柳田格之進
 落語「柳田格之進」は古典落語の演目。別名に「柳田の堪忍袋(やなぎだのかんにんぶくろ)もしくは碁盤割(ごばんわり)」。誇り高い武士の生きざまを描いた人情噺。元は講釈ネタであったものを落語にした噺であり、三代目春風亭柳枝が得意とした。近年では五代目古今亭志ん生、そして子息の十代目金原亭馬生三代目古今亭志ん朝の得意ネタであった。

 原話は江戸後期の碁打ち林元美著「爛柯堂棋話」。原話では、浪人は猪飼某。泉州堺で娘と二人暮らし、手習師匠して生計を立てている。時々商人宅へ碁を打ちに行くうち、金を盗んだと疑いをかけられ、返却後、出奔した。その後、商人宅で金が出てきた。が、猪飼は行方知れず、5年後商人の雑談から娘が京の島原遊廓にいることがわかった。娘にきけば、父は郡村というところで小作をしているとのこと。番頭はすぐに郡村に行き、許しを乞うて金を返そうとしたが猪飼は拒絶する。追い返された番頭は、京の有力商人を介して詫びたが猪飼は聞かず、娘の身請けも許さず、置いていった金には手を触れぬまま郡村で生涯を終えたとなっている。これでは情噺にならないので落語「柳田格之進」ではハッピーエンドにさせている。「
ウィキペディア柳田格之進」その他を参照する。「立川志の輔 柳田格之進 YouTube」、「古今亭志ん朝 (三代目) 柳田格之進」、「古今亭志ん生(五代目) 柳田格之進 」、「古今亭志ん朝 柳田格之進 」、「春風亭昇吉 柳田格之進」。
 映画「碁盤斬り」。草彅剛主演。白石和彌監督初の時代劇。

 囲碁吉版「柳田格之進」
 柳田格之進は元藤堂家の家臣。藤堂藩は、1608(慶長13)年、戦国時代から江戸時代にかけて活躍し「築城の名手」と云われ四国より伊賀へ移封した藤堂高虎が津藩の初代藩主。家臣として伊賀忍者の元締め百地三太夫とか剣豪の荒木又右衛門とかが有名であります。

 格之進は文武両道に優れ、中でも剣術と文筆、碁が城内一、二を争う腕前でござった。その性情、清廉潔白。曲がったことが大嫌いの律義者。その能力高く次第に頭角を現わし江戸詰めに登用されました。江戸藩邸では留守居役の下役を勤め、日々手際良く職務をこなし、将来を期待されておりました。ここまでは順風満帆だったのですが、敢えて言うなら、能ある鷹は爪を隠すにしておれば無難のところ、才気が余ります故、出る杭打たれる日が早晩来るような予感がございました。

 そういう心配をしていました折の或る時、格之進、江戸藩邸内の不祥事(恐らくは贈収賄に纏わる二重帳簿でせうナ)に行き当たりました。見て見ぬ振りができない質にして筋が通らぬ事が大嫌いな故に、めくら判押すことができなかった為に事が表沙汰になり、今でいう内部告発でせうナ、その後、讒言(ざんげん)により閑職に廻され、挙句の果てに主家を放逐されてしまいました。こういう事は大昔から当時も今もあるようでございます。どう振舞うのが宜しいのでせうナ。

 浪人になりしよりは浅草阿部川町の裏長屋に身を寄せておりました。この間、妻に先立たれ、娘のおきぬは『鬼も十八 番茶も出花』の18歳、色白の美形です。そのおきぬとの二人暮らしとなりました。暮しぶりは楽ではございませんが、かの日々の窮屈大儀なお武家暮しよりよほどマシ、長屋暮らしもオツなものと『武士は食わねど高楊枝』で嘯(うそぶ)いておりました。近所の子供の手習い師匠をしながら、おきぬも針仕事なぞで給金を頂き、細々と生計を立てておりました。その中でも武士の誇りと凛とした気品を失っておられなかったのはさすがでありました。

 ここまでのお噺、実は話の筋が幾つもありまして、例えば、ここでは津藩藤堂家の家臣としておりますが、江州(ごうしゅう)彦根藩の城主井伊氏の家臣とする話もあります。主家放逐のいきさつを詳しく語るものもあります。妻に先立たれたのがいつのことか武家の頃か失職後なのか等々も話の筋が分かれております。いずれにしましても本筋ではありませんので省かせていただきます。ここでは、格之進様が剣と文、碁に格別秀でた文武両道の士にして、間違った事が大嫌いの律義者という下りをつまんで下されば宜しいのでございます。このことが後の下りに大いに関係して参ります。


