三事件考 | |
「易論研修会事件」考、「大塩の乱資料館事件」考、「晒し刑」考 |
(最新見直し2007.3.20日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで「易論研修会事件、大塩の乱資料館事件、晒し刑事件」を取り上げるのは、正邪を糾す為ではない。元々れんだいこの引用、転載行為に対するクレームであり、通説的理解ではれんだいこに非がある。そういう意味では、れんだいこの恥を晒すだけである。その恥晒しを敢えて引き受けるのは、これらの遣り取りを通じて著作権法の正確な理解を得たいが為である。 れんだいこの理解の方が変調なのかも知れない。そういう不安もあるが、著作権法を読む限り、れんだいこ理解の方が正確なのではないのか。現代著作権法を推進する著作権万能適用論者のそれは、あたかも日本国憲法9条の規定がなし崩しに改憲解釈され、野放図に進展している軍備、派兵の様と似ていないか。もう一度原点に戻る必要があるのではないのか、彼らのその多くは日本国憲法9条の拡大解釈に反対姿勢を示しているが、こと著作権法理解に於いては同様の拡大解釈で如意棒をふるっているのではないのか、それはオカシナ現象ではないのかという関心と通底している。 そういう意味で、当事者の実際例を通じてこれを叩き台にして著作権法理解にアプローチしてみたい。本サイトの意義はここにある。 2004.8.23日、2006.3.20日再編集 れんだいこ拝 |
【「易論研修会事件」考】 |
れんだいこに実際に発生した問題として「泰占会事件」(実際には「易論研修会事件」)がある。言い訳は趣味ではないが、正確を期すためあらかじめはっきりさせておく。 れんだいこは、「陽明学の研究」サイトを立ち上げた時、インターネット検索から「易学と東洋思想」サイトを呼び出し、これにリンクを貼り、一部文章を引用元明記で引用した。その個所は思想内容に関わるところではなく、朱子学のその後の歴史的経過に関する系譜的な記述のところ数行であり(ページ使用と非難されたが、云われるほどのものでもない)、引用元も明示しておいたしそう目クジラされるほどでも無いと思っていた。そのうち書き換える暫定のつもりであった。人にもよるのだろうが、れんだいこなぞ逆にされると光栄でありうれしいくらいだ。従って、これが問題になるとは夢にも思わなかった。 |
【ステップ1】 | ||
【れんだいこの引用に対する抗議その一】 | ||
実際に引用したところは次の下りである。元文は残していないので復元できないが、現在次のように引用している。
ところが、れんだいこのこの所為に対し、無断リンクであり、マナー違反による引用転載であるとして、かような措置に出られた。以下がその文である。
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【れんだいこの引用に対する抗議その二】 | |
もう一つ次のようにも表記されている。(現在はこの部分が削除されている)
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【れんだいこの引用に対する抗議その三】 | |
以上。云いたいこともあるが、暫く自重自戒を込めてここに転載しておくことにする。ここはひとまずお詫びしとこと思っているが、ご丁寧なことにメールが出来ないように措置されており、メールリンクを開けると以下の一文がお目にかかるようにされている。
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こういう遣り方に対してれんだいこは一体どうすればよいのでせう、逆質問しておく。儒教精神あるいは陽明学精神とどない関係があるんやろとか、思わぬ訳でも無い。 2002.6.10日 れんだいこ拝 |
【ステップ2】 | |
「易論研修会より 「れんだいこ」さんのHPより来訪された方へ」は最近(2002.9.1日付け)次のように書き改められている。正確を期すため次の一文もここに転載することにする。
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![]() これによると、「上記の易論研修会によるれんだいこへの警告文」に対して、その文筆主体の責任を廻って易論研修会と泰占会との間で議論が為されたということであろう。1・易論研修会と泰占会は別団体であり、2・こたびの抗議文は易論研修会が為したものであり、3・泰占会は何ら関係無いということを明記せよ、という抗議が為された模様である。 この泰占会の抗議により、易論研修会がわざわざ「易論研修会は『泰占会』の分派でも別名称でもありません。 泰占会ならびに関係者の皆様にご迷惑をおかけ致しまして お詫び申し上げます」と詫びを入れた格好になっている。 しかし、これはこれで更に問題がややこしくなる。つまり、れんだいこの易論研修会サイトへの無断リンク、文章の無断一部転載を批判した易論研修会が、無断で泰占会の名を使っていたことになる。実際の正確な関係は分からないが、「易論研修会は『泰占会』の分派でも別名称でもありません」とあるので別団体なのだろう。 となるとちょっと待てよ。一体、他団体の名前を「無断で」勝手に使って、れんだいこのリンクと転載が「無断である」との抗議をするようなそういう抗議があってたまるかよ。まっ世の中こういうことは多いのかも知れない。何やら説教強盗の上前を行くような臭いがする。 2002.9.7日 れんだいこ拝 |
