囲碁川柳、俳句、短歌、狂歌、もじり歌

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).3.10日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで囲碁川柳、俳句を確認しておく。江戸期に生まれた川柳は雑俳の一種で前句付の点者だった柄井八右衛門(1718年-1790年)が柄井川柳と号して祖となり大流行したものである。江戸期のものを古川柳と呼ぶ。囲碁を題材とした川柳は多く詠まれ、歌舞伎や人形浄瑠璃の中でも生き続けた。「残念坊の囲碁川柳」、「江戸川柳1囲碁」、「春風亭華柳さん(1)「囲碁川柳」仲間と楽しむ(寄稿連載)」(読売新聞 2010/09/21掲載))、「江戸の囲碁川柳 (連載中)」、「指手のいろいろ 」、「文芸美術における囲碁の影響」その他より採録する。 

 2014.10.18日 囲碁吉拝
 明和2年、俳風柳多留が刊行される。1840(天保11)年まで167編刊行される。その中に碁を詠んだ句が相当数ある。
 1703(元禄16)年、立羽不角が俳諧広原海を刊行。著者は、俳諧師として多くの門弟を集め一派を為した。
 明和期、万句合を刊行。1万を超える句が集まったという。1779(安永8)年、万句合を刊行。


【川柳/碁の人生論】
 先生も 碁盤を取れば 只の人  
 皆様方の御健康、碁健闘を祈ります
 酒は別腸 碁は別智  
 十九路は 喜怒哀楽の 通り道
 十九路に 友と過ごした 夢の跡
 道しるべ あっても迷う 十九路
 十九路の 流れに架ける 思案橋
 十九路は 我が人生の 遍路道
 元気な日 碁も元気です 生きてます
 覚えたて 夢の中にも 碁盤出る

【川柳/置き碁】
 あの馬鹿が 本因坊に 二目置き
 えらそうな 顔している方が 五子(ごもく)置き 
 置石が 役に立たぬと ヘボこぼす

【川柳/定石、格言】
 ネット碁は いつも片手に 定石書
 定石を 知らぬ奴(やつ)には 敵わない
 格言を 知って打つ碁は 形良し 
 新定石 試してみたら 石とられ
 定石は こうだと敗者 力説し

【川柳/碁の打ち方】
 捨石を 覚えた貴殿(おぬし) 有段者(できるのう)
 右左 天下を狙う からみ攻め
 弱石を 作ってヘボを 証明し
 敵味方 天王山は 一つなり
 弱くても チャンスと見たら くらいつけ
 人の行く 裏に路あり ヨセで勝て
 何事ぞ ハネ二目も 上手下手
 大石を 追いかけまわし 薄くなり
 初手天元 後は野となれ 山となれ
 三々病 這いずり回って 地を稼ぎ
 サルスベリ どうして止めて いいのやら
 石同士 接近したら 緩まずに
 隅の石 ようよう生きて 正気づき
 急場どこ 打たれてみたら よくわかり
 対局で 一度はしたい 石の下  
 捨てられず 一族郎党 召し捕られ
 そのダメを 詰めてくるのを 待ちわびる  
 雨にくる 客にはかする 碁の足駄(あしだ)
 (足駄は雨天の時にはく下駄だが、碁の指し手としてはゲタよりやや広くカケテ相手の石を取る手を指す
 かくべつや 御庭へまわす 碁の足駄  
 一目の はねがおまえの おしあわせ
 角のはねにて 勝ちとなる囲碁
 はいまわる 碁にませがきの 竹のふし
 碁は川狩の あみに打ってがえ
 追落して 地はま百目
 猿這(さるばい)は 碁盤の岸の つたかづら
 八目の 徳をみつけて 端の石
 巣籠りの 碁は上げ石も 鷲掴み
 まがり四もくにすえたから死なぬ也
 切られても 検使のいらぬ 碁の喧嘩
 
検使は殺傷・変死の現場に出向いて調べる役人。
 きみがよい 将棋の両手 碁の切る手

【川柳/コウ】
 両劫が 竜虎のごとく にらみあう
 しっかり継いで 劫はいやいや

【川柳/シチョウ】
 蛇の這うた形に しちょうの取られあと
 勝の碁を しちょうの破れ 見落して
 横眼を遣かい しちょうのあたり 打って置く
 落城は しちょう破れの 碁の終リ
 しちょうは 劫にて逃げおおせん