 そんな日の或る時、おきぬ『お父上、家の中にばかりいては退屈でせう。父ほどの腕前の方が碁が打てないのは寂しゅうございませう。近くの材木町に碁会所があるとお聞きしましたヨ。気晴らしにお出かけなさればいかがでせう』。亡き妻の代わりとして努めて明るく振舞う娘に勧められました格之進。『おぅおぅそなたは次第に母上の口ぶりになりつつあるな、気づかい済まぬ。なるほど久しぶりに碁を嗜むとするか』と腰を上げる運びとなりました。

 
人の寄る所は何処でもそうでございませうが、碁会所も然り、店毎にそれぞれの品と格があり、相応しい者が出入りするようになります。これを釣り合いの法則と申します。碁会所出入りの人は席亭、師範、ほぼ毎日来られる常連客、時々来訪の日払い客、お初の飛び入り客からなります。常連の中より自ずと世話役が生まれてくればシメタもの。子どもと女流が来始めたら活気づきます。初めての者が来れば段級を上手に聞きだして手合い合わせをしてくれるのが世話役です。こういう世話役がいるところは繁盛し、逆は逆になりますネエ。

 格之進が初めて顔を出しました時、『お初のお方とお見受けしました。お宅様はどれぐらい打たれるのでせうか』と声掛けしたのが、浅草馬道に住んでいる両替質屋の萬屋(よろづや、以下「万」)源兵衛。世話役でございます。格之進の返答を引き出す前に、滲み出ている棋力を察知したのでせう、『では私がお相手いたしませう』となり打ち始めたのでございます。 

 (一呼吸置いて)
 源兵衛『初手合いですので互先(たがいせん)で参りませうか』。互先とは同じ格の手合ということでございます。格之進『お受け致します』、源兵衛『しからば私が握らせていただきます』。源兵衛が碁笥(ごけ)から白石を取り出し僅かに握り、格之進『半先』。源兵衛が握った手のひらを開き、石を数えますと奇数、半となりましたので格之進の先番となりました。先番は黒石、後手番は白石で打ちます。 

 ここで、囲碁の対局要領をかいつまんで説明しておきませう。碁盤は縦19×横19の361路からなる宇宙になっています。好きなところへ自由に交互に打てば良いのですが、石の効率が問われます。そこに頭脳が要る訳です。最終的に獲得した地数の多さを競います。その間のやり取りの一局が囲碁の魅力で、一生に値しておりまして桃源郷になる訳でございます。大抵の方が数局打ちます。こうなると要するに、碁会所で何度も人生を味わえる訳ですネ。中盤より互いの石が絡んで参りますが、こうなると石の殺し合いが避けられません。盤上でそれをやるものですから、打ち終えた後では戦闘の抜け殻になっておりまして逆に温厚紳士淑女になるという風がございます。碁打ち紳士淑女はこういうところから生まれているのかも知れません。碁の魅力に一度引き込まれますと、滅多な事で足抜けすることができません。碁を知らない人生は詰まらない、勿体ないと思うようになる訳でございます。

 ここでお手をお借りしませう。本日のお客様で碁を打たれる方は何人ほど居られますですか。お手を挙げて教えてください。ひィふゥみィよゥ---***人ほど居られますネ。お幸せな方でございます。ネエそうでしょう。(ここで、客との掛け合い。賛否両論をうまくあしらう) まだご存知ない方は今からでも遅くありません、お出かけ下され、お試し為され、碁の魅力に触れてくださいませ。そのうちどこかで歯車がカチッと噛み合う日が参りませう。その日があなたの囲碁の打ち手としての独り立ちです。寝床に就くと、天井に碁盤が出て参りまして、ああでもないこうでもない、シマッタあそこはこう打つべきだったなどと独り学習し始めます。楽しゅうございますヨ。これをやる人はつおくなりますね。

 この時分は現代碁のように後手番不利を補填するのコミがありません。そこでジゴ白勝ちにしております。ジゴとは、打ち終わった後で互いの地を整地し、数えて集計した地の目数が同数と云う意味でございます。つまり引き分けですナ。勝負を引き分けにしたら決着がつかない為、後手番白の半目勝ちにしております。

