上がってきた。母親が大病を患って看病したが治らず、貧乏であったので食べ物を減らして土俵に上がっていた。が、お粥だけでは力が出なかった。仕切だけで疲れるようでは、負けるのも当たり前であった。その為、今期限りで引退だろうと、パッと噂が立った。それを聞きつけた谷風は、辞めたら収入もなくいっそう生活苦になるだろう、何より相撲界の恥だと感じ、千秋楽の一番を佐野山戦にして欲しいと願い出た。翌日のワリに谷風-佐野山と書き出された。谷風と言えば小野川と千秋楽対戦するのが習わしだった。この時、谷風はずっと勝ち進んでいた。佐野山はず~っと負けていた。そういう訳で、異例な取り組みになった。女を取り合った仲だからとか、引退相撲だとウワサが飛んだ。判官贔屓のひいき連は佐野山が片方の廻しを取れば5両、もろ差しになったら10両の祝儀を約束した。魚河岸や大旦那連中は100両、200両、花柳界のお姉さんまで佐野山に祝儀約束をした。勝てる見込みは皆無だったから、言いたい放題、無責任に言っていた。千秋楽結びの一番。谷風~っと声が掛かるのに、この日だけは佐野山~、佐野山~の大合唱。土俵上で、谷風は佐野山に孝行に励めよとにっこり笑った。その心が解った佐野山はホロリと涙が流れた。それを見ていた者が、谷風が遺恨相撲ができると笑っている、佐野山は親孝行ができなくなると泣いているよ、と勝手に心を読んだ。泣くな~~、佐野山~。木村庄之助の軍配で立った。谷風は変に触ると佐野山が飛んでしまうので、身体ごと抱え込んでしまった。見ている方は、もろ差しになったと大歓声。10両の祝儀が必要になったと大騒ぎ。ここで佐野山を押せば、ジリジリと谷風が下がって土俵際まで行くのだが、佐野山にはそんな余力はとっくになく、押せない。しょうがなく谷風が押されているように土俵際まで引きずった。とはいえ、ここで簡単に足を出したら横綱の名誉に傷が付くと、グッと力を入れた。佐野山は抱えられているだけで息が上がっているのに、力を入れられたので腰砕けになってずり落ちそうになった。ずり落ちたら今までの事が台無しになると、谷風が佐野山を引き上げた。谷風の身体が紅色にパッと輝いた。しかし、見ている方はその様には見えなかった。佐野山がもろ差しで横綱を土俵際まで追い込んで、金剛力でこらえる谷風を、腰を落として下から谷風を押し上げたように見えた。この状態で谷風がかかとをチョット出したのを木村庄之助見逃さず、軍配を佐野山にあげた。谷風が勝つとばかり思っていた見物は佐野山が勝ったので大騒動。座布団は投げる、羽織を投げる、財布を投げるはで大変だった。「最後の押しはスゴかったな」、「押しは効くはずだ。名代のコウコウ者だ」。

【寛蓮の弥勒寺建立物語】
 村松梢風の「本朝烏鷺(うろ)争飛伝古今碁譚抄」の寛蓮物語をネタとして「寛蓮の弥勒寺建立物語」を創作落語してみる。
 囲碁吉版「寛蓮の弥勒寺建立物語」
 「時は平安時代の御世の醍醐天皇と囲碁師匠僧侶の寛蓮との物語でございます。題しまして『寛蓮の弥勒寺建立物語』。この話しが史実なのか作り話しなのかは分かりません。醍醐(だいご)天皇は885(元慶9)年生まれ、即位は897(寛平9)年の御方でございます。後代になってこの治世は『延喜の治』と謳われておりまして、いわば善政を敷いていたようでございます。藤原時平、菅原道真を左右大臣とし政務を任せ、後に菅原道真は失脚致しますが、この時代のことのようでございます。

