囲碁名言、上達法、プロ篇1、古典

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).3.26日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
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 2017(平成29).12.7日  囲碁吉拝


【寛蓮の囲碁口伝】
 鎌倉時代に僧・玄尊がまとめた「囲碁口伝」(宇多、醍醐の両天皇に囲碁の師匠として近侍した法師碁聖/寛蓮の「碁式」(「碁聖式」とも云う)の一節。
 手ひとしき敵とは、常に四方を見て、慎みて誤りを見よ。
 ただ二、三目の勝負を数えて、多く勝つことを好まざれ。
 我が領域に入って来た石は、必ず取れる確信がなければ取りに行かず、小さく卑屈に生かして先手を取りなさい。
 相手の領域には深く入らず、浅くそろそろと入るのが良い。

【初代本因坊算砂の碁之狂歌11首】
 「初代本因坊算砂の碁之狂歌11首」を「碁の名手(本因坊算砂)ゆかりの寂光寺(京都)、寺宝の唐桑の碁盤、碁石、碁笥、算砂の囲碁狂歌、とは」(2010.8.6)より学び転載しておく。
1   石立ては相手により打ちかへよ。
 さて劫(こう)つもりの時の見合い。
2   作り物ありとをり入り案ずれば、心に染まぬ手をや打つらん。 
3   上手(じょうず)とてあまりの気過(けす)ぎ恐るなよ。
 
又恐れぬも悪しきなりけり。 
4   囲碁はただ下手(へた)と打つ(こ)とも大事なり。
 
少事と思う道の悪(あ)しさよ。 
5   わが芸を見かえることは打ち忘れ、人の曇(くも)りを云うぞをかしき。 
6   身の上の負けになるをば知らずして、向かふばかりを見るぞ下手なり。
7   番数を勝つほど後を締めて打て、少しも心許しはしすな。 
8   かりそめも諸道の非難無益なり。手前の義理を詮さくは良し。 
9   嗜(たしなみ)は陰にて絶えず努むれば、面白き手を見分け打つなり。
10  智案先早きは悪し。こまやかに始末目算(は良し)。
 手打ちだてすな。
11   他義法度(はっと)かたく守らば、その外(ほか)も堪忍するは道の道なり。
 「碁は己を守り彼を攻めるものであるから大局を掴むこと、これがなにより肝要でございます。事は戦いであっても、最後の目的は天下を治めるにあり、智仁勇の三徳こそ碁の本質にほかなりません。兵は機なり、権なり。権機は詐謀にあらず、道に従って変化し、勢に拠って通じるものです。攻めるようにみせて攻めず、取るようにみせて取らず」云々。
 算砂の辞世句(元和9年、享年65歳)
 碁なりせば 劫(こう)など打ちて 生くべきに
 死ぬるばかりは 手もなかりけり 
 (碁であれば、死にかかった石でも、劫に持ち込むなりして生きる道を探るのだが、命の尽きる時には良い手がないものだな)

【本因坊4世/道策の碁歌十七首】
 「本因坊道策の碁歌十七首」を「木石庵」より学び転載しておく。
 初心より知るべし。
一ッ  一手四方を見。
一ッ  さて石立てを強く打つなり。
一ッ  先の碁は両国の勢い取るぞよき。
一ッ  両先ならば打ち分けにせよ。
一ッ  四つ先は中の勢いをぞ取るが良き。
一ッ  前後次第を見合わせて打て。
一ッ  方々(ほうぼう)に大地とること悪しきなり。
一ッ  三度かへり見打つぞよろしき。
一ッ  人の石をむざと取るこそ下手なれや。八九十ほど取りて蒔(ま)くなり。
一ッ  逆かかり本がかりと云うことぞある。
一ッ  さて生勢いは中へ出(いず)べし。
一ッ  我が石の強きとてまた油断すな。
一ッ  人の石先折るを良しとす。
一ッ  必ずも人の大地に近づくな。
一ッ  石の長追い負けの下地ぞ。
一ッ  大事にも及ぶとかねて知るならば、軽き時分に捨てて打つべし。
一ッ  劫に立つところを少し利ありとて打つな。
一ッ  欠け目をつぶさずにおけ。
一ッ  後の劫よく見合はせて打ちかけよ。
一ッ  剣先を止めよ、むざと覗くな。
一ッ  目なくとも三劫なればセキになる。
一ッ  征(シチョウ)は逃げぬものと知るべし。
一ッ  能き事のありとて早く一目見て打つな。
一ッ  切るにぞ大事あるなり。
一ッ  手頼みに見届けずして石立てを軽く打つこそ、愚かなりけり。
一ッ  ハネ先の時分を油断あるまじき。
一ッ  石数多く打つやうのこと。
一ッ  目算を細やかにせよや。
一ッ  だまし手を打つは、卑しき心なりけり
一ッ  人の碁を助言すること無用なり。
 古人の申しおかれしぞかし。

