万葉仮名考

 (最新見直し2006.8.31日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、万葉仮名について確認しておく。


【万葉仮名定義考】
 日本は上古代より和歌が盛んで、元々は原日本語とも云うべき古代日本文字(神代文字)で書かれていたと思われる。ところが、仏教伝来と共に梵語(サンスクリット語、パーリ語)が入ってきた。ほぼ同時に漢字も持ち込まれてきたと思われる。やがて梵語が廃れ、漢字表記に向かうことになる。当時の日本は、これをどう咀嚼解決して行ったのか。

 厄介なことに、中国式漢字の発音には漢音と呉音の二つの流れがあった。「正」をセイと読むのが漢音(北方系)、ショウと読むのが呉音(南方系)である。後にさらに唐音が加わる。当時の日本は、発音法(読み方)のうちの漢音を「正音」とし、呉音を「和音」とした。ついで、それまでの日本語(倭語あるいは大和言葉)の発音に近い漢字の読みを探して、たとえばアには麻や安や阿を、ソには素や曽や蘇をあてることにした。

 これが万葉仮名の登場となる。奈良時代に入って中国文明の摂取が歴史的趨勢となり、漢字が輸入された。これにより、公文書の漢字書き替え化が始まったと考えられる。日本最古の歌集である万葉集も書き替えられた。その際、日本語を漢字で音訳比定した漢字仮名遣いが創出されることになったと解するべきであろう。「萬葉集」(万葉集)の漢字仮名遣い化書き替えが標準となり、その為、「万葉仮名」(まんようがな)と云われるようになった。これが、「万葉仮名」の正しい歴史的理解となるべきであろう。

 万葉集は全20巻、4516首で構成されており、主に飛鳥時代から奈良時代にかけての和歌集である。歌人として柿本人麻呂、山上憶良、大伴家持、額田王などが知られる。天皇や皇后などの皇族のほか、東北や関東などの民謡「東歌(あずまうた)」や、九州沿岸の防衛に徴集された防人(さきもり)の歌などもあり、作者層が幅広いのが特徴となっている。万葉時代の歌は、公的な「雑歌」と恋愛などプライベートな「相聞歌」、死にかかわる「挽歌(ばんか)」の3種類に大別される。

 「万葉仮名」は、我が国最初の漢字としての歴史的意義を持つのみならず、日本語表現に則り漢字を当てはめたことにより日本語を捨てることなく漢字と共存することで生き延びたとも云える。ここに「万葉仮名」のもう一つの意義が認められる。

 これをどのようにして為したか。日本語の音声は、単独の母音からなる「あいうえお」を除けば、すべて「子音+母音」という構成になっている。日本語の場合、清濁の区別を無視すれば音節の種類数は47種で、これに漢字を当てはめたのが「万葉仮名」である。

 膨大な漢字数を日本語圏に整理し直したところに学問的営為が認められる。その整理の仕方は数通り認められる。漢字の意味に従いながら、大和言葉の発音通りに漢字を当てるのを「正訓」という。漢字の意味を無視して大和言葉の発音に近い漢字を当てるのを「借音」、「借訓」という。借音はあらゆる固有名詞に応用可能な点で優れ、借訓は簡潔であることで優れていたので使い分けされている。この他に、漢字の意味も音にも拘らず漢字を当て大和言葉読みする暗号のような戯訓(ふざけよみ)もある。中国に於ける漢字の読み方を真似、意味もそのままで用いるのを「正音」という。

 「万葉仮名」は、こうした多様な表記からなり、これらすべてを総称して「万葉仮名」という。漢字の本来の使い方から外れた仮の表記だから「仮名」と云うことになる。「真仮名(まがな)」、「借字」ともいう。これに対して漢文を正調通りに記し読むのを「真名(まな)」と呼ぶ。

 「最古の歌集」としてあまりにも有名な万葉集だが現存するのは写本で、最古のものでも11世紀半ばとなる。大伴家持らが編纂(へんさん)した「オリジナル」の姿は、はっきりとは分かっていない。万葉集は、天平17(745)年以降の数年間に「巻1」から「巻15」がまとめられ、「巻16」と大伴家持の日記を含めた全20巻が783年ごろに成立したというのが一般的な説である。

