補足「Webの創成( World Wide Webの誕生経緯)考」

 (最新見直し2005.12.21日)

【「Webの創成( World Wide Webの誕生経緯)考」】
 「後藤斉のウェプサイト」に「Webの創成に纏わる創作者達の証言」が掲載されている。原文は「Weaving the Web: The Past, Present and Future of the World Wide Web by its Inventor」。極めて貴重有益故にこれを転載する。日本語訳は、「Webの創成〜World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか」(著者:Tim Berners-Lee 、監訳: 高橋徹、毎日コミュニケーションズ, 20011.9.1日初版)として出版されており、内容紹介として「World Wide Webの発明者でありインターネットを変え続けるWebの思想家が自ら語るWebの設計思想と次世代Webの構想」と添え書きされている。

 「引用原文」が掲載されているので、後藤訳の力を借りつつこれをれんだいこが和訳し、その内容を確認する。
 「Weaving the Web: The Past, Present and Future of the World Wide Web by its Inventor」 (Tim Berners-Lee, London: Orion Business Books, 1999 )
 (和訳) Webの創成 World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか(Tim Berners-Lee著, ロンドン、オリオン・ビジネス書店、1999年 )
 The irony is that in all its various guises -- commerce, research, and surfing -- the Web is already so much a part of our lives that familiarity has clouded our perception of the Web itself.
 (和訳) 皮肉なことに、Webがその証券取引、調査、ネットサーフィンといった多様な姿を現すことにより、すでにかなりの程度まで私たちの生活の一部になりきってしまっている為に却って、このように身近な存在であることが裏目に出て、Webとは何であるかがよくわからなくなってしまっている。
 (備考)guise=外観、様子。cloude=〈考え・意味など〉ぼんやりした、あいまいな。perception=理解(力) 。
 To understand the Web in the broadest and deepest sense, to fully partake of the vision that I and my colleagues share, one must understand how the Web came to be. (p.2)
 (和訳)  Webを最も幅広く深い意味合いにおいて理解する為には、即ち私や私の仲間たちが共有しているヴィジョンに十全に参加しようとするなら、Webがどのようにしてこの世に現れたのかを知らねばならない。(p.11)
 I immediately began to think of a name for my nascent project. [...] An alternative was The Information Mine, but,... Besides, the idea of a mine wasn't quite right, because ..., and it represented only getting information out -- not putting it in. (p.26)
 (和訳) 私はすぐに、今生まれようとしているプロジェクトにつける名前について考え始めた。あれこれと。Webの代案はThe Information Mine (情報鉱山) だった。あれこれ考えると、 鉱山という考えはピッタリするものではなかった。なぜなら、それは単に情報を掘り出すだけで、そこに情報を蓄積する意味を表現していなかった。 (p.36)
(備考)nascent=発生しようとする、 初期の。alternative=二者択一、選択肢、代案。perception=理解(力) 。
 My vision was a system in which sharing what you knew or thought should be as easy as learning what someone else knew.

 [...] The need to make all documents in some way 'equal' was also essential.

 The system should not constrain the user; a person should be able to link with equal ease to any document wherever it happened to be stored. (p.36)
 (和訳) 私が構想していたのは、或る人がその知識や考えを他の誰かのそれと同じくらいに容易く学び合いできるようなシステムであった。

 
... すべての文書をある意味で「等価」にすることもまた不可欠である。

 
システムはユーザーを制約してはならない。どの文書についても、それがたまたまどこに保存されていようと、同じように
たやすくリンクできるようになっていなければならない(pp.49-50)
 The fundamental principle behind the Web was that once someone somewhere made available a document, database, graphic, sound, video or screen at some stage in an interactive dialogue, it should be accessible (subject to authorisation, of course) by anyone, with any type of computer, in any country.

 And it should be possible to make a reference -- a link -- to that thing, so that others could find it. (p.40)
 (和訳) Webの背景をなす基本的な原理は次のようなものである。どこかの誰かが、ひとたび文書、データベース、画像、音声、動画あるいはある程度までインタラクティブな画面を準備したなら、(もちろん使用許諾の範囲内のことだが)いかなる国のどのようなコンピュータを使っていても誰もが、この画面に対してアクセス可能でなければならない。

 そして、リファレンスすなわちリンクをつくれるようにしなければいけない
対象のものを他の人たちが見つけることができるように。(pp.53-54)
(備考)authorisation=。
 The web is more a social creation than a technical one.
 I designed it for a social effect -- to help people work together -- and not as a technical toy.

 the ultimate goal of the Web is to support and improve our weblike existence in the world. (p.133)
 (和訳) Webは技術的な創造物というよりは社会的な創造物である。
 私はWebを技術的なおもちゃではなく、人々の共同作業の手助けとなるような社会的効果を生むものとして設計した。

