Der Angriff論

 (最新見直し2006.6.19日)



【Der Angriff論】 
 Der Angriffのタイトルの下に一連のページ群を作成していた最初の人物は、20世紀最後の年の10月末をもって、サイバースペースから消滅した

 活字印刷術時代の遺物たる「著作権」という概念は、21世紀のサイバー情報時代には大きく変貌を遂げるであろう。もはや著作物を著者が独占し、情報の所有を宣言する時代は終焉を迎える。情報は共有され、そして多数の人間によってさらによい情報に高められる。そこに関与した人間、最初に考案した人間の名誉は守られるであろうが、それ以上に、優れた情報を共有することを人々は喜びと感じるようになる。

 一人の人間が著作権を主張するということは、その一人の限界が思想の限界を生み出すことにもなる。しかし、共有と連結による思想の高まりは、21世紀以降のサイバー・ガイア生命体とでもいうべき高度な思索状態を生み出す可能性がある。もちろん、低級な情報の共有による人類全体の衰亡という選択肢もありえるのだが、人類には自浄作用があることだろう。

 これまで私は、情報をただ受け取る立場ではなく、受け取った情報を吟味し、判断する能力を育てることが必要である、と一貫して述べ続けてきた。そして、本来ならば違法でもなく、また間違ってもいないのに、なぜかタブーとされている諸々の情報を発信することをテーマとしてきた。さらに、これまでの「ウヨク・サヨク」だの何だのといった旧態依然のレッテル貼りによる「セット思考」を痛烈に批判してきた。

 だが、このように私が情報発信し続けることそのものが私の主張にとって矛盾するものとなってきたのは皮肉であった。私は権威になってはならない。その主張は等価なものとして受容されなければならない。私は「ほかに誰も作っていないサイト」というのをいくつか作ってきた。それは、同様のサイトができることを期待していた側面もある。ところが、私がサイトを作るとそれで安心してしまうのだろうか、私だけがそのテーマを扱うようなことにもなりかねない。あるいは、私がやらなければ誰もやろうとしない。私はDer Angriffのごときサイトが登場することをまだかまだかと待ち望んでいた。広範囲に、自分の興味のある対象を取り上げる包括的なサイト、情報を読者と共有することによって情報そのものを洗練させていくサイトの出現を。しかし、そのような「Der Angriffを凌駕する総合情報サイト」は登場しなかった。これは大いなる失望である。

 私はそこで考えた。もはやこのようなサイトは存在してはならない。一個人が片手間にやっているサイトごときによって、新たなサイトの出現を阻むようなことになってはならないからだ。Der Angriffサイトに載っている情報は、私の専有物であってはならないのだが、その情報はなぜかDer Angriffの専有物と解釈されてしまっている。そのような状況はぶち壊さなければならない。

 そして、私の最後の実験が始まった。いかにしてこのDer Angriffサイトの情報という「Web上の共有資産」を損なうことなく、その管理人がWebから消滅するかという、ほとんど誰も考えていなかったような実験が。その実験は9月に開始された。綿密な計画に基づいて「副管理人」を募集することからすべては始まった。

 副管理人の名目で私が集めたのは、Der Angriffの諸ページの内容を受け継ぐ「後継者」である。もちろん、このサイト群は私一人が個人的に管理していたのだから不可能ではないはずなのだが、すべてのページを一人に委任するとすれば現状では負担も大きいだろう。また、ミギもヒダリもない私のサイトには、言い換えればミギ的ページもあればヒダリ的ページもある。お笑い的ページもあればまじめなページもある。それをすべて引き継ぐようなキティなキャラクターの人間がもう一人存在するとしたら、それはそれでコワイ話だ。だから、私はサイトを分割譲渡することにした。

 分割譲渡の条件はただ一つ。私がその情報の集積・整理に関わったという一切の痕跡を消去すること。一般的には逆であろうし、私から委任された人たちも最初は一様にとまどっていた。しかし、私は私の痕跡を消し、「私の情報」を名実ともに「共有情報」に変えなければならない。だから、私は無理にお願いした。
 Der Angriffの内容はWeb上で生き続ける。それは複数の新管理人のもと、新たに再編成されて共有財産となる。それでこそ初めて、Web上の情報共有の理念が実現される。リンク自由、引用自由、修正自由。そこから真実の情報が生まれるはずだ。私は、自分の存在を消すことによって、その大いなる情報の革新に寄与することを誇りに思う。

 2点だけ断っておかねばなるまい。読者の皆さんにお願いしたいことがある。私の後継者たちは剽窃者でもなければ、他人の情報を自分のものであるかのごとく主張したがる人でもない、ということを理解してほしい。情報をもらってほしい、とお願いしたのは私のほうである。そして、譲り渡した情報を、譲られた人がどのように加工し、変形し、あるいは勝手に削除するも自由である――ただ一点、私の存在を消去することだけは必須として、それ以外はすべて自由なのだ。だから、現時点で後継者でない人が参加することもまた自由である。

 そしてもう1点。後継者たちは私と思想においておそらくかけ離れた存在であるということだ。後継者たちはむしろ、私の思想すべて、私の信じるものをそのまま信じている人たちではない。逆に、ほとんどの点で意見も食い違うことだろう。共通点はただ一つ、私がネット上に提示した「データ」に関心を示してくれた、ということだ。したがって、私への批判は彼らに一切当てはまらない。私の有している思想や思いがいかなるものであろうとも、後継者たちにその責任は一切及ばないことを宣告しておく。

 私はWebに「いなかった」ことになろう。それができるか否かが、サイバースペースの将来を決定する。そして、完全に私の痕跡が消え、新たな情報次元が開かれたとき、そのとき初めて私はサイバースペースに戻ってくることにする。さよなら。そして……I SHALL RETURN.

 河上さん、はじめまして、私はれんだいこと申します。このたびはサイト閉鎖とお聞きしてびっくりしています。いろいろ有用情報があるなぁと感心していました。まさかこう云う事態になるとはおもっていませんでしたので、そのうち勉強させていただこうと日延べさせていました。内容については各所に分散するとのことですが、仕方ないのでしょうか、これ以上コメントできませんが。ちなみに、私のサイトは です。 なお、どこで見たのか忘れましたが、確か議論の仕方についてコメントされていたように思います。あれが欲しいのですが、捜してみてどこにあるのか分かりませんでした。この点だけでも教えていただけましたらありがたいです。しぶとくしぶとく、あなたを分かる者が必ずいることを信じて頑張って参りましょう。ではまた。

 2000.11.6日 れんだいこ




(私論.私見)