日本囲碁史考18、芝野虎丸初優勝以降

 更新日/2019(平成31、5.1栄和改元).12.23日

 (囲碁吉のショートメッセージ)
 ここで、「日本囲碁史考18、芝野虎丸初優勝以降の囲碁史」を確認しておく。

 2005.4.28日 囲碁吉拝


【日本囲碁史考18、芝野虎丸初優勝以降の囲碁史】

2018(平成30)年

【日中竜星戦/芝野虎丸七段が柯潔(かけつ)九段を破って優勝】
 4.29日、第4回囲碁日中竜星戦(囲碁・将棋チャンネルなど主催)が中国・北京の中国棋院で行われ、芝野虎丸七段(18)が中国の柯潔九段(20)に182手で白番中押し勝ちした。日本勢初勝利。同棋戦は、日本と中国で行われる「竜星戦」の優勝者同士が対決する早碁棋戦。芝野は昨年7月、プロ入りから最短記録となる2年11カ月で全棋士参加の竜星戦で優勝、七段に昇段した。
 8.14日、「中国最強囲碁棋士に勝った18歳の「怪物」芝野虎丸七段に聞く」。
 将棋界では藤井聡太七段が世間をにぎわせているが、囲碁界にもとんでもない「怪物」がいる。それが18歳の新鋭、芝野虎丸七段だ。昨年行われた第26期竜星戦で優勝し、全棋士が参加する棋戦でのタイトル獲得の最短記録保持者となった芝野七段は、4月29日に行われた日中竜星戦でも、中国ナンバーワン棋士の柯潔(かけつ) 九段を破って優勝するという偉業を達成した。そんな彼の素顔や、日本人棋士が世界戦で勝てない理由、打倒・井山裕太六冠への意気込みなどを語ってもらった。(清談社 布施翔悟)

 きっかけは「ヒカルの碁」 小学5年生でプロ養成機関に

  相手が誰でも普段通り打てる――自身の強みをそう分析する芝野虎丸七段。目の前の盤面にだけ集中できるメンタルは、日本人棋士の中では異色である

―囲碁ファンの間では、芝野七段は対局中に石音がとても静かなこと、それからポーカーフェースで有名ですね。

 大きい音を立てると迷惑になってしまうかなと思って、自然に静かになりました。世界的にも音を立てないのがマナーらしいです。ただ、依田先生(依田紀基九段。石音が大きいことで有名)が石音を立てなかったら、逆にどうなの?とは思います(笑)。

―では、そもそも囲碁を始めたきっかけから教えてください。

 5、6歳ぐらいのとき に、父親が『ヒカルの碁』のTVゲームを買ってきて、家族で覚えたのがきっかけです。最初の方は誰かに教わっていたわけではなく、ただ楽しく打っていただけで、ヒカルの碁のゲームをしばらくやっていた記憶があります。あとはネット碁を打ったり、兄(芝野龍之介初段・現プロ棋士)と2人で打ったりですね。兄とは今も仲が良くて、移動中にしょっちゅうTwitterでつぶやいているので、それをのぞきこんで「何つぶやいてるの」ってツッコミを入れたり(笑)。共著で『アルファ碁Zeroの衝撃』(マイナビ出版)という本も出しました。

―本格的に囲碁を始めたのはいつぐらいでしょう?

 小学校3年生の秋頃に「洪道場」という囲碁道場に通い始めました。その後、小学5年生で院生(プロ養成機関)に入りました。それ以後は、基本的には起きてから寝るまで囲碁の勉強だけの日々です。9時に起きて22時ぐらいに寝るので、食事などを抜かせば10時間ぐらい 。一番時間をかけるのは、インターネットでの対局と、打ち終わった碁の研究です。たまにダラダラする時間もありますが(笑)。

 強みは「メンタルのブレなさ」 目の前の盤面だけに集中する

―芝野七段は中国ナンバーワン棋士の柯潔九段を破るなど、大活躍されています。ご自身の強みはどこにあるとお考えですか?

 プロになった頃は序盤が苦手で、中盤以降の読みが人と比べて得意なのかなと思っていたのですが、最近では囲碁の内容というよりも、メンタル面が強みだと考えるようになりました。感情に左右されないところと、相手が誰でも普段通り打てるというところです。柯潔九段と対局した時も、あまり緊張しなかったです。日本でも負けが込んでいる時期だったので、負けてもともとだ、と思って気楽に打ちました。

―それは驚きです。日本人棋士は逆転負けも多く、メンタル面が弱いという印象がありますが、芝野七段は対局中も対局後も、感情の起伏が少ないのでしょうか。

 そうですね…普段から、重要な対局で勝っても大きく感情が高ぶることはないですし。対局中も、目の前の盤面だけに集中しています。感情の揺れ動きが少ないのが、他の日本人棋士とは違う点なのかな、と思います。

―芝野七段を除けば、世界戦では井山裕太六冠が、ただ1人で気を吐いている状況で、日本は中韓にかなり後れを取っています。芝野七段は柯潔九段の他にも、韓国ナンバーワン棋士の朴廷桓(パク・ジョンファン)九段とも対局されていますが、世界との差はどこにあると思いますか。

 勝負どころでしっかりと勝負を決めきる力です。はっきりしたミスがほとんどないうえに、こっちが少しでもミスをすると、一気にやられてしまう。そういう決めどころでしっかり決めてくるという部分を一番感じました。経験の部分でも差を感じます。ただ、日本のトップ棋士の実力と、中韓のトップ棋士の差はわずかだと思います。

―具体的に言うと、経験の差はどういった部分にあるのでしょうか?

 中韓の棋士は、世界戦を数多くこなしていますし、中国の棋士は負けたら罰金、というような対局を幼少期からこなしています。なので、形勢が悪くなっても粘り強く頑張ってくる底力があるうえに、ほんのわずかでも可能性があったら諦めない。日本では、負けだと思ったら投げ場を作って投了するという風潮があるので、そういった勝利への執念にも差を感じます。


【2018(平成30).5月、棋院理事選】
 2018(平成30).5月、棋院理事選。依田九段の妻である常務理事(当時)の原幸子四段(49)が再選を果たした。立候補後に他の候補者を中傷する内容のメールを、有権者である約30人の棋士に送信していた疑惑が浮上。

【2018世界オセロ選手権/日本の小学5年生・福地啓介選手(11)が優勝】
 2018.10.12日、2018世界オセロ選手権がチェコの首都・プラハで行われ、30の国と地域から90名が参加。過去42大会で日本人が31回優勝している。王座をかけた決勝戦で、日本の小学5年生・福地啓介選手(11)が2016年の世界チャンピオンであるタイのピヤナット・アンチュリー選手と対戦し、1勝1引き分けで臨んだ第3局を制し優勝した。白石の福地選手は、終盤戦で黒い石の相手、28歳のピヤナット選手に大きくリードを許してしまう。ところが、最後の最後に相手の黒を5つもひっくり返し、逆転勝利。2勝目を挙げ、見事、初優勝を飾った。11歳での世界選手権優勝は史上最年少で最年少優勝記録を4年縮めた。この記録が更新されたのは実に36年ぶり。優勝インタビューで、福地選手は「今はうれしいということだけです。(今のうれしい気持ちを誰に伝えたい?)世界中の人に伝えたいです」と、ここでもクールだった。

 福地選手がオセロと出会ったのは、小学校に入る前で、母親が画用紙で作ったオセロゲームを教えたのがきっかけだったという。すると、小学1年生の時に出場した小学生の大会で初優勝。2018年も、小学生の大会を制し、初の世界選手権出場を果たした。

 福地選手の強さについて、実際に対戦したことのある坂口和大九段は、「(対戦して)すごかった。いつかはタイトルをとったり、いろんな大会で優勝すると思っていた。相手の心理を読む力がたけている。ここが1番いいと見える手が、実は負けにつながる敗着になっている、という場面に彼が誘導したように見えた」と話した。


【将棋の藤井七段(16歳)が最年少新人王】
 2018.10.17日、将棋の第49期新人王戦決勝三番勝負(しんぶん赤旗主催)第2局が大阪市の関西将棋会館で指され、現役最年少の高校生棋士、藤井聡太七段(16)が棋士養成機関・奨励会の出口若武(わかむ)三段(23)と対戦した。第2局は藤井の先手番で、序盤で互いの角を交換する「角換わり」と呼ばれる戦いになった。定跡のような手順が続き、出口が早指しで挑んだが、藤井が的確な指し回しで優位を築き、終盤は厳しい攻めで押し切り105手で勝ち2連勝で優勝した。藤井7段の公式棋戦の優勝は、中学生だった今年2月の朝日杯将棋オープン戦に続き2回目。16歳2カ月の優勝記録は、森内俊之九段(48、当時4段)が1987年に17歳0カ月で果たした新人王戦の最年少優勝記録を31年ぶりに更新した。

 新人王戦は主に若手棋士を対象にした棋戦で、参加するには「26歳以下」かつ「六段以下」といった条件がある。「参戦時に六段以下」の若手棋士やプロ棋士を目指す奨励会三段リーグ戦の成績上位者らで争う若手の登竜門となっている。羽生善治竜王、佐藤天彦名人、渡辺明棋王らが歴代優勝者に名を連ねる。組み合わせ決定時に「四段」だった藤井七段は、今年に入って「七段」にまで昇段したため、今期が新人王になるラストチャンスだった。これをものにしたことになる。藤井は初参加の前期は準々決勝で敗退。今期は初戦から6連勝で見事に優勝を遂げた。藤井にとっては3局以上の対局で優勝やタイトルを争う「番勝負」も初経験。藤井七段は「最後のチャンスだったので、優勝という形で(新人王戦を)卒業できたのはとてもうれしく思います。これを機にさらなる活躍ができるよう頑張っていきたい」と喜びを語った。 一方、4期連続出場で初の決勝の舞台を踏んだ出口三段は「自分の力が足りない部分がはっきり現れたので、うまく次につなげていければ」と語った。

 10月、第67期王座戦五番勝負「井山裕太―柴野虎丸」。3-1で柴野が優勝した。


【将棋の藤井七段(16歳)、最年少新人王に】
 11.8日、囲碁の山下敬吾九段(40)が、第43期棋聖戦挑戦者決定戦で河野臨九段(37)に勝ち、3期ぶりに挑戦権を獲得し、プロ入り後最速の25年7カ月で公式戦通算千勝(470敗1持碁1無勝負)を達成した。千勝は史上24人目。日本棋院の中では、最速、最年少、最高勝率で千勝に達した。25年7カ月での到達は最速。40歳2カ月、勝率6割8分での到達で共に歴代2位。日本棋院によるとこれまでの最速は、関西棋院所属の結城聡九段(46)が記録した27年1カ月。最年少、最高勝率は結城九段の39歳2カ月、勝率7割2分9厘。山下九段は北海道旭川市出身、日本棋院所属。棋聖5期などの実績がある。