 Webの最終目標は、世界中に私たちが織りなしている網の目のような存在を支援し、改善することである
(p.156)
 The ability to refer to a document (or a person or anything else) is a fundamental right of free speech. (p.152)
 (和訳) 文書(人やその他何でも)を参照できることこそが、言論の自由という基本的人権そのものなのであるハイパーテキスト・リンクを使った参照は効率的ではあるが、参照以外の何ものでもない。(p.174)
 Once something is made public, one cannot complain about its address being passed around. (p.154)
 (和訳) いったん公開されてしまったら、世の中にその情報のアドレスが出回ったことについて不満をいうことはできない(p.175)

(私論.私見) Tim Berners-Leeの「Web創成証言」考
 れんだいこの理解に誤り無ければ、これによれば、「Web創成」に関わったTim Berners-Lee自身が、ウェブページの人民大衆的共有を目指して「World Wide Web(W.W.W)」を世に送り出したことが分かる。従って、「少なくともリンクは自由」であるとする姿勢こそが創作者達の意図であったことが判明する。

 こうなると、次のことが説明されなければならなくなる。創始者の意図が人民大衆的共有を目指して世に送り出したものを、その恩恵に預かってこれを利用する者達が創始者の意向に反する事が許されるのかということを。実践的問題は、「World Wide Web(W.W.W)」利用者相互の使用許諾の範囲ないしルールとマナーの確立にあり、時代的にこのことが求められている訳であるが、Web創成者Tim Berners-Leeの「ウェブページの人民大衆的共有」観点を継承することこそがまずもってのルールとマナーではなかろうか。

 にも拘らず、「親の心、子知らず」を地で行く全方位著作権棒の振り回し屋が跋扈し過ぎていやしないか。この棒を引き続き振り回したいのであれば、少なくとも「http://www」を使わず自前のそれを作り出してから云うべきではなかろうか。あるいは根限り著作権棒を振り回し安い代替を見つけ出せばよいのに。何とならば、くどいようだが「http://www」の考案者が全方位著作権棒の振り回し屋を排斥しているのだから。

 このことは、http://wwwの考案者Tim Berners-Lee氏が文化形成の造詣が深く、人は当然己もまた先人の恩恵によって文化的に生かされていることを知るが故の措置であり英断であると云うべきだろう。それが分からずエエトコトリしようとする自己本位人間が全方位著作権棒を振り回して正義ぶっていいる。滑稽なことである。

 2003.6.6日、2004.3.10日再編集 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その14 れんだいこ 2005/01/29
 【インターネット上の著作権問題における原点視角考】

 
1.28日付けロンドン・ロイターによる2004年の最も偉大な英国人にWWW発案者記事を参照する。著作権が喧しいが、他人のふんどしで相撲を取る強欲な著作権万能全域適用論者の痴愚ぶりが浮き彫りにされるであろう。

 
2005.1.27日、ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の発案者として知られる英国のティム・バーナーズ・リー(Timothy John Berners-Lee )氏が、「2004年の最も偉大な英国人」に選ばれた。

 
「2004年の最も偉大な英国人」審査員として選考に参加した歴史家のデービッド・スターキー氏は、ロイター通信に次のように語っている。
 「(バーナーズ・リー氏は)自分の発明を商業的には利用しないことを選び、ほとんど頑固と言えるほどの態度でこれを公開した。もしこれを完全に利用していれば、今日ではビル・ゲイツ氏が貧困者に見えるほど(の富を得ていた)だろう」。

 つまり、(バーナーズ・リー氏は、「謙虚さと才能に加え、利他的な姿勢が評価され」、「2004年の最も偉大な英国人」に選ばれたことになる。

 リー氏の履歴及び「WWW」の開発経緯を見ておく。次の通りである。
 1955.6.8日、ロンドンに生まれ、1976年、オックスフォード大学・クイーンズカレッジの物理学科を卒業後、英国の一流通信機メーカーのPlessy Telecommunications Ltd.に2年間勤務し、1981年から1984年までImage Computer Inc.などの企業を経て、1984年からCERN(スイスのジュネーブにあるヨーロッパ粒子物理学研究所)の特別研究員としてECP部門で働く。

 スイスの研究所に在籍していたこの時、外国にいるときでも同僚同士が一緒に研究できる「グローバル・ハイパーテキスト・プロジェクト」を構想して、ハイパーテキスト文書をクモの巣(ウェブ)のようにはりめぐらしたネットワークの中で簡単かつ自動的に知識を結集させられるようにしたいという目的からインターネットを通じてこれを行うことが出来る装置として「WWW構想」を発案し、その開発に向う。