【川柳/中手】
 中手を置いて 小便に立つ
 せめ合いの 石に死脈の 打つ中手
 (死脈がうつは臨終の近いこと
 生石に 中手おく手は 石こづめ
  (石子詰な罪人を生きながら穴にいれ小石を詰めて圧殺する刑罰をいう
 打込む中手 見物も取り巻て
ナカデは華麗で、打った方は得意満面。見物人も固唾をのむ

【川柳/せき
 工夫する 碁の手夕べ せき残り
  (碁の手のセキと咳をかけている
 せき破れ 盤中白の 物となり  

【川柳/如来手(にょらいしゅ)
 はらのたつ 如来手を喰う 碁の頓死
 (如来手は最近は使われない用語である。うっかり相手がダメをつめたため手数で負けていた攻め合いに勝てるようになること。その結果死んでいる石が生き返るので如来手という。如来は仏様、涅槃は仏の入寂をいう。如来手で取られた石は仏教つながりで涅槃石と命名している。
 如来手に 死んだる石は 涅槃石(ねはんいし)
 如来手は 仏教に無い 碁方便
 如來手は 死石すくう 碁の上手 (俳諧広原海)  

【川柳/持碁(ジゴ)】
 持碁打って ともに盤下を 滑川

【川柳/碁のマナー】
 半コウを 打ちきり投げる 礼知らず

【川柳/碁石音楽
 ヘボなほど ごけに手を入れ じゃかましい
 じゃかましい ごけ音楽出すのは 弱い奴
 下手なほど ごけに手をい入れ かきまぜる
 ガチャガチャは 下手の悪癖 直すべし

【川柳/マッタ】
 お互いに 待ったの数を 数え立て
 待ったして 余計に悪い 石を打ち 

【川柳/碁の半目差、一目差の泣き方】
 半目差 じっと眺める 碁盤面
 半目差 しばし碁盤と にらめっこ 
 一目の 負けに座布団 撫(な)でまわし
 さし引いて 見れば持碁(ジゴ)也 年の暮

【川柳/囲碁上手、名人本因坊】
 強いねと そう言うあなたは 強い人 
 ご趣味はと きかれ胸張る 有段者
 ざる碁とて 名人気取り 夏座敷 
 恥をかき かきかき恥で 強くなる
 碁の先生の 余の智恵はなし
 (碁の上手は世間にうとい
 碁の会に ぽんとしたのが 師匠なり
 (ぽんとしたは風采の上がらないの意
 碁所も 一手すきなり 大晦日
 (幕府役人の碁所は多忙だがさすが大晦日には仕事がない
 つよい事 三目程の勝ちにする
 (いつも三目勝ちにつくる名人芸
 目算に 寝浜はさせぬ 碁の上手
 (ネハマは相手の色の碁石をあらかじめ隠し持って作る時にアゲハマの加えるインチキ技。碁の上手はハマの数まで頭に入れているのでインチキはできないとの意) 
 まっ黒な 中に手を打つ 本因坊
 (本因坊は真っ黒な模様の中でも生きてしまう

【川柳/下手碁】
 下手の碁は 七度(ななたび)変わる 秋の空(月)
下手同士の碁は石の生死が度々かわることを秋の空で例えている。七度かわる秋の月は狂言狂言『墨塗』の「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」のセリフが下敷き) 
 気みじかに 石取りたがる みそこし碁  
 下手ばかり 寄ると下手碁も 目に立たず  
 下手の碁は 死んだ石にも 手を入れる
 下手の碁は 勝って甲の 緒が解ける  
 入れ替り 下手は手を出し 首を出し
 いつの間に ごねたかしらぬ 下手碁同士(どし)
 (下手同士が打つと知らない間に石が死んでいる。ごねるは死ぬの意
 むだ駄目を さしてへぼ碁は 追落し
 (下手碁打ちは安易にダメをつめて追い落としを食う
 切ると目が覚め 膝をうつ 下手碁打
 下手碁 折ふし南無さんの声
 雪隠で考えて居る下手っ糞