【将棋の藤井七段(16歳)が最年少の公式戦通算100勝達成】
 12.12日、将棋の史上最年少棋士・藤井聡太七段(16)が、東京都渋谷区の将棋会館で行われた第27期銀河戦(主催・囲碁将棋チャンネル)本戦トーナメントEブロック6回戦で阿部健治郎七段(29)に勝ち、公式戦通算100勝(18敗)を達成した。

 日本将棋連盟によると、16歳4か月23日での達成は史上最年少、デビュー後2年2か月11日は史上最速。それぞれ、羽生善治竜王(48)が1988年に達成した際の17歳6か月20日、デビュー後2年3か月29日の過去最高記録を塗り替えた。勝率・847は中原誠十六世名人(71)が68年に記録した勝率・827(100勝21敗)を超えた。

 会見に臨んだ藤井七段は次のようにコメントした。
 「一局一局の積み重ねで100勝というひとつの節目に達したことを感慨深く思っています」。
 「最年少での達成ということで偉大な先輩方をひとつ超えられたので喜ばしく思っていますけど、まだタイトルなどの結果を残せていないので、まだまだ努力が必要だと思います。最終的にどれだけ強くなって、どれだけ実績を残すことができるかが重要ではないかなあと思っているので、これからも緩むことなくやっていけたらと思います」。
 100勝の中で印象に残る1勝については、今年5月に七段昇段を決めた竜王戦5組決勝の船江恒平六段(31)戦を挙げた。「序盤から経験のない形でしたけど、自分なりにしっかり考えることが出来ました」。
 前人未到のタイトル通算100期達成目前の羽生竜王について、「羽生竜王は将棋を始めるずっと前から将棋界の第一線で戦われている方。憧れの対象でもありましたし、プロになってからも羽生竜王の将棋に対する姿勢には畏敬の念を抱いています。記録を超えることが出来て、うれしく思いますが、これからも羽生竜王の姿勢を見習っていけたらと思います」と、あらためて存在の大きさを語った。大記録については「タイトル100期は想像もつかないくらい偉大なこと。自分は2年前、デビュー戦で加藤(一二三)先生と指してから、100勝まで自分の中でもいろいろなことがありましたが、羽生先生はタイトル100期まであと一歩なので。あらためて途方もないことだなあと感じている次第です」。

【井山裕太五冠が42期タイトル獲得し趙治勲の記録に並ぶ】
 12.13日、囲碁の五冠保持者、井山裕太王座(29、棋聖、本因坊、天元、十段)が、第66期王座戦5番勝負の第5局で一力遼八段(21)に186手で白番中押し勝ちし、対戦成績3勝2敗で4期連続、通算6期目の王座を獲得、五冠を維持した。これにより囲碁の七大タイトル獲得数を通算42期に伸ばし、趙治勲名誉名人(62)の持つ最多記録に並んだ。進行中の天元戦5番勝負では、山下敬吾九段(40)を相手に2勝2敗で、防衛にあと1勝と迫っている。七大タイトル獲得数の記録更新が懸かる第5局は19日、徳島市で打たれる。

【井山裕太五冠が43期タイトル獲得し趙治勲の記録を塗り替える】
 12.19日、囲碁の井山裕太五冠(29)が、徳島市であった第44期天元戦五番勝負(新聞三社連合主催)の最終第5局で山下敬吾九段(40)に188手で白番中押し勝ちし、通算3勝2敗で4期連続タイトルを手にし、通算7期目の天元を獲得、五冠を維持した。対局は井山天元がしのぐ展開となり、終盤で優位に立って押し切った。終局後、「(記録更新は)自分の力からみれば出来すぎだと思う」と話した。

 井山裕太五冠はこれにより囲碁七大タイトルの通算獲得数を歴代最多の43期とし、趙治勲名誉名人(62)の42期を11年ぶりに塗り替えた。井山の各タイトルの獲得数は名人6、棋聖6、本因坊7、王座6、天元7、碁聖6、十段5。趙は50歳で42期に至ったが、井山は29歳でこれを上回った。若き第一人者は、2009年の初タイトルからわずか9年で新記録に到達した。

【羽生善治竜王が27年ぶりの“無冠”に…広瀬章人八段とフルセットの末に失冠】
 12.20-21日、将棋の竜王戦七番勝負第7局が山口県下関市「春帆楼」で行われ、羽生善治竜王(48)が167手で投了し、挑戦者の広瀬章人八段(31)に敗れた。この結果、同シリーズ3勝4敗となり失冠。羽生竜王は平成3年から27年間続けてきたタイトル保持者の地位を失って、、27年ぶりの“無冠”となった。広瀬八段は、同タイトル初挑戦で初の獲得となった。

 対局後、「(最終局は)出だしは過去にやったことのある形だったんですが、駒がぶつかった後は、ずっと形勢判断が難しい将棋だなと思って指していました」と語った。タイトル100期を逃し、無冠になったことについて、「(シリーズは)一局一局は難しい内容が続いていたと思います。細かい選択で間違えてしまったような気がします。(無冠は)結果を出せなかったのは自分自身の実力が足りなかったことだと思うので、また力をつけて次の機会、チャンスをつかみたいなと思います」とコメントした。20代、30代の棋士が続々とタイトルを取っていく中で、今後の抱負について聞かれると「パッとは思いつかないですけど…。今回のシリーズをしっかりと反省して、これから先につなげていけたらいいなと思っています」と淡々と口にしていた。

 羽生竜王は、1994年4月1日、23歳時にタイトル通算3期で九段に昇段しており、段位からすれば「羽生善治九段」だが、竜王位を失った直後の期間に「羽生善治前竜王」と名乗ったことがある。また、7つのタイトルで永世称号の資格を得ていることもあり、今後どのような形で名乗るかにも注目が集まる。
 羽生竜王の足跡

 羽生善治竜王は昭和45年に埼玉県に生まれ、小学6年生のときには全国の小学生が競う将棋大会で優勝して「小学生名人」になった。昭和60年、中学3年生で、加藤一二三さん、谷川浩司さんに次ぐ史上3人目の中学生棋士として15歳2か月でプロ入りを果たした。それから、わずか4年後の1989(平成元)年、初めて挑んだタイトル戦の竜王戦を制して、当時の最年少記録となる19歳2か月で自身初のタイトルを獲得しトップ棋士の仲間入りを果たした。翌年に失ったものの、その4カ月後に棋王位を獲得し、以来徐々にタイトルの数を増やし、1996(平成8)年、25歳の時、当時の七大タイトルすべてを独占する史上初の「七冠」を成し遂げた。去年12月、現在7つある将棋の永世称号の資格をすべて獲得して、前人未到の「永世七冠」達成した。今年2月、将棋界で初めて国民栄誉賞を受賞している。但し、最近は若手棋士の台頭を受け、この3年間で「名人」、「王位」、「王座」、「棋聖」のタイトルを奪われ「竜王」のみの一冠に後退していた。とはいえ、今日まで27年に渡り1つ以上のタイトルを保持し、通算タイトル数は99期。あと1つで前人未踏の100期に到達していた。羽生竜王の前人未到のタイトル通算100期達成は持ち越しとなった。

2019(平成31)年

【藤井六段が昇段に挑戦】
 「15歳で七段」はどれほど凄いのか!? 藤井六段が昇段に挑戦。歴史的な最年少記録に王手をかける藤井聡太六段が挑む「七段」昇段はどれほどすごいのか?フォーカスする。これまでは最年少記録は“ひふみん”。日本将棋連盟によると、これまでの七段昇段の最年少記録は加藤一二三さんの17歳3カ月。続いて谷川浩司九段が18歳11カ月、羽生善治竜王が20歳0カ月、渡辺明棋王が21歳5カ月とそうそうたるメンバーだ。いずれも、中学生でプロ入りしている。一般的な棋士であれば、七段に昇段するのは30代~40代が多いとも言われ、藤井六段の昇段がいかに速いのかが分かる。

 18日の対局相手は、31歳の船江恒平六段。藤井六段は、これまで船江六段の師匠・井上九段と対局しているが、井上九段に連勝記録を16でストップさせられている。そのほかにも、井上九段の門下生2人がこれまでに藤井六段に勝利していて、まさに「藤井キラー」といえる一門だ。「第四の刺客」として対局に臨む船江六段に対し、藤井六段はどう立ち向かうのか。勝敗は5月18日夜遅くに決まる見通し。


【仲邑菫(なかむら・すみれ)さんが10歳0カ月でプロデビュー】
 2019.1.5日、 日本棋院は、昨年の井山杯小学生の部で優勝した実績を持つ大阪市此花区の小学4年生の仲邑菫(なかむら・すみれ)さんが囲碁の棋士採用試験に合格し、今後は世界一になる逸材として日本棋院が新設した小学生までの採用制度「英才枠」(英才特別採用推薦棋士)の第1号として迎えられ、4月1日付でプロ入りすると発表した。10歳0カ月で父と同じ日本棋院関西総本部(大阪市)の所属棋士になる。これまでの最年少記録は、9年前に11歳6カ月でプロ入りした藤沢里菜女流三冠(20)で、最年少記録を塗りかえた。

 「英才特別採用推薦棋士」は、強豪国の中国や韓国勢に対抗できるトップ棋士を育成するため、日本棋院が新たに設けたもので、原則、小学生が対象で、選ばれるとプロ棋士になることができる。日本棋院副理事長の小林覚9段は次のように話す。「世界を狙っていくことをアピールしたかった。それには若くて強い人を英才枠で採用しなければならない」。

 仲邑さんは、これまでのアマチュア大会の成績などから推薦を受け、先月、井山裕太五冠や張栩名人ら6人のプロ棋士の審査を受け、その結果、全員の賛成を得て初の推薦棋士に選ばれた。通常の手続きを省略する前代未聞の若手抜擢(ばってき)の背景には、藤井聡太七段(16)らが活躍する将棋界の人気への焦りや女流棋士の伸び悩みへの危機感がある。今回の背景には女流棋士の強化策の側面もある。日本を追い抜き囲碁先進国になった中国や韓国勢と戦う国際棋戦では久しく勝てない状況が続いている。とりわけ女流棋士の場合は台湾勢も力を伸ばしており、30年に日本で行われた国際棋戦では、国内第一人者の藤沢里菜女流名人(20)でさえ中台韓に続く4位にとどまっている。日本棋院の小林覚副理事長は「強いプロが多くいて競いあうことで、世界一が生まれる可能性が高くなる」と説明。仲邑さんのプロ入りによる女流棋士の実力面の底上げを期待した。
 菫さんは、父はプロ棋士九段の仲邑信也九段(45)、母の幸(みゆき、38)さんは囲碁の元インストラクターのひとりっ子。プロ棋士のDNAを引く菫さんは3歳で囲碁を始め、7歳からは一家3人で強豪国の韓国をたびたび訪れ留学修行してきた。日本での義務教育履修のため日韓の往復生活を続けた。幸さんによると、菫さんはすぐに韓国語を覚え、両親の通訳にもなっているという。昨年、現地の小学生低学年のチャンピオンに。今年、韓国棋院のプロ候補生である研究生になった。韓国で“囲碁漬け”の日々を送り、平日は名門「韓鐘振(ハンジョンジン)囲碁道場」で、週末は韓国棋院で対局を重ねて、現地のプロ志望の子どもたちは朝、学校に顔を出すとすぐに道場に向かい、夕方まで囲碁の勉強をする子が多い。