 古事記や日本書紀の歌謡や訓注などの表記も万葉集と同様である。但し、古事記は呉音が、日本書紀α群には漢音が反映されている。江戸時代の和学者・春登上人は「万葉用字格」(1818年)の中で、万葉仮名を五十音順に整理し〈正音・略音・正訓・義訓・略訓・約訓・借訓・戯書〉に分類した。万葉仮名の字体をその字源によって分類すると記紀・万葉を通じてその数は973に達する。

 万葉仮名には万葉集表記と木簡表記の二種類が確認されている。木簡万葉仮名は、漢字1字を日本語の1音にあてる1字1音で表記されている。万葉集では、木簡の「夜真」が「山」、「阿佐」が「朝」、「阿支」が「秋」というように、本来の意味を持った漢字(訓字)が多く使われている。 

【万葉仮名発生史考】
 万葉仮名がいつ生まれたのかということは定かではない。5世紀の稲荷山古墳から発見された鉄剣・鉄刀銘文には獲加多支鹵大王という21代雄略天皇に推定される名が刻まれている。これも漢字の音を借りた万葉仮名の一種とされるので、和語を漢字の音で表記する方法は5世紀には確立していたことになる。正倉院に遺された文書や木簡資料の発掘などにより、万葉仮名が77世紀頃には獲得されていたのは確かで、通説は、7世紀末頃の天武朝(672〜686年)に柿本人麻呂が完成させたとしている。

 古文書での使用が確かめられる料のうち最古のものは、大阪市中央区の難波宮(なにわのみや)跡において発掘された652年以前の木簡である。2006.10.12日、阪市教委と市文化財協会が、日本最古の万葉仮名(まんようがな)文が書かれた木簡が見つかったと発表した。天平年間までさかのぼる万葉集の木簡が見つかったことに歴史的意義が認められる。

 「万葉歌木簡」には、「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」と和歌の冒頭と見られる11文字が記されている。「春草の」は万葉集で枕詞(まくらことば)として使われており、文は五・七音を重ねた韻文の可能性が高く、和歌とみられる。書かれたのは、万葉集成立より前だったと推定される。万葉仮名文が書かれた古い木簡としては他にも、古今和歌集の和歌の最初の五・七部分「奈尓波ツ尓作久矢己乃波奈(難波津(なにわづ)に咲くやこの花)」が書かれた観音寺遺跡(徳島市)出土の木簡(689年以前)などが知られている。 

 11世紀半ばに書き写された現存最古の万葉集は、「安積香山 影さへ見ゆる…」と漢字と平仮名で表記されているのに対し木簡は、「阿佐可夜…」と音を漢字で表現する万葉仮名で記されていた。ここに研究者が着目する。一片の木簡の出土によって謎の一部が初めて明らかになり、国文学者や古代史学者を興奮させている。「木簡の両面が古今和歌集(の序文の2首)と、まさに同じペア。すごく驚いた」とは、大阪市立大文学研究科の村田正博教授(国文学)。2首をセットにしたのは貫之の独創とも思われていたものが、実はその150年前からセットとして認識されていたことになる。

 木簡の両面に記された「安積香(あさか)山の歌」と「難波津の歌」の2首は、905年に編まれた古今和歌集の序文「仮名序」で紀貫之が、「難波津の歌は、帝の御初めなり。安積山の言葉は、采女の戯れよりよみて、この二歌は、歌の父母のやうにてぞ手習ふ人の初めにもしける」と紹介し、最初に覚えるべき和歌の手本だと述べている。さらに年代が下った源氏物語などでも、手習いの歌としてセットで登場している。 

 万葉学者で京都府立大学の山崎福之教授は「木簡はこれが万葉集だ、という原史料。残された最古の写本さえ300年も後のものだけに、編集当時はどの音にどの漢字を当てたのか、明確には分かってはいない。今後大きな議論になっていくだろう」と、発見の意義を説く。

 木簡の欠けた部分を、万葉仮名で推定復元した愛知県立大文学部大学院の犬飼隆教授(言語学)は「音で伝わってきた歌を万葉仮名で木簡に書き写し、漢字という文学的な衣装を着せて万葉集が成立する。最古の歌集が編集された筋道が見えてきた」と、成立の謎の解明を木簡に託す。