【川柳/勝ち碁】
 碁に勝った あとの一日 笑顔なり
 碁に勝って 笑顔を妻に おすそ分け
 勝ったあと 歩幅が広い 碁の帰り 
 コウに勝ち 勝負も勝って 高笑い
 正月の 勝ち碁うれしい お年玉
 碁は勝ちに 決っして床の 花を誉め  
 勝ち決める 次の一手が 胸で鳴り
 御預り 申して置くと 勝ったやつ
 しあわせを いただきましたと 又ならべ
 ちと勝利 得しは小歌を 盤の縁(ふち)勝者のしぐさで小唄を歌う
 碁に勝って 上戸に餅を 買わせけり
 碁が勝ちに 決っして床の 花を誉め
 (碁の勝ちが見えたことで機嫌が良くなり、床の間に飾ってある花を誉めた
 碁の白を 打っておとして 悦に入り
 (黒番で碁に勝って嬉しいという単純な句。白と城をおとすをかけているのがミソ
 わすれ果て 使いに笑って 立つ碁盤
使いに行く途中で碁に寝中、碁に勝った時に使いを思い出した
 思う様 勝つと小便 したくなり
 雪隠で くしゃみをするは 勝ったやつ
 碁に勝って 戻りゃ門(かど)から 咳拂(せきばらい)
 (夜遅くまで碁を打ってやっと勝って我が家にたどとりつくと、家の中から山の神の咳払いが聞こえる。桑原々々

【川柳/負け碁】
 月代(さかやき)に かゆみが来ると 負けになり
  (碁を打っている最中に頭を掻くのは形勢の悪い証拠
 碁に負けて おかしや下戸の 酒うらみ
 (下戸のくせに酔っていたので負けたと言い訳
 負けたやつ そっちへ煙(けぶ)を 吹けという
 (負けた奴の八つ当たり。碁の相手の煙草の煙に)
 傲慢(ごうまん)な つらが憎いと 負けた奴
 あれにこう これにこうとて 負け惜しみ
 このへんで 勘弁したると 負けて言い
 負けた後 今度は本気で 打つと言う
 火の消えた タバコのほうが 負け碁なり 
 負けました 言えた勇気に 拍手わき 
 囲碁大会 いつも勝ってる ヤツに負け
 負腹も 立てず相手を 誉めている

 負けたやつ 小便に出て 星を誉め
 さら/\と柚味噌で茶漬負碁腹
 負けた夜は腹を碁盤にして寝入り
 負けてきた手をば師匠へしかけて見勉強熱心な敗者
 あやまてりとて碁経又見る勉強熱心な敗者。碁経は玄々経などの碁書
 昨日負たやつ碁盤を出して來る
 碁にまけて 来たは木魚(もくぎょ)の 音で知れ
 (和尚が碁に負けて帰った時は木魚のリズムも狂いがち
 親の負け碁に まず膳を出す
 (親が碁に負けて帰った時はつまらないことで叱られないようまず食事の準備
 腹立ちに 碁盤を薪と のたまへり
 (碁盤に
 負けたやつ そば切賣を ひっ叱り
 (たまたま通りががかった蕎麦売りに八つ当たり)
 早速に 昨日負けた碁の 意趣返し。

【川柳/碁の検討】
 検討に 優る上達 法はなし
 2連敗 感想戦で 声も出ず

【川柳/碁仇、碁楽】
 碁敵は 憎さも憎し 懐かしし/江戸川柳の傑作
 いさかいを しいしい碁打ち 仲がよし
 碁がたきを 入院先まで 追ってゆき  
 碁敵に うれし涙の 初勝利
 碁敵の ハマ取って来る 孫の知恵
 碁仇は 生涯の友 へぼで良し/右田俊郎
 又喧嘩 しに来たと云う 中の良さ

【川柳/碁狂(きち)、女房の碁嫌い】
 死水の そばで母親 碁の意見
 打ち出した 石を見ている 雨宿り
 蚊は逃て 月代たたく 碁友達
 地面皆な 売って一目(もく) 腕上る
 碁の好きな 肴屋(さかなや)干物 ばかり売る
 大三十日(おおみそか) 世間へ義理で 碁を休み
 碁狂を 一番嫌う 女房
 碁の客は たいがいにして 女房寝る
 言いそふな 助言をいわぬ 女房共
 背中ふき ながらのぞいて 助言する
 何手先 読んでいるのか 妻の顔/島立隆男