 父親・信也さんは、「子どもたちの囲碁環境が日本と全く違う。あれを見て、菫が世界を狙うには韓国で勉強させなければと思った」と言う。「うれしい面もあるけど、やっぱり今まで通り、碁が強くなることを目指して頑張ってほしい」と話した。菫さんは、「(プロになれると聞いた時の気持ちは?)うれしかったです。世界で戦えるプロ棋士になりたい」、「中学生でタイトルを取りたい」と話した。菫さんは根っからの負けず嫌いで、負けると大泣きする。その勝負魂が道場で高く評価されている。
 2019.1.6日、仲邑菫さんが、日本囲碁界の第一人者にして国民栄誉賞受賞者の井山裕太五冠(29)と公開対局した。菫さんは、「(あしたの試合の意気込みをお願いします)意気込みってどういうこと? 頑張りたいです」と話した。菫さんは最もハンディが少なく互角に近い「先番」の手合でぶつかったが、対局中に予定の終了時間に達して打ち掛け(打ち止め)となった。対局の舞台は、井山五冠の出身地である大阪府東大阪市の市役所であった「井山杯新春囲碁フェスティバル」。イス対局で、菫さんは座布団2枚重ねで井山五冠と向かいあった。菫さんは大敵を相手にひるまず打ち、一時は井山五冠に「全然ダメ」と言わしめるほど優勢になったが、後半になって追い上げられ、対局開始から約1時間20分後の打ち掛けの時点では、井山五冠の勝勢だった。

 先月、菫さんは張栩名人(38)と対局し、下手がより有利なハンディを与えられた「先番逆コミ」でみごと引き分けた。しかし、井山五冠との「先番」の壁は厚かった。対局終了後、司会に感想を聞かれた菫さんは首をかしげて答えられず、「緊張した?」の問いに「はい」と答えた。井山五冠は、昨年もこのイベントで菫さんと打っている。そのときは、あらかじめ盤上に二つ石を置く下手がかなり有利な「置碁」という手合で、今回と同じく打ち掛けに終わった。そのときと比べて、「菫さんのこの1年の成長速度、努力に驚いている。9歳の年齢でこれだけの実力があるのは本当にすごいこと。今まで見たことがない才能である。自分の9歳のときとは比べものにならない」と絶賛。「すごい棋士になるのは間違いない。近い将来、本番でやられると思うので、きょうはがんばろうと思った」と話した。

 東京で囲碁塾をされている依田紀基プロ(元・名人)は、「井山君との碁を見たけど100年に一度の 天才だね。9歳でこれだけ打てるのは信じられない」と驚愕させるだけのレベル。日本棋院の副理事長を務める小林覚九段は、「従来の最年少記録を更新するのは大変なことだと思います。採用試験の対局では、名人を相手に引けを取らない堂々とした打ちっぷりで、精神力の強さや囲碁の内容もプロとしての力を備えていると感じました。最初は、勝ち負けにこだわらず、焦らずに成長してほしい」と語った。11歳1ヶ月でプロ入りし、プロ入りから約4年半の16歳1ヶ月で女流本因坊を奪取し女流のトップに到達した藤沢里菜女流本因坊は、「想像以上に強かった。小学生のうちに女流タイトルに挑戦してきても、まったく驚かない」。

 囲碁棋士の年少記録

氏名 所属 プロ入り時年齢 プロ入り年
中村菫 日本棋院 10歳0ヶ月 2019年
藤沢里菜 日本棋院 11歳6ヶ月 2010年
趙治勲 日本棋院 11歳9ヶ月 1968年
村川大介 関西棋院 11歳10ヶ月 2002年
井山裕太 日本棋院 12歳10ヶ月 2002年

【藤沢里菜四段、初の本戦勝利】
 1.21日、第45期天元戦の本戦1回戦で、昨年女流三冠を達成した藤沢里菜四段が勝利。史上初の女流棋士「本戦」初勝利となった。女流棋士は、藤沢自身も含め過去10人、のべ13回が本戦入りを果たしたことがあるが、初戦の壁を越えることはできなかった。藤沢四段は、韓国の女流ナンバーワン、崔精九段が「世界戦ベスト4が目標」と公言していることに刺激を受け、「男性にも負けていない。気構えを見習わなければ」と語る。今回も「女流本戦初勝利は光栄です」としながらも「ふだんと変わらず対局に臨みました。せっかく本戦に入れたので、一局でも多く打ち、勝ちたい」と話した。

【上野愛咲美女流棋聖誕生】
 1.28日、第22期女流棋聖戦で、上野愛咲美(ウエノアサミ / Ueno Asami)女流棋聖が藤沢里菜四段を2-0で破り初タイトル防衛。

【上野梨紗さん(12歳)もプロ入り決まる】
 2.12日、小学6年生の上野梨紗さん(12歳、東京都中野区)が囲碁の女流棋士採用試験でトップの成績を収め4月プロ入りが決まった。同試験は女性の院生や外来の受験者らでリーグ戦を行い、上位1人をプロ棋士として採用するもの。今回は先月12日から今月10日にかけて打たれ、梨紗さんは7勝1敗の成績だった。4月1日の入段時の年齢は12歳9カ月で、同日付でプロになる大阪市の仲邑菫さん(9)の10歳0カ月、藤沢里菜女流3冠(20)の11歳6カ月に次ぐ史上3番目の若さとなる。上野さんは東京都出身でタイトル保持者の上野愛咲美女流棋聖(17)の妹、藤沢一就八段門下。

 2.15日、上野梨紗さんが東京・市ケ谷の日本棋院で記者会見し、「まずは女流タイトルを取ることが目標です」と意気込みを語った。同じ4月に史上最年少でプロ入りする同期の仲邑菫(すみれ)さんについて「たくさん刺激をもらっています。負けないように頑張っていきたい」とライバル意識をのぞかせた。姉の昨年から女流棋聖2連覇の上野愛咲美(あさみ)女流棋聖(17)はが会見に同席し、「これから妹と打つことがあるかもしれないというのは不思議な感じがするんですけど、負けないように頑張りたい」と話した。2人が自宅で打つことはほとんどないという。「1回打ったら姉の調子が悪くなったので、それから打ってません」と梨紗さんが言えば、愛咲美さんは「負けたら悔しいからそんなに打ちたくない」。


【仲邑菫さんが台湾の黒七段と対局、惜敗する】
 2.20日、4.1日に日本の囲碁史上最年少の10歳0カ月30日で初段になる、小学4年生の仲邑菫さん(9歳)が、都内の日本棋院東京本院で、日本棋院発行の「週刊碁」が主催する「新初段シリーズ」の1局として、15歳年上で2018年に日本で開催された国際棋戦「ワールド碁女流最強戦」で準優勝した世界的な強豪の台湾の黒嘉嘉(コク・カカ)七段(24歳)と記念対局した。菫さんは靴を脱いで、いすの上に正座して対局に臨んだ。持ち時間各10分で、使い切った後は1手30秒、途中1分の考慮時間を双方10回ずつというルールで、菫さんが「定先」(じょうせん)の手合いで打った。黒七段に対し序盤から真っ向勝負を挑み、一歩も引かないせめぎ合いを見せたが228手で中押し負け、内容的には惜敗の評を得た。

 黒七段は、菫さんの将来性について聞かれ、「ものすごく冷静で、9歳でこれだけ打てるのはすごいこと。間違いなく世界チャンピオンになれると思います」と断言した。その上で「基本的に9歳、10歳の子は座っていられない。彼女は、それが出来るのが強み」と、菫さんの集中力の高さを評価した。さらに「私は6歳で囲碁を覚え、9歳の頃はアマ初段くらい。9歳で、これだけ強い。すごく将来が楽しみ。夢があります」と絶賛した。また菫さんとの初対面の印象を聞かれると「写真では、よく会って(見て)いました。会うのは初めてでしたが、会うともっとかわいい」と笑みを浮かべた。黒七段はオーストラリア人の父を持ち、モデルとして音楽ビデオやファッションショーにも出演し、美人棋士としても人気がある。その黒七段からも「写真よりもかわいい」と目を細められた菫さんは、恥ずかしそうにもじもじ。菫さんは中盤までは大善戦。終盤にミスを犯して敗れたが、対局後は「今日はうまく打てたが、ヨセで失敗した」と口にした。対局後の会場には、報道陣や関係者ら100人近くが詰めかけた。

 菫さんの戦歴は次の通り。
 1.6日、プロ入り発表翌日、井山裕太棋聖と公開対局を行い井山棋聖優勢で制限時間切れの「打ち掛け」で引き分けとなった。
 1.23日、韓国・ソウルで、女流棋士で世界二強の一角と評される崔精(チェ・ジヨン)九段と記念対局を行い、180手までで先番中押しで敗れた。
 1.30日、ソウル郊外の城南市で、9歳7カ月5日の世界最年少記録でプロ入りした、韓国囲碁界の“王様”■薫鉉(チョ・フンヒョン)九段(65歳)と対局し、約1時間後に投了し敗れた。
 2.20日、台湾の黒嘉嘉(コク・カカ)七段(24歳)と記念対局し、先の手合いで惜敗した。

 対外的な大きな対局で、1分け3敗となった。

 観戦に訪れた国内トップ棋士たちも菫さんの戦いぶりを絶賛した。元本因坊で観戦に訪れた武宮正樹九段(68歳)は「実力的にはまだまだだが1歩も引かずによく頑張った。根性がある」とたたえた。立会人の藤沢里菜女流3冠(20歳)は、「途中(菫さんが)優勢だと思った。これから注目されると思う。棋譜を見るのも、実際に対局するのも楽しみ」と後輩を見つめた。台湾出身で日本棋院所属の女流棋士として最多の計27期のタイトル獲得経験がある謝依旻(シェイ・イミン)六段(29歳)も「最後の勝負どころでおかしくしただけ。いつ挑戦者決定争いに勝ち上がってきても驚かないだけの実力がある。近い将来、戦ってみたい」と話していた。2013年から日本棋院の評議員を務め、囲碁の発展に尽力している俳優の辰巳琢郎はこの日、奈良市内での「消費税軽減税率制度」PR活動イベント終了後、菫さんについて「一回お会いして、手ほどきを受けたいなと思ってます。新しいスターが出てくるのは囲碁界にとってありがたいことですね」と今後の活躍に期待を寄せた。


【ワールド碁女流最強戦2019】
 2019.2.22-24日、囲碁の女子世界戦「SENKO CUP ワールド碁女流最強戦2019」が東京・市ケ谷の日本棋院で打たれ、中国、韓国、台湾の代表3人が、前回に続き1~3位を独占した。出場8選手のうち半数を占めた日本勢は、ロシアのアマチュア相手の1勝しか挙げられず、世界の壁に阻まれた。

