南部修太郎の下手の横好き-将棋いろいろ- |
更新日/2016.10.18日
青空文庫の「南部修太郎の下手の横好き-将棋いろいろ-」。(底本は「ホームライフ」昭和10年12月号、大阪毎日新聞社)(れんだいこ文法による編纂替えあり) |
1 町内の好敵手 住み馴れてやがて30年、今では僕も町内一、二の古顔になってしまったが、麻布区新龍土町と云うと、後ろに歩兵第3連隊のモダーン兵営を控えた戸数6、70の1区画だが、ローマ法王使節館、トルコ公使館、フランス大使館武官館以下西洋人の住宅が非常に多い外になかなか特色のある住人を持っている。公爵、男爵、老政客、天文学博士、実業家など、芸苑では一時的に中村時蔵や千葉早智子なども住んでいたし、シロタやトドロイッチ夫人のピアノ演奏を立ち聴きしたこともあるし、いわゆる見越の松風(ふう)の淑女も幾人か住むと云うような物静かな屋敷町でもある。 そういう町内に僕の将棋の好敵手がいる。改まって紹介すれば、新美術院会員、国画会総帥の梅原龍三郎画伯その人だが、なァにお互い負けず嫌いで相当意地っ張りでもある二人。将棋では何糞っと力み返って遠慮なしに負かしたり負かされたりする事既に5、6年にもなろうか? この夏もお互いに旅先や何かで久しく顔を合わせなかった二人、さて新秋になると、向こうは熱海で勉強して大いに強くなったと自信を持ち、僕は僕で名人決定戦の観戦記を書き棋力に相当加えたるものありと自惚れて、共に張り切っているのだから堪らない。僕先ず出陣に及んで何と4勝1敗、すっかり得意になっていると、つい二、三日前には口惜しさの腹癒さんと向こうから来戦に及んで何と3敗1勝、ものの見事に復讐されてしまった。その度ごとに明暗、悲喜こもごも至る二人の顔つきたるやお察しに任せる次第だ。 「何だか長閑(のどか)ね、平安朝みたい----」と、いつだったか僕の女房が言った。「何を?生意気言うな」と、僕早速怒鳴りはしたものの、口辺には微苦笑を抑え切れぬ始末。実は二人の対局振りを如何にも評し得ているのだ。とにかくあんまり強くもなく、かと言ってまた格別恥ずかしいほど弱い訳でもなく、棋風も先ず正々堂々として至極落ち着き払った方、正に兄足り難く弟足り難しの組み合わせだ。それが大概一局に1時間乃至1時間半、一、二度は3時間余にも及んだことがあるのだが、そう鋭くもなく敢えて奇手妙策も弄せず静かに穏やかにもみ合っている光景たるや確かに「桜かざして」の感なくもない。 「町内にどうも早お似合いの相手が見つかったもんだなァ----」と、対局しながらフト変におかしくなって、そんな感慨を漏らしたこともある。だが、無論お互いに胸中密かに「なァに己の方が-----」と思っていることは、それが将棋を嗜む者の癖で御多聞に洩れざるところ。しかし、3、4年前に半年あまり一緒に萩原淳7段の高弟となって大いに切磋琢磨したのだが、二人とも一向棋力が進歩しないところまで似ているのだから、聊か好敵手過ぎる嫌いもある。もっとも、あれでもしどちらかが断然強くでもなったとしたら、恐らく進まぬ方は憤然町内を蹴って去ったかも知れない。桑原、桑原! 2、痛まし専門棋士 名人決定戦の金、花田両8段の対局、相踵いで大崎、木見両8段の対局を観戦して、僕は専門的な棋戦の如何に苦しく辛きものであるかをつくづく思いやった。そして、その立場には寧ろ痛ましさを感じた。とにかくその初めは切実な人間生活の慰楽として遊びとして創り成された将棋に違いないと思うが、それを慰楽や遊びの域を遥かに越えて、正に骨身を削るが如くあれほど必死に真剣に争い戦わなければならないとは! そう言えば、昔争い将棋に破れて血を吐いて死んだ若い棋士があった。それは恐らく戦う者の誇りと名誉にかけて、または男の意地にかけてであったろう。が、現在では対局の陰に実際的な生活問題まで含まれて来たらしい。 閑中の余技として楽しむ僕たちの棋戦でさえ負けては楽しからず、悪手を指したり読みの不足で詰みを逸したりした時など、寝床に入っても盤面が脳裏に浮かんで来て口惜しさに眠れぬ思いのすることしばしばだが、破れたる専門棋士の胸中や果たして如何に? どんな勝負事も背後に生活問題が裏付けるとなれば一層先鋭化してくることは明らかだが、それにしても将棋がああまでも戦わなければならぬものになって来たことは正しく時代の推移の然らしむるところであろう。争い将棋に破れて血を吐いて死ぬなどは一種の悲壮美を感じさせるが、迂闊に死ぬこともできないであろう現代の専門棋士は平凡に、しかもジリリと心にかぶさってくる生活問題の重圧を一方に担いながら、寧ろより悲壮な戦いを戦っていると見られぬことはない。 3、老齢と棋力 今は引退している小菅剣之助老8段が関根金次郎名人に向かって、年をとると落手があり勝ちになる。落手があるようでは名手とは言えぬ。仮にも名人上手とうたわれた者は年をとってつまらぬ棋譜を残すべきではない―と自重を切望したと云う。これはある意味で悲壮な、しかも甚だ味わうべき詞(ことば)だ。僕は今も壮者に伍して潔く戦う関根名人の磊落性をむしろ愛敬し、一方自負しつつ出でざる坂田三吉8段に或る憐憫さえ感じている者だが、将棋だけは若い者に勝てないらしい。老齢と棋力の衰退と、これは悲しいことに如何ともし難いものだからだ。僕は出でて戦わざる如き棋士は如何なる棋力ありとも、到底尊敬できぬが、その意味では小菅翁の詞に同感し能わぬでもない。が、畢竟それもまた名人上手とか云う風な古来の形式主義が当然作り出す型に捉われた観念と見られぬこともない。従って、今度の実力主義の名人制度は、たとえ幾分えげつない感じはあっても、確かに棋界の進歩と云うべきだろう。何も勝負だ、戦いだ。堂々と遠慮なく争い勝つべく、弱き者破るる者がドシドシ蹴落とされて行くことに感傷的な憐憫なぞ注ぐべきでもあるまい。幸運悲運のけじめは勿論あるとしても、勝つ者が勝つには必ず当然の理由がある。蹴落とされて憐憫を待つ如き心がけなら、初めから如何なる勝負にも戦いにも出る資格はない訳だ。とにかく旧式の名人制打破は甚だいい。ただ問題は、棋界に功労があり、而も棋力衰えた老棋士の老後の生活に対して同時に何らかの考慮が払わるべきであることを切言したい。 |
(私論.私見)