寛蓮の弥勒寺建立物語
 村松梢風の「本朝烏鷺(うろ)争飛伝古今碁譚抄」の寛蓮物語をネタとして「寛蓮の弥勒寺建立物語」を創作落語してみる。

 囲碁吉版「寛蓮の弥勒寺建立物語」
 時は平安時代の御世の醍醐天皇と囲碁師匠僧侶の寛蓮との物語でございます。題しまして『寛蓮の弥勒寺建立物語』。この話しが史実なのか作り話しなのかは分かりません。醍醐(だいご)天皇は885(元慶9)年生まれ、即位は897(寛平9)年の御方でございます。後代になってこの治世は『延喜の治』と謳われておりまして、いわば善政を敷いていたようでございます。藤原時平、菅原道真を左右大臣とし政務を任せ、後に菅原道真は失脚致しますが、この時代のことのようでございます。

 後に400年以上経て後醍醐天皇が現れますが、醍醐天皇の治世を再現する意志で自ら後醍醐と名乗られたようでございます。醍醐天皇は和歌に堪能で、905(延喜5)年に紀貫之らに命じて古今和歌集を勅撰させております。この帝が歴代天皇中の1番の囲碁好きで強うございました。当時の最強の碁師であった肥前生まれの寛蓮(かんれん)、俗名・橘良利(たちばなのよしとし)の手ほどきを受けておりました。寛蓮は、先帝・宇多天皇以来、醍醐天皇まで二代に渡って天皇の囲碁師範をしていました。帝は平素は先と2子の手合いでお打ちなされていましたが、このところ腕がめきめき上がり、2子では連戦連勝をしておりました。

 ある時、寛蓮が醍醐天皇の御前へ出ますと、帝が仰せられた。『寛蓮、今日は懸け物をして打とう。2子でもし汝が勝たば金の枕を遣わす。その代わり汝が負けたらば以後は先じゃぞよ』。『畏まりました』。これには理由があったんでせうナ。と云いますのは、帝は2子で連戦連勝しているのに、寛蓮が一向に手合いを直してくれない。これに不満を覚えられたんですナ。ひょっとして寛蓮は先の手合いに直しても負かされる、そうなると囲碁師の職を解かれる可能性があると恐れ2子のままにしているのではなかろうか。こう勝手読みしました。それとも、このところの私の連戦連勝は手加減碁、接待碁で私のご機嫌を取っているに過ぎないのだろうか。よしっ、自分の本当の力を試してみよう。それには金の枕を賭けるのが良かろう。寛蓮は純金枕を前にすれば本気で取りに来るだろう。これで真剣勝負し自分の腕を確かめたい、こう思われた訳ですナ。

 帝は2子を置いてお打ちなされた。ところが、どうしたものか、その日に限って楽々と寛蓮に勝たれてしまった。憮然としているところへ、寛蓮が申しあげた。『お約束の金の枕を頂きとうございます』。今さら約束を違えることもできない。後悔遊ばしたが仕方がありません。侍臣に命じて御秘蔵の金の枕を取り出させ寛蓮に賜った。寛蓮は重たい金の枕を懐に入れて御所を退った。

 これで終りでは何も面白くありませんナ。ここからひねりが入りますヨ。寛蓮の直ぐ後ろから『寛蓮待たれよ』と呼びながら4、5人の若い殿上人が追いかけて来ました。やにわに寛蓮を捕えて懐から金の枕を奪い取ると、そのまま御所へ引き上げてしまいました。ハハァそういう訳かと云うことになりますが、ここからもうひとひねり加わりますヨ。

 後日のこと、寛蓮が御前へ出ると、『寛蓮、今日は懸け物をして打とう。2子で汝が勝たば金の枕を遣わす』。帝は、金の枕強奪事件を知ってか知らずでかこの前と同じように仰せられました。余りにも無邪気に仰せられるので、寛蓮は何も云わず引き受けました。そして、その日も寛蓮が勝ちました。寛蓮はお約束通り金の枕を頂戴して退いた。御所を出るや否や又殿上人に奪われてしまいました。その後、帝はいつものあの無邪気さで寛蓮の顔をご覧になるたびに『懸け物をしよう』と仰せられる。寛蓮はそのつど何も云わず引き受け碁に勝って金の枕を賜る。但し、この宝物が御所を出てからものの一丁と彼の身に保っていた試しがない。

 寛蓮は当代一の囲碁の名手でありましてナ、囲碁は承知の通りの知能ゲームでありますから、その名手ともなりますと並と違う頭を働かせるんですナ。並の者なら、帝にかくかくしかじかで金の枕がいつも奪われてしまいます。お約束が違いますので、もう碁を打つのは嫌でございますと訴える。あるいは、殿上人の悪行を訴えて金の枕を取り返して欲しいと訴える。いずれにせよ、文句を云ってひと悶着起すのが関の山でせうナ。囲碁の名手の知恵がどういうものか。それがこの後のお楽しみでございます。