【万葉歌木簡考】

 万葉集に訓読みの漢字「訓字」で収録された「安積山(あさかやま)の歌」が、万葉集編さん前に書かれたとみられる紫香楽宮(しがらきのみや)の木簡には「万葉仮名」で書かれていた。別面には「難波津(なにわづ)の歌」が書かれ、この2首を「歌の父母(手本)」とする伝統が、古今和歌集が編さんされた10世紀初頭ではなく、8世紀中ごろにはあったことも確認された。「和歌の読みをどう記述したか」「和歌をどう学んだのか」のヒントになると、国語学、国文学の研究者に衝撃が広がっている。初めて見つかった万葉歌木簡は、古代の歌の世界をどのように塗り替えるのだろうか。【大森顕浩】

 古代の日本人が、日本語の発音通りに伝えなければならない和歌を漢字でどのように記録し始めたかは、万葉集に収められた古い歌の表記をもとに議論されてきた。

 初めは訓字のみで漢詩のように書き、後に万葉歌人、柿本人麻呂が「てにをは」などの助詞、助動詞を1字1音の万葉仮名で訓字に書き添える方法を体系化。その後、和歌を万葉仮名のみで書き記すようになった−−との説が有力だった。

 これに大きな疑問を投げかけたのは、7世紀後半に難波津の歌を書いた観音寺遺跡(徳島市)の木簡や、7世紀半ばに「はるくさ」で始まる歌(全文は不明)を書いた難波宮跡(大阪市)の木簡だった。いずれも万葉仮名で書かれ、人麻呂より前から万葉仮名で歌が書かれていたことがわかった。

 訓字で書かれた万葉集と同じ「安積山の歌」を、編さん前に万葉仮名で書いていた今回の木簡は、歌の筆記が訓字から万葉仮名に移っていったことを否定するものになる。このため、人麻呂が万葉仮名を体系化したなどとする有力説を退けることになった。

 毛利正守・武庫川女子大教授(古代国語学)は「歌は最初から、日常的には万葉仮名で書かれてきたことを裏付けた」と興奮を隠せない。「万葉集の巻16のころまで、木簡では読みやすい万葉仮名、歌集では中国の漢詩集にならって視覚的に意味がわかる訓字と、歌の表記法が使い分けられていたことを示している」と指摘する。

 ◇「歌の父母」2首−−−「古今集」前から流布?

 平安時代に編さんされた古今和歌集では、選者の一人・紀貫之が905年に書いたとされる序文の中で、木簡の2首を「歌の父母」と明記。歌の手本として、源氏物語や大和物語、枕草子といった平安時代の王朝文学にも取り入れられたが、「父母というのは、貫之の創作だった」として、2首を手本としたのは貫之以降とする学者もいた。

 それだけに、奈良時代の万葉集が編さんされる前から二つの歌がセットになっていたことについて、専門家はさまざまな想像を巡らせる。

 歌人の河野裕子さんは「二つの歌は、和歌にとっての『いろは』だったのでしょう。万葉集の編さん前に一般に流布し、字が書けない人でも口ずさんでいたのでは」と、当時の情景に思いをはせる。内容については、「安積山の歌は『アサカヤマ』とアの母音で始まり、明るく響くので覚えやすく、気持ちも入りやすい。最後は『ナクニ』とイの母音で締める。リズムがいい」と話す。

 難波津の歌はこれまで木簡などで30例以上確認されているが、万葉集にはない。

 犬飼隆・愛知県立大教授(国語学)は「難波津の歌は、オリンピックの国歌斉唱のように公式行事でお祝いをする歌。安積山の歌は、女性が自分の気持ちを伝えるための言葉遣いを勉強する歌。文学作品として面白いので万葉集に入ったのだろう」と分析する。

 安積山の歌には、万葉集を編さんしたとされる大伴家持(やかもち)の上司で、自身も編さんにかかわったとされる橘諸兄(たちばなのもろえ)の旧名でもある葛城王(かづらきのおおきみ)が陸奥国に赴いた時の歌との伝承がある。坂本信幸・奈良女子大教授(万葉学)はこの点を重視し、「2首がペアになったのは家持たちの政治的意図が働いたのではないか」と推測する。