 いよいよ対局開始となりました。格之進『パチッ』、源兵衛『パチリ』。打ち下ろした音の響き、その時の手指のしなりの仕草で高段者であることが分かります。相手の棋力は手応えで伝わります。押すところはオシ、引くところでは控え、ハネるところではハネ、切るところではキル、辛抱するときは辛抱し戦うべきところでは戦う。その調子で棋力が分かるものでございます。おぅ何たる廻りあわせか、両者の棋力が不思議なほど伯仲しております。お二人は直ぐに夢中になられました。対局中の態度も両者共に品が宜しい。


 ここで碁打ちを品評致します。碁打ちにもいろんな流儀がありまして、宜しくないのは、碁笥(ごけ)の中に手を入れたまま、思案を廻らすたびにガチャガチャ音立てする者がございます。無意識にやっているわけですが、これをみんなが一斉にやりますとやかましい事この上ありません。高段者になるほどしなくなり、考え深くなるほど静かさを好むようになります。口三味線と申しまして、自分でしゃべくりながら打つ者がございます。しゃべることで調子を取ろうとしているのでせうが、相手の迷惑お構いなしはいけません。但し局面にピッタリの名言を吐く方もあり、これはなかなかオツなもので聞くのが楽しゅうございます。石を碁盤の線の交叉する真ん中に置かず少しズラす者がございます。トラブルの元です。優勢になれば成るほど鼻歌しながら打つ者がございます。耳障りになります。相手が苦しい局面なのに『参った参った』を連発する者がおられます。嫌味にならぬよう頼みます。自分も長考するのに相手が考え始めると柱時計に目をやりせかす者もおられます。貧乏ゆすりしながら打つ者もおられます。マッタ専門の方、打った石を剥がす方、逆に石を剥がした剥がしたと因縁つける方、何かの拍子に石を動かす方、打ちながらキョロキョロばかりする者がいます。という具合に、碁打ちにも碁打ちにはというべきか、なくて七癖いろんな癖性分があります。碁の話はこれぐらいにして又の機会に譲りませう。

 源兵衛、格之進両者とも姿勢よく、背筋を立てて手を膝に乗せ、他方の手には年季のはいった扇子があり、時にパチンとします。手どころではじっと考え、ほぼ決まりきったところでは流れで早打ち、石を正しく交線に置き歪めず、要所で腕組し沈思黙考、相手をチラリと見やる等々対局姿勢も互角、申し分ないのでございます。

 勝負は何と、最初の1局目は格之進の勝ち、黒番で盤面6目残し。(これは現代コミ碁では黒の半目負けになります) 二局目は白黒替えて源兵衛の勝ち、黒番盤面7目残し。(これは現代コミ碁では黒の半目勝ちになります)。ウソのような漫画のような、現代コミ碁で半目をめぐる打ち分けになりました。1局に1刻(2時間)、2局で2刻(4時間)の熱戦となり、周囲の手空きの者が観戦し始め、それが次第に増えて行く見世物になりました。雰囲気は決戦の3局目が所望されるところでありましたが、両者とも「今日はここまでにしておきませう。疲れましたヘトヘトですワ」と声にし、次回のお楽しみにして他日の再会を約しました。

 棋力がこうまで揃う相手は滅多といやしません。棋力に加えてウマが合うことを感じ取ったお二人は以来、お互いに見つけるや否や目配せ招きして、挨拶そこそこに打ち始めるようになりました。番数(ばんかず)を重ねましたが、勝ったり負けたりの一進一退。時に連勝すれば次に連敗を喫すという按配で、勝率5割の振り子を行きつ戻りつしておりました。お相手が見当たらぬとなると、寂しくてしょうがありません。お相手が来るまでは他の人と打ちますが、鶴首亀首で今か今かと待ち受けしております。その風情が碁会所でからかわれるほど公認の仲になっ゚て行きました。これこそ紛れもなく『負けて悔しい勝ってうれしい憎くて恋しい今日も会いたや』の碁仇(ごがたき)の仲ですナ。

 ここで両者の棋力の凡そを推理しておきます。噺の展開上はお二人が下手の横好きレベルであろうと、中級者であろうと構わないように思われますが少し気になります。察するところ、お二人の棋力はそんじょそこらに滅多にいない高段者なんですな。今風で言えば地方の県大会ベスト8レベル以上、ひょっとしてその上の県代表レベルとした方がリアリティ-を増します。この辺りの高段者になれば相手に困るようになります。それが悩みの種なんですな。手合差があった場合、将棋は駒落しで加減しますが、碁は置き石の数を増やしたり減らしたりでミリ単位まで調整できます。ですが、やはりなんといっても同じ棋力の互先と云う握り手合がおもしろうございます。そういう訳で、源兵衛、格之進の両者は碁の神様がお導きしてくれた稀なる好敵手、碁仇ということになります。そういうことにしておきませう。


