囲碁吉版「碁打ちの上の空」
 囲碁吉版「碁打ちの上の空」。

 譬(たとえ)に『碁に凝ると親の死に目にも遇わない』という言葉があります。どういう意味かと申しますと、碁に凝ると、頭の中が碁で一杯になりまして、大事の用も仕事も後回しにしてすっぽかし、夢中になって碁を打ち続ける、そういうことがしょっちゅうになると云うことへの戒めでありまして、碁打ちなら誰しも身に覚えのあることでございます。

 碁つうものは、いいおとなをそれほど虜(とりこ)にするものなんですナ。碁を知らない人からすれば、実にケシカランということになりまして、中には『碁には何か、人を夢中にさせる麻薬のような媚薬が入っているんではなかろうか、医者に調べさせぇ』、と疑うようになる訳でございます。しかし碁盤と碁石を引っくり返しましても何にも出て来ませんありはしません。何にもないと云うことは分かりましたけれども、ケシカラン派の人はあきらめませんで、碁に嵌(はま)ってしまっておる碁打ちを碁から抜け出させる良い方法はないか、碁を知らない者をこれ幸いとして碁に嵌(はま)らせない良い方法はないかな、とまぁこう考えるようになる訳でございます。

 とは申しましても、今現に囲碁が盛んな訳でございまして、日本では囲碁人口が減り続けておりますが、世界では逆に囲碁愛好者が増えておりましてナ、囲碁退治は失敗し続けているようでございます。これが実際のところなんです。


 ところで、『碁に凝ると親の死に目にも遇わない』の本来の意味を説き分けしときませう。世間で云われているような意味とは少し違いますでナ。この言葉は正確には江戸時代の頃、本因坊家、井上家、安井家、林家の家元四家の代表棋士が、一年に一度家元の名誉を掛けて江戸城で争う、お城碁に上がった時に生まれた言葉でございます。対局の際中は親の訃報を聞いても帰れない、と云う縛りがあったところから始まっているのでございます。

 本来の意味は、『親の死に目にも遇えない』のはお城碁の専門棋士に限っての話でありまして、その他大勢の者には当て嵌まらないのですが、面白いことにこの「家に帰れない」のところがいろんなところに感染してしまいましてナ、庶民の碁打ちが囲碁に興じ過ぎて、仕事そっちのけで碁に興じ、仕舞いには「家に帰らず」のまま打ち続けとなり、その間に親危篤の報を聞いても打ち続け、帰って来た時には親が死んでいたと云う、碁を知らない者からすれば理解不能のまったくの碁キチ物語なんですナ。実際にあったかどうかは別としてありそうな話に大化けして今日の風刺格言、諺になっている次第のようでございます。


 こういう碁キチぶりは何も江戸時代が始まりと云うのではありません。碁が生まれたはるか昔のその時から生まれているようでございます。碁の別名を『爛柯』(らんか)とも申します。次のような故事が伝わっております。これがまた凄いお話でして、さすがにスケールの大きい中国故事でございます。爛柯の「柯」(か)は斧(おの)の柄(え)を意味しております。「爛」(らん)は爛熟(らんじゅく)の爛で腐るの意味です。中国の晋の時代の伝説でございますが、王質という木こりが山中に迷って洞窟の中に入ります。すると四人の仙人が碁を打っていたそうでございます。これを見始めているうち時のたつのをすっかり忘れ、気がつくと持っていた斧の柄が腐りはてておりました。これは少し見過ぎたわいと驚いて家に帰ってみれば、昔の人はみんな死んで一人もおりませんでした。日本の浦島太郎の玉手箱の煙伝説と似たところがあります。『爛柯』はこの故事より生まれた雅称、雅びなネーミングなんですナ。

 これとよく似た話しで『橘中(きっちゅう)の楽しみ』の例えもございます。これも中国の伝説でございまして、巴蜀(はしょく)の国の某(なにがし)と云う人が庭の巨大な橘(たちばな)の実を割ったところ、中で身の丈一尺ばかりの仙人がそれぞれ二人一組で泰然自若に碁を興じていたとの説話であります。橘の中は俗界と違う時間の流れる別天地で、碁をその小宇宙に遊ぶ神仙の遊戯と例えているとのことでございます。