【井山が壮絶な戦いの末に棋聖位七連覇】
 3.14-15、第43期棋聖戦七番勝負第七局が(読売新聞社主催)が新潟県南魚沼市「温泉御宿 龍言」にて打たれ、「歴史に残る壮絶な名局」と評される313手の激戦の末、白番の井山裕太棋聖が、挑戦者の山下敬吾九段に6目半勝ちを収め、最終局までもつれる長い戦いが幕を閉じた。序盤、右辺の攻防では、井山が全ての白石を助けようとした手を、山下の剛腕が許さず、全ての白石が取られる結末に。一時は、「地合いで黒が60目リード」とも言われ、山下必勝と思われた。しかし、中盤以降、紛れを求める井山の打ち回しと、山下のわずかな迷いが重なり、攻め取りの形に持っていきながら、各所の白地を増やして井山が大逆転を果たした。井山は「ミスの多いシリーズで、最終局に勝てたことも幸運だった」。山下は「形勢を悲観しすぎ、無謀な手を打って崩れた局があったことが惜しまれる」と振り返った。平成最後の七番勝負にふさわしい、記憶に残る激戦だった。井山は来期、小林光一名誉棋聖の持つ「八連覇」のタイ記録をかけて七番勝負に臨むこととなる。

【2019ワールド碁チャンピオンシップ/韓国のパク・ジョンファン九段が優勝】
 2019.3.18-20日、日本、中国、韓国のトップ棋士8人によるワールド碁チャンピオンシップ2019が日本棋院にて開催された。日本からの出場は井山裕太九段と張栩九段の二人。張は1回戦で韓国のシン・ジンソ九段に敗れた。井山は1回戦を中国の江維傑九段に快勝し、準決勝で中国の柯潔九段に惜敗。決勝は柯と韓国のパク・ジョンファン九段。柯は決勝を前に「私は世界戦のタイトルをたくさん獲得して、世界一の自信がある。しかしパクさんは唯一、私のライバルになり得る相手。ベストを尽くす」とコメントした。武宮正樹九段は決勝の大盤解説中に「パクさんがとても落ち着いていたのに対し、柯さんは落ち着きを感じられなかった。パクさんが勝つのではないか」と予想し見事に的中。パクが優勝して3連覇となった。柯を相手に終始苦しい形勢だったが、我慢に我慢を重ねて、終局間際での逆転劇だった。(「文:永代和盛」参照)

【藤沢、女流名人位を逆転防衛】
 3.22日、藤沢里菜女流名人に謝依旻六段が挑戦する第31期女流名人戦三番勝負は、挑戦者の先勝、第二局が3月14日に京都市平安女学院大学「有栖館」にて、第二局は、難戦から白番の謝が優勢を築いたが、謝に失着があり藤沢が逆転。その後の険しい攻め合いも制して藤沢が一勝を返した。第三局が22日に東京都千代田区の日本棋院にて行われた。 第四局は藤沢が「自分らしく打てた」と振り返る満足の一局となり、白番中押し勝ちで防衛し、三連覇を決めた。謝の無冠返上はならなかった。

【一力が悲願のNHK杯初優勝】
 3.24日、 第66回NHK杯テレビ囲碁トーナメント戦の決勝戦が放映され、一力遼七段が、井山裕太五冠を降して悲願の初優勝をとげた。井山のNHK杯三連覇はならなかった。  一力は過去に二回決勝戦に進みながら敗れており「今年こそ」と臨んだ一局だった。「優勝できホッとしている」と笑顔を見せた一力は、優勝・準優勝者が出場する「テレビアジア選手権でも結果を出したい」と意欲を見せた。井山は「三年連続で決勝戦に勝ち上がれたことは上出来。前回テレビアジア選手権で優勝したときは、NHK杯は準優勝でしたので、今回もと、ポジティブに考えたい」と語った。

【日本棋院新理事長に小林覚九段就任】
 4.2日、囲碁の日本棋院(東京都千代田区)が臨時理事会を開き、平成30年度決算で約7千万円の赤字になる見込みとなった経営不振の責任を取り、任期途中の3月31日に理事長を辞任した元総務省大臣官房長の団宏明氏(71)の後任に副理事長の小林覚九段(59)を選任した。任期は団氏の残りである来年6月まで。自身の対局は続けるという。

 小林新理事長は長野県松本市出身で、1974年にプロ棋士に。棋聖1期、碁聖1期獲得などタイトル獲得通算11期の実績がある。昨年6月、副理事長に就任した。棋士の理事長就任は、20年から24年まで務め任期満了で退任した大竹英雄名誉碁聖(76)以来。

 小林新理事長は「日本棋院の財務体質改善など課題は多いが、井山裕太五冠や新初段の話題を追い風に、日本棋院のかじ取り役としてさらなる努力をしてまいりたい」とコメントを出した。


【第1回日中韓竜星戦/中国竜星戦優勝者の柯潔九段が優勝】
 4.11-13日、昨年まで開催していた日中竜星戦に、韓国棋士が参加することでより注目を集める国際棋戦に進化した囲碁の国際棋戦「第1回韓中日竜星戦」が東京都千代田区で開催された。出場したのは、第27期日本竜星戦で優勝した一力遼八段。中国竜星戦優勝者の柯潔九段。韓国竜星戦で優勝した金志錫(キム・ジソク)九段。初代チャンピオンの座を争う。これまでの対戦成績で金九段は柯九段に6勝4敗、一力八段に1勝とリード。金九段は「初大会となるだけにベストを尽くしていい姿を見せたい」と覚悟を語っている。竜星戦は韓国では昨年初開催され、日本と中国は2014年から自国竜星戦の優勝者が対決する日中竜星戦を開催してきた。

 「囲碁・将棋チャンネル」(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:倉元健児)、およびインターネット会員サービス 「囲碁プレミアム」は、4月11日~13日の3日間、日本で開催される、囲碁 『スカパー!presents 第1回 日中韓竜星戦 JAPAN2019』 を独占で完全生中継。日本・中国・韓国の竜星位による、記念すべき第1回早碁世界一決定戦。

 4.11日、一力八段は1回戦で柯九段を破って決勝に進出した。4.12日、2回戦は柯九段が韓国選手に勝ち、決勝は1回戦と同じ組み合わせとなった。4.13日、日本の一力遼八段(21)は中国の柯潔九段(21)に敗れ準優勝となった。優勝賞金は500万円。


【関西棋院の村川八段が井山十段に白番中押し勝ちし初の十段位を獲得】
 2019.4.19日、囲碁の第57期十段戦5番勝負の第4局が大阪市の日本棋院関西総本部で打たれ、挑戦者の村川大介八段(28)が226手で井山裕太十段(29)に白番中押し勝ちし、対戦成績3勝1敗でタイトルを奪取、初の十段位を獲得した。4期連続通算6期目の十段獲得を目指した井山前十段の防衛はならず、棋聖、本因坊、王座、天元の四冠に後退した。井山前十段が四冠となるのは、15年11月以来で約3年半ぶり。村川新十段は兵庫県出身で森山直棋九段門下、関西棋院所属。2002年にプロ入りし、14年に初の七大タイトルとなる王座を獲得した。十段戦は前期に続いての挑戦だった。

【大竹英雄名誉碁聖(76)が4人目の通算1300勝】
 2019.4.25日、囲碁の大竹英雄名誉碁聖(76)が、東京都千代田区の日本棋院で行われた第9回フマキラー囲碁マスターズカップ1回戦でで羽根泰正九段(74)に220手までで白番中押し勝ちし、公式戦通算1300勝(820敗5持碁1無勝負、勝率・613)を達成した。日本棋院の棋士で1300勝達成は、林海峰名誉天元(76)、趙治勲名誉名人(62)、小林光一名誉棋聖(66)についで4人目となる。

 大竹名誉碁聖は北九州市出身。故木谷実九段門下で、1956年にプロ入りした。84年に碁聖5連覇で初の名誉碁聖有資格者となり、2002年、60歳で名誉碁聖を名乗った。碁聖6連覇(通算7期)。名人通算4期、世界囲碁選手権・富士通杯優勝など、通算48のタイトルを獲得した大棋士で、手厚く味わい深い棋風から「大竹美学」という言葉も生まれた。プロ入りから63年0か月での達成に「記録は知らず、意識もしていなかった。長くやっていたということでしょう」と冷静に喜びを語った。 現在、通算勝利数の1位は趙名誉名人の1531勝。

【依田九段と日本棋院に紛争発生】
 2019(平成31).6.4日、棋院は、2018(平成30).5月の棋院理事選で原幸子四段(49)がの再選を果たした際、立候補後に他の候補者を中傷する内容のメールを、有権者である約30人の棋士に送信していた件に関して常務理事としてふさわしくない行動と判断し、原四段が常務理事の職を解かれた。
 同6.14日、依田九段が、原四段の常務理事解任経緯につき異を唱え、ツイッターで執行部などへの批判・中傷を展開した。棋院は、依田九段に対し「憶測に基づく発言は慎むように」と警告。ツイッター上の批判投稿は同26日になって削除されたが火種が消えることはなかった。
 同6.28日夕、「第9回マスターズカップ」準決勝の直前、協賛するフマキラーの大下(おおしも)俊明会長が同カップに出場する依田九段のツイッターの内容を知り、これまで通りの協賛はできない旨を棋院側に伝えたという。前夜祭を前に広島市内のホテル一室に依田九段と小林理事長、大下会長らが集まり対応を協議した。その場の様子について、依田九段は報道陣に対し「小林理事長から『依田は対局すべきではない』『優勝者にさせるわけにはいかない』と言われ、準決勝対局の不戦敗を申し渡された。前夜祭への出席も許されなかった」と説明。一方の小林理事長も「対局する資格がないとは申し上げた」と認めるが、「出る、出ないを最終的に判断するのは依田さんだ、とも伝えた」と双方の主張はやや食い違う。結局、依田九段は29日朝、同カップに出ることなく帰京。対局相手の不戦勝と発表された。
 同7.4日、収まらない依田九段は7月4日から約2週間、今度は棋士が閲覧できるメーリングリストで不満をぶちまけた。<マスターズカップがなくなる責任を取らせるというなら、依田のツイッターのせいで棋戦をやめるという会社の正式な発表がないとできないはず>。参加資格の変更などで大会継続を模索していた大下会長は、この発言を知り協賛の終了を決断。
 同7月20日、棋院東京本院であった同カップ決勝戦の表彰式で、小林理事長は同年限りでの大会終了を告げた。フマキラーはマスターズカップ終了について「対局ができなくなり、運営上看過できない状況になったため」と説明している。
 同8.1日、依田九段の一連の言動について、棋院は常務理事らによる罰則委員会を開き、依田九段の弁明を聞くなど計5回の会合を重ねた。

