幻庵履歴と対戦一覧表 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).2.20日
(囲碁吉のショートメッセージ) |
ここで日本囲碁史考7として「日本囲碁史考10、秀策入門から幕末まで」を確認しておく。 2005.4.28日 囲碁吉拝 |
【井上幻庵因碩(いのうえ げんなんいんせき)】 |
1798年(寛政10年) - 1859年(安政6年)。江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家の十一世井上因碩、八段準名人。井上家は代々因碩を名乗ったため、隠居後の号である幻庵を付けて幻庵因碩と呼ぶ。相続前には橋本因徹、服部立徹、井上安節と改名。名人の技倆ありと言われながら名人とならなかった棋士として、本因坊元丈、安井知得仙知、本因坊秀和とともに囲碁四哲と称される。本因坊丈和との名人碁所を巡る暗闘(天保の内訌)でも知られる。碁盤全体を使うスケールの大きな棋風が特色。別号として橘齋もある。 1798(寛政10)年、出生地、実名は不明。姓は橋本とされる。自著「囲碁妙伝」では「武門の生」と記している。字は可義。 1803(享和3)年、6歳の時、井上家の外家である服部因淑に入門する。 1809(文化6)年、12歳の時、初段となり、師の因淑の元の名である因徹を名乗る。翌年服部家の養子となって服部立徹と改名。 1819(文政2)年、跡目として井上家に入り井上安節を名乗る。幼少からの厳しい修行により、この時には奥歯4本が抜けていたという。同年五段で、御城碁に初出仕、本因坊元丈に先二の二子局でかろうじて1目勝ちとし、この碁は元丈一生の出来栄えと言われる。 1824(文政7)年、十世井上因砂因碩が隠居して家督を継ぎ、十一世井上因碩となり、六段昇段。 1827(文政10)年、林元美とともに上手に昇段。 1828(文政11)年、8段準名人となる。この文政7、8年に「的然として昇達」と自身で述べ、8年の仙知に先番10目勝ちの碁に対し関山仙太夫は「黒打方極妙」と評している。 |
1835(天保6)年7月、松平家の碁会。 1839(天保10)年、42歳の時、12月、名人願書を幕府に提出した。 1840(天保11)年、本因坊秀和との四番争碁を打つ。第1局は打ち掛け7回の末に秀和先番4目勝ちとなり、途中二度下血した因碩は碁所願いを取り下げた。 1846(弘化3)年、7月から8月にかけて大坂にて本因坊秀策と対局した。 1847(弘化4)年、島原を訪問した。 1848(嘉永元)年、隠居して幻庵を号す。秀徹が12世井上因碩となる。しかし秀徹は1850(嘉永3)年に門人斬殺の事件を起こして退隠、後継者を予定していた服部正徹が旅行中であったため、林家門人の松本錦四郎に家督を継がせて13世井上因碩(井上松本因碩)とした。 1859(安政6)、没(享年62歳)。 |
名は別に因徹、立徹、安節。著作に「奕筌」(えきせん)、編著に「囲碁妙伝」など。 |
棋風 |
【「天保の争碁」】 | |
1840(天保11)年、11月、本因坊13世丈策、林11世元美、跡目林柏栄らが井上11世因碩(幻庵)相手の争碁に丈策の跡目の秀和を指名する。 11.29日、「天保の争碁」として知られる先相先 「井上因碩幻庵-秀和(先)」の「4番碁第1局」が、寺社奉行稲葉丹後守正守の神田小川町邸で打たれ、四番争碁が始まる。因碩幻庵8段は42(43?)歳、秀和7段は21歳。因碩は4番とも白石を持って打ち、悪くても2勝2敗の打ち分けで名人碁所に任命される筋書きを書き、先相先"を拒否し、8段と7段の対戦であるとして秀和の定先を主張し、これが受け入れられて秀和の先番となった。因碩と秀和の対局は初めてではなかった。両者は前年の天保10年に3番手合せをしている。初対局は秀和先番で因碩の6目勝ち。