 後に400年以上経て後醍醐天皇が現れますが、醍醐天皇の治世を再現する意志で自ら後醍醐と名乗られたようでございます。醍醐天皇は和歌に堪能で、905(延喜5)年に紀貫之らに命じて古今和歌集の勅撰させております。この帝が歴代天皇中の1番の囲碁好きで強うございました。当時の最強の碁師であった肥前生まれの寛蓮(かんれん)、俗名・橘良利(たちばなのよしとし)が先帝・宇多天皇以来、二代に渡って天皇の囲碁師範をしていた。帝は平素は先と2子の手合いでお打ちなされていたが、このところ腕がめきめき上がり、2子では連戦連勝だった。

 ある時、寛蓮が醍醐天皇の御前へ出ますと、帝が仰せられた。『寛蓮、今日は懸け物をして打とう。2子でもし汝が勝たば金の枕を遣わす。その代わり汝が負けたらば以後は先じゃぞよ』。『畏まりました』。これには理由があったんでせうナ。と云いますのは、帝は2子で連戦連勝しているのに、寛蓮が一向に手合いを直してくれない。これに不満を覚えられたんですナ。ひょっとして寛蓮は先の手合いに直しても負かされる、そうなると囲碁師の職を解かれる可能性があると恐れ2子のままにしているのではなかろうか。それとも、このところの私の連戦連勝は手加減碁、接待碁で私のご機嫌を取っているに過ぎないのだろうか。よしっ自分の本当の力を試してみたい。それには金の枕を賭けるのが良かろう。寛蓮は純金枕を前にすれば本気で取りに来るだろう。これで真剣勝負し自分の腕を確かめたい、こう思われた訳ですナ。

 帝は2子を置いてお打ちなされた。ところが、どうしたものか、その日に限って楽々と寛蓮に勝たれてしまった。憮然としているところへ、寛蓮が申しあげた。『お約束の金の枕を頂きとうございます』。今さら約束を違えることもできない。後悔遊ばしたが仕方がない。侍臣に命じて御秘蔵の金の枕を取り出させ寛蓮に賜った。寛蓮は重たい金の枕を懐に入れて御所を退った。

 これで終りでは何も面白くありませんナ。ここからひねりが加わりますヨ。寛蓮の直ぐ後ろから『寛蓮待たれよ』と呼びながら、4、5人の若い殿上人が追いかけて来た。やにわに寛蓮を捕えて懐から金の枕を奪い取ると、そのまま御所へ引き上げてしまった。ハハァそういう訳かと云うことになりますが、ここからもうひとひねり加わりますヨ。

 後日のこと、寛蓮が御前へ出ると、『寛蓮、今日は懸け物をして打とう。2子で汝が勝たば金の枕を遣わす』。帝は、金の枕強奪事件を知ってか知らずでかこの前と同じように仰せられた。余りにも無邪気に仰せられるので、寛蓮は何も云わず引き受けた。そして、その日も寛蓮が勝った。寛蓮はお約束通り金の枕を頂戴して退いた。御所を出るや否や又殿上人に奪われてしまった。その後、帝はいつものあの無邪気さで寛蓮の顔をご覧になるたびに『懸け物をしよう』と仰せられる。寛蓮はそのつど何も云わず引き受け碁に勝って金の枕を賜る。但し、この宝物が御所を出てからものの一丁と彼の身に保っていた試しがない。

 寛蓮は当代一の囲碁の名手でありましてナ、囲碁は承知の通りの知能ゲームでありますから、その名手ともなりますと並と違う頭を働かせるんですナ。並の者なら、帝にかくかくしかじかで金の枕がいつも奪われてしまいます。お約束が違いますので、もう碁を打つのは嫌でございますと訴える。あるいは、殿上人の悪行を訴えて金の枕を取り返して欲しいと訴える。いずれにせよ、文句を云ってひと悶着起すのが関の山でせうナ。囲碁の名手の知恵がどういうものか。それがこの後のお楽しみでございます。

 何度目かの或る日のこと、寛蓮は例の通り拝領物をして御所をさがった。殿上人に追いかけられると、金の枕を大事そうに抱えて逃げ出し、丁度渡り廊下の途中にある『后町の井』と呼ばれる井戸のところへ来たところで躓(つまず)いてしまう。あれっと転んだ時、金の枕を井戸の中へ落してしまった。暫く覗き込みながら未練たらしく嘆息して天を仰いだ後、すたすたと立ち去ってしまった。殿上人は、『寛蓮め、金の枕を取られまいとして逃げ回り、挙句の果てに井戸へ落してしまった。手数を掛けさせる奴じゃ』と云って笑い合った。その後、井戸に人を入れて取り出させてみると、出てきたのは鉛を詰めた木の枕に金紙を貼った偽物の枕であった。