【川柳/見物碁
 碁会所で 見てばかり居る 強い奴 (俳風柳多留)
 碁会所で 黙って見ている つおい奴 
 見物は みな強そうな 口をきき

【川柳/囲碁風景
 熱戦碁 ここが山場と 扇子取る 
 とどめ刺し 左団扇で 胸そらす
 この妙手 相手長考 天仰ぐ 
 夢中で バチバチ打つ 雨だれ碁  
 碁盤の傍に 急用と 書いた状

 気短かに 石取りたがる みそこし碁 
 (「みそこし」とは「味噌こし用のザル」を云う。ザル碁(下手な碁)を引っ掛けている)
 会心の 手を打ち上目で 睨む癖
 碁の本が 枕にするほど 増えすぎる

 人格者 対局中は ヘソ曲がり
 お弁当 食べずに帰る 囲碁大会
 大物を 一人倒して  予選落ち

 那智の石 持たぬで知れる 碁の力
 勝てば良し 負けても楽し 囲碁の刻(とき)  
 あいさつは 今日の陽気と 碁の調子
 生きている 幸せ今日も 碁を打って    
 そのたびに なるほどそうだと 分かるのに
 この石の 気持ち考え 打たないと 
 碁石似て 心もまるく なぜならん    


【川柳/碁会所
 碁会所の 看板探す 旅の駅
 碁會所と 医者へ迎え 二人リ出シ

【川柳/ユーモア】
 殺す死ぬ 囲碁でなければ 110番
 囲うのは 碁だけですよと 念押され/こすみ
 おーいお茶 声の調子が 碁の調子/花六
 勝手読みでした今度も片想い/裕石
 碁の負けを 一つ増やした にわか雨/斜凡
 家事ならば わしもやっとる 碁盤拭(ふ)き/斜凡 
 道端で 会うやいなやに 碁の手つき/斜凡
 階段を シチョウに登るは 歳のせい 
 新聞は 囲碁欄以外 飛ばし読み
 負けるたび 碁はもう止めた 云うが癖
 飽きもせず 上達もせず 年をとる 

 
あの世にも 碁会所あるやと 墓に問ひ
 (蟻が出てきて アリと答へる)
 家庭でも 囲碁でも妻に 打つ手なし/山野大輔

 
囲碁くらい 打ち込みゃ成績 上がるのに/古賀由美子
 
死水の そばで母親 碁の意見
 新定石 試してみたら 石とられ
 定石は こうだと敗者 力説し 

 切られても 検使のいらぬ 碁の喧嘩

【川柳/エチケット】
 風邪ひきは 黙ってマスク 筋が良い
 手は膝に 碁笥のかき混ぜ ヘボ見本

【川柳/厠(かわや)】
 ムズイ手を 打って悠々 トイレたち 
 難解な 局面にして お手洗い

 雪隠で くしゃみをするは 勝ったやつ
 中手を置いて小便に立つ

【川柳/色艶】
 そろそろと 息子碁にあき 鞠にあき
 碁の留守へ 間男ちょいと 打ってみる
 ご亭主は 読みにはまって 気がつかず
 間男は 一ち目おすと とほくひき

【川柳/宿屋川柳】
 一二もく 湯治帰りは 強くなり
 宿引きに 碁盤あるかと 聞いてみる
 静かなり 碁将棋はやる 冬の出湯
 宿引きに はめ手をくった 旅碁打ち

【川柳/川止め川柳】
 碁将棋で 暮らすは堅い 川つかえ
 旦那は碁 家来は臥せる 川支(つかえ)
 川止めに 碁盤の外は つぼをかり (サイコロばくち)
 川留めの 碁石ぽちぽち 雨の音
 川明(あき)て 宿屋の囲碁も 惣(総)崩れ
 川止めに 渡りのつかぬ 碁を打って