2局目は秀和1目勝ち。両者1勝1敗後の第3局はジゴ。互角のこの前哨戦を経て両雄は本因坊家―井上家の面子をかけた大一番に向かった。手合せ時間は毎日、朝9時から申(さる)の上刻(午後5時30分)までの7時間と定められ、稲葉丹後の守以下の役員のほか安井算知、太田雄蔵ら当時の一流棋士たちが観戦した。 第1局、秀和と因碩はともに死力をつくし、初日は31手までで打掛けとなった。翌30日は45手まで。12.1日は71手まで。12.2日には91手まで進んで中盤戦に入った。両者互いに最善の手を打ち、いずれが優勢ともいえない展開となった。12.3日、碁は5日目に入り、因碩優勢に見えたが秀和の巧みな凌ぎにより逆転模様となってきた。因碩の体調がおかしくなり吐血。この日は、わずか8手しか進んでいなかったが対局は一時休止された。5日間の中断のあと、12.9日、再開。因碩から打ちつがれたが2日間打って再び倒れたのでまた中断した。二度中絶したことになる。1日休んで再開した。12.11日、第7日目、因碩が懸命に劣勢を挽回しようと打ち回したが差は縮まらず第8日目に入った。最後は夜を徹して朝方に白264で終局し秀和の黒番4目勝ちとなる。結局、打ち掛け7回、八日七夜の通算9日間にわたって打ち続けられたことになる。因碩は途中二度下血(吐血?)しており、身体でも盤面でも文字通りの死闘だった。「秀和が生涯で最も力を傾けた一局」と評されている。 因碩幻庵が「囲碁妙伝」に次のように記している。
秀和との争碁に臨んだ因碩は、第1局の秀和先4目勝ちの手ごたえを見て四番碁の継続を断念し、名人碁所の願書を取り下げることとなった。その後、1842(天保13)年にも秀和と二度対局するが、秀和の先番を破れず、名人碁所を断念する。その後1845(弘化2)年、丈和の長男戸谷梅太郎が水谷琢順の養子(水谷順策)となっていたのを井上家跡目に迎え井上秀徹とする。同年太田雄蔵と十番碁を行うが(雄蔵先)、棋譜は3局までのみ残っている。 秀和は史上最強の棋士として名が挙がるほどの実力であったが、名人位を望んだ時には世は幕末の動乱期に突入しており、江戸幕府はすでに囲碁どころではない状況に陥っていた。本因坊丈策が三家の推薦で7段に昇進する。「天保の内訌」最終章となる。 |
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「井上因碩幻庵-秀和(先)」は黒番4目勝ちとなった。当時はコミなしルールであり、その約定の下での打ち回しであるから幻庵負けは動かし難いが、現下のコミありルール、しかも「白番6目半コミ貰い」で測れば様相が大いに変わる。黒番4目勝ちは白番2目半勝ちとなる。この碁に限らず、幻庵の戦績を現下の6目半コミ制で見直すと、道策、丈和に匹敵する非凡な戦績を残していることに気づかされる。例えば、前年天保10年の両者の3番手合せは、1局目/秀和先番で幻庵の6目勝ちとなったが現代では幻庵の12目半勝ち、2局目/秀和1目勝ちは幻庵の5目半勝ち、3局目/ジゴは幻庵の6目勝ちとなる。「耳赤の棋譜」で知られる1846(弘化3)年の「幻庵-秀策(先)」は黒3目勝ちであるので現代ルールでは白3目半勝ちとなる。当時のコミなしルール下での幻庵負けの相当数が現代ルールではひっくり返ることになる。「当時はコミなしルールの約定の下での互いの打ち回し」であることを承知しつつ、それを踏まえてもなお幻庵負けの相当数が割り引かれるべきと考える。この目線で捉えると、幻庵の碁聖ぶりが浮かび上がって来るのではあるまいか。 2022.2.20日 囲碁吉拝 |
対戦日 | 白番 | 黒番 | 結果 | 現代碁コミ検算 |
1812(文化9).4.15 | 丈和 | 幻庵 | (2子)ジゴ | (2子)ジゴ負 |
丈和との初手合。 | ||||
1813(文化10).2.11 | 丈和 | 幻庵 | 先中押勝 | 中押勝 |