 そのうち、源兵衛『どうでしょう柳田様。時には私どもの家敷においでいただき、そうすれば店仕舞いを気にせずゆっくり打てませう。その後で軽く一献というのもオツなものでございます』と誘う。格之進『拙者は流浪の身、それに構わずお誘い下さるか。かたじけない、そちら様さえ良ければ手前に異存はありませぬ』。と云う訳で、格之進が出向きますと、立派な商家の造り構え。奉公人が忙しく働いております。用件を伝え女中頭に案内されるままに進むと、一間の渡り廊下を伝って趣のある植栽、庭石、灯篭の庭前(にわさき)を通り、心地よい風鈴の音を聞きながら離れの八畳間に辿り着きました。

 向かい合わせに座布団が敷かれており、その真ん中に四寸脚の本榧(かや)の六寸碁盤が用意されておりました。碁石はと云えば、白石は日向(ひゅうが)産の蛤(はまぐり)、黒石は那智黒。囲碁の愛好家なら一度は打って見たい垂涎の名品を揃えての贅(ぜい)を尽した囲碁冥利座敷でござった。

 それからというものの、折々に万屋の離れでも打つようになり、終われば一献傾けて楽しんでおりました。格之進の娘おきぬは、出掛ける父を横目で見やるたびに、見る見る元気になっていく様子が伝わり、それを見やるのが嬉しく、『お父上、ゆるりと行ってらっしゃいませ』と笑顔で送り出しておりました。


 頃は中秋の名月の夜、『今日は十五夜、月見としゃれながら一番いきましょう』との誘いで、万屋宅に招かれました。豪勢なお弁当に酒、肴をいただきながら月見の宴を張った後、奥座敷で打ち始めました。『パチリ』、『パチリ』。風流の極みですな。

 暫くして、二人が対局しているところへ、番頭の徳兵衛がやって来ました。『だんな様、お楽しみのところ失礼致します。今朝がた御用達しの売掛金を届けに参りました。文も頂戴していますのでお目通しをお願いいたします』。ところが源兵衛は既に碁に夢中で上の空、生返事ばかり。徳兵衛はしかたなく革財布を主人の膝の上に乗せて部屋を出ました。

 格之進酔い機嫌の帰宅後、番頭の徳兵衛が革財布のお改めを願うと、あらまッ手元にありません。番頭『旦那さまのおひざに確かに置きましたヨ』。源兵衛『それは承知している』と言うばかり。使用人を集めて座敷の隅々まで隈なく探しましたが出て参りませんでした。こうして50両紛失事件勃発とあいなりました。


 徳兵衛が云う。『云いにくいことではありますが、疑わしいのは柳田様だけ。あの晩はいつもよりご酩酊の様子でした』。源兵衛答える。『徳兵衛!その先を言うんじゃありませんヨ。碁打ちにはそれぞれ打ち筋というものがあります。打てばお相手の人とナリが伝わるものです。柳田さまの碁は謹厳実直碁。あのお方に限ってそんなことをする方じゃありませんゾ』。徳兵衛言い返す。『人には魔がさすことがあります。着物だってツギアテだらけ。流浪の身であれば何か間違いがあってもおかしくないでしょう。つい、うっかりということだって、、』。源兵衛『よしんば万々が一そうあってもダ、柳田様にはよほどの仔細あってのこと。あのお金は、私が集金の帰り道どこかに落としたことにしませう。それで良い、そう処理しなさい。この話は金輪際多言無用、これでお仕舞ですヨ』。

 番頭の徳兵衛は納得がいきません。源兵衛が止めるのも聞かず、翌朝、主人への忠義立てとばかりに格之進宅を訪れ、ことの真偽を糺しました。番頭『ごめんくださいませ』。格之進『おっ、これは万屋の番頭だな。昨晩はたいへん馳走になった。どうしたのか? 何かあったのか?』。番頭『へぇ、ちょっと忘れ物がございました。忘れ物をお届けに参ったわけではございません。逆です。ひょっとしてお預けしているものがありはしないかと思いまして、ご確認に寄せていただきました』。格之進『預け物だと? どういうことだ』。番頭『お心当たりはございませんか』。格之進『何のことかさっぱり分からぬが』。