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【ステップ3】 | |
ところで、事はこれでは終わらない。次のような一文にも出くわす。「メールの閉鎖について」が新たに言上されており、上述の「ウイルス入りのメール」に対する注意文が記載された後で、「このため、当方のメールボックスは2001年12月より閉鎖いたしております云々」とあり、末尾でかように書かれている。
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![]() こうなるとまた一言せねばならない。「あたかも『れんだいこ』さんのサイトから ウイルス入りのメールが送られてきたかのようなイメージを与えた趣旨の文章が『れんだいこ』さんのサイトに掲載されておりました」とあるが、どの文章のことだろう。掲示板にそれらしいことを書いたのか既に記憶が薄れている。少なくともここのサイトの文にはそういうことは書いていない。 例えば、どなたかが、「あたかもれんだいこさんのサイトからウイルス入りのメールが送られてきたかのようなイメージを与え、これではあんまりではないか」と世話を焼いてくれた者がいるというのなら分かる。それならそう記せば良いだろう。しかるに、「(そういう)趣旨の文章が『れんだいこ』さんのサイトに掲載されておりました」と記す。れんだいこにはその該当文が分からない。れんだいこは抗議した覚えも無い。 こういうのって、「これは、著作権云々の問題ではなく、 ネットのマナーの問題ではないか?と思います」という言葉をそのままお返ししたくなる所為では無かろうか。 2002.9.7日 れんだいこ拝 |
【ステップ4】 | |
この結末は次のように落ち着いた。易論研修会は、2002.9.8日改訂で、
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![]() つまり、自分で書いてれんだいこの不快を予想し、その不快につき抗議が為されたものと誤読した上で書き方が不適切であったとお詫びし、れんだいこがそういう抗議をした覚えがないと指摘すれば、誤読で申し訳なかったと重ねてお詫びするという流れになっている。こういうのを「自作自演転び」というのだろう。ブザマというより他ない。 とはいえ、元々れんだいこの無断リンク及び引用から始まったことで、それに付き相手先に不愉快な思いをさせたという意味で、れんだいこはここで相手先がそう感じた以上は申し訳有りませんでしたと一言添えておきたい。今日なお不愉快というのであれば、当サイトからリンク及び数行の引用を全抹消するつもりですので、その旨ご連絡ください。 2002.9.16日 れんだいこ拝 |
【ステップ5】 |
![]() ついでであるが質問しておきたい。「リンクフリーではありません」に意見を申し述べておく。それが当人の意思であっても、インターネットを利用するに付き不可避であることを弁え、むしろ本望と思うべきではなかろうか。リンクされたり引用されるのがどうしても嫌なら、トップページは致し方無いとしても、それより先は会員制のパスワード方式にされたら如何かと思う。 れんだいこには理解できないところであるが、改竄・歪曲引用ならともかくリンクとか引用元明記の引用の場合、誉れであっても逆では無かろう。批判される形で引用される場合でも、引用自体は原文通りに引用されているのなら致し方無かろう。要約引用の場合ややこしいが、趣旨が反していない限り目くじらするほどのことでも無いとか思う。 そういう気持ちから見ると、「リンクフリーではありません」はかなり一風変わった願望であって且つ法的裏づけも無い。そういう意味で、「リンクフリーではありません」に拘る思想的論拠について質問してみたい。 もう一つ、「政治団体でもありません」が目に付くが、何を云おうとしているのだろうか。「政治団体であったらなぜいけないのか」 、「そも政治というものをどのように理解しておられるのか」等々疑問が次々湧いてくる。「当サイトは純然たる研究を目的としているものであり、特定の政治団体との繋がりは有りません」ということを云いたいのだろうか。それならそう書けばよいのにと思う。 れんだいこ観からすれば、易と祀り、祀りと政治はその昔混交しており、政治団体は政治と繋がっている訳だから関係ないとは云えない。「政治団体でもありません」をことさら断り書きする必要性が分からない。書くのなら趣旨がよく分かるように書くべきでは無かろうか。いらぬお節介であるが、何かと関係が出来たのでこのことも質問してみたい。 2002.9.16日 れんだいこ拝 |