【テレビ囲碁アジア選手権/韓国選手三連覇】
 第31回テレビ囲碁アジア選手権(主催:NHK、CCTV、KBS、日本棋院、中国棋院、韓国棋院)が、6月21日から23日までの3日間、東京都文京区「ホテル椿山荘 東京」で行われた。日本、中国、韓国から各2名と前年度優勝者によるトーナメント戦で、日本からはNHK杯で優勝した一力遼八段と、準優勝の井山裕太九段が参戦。久々の日本勢優勝に期待がかかったが、一力は中国の丁浩六段に、井山は韓国の申旻埈九段に惜敗し、一回戦で姿を消した。決勝戦には、丁と韓国の申眞諝九段が勝ち上がり、非公式ながら世界ランキング1位とされる申が、粘り強さを発揮して優勝を決めた。「終盤までは劣勢でしたが、相手のミスに助けられて勝つことができました。内容的には不満が残りますが、優勝できたことはとてもうれしい」と申。なかなか笑顔を見せなかったが、ゲスト棋士として招かれていた仲邑菫初段から花束を手渡されると、ひざをかがめて受け取りながら、思わず優しい笑みがこぼれていた。一力からは「結果が残せませんでしたので何も言えませんが、戦った感触としては、チャンスもありました。来年もまずNHK杯で結果を残し、この舞台に戻って一つでも多く勝てるようにがんばりたいです。自分が中心となり、若手皆で強くなっていきたいと思います」と頼もしい決意が聞けた。

【井山、本因坊戦8連覇達成】
 7.3-4日、本因坊文裕(井山裕太四冠)3勝、挑戦者の河野臨九段2勝で迎えた第74期本因坊戦七番勝負(毎日新聞社主催)の第6局が、大阪府吹田市の「ホテル阪急エキスパーク」で行われ、黒番の文裕が171手まで中押し勝ち。歴代単独3位の本因坊戦8連覇を達成した。序盤、河野が力強く切りを入れ、戦いに突入するも、この切りが「後々まで負担になってしまった」と河野は振り返る。井山の打ち手が上回り、その後は流れを渡さずゴールに向かった。二連敗からの四連勝とシリーズの流れも渡さぬ見事な防衛となった。敗れた河野は「自分なりに頑張った結果。仕方ありません」と語った。文裕は「チャンスのあった2局目を落とし、好調な河野さんに押されるスタートで、失冠も覚悟した」という。しかし、「第3局は運がよかっただけですが、4局目以降は自分なりに今の力を出し切れました。防衛できて素直に嬉しいです」とシリーズを振り返った。

【アマ名人戦/大関さんV】
 7.6-7日、第14回朝日アマチュア囲碁名人戦全国大会が、東京市ヶ谷の日本棋院において行われた。招待選手を含む各57名が栗田佳樹アマ名人への挑戦権を目指した。1回戦から世界アマチュア選手権で今年日本代表として出場した川口飛翔さん、何度もアマチュア日本一になっている平岡聡さんが敗退する中、招待選手が順当に勝ち上がった。2日目のベスト8の内6名が招待選手となった。その中でアマ名人準優勝経験のある夏冰さん(招待)を破って2日目に進出した片山浩之さん(東京)の活躍が注目を集めた。ベスト4は全員が20代、前アマ名人の大関稔さんと学生十傑戦全国優勝の津田裕生さん、元アマ名人の平野翔大さんと昨年準優勝の星合真吾さんの対戦となり、大関さんと平野さんが決勝進出となった。大関さんと平野さんは一昨年のアマ名人戦挑戦三番勝負と同じ顔合わせであり、学生大会の決勝で何度も優勝を争っている。白熱の熱戦を大関さんが半目差で制し、全国優勝となり栗田佳樹アマ名人への挑戦権を獲得した。昨年は栗田さんが大関アマ名人に挑戦、勝利をおさめている。立場を変えての二年連続の対戦となる。大関さんは学生大会で大活躍し多くの学生タイトルを獲得、さらにアマ名人、アマ本因坊でも全国優勝するなどした。大関さんは「今年から社会人になり囲碁に割く時間は少なくなるが、これからも活躍できるように頑張りたい」と語っていた。栗田アマ名人との三番勝負は7月27日、28日に行われる。栗田アマ名人防衛か、大関挑戦者返り咲きなるか、注目の三番勝負である。

【仲邑菫初段が公式戦2戦目で初勝利】
 2019.7.8日、囲碁の最年少プロ棋士、仲邑菫初段(10)が、大阪市北区の日本棋院関西総本部であった「第23期ドコモ杯女流棋聖戦」予選Bで、田中智恵子四段(67、神戸市須磨区)を破り、公式戦2戦目で初勝利を挙げた。10歳4カ月での勝利で、藤沢里菜女流三冠(当時20、初段)が持つ11歳8カ月の最年少勝利記録を大幅に更新した。同棋院によると、対局で後手番の仲邑初段は田中四段の手堅い打ち回しに苦戦したが、相手のミスを的確にとがめて形勢逆転。以降は危なげなく打ち進め、146手で相手を投了に追い込んだ。

 終局後の会見で、カメラに囲まれた仲邑初段は無言で照れたように笑うばかり。最後に最年少勝利の記録更新について聞かれ「うれしい」とだけ答えた。立会人の石井邦生九段(77、兵庫県宝塚市)は、仲邑初段について「入段して一流のプロと打つようになり、相当強くなった」と話した。田中四段はミスを悔やみつつ「ものすごく冷静な碁を打つ。研さんを積んで、日本を代表する棋士になってほしい」とエールを送った。仲邑初段は、日本棋院の英才特別採用推薦棋士第1号として4月にプロ入り。同月22日のデビュー戦では敗れたが、同月28日の非公式戦ではプロ入り初勝利を挙げた。(「文/溝田幸弘」参照)


【仲邑菫初段が中国のゼイ迺偉九段と公開対局、敗れる】
 2019.7.13日、囲碁の最年少プロ、仲邑菫初段(10)が金沢で中国のゼイ迺偉九段(55)と公開対局、敗れる。対局は仲邑初段がわずかなハンディをもらって打たれ、ゼイ九段が激戦を制した。仲邑初段は対局後に笑顔も見せ、「(ゼイ九段は)強かった。打ててうれしかった」と話した。ゼイ九段は国際棋戦優勝など実績十分の強豪。仲邑初段について「いつか世界戦で対戦できるように頑張ってほしい」と期待を寄せた。

【第4回扇興杯女流最強戦/藤沢里菜女流本因坊が謝依旻六段を破り優勝】
 2019.7.14日、囲碁の第4回扇興杯女流最強戦が滋賀県東近江市で決勝が打たれ、藤沢里菜女流本因坊(20)が謝依旻六段(29)を破り優勝した。藤沢女流本因坊の優勝は2年ぶり2度目。藤沢女流本因坊は、タイトルホルダーと挑戦者が3番、5番勝負で争う「挑戦手合制」の棋戦で、女流本因坊、女流立葵杯、女流名人の三冠を保持。扇興杯はトーナメントで優勝者を決めるが、ここも制して棋戦優勝の通算回数を12回とした。謝六段は第1回以来の優勝はならなかった。

【王立誠九段が1200勝】
 2019.7.18日、囲碁の王立誠(60歳)九段が、東京都千代田区の日本棋院で打たれた第58期十段戦最終予選決勝で秋山次郎九段に勝ち、史上9人目の公式戦通算1200勝(688敗1持碁1無勝負)を達成した。1972年入段、台湾出身。棋聖3連覇などの実績を持つ。通算勝利数の1位は趙治勲名誉名人の1537勝。

【「フマキラー囲碁マスターズカップ」中止】
 2019.7.20日、囲碁の日本棋院は、東京都内での決勝戦後、七大タイトル獲得経験者ら50歳以上の棋士16名が争うシニア棋戦「フマキラー囲碁マスターズカップ」(優勝賞金500万円)を今年で終了すると発表した。出場した元名人・依田紀基九段(53)がツイッターで理事会執行部を批判したことが、「参加棋士がツイッターで非常に悪質なものを何度も出すことにより、大会そのものが傷ついてしまった」としてスポンサーの殺虫剤大手フマキラーの意向を受け、打ち切りに至ったという。

 依田九段は6月、理事会人事について執行部を繰り返し批判。不特定多数が読むツイッターで「誤った内容で品位を欠く表現」と関係者が受け止めるものだったという。同29日の準決勝で不戦敗となっていた。棋戦中止について、依田九段は「棋士はファンに夢を与える存在。ツイッターで執行部と争うやり方は間違っていた。それにスポンサーが不快感を覚えて棋戦中止となったのは確かな話。今後はファンに精いっぱいの碁を見せて恩返ししなきゃいけないと思っている」と話した。(大出公二)

【井山四冠が再婚入籍発表】
 2019.7.25日、囲碁棋士の井山裕太四冠(30)が20日に結婚したと日本棋院が発表した。相手は一般女性という。井山四冠は平成24年に最初の結婚をしたが、27年末に離婚。井山四冠は現在、七大タイトルのうち棋聖・本因坊・王座・天元を保持している。 井山四冠のコメントは次の通り。 「この度、私事ではございますが、今月20日に一般女性の方と入籍をいたしましたことをご報告させていただきます。これからも一層精進し、棋士道を歩んでいく所存です。今後も変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」。

【仲邑菫初段が公式戦3戦目で2勝目を挙げる】
 2019.8.5日、日本囲碁史上最年少の10歳0カ月30日でプロになった囲碁の最年少プロ棋士、7月の公式戦2局目で史上最年少の10歳4カ月で公式戦初勝利をあげていた仲邑菫(なかむらすみれ)初段の公式戦3戦目となる第23期ドコモ杯女流棋聖戦予選Aが名古屋市東区の日本棋院中部総本部で打たれ、仲邑初段が金賢貞(キムヒョンジョン)四段(40)に勝ち、4月1日のプロ入りから公式戦3戦目、わずか4カ月4日で予選を突破し、史上最年少での本戦出場を決めた。日本棋院によると、女流5棋戦の本戦での初対局日の最年少記録は藤沢里菜女流四冠(20)のプロ入り翌年の12年3月8日の第31期女流本因坊戦予選で、青木喜久代八段に勝った際の13年5カ月で、最年少記録を更新した。仲邑初段の次戦の本戦は10月までに打たれる。また女流5棋戦における、プロデビューから本戦に進出した日数の最短記録は、16年にプロ入りした上野愛咲美(あさみ)女流棋聖(18)が、プロ入りした16年8月29日に行われた同予選で青木八段に勝った時の4カ月28日で、仲邑初段は最短日数記録を更新した。

 仲邑初段は中盤の競り合いで好手から一気に抜け出し、120手で白番中押し勝ちした。終局後、「勝てて良かった。(点数を付けるとしたら)70点。本戦でがんばります」と話した。

◆ドコモ杯女流棋聖戦 今期の予選通過枠は14(日本棋院東京本院9、同関西・中部合同3、関西棋院2)。これにタイトルホルダーの藤沢4冠、万波奈穂扇興杯を加えた計16人で挑戦者決定トーナメントを行う。優勝者が挑戦権を獲得し、上野愛咲美女流棋聖とタイトル戦3番勝負を戦う。