 番頭『そう来られるならば仔細をご説明申し上げます。実は昨日、主人の源兵衛様に集金の五十両を渡しました。柳田さまも居合わせでしたからご存知だと思います。主人は既に碁に夢中で生返事ばかりでした。仕方ありませんのでそのままにして、柳田様がお帰りになりましたところで、渡していましたご集金の革財布のことを申しますと、件の革財布がございません。あちこちをいくら探しても出て来ません。主人は碁を打っている間じゅうは碁盤の脇に置いておいていたと思うと申します。もしかしたら柳田様がご存じかと・・』。格之進『拙者がその金銭に手を掛けたというのか』。番頭『いえ、そこまでは申しません。お酒も入っていることですし、ひょっと手違いで、帰りしなに土産袋と一緒にされたか、懐にしまわれたりしてはおりませんかと・・』。


 格之進『たわけた事を申すな。浪人はしていても痩せても枯れてもいやしくも身共は武士、人様の金子などに手を付けることはない。何ゆえあってかような疑いをかけるか』と激昂しました。徳兵衛が言い返す。『さよう言い張るのであれば致し方ございません。何しろ五十両の大金でございます。かくなるうえは、お奉行所へ届け出て、お上のお取調べで白黒つけさせてもらいます』。

 格之進はこれには参った。と云うのも、この時まさに藤堂藩内に格之進を呼び戻せの声が起り、元の主家への復職のツテが繋がろうとしていたのでございます。ここでお上の御取調べの身になると、帰参に差し障りが出る恐れがありました。お白洲で疑いは晴れても、お白洲の厄介になったという汚名は消えません。藤堂家への復職の道が遠のくのが必定でございます。そういう事情があり、格之進『それは困る。訴えはご免蒙りたい』と頼む。徳兵衛はそう云われれば逆に怪しいと思う。

 格之進はしばし押し黙りました。然るのちに尋ねます。『番頭、ときに今日ここに参ったのは番頭の一存か? あるいは主人源兵衛殿のお指図か?』。番頭(少し口ごもりながら)『それはもう、みどもの主人も柳田様に聞いて参れ、行って返してもらっておいで、と申しております。こうして私が参ったというわけでして』。

 格之進思案六法。やがて口を開いて、『あいわかった、もはや押し問答無益。ご集金入りの革財布紛失の件、拙者には天地神明に誓って身に覚えのない事であるが、その場に居合わせたのが拙者の不運、不徳の致すところ。そちらがお白洲裁きに出るのは、今仕官待ちの身の拙者には具合が悪い。拙者がそう云えばそちらは余計に不審する。これではどうにもならん。やむをえん、何とかして五十両用立てお返ししよう。ただし今はない。よし、近日中に用立てよう。その節は当方より連絡申し上げる。それまでの間、武士の魂である大太刀(おおがち)小太刀(こだち)の二本差しを預ける。何とぞこれでよしなに頼む』。格之進深々と頭を下げました。 


 格之進はかく約束したものの、五十両の大金を貸してくれる当てがあった訳ではありませんでした。最後の頼みの綱で番町の叔母に頼ろうと致しました。かくかくしかじか、このままでは武士の面目が立ち申さぬ。近々元の藤堂藩へ帰参の見込みの筋がある故、その際にきっとお返し候云々と認めた手紙を、娘おきぬに持って行かせようとしました。

 格之進『久し振りの叔母宅だからゆっくりして来るが良い。何なら泊めてもらい、四方山話してくるも一興』。狭い長屋のこととて、既におきぬの耳には五十両紛失騒動のやり取りが入っております。用を云いつけられましたおきぬは、手紙の内容は存じないものの、手紙を届ける道中で、格之進が自害でもせぬかと案じました。そこで身を伏せて云う。『お父上、もしや御自害など考えあそばされているのでは。母なき今、たった一人の親でございます。どうかご自害だけはおやめくださいまし。お約束くださいませ』。格之進は黙って聞く。

 おきぬ『父上様、私も武士の娘。このような事で御家名を傷つける訳には参りません。無念でございます。碁会所行きをお勧めしたのは私でございます。かくなる上はその五十両、私が苦界に身を沈めて用立てませう。外聞を憚れば私との親子の縁を切ればようございませう。さぁ親子の縁を切ってくださいませ』。格之進『それはならぬ馬鹿なことを申すな』、おきぬ『他に術がありませぬでせう』、格之進『ならぬならぬ』、おきぬ『私は構いませぬ。覚悟を決めております』。格之進『なき母上が悲しむ許さぬ』。おきぬ『この数ヶ月、父上はとても楽しそうでした。職を失い、この長屋に移り住んでからも決してみせることのなかった明るい笑顔でした。碁縁による万屋様とのお付き合いを感謝しておりました。それがこういう事になるとは思いも及びませんでした』。格之進『それはわしも同じ』。おきぬ『父上、どうか事を荒立てしませぬように。真実は一つ、いずれ疑いの晴れるときが参りませう』。