【9世本因坊丈和の「囲碁訓戒」】
 天明3年10月、官賜碁所9世本因坊察元署名の碁盤の裏書き文「四言古詩」。
盤数勝* 盤数勝(しょう)えいするには
石別黒白 石は黒白に別(わ)かるとも
能成応変 能(よ)く応変を成し
守法厳* 法を守るに*厳として*(てん)たり
慎始克終 はじめにつつしめば終(つい)に克(か)つ
視明無惑 視(み)ること明らかならば惑いなし
知不如好 知るは好むに如かず
好不如楽 好むは楽しむに如かず

【13世本因坊丈和の「囲碁訓戒」】
 本因坊丈和の「囲碁訓戒」は次の通り(本因坊丈和訓戒抄)。
 それ奔棋(えきご、碁)に三法あり。石立て(布石)、分れ(中盤戦)、堅め()なり。この三つ宜しきときは、その業大功なり。三つのうち一つを得ば凡ならず。凡そ三十手、あるいは五十手、百手にして勝負を知るを修行の第一とす。
 修行に正邪二つあり。正道に志せば上達し、邪道に志せば下達す。邪道とは欲心深きを云う。欲心は、見えぬ手を見出さんとして、調子長く成って起きる手筋を云う。知らざれば、考えてもなかなか見えぬものなり。故に打つほどに下達す。正道は欲心深からざるを云う。その術、早打ちにして手筋を心掛けるにあり。早きときは欲心出る隙なし。欲心出でざれば手筋好く、次第に上達す。これ初心第一の心意なり。
 また地取り、石取り、敵地へ深入りし、石を逃げる、皆な悪し。それ地取りは隙なり。石取りは無理なり。深入りは欲心なり。石を逃げるは臆病なり。故に地と石とを取らず、深入りせば石を捨て打つべし。地を取らざるは堅固、石を取らざるは素直、深入りせざるは無欲なり。石を捨てるは尖(するど)きなり。とかく我が石を備え堅めるを第一とし、次に敵の透間を打つべし。
 かくの如くするときは手筋素直にして上達速やかなり。初心の業、正道に入り易く、上達し易からんことを示すのみ。
 (名人になってからの丈和が、ある日、ごく弱い人の碁をあまりに熱心に見ているので、その理由を聞いたところ、丈和答えて言うには)私も長年碁を打っていて古今の碁はたいてい頭に入っていますし、また強い人の碁を見ていますと、今度は相手がああ打つだろうとか、こういう妙手があるとかいうことが一見して分かりますし、またたいがいそう打ちますから、強い人の碁を見物するのは趣味がありません。ところがあなたがたの碁は、私のとても想像のつかぬ、夢にも見ることのできぬ、妙不思議のところばかりに御手がいきますので、その手を味わって妙手を考えるのが今では一番楽しみです。

【幻庵因碩「井上門入門誓約書」】

一ッ  門弟の判衆に加えられ候上は、家の奥義残らず授与せしむる間、怠慢なく出精致さるべく候。塾弟ならびに家業の面々は、猶また間断なく研究あるべく候。たとえ遠国他邦に居住候とも、師家に対し疎略に致さるまじく候、、、
一ッ  囲碁の道は心術の正道を本と為す。自己の非を知ること専一なり、、、。
一ッ  囲碁の節、行儀作法、万端相慎み申すべきこと。