 それほどまでに楽しませてもらえる碁ですから夢中になるんですナ。負けた方が『もう一番』、次に負けた方が『もう一丁』と互いに繰り返してしまいますと、これはもうマージャンと同じですナ。マージャンでは、負けた方が『あと半チャン』と云い、そうやってずるずると続き朝を迎えると云う『徹マン』が付き物です。『もう一番』、『もう一丁』は碁もそうでして、勝負事、賭け事に共通しているんでせうナ。


 そのうち、乳飲み子を抱えた奥方が目を吊り上げてやってきて、『こら親父ぃ。エエ加減にせんかァ仕事をせんかい』と怒鳴りながらやって来ることになる訳でございます。あるいは、碁会所じゅうを箒(ほうき)を持って追い駆け回すつう武勇伝になる訳でございます。これは、そういう現場を見たもんから聞いた話しでございまして、実話のようでございます。


 『碁は亡国の遊びなり』として国策で禁止しよう、こう考える者がいてもオカシくはありません。これが実際に問題にされたことがあるようなんですナ。歴史を紐解いて見ますと、701年と云いますから大昔の奈良時代のことでございます。中臣鎌足の二男にして光明皇后の父、聖武天皇の祖父であります右大臣・藤原不比等(ふひと、659-720)が、中国の隋や唐のような大国を真似て、大宝律令と云う法律集を編纂させた訳ですが、その中の僧尼令(そうにりょう)に次のように記されております。『スゴロクやバクチは禁止する。碁琴(ごきん)は禁止しない。僧尼が音楽と博戯をすれば百日の苦役、碁と琴に制限はない』。これによりますと、囲碁も博打と同じとして禁止しようとしていたところ、「囲碁と博打は違う。博打は禁止するが囲碁は禁止しない」と云う沙汰になったようでございます。昔から碁が格別の地位で待遇されていることが分かる興味深いことですナ。

 と云いますのも、昔から碁が頭脳を鍛える効果があることが知られていたんですナ。脳に筋肉があるのかどうか知りませんが、仮にあると例えてみれば、碁は脳筋を鍛えるんですナそう云う風に言える訳です。同じように夢中になっても博打とは違う。これを今風に分かり易く云いますと、博打が悪玉菌、碁は善玉菌と云えば分かり易いでせうナ。従いまして碁を禁止しろと云うのは碁を知らない側からのもの云いでありまして、何事も物事は両方から言い分を聞かねばなりません。碁を嗜む者は逆にこう云うんです。『碁を知らずして生きていて何の価値がある。碁を知らないまま生きるつうのは人生の半分しか生きていないようなもので、勿体なさ過ぎる。碁がなければ人生が退屈でしようがない。これを知って楽しむ人生からすれば、知らずに過ごす人生にゾッとする。碁が打てることがどんなに冥利なことか。そうではありませんか碁打ち仲間の皆さん』。これは、とある碁会での会長さんの言葉でございます。私自身が皆んなが頷く光景を見たことがあります。碁にはそれほど魅力があるんでせうナ。昔から愛好されており、これだけ長く続くからにはよほど値打ちがあると考えるべきでせう。

 そこで、仮にですヨ、タバコ吸いの呑み助の碁打ちに対して、『碁と酒とタバコのどれか一つを捨てよ、そうすれば命は助けてやる』と、匕首(あいくち)を突きつけられながら迫られたとしませうか。これが案外と困るんですナ。碁を知らないタバコ吸いなら、迷わず碁を抜き取るでせう。タバコ吸いの呑み助の碁打ちは何を抜きますかナ。(しばらく掛け合い) 恐らく碁を抜くことはありませんよ。酒も抜けませんな。結局タバコを抜くことになるでせうナ。

 ところが、タバコはまだ話しが簡単です。『碁と酒と女のどれか一つを捨てよ』と云われたとすると、これはどうなりますかナ。女のところは女性からすれば男に置き換えれば宜しいのですが、どれを抜きますかな。ここに女好きの呑み助の碁打ちの方は居られますか。(しばらく掛け合い) これは難しいですナ。碁、酒、女、どれも一筋縄ではいかない曲者、魔物、嵌まり物ばかりですなアハッハッハッ。(豪快に笑う)
 本日はここまで。お後が宜しいようで。