 格之進暫し目をつむる。濃厚な沈黙が流れます。やがて、『かたじけない』と深く首を垂れました。断腸の思いで娘を吉原に売ることになりました。翌日、女衒(ぜげん)に連れられておきぬと一緒に半蔵松葉という店に行き八十両の金の支度ができました。


 ここで、遊郭事情についてお話させていただきます。かねがね気になっていることがありまして、遊郭で遊ぶにはいったい幾らぐらい持ち合わせせねばならなかったのでせうかネ。それも、今風で云うこ1時間ほど遊ぶ場合のセット料金は幾らだったのでせうか。入店する資格や条件があったとしてどのようなものだったのでせうか。入店すれば遊女の手練手管で延長料金になり、その場合平均で幾らかかったのでせう。寝床を共にした場合の時間と料金、情緒あるなし。一泊朝帰りの場合の時間と料金も知りたいです。それと遊女が一日に相手する客の数は平均何人だったのでせう。現代の浴室嬢の方がよほど多いのではないかという気がします。(もっとも今は景気が悪い上にコロナで客が減っているでせうが) 遊女の日当給金は幾らだったのか。その給金を、現在のクラブの夜の蝶のそれと比較してみたいです。最後に知りたいところは、当時の遊女と現代の浴室嬢のどちらが過酷労働なのでせうか。どちらが割の合わない商売をしているのでせうか。これらを知っておくことは、江戸時代がどういう時代だったのか、現代と比較するために必要な事のように思います。案外とこういうところを何も知らされていませんネ。遊郭の話もこれぐらいにして又の機会に譲りませう。もとへ。

 二日後、訪ねて来た徳兵衛に五十両を手渡しました。この当時の五十両は今の貨幣価値で幾らぐらいでせうか。時は元禄か化政文化か幕末頃か、恐らく300万円あるいはもっと値が高く500万円するのでせうか。遊郭事情に明るい人に調べてもらいとうございます。

 格之進『ただし番頭。金子が出てきたらその時はなんとする。その方の首を申し受けるが、よいか』。番頭『へいへい。もし、もしですよ、万が一私共の方に出て参りましたら、その時は私の首を差し上げます』。格之進『二言ないな』、番頭『へい異存ありません』。格之進『その時は主人源兵衛の首も貰い受けるが、それでよいか』。番頭『へい』。(オイオイ番頭が主人の首を差し出す約束を勝手にして良いのでせうか) 格之進『しかと約束したぞ』。


 徳兵衛が万屋に戻り、柳田様から五十両を回収したことを源兵衛に報告します。それを聞いた源兵衛。『なんてことを…番頭。あたしはね、そんな金子ぐらい、私と柳田様の信義の前では他愛ないこと。いらざる忠義立てだ。主思いの主倒しとはお前のことだ。もし、柳田様が手を掛けていたのなら、よほどの深い事情があっての事。その時は、この五十両差し上げたものと思えばよいのだ』。番頭『----』。

 源兵衛『ここ何ケ月もの間、柳田様と碁を打ち、酒を酌み交わし、胸襟を開いて世の中を語り、時に天下国家を論じた。何と楽しかったことか。あれほど器量のある人物は滅多と居るものでない。今は浪人の身であるが抱えられる日も来るであろう。商いで鍛えた私の目に狂いはない。柳田様のようなひとかどの者をかようなことで失う方が惜しい。それを思えば五十両なぞ大した金額ではないのだヨ。お金で人物を失いたくないのだ。このことが分からんようでは、お前はまだまだ一人前の商人(あきんど)とはいえん、商人になっておらん』。徳兵衛を叱り飛ばし、急ぎ謝罪に行かせました。ところが、既に格之進は家を引き払っていました。


 さて、年末のすす払いでとんでもないことになりました。何と、例の金子が出てきたのです。源兵衛が小用に立ったとき、無意識に革財布を持ったまま厠に行き、厠に着いたところで御不浄を憚り、直ぐ前の部屋の欄間と額との隙間に隠し置きして用足しし、そのまま奥座敷に戻っていたのでした。頭の中が碁のことで一杯でしたので、そちらに気をとられて革財布のことをすっかり失念してしまったのでした。今それが出てきて俄かに思い出したのです。源兵衛『そうそうそうだった、あァ一生の不覚なり。柳田様に申し訳が立たぬ』。番頭の徳兵衛を叱り飛ばし、すす払いなぞもうどうでも良いと、店の者を八方手分けして送り出し、柳田様の行方を捜させました。ようやく柳田様の転居先が見つかりましたが、その家も立ち退いており、それ以降の行方は杳として分かりませんでした。