 寛蓮はようやくにして手に入れた金の枕をしげしげと眺めた後、これを元手に仁和寺(にんなじ。京都市右京区)の傍に一寺を建立した。それが弥勒寺であると云う」。
 囲碁吉版「寛蓮敗走物語」
 「寛蓮物語続編。ある晩のこと、一条から仁和寺に向かう夜道を歩く寛蓮を呼び止める女嬬(じょじゅ、高貴な者に仕え身の回りの世話をする女性)がいた。『そちらを行かれるのは寛蓮様ではございませんか』。こんな夜更けに女嬬が一人で出歩くわけはないと寛蓮は訝りながら振り向くと、『私は名は明かせませんがさる高貴な女人にお仕えしております。実は、先ほどお方様が寛蓮様をお見かけいたし、是非、碁聖と言われる寛蓮様に一番教わりたいのでお連れせよとの仰せです』。『左様か。しかし今日はもう遅い。お住まいをお教えいただければ明日参上いたしますが』。『いえ、今すぐとのことですので私についてきてくださいませんか』。寛蓮は、『夜更けにこの場ですぐ碁を打ちたいなどと言う女人など、狐か狸が化かそうというのか。正体を見極めてくれん』と思い、女嬬の後をついていった。『あちらでございます』。夜道の先には、月明かりに照らされた牛車がボーっと浮かび上がっていた。その家は前栽などおかしく植え、砂をまき、小さいが清らかに住みなしていた。家に招かれるままに上がると、奥の間に碁盤と碁石がすでに用意されていた。どこからともなく香の匂いがする。

 寛蓮が盤の前に座ると、御簾の向こうから女人の声がする。顔も姿も見えないが、愛嬌のある美しい声であった。『寛蓮様、あなたは世に並びなく碁を打ち給うとお聞きしております。私は死んだ父にいくらか碁を習っております。あなたがどのくらいお打ちになられるのか拝見したいと思ってお立ち寄りを願いました。無理を言って申し訳ありません。私も今日を逃すと、次はいつ寛蓮様にお会いできるかもわからぬ故、ついわがままを言ってしまいました』。『結構ですよ。では一番お相手いたしましょう。牛車を降りて、こちらにお座りください』。ところが、この女人は一向に外に出る気配がない。『私は人の前に姿を見せられません。すみませぬが白黒両方を寛蓮様のお手元にお寄せください。こちらから打つところを指しますので、そこに石を置いてください』。寛蓮は、なんとわがままなことと思ったが、『ここは、ひとつ本気で打って、女人の高慢な態度を諌めてやろう』と思い、黙って従うことにした。『では、いくつ置きますか?』と寛蓮が尋ねると、『私の先でよろしいでしょう』との答えに、寛蓮はいよいよ『一思いに潰してくれん』と思った。

 『では』と、御簾の隙間から二尺ばかりの細長い棒を延ばし、『最初はこちらに』と棒の先で天元を指し示す。寛蓮は、言われたとおりに黒石を持って天元に置き、続けて白石を持って自分の手を打つ。『次はこちらに』、『今度はこっち』と、次々に棒で示される点に黒石を置いて行った。女人は意外に強く、寛蓮はどうにも自分の思惑通りにはいかない盤面に苛立ちを覚え始めた。寛蓮ほどの打ち手が手玉に取られており、女人の強さは尋常ではなかった。寛蓮は局面打開せんと夢中になってあちこちに戦線を広げていたが、牛車の御簾の奥で『ククッ』と小さく笑う声が聞こえた。寛蓮は顔を上げて御簾の中の見えない相手を睨みつけたところ、『まだ、解りませぬか?』。そう言いながら、次の着点を示され、寛蓮は改めて盤面を見ると、盤上の白石はことごとく切断され、どの石も死んでいることに初めて気がついた。『こ、これは、、』。自分が打っている相手は魔物に違いない。慌てた寛蓮は一目散に寺へと走って逃げ眠れぬ夜を明かした。どこまでが実話でどこからがフィクションか分からぬ寛蓮敗走物語の一席」。
 碁聖・寛蓮の話

