444−332 | 理論的対立の検証(2)社会主義国の核実験是非論 |
(最新見直し2006.4.20日)
米国に続いてソ連が核実験に踏み切り、更に英国、仏国、中国と核実験に乗り出して行ったことが、我が国の原水禁平和運動に深刻な対立をもたらすことになった。この当時のイデーとして、1963.2月段階までは原水協常任理事会で「いかなる国の核実験にも反対」とする態度が確認されていた。但し、最大の帝国主義国家アメリカを始めとする英仏のそれと社会主義国のソ連(遅れて中国も参画することになる)の核をどう取り扱うのか、真剣な議論が為されないままに推移していた。 いわゆる社会主義国の核の評価を廻っては未討議のままの及び腰であったということであろうか。「確かに1949年段階において、アメリカが核を独占し、社会主義国に対するたえざる核恫喝を加え、しかもなおそれに対抗すべき国際的平和勢力が未成熟であったという状況にあっては、やむをえぬものとして首肯されなければならないかもしれない」。 ところが、ソ連は1961、1962年に華々しい核実験を行なうことになり、これに対する態度を明確にする必要に迫られることになった。「ソ連は、1958年以後、戦争にかわって両体制間の経済的競争を主張するいわゆる平和共存路線を全面的にうちだすが、この路線の基本的前提としては、全世界平和勢力の団結した平和運動が設定されていた。このように平和共存路線は、大衆の平和運動の前進に信頼をおいたもので論理的にはあるはずであった。そうした論理によってうちだされた平和共存路線にのっとった政策をとっているはずのソ連が、事実上やはり核実験によってしか、その世界政策をうちだしえなかったという点をどうとらえるかが、重要な問題となるであろう」という難問に回答せねばならぬことになった。 社会党・総評系は、反核運動の理念からして「如何なる国の核にも反対すべきだ」論を展開した。これに対し、共産統系は、アメ帝の核とソ連の核は性質が違い、アメ帝の核政策に対する抑止策として実験されている。拠って「社会主義国の核実験は擁護されるべきだ」論を展開した。 この時、大衆運動としての原水禁運動はそうした政党の見解はそれとして独自に運動理論を持つべきであったが、そうした組織理論が確立されていなかった。社共の観点及び政策の違いがどのようなものであろうが、「社会主義国の政策に依拠して運動をすすめるというようなことではないだろう。それはむしろ。強力な構造的大衆的平和運動として、社会主義国の政策をもより原則的な正しい路線の上にのせていく機能を、客観的には果たすものとなるであろう」と為すべきであった。 しかし、史実は、「いかなる国・・・」をめぐる社共両党の対立がそのまま原水協内に持ち込まれることになった。「これは安保以後の大衆的革新運動の全般的退潮ののなかで、大衆運動としての原水禁運動が、政党のひきまわしを排除しえなかったということを如実に示したものであり、運動の弱体化を象徴するものであった」。 概要「同時に、大衆運動に対する政党の指導の問題として、共産党が大衆運動の自主的発展を促す方向ではなく、上からおしつけるという形によって否定していったことは、政治的党派と大衆運動の関係の正しいあり方を否定したものであるという点において、きびしく批判されなければならない」とあるように、日共側から政治主義的な引き回しが演ぜられることになった。 日共系の原水協の限界性は、ソ連、中国擁護の平和運動であるとする観点への呪縛にあった。本来、異なる国によって「核」が綺麗かどうかなどあるはずはないのに、詭弁を弄してソ連、中国擁護型平和運動論を唱えていった。一方、原水禁は、「あるらゆる核実験に反対」との態度を採り、「反対」をシンボルにした。これには一貫性があり、被爆者援護法についても社会党(現社民党)を通じて自民党に働きかけ法案を成立させたなど一定の成果を挙げていくことになった。 |
【上耕論文「2つの平和大会と修正主義理論」考】 | |
日共の理論機関誌「前衛」1962.10月号に、上田耕一郎論文「2つの平和大会と修正主義理論」が所収されており、「スターリン同志愛好会」でサイト公開されている。論調「ソ同盟核実験を断固支持する」一色の観点が披瀝されており興味深い。これにつき今日まで上田耕一郎の釈明は無く、今日党本部建て替え実行委員会の責任者として党中央のもう一つの顔を演じている。一部転載する。
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ここで、上耕は、典型的な二枚舌を駆使している。 前野良曰く、「社会主義国による核兵器の保有の増大とその力によって平和が保証されるのだという論理」、「資本主義諸国や後進地域における人民の平和運動の無用論」を主張しているとしてこれを批判し(恐らくかなりいい加減に歪曲している筈−れんだいこ注)、返す刀で次のように主張している。 「社会主義国の軍事政策は、平和と独立をめざす系統的な『平和政策』の一部分であり」、「ソ連が防衛のための核実験をおこなうことは当然であり、世界大戦の勃発を阻止するための不可欠の措置にほかならない」、「社会主義の軍事力は、人類の生存のための最低限の物質的保障なのである」、「社会主義の防衛的軍事力は、帝国主義の侵略的軍事力に対抗するために必要なかぎり、ひきつづき発展させられなければならない」と主張している。 実践的に次のように指針せしめている。「当面の戦争危機を全力をあげて防止しながら、平和共存を実現する道はただ一つである。それ社会主義の平和運動を支持し、防衛的、軍事的措置の必要理由を理解しながら、同時に帝国主義に責任のある核実験と軍拡の悪循環を一掃するために、軍縮と平和、独立と民主主義をめざす世界人民の闘争を強化すること、これである」。 「もろんわれわれは、平和運動に社会主義の軍事的措置の支持をおしつけるつもりは毛頭ない。しかし運動の統一の内部で、できるだけ広範な人々に、社会主義の防衛的軍事力の意義とソ連核実験の真実について理解してもらうことは、党だけがおこないうる独自な組織的活動であり、こうした独自な活動は新しい段階に達した平和運動の統一の質を高め、日本の平和運動を日米独占が当面可能な最良の方向として期待する中立主義的方向に後退させるのではなく、日米独占の戦争政策に正確有効な痛撃を与える方向に日本の平和運動を発展させるのに役だつだろう」。 これによれば、当時の日共指導部が公然と「如何なる国の核実験にも反対、への反対」を唱えていたことが分かろう。さて、上耕は今日どう上手に舌を廻してくれるのだろう、聞いてみたいところである。 2005.8.9日再編集 れんだいこ拝 |
(私論.私見)