【万葉仮名のその後考】
 万葉仮名の発明が、日本語のその後の歩みを決定付けることになった。平安時代になって、万葉仮名をもとにして漢字を崩したひらがなや字画の一部をとったカタカナが発明されていくことになった。漢字で表わしたほうが適切なところは漢字で、平仮名、カタカナの法が適切なところは平仮名、カタカナで表記される事になり、日本語独特の漢字仮名交じり文が成立し、今日にまで続いている。

【万葉仮名(まんようがな)一覧】
 それぞれの万葉仮名は、まだ一部を掲載しているだけです。すべてではありませんのでご注意ください。順次追加していきます。参考文献・日本国語大辞典 第一版(小学館)、字訓 (白川静 平凡社)
万葉仮名
和語 ローマ字読み 漢字
a 吾、阿、安、英、足、婀 鞅、
i 伊、怡、以、異、已、移、射、五、韋 為 位 威 謂 萎 委 偉、井、猪、居
u 宇、羽、于、有、卯、烏、得、汚、有、紆 禹、雲、菟、鵜、得
e 衣、依、愛、榎、亜、哀、埃、榎、荏、得、枝 吉
o 意、憶、於、應、隠、飫、淤、応、乙 
ka 可、何、加、架、香、蚊、迦、賀、迦、嘉、河、哥 珂、柯、訶、舸、歌、軻、甲、汗、箇、介、鹿
ga 我、何、賀、奇、宜、我、俄、峨、蛾、餓、鵝、河
き(甲) ki(1) 支、伎、岐、企、棄、寸、吉、杵、來、枳、耆、祗 、祁、寸
き(乙) ki(2) 貴、紀、記、奇、寄、忌、幾、木、城、幾、帰、奇、綺、騎、己、機、基、気、歸、樹、黄
ぎ(甲) gi(1) 伎、祇、芸、岐、儀、蟻
ぎ(乙) gi(2) 疑、宜、義、擬
ku 久、九、口、丘、苦、鳩、来、玖、句、群、倶、区、勾、矩 (糸勾 を偏旁とする字)、衢、窶 (屐 の支を婁に替えた字)、君、訓、来
gu 具、遇、隅、求、愚、虞
け(甲) ke(1) 祁、家、計、係、價、結、鶏、奚、谿、価、啓、稽、介、價、賈、異
け(乙) ke(2) 気、既、毛、飼、消、居、希、挙、既、戒、開、階 (りっしんべん豈 を偏旁とする字)、凱、概、該、慨、擧、食、笥
げ(甲) ge(1) 下、牙、雅、夏
げ(乙) ge(2) 義、気、宜、礙、削、礒 (旦寸 を上下に置く字) 皚、碍
こ(甲) ko(1) 古、姑、枯、故、侯、孤、児、粉、高、庫、狐、固 顧、子、籠、小
こ(乙) ko(2) 己、巨、去、居、忌、許、虚、興、木、挙 (くさかんむり呂 を上下に置く字)、渠、拠、擧、據、
ご(甲) go(1) 吾、呉、胡、娯、後、籠、児、悟、誤、虞、五、候
ご(乙) go(2) 其、期、碁、語、御、馭、凝、凝、御
sa 左、佐、沙、作、者、柴、紗、草、散、散、者、積 娑、舎、差、瑳、磋、狭
dza 社 射 謝 邪 奢 装 奘 蔵、奢、
si 子、之、芝、水、四、司、詞、斯、志、思、信、偲、寺、侍、時、歌、詩、師、紫、新、旨、指、次、此、死、事、准、磯、為、詩、此、紫、旨、指、死、司、事、資、矢、尸、伺、嗣、試、始、施 (施を 糸へんに替えた字)、璽、辞、色、式、信、新、磯、為、僧、石
zi 自 士 仕 司 時 尽 緇 慈 耳 茸 珥 餌 児 弐 爾、慈、爾
su 寸、須、周、酒、州、洲、珠、数、酢、栖、渚、須、主、秀、素 (蒭 の芻を横に並べた字)、輸、殊、栖、
dzu 受、授、殊、聚、儒、孺
se 世、西、斉、勢、施、背、脊、迫、瀬、栖、齊、剤、細、制、是、瀬、湍、迫、狭