【名人因碩・囲碁発陽論】
 「跋 石立の位は囲碁の陰なり。見分る手段は陽なり。陰陽協和なき時は全備なりがたし。ここによって手段の筋、囲碁に顕るる所の形を考え作すに、その数無量にして尽されず。されども一通の手筋を論じて、一千五百余件の中十が一を摘く一百八十余件を撰述せり。如斯をよく修練せば手陽発すべし。勿論、石立位陰の修行なお専要なるべし。手段は限りなけれども、これらのよく形を図してある時は畢竟見へずという事なし。手段抜群の人は形顕れずといへども、胸中に形を催して悪を去り好を用ゆ。この如き輩は希(まれ)にして尤も大功、庸人に踰ゆ。これを真に見ゆる名人と云うべし。且つこれらの形に厚薄あり。近き手筋なれども庸手の不附心所を導かむために記せり。又云う、往昔伝わりし囲碁の書に改善をして手筋を人にしらしむる類多し。考うるに作者の書きたるにはあらず。もし筋の改書をあやまらば誠に本意なかるべし。故にこの書に評を加へん人、かならずその名を記して後世に伝うべし。正徳三癸巳年八月十四日 官賜碁所 三世 井上因碩」。

 生 図の部  全30題   盤 図の部  全11題 
 勝 図の部  全32題   夾 図の部  全 8題 
 点 図の部  全14題   追落図の部  全16題 
 劫 図の部  全27題   飛門図の部  全14題 
 責合図の部  全17題   門沖図の部  全14題 
 井上幻庵因碩(いのうえげんなんいんせき)(1798年- 1859年)(寛政10年 -安政6年)は、井上家の十一世井上因碩、八段準名人。井上家は代々因碩を名乗ったため、隠居後の号である幻庵を付けて幻庵因碩と呼ぶ。相続前には橋本因徹、服部立徹、井上安節と改名。名人の技倆ありと言われながら名人とならなかった棋士として、本因坊元丈、安井知得仙知、本因坊秀和とともに囲碁四哲と称される。本因坊丈和との名人碁所を巡る暗闘(天保の内訌)でも知られる。碁盤全体を使うスケールの大きな棋風が特色。

