れんだいこの虚構の安全神話批判、原子力発電弾劾論

 (最新見直し2007.7.22日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 何と、原子力発電問題を検証していくと、ここでもまた中曽根の暗躍が認められる。世上では角栄を糾弾するのに忙しいようであるが、れんだいこ史観は違う。角栄は現代版大国主の命的政治をした。今から考えるのに善政ばかりである。他方、中曽根は、ネオ・シオニズムの御用聞き政治に勤しんだ。原子力行政も然りである。悪政ばかりである。こういう奴が名宰相と褒めそやされ、角栄が諸悪の元凶と批判されている。この倒錯を如何せんか。

 2007.7.21日 れんだいこ拝


お盆の頃ゆえ原子力利用にまつわる怪談を一席 れんだいこ 2004/08/12
 2004.8.9日、福井県美浜町の関西電力美浜原子力発電所3号機(加圧水型軽水炉、出力82万6000キロワット)で、配管破裂による蒸気噴出事故が発生し、作業員4名死亡、2名重体、5名重軽傷。運転中の原発の事故としては過去最悪の規模となった。国内の原子力施設で複数の死者が出たのは、1999年の茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所での2名死亡臨界事故以来。

 さて、「世界の先進国が原子力発電を放棄した中で、ひたすら核エネルギーに依存する道を突き進む日本」の背後事情には何があるのだろうか。れんだいこは、全く門外漢ではあるが、次のような見解を持っている。

 聞くところによると、核燃料の最終廃棄物処理は未だ対策できておらず、地下の地中深くに押し込める以外に術が無いとのことである。これやあれやを考えれば、目先の燃費効率の良さに目くらましされているが、原子力発電はむしろ最終的にコスト高になる可能性がある。その他、安全性、治安上の危険性を考慮すれば、西欧諸国が逸早く原子力発電から撤退し始めていることは賢明な政治能力と云えよう。

 ならば、日本では何ゆえに同じような対応ができないのか。逆に云うと、日本の原子力行政の推進力はどこにあるのか、これを思案せねばならない。云える事は、「構造的危険」があり過ぎることが判明している現在にも拘わらずこれを推進し続けようとする合理的理由を見出すことは難しいので、推進母体の動機を客観認識せねばならない。これが問題を解くカギではなかろうか。

 ただでさえ日本のように地震の多い国での原発開発は自殺行為ではないのか。何ゆえに、原子力行政は推進され続けるのか。それは、そこに防衛利権と並ぶ原子力利権があるからである。そう考えることによってしか理解できない。いきなり結論を出してしまったが、いずれこれを論証するつもりである。スケッチ風にしか書き込めないが次の要点を確認しておく。広瀬隆・著「腐食の連鎖」、「オウム事件の本番」(http://technotrade.50megs.com/kok_website/fireworks4/main_pages_sub/OUMUNOSEIRISEITON_PAGE8_4.HTM) その他を参照する。

 「我が国における原子力行政の闇」の部分を確認しておく。

 1954.3.2日、中曽根康弘によって日本の国会に始めて原子力予算が上程された。4月に成立すると、日本の原子力政策は巨額の税金を「利権として吸い上げる」構造的汚職の巣窟と化して行った。この時の原子力予算は235億円。

 中曽根のこの動きを背後で操っていたのが読売新聞の社主・正力松太郎である。正力は、戦後、戦犯として訴追され、政治生命を断たれた。その正力が戦犯解除されるに当たってCIAとエージェント取引したことが考えられる。同じような経緯で取引した者に戦前の特務機関系右翼・児玉誉士夫がいる。岸にもこの臭いがある。

 正力は、戦犯訴追解除後、古巣の読売新聞社に復帰し、その後衆議院議員になり、日本テレビ放送網社長、第2次岸内閣の原子力委員会議長、科学技術庁長官を務めている。初代の原子力委員会委員長に就任している。

 この正力の意向を受け、「1954.3.2日、中曽根康弘によって日本の国会に始めて原子力予算が上程された」ことが考えられる。以来、中曽根と正力は、政界における原発推進の両輪となって動いてきたという経過がある。中曾根と読売新聞社の関係にはただならぬものがある。(これに日共の宮顕を加えれば「闇のトライアングル」を形成している、と云える。ここではこの件の考察はしない)

 正力-児玉誉士夫−中曽根ラインは、CIAコネクションを形成する。そこから政官財三界に巨大原子力推進人脈が形成されている。これは軍事利権人脈ともほぼ重なっている。この連中がピラニアのように軍事防衛、原発利権に群がり、国家を私物化しつつ食い尽くして行くことになる。まさに「権力を私する魑魅魍魎の妖怪ども」である。

 中曽根には次のような特別縁戚関係が見て取れる。原子力行政の旗振り役が中曽根であるが、その受注主力企業は鹿島建設(現・鹿島)である。高速増殖炉「もんじゅ」、「ふげん」、福島第一原発、1号、2号、3号、4号、5号、6号、福島第二、1号、2号、3号、浜岡1、2、3号、女川1号、浜岡1,2,3号、伊方1,3号、柏崎1,2,5号、島根1、2号、東海1、2、大飯1、2号、泊1,2号、これらは全部「鹿島」の建設である。

 中曽根と鹿島の関係には深い絆がある。鹿島建設の創業者・鹿島守之助の娘婿が渥美健夫で元会長。その息子直紀が結婚したのが中曽根康弘の娘美恵子。日本の原子炉建設トップ企業と日本の原子力政策の推進者が「血族」として繋がっているという訳である。

