第2次大戦機関中、ナチスドイツに対してレジスタンスを戦ったド・ゴールの言葉。フランスは国土をナチスに蹂躪され、1940年6月14日、パリ陥落に伴い、ド・ゴールはロンドンに
亡命した。その頃の歴史の趨勢は圧倒的にドイツに傾いていた。彼は当時、まだ、 ドイツ降伏を決めたポール・レイノー内閣の陸軍次官という、無名の一将軍にすぎなかった。当時の米大統領、フランクリン・ルーズベルトをはじめ
世界の指導者はもちろんのこと、フランス人さえもド・ゴールを相手にしなかった。ロンドンに亡命したド・ゴールは1940年6月18日、BBC放送でフランス国民にこう呼びかけています。
「一つの戦闘に敗れたといっても、それは戦争に負けたことではない。全フランス国民がいつでも私と一緒に行動できるよう準備してほしい。
この先、どんな事態になろうとも、レジスタンスの炎を消してはならないし、それは決して消え去ることはない」。 |
このド・ゴールの呼びかけに、フランス国内からの反応は鈍く、対独協力のペタン政権からは、欠席裁判で 「死刑」の宣告を受ける。が、歴史の流れはその後どうなったか。(ド・ゴールもチャーチル同様に国際ユダヤのエージェントだったという面も踏まえておかねばならない) |