  幻庵ー秀和の碁を調べた丈和は「因碩の技、実に名人の所作なり、只惜しむらくは、その時を得ざるにあり」と述べている。また因碩の名作とされる安井算知 (俊哲)戦(天保6年、算知先、白3目勝)に関山仙太夫は「この時因碩既に妙に達す。本局は後学の範となすに足る」と評した。自身、兵法家をもって任じていたと言われ、「孫子」、「論語」などの造詣も深く、著書でもしばしば引用している。囲碁妙伝では「勝負のみにて強弱を論ずるは愚の甚だしき也、諸君子運の芸と知りたまえ」の語を残している。
 「学碁練兵惣概」。
 余、六歳の秋より不幸にして此伎芸を覚え始めつるが素より武門に生まれたるからは文武を学びてこそと青雲の志やむときなけれど父の厳命黙止しがたく棋士の道を歩み出す。
 (余は、まだこれと云う考えもない六歳の秋(とき)より、不幸にしてこの伎芸を覚え始めた。素より武門に生まれたからには文武両道を学びてこそと青雲の志やむときなけれど、父の厳命黙止しがたく棋士の道を歩み出すことになった)
 22歳のとき、囲碁四家の一つの井上家の養子となった。当時はまだ幾分か下手ではあったが、これによりやむなく囲碁の役人の地位に定められ、数年、公禄を食むことになったが、恐れ多いことであった。そもそも慶長年間(1596-1615)に、囲碁家を官に召して公務につかせたのは、兵法の一助ともなれと云う、深い思し召しによるものであった。しかるに囲碁家は次第に、その基の趣意を忘れて、博エキ(博打、ばくち)に均しい勝負の世界に流れて行ったのは、悪い習わしである。いかに卑芸といっても、それをよく用いれば、乱世に於いては兵法、治世においては経済(国を治め民を救う道)ともなるものを、弓馬詩歌等の実芸とは違って、終日打ちふければ、日常の急務も忘れ、ついには飲食の奢侈に流されて行くことになったことになりがちである。碁打ちの輩に自らを省みることもなく、贅沢三昧を極めて酒、肴の美悪を云うことを席上の常談と心得るとは、人道をわきまえた行いとは思われない。余は、早くからこの悪しき風習を一掃しようと思いながらも、その昔著した『ばく図』、『ばく詮』や服部因淑(因碩の師であり養父)の『置碁自在』、服部雄節の『石配自在』の著述に関わり、自分のつたない教法を述べてきたが、まだその教説に及ばず、多くの罪をつくり後悔ばかりしてきた。
 今、今生(こんじょう)の名残(なごり)に本書を書き著しておこうと思う。記述は、経済(平時の処し方)、兵法(乱戦の処し方)の二方策によった。なお、初学の人にも煩わしくないようにと心掛けて、八子より二子局までは、すぐに理解できるように兵書を引用し、頭書(あたまがき、補注)で評録した。高段の士にもご笑覧いただければ、そのご明察によって経済、兵法の近道を得られることもあるだろう。
 囲碁の高段者は、序盤からいささかの損益をも詳しく検討し、中盤から終盤にかけては、一目、半目と細かく争うが、形勢によっては数目あるいは十目といった石を潔く捨てることもある。初心者は、これに反して、序盤から三、四目の石をも惜しみ、終盤では一目、半目の石をないがしろにするので、七、八割方必勝と思っていても、思いの外の負けとなることもある。経済の理(ことわり)も同じようなものだ。年間十分の家禄のある人でも、一時に十金十五金を施すのを惜しんで、ふだんの飲食におごり、自分の欲望のために浪費していることを知らない。甚だしいのは、芸者や太鼓持ち(幇間)を集め、三弦よ拳よと遊興に耽って産を傾け、没落していった者もいるほどである。一方、名将と云われる人は、わずか五十石、百石と云う禄を与えるにも三郡五郡に封ずるときは惜しまないと云う。
 甲越の戦い(甲州武田軍と越後上杉軍による川中島の戦い)は牛角なりと云う説があるが、自他多少を知らない愚論と云うべきである。甲州武田軍は二万三千の兵力を持っての自国での戦いであり、一方、越後上杉軍は八千の兵力で敵国での戦いである。そして甲州方は武田信繁(信玄の弟)はじめ沢山の戦死者を出したが、越後方は、名将一人として傷ついた者がいない。これを囲碁に於いて論ずるならば、甲州方は四子置いて十目以上負けたと云うことである。湯浅氏が、武田信玄は上杉謙信を恐れること虎の如しと云ったが、もっともなことである。
 ある人が、囲碁ほど知謀に差があっては成りたたないものはないと言ったが、これもまた甚だしい愚論である。湯武(とうぶ、殷の湯王と周の武王)とけっチュウ(夏のケッ王と殷のちゅう王。いずれも悪玉の代表で、けつは湯に、ちゅうは武に討たれた)を合わせ、義経(源氏)に宗盛(平氏)を合わせて五十目置いても、余はあえて戦うであろう。
 敵の石数と自軍の手数を詳しく算出して、大差で自軍が不利ならば、惜しまず石を捨てるのが良い。
 また敵三手に我が方が二手なら、いずれにしても一手だけ悪いと考えるべきである。初心者は、手数は何とか良くなるであろうと云う気持ちで無理をするから大敗を喫するのである。
 黒番なら、自分から戦いを仕掛けない方が良い。
 毎局、自分の手ばかり考えていては、思いのほか大敗することがあるので、敵の心を考えなければいけない。孫子のいわゆる「彼を知り己を知らば、百戦して危うからず」と云うのは、実に千古の確論と云うべきである。
 毎局、打つごとに三手を読んで、さればと石を置く前に詩の一篇も沈吟して、見落としはないかと考えてから手を碁器に入れなさい。
 自分の目に大きく見えるは小さく、小さく見えるところは大きいものだと、逆に考えてみるべきである。
 だいたい、形の悪い手に善い手はないと心得るべきである。
 あまりよくないけれど打ってみようかと云うような手は絶対に打ってはならない。
 中盤から終盤にかけては後手十目の手より、先手一目の方を優先すること。
 自分の地ばかり囲うのは、領内の兵糧を運送するに均しいので、幾らかでも敵地を破って領地を増やすのにしくはない。孫子のいわゆる「敵の一鐘を食むは、吾が二鐘に当たる」(鐘は中国の枡の名。国家が戦争で窮乏するのは、遠征して遠くまで食料を運ばなければならないからで、敵の食料を奪って食うのは、自国の兵糧を運んで食べる二十倍の値打ちがある)と同じことである。
 「碁は運の芸なり」幻庵因碩の言葉。