1813(文化10).10.1 | 丈和 | 幻庵 | 先3目勝 | 3目半負 |
1814(文化11).1.15 | 丈和 | 幻庵 | 先中押勝 | 中押勝 |
1814(文化11).2.21 | 丈和 | 幻庵 | 先中押勝 | 中押勝 |
1814(文化11).7.25 | 丈和 | 幻庵 | 先2目負 | 8目半負 |
1814(文化11).8.15 | 丈和 | 幻庵 | 先4目負 | 10目半負 |
1814(文化11).9.11 | 丈和 | 幻庵 | 先11目負 | 17目半負 |
双方の死石150の大激戦。 | ||||
1815(文化12).1.17 | 丈和 | 幻庵 | 先4目勝 | 10目半勝 |
1815(文化12).519 | 丈和 | 幻庵 | 先中押勝 | 中押勝 |
1815(文化12).9.9 | 丈和 | 幻庵 | 先2目勝 | 4目半負 |
1815(文化12).12.2 | 丈和 | 幻庵 | 先9目負 | 15目半負 |
1816(文化13).8.26 | 丈和 | 幻庵 | 先中押勝 | 中押勝 |
1818(文政元).6.29 | 丈和 | 幻庵 | 先中押勝 | 中押勝 |
1818(文政元).8.19 | 丈和 | 幻庵 | 先中押勝 | 中押勝 |
1818(文政元).9.15 | 丈和 | 幻庵 | 先5目勝 | 1目半負 |
1819(文政2). | 元丈 | 幻庵 | (2子)1目勝 | (2子)1目勝 |
御城碁 | ||||
1820(文政3).11.17 | 林元美 | 幻庵 | 先11目勝 | 17目半勝 |
御城碁 | ||||
1821(文政4).10.27 | 丈和 | 幻庵 | 先中押勝 | 中押勝 |
1821(文政4).11.17 | 丈和 | 幻庵 | 先12目負 | 18目半負 |
御城碁第392局/白の名局。 | ||||
1821(文政4).12.8~ | 丈和 | 幻庵 | 先中押勝 | 中押勝 |
幻庵的好局 (sgf) | ||||
1822(文政5). | 安井知得仙知 | 幻庵 | (2子)中押勝 | (2子)中押勝 |
御城碁/ | ||||
1822(文政5).閏正月3.12 | 丈和 | 幻庵 | 先中押勝 | 中押勝 |
1822(文政5).8.10 | 安井仙知 | 幻庵 | 先中押勝 | |
1822(文政5).9.5(10.3) | 幻庵 | 四宮米蔵 | 白中押勝 | 中押負 |
ShinomiyaYonezo vs InoueAnsetsu (sgf) | ||||
1822(文政5).10.19 | 幻庵 | 四宮米蔵 | 白中押勝 | 中押勝 |
1822(文政5).10.23 | 幻庵 | 四宮米蔵 | 白中押勝 | 中押勝 |
1823(文政6).11.17 | 服部因淑 | 幻庵 | 先2目勝 | 4目半負 |
御城碁/ | ||||
1824(文政7).11.17 | 元丈 | 幻庵 | 先2目勝 | 4目半負 |
御城碁/ | ||||
1825(文政8). | 幻庵 | 林伯悦 | (向2子)中押勝 | (向2子)中押勝 |
御城碁/ | ||||
1826(文政9).11.17 | 安井知得仙知 | 幻庵 | 先13目勝 | 6目半勝 |
御城碁/ | ||||
1828(文政11).9 | 丈和 | 幻庵 | 打挂 | 打挂 |
1830(天保元). | 幻庵 | 安井俊哲 | (向2子)中押負 | (向2子)中押負 |
御城碁第413局/ | ||||
1832(天保3). | 幻庵 | 林伯栄 | (向2子)中押負 | (向2子)中押負 |
御城碁第416局/ | ||||
1833(天保4).11.6 | 幻庵 | 赤星因徹 | 白中押勝 | 中押勝 |