 寛蓮は、平安時代の僧侶で、醍醐天皇の時代に宇多上皇の碁のお相手を務めていました。現存はしませんが、「碁式」という、囲碁の技術書を著し醍醐天皇に献上したと伝えられ、碁聖寛蓮と讃えられました。宇多上皇は、いつも寛蓮に2子置いて打っていましたが、どうも寛蓮に軽くあしらわれているような気がしてなりません。「適当に勝ったり負けたりではおもしろくない、ここはひとつ本気で打たせてやれ。」と、ある日、醍醐天皇から寛蓮に申し入れをします。「今日の碁で、お前が宇多上皇に勝てばこの純金の枕をくれてやろうではないか」。

 さて、金の枕を賭けたとたん、寛蓮の強いこと強いこと。あっという間に宇多上皇の黒石を粉砕してしまいました。金の枕を抱えて座を後にする寛蓮を見て、醍醐天皇は思いました。「寛蓮のタヌキめ。ついに尻尾を出しおった。しかし、こうあっさりと宝を持ち帰られてはおもしろくない」と傍らの殿上人にそっと耳打ちしました。重い金の枕を抱えて帰る寛蓮を、件の殿上人が5、6人の家来を連れて追いかけてきます。「寛蓮殿、お待ちください。本日寛蓮殿が下賜された金の枕、私どもにも是非眼福に与らせてくだされ。これほどのお宝、見たこともなければ触れたこともない。是非、是非」と、いやがる寛蓮を押さえ込んで枕を取り上げ、そのまま持ち帰っていってしまいました。もみくちゃにされた寛蓮、呆然としておりましたが、所詮は上様の戯れ、しかたのないこととあきらめて帰っていきました。

 そうして別の日、また醍醐天皇に招かれて寛蓮がやってきました。「寛蓮、この間はうまくやられてしまったが、ここにもう一つ金の枕がある。これを賭けてもう一番どうだ?」。もう一つも何もあったものじゃありません。この間取り返された金の枕に決まっています。寛蓮、意地になって勝負に勝ち、今度は枕を持って早足で帰ります。すると、やはり後方から5、6人。「寛蓮殿、少々お待ちを」と走りより、またよってたかって金の枕を取り上げてしまいます。

 さすがに寛蓮も、3度目はないぞと一計を案じます。果たして3度目、「もう一つ金の枕があるが、どうだ?」という誘いに乗り、3度金の枕をせしめた寛蓮。重そうに抱えての帰り道、追っ手を待ちます。「寛蓮殿、お待ちください」。来た来た、寛蓮は追っ手に振り向いて、今度は自ら金の枕を取り出して、「お前たちに奪い取られるくらいなら、こうしてくれる」と、金の枕を横にあった井戸に放り込んでしまいました。「な、なんということを、、」。慌てる従者たちを尻目に、寛蓮はさっさと寺に帰っていってしまいました。

 醍醐天皇は、いつものように金の枕が戻るのを待っていましたが、今日は戻ってきた従者たちの顔色が冴えません。「どうした?ついに取り逃がしたのか?」。「いえ、いつものとおり門をでた先の辻で追いついたのですが、、、寛蓮様は我々に枕を取らせまいと脇にあった井戸に投げ込んでしまったのです」。「なんと寛蓮にしては大人気ない。しかし、井戸の中ならは底をさらえばよいではないか」。「はい。そう思って井戸を覗いたのですが、中で枕がぷかぷかと浮かんでおりました。」。「なにを言うか。金の枕なら沈むであろう。」。「はい、私もおかしいなと思いながらすくってみたものがこれでございます。」。そう言って、木製の枕に金箔を貼り付けたものが差し出されました。しかも、水にぬれてところどころ金箔が剥がれています。「寛蓮め、やられたわい」。醍醐天皇は、大笑いで寛蓮を許し、寛蓮は金の枕を鋳つぶして、これを資金として新しく弥勒寺を建立したということです。

