概要「囲碁の理想は調和、共存共栄! 鏡の表面を磨かずに内面を磨け」 |
「碁は調和の姿だと、私は考えます。碁は、争いや勝負と言うよりも、調和だと思います。一石一石がつり合っていて、最後に一局の碁が、調和したものとして打ち立てられるわけです」。 |
「碁というものは、一つ一つの石を重ねてゆくのですが、その一つ一つの石には、働きというか、力というか、そういうものが、どこに石が置かれても、あるのですね。その一つ一つの石の力が、完全な調和を保つと、完全に綜合的な力を持つわけです。仮に三つの石があるとしても、その三つの力を合わせた力は、十五にもなれば十にもなる。いくつにでもなる。ですから私は、自分の石の一つ一つが、最高の働きと調和とを持つようにつとめるわけです」。 |
「碁は調和ですから、無理はききません。一つ一つの石は、取られたり、死んだりするものではないはずなのに、無理があるから、取られたり、死んだりするのです」。 |
「碁の勝負は普通の勝負とちょっとちがうと、私は思います。そこには人為的なものが少なく、ほとんど自然の現象というべきで、自然の現象を、ただ勝負と名づけただけではないでしょうか」。 |
「全体的な視野を持って設計していくのが碁で、東西南北の空間と上と下の釣り合い、盤全体を見なくてはいけない」。 |
「一局の碁が生きものである以上、その場その場において新型・新趣向が生ずるのは当然」。 |
「水の流れるごとく自然に無理なく打つこと」。 |
「石の形は固定的なものでなくて、その場に適合していることが重要である」。 |
囲碁ではどんなことが大切なんですか、の問いに次のように語っている。
「調和です。囲碁はもともと易経から来ているんですね。陰と陽のバランス。だから、碁盤の中では、片方が強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけない。携わる人間がお互い最善の手を尽くすと、立派な局になる。それは政治でも経済でも言えることだと思いますね。勝ち負けは、自然に決まるもの。その場で最善を尽くせば、自然に結果もよくなるはずです」。 |
世界選手権などで、日本人棋士がなかなか勝てずにいますが原因はどこにあるのでしょうかの問いに、次のように答えている。
「定石中毒のせいですよ。昔は定石以外の手を打ったら破門されたほどですからね。しかし、定石とはいわば素人を教える方便です。日本人はひたすらそれを守るだけだから新しい発想が生まれないんですよ。私はいつも、定石は忘れろ、そしたら強くなると言っています」。
「碁の考え方が悪いんです。勝てば官軍という考え方、すべて力ずくという考え方。そんな考えがはびこっているんじゃないかな。日本のレベルは一流ですが、わずか十年で中国が追い抜きましたね」。 |
「老子はいきなり天元に布石した。孔子は隅の方から石を打ち始めた。老子の学は哲理が宏大無辺で、たやすく世人に理解されなかった。孔子の学は人の道を分かり易く組み立てたので一般に理解された。しかし、二人の学問の発したところは一つである。老孔は一如である。だから、人が道を行うのも、碁が大自然の道を求めて行くのも同じであると思う」。 |
「相撲のあの息詰まるような一瞬の緊張をもって迎える立ち会いの呼吸には、何かしら碁の対局の心理に似たところがあるようにも感じる。立ち会いの一瞬の勝負は無念夢想の裡に、奇手が連発して局を結ぶのではないか。神授の一手が物を言うのであろう、経験の総合が輝くのであろう」。 |