謎々都都逸(なぞなぞどどいつ) |
(最新見直し2008.8.31日)
1814(文化11).10月の頃、浅草奥山に「謎坊主」と云う芸人が出た。芸名を「春雪(しゅんせつ)」といった。「早く解ける」と云う心だった。小屋掛けをして客を入れ、御代は16文。客に謎をかけさせ、20回で入れ替え。高座の横に米俵、菓子折り、炭俵を積み並べ、解き損なったら客が貰えた。取られることがなかったという。 謎々都都逸も流行った。都都逸坊扇歌(せんか)が創始者として知られる。謎解きを三味線に合わせて弾き語りできるのが大受けだった。寄席で、「何々と掛けて何と解く。何じゃいな」と唄いながら、三味線で合いの手を入れ、「何々と解く。解いた心は何々ではないかいな」と間合い宜しくオチをつける。(2008.8.31日付け日経新聞文化欄の野口武彦氏の「江戸の流行 謎々大流行」参照) |
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「まずい天ぷらとかけて何と解く。何じゃいな」。「貧乏寺の和尚と解く」。「解いた心は何々ではないかいな」。「それでは申そう、衣が悪い」。 「婚礼とかけて何と解く。何じゃいな」。「火吹き竹と解く」。「心はふうふとなる」。(「お江戸謎づくし」) |
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(私論.私見)