日本語の音域、リズム、抑揚、周波数秀逸論 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.3.29日
(れんだいこのショートメッセージ) |
確か、2021.5.23日のテレビ「カラオケバトル」に、日本語の美しさに惚れて超エリート医学研究員の地位を辞し日本に移住、現在英語教師として生計を立てている米国の黒人青年が登場した。私は、日本語の音質的リズム的抑揚的心地良さにうすうす気づいていたが、その黒人青年が同じような反応をしていることに勢いを得て、ここに本サイトを設け考究することにした。忽ちはここまで記しておく。 2021.5.28日 れんだいこ拝 |
【日本語の美しさ心地よさの秘密考】 |
日本語は文字としても優美であるが音質としても優しさ、心落ち着く心地よさ、素晴らしさ、素敵さが認められる。日本人が、長い年月をかけて創り出し、継承してきた大和言葉となるとなおさらで、自然音に近いところに特徴がある。それが為に「とんがり音が少ない為、日本語は優しく聞こえる」、「世界一、スローな美しい言葉」、「助詞のアクセントがとってもキレイ」と評されている。日本人にとって、「大和言葉は心にすーっと入ってくる」言語である。「人がリラックスしている時に発生するα波の分泌を促進するため、自律神経のバランスが整い、耳にすることで、心地よいと感じる」と解説されている。甲高くない、くぐもっていない、テンポが速すぎることもない。これを逆に云うと、抑揚がないということになる。ここで、そういう日本語の秘密の音域、リズム、抑揚、周波数を確認しておく。 |
【日本語の音域秀逸論】 |
音名(おんめい)は音の高さを調やスケールと分離して表す。階名に比べより「絶対的」な表現といえる。異なるオクターヴに属する同じ音には同じ音名が与えられる→ピッチクラス。即ち、ちょうど1オクターヴ異なる音は同じ名前で呼ばれる。但し、音名は楽譜の書き方に依存する部分がある。同じ高さの音が楽譜の書き方によっては異なる音名となる場合がある。日本では音名に日本語(イ、ロ、ハ、などの片仮名)の他、英語、ドイツ語(ラテン文字のアルファベット)が多く用いらる。他の国ではその他にイタリア語やフランス語(do re miのソルミゼーション)も広く使われる。7つの幹音(かんおん、楽譜上、♯や♭を付けずに書き表せる音)には独立した名前が与えられる。そして、♯や♭の付く派生音(はせいおん)には、幹音の音名に♯や♭を表す言葉を付け加える。また、オクターヴを示す言葉を添える場合もある。 |
階名(かいめい)は、「主音に選ばれた音に対する相対的な高さ」を表す。日本では階名には一般にイタリア語を用いる。長調では主音は常にDo、短調の場合は主音はLaまたはDoである。また、数字(ローマ数字)を用いることもあるが、この場合、主音は常に i である。階名で歌うことを階名唱法と呼び、これはまた、ドの音高が音名に即して移動するので移動ド唱法とも呼ばれる。これに対して、音名で歌うことを音名唱法、固定ド唱法などと呼ばれる。音楽教育において移動ドと固定ドのどちらが有利であるかという議論は古くからあり、決着を見ることがない。 |
明治日本の音楽シーンでは、西洋伝来の音名表記(ABC・・・)・階名表記(数字譜。123・・・=ドレミ・・・)だけでなく、日本や中国の伝統的な音名・階名表記も平行して行われていた。大塚寅蔵『明清楽独まなび』(京都:十字屋楽器部発行、明治42年11月発行)に載せる「和漢洋十二音律対照表」。 |
学校教育のヒフミ唱法
西洋式の「ドレミ唱法」が普及するまでのつなぎとして、明治11年から明治30年代の末まで学校教育で使われた和風の階名である。 明治8年(1875年)、伊沢修二はアメリカに渡って師範学校に留学し、翌年、ルーサー・ホワイティング・メーソンから直接「ドレミ唱法」のレッスンを受けた。伊沢は、DO RE MI FA SOL LA SIという当時の日本人の生活と何のつながりもない階名が、日本人にはなじまないであろうことに気付いた。伊沢はメーソンと相談した結果、日本語で12345678を表す「ヒー、フー、ミー、ヨー、イー、ムー、ナー、ヤー」を日本語の階名に転用することを決意した。明治11年に帰国した伊沢は、文部省に「唱歌法取調書」という報告書を提出し、その中で「ヒフミ唱法」を提唱した。以後、日本の学校教育では、明治30年代まで「ヒフミ唱法」が採用された。一方、音楽の専門家を養成するための東京音楽学校では、明治28年(1895年)、当時助教授だった小山作之助の提案により、「ヒフミ唱法」を廃止して、西洋式の「ドレミ唱法」を採用した。明治40年代以降は、小学校などの初等教育でも「ドレミ唱法」に置き換わった。当時の「ドレミ唱法」は「移動ド唱法」であった。 ヒフミ唱法の名残は、「ヨナ抜き音階」などの語に見られる。また坪井栄の小説『二十四の瞳』中にて、昭和初期の音楽教育における世代ギャップも描かれており、明治期の音楽教育を受けてヒフミ唱法しかできない男性教師が、ドレミ唱法になじんだ生徒たちに笑われる場面がある。 |
【日本語の開音節考】 |
「近藤秀明 」の論参照。
日本語は全て開音節からなる。それと違って英語は閉音節も存在する。根本的な違いはそこにある。例えば、strawberry。日本語では、ストロべリイ、6音節。英語では、straw-ber-ry、3音節。音声学的メカニズムに於いて日本語と英語に違いがある。日本語は、アイウエオが基本で、一つ一つが音節になっている。即ち音節記号。ん以外は、全て開音節である。英語のアルファベットは記号で、その組み合わせで音節になる。組み合わせによって母音で終わる開音節と子音で終わる閉音節がある。中国語も韓国語も閉音節はある。日本語には閉音節がない。常に開音節で発音する。日本語は、世界でも非常に変わった言語ということになる。 |