【準名人11世/林元美「碁経衆妙」】
 
 「碁路三百六十のみ。しかして古今同じ局なし。その奥妙測られざるは如何となす。垂れ髪(小児の意)聡恵にして、これに従事する者、また衆(おお)し。しかして能く国手の品にのぼる者、古来数人に過ぎず。それ少数なるをもってこれを蔑(ないがしろ)にすべけんや。碁を学ぶに要道あり。上(かみ) 石師を得、下(しも) 良友を得、志を致し心を専らにし、師説を服膺して墜(おと)さず、好んで友朋と討論し、坐隠の際、言笑せず、てい視(横目に見る)せず、勝ちを好んで敗を恥じず、ただ碁これを思う。しかして工巧ならざる者は、未だこれあらざるなり。予(われ)、世の碁を好む者を観るに、ただ勝敗をもって務めとなし、未だ創りその妙を味わわず。ここをもって功碁房に十倍して、豪も心に得ることなし。碁房の碁に於ける、日に一再局(一、二局の意)に過ぎることを得ず、その心を用いるや深し。故に能く進むことあり。予が人を教える、布置疎密の定勢をもってす。これを過ぎて後は、手尽して口授し易からざるものあり。即ちその人に存す、おしむところあらざるなり。しかれども予、先に意をもって四隅中央必出の勢を図し、もって初学の士に授け、生死入出の変を考え知らしむ。大いに助けあるを覚ゆ。よってますます誘進(いざないて進めるの意)の方を広めんと欲す。即ち云う『初学、局に臨む。常に沈思すること能わず。草々にして子(碁石)を落すと患う。それをして明らかに某のところに生き形あるを知らしめば、自ら敢えて*然(かろがろしの意)として手を下さず、もって下学して上達すべし』と。ここをもって古来の国手、及び今人の手段、玄妙喜ぶべきものをとってこれを録し、益すに予が従前値(あ)うところのものをもってす。生の図如干(若干に同じ意)、死の図如干、その他劫征の属(たぐい)の図如干、無尽(全て)五百又二十、集めてもつて巻を成す。題して碁経衆妙と云う。それ、人必ず疑いてしかして後に思う、思いてしかして後に悟る。故に今まずこれが図を著わし、解を後に附す。人をして図について思索尋究せしむ。必ずや茫然として通ぜず、しかして後にまさに初めてその解を閲し、思いを役し慮(おもんばかり)を衡(はか)って、機知自ら出す。これ、予が意の寓するところなり。予まさにこの書を選ばんとす広く諸々の譜の生死の勢を閲す。あるいは俄かに通ずること能わず、刃を迎えて解くに及んでは四顧躊躇せざるなし。人、誰か我が如くならざらん。啓発必ず多し。花のあした 月の夕べ 寂寞無聊。試みに机によって読まば、真にもって百慮を蕩滌(とうでき、洗い清める意)して、心を幽玄に遊ばしむべし。観るものそれこれを知らん。文化辛未の孟春下*、爛柯堂主人船橋元美書す」。

