引用、転載要通知要承諾論者の本質的反共反動性考

 (最新見直し2007.4.8日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 著作権問題におけるリンクの要通知・要承諾を求めるものはさすがに小数になった。しかし、引用・転載になると要通知・要承諾を求めるものが大勢である。それを無視するれんだいこは、何度泥棒呼ばわりされたことか。れんだいこは、この種の貧能と性悪手合いの精神を手直しするほどお人よしではないので、以来極力関わらないようにしようと心がけている。しかし、既に取り込んでいるものもあり、それを一々目を通すことができないほど膨大になっているので、指摘されれば忽ち割愛するか急遽咀嚼してれんだいこ文にしようと思う。他方で、れんだいこの無通知無承諾による転載を喜んでくださる方も居り、れんだいこも逆にそうされた場合には喜ぶのだが、人間様々と云う気がする。

 それはともかく、ここでサイトを設けたのは、内部告発や貴重アングラ情報のいち早い伝達方式を考案せねばならないと思うようになったことに起因する。インターネットは、その媒体として一番向いている、権力側にとって厄介な文明の利器である。今のところ、権力側は、要通知・要承諾規制で取り締まる以外に無いようてある。ならば、我々は逆に対応すべきだろうということが容易に分かる話であろう。

 しかしながら、ここに、我々側の格好をして要通知・要承諾の内部規制を仕掛けるグループが出てきており、これにどう対応すべきか。彼らは、引用元、出典元を明記しても、同一性を保持しても、文章の主従制約を遵守しても更に、文筆者人格権、利用対価権、文章孤高権なるものを主張して、無断での引用転載を許さないと主張している。最近では著作権年限を50年から70年に延長せんとしている。この70年年限も特段に意味は無いので、いずれ100年あるいは300年にと云う具合に延長することになるだろう。

 要するに、彼らは何を狙っているのか。これを読み解くほうが早かろう。れんだいこが思うのに、権力側がそのように云えば何を馬鹿なと一喝できるが、左からこれをやられるから堪らない。現代サヨ族のサヨ理論は一事万事こういうものだが、かなり深く浸透し汚染し過ぎている。ご丁寧なことに、我々こそが共産主義者であるとしてか、反対派に容易に反共のレッテルを貼る。

 れんだいこが一喝しておく。お前たちは人様に反共云々という資格は無い。お前たちは、左から左用語を使いながらその実権力理論を弄んでいるに過ぎない。あまりやり過ぎるときっと脳がやられてしまうぞ。現に、日共系に特に精神に変調をきたしている者が多い。精神に異常を沸かさない連中はすっかり権力派に移行している。あるいは、何もかも考える気力を亡くしている者が多い。れんだいこの知る限りであるが。

 これに関連するのだが、日共系サイトの何と著作権囲いが煩いことか。彼らは何ゆえに自らの著作物をああも著作権か恋しようとするのだろうか。れんだいこには正気の沙汰とは思えない。本来、文章と云うものは多くの者に読まれ、口伝てされていくことを本旨としている。それをなぜ逆規制しようとするのだろう。その魂胆を怪しむべしではなかろうか。

 
2007.4.8日 れんだいこ拝


 



(私論.私見)