【ステップ6】 |
2002.10.26日現在、「易論研修会」より何らのコメントが出ていない。れんだいこは構わないが、近々本サイト「著作権問題考」を論文集の中にアップするつもりである。れんだいこが恥をかくのかかかないのか分からないが一応お伝えしておきます。 「盗聴法について考える」の「Link Free」は、れんだいこの所為に対するかなりの弁護論となっている。他にも同種見解を探すのはそう困難では無い。「インターネット・サイトのリンク、引用、転載について」で考察してみた。易論研修会は、これらの見解に対して何らかの態度を表明するのが嗜みだろう。 |
【ステップ7】 | |
2006.10.20日現在、「易論研修会」は封鎖されており、検索すると代わりに「易論研修会 易学
目次」が出てくる。トップページ末尾に次のように記されている。
「ご意見・ご質問 こちらへ」とあるが、「易論研修会のメールボックス閉鎖について」に辿り着くだけのことである。それにしても煮え切らない御仁ではある。 2006.10.20日 れんだいこ拝 |
【「大塩の乱資料館事件」考】 |
2004.2.8日、「大塩の乱資料館事件」が勃発した。れんだいこが種々の考究において必要な知識を著作からインターネットサイトからいただいてきていることは確かである。極力れんだいこ的に咀嚼しており、引用、転載の場合はその旨記す作風を良しとして実践しているつもりである。場合により漏れているところもあるかも知れず、気づき次第あるいは指摘され次第に訂正するつもりでいる。あるいはまたいずれ取り込みたいと思い欄外末尾で全文転載しておく場合もある。この際は、極力リンク掛けして引用元を明らかにしている。 れんだいこは、これらの作風で何ら非難を蒙るいわれはないと考えている。逆にそうされた場合には光栄であり喜ばしいこととして受け取っている。しかし、世の中はそうは受け取らず逆に非難の対象にしたがっている者も多い。前述の易論研修会事件の場合もそうであるが、こたびの「大塩の乱資料館事件」のように、歴史上体制反乱者の事跡考究の際にもいわゆる著作権適用なる観点から掣肘を受けたのは初めてである。 「大塩の乱資料館」サイト主催者に尋ねてみたいが、貴公が大塩平八郎の事跡研究為すのは勝手であろうが、貴公がその文章に付き著作権壁廻らすに付き大塩平八郎が喜ぶのは想像し易い。貴公が著作権適用で他者の容喙を拒否したり権威的に望む事態に対して、大塩平八郎は何と思うだろうか。大塩平八郎の精神を思うに付き、最もその精神に違背した精神を貴公は弄んではいないか。 貴公の潔癖論理に従えば、そもそも貴公は史上の実在人物大塩平八郎に何らかの形で接触を試み、排他独占的に飯の種にすることの了承を得、一筆取り付けておく必要がありはしないか。それは叶わぬことだろう、つまり貴公の著作権なぞ得手勝手が過ぎる「他人のふんどしで相撲を取る、しかも独善的な典型」ではないのか。 |
【ステップ1】 | |||
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【ステップ2】 | |
れんだいこは、該当サイトを検分し、同日付け「ページのまるごと とりこみについて」という題名で、早速に次のレスを送信した。
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![]() この事件も易論研修会事件と同じ臭いがするので早速ここへ書き付けておく事にした。曾根崎新地のひろ氏がどこの部分を指摘してくるのか分からない。しかし、その指摘箇所が「ページのまるごと とりこみ」のようには思わない。今読み返してみたが、曾根崎新地のひろ氏のサイトから学んだ事はさほど多くない。貴重情報のところはいただいた気がする。しかし、末尾のところでサイト名明記とリンク掛けしているのだから、クレームをもらう事はないと思っている。れんだいこなどは逆にされるとうれしいくらいだ。なぜ、気難しく責め合う関係に向かおうとするのだろう。 大塩平八郎氏は歴史的実在の人物である。この彼を評論するのに後世の者が著作権を振り回すのはおこがましいのでは無かろうか。曾根崎新地のひろ氏が著作権を云々したいのであれば、せめて自身に纏わる私秘情報とか自伝とか創作物に関して限定すれば良いのに。第一、大塩平八郎氏が曾根崎新地のひろ氏のクレームを知ったなら、俺はお前にそのような権限与えた覚えもないし、俺の乱の意義をそのように狭量に扱われたくは無いと逆に抗議するのではないのか。 曾根崎新地のひろ氏の第一報は抑制がかかっているので、その真意はまだ明記されていない。しかし、「あるページがまるごと とりこまれている」という大げさな物言いは、本サイトで考察している前の二事件にも共通なパターンである。恐らくこの線で何事か云い始めるものと思われるので、今から身構えておこうと思う。 2004.2.8日 れんだいこ拝 |