 とりあえず以上を確認しておく。

 2004.8.12日、2006.2.23日編集見直し れんだいこ拝

【原発政策の罠考】
 れんだいこが原発問題になぜ関心を持つのか。一つは、「ウソで固めた安全神話」を白日の下に晒さねばならないからである。原子力放射線はいわゆる悪魔である。この悪魔は、降灰と海洋汚染と地下汚染の三種からなる。二種で分けるとすれば表出汚染と浸透汚染という仕分けになろう。いずれも非常に危険なものであり、人体は無論生態系全体の環境に取り返しのつかない履歴を残し蝕み続けることになる。

 中でも最大の問題は、核最終廃棄物処理方法の杜撰さである。現在のところ地下に埋蔵する以外に方法が無く、缶詰にしたものを地中深くに格納するという原始的やり方で処理したつもりになっている。しかし何事も耐用年数がある。いずれ腐食し、更には地震による地殻変動に見舞われたらどうなるのか。原発推進科学者は、これに対する回答を持っていない。この状態のところへ、日々核最終廃棄物が量産されており、処分場候補地の選定が急がれている。こういう状態にある。

 この杜撰さが核問題の最大のポイントであろう。核最終廃棄物に対して科学処理を持たないままでの原発推進は、犯罪的というより取り返しのつかない愚行であり、断じて許してはならない。にも拘らず、世界史的に見て山紫水明の稀有な国としての誉れを持つ日本は核先進国という名の核奴隷国にされており、予見される近未来、地下水汚染が必至の状態に至っている。

 世間の関心は専らこの方面にある。それはそれで構わない。この方面の研究も必要であり、れんだいこには知識が無いので、その道の識者、専門家に任せたい。学ばせていただくばかりである。れんだいこが関心を持つのはもう一つの批判である。原発政策が何ゆえに如何にもたらされたのかを疑惑せねばならない。思うに、原発は、ネオ・シオニズムの産みの親である現代パリサイ派が食らいついた悪魔主義科学の産物であり、原発推進政策は彼らの拝金蓄財の為せる技であり、低劣な知性を証している。のみならずひょっとして彼らの世界支配政策の道具として用意周到に利用されている恐れがあるのではなかろうか。れんだいこはそう危ぶむ。

 今日地球環境破壊が世界的テーマになりつつあるが、この事態は如何にしてもたらされたのか。決して偶然であったり、諸科学の発達の必然的行程ではあるまい。世界の諸民族は或る宗派民族を除いて大概のところ地球環境との共生のうちに生息してきた。科学や産業もこの叡智の中で営まれてきた。特に我が日本はこれに長けている民族である。発酵文明と呼ばれるが、それは自然素材を上手に活かして調理するところに特徴がある。それが停滞性のものであれ漸進的なものであれ、世界の諸民族は概ね万事を自然環境と調和させつつ歴史を経ていた。考えてみれば、それで何らおかしくない。そうあるべきではなかったか。

 ところが、かの宗派民族の偏執教義を更に先鋭化させ、偏狭さで塗り固めている現代パリサイ派が歴史に公然登場し始めてより、近代科学の成果を彼ら流の際限の無い自然支配に応用し始めてより、進歩発展の名の下に公害を意に介さない無分別な工業に手を染め、その悪魔主義と営利主義が相乗して乱開発となり、遂に地球環境破壊まで辿り着いており、今日、地球崩壊カウントが数えられる事態にまで至っているのではないのか。

 地球環境破壊は、自然と共生せず支配することしか知らない現代パリサイ派主義的科学とその資本主義がもたらしたものであり、彼らは未だにこの道を驀進中である。彼らの思惟は、地球環境に為すすべを持たない。なぜなら、拝金蓄財を全ての価値に優先させる作法を維持する限り、地球環境対策はそれをブレーキさせるものでしかないからである。地球環境対策に向かえば、忽ち彼らの根本テーゼが崩れる。イデオロギッシュな彼らは、最終的に拝金蓄財の道を選ぶ。そういう訳で、彼らは今日も、ゴールド飽くことなくを求めて世界を渉猟し続けている。

 その昔、イエスが、神の御言葉をもって対峙し激しく論難したことはゆえないことではなかった。世界は明らかに、イエスが危惧した通りにサタニズムに犯されつつある。賢明なる諸民族は一刻も早くこの仕掛けに気づき、このワナから抜け出す方法を編み出さねばならない。

 そういう目で見れば、れんだいこには、日本に於ける各地への原子力発電所の配置が米軍基地の配置とダブって映る。どうやら良からぬ目的で意図的に原発が導入された節が見えてくる。今や我が日本は原発奴隷国家に成り下がっている。こうなると、大和民族は外敵にやられる危険よりも、原発で崩壊させられる可能性が高いのではないのか。

 政治が真っ当なら、北朝鮮のテポドンに狂騒するぐらいなら、それ以上に危険性の高い原発問題に対してはもっと大騒ぎして万全の策を講じるべきであろう。しかるに、その昔にネオ・シオニズムの傭兵的立ち回りをすることで出世権力を得る秘密契約を結んだタカ派系政治家は、今もなお原発推進旗振り役として忠勤している。正力−中曽根−ナベツネラインがこの水路を創った。以降日本列島にウラン網を仕掛け始め、今や十重二十重に囲もうとしている。これが許されることだろうか。

 原発問題は、かような観点からも検証されねばならないのではなかろうか。先の柏崎原発事故から学ぶべきは、目先の対策を廻る鶴首会議ではない。我が国のエネルギー政策の根本的な問い直しを諮問すべきであり、そのマニュフェストを作成することである。原発と一刻も早く決別せよ。これがれんだいこ提言となる。

 2007.7.23日 れんだいこ拝





(私論.私見)