 *

 また、ある晩のこと、夜道を歩く寛蓮を呼び止める女嬬(じょじゅ:高貴な者に仕え、身の回りの世話をする女性)がおりました。「そちらを行かれるのは寛蓮様ではございませんか。」。こんな夜更けに女嬬が一人で出歩くわけはないと、寛蓮は訝りながら振り向きます。「私は、名は明かせませんがさる高貴な女人にお仕えしております。実は、先ほどお方様が寛蓮様をお見かけいたし、是非、碁聖と言われる寛蓮様に一番教わりたいのでお連れせよとの仰せです。」。「左様か。しかし、今日はもう遅い。お住まいをお教えいただければ、明日参上いたしますが」。「いえ、今すぐとのことですので、私についてきてくださいませんか。」。寛蓮は、「夜更けにこの場ですぐ碁を打ちたいなどと言う女人など、狐か狸が化かそうというのか。正体を見極めてくれん」と思い、女嬬の後をついていきました。「あちらでございます」。夜道の先には、月明かりに照らされた牛車がボーっと浮かび上がっています。近くに寄ると碁盤と碁石がすでに用意されておりました。寛蓮が盤の前に座ると、牛車の御簾の向こうから女人の声がします。「寛蓮様、無理を言って申し訳ありません。私も今日を逃すと、次はいつ寛蓮様にお会いできるかもわからぬ故、ついわがままを言ってしまいました。」。「結構ですよ。では、一番お相手いたしましょう。牛車を降りて、こちらにお座りください。」。ところが、この女人は一向に外に出る気配がありません。「私は、人の前に姿を見せられません。すみませぬが、白黒両方を寛蓮様のお手元にお寄せください。こちらから打つところを指しますので、そこに石を置いてください。」。寛蓮は、なんとわがままなことと思いましたが、「ここは、ひとつ本気で打って、女人の高慢な態度を諌めてやろう」と、黙って従うことにしました。「では、いくつ置きますか?」と寛蓮が尋ねると、「私の先でよろしいでしょう」との答えに、寛蓮はいよいよ「一思いに潰してくれん」と思いました。

 「では」と、御簾の隙間から二尺ばかりの細長い棒を延ばし、「最初はこちらに」と棒の先で天元を指し示します。寛蓮は、言われたとおりに黒石を持って天元に置き、続けて白石を持って自分の手を打ちます。「つぎは、こちらに」「こんどはこっち」と、次々に棒で示される点に黒石を置きながら、寛蓮は、どうにも自分の思惑通りにはいかない盤面に苛立ちを覚えます。すると、牛車の御簾の奥で「ククッ」と小さく笑う声が聞こえ、寛蓮は顔を上げて御簾の中の見えない相手を睨みつけます。「まだ、解りませぬか?」。そう言いながら、次の着点を示され、寛蓮は改めて盤面を見ると、盤上の白石はことごとく切断され、どの石も死んでいることに初めて気がつきます。「こ、これは、、」自分が打っている相手は、魔物に違いない。慌てた寛蓮は一目散に寺へと走って逃げ、眠れぬ夜を明かしました。


【史上の囲碁口入れ騒動譚】
 「史上の囲碁口入れ騒動譚」を創作落語してみる。
 囲碁吉版「史上の囲碁口入れ騒動譚」
 「囲碁将棋が日本のお家芸として今日まで伝えられておりますには太古よりの歴史がありましてのことでございます。この長い歴史には囲碁将棋の対局中に横から口入れしたばかりに騒動になった事件が数多くあります。その中でも極めつけのものを選りすぐってお話しさせていただきます。

 家康の算砂口入所望事件

 徳川家康が晩年に滅法愛好致しまして囲碁三昧だったようでございます。お相手は専ら浅野長政だったようでございます。1611(慶長16)年に長政様が逝去致しますと、家康様は碁石を手にすることがなかったとも伝えられております。このお二人の囲碁逸話が次のように伝えられております。家康と浅野長政は無二の碁がたきでございました。或る日、家康が負けこんで、だいぶご機嫌が悪い。本日何番目かのこの碁も大石が死に掛かっており、気息奄々でありました。活きさえあれば勝ちなのだが、どう打てば活きるのかが分からない。