【「囲碁界のプリンス」柯潔九段、今秋に名門・清華大に入学】
 2019.8.6日、「囲碁界のプリンス」こと中国のプロ囲碁棋士の柯潔(Ke Jie、22歳)九段が、国家の推薦を受けて中国の清華大学(Tsinghua University)に無試験入学することが決定した。清華大学は世界大学ランキング22位、アジアの大学としては首位の名門。清華大学は習近平(Xi Jinping)国家主席が無試験推薦で入学した母校であり、柯潔は同じ無試験入学の後輩になる。清華大学招待生(特待生)弁公室の発表によれば、大学側の審査および特待生受け入れ手続きが無事終了し、9月から晴れて正式に清華大生となる。専攻は工商管理学という。

 柯潔は「三星火災杯世界囲碁マスターズ」、「百霊愛透杯世界囲碁オープン」、「MLILY夢百合杯世界囲碁オープン」の三大世界タイトルを制覇し、国内タイトルも含めて世界最年少で五冠王を達成、17歳で世界囲碁ランキング1、中国棋士ランキングで2015年から18年8月まで1位維持の記録を持つ。2017年5月、人工知能(AI)によるアルファ碁(AlphaGo)との対決は3局全敗したが、AI相手に人間としては最も接戦を演じたとの評価を得ている。

 中国には、プロスポーツ選手といった通常の勉学の機会を犠牲にして専門分野に励んできた若者に、無試験で名門大学に入学を認める推薦制度がある。今年3月に国家体育総局が公表した「2019年優秀運動選手無試験入学推薦名簿」948人中に、柯潔さんの名前が清華大学経済学部工商管理専攻への推薦にあった。囲碁棋士がこの制度で清華大学に入学する例は初めて。柯潔さんは、小学2年のときに北京で囲碁を学ぶために故郷の浙江省(Zhejiang)を離れて以来、初めて普通の学校生活を送ることになる。「みんなが経験する普通のこと、大学に行くといったことを、落ち着いてできるようになりたかった」と語る柯潔さん。新大学生活の課題は、囲碁に割く時間と学業に割く時間のバランスだという。(c)東方新報/AFPBB News
※「東方新報」は、1995年に日本で創刊された中国語の新聞です。

【アマ本因坊/大関さん二度目V】
 8.17-18日、第65回全日本アマチュア本因坊決定戦全国大会が、東京市ヶ谷の日本棋院で行われた。アマ名人戦では20代の若手の活躍が目立ったが、アマ本因坊戦では昨年の優勝者平岡聡さんを中心とするベテランの巻き返しがあるのかというところも注目された。1日目は64人を8つのリーグにわけ、各1人が決勝トーナメントに進む。各ブロック順当に実力者が勝ち上がった。やはり若手の活躍が目立ったが、平岡さんがアマ名人戦でベスト4に入った早稲田大学の津田裕生さんを破るなど意地を見せつけた。ベスト8は平岡さん1人が40代で残る7人が20代という結果になった。その平岡さんもベスト8で姿を消した。決勝に進出したのはアマ名人戦で全国優勝、それに続きアマ名人三番勝負でも勝利した大関稔さん(神奈川)と昨年のアマ名人で今年学生本因坊になった栗田佳樹さん(東京)の2人。大関さんは安定した内容で勝ち進んできた。栗田さんは難しい内容の碁もあったが持ち前の終盤の強さを発揮し決勝進出となった。両者は7月末のアマ名人戦三番勝負でも戦っており、大関さんが2-0でアマ名人に返り咲き昨年のリベンジを果たしている。栗田さんとしては今度は自分がという思いもあったであろう。両者ともに終盤に自信を持っており息の長い碁になることが予測された。最後まで打たれたが途中から大関さんが優勢になるとそのままヨセで追いつかせず二度目の優勝を果たした。

【囲碁の坂井八段、医師に転身】
 8.16日、関西棋院所属の元碁聖の囲碁棋士、坂井秀至(ひでゆき)八段(46歳)が9月1日付で全ての棋戦を無期限休場することになった。坂井八段は医師に転身する予定で、7大タイトルの獲得歴があるトップクラスの棋士が無期限休場するのは異例。

 坂井八段は京大医学部を卒業、医師国家試験に合格した直後の2001年(28歳)6月、世界アマ囲碁選手権優勝などの実績、関西棋院の棋士編入試験碁でプロに4連勝が評価され飛付五段でプロ入りした異色の経歴を持つ。2010年には七大タイトルのひとつ碁聖を獲得した。ほかにも名人リーグ9期、本因坊リーグ1期在籍の実績を持つトップ棋士である。


【第28期竜星戦/一力遼(22)が優勝】
 9.23日、囲碁のテレビ棋戦、第28期竜星戦(囲碁将棋チャンネル主催)の決勝が東京都千代田区の日本棋院で行われ、一力遼竜星(22)が上野愛咲美あさみ女流棋聖(17)に228手までで白番中押し勝ちした。

 上野女流棋聖は、全棋士に参加資格のある国内公式戦で女流棋士初の決勝進出を果たしたが、勝利目前でミス手を打ちタイトル獲得はならなかった。終局後、「取れると思っていなかった石が取れそうになって、逆に動揺してしまった。ここまで来られたことが奇跡。(追い詰めたが)間違えてしまった」と話した。

 竜星戦は対局者が一手30秒未満(1分の考慮時間が双方10回)で着手しなければならない「早碁棋戦」。上野女流棋聖は、決勝トーナメント1回戦で元名人・本因坊の高尾紳路九段(42)、2回戦で村川大介十段(28)、準決勝で前碁聖の許家元八段(21)と、七大タイトル経験・保持者を連破していた。


【上野愛咲美新人王】(2001年10月26日─)
 上野愛咲美がブレイクスルーし続けている。一躍有名にしたのが、2019年、17歳の時の竜星戦で、一力遼八段(現・三冠)を相手にあと一歩まで追いつめた。優勝は逃したものの見事準優勝。そこに至るトーナメントで高尾紳路九段、村川大介九段、許家元九段と歴代タイトル保持者を倒しての快挙だった。そこから女流タイトルを次々と獲得し、5タイトルを制覇してグランドスラムを達成する。女流の世界戦センコーカップで優勝。そして若手棋戦の若鯉戦で2連覇し、女性初の新人王にもなった。さらに、国際棋戦で元メジャーチャンピオンの謝爾豪九段(中国)を倒して女性で唯一ベスト16入りするなど、男女の垣根を越えて活躍中だ。

 上野の魅力は何といってもその破壊力だ。その様は「ハンマーパンチ」と異名がつくほど恐れられている。上野の師匠・藤澤一就八段は藤沢秀行の五男で、上野の才能を伸ばす教え方をしている。「愛咲美が子どものころ、置碁指導をしていても、上手の石を猛然と取りにきていました。それなら、石を取るにはどんな勉強をしたらいいのか指導してきました」。

 「試合の日の朝は、必ず縄跳びを777回する」。試合当日の朝に運動している棋士は少数派だが、上野はいろいろ試したうえで「縄跳び777回」をすると一番勝率がいいとの結論が出たという。詰碁は1日最低300題を目標に、大きな試合前には1000題をこなす。作戦ノートを作り、敗戦したら反省文を書き、次に向かって何をしたらいいのかを明文化する。囲碁AIの分析にも詳しく、しばしば大学教授らとのトークセッションに参加。AIを活用する立場からの意見を述べ、学術的にも貢献している。

【羽根直樹九段、許家元碁聖破り8期ぶり返り咲き】
 8.23日、囲碁の第44期碁聖戦五番勝負(新聞囲碁連盟主催)、許家元きょかげん碁聖(21)と挑戦者・羽根直樹九段(43)の第5局が東京都千代田区の日本棋院で行われ、羽根九段が150手までで白番中押し勝ちした。羽根九段はシリーズ3勝2敗で、8期ぶりに碁聖に返り咲いた。前期、七冠だった井山棋聖を破り、初の七大タイトルを獲得した許碁聖は、防衛に失敗した。

【芝野虎丸名人誕生】
 10.8日、第44期名人戦7番勝負第5局(静岡県熱海市「あたみ石亭」)で、挑戦者の芝野虎丸八段(19)が、252手までで張栩(ちょう・う)名人(39)に白番中押し勝ちして対戦成績を4勝1敗とし、初挑戦で名人を奪取。最年少19歳11カ月での7大タイトル獲得、09年に井山裕太四冠(30)が達成した20歳4カ月を10年ぶりに塗り替え、囲碁界に史上初の10代名人が誕生した。敗れた張栩は次のように語った。
 「芝野君が強かった。レベルが高いし、後悔はあるが、それなりに一生懸命やった結果。明らかに内容的に完敗だった」。

 芝野は偉業を成し遂げていても、ひょうひょうとしていた。「最後の方で勝てると思った。(史上初の10代名人の実感は)よく分からない」と対局後、言葉少なだった。張栩は、囲碁を始めた時のタイトル保持者。そのトップ棋士から奪取した。

 14年にプロデビュー。将棋で藤井聡太七段がデビューして旋風を起こした17年に、芝野もブレークした。第26期竜星戦で初タイトル獲得。17歳8カ月は史上最年少だった。規定で、当時の三段から七段へ飛び級した。プロ入り2年11カ月での全棋士参加棋戦制覇と、七段昇段は史上最短だった。翌年には日中竜星戦で、世界最強と言われる中国の柯潔(か・けつ)九段(22)も下した。若手注目株がついにタイトルを手にした。

 1日に10時間以上、研究に費やす。その一方で犬の散歩を趣味にしている。オンとオフを切り替えるのがうまい。AI搭載のソフトにも造詣が深い。兄は同じく囲碁棋士の芝野龍之介二段(21)で、「アルファ碁zeroの衝撃~龍虎VS最強AI」など共著もある。

 芝野は規定により9日付で九段に昇段。日本棋院によると、こちらも最年少、最速での最高段位到達となる。小学生の女流プロ、仲邑菫初段(10)とともに、新たなスターが囲碁界に登場した。【赤塚辰浩】

◆芝野虎丸(しばの・とらまる)1999年(平11)11月9日、相模原市生まれ。6歳の頃、ゲームソフト「ヒカルの碁3」を父からもらい、囲碁を始める。14年9月、プロ(初段)に。15年二段、16年三段、17年、竜星戦で優勝して七段に。新人王戦も制した。19年八段。17年には最多対局賞、最多勝利賞、連勝賞(66局53勝13敗、16連勝)。兄は芝野龍之介二段(21)。

【囲碁観戦記者・囲碁ライター/内藤由起子の10代名人論】
 10.14日、囲碁観戦記者・囲碁ライター/内藤由起子「史上最年少・10代の囲碁名人はなぜ誕生したのか」。
 19歳の囲碁棋士・芝野虎丸が新名人になった。「20代の名人はありえない」といわれてから約半世紀。なぜ最年少記録を更新できたのか。囲碁界はプロ入りして数年しかたっていない10代の活躍が目覚ましい。 若手が台頭し、結果を出していく背景を探ってみた。

 10代棋士が台頭

 第44期名人戦挑戦手合、芝野は開幕戦を落としたものの、その後4連勝して七番勝負を制した。史上初、10代名人の誕生となった。その戦いぶりは安定し、敗れた張栩名人に「完敗です」と言わしめたほどだった。9月23日には、17歳の高校生、上野愛咲美女流棋聖が一般(年齢、性別の区別のない)棋戦で準優勝する。女性初の準優勝が快挙とクローズアップされたが、17歳という若さもすごいことだった。なぜ10代の若手がトップに立てるようになったのだろうか。