【川柳/番屋川柳】
 
 縄付きの そばで碁を打つ 自身番
 しばられて 居て助言する ふといやつ
 己が身の 朽ちるも知らず 番所の碁

【川柳/医者、和尚、殿様】
 医者川柳

 お医者には 似合ぬ碁也 殺しとは
 医者なれば 石の余命の 脈を見る
 三度目の 使いで医者は 碁を崩し (万句合) 
 和尚川柳

 つぶし碁を 打って和尚の 高わらい
 僧からに合わぬ和尚 せきごなり (せき碁=急き碁で早碁の意味)
 和尚は碁 打ち所化衆は 将棋指し (所化衆=修行僧)
 おめえの碁 如来様だと 和尚言い
 殿様川柳

 殿よりも 一目強い 国家老
 殿様の 囲碁の相手は 風柳
 碁の勝負 殿の後ろに つよいやつ
 殿の御碁 たてばかりにて 手は見えず (たて=定石)

【川柳/助言百景】
 「助言のいろいろ」。
 助言すなと 口なし形の 盤の足
 エヘンとは せきにせよとの 碁の助言
(エヘンと咳払いをするのは咳つながりで、「キにせよ」の助言になる)
 かけたかと 啼くは助言の てには也
ホトトギスの鳴き声が「テッペンカケタカ」であることに気付けばすぐわかる。「カケてとれ」という助言である。「てには」は「てにをは」で初歩とか基本という意味である
 まなばしを 後ろへ下げて 助言する
菜箸(まなばし)を下向きにもつのは「サガレ」のサイン
 五月雨は 盤に踏える 倦碁(けんご)の足駄(あしだ)
五月雨というのは「アシダ(ゲタよりやや広いカケ)」にかけてとれという助言だの意
 覗いては 竹の節いう 碁の助言
(「タケフ」に継げという助言)
 岡目八目 吹がらの 助言する
吹きがらはきせるで吸ったたばこの燃えかすで竹筒の灰吹き(吐月峰)に捨てる
 手拭を 助言いいいい 干して居る
手ぬぐいを絞って干すので「シボレ」とう助言) 
 雷に 碁の助言云わさす 紙帳(しちょう)賣り
雷除けには蚊帳の中に入るのが昔の常識。和紙製の蚊帳を紙帳と書き「しちょう」と訓んだ。したがって「雷」というのは「シチョウ」にかけろという助言になる
 碁の一手 助言になりし 紙帳売り
蚊帳売りが来たので「シチョウん」の手を思いついたという句意
 ゆかた着て 助言いいいい かいて居リ
蚊に食われて掻いている。蚊帳がほしい、「シチョウ」だとなる
 碁の助言 きものいれたる 小袖ひつ
「小袖ひつ」は着物入れ。「着物入れ」は「肝入り」と読みかえれば仲を取り持つの意味になる。したがって「小袖ひつ」は「ツゲ」の助言になる
 知らぬ顔 小歌に骨の ある助言
知らぬ顔で小歌を唄っているの句意だが、当時流行の小歌「からかさ」の文句は「から傘の骨はばらばら紙ゃ破れても離れ離れまいぞえ千鳥掛」でこれも「ツゲ」という助言
 碁の助言 そなたは浜の 御奉行かへ
浜の御奉行は浜離宮の管理役を指す。初代浜奉行は伊豆(いず)守永井直敬。したがって「デロ」という助言) 
 袖口を なで消しながら 助言いう
(しぐさも助言になる。袖口を撫でるのは出るのを打ち消しているので「デルナ」の助言)
 そっと突く 膝も助言の 道具也
(膝をつくのははさまを「ツケ」の助言)
 袖引かれ たばこ輪に吹く 碁の妙手
(見物人に袖を引いを注意され妙手に気が付いた。得意げに煙草の煙を輪にしている)
 助目くばせ便りに聾打っている
(最後の句は耳の聞こえない対局者には目配せで助言)
 助言憎くくも 物によそえる
(助言は憎いが本当にうまくものになぞらえるものだ)
 なぞらえて 諷(ふう)にうとう 碁の助言
(第二句は碁の助言は直接はいえないので他のものになぞらえて唄うようにいう)
 岡目四目は めっつかちの 助言也
(下手の助言は目先しか見ていない。岡目四目は四目先までしか見えない未熟な碁打ち。めっかちは近眼の意)
 助言無用と 小便に立つ
対局者の一人がトイレに立つ時にいない間に助言をしてはいけないよと見物人に釘をさす
 助言せぬ 碁や風凪(かぜなぎ)の 濱千鳥
助言のない碁はないだ海のように平穏だ