 そこへ当代随一の囲碁名人であります算砂がひょっこり姿を見せ盤側に座りました。『おお本因坊か。見らるる通り難儀をしているさいちゅうじゃ』。家康は心強い助け舟が現れたのを幸い、同意を求めるように話しかけました。『ここをハネるものか下がるものか、二つの一つだとは思うのじゃが---』。こう問われても相手があることですから、算砂は答えられるものではありません。家康が重ねて云う。『どうじゃ、ハネであろう。ハネならば確かに活きておる。な?』。こうまで云われては算砂も答えざるを得なかった。『御意。おハネになるがよろしゅうございましょう』。大石は活き、生きると同時に家康が勝った。勝った家康はカラカラと笑った。

 おさまらないのは長政である。退出する算砂を追って出てくると、眉を吊り上げ脇差に手をかけて云った。『こりゃ本因坊。余計なところにでしゃばりおって。お陰でわしの負けになったわ。もし今後もかような助太刀することあれば本因坊とて容赦せぬぞ。さよう心得ろ』。 

 家康と算哲の囲碁掛け合い譚

 家康には、『家康と算哲の囲碁掛け合い譚』も残されております。或る時、囲碁師の算哲が家康と碁を打ちながら云われました。『この石は活きているとおぼし召すか、死んでいるとおぼし召すか』。家康は暫く考え込み、『どうも死んでいるように思われる』と答えた。算哲『しからば存分に殺してご覧じませ。それがしは活きてお目にかけませう』。家康がその石を殺しにかかったところ、算哲の応答で造作なく活きた。『なるほど活きたか。死んでいる石とばかり思ったぞ』。算哲『いやいや、まだ決着しておりません。はっきりしないところがあります。御所様がまこと活きているとおぼし召すなら、それがしが攻めて殺して御目にかけませう』。今度は家康が活きにかかったが、算哲が造作もなく殺してしまった。家康『これは稀代じゃ。活きと死にと、いずれが正しいのじゃ』。算哲『活きると仰せあれば死に、死ぬると仰せあれば活きる。即ち死中の活の妙機秘奥、詳しくは口伝に譲り申し候』。 

 家元とお城碁譚

 その家康&幕府が、1612(慶長17)年、2.13日、「碁打衆、将棋指衆御扶持方給候事」として、当時の名だたる囲碁師、将棋師8名に俸禄を与え生活を保障した訳であります。これに与ったのが算砂、利玄、道碩、それに将棋の大橋宗桂らのお歴々でございます。扶持を受けた碁打ち衆のうち、相続をして家を継いだのは本因坊家、安井家(算哲)、井上家(道碩)、林家(利玄坊の弟子の門入斎)の四家でございまして、これが囲碁の家元となった訳でございます。家元制はその後凡そ230年間、幕府と共に続くことになります。

 時代が少しばかり下りまして、1626(寛永3)年、9.17日、「道碩-安井算哲」が二条城の徳川秀忠御前で対局し、道碩が白番3目負けしております。コミのない時代であるから負けておりますが、現代の6目半コミで評すれば逆に3目半勝っており、少なくとも負けにはなりません。これより、寺社奉行の呼び出しによるという形式で家元四家の棋士が毎年1回江戸城の将軍御前にて行われ勝負を競う御城碁が始まりました。1716(享保元)年、徳川吉宗の時代に家康の命日にちなんで毎月11.17日と対局日も決められました。

 御城碁は特別な事情がない限り毎年欠かされることなく続き、幕末の1864(元治元)年に中止となるまでの230年余りに全部で536局対局されました。政治が芸能をこれほどに保護した例は世界史に見当たりません。出仕した棋士は67名。御城碁出仕は、家元の代表としての真剣勝負となり数々の名局が遺されております。出場資格は、本因坊、井上、安井、林の4家元の当主、届出を済ませた跡目相続人、7段以上の実力者でありました。