 何度目かの或る日のこと、寛蓮は例の通り拝領物をして御所をさがりました。殿上人に追いかけられると、金の枕を大事そうに抱えて逃げ出し、丁度渡り廊下の途中にある『后町の井』と呼ばれる井戸のところへ来たところで躓(つまず)いてしまう。あれっと転んだ時、金の枕を井戸の中へ落してしまいました。暫く覗き込みながら未練たらしく嘆息して天を仰いだ後、すたすたと立ち去って行きました。殿上人は、『寛蓮め、金の枕を取られまいとして逃げ回り、挙句の果てに井戸へ落してしまった。手数を掛けさせる奴じゃ』と云って笑い合った。その後、井戸に人を入れて取り出させてみると、出てきたのは鉛を詰めた木の枕に金紙を貼った偽物の枕でした。

 寛蓮はようやくにして手に入れた金の枕をしげしげと眺めた後、これを元手に仁和寺(にんなじ。京都市右京区)の傍に一寺を建立したそうな。それが弥勒寺であると申します。

 碁聖・寛蓮の話
 寛蓮は、平安時代の僧侶で、醍醐天皇の時代に宇多上皇の碁のお相手を務めていました。現存はしませんが、「碁式」という、囲碁の技術書を著し醍醐天皇に献上したと伝えられ、碁聖寛蓮と讃えられました。宇多上皇は、いつも寛蓮に2子置いて打っていましたが、どうも寛蓮に軽くあしらわれているような気がしてなりません。「適当に勝ったり負けたりではおもしろくない、ここはひとつ本気で打たせてやれ。」と、ある日、醍醐天皇から寛蓮に申し入れをします。「今日の碁で、お前が宇多上皇に勝てばこの純金の枕をくれてやろうではないか」。

 さて、金の枕を賭けたとたん、寛蓮の強いこと強いこと。あっという間に宇多上皇の黒石を粉砕してしまいました。金の枕を抱えて座を後にする寛蓮を見て、醍醐天皇は思いました。「寛蓮のタヌキめ。ついに尻尾を出しおった。しかし、こうあっさりと宝を持ち帰られてはおもしろくない」と傍らの殿上人にそっと耳打ちしました。重い金の枕を抱えて帰る寛蓮を、件の殿上人が5、6人の家来を連れて追いかけてきます。「寛蓮殿、お待ちください。本日寛蓮殿が下賜された金の枕、私どもにも是非眼福に与らせてくだされ。これほどのお宝、見たこともなければ触れたこともない。是非、是非」と、いやがる寛蓮を押さえ込んで枕を取り上げ、そのまま持ち帰っていってしまいました。もみくちゃにされた寛蓮、呆然としておりましたが、所詮は上様の戯れ、しかたのないこととあきらめて帰っていきました。

 そうして別の日、また醍醐天皇に招かれて寛蓮がやってきました。「寛蓮、この間はうまくやられてしまったが、ここにもう一つ金の枕がある。これを賭けてもう一番どうだ?」。もう一つも何もあったものじゃありません。この間取り返された金の枕に決まっています。寛蓮、意地になって勝負に勝ち、今度は枕を持って早足で帰ります。すると、やはり後方から5、6人。「寛蓮殿、少々お待ちを」と走りより、またよってたかって金の枕を取り上げてしまいます。

 さすがに寛蓮も、3度目はないぞと一計を案じます。果たして3度目、「もう一つ金の枕があるが、どうだ?」という誘いに乗り、3度金の枕をせしめた寛蓮。重そうに抱えての帰り道、追っ手を待ちます。「寛蓮殿、お待ちください」。来た来た、寛蓮は追っ手に振り向いて、今度は自ら金の枕を取り出して、「お前たちに奪い取られるくらいなら、こうしてくれる」と、金の枕を横にあった井戸に放り込んでしまいました。「な、なんということを、、」。慌てる従者たちを尻目に、寛蓮はさっさと寺に帰っていってしまいました。

