【与謝野晶子「あゝをとうとよ戰ひに」】

 (最新見直し2006.6.19日)



【与謝野晶子「あゝをとうとよ戰ひに」】
 「日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室」の「あゝをとうとよ戰ひに」
 君死にたまふことなかれ (旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)

 あゝをとうとよ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ。
 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも。
 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや。
 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや。

 堺の街のあきびとの 旧家をほこるあるじにて
 親の名を継ぐ君なれば、 君死にたまふことなかれ。
 旅順の城はほろぶとも、 ほろびずとても、何事ぞ。
 君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり。

 君死にたまふことなかれ、 すめらみことは、争ひに思い舞う。
 おほみづからは出でまさね、かたみに人の血を流し
 獣の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは。
 大みこゝろの深ければ もとよりいかで思されむ。

 あゝをとうとよ、戦ひに 君死にたまふことなかれ。
 すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは
 なげきの中に、いたましく わが子を召され、家を守り
 安しと聞ける大御代も  母のしら髪はまさりぬる。

 暖簾のかげに伏して泣く  あえかにわかき新妻を
 君わするるや、思へるや、十月も添はでわかれたる
 少女ごころを思ひみよ、 この世ひとりの君ならで 。
 あゝまた誰をたのむべき、君死にたまふことなかれ。

 【与謝野晶子「ひらきぶみ」明治37年】
 「歌は歌に候。歌読みならひ候からには、私どうぞ後の人に笑われぬ、まことの心を歌ひおきたく候。まことの心うたはぬ歌に、何の値打ちか候べき。まことの歌や文や作らぬ人に、何の見どころか候べき。長き長き年月の後まで動かぬ変わらぬまことの情け、まことの道理に、私あこがれ候心もち居るかと思ひ候」。

 「乱れ髪」の翌年、23歳の年から41歳までの間に、夫寛(鉄幹)との間に実に5男6女の母親となった。門下生として、北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、石川啄木、佐藤春夫、堀口大学、三ヶ島、石上露子、岡本かの子ら。




(私論.私見)