 年が明けてまた明けて五年もなろうとする正月四日、徳兵衛がいつものように年始回りをし、その帰りに湯島天神の切り通しにさしかかったそのとき、シンシンと雪が降る中を、下る徳兵衛、上る蛇の目傘をさし、宗十郎頭巾を被った身なりの立派な武士と擦れ違いました。『これ、そこに居るは浅草馬道の万屋の番頭とみたが』と声をかけられる。番頭『へい。仰せの通り手前は万屋の番頭、徳兵衛でございます。して、あなた様はどちらさまで』。軽く会釈しながら見やると、『拙者の顔を見忘れたか』。番頭『あっ!あっ!あっ!柳田様で(いらっしゃいますか)』。『いかにも。何をそんなに驚いておる』。番頭『これはこれは御無沙汰をしております。…それにしてもご立派なお姿になられまして』。聞けば、柳田様は主家への帰藩が叶い、今や江戸留守居役三百石に出世しているとのことでありました。格之進『源兵衛殿は達者にしておるか?』。番頭『へ、へぇ、おかげさまで』。

 徳兵衛は、柳田様に濡れ衣を着せたまま今日を迎えていることに忸怩(じくじ)としております。身の縮む思いで受け答えしておりました。格之進『おお、雪の中での立ち話では体が冷える。どうだ時間が取れるか、湯島の境内に良い店がある。一献傾けぬか』。誘われるまま茶屋に向かいました。番頭にしてみれば、まるで閻魔様に連れて行かれるようで生きた心地がしません。気もそぞろ、針の筵(むしろ)で畏(かしこ)まりました。格之進『まずは一献』と差し出す。徳利を受ける盃を持つ手も震えが止まりません。格之進『どうした、まだ寒いのか』、番頭『い、いえ、そんなことはございません』。格之進が四方山話をする。一向に50両の話を切り出しません。

 番頭は暫くは問われるままに返答していました。格之進『こうして酒を飲んでいると源兵衛殿を思い出すな。あれほどの碁仇は居らず心残りしている』。『来たツ』と思った徳兵衛。あのとき、一本気な性格で押しかけ、持ち帰った五十両を手柄に忠義の誇りにしていたが、大過ちであったことがはっきりしています。もはやシラを切り通すことができません。遂に決心して金子発見の経緯を告白、涙ながらに粗忽を詫びました。

 番頭『実は、あのことなんですが、柳田様、五十両は、私どもの厠の前の部屋の壁掛けから出て参りました。驚いて、主人の厳命で柳田様を八方手分けして捜しました。が、聞きつけて行けば一歩遅く、今日までと相成っております。申し訳ありません』。格之進『ほう、出て来たとな、それは良かった。では拙者の疑いは晴れたというわけだナ。さようか。よくぞ伝えてくれた、その心映え殊勝なり』。番頭『申し訳ありません申し訳ありません。あのときの非礼は五十両を倍にしてでも、主人と相談しまして三倍に掛け合ってでもお返しいたします。何とお詫びして良いものやら、あぁ心苦しい、なにとぞご勘弁を』。

 格之進『勘弁するも何も徳兵衛、話は決まっておる』、番頭『ハッハッハ-』。格之進『確か、五十両が出てきたら何とすると約束してあったナ。そちも二言ないと云い切っていたナ。あの五十両は娘が身を売ってこしらえたものだ。いまさら五十両を返されても元の娘に戻るわけでもない』。番頭『誠に申し訳ありませぬ』。格之進『拙者の一存ではどうにもならぬ。おきぬと掛け合いせねばならぬ。おきぬとは以来会っておらぬ。これから出向いて、明日の昼頃に万屋に伺う』。番頭『ハッハッハ-』。格之進『そう云えば思い出した。娘と辛い別れをした時、もし金が出てきたら相手様の首を斬って武士の体面を守ってくださいと頼まれておる。番頭、今日は長湯して世を惜しめ。念入りに首の辺りを洗って待っておれ』。そう言い残して去って行きました。


