囲碁界の秘話・面白話

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).5.18日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、「囲碁界の秘話・面白話」を記しておく。

 石田章 「囲碁界の真相」 (河出書房新社、2003年)、 中山典之「碁狂ものがたり」 (日本棋院、1983年)、中山典之 「実録囲碁講談」(日本経済新聞社、1977年)、 福井正明「囲碁史探偵が行く 昔と今 碁打ちの物語」(日本棋院、2008年)、 別冊囲碁クラブ「囲碁雑学ものしり百科」(日本棋院、1981年)など参照。

 2018(平成30).10.6日 囲碁吉拝


【碁界の名ライバル/小林光一VS武宮】
 秋山賢治司【著】「囲碁とっておきの話」(文春文庫)の「囲碁界の秘話・面白話」。
 例えばライバル関係についての話。プロの「木谷実・呉清源」、「藤沢秀行・坂田栄男」や「小林光一・武宮正樹」、「趙治勲・小林光一」、「大竹英雄・林海峰」などからアマ4強の「菊池康郎・村上文祥」などの組み合わせがありました。同じライバルでも、盤を離れれば仲がいい関係や、盤外でもウマが合わない関係と様々です。小林光一先生と武宮先生のあるタイトル戦での局後の検討の話です。白番の小林先生が勝ちました。

 ↑武宮先生はこの局面を「ここでは(黒が)全然いいでしょう」といいますが、次に小林先生が「どっちが?」と返しました。黒が断然いいという武宮先生にこの切り替えし。当時のプロの評価では黒よしで、小林先生も白がややつらいと感じてたはずらしいですが意地があったみたいです。武宮先生は「え」と驚き瞬間的に顔が真っ赤になり、石を片付けた。そしてひとこと。「不愉快だ」。わずか一分の最短の検討だったらしいです。この後小林先生は名人・棋聖と立て続けにビックタイトルをとりますが、武宮先生は「あんな碁が名人・棋聖というのはおかしい」と公言してはばからなかったとかなんとか(笑)

【「囲碁を打つ人は変人が多い??」】
 秋山賢治司【著】「囲碁とっておきの話」(文春文庫)の「囲碁を打つ人は変人が多い??」 。
 「囲碁を打つ人って変人が多い」・・・こういう事を皆さんも言われたことや聞いたことは少なからずあるのではないでしょうか?実際には、囲碁を打つ人に変人といわれるような人は存在します。(笑)しかし囲碁を知らない人にも当然変人はいるわけで、囲碁との因果関係は証明できませんよね。私個人の出会いや経験上では、囲碁を打つ人のほとんど常識的な方でした。しかし「囲碁をしていなかったら関わる事がなかったであろう変人」も少なからずいました(笑)。

 そもそも変人の定義とはもそも変人の定義は何なんだ!!」という人がいるかもしれません。ここでは「大多数(世間一般)の人から、普通ではない・変わっていると思われるような人」となんとなくですが定義しておきます。囲碁(将棋)のプロは、ひとりひとり性格は違えど、皆が一国一城の主であり勝負師であります。よって一癖も二癖もある変わった人が多いと一般的には言われています。確かにそういう面もあるでしょう。特に大正・昭和時代のプロ棋士がすごいですね。この辺のイメージが「囲碁を打つ人=変人が多い」という図式が成り立つ原因の一つになっているかもしれませんね。

 元々変な人が囲碁に引き寄せされて打つのか、囲碁を打つと変人になるのか。哲学的な話になりますが、前者を肯定すると囲碁というゲームが「変人ホイホイ」ということになりかねません(笑)。後者についてですが、囲碁を打つことによって性格や人格が変わるものなのか私にはわかりかねません。たしかに「落ち着かない子供に囲碁を教えたら大人しくなった」とかの話はよくあります。しかし性格や人格まで変えたとは言えないでしょう。私自身も囲碁に出会った前と後で性格や人格が変化したとは思っていません。しかし囲碁を打つようになってから変わった人扱いされることは増えました。「毎日数時間碁の勉強をして、県代表・学生地区代表の常連です!」と言えば、もうほとんど変人とされます(笑)。結局「囲碁を打つ=変わった人」と世間は見てくるのではないでしょうか。もう囲碁を嗜むということ自体が、世間から見たらマイナー・変わってるという扱いなのが現実なのかもしれません。もっとも私自身囲碁にハマり過ぎている自覚はあり、同じ囲碁界の人からも引かれる事もしばしばありますが(笑)