 プロ修業を始める年齢

 井山裕太四冠がタイトル戦線に出てくるまで、ほとんどのタイトルホルダーは修業時代、内弟子生活を送っていた。歴代名人を振り返っても、第1期の大竹英雄名誉碁聖から林海峰名誉天元、趙治勲名誉名人、小林光一名誉棋聖、加藤正夫名誉王座、武宮正樹九段、依田紀基九段、第30期の張栩九段まで、全員が内弟子経験者だ。第31期以降の高尾紳路九段、井山裕太、山下敬吾九段、芝野虎丸名人の4人は、修業時代は親もとで暮らしている。

 多くの棋士は、碁を覚えると地元で「神童」と言われるほどの上達を見せる。そして縁あって弟子入りするのだが、師匠が内弟子をとっていれば、師匠宅で兄弟弟子たちと寝食をともにし、切磋琢磨する生活を送ることになる。弟子入りすることで、碁漬けの生活を送り、プロとしての技量を身につけていく。 問題は、弟子入りするなどプロとしての勉強の開始年齢だ。歴代名人でもほとんどが小学校高学年から中学入学のタイミング、10歳から12歳で入門している。 飛び抜けて早いのが趙治勲。6歳で来日し、内弟子生活に入っている。国民栄誉賞を受賞した井山裕太が石井邦生九段に弟子入りしたのも6歳。石井からインターネット対局で1000局以上打ってもらったのが糧になった。芝野虎丸は8歳で洪道場の門をたたいた。 七大タイトル最年少記録は 1位 芝野虎丸(名人戦)19歳11カ月 、2位 井山裕太(名人戦)20歳4カ月、3位 趙治勲(王座戦)20歳5カ月。10歳未満で本格的にプロの修業を始めた3人が、最年少タイトル記録ベスト3なのだ。ちなみに上野愛咲美も、6歳で藤澤一就八段の囲碁教室に通い始めている。

 修業の環境を整えて

 「環境を整える、あとは本人の努力次第」。元名人の依田紀基や元本因坊の趙善津九段ら多くの内弟子を育てた安藤武夫七段の言葉だ。住む場所、食事、勉強する棋書などの環境を整えれば、あとは本人次第。やる気がない子どもは、やめさせるほうが本人のため。こんな考え方が、長い間主流だった。大竹英雄、石田芳夫、加藤正夫、小林光一、趙治勲ら70人以上の弟子を育てた木谷實九段は、弟子本人の自主性を尊重した。囲碁への情熱が大事で、打つ内容も否定せず、個性を伸ばす方針で成長を見守った。張栩の師匠、林海峰も内弟子を家族の一員として温かく迎え入れ、ともに研究、検討したが、基本的に放任。自身が研究に没頭する背中を見せることで育てた。

 「思い込んだら試練の道」は師匠のこと

 近年では、子ども専門の囲碁教室や道場が多くなり、きめ細やかな指導をする師匠が登場してきた。 芝野虎丸は8歳のとき、プロ志望の兄の「ついで」に洪道場に通うことになった。子どもの頃からおとなしく、挨拶以外、ほとんどしゃべらない。何か話させようとすると、泣く。しかし集中力は目を見張るものがあった。師の洪清泉四段が芝野の才能を見抜き、シャイな性格を理解し育んだ。洪清泉「虎丸は中学1年のころ、爆発的に変身しました。虎丸が人の碁を見てよく観察しているので、『対局する時間を減らして、ぐるぐる見ていていいよ』といったら、ずーっと見ていて。そうしたら、ぱっとプロのレベルに化けたのです。そのあと、ある日からずーっと棋譜を並べ出しましたので、それも見守りました」 。本人の性格と様子をよく見て、適切な声かけをする師匠がそこにいたのだ。「『思い込んだら試練の道』は、今は師匠のことを言うのです」と、上野愛咲美の師匠である藤澤一就八段。今、やる気の出ない子どもでも才能のある子がいる。「愛咲美は放っておいたら碁の勉強はやらなかった。家にいたらやらないので、とにかく教室に来させてくださいと、親に言って。やりたくないことはやらせず、対局などやりたいことをさせました」。

 子どもがどうやったら強くなるのか。本質的に何が大切かを見極めて、子ども達に伝える。プロになる確率を上げるべく、碁の内容を見るのはもちろん、そのほかのありとあらゆる方法を考えて行くのだという。親にも「悔いのないようにしましょう」と協力をあおぐ。精神的に安定する方法を考え、例えば、夜よく眠れるようにお父さんが一緒にランニングをした家庭もあった。藤澤は今年に入って、1日も休みがないほど働いている。師匠になってからが試練の道になっている。子どもの個性やフェイズに合わせて、日常的になにがベストかを考え続けているのが、現代の師匠の姿なのだ。プロとしての本格的な修業を年少で始めることがスタートライン。そして、本人の才能はもちろん、それを引き出す名伯楽の存在が10代棋士の活躍を可能にしたのだ。

 囲碁観戦記者・囲碁ライター。神奈川県平塚市出身。1966年生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。お茶の水女子大学囲碁部OG。会社員を経て現職。朝日新聞紙上で「囲碁名人戦」観戦記を担当。「週刊碁」「NHK囲碁講座」「囲碁研究」等に随時、観戦記、取材記事、エッセイ等執筆。囲碁将棋チャンネル「本因坊家特集」「竜星戦ダイジェスト」等に出演。棋士の世界や囲碁の魅力を発信し続けている。著書に「井山裕太の碁 強くなる考え方」(池田書店)、「それも一局 弟子たちが語る『木谷道場』のおしえ」(水曜社)、「囲碁の人ってどんなヒト?」(マイナビ出版)。囲碁ライター協会役員、東日本大学OBOG囲碁会役員。


 10月、第68期王座戦五番勝負「柴野虎丸―許家元」。3-1で柴野が優勝した。


【秋季関東学生囲碁団体戦/早稲田V】
 11.2日、秋季関東学生囲碁団体戦の最終戦が東京市ヶ谷の日本棋院において行われた。10月6日、27日と合わせて3日間に渡り関東の各大学が競った。当初開催予定だった10月13日は台風19号の影響で延期になるというアクシデントも起こった。近年では早稲田大学一強の状態であり、慶應義塾大学、東京大学、東京理科大学がそれを追う展開である。今回も早稲田大学は学生最強位の星合真吾さん、昨年の学生十傑の津田裕生さんなど隙のない布陣。四回戦が終わり、上位四校は4連勝となり直接対決の勝負となった。五回戦、早稲田大学と東京理科大学の対戦では学生本因坊の栗田佳樹さん(東京理科大)が主将戦を制するも早稲田の壁は崩せなかった。最終日も早稲田は磐石で東京大学を5-0で降した。しかし最終戦、慶應義塾大学が意地を見せ早稲田を3-2で降して混戦となった。一方の東京大学と東京理科大学は4-1で東京大学が制した。この結果、早稲田と東京大学が6勝1敗で並んだが個人の勝ち数で早稲田大学の優勝となった。早稲田大学は現在のレギュラーから2名が卒業するが来年は果たしてどうなるか。打倒早稲田を果たすのはどこの大学になるか注目である。同時に行われた2部は國學院大學、3部は明星大学、4部は東京農工大学がそれぞれ優勝した。女子の部は慶應義塾大学が早稲田大学を降し優勝。春季に続いて男女での早稲田大学優勝はならなかった。

【第二回中庸戦/黄翊祖九段が優勝】
 11.3-4日、第2回「SGW杯中庸戦」(株式会社セントグランテ協賛)の本戦が東京都千代田区の日本棋院で行われた。本棋戦は、日本棋院所属の31歳以上60歳以下、かつ七大棋戦、竜星戦、阿含桐山杯の優勝経験のない棋士に出場資格があり、本戦に勝ち上がった16名がスイス方式で順位を決定する。全勝をかけた今村善彰九段と黄翊祖九段の一戦には、趙治勲名誉名人と第1回優勝者の林漢傑八段と吉原由香里六段による大盤解説会も行われ、多くのファンを集めた。優勢を築いた黄に今村が猛追したが、今村に一瞬の錯覚があり黄が勝利を収めた。「とてもうれしい」と笑顔の黄は、期間中に九段昇段も決め、花を添えた。今村は「勝負形になったところで、ひどい負け方をしてしまい…」と無念の表情だった。2位は三村智保九段、3位は大場惇也七段、ポイントの関係で今村は4位に入った。

【上野愛咲美女流棋聖が女流本因坊奪取】
 11.15日、女流本因坊で、上野愛咲美女流棋聖(18歳)が藤沢里菜女流本因坊に白番中押し勝ち。3-1で女流本因坊奪取し二冠となった。初戦こそ落としたが、第2局から3連勝。現在、囲碁界に5つある女流タイトルを二分する藤沢との頂上対決で、タイトルを奪った。「中盤乱れたが、最後にうまくまとめられた」と第4局を振り返った。

 藤沢里菜女流本因坊が先勝した後、挑戦者の上野愛咲美女流棋聖が二連勝して王手をかけた第38期女流本因坊戦五番勝負(共同通信社主催)の第4局が、11月15日に、東京都千代田区の日本棋院で行われた。棋風どおり積極的に打つ上野が主導権を握るが、その後に緩着が出て藤沢が迫る。解説の鶴山淳志八段は、一時は黒番の藤沢に軍配をあげた。しかし、上野の勝負手からコウに突入し、藤沢の錯覚を誘った。200手まで、白番上野が中押し勝ちとし女流本因坊を奪取した。上野は「結果よりも内容を頑張ろうと思っていたのですが、予想外の結果で良かったです。2局目に勝っただけで満足していました」と控え目に喜びを語り、藤沢は「後半に読み間違いが多く、ちょっとまずいシリーズでした」と肩を落とした。これで女流タイトル5つを、藤沢が3、上野が2と分け合うことになり、2強時代がスタートした感じがある。


【訃報/小川誠子六段】
 11.15日、棋士の小川誠子(ともこ)六段逝去(享年68歳)。通夜・告別式は近親者にて執り行われ、お別れの会などの詳細はまだ決まっていない。

 生涯履歴は次の通り。
 1951(昭26)年、福井市生まれ。1965年の第7回全日本女流アマ選手権で優勝。
 翌年、木谷実九段に弟子入り。
 1970年、プロとなった。同門の大竹英雄名誉碁聖(77)、石田芳夫二十四世本因坊(71)、武宮正樹九段(68)らから「ともちゃん」と呼ばれたおかっぱ姿の少女は、昭和の囲碁界を代表した棋士たちと腕を磨いた。
 1979年、第25期女流選手権戦で初タイトル獲得。翌年連覇。
 1986年、女流本因坊獲得。
 1987年、女流鶴聖戦を制した。