1835(天保6).7.19 | 幻庵 | 安井俊哲 | ||
1835(天保6).閏7 | 赤星因徹 | 幻庵 | 先中押勝 | 中押負 |
1835(天保6). | 幻庵 | 赤星因徹 | 白3目勝 | 9目半勝 |
1835(天保6).11.17 | 幻庵 | 安井俊哲 | 白ジゴ | 6目半勝 |
1836(天保7). | 幻庵 | 安井俊哲 | 白ジゴ | 6目半勝 |
御城碁/ | ||||
1839(天保10).3.10 | 幻庵 | 秀和 | 白6目負 | 半目勝 |
1839(天保10).4.4 | 幻庵 | 秀和 | 先相先/先1目負 | 5目半勝 |
1840(天保11).11.29 | 幻庵 | 秀和 | 白4目負 | 2目半勝 |
争棋 (sgf) | ||||
1841(天保12).4.19 | 幻庵 | 安井算知 | ||
1841(天保12).9.10 | 幻庵 | 服部正徹 | 白9目勝 | 15目半勝 |
1842(天保13).5.16 | 幻庵 | 秀和 | 白6目負 | 半目勝 |
失去棋所的名局 (sgf) | ||||
1842(天保13).11.17 | 幻庵 | 秀和 | 白4目負 | 2目半勝 |
御城碁第444局御好み/ (sgf) | ||||
1842(天保13).11.17 | 幻庵 | 安井算知 | 白1目負 | 5目半勝 |
御城碁 | ||||
1846(弘化3).7-20 | 幻庵 | 秀策 | 打挂 | 打挂 |
秀策 vs 幻庵6/1 (sgf) | ||||
1846(弘化3).7.21.24-25 | 幻庵 | 秀策 | 白2目負 | 4目半勝 |
秀策 vs 幻庵 (sgf) | ||||
1846(弘化3).7.25 | 幻庵 | 秀策 | 白3目負 | 3目半勝 |
耳赤的名局 (sgf) | ||||
1846(弘化3).7.28 | 幻庵 | 秀策 | 打挂 | 打挂 |
秀策 vs 幻庵6/3 (sgf) | ||||
1846(弘化3).7.29-30 | 幻庵 | 秀策 | 白中押負 | 中押負 |
秀策 vs 幻庵6/4 (sgf) | ||||
1846(弘化3).8.4-5 | 幻庵 | 秀策 | 白2目負 | 4目半勝 |
秀策 vs 幻庵6/5 (sgf) | ||||
1849(嘉永2).正月 | 幻庵 | 勝田栄輔 | 白中押勝 | 中押勝 |
勝田栄輔 vs 幻庵 (sgf) | ||||
1849(嘉永2).正月2 | 幻庵 | 勝田栄輔 | 打掛 | 打挂 |
勝田栄輔 vs 幻庵 (sgf) | ||||
1852(嘉永5).1/15 | 幻庵 | 井田 | (向4子)8目負 | |
1852(嘉永5).1/16 | 幻庵 | 三上豪山 | (向3子)8目負不明 | |
三上豪山 vs 幻庵 (sgf) | ||||
1852(嘉永5).11/17、19、23 | 幻庵 |
勝田栄輔
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白1目勝 | 7目半勝 |
勝田栄輔 vs 幻庵 (sgf) | ||||
1855(安政2).3-6,8,10,11,19 | 幻庵 | 秀策 | 白中押負 | 中押負 |
秀策 vs 幻庵 (sgf) | ||||
1857(安政4). | 幻庵 | 吉田半十郎 | (向2子) | |
1859(安政6). |
【趙治勲の幻庵評、百田尚樹氏の著作評】 | |
2020.7.21日、趙 治勲 (名誉名人・二十五世本因坊)「江戸時代の天才囲碁棋士たちは、なぜ命を賭けて闘ったか」。
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(私論.私見)