【日本語のリズムと抑揚考】 |
「リスニングが難しい。ほとんど聞き取れない……」。その原因は、リズムと抑揚、音程差が違うことにある。英語は日本語に比べて抑揚が激しい。日本語は音節の最後に母音が来る言葉がほとんどの言語。これに対して英語の方は、音節の終わりに子音が来るケースが大半を占める。したがって、喋る際のリズムがかなり違う。「子音に母音がお供するのが日本語」、「母音が子音のサンドイッチになっているのが英語」。
音域の問題もある。英語は日本語に比べて音域が低い。日本語は、中国語やベトナム語など同様の高い声で話されている言語のひとつ。一方英語は、スペイン語やフランス語、あるいはドイツ語など同様の低い音域で話されている。 |
【日本語の周波数秀逸論】 | ||||||||||||||||
言語には、主に使用される音域(パスバンド)があり、人間の耳が聞き取れる周波数は約16ヘルツ~1万6000ヘルツぐらいと言われている。例えば100ヘルツというのは1秒間に100回振動するということで、その振動が音として耳に伝わり聴覚神経を通って脳に入り、何の音なのかがわかります。言語によって優先的に使われる周波数(パスバンド)には大きな違いがある。
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上記の説明では、日本語が世界の他の言語に比較して音域が低いことを指摘している。しかし私の受け取り方は違う。日本語と英語は他の言語に比較して音域が平穏に落ち着いており、耳障りが良い。この長所によって、英語が世界共通言語になりつつあり、日本語も追ってその地位を得るようになると思われる。ここに注目した音域論が欲しい。既存のヘルツ論では、ここの説明ができていない。ということは実態に即していない事になる。 | ||||||||||||||||
日本語と英語の違いに周波数音域が交わらないことがある。日本語は、世界言語の中で低い1500ヘルツ以下の周波数帯の部類であるのに対し、英語は2000ヘルツ以上の高い周波数帯となっている。このパスバンドは生後10歳・11歳ぐらいまでに基本的な聴覚としてでき上がる。語学学習の“臨界期”年齢は9歳から12歳頃と云われる。日本人はこの頃までに英語を学習していないと英語の音が聞き取りにくいことになる。英語の高い周波数をカットしてみると、日本人にはとても聞きやすくなる。語学では聞くことができた音を何回もまねて学習する。まず「聞ける耳を持つこと」、「意味のある音を認識できる脳を持つこと」これが大事になる。しかも、幼児のうちに鍛えられたパスバンドは消え去ることはない。大人になってからでもある程度は鍛えられるが、幼児ほどは簡単ではない。 日本語は、声帯を使った「響き」を主に使う発音方法なのに対して、英語の子音と管楽器は「息」を使って音を出す、と云う違いも認められる。「英語の細かい発音を学ぶ前に腹式呼吸を学べ!」と言う人が多いのもこのためである。 これに関係して英語と日本語では発声方法が異なる。日本人にとって、2000ヘルツ以上の言葉は、風の音、物が擦れたり空気が漏れたりする時の音のように聞こえてしまう。日本人が生まれつき2000ヘルツ以上の言葉を聞き取りにくいのかと言えば、そうではなく、年齢とともに必要のない高周波の音を聞き取れなくなる。 |
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音は人間の様々なところに影響を及ぼしている。耳鼻咽喉科、および音声医学を専門とし、聴覚・心理・音声学国際協会会長でもあるアルフレッド・トマティス博士は125ヘルツ~8000ヘルツの音を3つのゾーンに分け人間との関係を次のように述べている。
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世界の中で日本語を話す人口が非常に多い。1億2千万人余という日本人の人口以外にも海外でも学ばれる傾向が強まっている。日本語を使う人口は世界で6番目に多いと云われている。音質的に見て、日本語は甘くキュートに可愛い音に聞こえる。これを音域では説明できないようなので音質として認識したい。更に言えば、日本語はアカサタナハマヤラワンとアイウエオの縦横の48音を組み合わせ体系でできあがっており非常に合理的。ある言語学者の分類によると日本語は論理的記述に適した言語のトップ集団に位置する。これが為に語彙が豊富で情緒表現に富んでいる割に論理的な言語になつている。外来用語の移植にも優れており、それをカタカナ表記することで識別している。こういう風に母国語と外来用語の識別に成功している言語は他にあるのだろうか。人称表現が豊かである。例えば「私」という人称表現が英語では「I」だけなのに比して、日本語には立場や状況によって「俺」、「私」、「わたくし」、「小生」等々たくさんの表現があり、聞いただけで話主の立場やその状況が瞬時に想像できる。擬態語や擬声語が多く、そこから転化した言葉も多い。抽象的な表現能力が高い。例えば「気」を使った言葉が非常に多く、「気がおけない」、「気になる」、「気がひける」など微妙な心理表現を可能にしている。数字と発音の組み合わせが柔軟で一定の率を持った発音化が可能になっている。掛け算九九や「富士山麓オーム鳴く」など日本語ならではの表現ができる。こういう優れた性能を持つ日本語のお陰で、日本は自国語で教育できる世界の中でも希な国になっている。 |
(私論.私見)