 醍醐天皇は、いつものように金の枕が戻るのを待っていましたが、今日は戻ってきた従者たちの顔色が冴えません。「どうした?ついに取り逃がしたのか?」。「いえ、いつものとおり門をでた先の辻で追いついたのですが、、、寛蓮様は我々に枕を取らせまいと脇にあった井戸に投げ込んでしまったのです」。「なんと寛蓮にしては大人気ない。しかし、井戸の中ならは底をさらえばよいではないか」。「はい。そう思って井戸を覗いたのですが、中で枕がぷかぷかと浮かんでおりました。」。「なにを言うか。金の枕なら沈むであろう。」。「はい、私もおかしいなと思いながらすくってみたものがこれでございます。」。そう言って、木製の枕に金箔を貼り付けたものが差し出されました。しかも、水にぬれてところどころ金箔が剥がれています。「寛蓮め、やられたわい」。醍醐天皇は、大笑いで寛蓮を許し、寛蓮は金の枕を鋳つぶして、これを資金として新しく弥勒寺を建立したということです。

 囲碁吉版「寛蓮敗走物語」 
 寛蓮物語続編。ある晩のこと、一条から仁和寺に向かう夜道を歩く寛蓮を呼び止める女嬬(じょじゅ、高貴な者に仕え身の回りの世話をする女性)が現れました。『そちらを行かれるのは寛蓮様ではございませんか』。こんな夜更けに女嬬が一人で出歩くわけはありません。寛蓮が訝りながら振り向くと、『私は名は明かせませんがさる高貴な女人にお仕えしております。実は、先ほどお方様が寛蓮様をお見かけいたし、是非、碁聖と言われる寛蓮様に一番お手合わせ願いたいのでお連れせよとの仰せです』。『左様か。しかし今日はもう遅い。お住まいをお教えいただければ明日参上いたしますが』。『いえ、今すぐとのことですので私についてきてくださいませんか』。

 寛蓮は、『夜更けにこの場ですぐ碁を打ちたいなどと言う女人など、狐か狸が化かそうというのか。正体を見極めてくれん』と思い、女嬬の後をついていきました。『あちらでございます』。夜道の先には、月明かりに照らされた牛車がボーっと浮かび上がっていました。その家は前栽などおかしく植え、砂をまき、小さいが清らかに住みなしていました。家に招かれるままに上がると、奥の間に碁盤と碁石がすでに用意されていました。どこからともなく香の匂いがいたします。


 寛蓮が盤の前に座りますと、牛車の御簾の向こうに女人が居る様子です。顔も姿も見えませんが、品の良い美しい声でお声がありました。『寛蓮様、あなた様は世に並びない碁打ちとお聞きいたしております。私は死んだ父にいくらか碁を習っております。あなたがどのくらいお打ちになられるのか拝見したいと思いお立ち寄りを願いいたしました。無理を言って申し訳ありません。私も今日を逃すと、次はいつ寛蓮様にお会いできるかもわからぬ故、ついわがままを言ってしまいました』。『結構ですよ。では一番お相手いたしましょう。牛車を降りて、こちらにお座りください』。ところが、この女人は一向に外に出る気配がありません。『私は人の前に姿を見せられません。すみませぬが白黒両方を寛蓮様のお手元にお寄せください。こちらから打つところを指しますので、そこに石を置いてください』。寛蓮は、なんとわがままなことと思ったが、『ここは、ひとつ本気で打って、女人の高慢な態度を諌めてやろう』と思い、黙って従うことにしました。『では、いくつ置きますか?』と寛蓮が尋ねると、『私の先でよろしいでしょう』との答えに、寛蓮はいよいよ『一思いに潰して鼻をへし折ってくれん』と思いました。

 『では』と、御簾の隙間から二尺ばかりの細長い棒を延ばし、『最初はこちらに』と棒の先で天元を示しました。寛蓮は、言われたとおりに黒石を天元に置き、続けて白石を自分の打ちたいところに打ちおろしました。『次はこちらに』、『今度はこっち』と、次々に棒で示される点に黒石を置いて行きました。女人は意外に強く、寛蓮はどうにも自分の思惑通りにはいかない盤面に苛立ちを覚え始めました。寛蓮ほどの打ち手が手玉に取られており、女人の強さは尋常ではなかったのです。寛蓮は局面打開せんと夢中になってあちこちに戦線を広げていきましたが、いつもと勝手が違い石が思ように働きません。

 暫くすると、牛車の御簾の奥で『ククッ』と小さく笑う声が聞こえました。寛蓮は顔を上げて御簾の中の見えない相手を睨みつけたところ、『まだ、解りませぬか?』。女人はそう言いながら、次の着点を示されました。寛蓮が改めて盤面を見ると、盤上の白石はことごとく切断され、どの石も死んでいることに初めて気がつきました。『こ、これは、、』。自分ほどの打ち手をこうまで翻弄するとは。打っている相手は魔物に違いない。慌てた寛蓮は一目散に寺へと走って逃げ帰りました。どこまでが実話でどこからがフィクションか分かりませぬが、寛蓮敗走、眠れぬ夜を明かしました一席でございます。