【川柳/口シャミセン】
 まいったな 口癖だけの ずるい人

【川柳/碁盤】
 「碁盤と碁石」。
 野間台の 平仄らしい 碁盤の図 (俳風柳柄多留)
 助言すなと 口なし形の 盤の足
()碁盤の脚の飾りは第一句がいうようにくちなしの花の形であるとか橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)の形とかいわれる。くちなしは「口無し」で助言不用を暗示している。
 碁盤は背に臍 鍋釜は尻に臍
()碁盤の裏には臍と呼ばれる四角な窪みがある。これは碁盤に碁石を置いた時の音と感触をよくするためといわれる。臍は血溜まりとも呼ばれる。碁の対局に口を出した者の首を切って碁盤を裏返してその上に置く。臍はその際の血溜まりだという物騒ないわれがある。
 むかしから 碁盤の臍は 四角也
()古碁盤は足もがたついており盤面の罫線も消えそうに薄い。第一、二句はその様子を詠んだもの。
 古碁盤 足がひょろつき 目がかすみ
()
 年を経し 碁盤目もなし 足も無し
()
 手ずれたる 碁盤に顔の うつる程
()使いこまれた碁盤の盤面の輝きを
 石一つ かつて碁盤の よくすわり
()足ががたつくので碁石を一つかって安定させる様子をよんでいる。
 紙碁盤 はては紙帳(しちょう)の 継になり
()江戸時代は紙の碁盤も使われたようだ。何度も使うと破れれるので蚊帳(紙帳)の継に使う。碁盤とシチョウが縁語。
 自身番 風に碁盤を 吹取られ
()町人地にあるの番所で使っていた紙碁盤が風に吹き飛ばされたの意
 物縫いに 貸せば碁盤が 足を出し
()
 碁の客が 來ぬでしつかり 押しがきき
()
 うつぶけて 洗濯物に 置く碁盤
()
 碁盤しらげて 仮のまな板
()碁盤を裏返して裁縫のくけ台(布地を引っ張る道具)、縫い上がった着物や洗濯物の上にのせてしわ伸ばしに役立てる。最後は板碁盤を洗って(しらげて)、まな板にも使ったようだ。  
 俄雨 あたまに碁盤 乗せて来る
()
 四方面(しほうめん) 女房の用は 足を上げ  
()
 碁盤にて 蝋燭あおぎつ 力くらべ
力自慢の相撲取りはお座敷で碁盤を片手に持って蝋燭を扇いで消して見せた
 軽業の稽古 碁盤の上で 反ってみる
碁盤の上で軽業を披露する者もいた

【川柳/碁石】
 那智の石 持たぬで知れる 碁の力
 (那智の石は那智黒石
 なぶられて 次第につやの 出る碁石
 
碁石も使い込むと艶がでる
 十五夜に 三日月も出る 古碁石
 (さらに古くなると三日月のように欠けた碁石も混じるようになる
 この白い 碁石が元は 雀とは
 雀から 碁石に成った 三代目
 はまという 碁石二度死ぬ 浜の貝
 (中国には雀が海中に入り蛤に化するという伝説がある。碁の白石は蛤から作るので雀から勘定すると三代目になる。さらに蛤が死んで白石になりそれが殺されてハマになる
 那智黒の 雨にざれ出る 座敷跡
 (黒石は紀州の那智黒石が珍重される。座敷跡は宴会の後の意味で雨が降ったので宴会後が碁会となったという意味である。
 碁盤へも 一ばんに打つ那智
 (西国三十三所の第一番は那智山青岸渡寺である。碁の第一手は(那智)黒石だし、西国巡礼の最初も那智山だ

【川柳/碁笥
 饅頭を 喰いさして置く 碁笥の蓋
 (碁笥にも色々の用途がある。饅を置く皿に使える
 孫ふたりつれ 碁笥にあん餅
 (餅を置く皿に使える
 焼飯おにぎり 入れたる碁笥の内
 (おにぎりを置く皿に使える
 揚弓(ようきゅう)の的に 釣りたる碁笥の蓋
 (揚弓は小さな弓を使った射的ゲーム。その的にも碁笥を使う