 現役棋士として第一線で活躍するかたわら、NHK杯テレビ囲碁トーナメントの聞き手を長年にわたり務めた。夫は俳優山本圭。 文才もあり、新聞連載されたコラムの中の「忘れ得ぬ師の言葉」が、2007.4月、東京都世田谷区の小中学校の日本語教育の「哲学」の教科書に採用されている。プロ採用試験の大事な1局を落とした後、師匠のアドバイスがどれだけありがたかったか、その言葉の持つ重みを伝えている。アマチュア囲碁界にも貢献を惜しまず、パンダネットの月例大会の審判長を長年務めた。また、「国際アマチュア・ペア碁選手権大会」では第一回大会から30年間審判長を務めた。近年は日本棋院理事や棋士会長も歴任されている。

 「一局一局、一瞬一瞬を大切にしていきたいなという思いと共に、本当に素晴らしい囲碁をもっともっと多くの方に知ってもらいたい、そのための何かお役に立ちたいと考えています。囲碁を通して素晴らしい方々にお目にかかるチャンスもたくさんありました。そういう意味でも、囲碁界に何か恩返ししたくて、どういう風に役に立てるのかな?ということを日々考えていますし、そういうふうにしていきたいと思っています」。

【李世ドル(イセドル)九段(36)引退届け提出】
 11.19日、韓国の元世界覇者で、囲碁AI「アルファ碁」との決戦で有名な李世ドル(イセドル)九段(36)がプロ棋士を韓国棋院に引退届を出し引退した。李は2002年、19歳で富士通杯を制し、世界戦初制覇。中国の古力九段(36)らと競い、00年代半ばから世界最強と目されてきた。

【平田智也七段、悲願の初優勝】
 11.23-24日、30歳以下・七段以下の若手棋戦、第144回広島アルミ杯・若鯉戦(日本棋院、日本棋院広島県本部主催。広島アルミニウム工業株式会社特別協賛)の本戦が広島市で行われた。大会初日は1回戦と2回戦が行われ、二日目の決勝戦は、平田智也七段と六浦雄太七段のカードとなり、平田が白番3目半勝ちで悲願の初優勝を果たした。現地の大盤解説会場に現れ、まず感想を尋ねられた平田は、感極まり、かすれた声で「ほんとに嬉しいです」。会場からは暖かく盛大な拍手が沸き起こっていた。

 解説の山田規三生九段は「準決勝戦も完勝の名局。平田七段は元々強いのですが、この大会は特に充実していた」と話す。決勝の譜は、黒番の六浦が優勢を築いた中盤で、白番の平田が「取れないシチョウを追いかけて逃げられた後に隣の黒石を取る」という大技を決めた。局後平田が「シチョウ読めないんですよ。一手目は取れると思ってカカエたのですが、逃げられて大変なことになったと思いました」と振り返れば、六浦も「平田先生、シチョウを読めてないなと思いました」と応え、集まった地元ファンの笑いを盛り上げていた。この攻防で白がややポイントをあげ、その後ヨセで逆転。平田は「中央の形が運よくできていました」と控え目に勝因を語った。

【アマ竜星戦森川さん初V 大関さん三冠ならず】
 11.23-24日、第18回囲碁アマチュア竜星戦全国大会が東京市ヶ谷の日本棋院において行われた。これまでのアマチュア竜星戦はケーブルテレビ杯予選やネット大会の勝ち上がり者が全国大会で戦うというものだったが、今年より世界アマチュア囲碁選手権と合併し、ネット予選とともに各都道府県代表を加えた62名で争われ、優勝者は日本代表となることになった。そのためアマチュア三大大会も名人・本因坊・竜星となる。

 今大会で最も注目を集めたのはアマ名人・本因坊の大関稔さん。アマ三冠の偉業達成なるかが注目された。大関さんは1回戦からアマ竜星戦の優勝経験のある小野慎吾さんとの対戦となり強豪の多いブロックとなったが、順当に勝ち上がりベスト4に進出。二日目に残った。昨年の世界アマチュア選手権の優勝者である川口飛翔さん、アマ名人準優勝など各大会で実績を残す闇雲翼さん、そして昨年の中部棋士採用試験で次点だった森川舜弐さんの4名がベスト4進出となった。準決勝では大関さんが闇雲さんを、森川さんが川口さんを降し、決勝に進出。決勝戦は日本棋院地下の竜星スタジオで収録、囲碁将棋チャンネルで放送される。大関さんは王者の貫禄を見せつけるように順当に勝ち上がってきたが、森川さんは初戦から接戦や逆転など粘り強さを見せての決勝進出となった。決勝戦は森川さんが大関さんを降し初優勝。大関さんは三冠目前で敗れた。森川さんは来年の世界アマチュア選手権に日本代表として挑むことになった。「まさか優勝できるとは思わなかった。自分が日本代表でいいのかと思ってしまうが、日本のためにも頑張りたい」と抱負を語った。

【囲碁王座戦で、芝野虎丸名人が、井山四冠を下した】
 11.29日、囲碁王座戦が愛知県蒲郡市の銀波荘で打たれ、芝野虎丸名人が、井山四冠を下し、井山裕太四冠の王座5連覇を阻み、二冠となった。第1、4局を半目で制し、第3局も1目半勝ち。「半目勝負はめちゃくちゃ勝率が悪かったのに、不思議です」。

【張栩、日中決戦を制す】
 12.3日、日本と中国の覇者による阿含・桐山杯第21期早碁オープン戦日中決戦(中国国際友好連絡会、中国棋院、日本棋院主催、阿含宗特別協賛)が中国広州市で打たれ、張栩九段が范廷鈺九段に白番1目半勝ちを収めた。日本勢の勝利は井山裕太九段以来4年ぶり。本棋戦で単独トップの5回目の優勝を果たした張自身は、初めて日中決戦を制した。「勝つのは難しい相手なので、打ちたい手を積極的に打とう」と臨んだ張だが、中盤までは苦戦を自覚したという。だが、范のわずかな乱れを捉えて形勢は不明に。難戦のなか、定石のない中央のヨセでリードを奪うと、そのまま逃げ切った。

 張の局後コメントは次の通り。
 「范廷鈺九段の碁はずっと研究しています。とても理想的で学ぶところが多い」、「AI世代には追いつけないと感じます。自分が日本で成績を残せるのはちょっと不思議な感じで、どの一局も奇跡だと思っています」。
 「勝てるとは思っていなかったので夢のようです。范廷鈺九段はとても強く、私とは1子ほど差があると感じます。彼に勝てる確率は低かったですが、彼が感じるプレッシャーも大きかったのでしょう。私は気楽に打てたので、その点ちょっと有利でした」。
 「中国の7目半のコミが心強かった」。
 「僕だけで4回も日中決戦で負けていて責任を感じており、いい結果を日本にもたらせてこれほどうれしい勝利はありません」。

【マレーシア・インドネシア、初の囲碁棋士 「外国籍採用」突破】
 12.16日、日本棋院が、現在プロ候補生である院生のマレーシアの曽富康(チャンフーカン、16歳)とインドネシアのフィトラ・ラフィフ・シドキ(17歳)が来年4月にプロとして採用すると発表した。両国から囲碁棋士が出るのは初めて。2人は10~11月にあった日本棋院東京本院の採用試験でそれぞれ9勝5敗と勝ち越した。参加15人中4、5位の好成績で「外国籍特別採用棋士」の採用条件をクリアした。

【井山5連覇で「名誉天元」獲得】
囲碁の今年最後のタイトル戦となった第45期天元戦5番勝負(西日本新聞社主催)の第5局が徳島市の徳島グランヴィリオホテルで打たれ、午後5時36分、井山裕太天元(30、棋聖、本因坊)が挑戦者の許家元八段(21)に234手までで白番中押し勝ちした。

 序盤から、両者石の張った戦いに突入し、最初の右上の攻防では井山がややリードを奪った。その後、井山らしい厳しい着手が局面を多彩に動かしていく。井山が白54(16十一)から64(16十四)と右辺に先着して有利な展開に持ち込んだ。しかし右下黒を取りにいった白106(18十五)が問題の「打ちすぎ」と評された手で、黒109(16十三)と切断されて中央白一団が危険になり、黒良しのムードに変わった。許は上辺白を攻めた後、中央白に襲いかかるなど懸命の攻めを見せたが、反撃に出た井山が左下黒との攻め合いに持ち込み、難解且つ激しい攻防となった。白148(6十)が絶妙のタイミングとなり、最後は手数が足りないと見た許が投了し、白番井山の中押し勝ちとなった。終局直後、井山が「難しかった。分からなかった」と首をかしげた難解な戦い。大石の死活も絡んで、最後まで手に汗握る攻防が繰り広げられた。井山が勝負強さを発揮し、許の挑戦を退けた。持ち時間各3時間のうち、残りは両者1分。

 井山が対戦成績3勝2敗で5連覇を達成、名誉天元の称号を得た。天元戦では史上二人目。2年連続でフルセットを制した井山は、天元獲得通算8期。名誉称号は本因坊、碁聖、棋聖に加えて四つ目となり、小林光一名誉三冠を抜き歴代単独最多となった。今年は4月に十段、11月に王座を失って五冠から三冠に後退したが、天元を防衛して踏みとどまった。許は天元獲得の最年少記録がかかっていたが、更新はならなかった。

 価値ある一勝をあげた井山は「シリーズを通して、今の自分としてはうまく打てたと思います」と控え目に喜びを語り、「苦しい一年だっただけに、最後はいい結果で終われてホッとしています」と安堵した表情を見せた。許は「五局とも、押された局面が多く、この結果は仕方ありません」とのコメントを残した。


【李世ドル(イセドル)九段(36)引退】
 12.18日、「ボディフレンド Brain Massageイ・セドル vs囲碁人工知能(AI)ハンドル」の1局目対決で92手で中押し勝ち1勝。

 12.19日、イ・セドル vs囲碁人工知能(AI)ハンドルの2局目対決がソウル・江南区で開かれ1敗。AIハンドルに122手で黒番中押し負けを喫した。これにより1勝1敗となった。となった韓国のイ・セドル棋士が、最後の対局を全羅南道・新安でおこなう。
 12.21日、「風雲の勝負師」李世ドル(イ・セドル)九段(36) vs囲碁人工知能(AI)ハンドルとの3局目対決が故郷の全羅南道・新安でおこなわれ、最後の1手を指して24年間のプロ棋士人生から引退し囲碁界を去った。人工知能(AI)との引退記念3番勝負を終えた李世ドル九段は「勝負を楽しんで去っていきます。振り返ってみるとすべてが意味のある幸せな時間でした」と涙をこぼした。

 18回の世界制覇を含め、計50回優勝した。韓国棋院の集計によると、対局料と賞金で合計98億ウォン(約9億2000万円)を稼いだことになるという。この期間中に残した1324勝577敗3分という成績には、32連勝も含まれている。勝率にして70%弱だ。年間最優秀棋士(MVP)には8回輝いた。引退後の計画については、「まだ整理ができていないので、話しにくい」と明言はしなかった。李世ドル九段の親友で、ライバルでもあった中国の古力九段は「李世ドルは私にとって灯台の明かりのような存在だった」と語り、同い年のライバル棋士の引退を惜しんだ。




(私論.私見)