ze 是 筮 噬、湍
そ(甲) so(1) 宗、祖、素、蘇、十、蘇、泝、嗽、巷、麻、磯、思、曾、僧、増、贈、層、所、諸、則 (りっしんべん曾 を偏旁とする字)、賊、衣、背、其、苑、襲、彼
そ(乙) so(2) 所、則、曾、僧、増、憎、衣、背、苑
ぞ(甲) dzo(1)
ぞ(乙) dzo(2) 序、叙、存、賊 (金尊 を偏旁とする字)、茹、鋤
ta 太、多、他(施 を こざとへんに替えた字) 、丹、駄、田、手、立多、侈、大、駄、党 (口多 を偏旁とする字)
da (施 を こざとへんに替えた字) 太 大 騨 娜 嚢 (にんべん嚢 を偏旁とする字) 陀、
ti 知、智、陳、千、乳、血、茅、至、致 (てへん致 を偏旁とする字)、苔、池、馳、道、路
di 治、遅、地 (膩 の弋を戈に替えた字)、恥、尼、泥 (方尼 を偏旁とする字) 
tu 都、豆、通、追、川、津、頭、州、途、菟、屠、突、徒、覩、図、鬪
du 豆、頭、逗、図、弩
te 堤、天、帝、底、手、代、直、弖(氏一 を上下に置く字)、天、諦、堤、題、価
de 提、泥、代、伝、田 (泥土 を上下に置く字)、殿、低、耐、弟、涅 、庭、而、涅
と(甲) to(1) 刀、土、斗、度、戸、利、速、杜、度、渡、都、覩、図、屠、徒、塗、妬、圖、門、聡、砥、礪、疾、鋭、外
と(乙) to(2) 止、等、登、澄、得、騰、十、鳥、常、跡、台、苔、縢、藤 (登りっとう を偏旁とする字)、ケ、苫 、澄、迹、常、興、飛
ど(甲) do(1) 度、渡、土、奴、怒
ど(乙)  do(2) 杼、騰、縢、藤、特、耐、廼、等、杼
na 那、男、奈、南、寧、難、七、名、魚、菜、儺、乃、南、娜、中、莫
ni 二、人、日、仁、迩、尼、耳、柔、丹、荷、似、煮、煎、爾 (にんべん爾 を偏旁とする字)、邇、而、弐、珥、瓊
nu 奴、努、怒、農、沼、宿、濃 (くさかんむりに甦 の更を豕に替えた字)、寐、渟
ne 禰、年、根、宿、(示爾 を偏旁とする字) 尼、 泥 (泥土 を上下に置く字)、涅
の(甲) no(1) 努、怒、野、弩、奴
の(乙) no(2) 乃、能、笑、荷、廼、箆、
fa 八、方、芳、房、半、伴、倍、泊、波、婆、破、薄、播、幡 (白番 を偏旁とする字)、羽、早、者、速、葉、歯、方、房、防、巴、簸、絆 (絆 を さんずいへんに替えた字)、羽、葉、歯、者
(狂言での笑い声"ふぁ、ふぁ、ふぁ!!"に近いかも。)
ba 伐、婆、磨、魔、麼、魔、縻
ひ(甲) fi 比(田比 を偏旁とする字) 、必、卑、賓、日、氷、飯、臂、嬪、、避、毘、辟、檜、負
ひ(乙) 非、斐、悲、肥、飛、被、彼、秘、妃、費、祕、火、樋、干、乾、簸
び(甲) bi(1) 婢、鼻、弥び(甲類) (田比 を偏旁とする字) 妣 鼻 婢 彌 弭 寐 毘
び(乙) bi(2) 備、肥、飛、乾、眉、媚、縻、傍
fu 不、否、布、負、部、敷、経、歴、富、府、符、甫、輔、赴、浮、賦、乾
bu 夫、扶、府、文、柔、歩、部、父、矛 (驚 の 苟を矛に替えた字)
へ(甲) fe(1) 平、反、返、弁、弊、陛、遍、覇、部、辺、重、隔、俾、敝、幣、蔽、辨 (革卑 を偏旁とする字) (鼓卑 を上下に置く字) (弊犬 を上下に置く字) 、伯、方、邊、畔、家