【ステップ3】 | ||
れんだいこは、次の文面を、曾根崎新地のひろ氏主宰の「大塩の乱資料館掲示板」に投稿した。
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送信ボタンを押すと、次のような表示が為された。
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![]() 今後どう展開するのか分からないが、「史上の実在人の評論に対する著作権発生の是非論」という未踏の分野のやり取りが為される事になりそうである。れんだいことしては、まず、左往来人生学院への投稿が曾根崎新地のひろ氏当人によって為されたものかどうかの確認から始める事にした。次の展開を刻々に記して行こうと思う。 |
2004.2.10日現在、曾根崎新地のひろ氏から何の反応も無い。送信したはずの投稿も掲載されていない。しかし、送信したはずの投稿が掲載されていないことは、氏がれんだいこの左往来人生学院への投稿当事者であることを逆に知らせる。以上を踏まえて次のように云う事ができる。 一般に、この種の抗議者は非常に姑息であり、メール送信できない措置にしているか、掲示板を持っていても「管理人が不適当と判断するものは、掲載しませんので、ご了承ください」なる特殊的専横権を駆使する癖がある。 自称知識人の底の浅さ、度量偏狭さ、得手勝手主義等々が共通して見て取れる。「大塩の乱資料館事件」の場合は更に特殊で、本来喧伝されるべき対象の考察において著作権如意棒を振り回している。仮にマルクスでも同じであろうが、マルクスは自著作に対してこれが広範に大衆的に普及されるべき事を念願しつつ営為した生涯の軌跡を残している。ところが、後世の者が勝手に著作権網を張り巡らし、わが国の場合でも日共系の出版社が版権元になり、大衆的普及阻害に向かっている。 明らかに倒錯現象であるがこの倒錯を訝らず、正義と権利の名の下に睥睨せんとする輩が跋扈する。おかしいではないか。この問いを持ち続けるれんだいこは、他方ではよりマナールール遵守に洗練しようと思うと同時に、一方ではこの種の倒錯者とは何の遠慮も無く闘おうと思う。なぜなら、彼らの論法は社会柱に巣食うシロアリのそれだから。 2004.2.10日 れんだいこ拝 |
【ステップ4】 | ||
2004.2.11日、曾根崎新地のひろ氏よりレスが為された。当人の主宰する大塩の乱資料館掲示板に前述のれんだいこ投稿文が掲載され、これに対し、次のようなレスが付けられた。
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続いて、れんだいこの主宰する左往来人生学院掲示板に次のようなレスが投稿された。
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【ステップ5】 | |||
れんだいこは、次のようなレスを付けた。
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![]() 2004.2.13日現在何も無い。指摘していないが、「前に画像がまるごと、しかもゆがめて取り込まれていることがありました。連絡先もわからないサイトで、しかたなく、ブロバイダーに連絡してもらいました。主宰者からは何の連絡もありませんでしたが、かなりたってから削除されたようです」は、どういう意味で書き付けているのだろう。れんだいこは、「画像がまるごと」も、「ゆがめて取り込み」も、「連絡先もわからないサイト」でもない。そういう例を挙げて何の足しになるのだろう。 2004.3.3日現在、その後の動きは無い。れんだいこの方からレスするつもりは無いので、このまま何となく風化するのだろうか。 2004.3.3日 れんだいこ拝 |
【「晒し刑事件」考】 |
2004.7.23日、グーグル検索していると、れんだいこの論考文における無断引用、転載箇所を廻って、坂東千年王国氏(HON)より「びっくり ぎょうてん !
晒し刑に処する次第」で新たに叱責されていることが分かった。そこで、本サイトを設け、総合的に考究してみることにする。 これは、れんだいこの「明治維新の研究」の「明治維新の史的過程考(2―1)(伊藤体制から憲法発布まで)」サイトで、北村透谷の自由民権運動家としての側面につき貴重な論及をしていた「幻境の碑」を引用元不明示、リンク掛け無しのまま全文転載していたところ、「びっくり ぎょうてん ! 晒し刑に処する次第」で叱責されたものである。 本件は、それまでの諸事件と趣が異なり、「引用元不記載、リンク掛け無しのままの全文転載」であったところに特徴が認められる。れんだいこの重度過失であるが、これが「泥棒呼ばわり」されたところにこの事件の特質がある。 |
【ステップ1】 | |||
「坂東千年王国掲示板過去ログ-9」の 「びっくり ぎょうてん !