 変人だっていいじゃない
 別に変人だからって悪いことではないですよね。個性が求められる時代ですし、碁が強い人には変わった人が多いというのもあながち間違いではないので、碁が強くなりたい人は変人になるのも一つの手かもしれません。(ウソです)とはいえ変人扱いされて一人前と思っていた方がなにかと精神衛生上いいでしょう。碁を打つ人に変人が多いというが直接的な因果関係はない。しかし世間一般では碁を打つこと自体が変わったことであるとみているフシがある。となれば「碁を打つ人=変人」となるのもおかしな話ではない。プロに変人(個性的な人)が多いのも要因の一つかも?変人扱いされる事を恐れない事。

【「若いものとは鍛え方が違う 」】
  秋山賢治司【著】「囲碁とっておきの話」(文春文庫)の「若いものとは鍛え方が違う」。
 もう一つ私の印象に残った話を。アマ4強(菊池康郎さん、平田博則さん、村上文祥さん、原田実さん)が30年以上アマタイトルをたらい回しにしてた時の話です。下の世代から三浦浩さん、中園清三さん、今村文明さん達が出てきましたが、なかなか4強を抜けない。なぜ4強の天下が続くのか、菊池さんも村上さんも言う事が同じでした。「若いものとは鍛え方が違う」 。以下引用になります。

 4強の面々が碁に熱中した十代のころは、戦後間もなくで、棋書はほとんどなかった。だから定石一つとっても、なぜそうなるのか、自分の頭で理解するしかなかった。ところが現在はたくさんの棋書が出回っていて、至れり尽くせりの解説がされている。それはいいのだが、ともするとつきつめて考えることなく、定石や布石を単なる知識として頭の中に入れてしまう。自分の頭で理解するか、単なる知識で終わるのか・・・この差が大きいのである。  これには私もなかなか考えさせられました。たしかに棋書による恩恵は大きいのですがそういう弊害もあるのですね。棋書紹介をしているブログを書いているような私ですが気を付けたいものです。※しかしアマトップレベルの話なのでほとんどのアマは関係ないかと思われます。上記の中園さんたちの時代に比べて、今現在はさらに棋書が豊富にあります。時代に恵まれていることも感じました。

【趙治勲の若い時の言葉「私はゴルフをするために日本に来たのではない」】
 趙治勲九段が若いときの言葉として、「私はゴルフをするために日本に来たのではない。名人になるために来たのだ」。

【橋本宇太郎九段「碁盤に碁石を転がせば、2つ、3つの詰碁はわけなくできます」】
 
 橋本宇太郎九段が、「どうやって詰碁をつくるのですか」と訊かれて、「碁盤に碁石を転がせば、2つ、3つの詰碁はわけなくできます。」と答えたということ。

【「時間切れ」逸話】
 
 NHKの囲碁対局で、ある棋士が石を打ったとき、弾みで石が盤上から飛んで落ちてしまい、落ちた石を探していたら「時間切れ」になってしまったという話。

【坂田栄男の子供のころの体力】
 坂田栄男九段が、少年の頃は体力がなく、対戦相手の「長考作戦」で負けってしまったこと。

【呉清源「半目くらいでしょうか」】
 
 呉清源が「来日してから、どのくらい強くなられましたか」と尋ねられて、「半目くらいでしょうか」と答えたこと。 ・

【桑原秀策「先番でした」】
 
 桑原秀策が、勝負の結果を問われて、「先番でした」と答えたということ。

【本因坊秀甫「いったい何を考えているんだ。天下の秀甫のノゾキだぞ!」】
 
 本因坊秀甫が、「いったい何を考えているんだ。天下の秀甫のノゾキだぞ!」と言ったとか。

【本因坊秀栄「下手がいくら長く考えたとて、妙手の出るはずはない」】
 本因坊秀栄が、「囲碁は遅いも早いも力である。下手がいくら長く考えたとて、妙手の出るはずはない」と看破したこと。 などが、思い出せますが、プロ棋士に関するエビソードについては、例えば次に掲げるような「棋書」を読まれたらいかがでしょう。

【武宮正樹九段の言葉「三々なんて、石が盤から落ちそうで打てない」】
 

 武宮正樹九段の言葉「三々なんて、石が盤から落ちそうで打てない」。


【藤沢秀行の「秀行絶叫の金網 」】
 藤沢秀行は競輪が好きで、賭けた選手があたりそうになったなると、金網をつかみながら絶叫していたそうです。 あまりにも強くつかみすぎてこの金網がひん曲がってしまった。で、この金網は、秀行絶叫の金網なんていわれていた云々。




(私論.私見)