私の基本姿勢を示すと、英語の諺が最も厳しいが、「偽の友は公然の敵より悪い」、またはその裏返しで、「公然の敵は偽の友より良い」である。今回も、心情左翼とやらの読者が多い朝日新聞よりも破落戸ナベツネ独裁の読売新聞の方に、うがった記事が見られた。理由は簡単で、いわゆる右は平気で嘘も付くが本音の勝負もするし、基本的には主流の自然体であり、いわゆる左は丸暗記の優等生型の格好だけで不勉強の反主流、つまりは経営能力も経験もない偽善系の負け犬の群れだから、なのである。
非常に簡単な結論を先に述べると、私が偽善系左翼と呼ぶ連中は、私とはまったく逆で、事態の真相究明を、目的にも手段にもしていない。彼らの動機は、自分達の勢力の拡張、いや、それが困難というよりも不可能に近くなっている現状の下では、実は、そこそこの勢力維持にしかない。比較的に大きな組織の専従幹部、いやさ、患部について、はっきり言えば、目的は飯の種の確保にしかない。動機が違えば、頭脳の働き方が、すべてが違ってくるのは当然のことなのである。
問題の核心は、戦で言えば、どこが天王山なのかを読み切れずに右往左往し、敗走を続けるの愚であり、その愚を、なぜ何度も繰り返して恥じない「偽善系左翼」の群れが、なぜ存在し続け得るのか、そしてその現象の歴史的意味についての考察である。
私が「ガス室の嘘」を暴露し始めて以来、私のことを、舌っ足らずに「ネオナチ」とか、一般には「左翼」の反対側に位置付けられる「右翼」の肩を持つとか、体制に迎合するとか称して、足を引っ張った積もりでいる連中もいるが、そんな連中は私の眼中にはない。私が「偽善系左翼」として位置付けるのは、今は亡き日本社会党から始まり、凋落の一途を辿りつつある日本共産党などを最大集団とする諸々の党派の全体像である。
情報操作を研究している明治学院大学の川上和久教授によれば、第2次世界大戦当時、アメリカの宣伝分析研究所は情報操作の研究を行い「7つの法則」を見出したそうです。これを今回のテロ事件に当てはめてみると…1.ネームコーリング:攻撃対象の人物や組織に対し、憎悪や恐怖の感情に訴えるレッテルを貼る方法→今回の場合、公の場で繰り返される「凶悪テロ組織アルカイダ」「非人道的組織タリバン」といったフレーズ。最近では、この手法を「悪魔化」(demonization)と呼ぶ。この第1の法則的な戦時宣伝を打ち破らないと、「超法規」行動の必要性を論破できず、ずるずると戦争協力に引き込まれるのである。
孫子も「謀を破る」ことの重要性を指摘している。その兵法の基本、「彼(敵)を知り、己を知る」努力と能力を欠く集団には、勝利の可能性がないばかりか、負け戦の保証しかないのである。ところが、現代では、負け犬でも、山に逃げ込む必要はなく、都会においてさえ、そこそこの宗派勢力を維持できる世相なのである。だから、何度負けても悪癖の除去が不可能なのである。
「テロ」という用語に関しては、アメリカの言語学者、チョムスキーが、いわゆる湾岸戦争を戦争ではなくてアメリカという国家が犯した「国家テロ」と既定しおり、国際行動センターでも、アフガン空爆の方を「テロ」と呼んでいることなどを、まず議論すべきである。
私は以前から、「テロ」の語源のラテン語では「脅す」の意味であり、言葉の脅しをも含めた物理的な強制行為を意味すると考えるべきであるが、歴史的経過により、一般には「戦争ではない非合法の暴力行為」の意味を帯びてきた旨、指摘している。現状では、抵抗運動の暴力を「テロではない」などと主張する向きもあるので、意味が混乱し、デマゴギーの材料になっている。この点の議論を抜きに「テロを糾弾する!」などと叫んで事実上体制を利する盲動に堕するのは、偽善系左翼の「ぶりっ子」僻の特徴である。 以上。
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