笠碁 |
「笠碁」(かさご)は古典落語の一つでございます。 囲碁をテーマにした人情噺で、原作は初代・露の五郎兵衛(つゆの ごろべえ、1643-1703)の「唖(おし)の釣り」です。(1691(元禄4)年刊「露がはなし」中の「この碁は手みせ金」) 明治に入ると、三代目柳家小さんが、碁好きの緻密な心理描写と、いぶし銀のような話芸の妙で十八番(おはこ)中の十八番としました。名人・円朝が、はるか後輩の小さんの芸に舌を巻き、そのうまさに、「今後自分は笠碁は演じない」と宣言したといいます。五代目小さん(永谷園の)も得意にしましたが、五代目の「笠碁」は、大師匠の三代目の直系でなく、三代目柳亭燕枝に教わったもので、従来は、待ったの旦那が家の中から碁敵を目で追うしぐさだけで表現したのを、笠をかぶって雨中をうろうろするところを描写するのが特徴でした。 |
「ウィキペディア笠碁」その他を参照する。 「(ユーチューブ)立川談志/笠碁」。「(ユーチューブ)馬生/笠碁」。「(ユーチューブ)柳家小さん/笠碁」。「(ユーチューブ)十代目金原亭馬生/笠碁」、「(ユーチューブ)柳家権太楼/笠碁」。「笑風亭酒楽/笠碁」。「kiguchi.net/笠碁」、「 |
囲碁吉版「笠碁」 | ||||||||||||
今日は『笠碁』をやらせて貰います。参考までに申しますと、囲碁落語には『碁どろ』、『柳田格之進』とこの『笠碁』が代表的な三羽ガラスですナ。それぞれ冒頭か末尾に囲碁格言がありまして、『碁どろ』は冒頭を『碁に凝ると親の死に目にも遇わない』、『笠碁』は『碁仇(碁敵、ごがたき)は憎さも憎し、懐かしし』から入っております。『柳田格之進』は末尾を『なる堪忍は誰でもする、ならぬ堪忍するが堪忍』で締めます。いろんな入り方、締め方があるんですナ。 | ||||||||||||
碁仇を読む囲碁川柳には他にも次の句がありますヨ。
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碁打ちにとって碁仇を見つけて打つのが極上の楽しみでございます。この気持ちは、碁を嗜(たしな)む者でないと分からんでせう、ピンとこないでせうナ。例えばこういうやり取りをする訳です。 『あんさん、またえらい焼きもち焼いて、深入りして来ましたナ。しからばこうオツムテンテンしておきますか』。これは、陣中深く入ってきた石に対して、入られた側が上から帽子と云われる手で応戦した時の情景です。その手を見て、入った側が『やはりそう来られましたか。ウーーム困りましたナ。少し深入りし過ぎましたかナ』と云って腕組みします。小考して『カニの横ばい泡ぶくぶく』とか云いながら二間開きに打ちます。上が抑えられたので横にはった感じの手です。それから数手進んだ後、その侵入した石の集団のサバキがムズに(難かしく)なり、一団をどう凌(しの)ぐのか、場合によっては捨てることまで含めて対応策を廻(めぐ)らす大長考に入ったとします。 そこで、相手からこう云う合いの手が入るんですナ。
互いに口しゃみせんしながら、それもかなりトゲのある言葉で皮肉りながら会話を楽しんでおります。こういう軽口を云い合える相手が碁仇なんですナ。 碁仇ともなりますと、同じ相手とばかり打つと云うのに、何度打っても飽きないんですナ。同じ相手と打つのだから同じ図柄ができても良さそうなのに不思議とできません。これはなぜなんでせうね、七不思議の一つです。 |
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それはそれとして、石には感情が篭(こも)っておりまして、石が攻められた挙句に殺された日には、こちらの命が取られたような気になりまして、そういう時には体中が煮えたぎり、言葉にも感情が入りましてナ、それが元で諍(いさか)いを起すこともあります。 碁会所なぞで、年に一度や二度、『ヤイッ表へ出ろ。テメエの言い草が気にいらねェ、もう我慢ならねェ』なんて言い合って、中には本当に盤外乱闘でボコボコにしたり、するつもりが逆にされたりすることがあるんですナ。血の気が多いのでせうが、それもエエ年のお爺さんがやるもんだから魂消(たまげ)ますわナ。 |
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碁仇の不思議はもう一つ、直(じき)に仲直(なお)りするんですナ。昨日のことは昨日の口喧嘩でございまして、今日は今日で碁仇と早く打ちたくて、首を長くして待ち受けているんですナ。碁仇が来ないと寂しくてしかたない。こうしてお互いが鶴亀の首長族(くびながぞく)になっているんですナ。碁仇が来たのを見つけるや相好を崩し、駄洒落の一言二言(ひとことふたこと)云いながら打ち始めます。 暫くしますと、負けている方が歯ぎしりし始め、勝っている方は恵比須顔(えびすがお)になります。この恵比須顔が入れ替わるのが実力伯仲の碁仇でございまして、そういう羨ましい仲なんです。口喧嘩できるほどに親しくなり、親しくなればなるほどに遠慮なく思ったことを口にするもんですから、言葉が辛辣(しんらつ)になって参ります。傍(はた)の人が聞いたらハラハラドキドキしますが仲の良い証拠なんですナ。 そういう碁仇はお互いが碁が好きなだけではなれません。上手は上手なりの下手は下手なりの、手が合ってこそ碁仇となりますんですナ。手合いの差は置碁で調整ができるのですが、やはり互先(たがいせん)と云いますが互角の好敵手が一番ハラハラドキドキするんですナ。手が合っただけではいけません、お互いの碁を打つ時間帯が合わないといけませんヨ、そういう相手を見つけるのが至難でございまして、見つかったときに極上の楽しみ碁が打てる訳でございます。 本日は、その難しい仲を取り持った碁仇が『待った』、『待たない』を廻って、碁仇には珍しい本当の喧嘩別れし、結局はめでたく復縁できるのですが、これに少々手間がかかったと云う囲碁噺(はなし)の一席をさせていただきます。 |