 翌日、柳田様が万屋に赴く。源兵衛が飛んできて詫びる。源兵衛『これはこれは柳田様!お久しゅうございます。ご立派になられておられましてうれしゅうございます。50両の件では大変な粗相をしてしまい合わせる顔がございません、まことに申し訳ありませぬ』。額を畳にこすりつけて詫びる。格之進『おお万屋殿か。久方ぶりじゃ』。源兵衛『仔細は番頭から聞いております。まずはこちらへ』と奥座敷に通された。番頭の徳兵衛が従う。格之進『懐かしい座敷であるな』。暫く懐旧の雑談をして、続いて五十両の顛末をひと通り聞いたところで、源兵衛は徳兵衛を去らせ、去ったのを見届けて襖を締めた。

 振り返りざま、源兵衛『柳田様、このたびの不始末は皆な主人の私の誤ちでございます。疑う番頭に負け、そうまで云うのなら柳田様のもとに行って確かめて来いと申しました私が悪うございます。番頭はまだ若うございます。斬るのならこの源兵衛をお斬りくださいませ』と泣き濡れながら詫びた。


 立ち去ったと思っていた徳兵衛が引き返し飛び込むように入ってくる。『旦那様!いけません。斬られるのは私です』。源兵衛『番頭!なぜ入って来るんだ。良いから下がれ!』。番頭『いいえ、とんでもございません。もし柳田様!旦那様には責任ございません。全て私の一存でお取立てを強い、かくなる赤恥を晒している手前です。旦那様を巻き添えにする訳には参りません。お願いでございます私をお斬りくださいまし!』。源兵衛『ならぬならぬ、お前は若い。どうかこの隠居をお斬り下されませ』と互いにかばい合う。

 格之進『黙れ黙れもうよい!両名ともそこに直れ!直れ!』。ああ、万事休す。覚悟を決めて、二人は揃ってその場に座り、頭を殊勝に垂れて目を閉じました。一瞬の静寂の後、剣豪格之進の刀の鍔がチンと鳴るが早いか、名刀の来国次(らいこくじ)の長刀が抜かれました。  
 ここで「来国次」の説明をしておきますと、「来国次」は山城国(現在の京都府南部)で栄えた「来一門」の4代目当主で南北朝時代に活躍した刀工です。「来国俊」(らいくにとし)の弟子、あるいは「来国光」(らいくにみつ)の従兄弟とも伝えられています。「来国次」は、相州伝の実質的な創始者である名工「正宗」(まさむね)の十人の高弟と称された「正宗十哲(じってつ)」の一人に数えられ「鎌倉来」と呼ばれていました。作風は、それまでの来一門のものとは異なり、乱れ主張で沸(にえ)の強い相州伝を多分に強調した出来口を示していなす。本太刀においても、身幅が広く腰反りは深く付いて大鋒(きっさき)となる南北朝時代の典型的な姿に、刃文は浅い湾れ(のたれ)に金筋・砂流しを交えて沸が付くなど、相州伝の気質が窺えます(「太刀 銘 □□次(伝来国次)」)。もとへ。

 
格之進『エエイッ』と気合一閃(いっせん)、来国次が振り下ろされました。『パシーン』。ものが砕けたような音がする。首が二つ転げ落ち赤い血しぶきが辺りに飛び散る-----、と思いきや、床の間の碁盤の碁笥と碁笥の真ん中を刃が選り分けて袈裟掛け斬りし、碁盤が真二つに割れていました。格之進『そなたたちを切り捨てようと思うて切ったが、自分一人が悪いと互いを慮(おもんばか)る、そなたらの主従の真心がこの柳田の心に響いて手元が狂ったようだ。娘への面目なさに斬らんとしたが、その方らの情けに打たれ斬ることができなかった。一度振り下ろした以上、二度の剣はない。これにて一件落着としよう。名品の碁盤斬りに免じてそなたたちを許そう』。

 命びろいした二人は呆然とするやら安堵するやら感激するやら。源兵衛、徳兵衛同時に『今、お嬢様はどちらへ』と聞く。格之進『吉原の半蔵松葉に預けておる』。万屋は駕籠を呼び寄せ、急ぎ遊郭に向かい、半蔵松葉に身請けを申し出ました。

 この先は台本によって幾筋にも分かれております。ここでは、おきぬ『父上次第。私の方から申すことはございません』と万屋を許す。万屋がおきぬを身請けし、柳田様は元通りに万屋と交誼を結ぶ。それから何と、おきぬは番頭の徳兵衛と夫婦になりまして、万屋の夫婦養子となり、できた男子には柳田家の跡目を相続させたそうナ。『なる堪忍は誰でもする、ならぬ堪忍するが堪忍』。『格之進堪忍袋の碁盤割り』の一席でございます。