【「秀哉囲碁訓」】(すばる ◆03年02月25日、「秀哉師による木谷呉戦の解説→順序化」参照
戦略 1/1 着意を継承せよ。せねば打った石が悪手化する。有無。戦略、作戦、シナリオ、意図の明確な着意を持って着手するのが良い。○、敵の対応が異なる場合、その対応策も用意できているか。○、我が方は、作戦の一貫性を極力保全せよ。
1/2 敵の作戦の裏を行くのは、対局の気合上、必要なことである。○、敵に対しては作戦の一貫性を崩そうとせよ。
着手 2/1 敵にひびかぬ手は、ちょっと見ると形のようであっても、結局それは却って重い手となる。○、先手の維持、利きの留保。局地戦の切り上げのタイミングを考える。○、遊び手、不効率な手、敵が手抜きする手を避ける。
2/2 現在打つ必要のない手は、できるだけ保留しておく方がよい。
2/3 敵が低いところへ着眼してきたときは、自分が大所に着手して行く好機会である。
布石 3/1 石の配置が一方に偏することは即ち大勢に後れることである。敵の配石を一方的に偏らせれば即ち布石の作戦が成功したものである。
3/2 自分の模様はできるだけ広く構えておく方が効果的である。
3/3 敵の打ちたいところは、自分から打っていく急所にもあたる。
3/4 敵にその考え通りの構図を得させるのは、布石の作戦上からいって面白くない。
3/5 白黒の形勢が匹敵している場合、互いに一歩も譲れぬところから大きな変化が生じることがある。
弱点欠点 4/1 敵に地域を取られることを恐れるよりも、自分の形の崩れるのを恐れよ。敵の作戦の裏を掻くのも面白いが、形の正しさにより自分の石を整形して行くことが最も大切である。
4/2 自分の石の眼形を整え何の不安もなくしておくことは、即ちそれだけその周囲の敵石を弱くさせていることである。
4/3 敵陣への打込みを急ぐよりも、まず自分の方を強化してから敵陣の隙を狙う方が効果の多いものである。○、戦いの火の手は双方の弱点から始まる。○、形の崩れは蟻の一穴となって自軍の全体に波及していく。
先制攻撃 5/1 先ず攻める位置に立つ。これが勝勢を定める第一歩である。
5/2 守るよりも先ず攻める。これが棋勢を定めて行くことであり、着手の効果をより多く発揮する所以である。
5/3 敵の孤立せる石を先ず攻める。これが大きな効果を得ると同時に棋勢を定めて行くものである。
5/4 敵の弱い石を攻める。これが自分の地域の守りや、自分の欠点の守りを同時に打つような効果がある。
攻めの継続 6/1 自分の攻める敵石は、軽く捌かせないようにしなければならぬ。
6/2 敵に変化の余地を与えることは面白くない。
6/3 自分の陣地へ敵が手をつけてきた場合は、なるべく敵に手段の調子を与えぬが善い。
戦闘回避 7/1 敵の堅いところで正面衝突することは避けねばならない。
7/2 周囲の敵の石が強固なときは、自分の石も疵のない姿勢を作らねばならない。
7/3 敵が好機に侵略してくる場合は、その応酬はむつかしいものであるが、まず自分の弱石の形を整えて辛抱すべきである。
7/4 凌がなければならぬ石は一方だけ、の棋勢に導く方が凌ぎが容易になる意味がある。
7/5 孤立している石も、その周囲の味方の石が安定してしまうと捌き易くなる。
積極防衛 8/1 他に大所があっても、敵から先手で利かされるところは、自分から先鞭して、敵の形の安定を妨げて行くのは機敏な作戦である。
8/2 自分の石が攻められるに先んじ、その石に関連ある敵の石を攻めて、敵の受け方を見ることは有効である。
8/3 一着の犠牲によって自分の態勢を整えることができれば、即ち大きな利益を得たわけである。
8/4 利かした石は捨てよ。様子見、もたれ、捨石、凝り形。
白兵戦 9/1 強く戦っている場合に、一たび弛むと取り返しがつかない。
9/2 急所への置き石。これは、後にいろいろと碁の形が変化しても、その価値はなくならない。
9/3 駄目詰まりの形を狙え。敵の石が駄目詰まりの形になっているときこそ、最も狙い易いときである。自分の形は疵のないようにすると同時に相手の手の駄目詰まりを狙う。これが接戦の際の働きある打ち方である。○、駄目詰まりに泣かないように。
9/4 接戦の際には手を読みきって打たねばならぬ。
9/5 戦線離脱の手を打つことなかれ。
9/6 死活を読み切り、不要の手は打たない。一手後れる。
10 侵分とコウ 10/1 敵地に侵略して行く場合。敵の弱点を窺いつつ行けば、敵に及ぼすその脅威は大きい。
10/2 攻めの伴う侵分は大きい。
10/3 劫の場合、勝っても利益の少ない劫は避けねばならぬ。
10/4 劫立てするには、打って損のない劫立てから行かねばならぬ。
11 形勢判断 11/1 すでに自分の方が形勢有利な局面に於いては、なるべく紛糾を避けて確かな手段を選ぶが善い。
12 投了 12/1 相手の単純ミスでしか逆転できない場合、投了すべきこと

【歴代囲碁&将棋名人の名言集】
桑原秀策  「(勝負の結果を問われて)先番でした」。
本因坊秀栄  「囲碁は遅いも早いも力である。下手がいくら長く考えたとて、妙手の出るはずはない」。
本因坊秀甫  「いったい何を考えているんだ。天下の秀甫のノゾキだぞ!」。

