**** | レーニン |
だから、抑圧民族、すなわちわいわゆる『強大』民族(その暴力にかけてだけ強大なだけだ−)にとっての国際主義とは、諸民族の形式的平等を守るだけでなく、生活のうちに現実に生じている不平等に対する抑圧民族、大民族の償いとなるような、不平等をしのぶことでなければならない。このことを理解しなかったものは民族問題に対する真にプロレタリア的な態度を理解せず、実は小ブルジョア的見地にとどまっているのものであり、従って絶えずブルジョア的見地に転落しないではいられないのである。
プロレタリアにとっては何が重要か。プロレタリアにとって重要であるばかりか、ぜひとも必要なことは、プロレタリア階級闘争に対する異民族の信頼を確保することである。このために何が必要か。このためには、歴史上の過去に異民族の最大の信頼を確保することである。このためには何が必要か。このためには歴史上の過去の償いに異民族が『強大』民族の政府から蒙った不信、疑惑、侮辱を、異民族に対するその態度により、その譲歩によって何とかつぐなうことが必要である。(全集第36巻、718P)
(私論.私見)