晒し刑に処する次第」に次のように書かれている。
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![]() れんだいこは、これに対し「リンク不掛け失念」を詫びた。その概要は、「れんだいこの無断引用、転載、出典元不記載、リンク不掛けに伴う叱責考」に記した。 |
【ステップ2】 | ||||||
その後もインターネット検索していると、「びっくり ぎょうてん ! 晒し刑に処する次第」に続いて、「坂東千年王国掲示板過去ログ-10」で、穂国幻史考管理人より「盗人にも○分の魂?」と題して次のような嘲笑が為されていることが判明した。ここに至って、著作権法の理解を廻ってれんだいこ見解を再披瀝する必要を感じ、これを転載掲載しておく。
なお、上記の投稿を受けて、坂東千年王国氏(HON)が、次のようなレスを付けている。
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![]() こうなるとさすがにれんだいこは猛然と抗議せざるを得ない。次のように返歌してみたい。 穂国幻史考管理人はご丁寧にも「著作権法について」なるサイトを設け、著作権法について考察している。これを読んでみて、れんだいこ理解による著作権法と穂国幻史考管理人のそれがあまりにもかけ離れていることに気づいた。以下、穂国幻史考管理人の著作権法理解に対する疑義を述べてみることにする。 れんだいこは、これを「著作権法での主要な論争点」で反論を試みている。ここでは、両名による「盗人呼ばわり」について考察する。 始めに云っておきたいことは、一体、ご両名のサイトはどこから知識を取り寄せたのであろうか。この原点から問いかけてみたい。一般に、知識は、先人の労作から学ぶ以外に無い。近時の著作権法の拡大解釈に則り、「哲学、思想、宗教、政治、歴史」を論述するとすれば、かなりややこしい技が要求されることになる。著作権法適用以前の時代の対象を考察する場合には幸いであるが、著作権法適用以降の時代のそれらを考究するとなると厄介なことこの上なかろう。この場合、両名の関心が専ら著作権以前の時代の研究だから当方には関係ないというのでは勝手が過ぎよう。 仮に歴史関係に対象を絞って見る。史上の知識から自己流の創意表現に書き上げ直すことはできる。しかし、それも非著作権時代の知識の恩恵あってこそであろう。自らはそういう恩恵に預かりながら、自己の著作物に対しては著作権壁を廻らし、関所を設ける。この作法こそ「盗人の論理」では無かろうか。例えて云えばこうだ。親の世話で成長した子供が成人になって、俺は誰の世話にもなっていない、俺は自分で生きて大きくなってきた、恩返し精神など持ち合わせていない、親の面倒見るに及ばず、我が人生のパフォーマンスこそ最大目的と云っているに等しい。しかし、誰しも寿命があるのに、明日は白骨のみぞ残れる哀れな存在であるかも知れぬというのに滑稽なことだ。それはともかく、 仮に、イエス・キリスト、カール・マルクス、大塩平八論の例を取り上げる。これら三者の思想、行動、それら営為を見れば、人民大衆への限りない啓蒙、凡そ自身の利害特質からかけ離れたところの人民的財産として資するよう願って歴史にその生を刻印していることが分かる。その研究者も又彼らの意思に応え、その法理を灯し続けてきた。それが最近になってどういう訳か著作権全方位適用論者によりあちこちに関所が設けられ始めている。 ならば問おう。著作権全方位適用論者の権利は何処より発生しているのか。史上の当人が望まずのものを否むしろ最も否定してきたその種のものを勝手に権利化する精神は何によってか。それは当人に申し訳ない越権行為ではないのか。だいたい貴公らの論理ではどうやって承諾を取るのか。この件では実際に、聖書のサイト化を廻って論争されている。 著作権法を得手勝手に解釈し、「書き物全体が即著作権発生」なる自己都合主義的便宜的に読み替え、学的発展、普及に資する見地を喪失している者こそ文明に対する盗人そのものではないのか。よって、盗人が「盗人呼ばわり」している愚を見せているのは貴公らの方ではないのか。 こたびのれんだいこの所為に対してはリンク不掛けをなじるべきであるところ、「盗人呼ばわり」して共鳴する両名の痴態こそ恥じよ。れんだいこはその当初、リンク不掛けについては詫びを入れた。しかし、「厚顔無恥」、「盗人呼ばわり」の合唱にまで至っているとなると、原点における吟味から説き起こし反論したくなるのも道理であろう。 お望みなら、穂国幻史考管理人の「著作権法について」の珍妙解釈につき逐条反論を為してみたい。どちらが恥を晒すか競ってみようか。 2004.8.23日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)