【秋山杣朴「囲碁趣旨(心得)の事」】
 「道策全集刊行記念扇子」の栞(刊行:日本棋院)その他参照。
一ッ  目算するべからず
 目算してはいけない。勝ちと思えばたるむものだし、負けと思えば無理が出るものである。ただ手段の善悪だけを考えて打つべきで、勝ちはその中にある。
一ッ  騙し手で勝つべからず
 仮にも相手を騙すような心を持ってはならない。
一ッ  心を引き締めて打つべし
 勝ち数が多くなるほど、心をしめて打つべきである。
一ッ  長考を叱るべからず
 相手が長いからといって、早く打てというのは理のないことである。
一ッ  恐れるべからず恐れざるべからず
 相手が強いからといって、恐れてはいけない。また恐れないのもよいことではない。
一ッ  侮るべからず、ぬるい手を打つべからず
 相手が弱いからといっても、あなどってはならない。またぬるい打ち方をするのもよいことではない。
一ッ  憎まれ口を相手せず勝負に徹するべし
 先方がにくまれ口を叩くなら、それには答えず、勝負に勝つべきである。
一ッ  右の思案は左に手あり、左の思案は右に手あり、中の思案は左右に手あり
 先方が右を思案する時は、左に手ありと知りなさい。左を思案する時は、右に手ありということである。中を考える時は左右に手のあることに注意しなさい。
一ッ  用を足し終えてから打つことに専念すべし
 たまたま上手と打つことがある時は、碁を打ち終えてから用を足そうと思うと、必ず負けるものと心得なさい。用を足し終えてから打つことに専念することとしたものである。
一ッ  弱い人には手直しすべし
 弱い人にはとくに手直ししてあげなさい。
一ッ  石の細分化は形勢悪し、石が三つに大きく別れている時は形勢良しと知るべし
 総じて形勢の良し悪し(上下)を判断するには、石が切れて細分している時はよくないと知りなさい。石が三つに大きく別れている時は、形勢が良いと言われている。(意訳)
一ッ  劫を仕掛けられた時は逃げてはならない。大勝しておればおしまいにしてもよい
 上手のほうから劫を仕掛ける時は、逃げてはいけない。勝ちに乗って、脅して打つものである。それもよくよくの大勝であれば、もうおしまいにしてしまってよい。
一ッ  早勝ちしようとすると負けに繋がる。息長く打つべしである
 勝負をする時に、早く打ち終えようと思うのは負けである。いかにもぶらぶらとゆっくり打つのがよい。しかし、それもあまり長すぎてはぬるい打ち方になる。

【囲碁上達法】
 「小幡照雄の正法眼蔵第三十七、春秋ノート」を参照し、囲碁に関する下りを転載しておく。
 「慶元府(きんげんふ)天童山(てんどうざん)宏智(わんし)禅師、丹霞(たんか)和尚に嗣す。諱(いみな)は正覚(しようがく)和尚。曰く、『若論此事、如両家相似。汝不応我著、我即瞞汝去。若恁麼体得、始会洞山意。天童不免下箇柱脚。裏頭看勿寒暑、直下滄溟瀝得乾、我道巨鼇能俯拾。笑君沙際弄釣竿』。

 (もしこの事を論ぜば、両家の著碁(じやご)するが如くに相似なり。汝、我が著(ちやく)に応ぜずば、我、即ち汝を瞞じ去らん。もし恁麼(いんも)に体得せば、始めて洞山(とうざん)の意を会(うい)すべし。天童箇の柱脚(ちゆうきやく)を下すことを免れず。裏頭を看(み)るに寒暑なし。直下に滄溟瀝(そうろうした)み得て乾きぬ。我が道は巨鼇(きよごう)能く俯して拾ふ。笑ふべし、君が沙際(しやさい)に釣竿(ちようかん)を弄することを)

 しばらく著碁(じやご)はなきにあらず。作麼生是両家。もし両家著碁といはば、八目なるべし。もし八目ならん、著碁にあらず、いかん。いふべくは、かくのごとくいふべし。著碁一家(じやごいつか)、敵手相逢(てきしゆそうふ)なり。しかありといふとも、いま宏智道の你不応我著《你、我が著に応ぜず》、こころをおきて功夫すべし。身をめぐらして参究すべし。你不応我著といふは、なんぢ、われなるべからずといふなり。我即瞞汝去(我即ち汝を瞞し去らん)なり。すごすことなかれ。泥裏有泥(でいりゆうでい)なり。踏者(とうしや)あしをあらひ、また纓(えい)をあらふ。珠裏有珠(しゆりゆうしゆ)なり、光明するに、かれをてらし、自をてらすなり」。




(私論.私見)