或る日の囲碁の手合わせの時のことでございます。話しを分かり易くする為に、招く方の亭主を綿旦那(以下、単に「旦那」)、客人の方を大工の棟梁(以下、単に「棟梁」)としておきませう。時代劇風に越後屋対備前屋、伊勢屋対美濃屋でも構いませんヨ。お二人は、幼(おさな)なじみで今はお互い楽隠居の身となり、ヘボ碁を唯一の楽しみにしている間柄です。碁の腕よりも口が立つところもお似合いの碁仇です。所は、江戸であろうが上方であろうが地方都市のどこであろうが良いですヨ。時代も、江戸であろうが明治であろうが大正昭和であろうがいつでも良いです。キーワードは碁仇です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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とまアこういう調子で『マッタなし碁』を打ち始めた訳でございます。旦那『マッタはなしですよ』とパチリ、棟梁『マッタをしてはいけませんよ』とパチリ。こうして『マッタなし碁』が始まりました。当たり前ですが、滑り出しは上々でした。問題は、今までマッタ碁をしていた者が急に『マッタなし碁』に切り替えて、どこまでマッタなしで打てるのかというところにあります。 その時の碁は最初の五十手辺りまでは待ったの影が微塵もありません。まことに順調に打ち進められました。いつもならこの辺りまでに互いにマッタが出ているところなんですが、『マッタなし碁』が続きました。 続いて百手辺りになりました。ここらあたりから碁が険(けわ)しくなります。どこかで互いの石が捩(ねじ)りあいになるんですナ。思案峠にさしかかるわけです。峠というものが道中で道が幾つか分かれておりますように、思案峠に入りますと、打つ手が何通りもあり、どの手を選ぶべきか思案六法するようになります。そのうちに頭の中がこんがらがり始めてマッタが起こりやすくなるんですナ。 シチョウアタリなんかも出て参ります。これを目で追うて、アタリなのかアタリでないのか、アタリならシチョウ外(はず)しの手を考えねばならんことになります。この判断にはちと棋力が必要でして、これを上手にこなせるのが高段者、その下が中段者、さらにその下が低段者になる訳です。 しかしエライもんで、場面場面に応じた知恵が湧くんですナ。親方が、こうしてですナ、打ちたいところに石を握ったまま、石を碁盤すれすれの上に置いて考え始めたんですナ。これは違反ではないのでせうがマナーは良くないです。 それだけ気をつけていても悪手が出るもんでございます。これを棋力と云うんですナ。そもそも初めから終りまで悪手を指さずに碁が打てるつうのは名人芸でありまして、素人ではとてもできません。素人碁では、お互いに悪手を出し合うことになります。肝心なところのやりとりで、最後に悪手を出した方が負けるんですナ。 |
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この碁では、百手過ぎに事件が起こりました。手どころを迎えた、ややこしい局面なのですが、待ったなし言い出しっぺの親方の方がポカ手を打ってしまったんですナ。ポカとは、信じられないほどのうっかりミスの手を云います。 どういう局面かと申しますと、攻められっぱなしの棟梁が、苦し紛れのノゾキの手を打ったところ(これをキカシと申します)、『ノゾキはババ(婆)でも裾隠す』と云われておりましてツグのが普通なのですが、旦那がツイダ後のことを考えて、相手がこう来ればこう打つと策を練ったあと、その手を先に打ってしまったんですな。それでどうなりましたかと云いますと、
暫くの間、こうして『マッタ』、『マッタなし』の互いの押し問答が続きました。そのうち段々雲行きが怪しくなりました。旦那の口調が哀願調から居直り調に変わりました。
ここまで云い始めたらもうあきません。堂々巡りで、お互いに後へ引けません。マッタ待たないの碁の話しが金の貸し借りの話しに飛び、続いて手伝いの時の蕎麦の話しまで出て来ました。こうなると引っ込みがつかなくなり、売り言葉に買い言葉の言い合いになります。両者とも既に冷静さを失っており、後は興奮の挙句の罵詈雑言になるのがオチなんですナ。
さてそれからです。以来、この碁仇は顔を合わさぬまま数日経ちました。日がたつほどに二人とも手持無沙汰で寂しくてしようがなくなります。
じれったくて堪らなくなった旦那が無意識に碁盤の横腹に碁石を打ち据えパチンパチンと鳴らしました。これが合図となりました。棟梁も堪らなくなり店の中へドタバタッと入って来ました。それを受けて、
てな具合で奥の部屋に通され、久しぶりに碁盤越しに向き合いました。こうして、碁仇がめでたくよりを戻し、久しぶりの手合わせとなりました次第でございます。 |