 やがてウェブブラウザーを生み、その基礎となるプロトコルを規定することになるソフトを作成した。「HTML」(ハイパーテキスト・マークアップ言語)と「http://」(ハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル)が基礎となるプロトコルとなった。

 「http://」に続けてウェブ上のアドレス「URL」(ユニフォーム・リソース・ロケーター)を書き込むことにより、誰もがホームページを持てるようになった。こうして、「URL」、「HTTP」、「HTML」などWWWの基本となるプロトコルがリー氏の設計で創られることになった。
 
 ウェブの生みの親が語る過去と未来(上)は、その意義についてのリー氏の発言を紹介している。
 「新しいもののなかで一番重要だったのは、『URI』(ユニバーサル・ドキュメント・アイデンティファイアー)、つまり今のURLという概念です。これは存在するどんな情報にも名前をつけて識別できるようにするべきだという考えで、名前をつけることにより、情報を識別するだけでなく、情報を保有することもできるようになるのです。この考えが、ウェブを普遍的なものにする基本的な糸口でした。そしてこれが私がこだわった唯一の点です」。
 「『URI』とは、『http://』ではじまり、何やら奇妙な長ったらしい言葉の続く、例のやつで、これは文書名を表しています。ウェブアドレスと呼ばれることも多いのですが、今ではトラックの車体から野菜に至るまで、あらゆるものの上に短く縮めた表現で書かれています。基本的には、ウェブ上に存在する特定の情報を識別するのに使われます」。

 1989年、グローバル・ハイパーテキスト・プロジェクト提案。1990年、最初のハイパーテキスト・ブラウザ&エディター開発。1990.12月頃、「WWWプログラムがCERN内に稼動し、1991.8.6日、最初のwebサイトが設立された。1991年の夏にはインターネット上であまねく稼動するようになった。かくて、リー氏は、歴史に「世界最初のWWW開発者」としての地位を得ることになった。その特許を取得せず、インターネットに開放してすべての人がアクセス利用できるよう提供した。

 1991年から1993年にかけて、インターネット上のユーザーと連携をとりながら、改良を重ねていった。

 1994年、リー氏は、MIT(マサチューセッツ工科大学)のコンピューター科学研究所の主任研究員に迎えられ、現在に至っている。なお、マサチューセッツ工科大学に着任した直後にウェブの標準化団体である「ワールド・ワイド・ウェブ・コンソーシアム」(WWWコンソーシアム、W3C)を創設し、ディレクタ(理事)として活躍している。「W3C」は非営利団体機関を貫いている。

 このリー氏の功績が「インターネット上のページを体系化、リンク、閲覧するシステムWWWの発明を通じてインターネットの包括的かつ国際的な発展に対する貢献」として認められている。


 
この間、2004.6.15日、フィンランド政府が創設した「ミレニアム・テクノロジー賞」を受賞。2004.7.16日、英国のエリザベス女王から大英帝国の騎士道の2番目に位置する爵位である大英帝国上級勲爵士(Knight Commander of the British Empire:KBE)の爵位が授与され、イギリスのナイトの称号を得る。
 
 
リー氏の功績は、「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の世界最初の発案者」としてのみにあるのではない。それを無特許で世界に公開した事が絶大に評価されるに値する。今日、そのWWWシステムを利用しての著作権談義がうるさいが、この「元一日のいきさつ」を銘しておくべきではなかろうか。

 世の著作権万能全域適用論者よ、ふんどしを締め直して、心して聞け。

 リー氏は、KBEの爵位を授与された時、次のように述べている。
 「私はこのような大変な栄誉に恐縮してる。Webは、私の仲間の世界中の発明家や開発者との共同研究開発を通じて実現されたもので、この栄誉はインターネットコミュニティの全ての人に与えられるべきものだ」。
 「Webは、これからも全ての人に対してオープンであり、提供情報に偏りがない、普遍的なメディアであり続けるべきだ。多様な機器に対応し、技術がより強力で利用し易いものとなったことから、様々な規模の誤解を解消し、協働するためのメディアとして、如何に使いこなすかを学ぶことが求められる」。

 
リー氏のこうした考えは、著作Webの創成 ― World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか(ティム・バーナーズ-リー著、 高橋徹・翻訳)、「Weaving the Web」で積極的に開陳されている。
(れんだいこ私論.私見) リー氏の無特許公開姿勢について

 近時の著作権万能全域拡大論者は、これをどう受け止めるのだろうか。というより、欲ボケに汚染され過ぎて、問題を問題として認識する力さえないのかも知れない。

 2005.1.29日 れんだいこ拝


 



(私論.私見)