へ(乙) fe(2) 閉、倍、陪、拝、戸、経、閇、沛、杯、背、俳、珮 、閉、拜、綜 (瓧 の十を缶に替えた字)、瓮、缶、甕(缶瓦 を偏旁とする字)、經
be(1) 弁、便、別、部、辨、謎、婢 (鼓卑 を上下に置く字)
べ(乙) be(2) 倍、毎、類、陪、謎
fo 凡、方、抱、朋、倍、保、宝、富、百、帆、穂、菩、宝、寳、本、番、、蕃、朋、陪、袍、報 (褒 の保を臼に替えた字)、褒、譜、火
bo 煩、菩、番、蕃
ma 万、末、馬、麻、摩、磨、満(くさかんむり奔 を上下に置く字)、前、真、間、鬼、魔、麼、真、間、目、信、鬼
み(甲) mi(1) 民(さんずい眉 を偏旁とする字)、彌、美、三、水、見、視、御、弭、寐、瀰、敏、参、視、眷
み(乙) mi(2) 未、味、尾、微、身、実、箕、箕、實
mu 牟、武、無、模、務、謀 (にんべん舞 を偏旁とする字)、六、无、鵡、霧、夢、茂
め(甲) me(1) 売、馬(口羊 を偏旁とする字)、面、女、迷、謎 綿、賣、婦 
め(乙) me(2) 梅、米、迷、昧、目、眼、海、梅、味、妹、毎、未 (王毒 を偏旁とする字)、晩、藻
mo 毛、母、文、茂、門、問、聞、忘、物、裳、喪、藻、望、蒙、畝、悶、勿、木、暮、謀、慕、模、謨 梅、墓 (くさかんむり奔 を上下に置く字)、哭、裙
ya 也、移、夜、楊、耶、野、八、矢、屋、楊、陽、益 、椰、揶 (王耶 を偏旁とする字)、箭
yu 由、喩、遊、湯、踰、愈、臾 (广臾 を組合わせた字)、油、弓
いぇ ye 曳、延、要、遥、叡、兄、江、吉、枝
よ(甲) yo(1) 用、容、欲、夜、庸、遥
よ(乙) yo(2) 与、余、四、世、代、吉、已、予、餘、預、誉、興 、譽 (矛象 を偏旁とする字)、
ra 良、浪、郎、楽、羅、等、邏 (口羅 を偏旁とする字) (てへん羅 を偏旁とする字) (しんにゅう蘿 を組合わせた字)、樂
ri 里、理、利、梨(口利 を偏旁とする字)、隣、入、煎、離、釐
ru 留、流、類、琉、瑠、婁、楼 (尸婁 を 組み合わせた字)、漏、盧
re 礼、列、例、烈、連、黎、戻
ろ(甲) ro(1) 路、漏、盧、魯、露、楼、婁、樓
ろ(乙) ro(2) 呂、侶、里、慮、廬、稜、閭、勒
wa 和、丸、輪、宛 (さんずい宛 を偏旁とする字)、倭
wi 位、為、謂、井、猪、藍
we 延 叡 曵 遙、要、兄、江、廻、恵、面、咲、恵、慧、衛、隈、穢、画、
wo 乎、呼、遠、鳥、怨、越、少、小、尾、麻、男、緒、雄、袁、鳴、塢、椀、越、男、雄、緒、嗚 (口りっとう を偏旁とする字)

 拗促音(ようそくおん)について

 奈良時代には、きゃ・きゅ・きょ、だっ・かっ、などの、「拗促音(ようそくおん)」はありませんでした。ちょっと、驚きですね。。。。。「たって」とか、「すわって」とかの音は、平安時代あたりから中国語の影響で、かなりはっきりとしてきたようです。

表にあるように、奈良時代には、ふぁ・ふぃ・ふぅ・ふぇ・ふぉという音がありました。これらの音は室町時代あたりからなくなってきて、今では、は・ひ・ふ・へ・ほとなっています。


万葉仮名はどのように成立したか?
日本語の音 日本語の文字 日本語の気になる言葉 人名と地名
日本語の文法 日本語と社会 日本語と世界 朝鮮語の話
世界ことばの旅 ことばとは何か 「ことばの散歩道」表紙




(私論.私見)