 こうして、毎年一回、江戸城中奥の黒書院で行なわれる御前試合として御城碁が始まりました。碁打ち衆にとりましては、これに出場することは最高の栄誉でありまして、四家が家元の面目を賭けて技量を競うことになりました。当時は、明け六つ(午前6時)の開門と同時に三つ葉葵の紋のついた駕籠に迎えられた本因坊が江戸城へ登城し、寺社奉行の指図に従って準備を整え対局する。いったん城内に入ったら、どんなことがあっても下城できない。これが「碁打ちは親の死に目にも会えぬ」の語源となっている訳でございます。将軍が出座すれば、終局まで打ち上げ、出座がなければヨセだけ残して出座を待つ。将軍の都合がつかない時は、老中が全員出席して終局を見届けました。その後、下打ち制が生まれ、毎年11.6日に四家元が会合し、組み合わせを決めて奉行に届出、許可が下りると11日から16日までの間に対局し、当日は将軍の御前で手順を並べて見せることになりました。下打ちの6日間は誰との面会も外出も禁じられました。

 「本因坊算悦-安井算知の対局における松平肥後守の口入れ事件」。

 1645(正保2)年、「史上初の争碁」となる「本因坊2世・算悦-安井家二世・算知の6番御城碁」が始まっております。二人は今や碁界の竜虎として空位の碁所を狙う地位にあり、この御城碁での勝敗は碁所決定をも左右しかねない重大な一戦でありました。まだ下打ちの習慣がなかった頃のぶっつけ本番の御城碁対戦でございます。手合は算知の先番で始まり、老中、若年寄、寺社奉行らが息を殺して見守りました。将軍はまだ出座しておりません。そこへ碁好きで名高い会津藩主で55万石大々名の松平肥後守(保科正之)がやって参りました。松平肥後守は二代将軍秀忠の妾腹の子で保科家に養子に入っている権勢家でありました。算知を贔屓しており、屋敷に住まわせ扶持も与えておりました。甲斐守の脇に座って観戦し始めましたが、困ったことに一手打つごとに『ふぅん』と首をひねったり『なァるほど』と膝を叩いたり致します。算知が打ち込みを敢行した時、『うッ』とうなり声を上げ、『さても妙手。いかな本因坊も、よも勝つ手はあるまい(本因坊の負けと見ゆ)』と口を挟んだ。

 算悦、これを聞きとがめ、やおら後ずさって盤の前を離れ、無人の将軍御座に向かって一礼し始めた。『本因坊、いかが致したぞ』。問いかける甲斐守に、背を向けたままの姿勢で、『この碁、もはやこれまでにてございます』。『負けだと申すのか』。『そうではありませぬ。打つことができないのでございます』。甲斐守『なんと』。算悦が言葉を続けた。『私どもは碁打ちにございます。碁をもってお上に仕えております。碁打ちが局に対するのは武人が戦場に臨むのと同じこと、私は本因坊家の当主、天下の上手(7段)として一手一局に命をかけております。そのやり取りに対しまして横から口挟みがあるようでは打てません、打つ訳には参りませぬ』。

 なかなかの棋家の見識であります。これに対しまして松平肥後守が如何に振舞われたか。ついと立ち上がり、御座に向かったままの算悦に正面から相対し、『本因坊、余が悪かった。この通りじゃ。本因坊、気分を直し、どうかいい碁を打ってくれい』。算悦『恐れ入ってございます。出過ぎたるふるまい、なにとぞお許し下さいますよう』。一座皆な胸をなでおろし対局が再開された。着手は遅々として進まず、定刻を過ぎ、対局場を甲斐守の役宅に移し、終局は未明に及んだ。結果は算悦の白番1目勝ち。算悦は大いに面目をほどこした。

 算悦が松平肥後守に対して見せた碁家の気節も立派、詫びを入れた松平肥後守も立派でございませう。これが賞賛され語り継がれております。『天晴れ算悦、よくも詫びたり天晴れ松平肥後守の巻』のお話し一席でございました」。





(私論.私見)