【囲碁俳句】
 「中田敬三、(1)芭蕉の俳句に碁のかけ言葉(寄稿連載)」(読売新聞 2005/01/17掲載)

 囲碁や将棋を詠んだ川柳は多いが、俳句は少ない。の江戸時代の芭蕉門の其角、嵐雪、杉風や蕪村、一茶らに囲碁句が見られる。明治になってからも子規、碧梧桐や虚子にもある。

 俳聖といわれる芭蕉の千近い俳句(発句)には「碁」の字が入った句はない。付け句(連句)に二句ある。尾張の俳人たちと巻いた歌仙「冬の日」の一句。「美濃で打った碁譜を旅のつれづれに思い出そうとしたが、思い出せなかった」という評注がある。「道すがら美濃で打ける碁を忘る」。「野ざらし紀行」の一部の写本にある。「碁の工夫二日閉ぢたる目をあけて」。芭蕉が碁を題材にしたからといって碁を打ったと短絡はできないが、「碁譜を思い出す」のは棋力がなければできない。紀行文「笈(おい)の小文」には、伊良湖崎を訪れる途中「碁石(白石になる貝)を拾ふ」と書いてある。また、芭蕉の俳諧(はいかい)観を伝えた「三冊子(さんぞうし)」に、芭蕉がある人の俳句を「碁ならば二、三目跡へ戻してすべし」と言ったことが載っている。俳諧の教えに碁を引くのは、碁を知らない人にはできない。ほかにも、芭蕉と碁に関する傍証がある。

【囲碁】
 碁に負けて 忍ぶ恋路や 春の雨(子規)。
 一曲の碁に 春の雪 あともなし(意外)。
 碁はお妾に 崩されて聞く 千鳥かな(言水)。
 山寺は碁の秋 里は麦の秋(一茶)。
 初夢や 詰碁に手筋 鬼の手も(虚石)。
 この道より われを生かす道なし この道を歩く(実篤)。

【囲碁短歌】
 碁なりせば 劫なと打ちて 生くものを 死に逝く身には 手もなかりけり(第一世本因坊算砂の辞世句)。
 鬩(せめ)ぎあふ 気と気に押され 息詰まる 稀有のふたりを 包む静寂(歌人/永田和宏)。

【囲碁狂歌】
 淋しさは 碁の相手 さらになかりけり 手もやや寒き 秋の夕暮れ (家つと)
 1729(享保14)年、「家つと」は油煙斎(鯛(たい)屋)貞柳の著作。貞柳は菓子商の家に生まれ、幼いころから文人の素養を身につけ、狂歌師として江戸中期に活躍。一時期下火になっていた狂歌の人気を復活させたことから「狂歌中興の祖」とも呼ばれる。
 年もはや 碁ならけちさす 時分にて かつ色見えて 梅もゑみぬる (家つと)
 今年も碁ならば終局の局面であり、仄かに勝ちが見えて来ており自然と笑みがこぼれる
 碁を打ちに 居るべき筈を けふよそへ 行くとは理屈に たがひせん哉 (万載狂歌集)
 1783(天明3)年、「万載狂歌集」は選者/四万赤良(太田南畝)で、江戸勤めの幕府の御家人として高位に上りながらも狂歌師としても名を残した。特に、上方が中心だった狂歌の流行を江戸に広めた功績で知られる。表題の「万載」は平安時代末期の勅撰和歌集「千載和歌集」になぞらえている。安土桃山時代に興った芸能「三河萬歳」にもかけている。は油煙斎(鯛(たい)屋)貞柳の著作。
 斧の柄を くたせし碁とは うつてかえ 象戯のさしも もろき常なき (狂歌柳下草)
 作者は、油煙斎(鯛(たい)屋)貞柳に学び、狂歌の隆盛に尽力し、その作風から「栗派」と呼ばれる一派を為すまでになった栗*か亭木端。本作は囲碁伝説のランカの故事を基に詠んでいる。木端の弟子の柏木遊泉は狂歌柳下草の詠者でもあったが、好きな将棋を指しながら天寿を全うしたことを追悼して師が詠んだ作である。
 打ち寄する 碁石の数に 日はみちて 暮れ行く年に かこふ手もなし (狂歌君が側)
 1762(宝暦12)年、狂歌君が側が上方狂歌として発刊された。






(私論.私見)