花鳥風月歌百選

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.3.20日



【桜花和歌100選】(「桜の和歌100首」)
恵慶
(えぎょう)
 浅茅原 主なき宿の 桜花
 心やすくや 風に散るらん
山部赤人
(やまべのあかひと)
 あしひきの 山桜花 日並べて 
 かく咲きたらば いたく恋ひめやも
紀貫之
(きのつらゆき)
 あだなれど 桜のみこそ 旧里の 
 昔ながらの 物には有りけれ
藤原定家
(ふじわらのさだいえ)
 あらしやは 咲くより散らす 桜花 
 すぐるつらさは 日数なりけり
遍昭
(へんじょう)
 いその神 ふるの山べの 桜花 
 うへけむ時を 知る人ぞなき
藤原定家  いつも見し 松の色かは 初瀬山
 さくらにもるる 春のひとしほ
伊勢大輔
(いせの たいふ)
 いにしへの 奈良の都の 八重桜
 けふ九重に にほひぬるかな
藤原定家  いにしへの 人に見せばや さくらばな
 たれもさこそは 思ひおきけめ
式子内親王
(しきしないしんのう)
 いま桜 咲きぬと見えて 薄ぐもり
 春に霞める 世のけしきかな
藤原定家  色まがふ まことの雲や まじるらむ
 まつは櫻の 四方の山のは
二条為氏(藤原為氏)
(にじょうためうじ)
 少女子(おとめご)が かざしの桜 咲きにけり
 袖振る山に かかる白雲 
平兼盛
(たいらのかねもり)
 おもかげに 色のみのこる 桜花
 いく世の春を こひむとすらん
藤原定家  面影に 恋ひつつ待ちし さくら花
 さけば立ちそふ 嶺のしらくも
藤原定家  かざしをる 道行き人の 袂まで
 さくらににほふ きさらぎのそら
浄蔵
(じょうぞう)
 霞立つ 山のあなたの 桜花
 思ひやりてや 春をくらさむ
藤原定家  風ならで 心とをちれ さくら花
 うきふしにだに おもひおくべく
藤原定家  消えずとも あすは雪とや 櫻花
 くれゆく空を いかがとどめむ
西行
(さいぎょう)
 木のもとは 見る人しげし 櫻花
 よそにながめて 我は惜しまむ
源延光
(みなもとののぶみつ)
 君まさば まづぞをらまし 桜花
 風のたよりに きくぞかなしき
大伴家持
(おおとものやかもち)
 今日のためと 思ひて標めし あしひきの
 峰の上の櫻 かく咲きにけり
藤原定家  雲のうへの かすみにこむる さくら花
 又たちならぶ 色を見ぬ哉
藤原俊成
(ふじわらのとしなり)
 九重に にほひをそふる さくら花
 いく千代春に あはむとすらん
紀貫之  ことしより 春知りそむる 桜花
 ちるといふ事は ならはざらなん
紀貫之  ことならば さかずやは あらぬ櫻花
 みる我さへに しづ心なし
藤原定頼
(ふじわらのさだより)
 これやこの 音にききつる 雲珠桜
 鞍馬の山に 咲けるなるべし
凡河内躬恒
(おおしこうちのみつね)
 さかざらむ 物とはなしに さくら花 
 おもかげにのみ まだき見ゆらん
紀有朋
(きのありとも) 
 桜色に 衣は深く 染めて着む
 花の散りなむ のちの形見に
詠み人しらず  桜狩 雨は降りきぬ おなじくは
 濡るとも花の 影に隠れむ
紀貫之   桜散る 木の下風は 寒からで
 空に知られぬ 雪ぞ降りける
菅原道真
(すがわらのみちざね)
 さくら花 主をわすれぬ 物ならば
 吹き来む風に 事づてはせよ
大伴家持  櫻花 今盛りなり 難波の海
 おしてる宮に きこしめすなへ
大伴池主
(おおとものいけぬし)
 桜花 今ぞ盛りと 人は言へど
 我れは寂しも 君としあらねば
藤原俊成   櫻花 思ふあまりに 散ることの
 憂きをば風に おほせつるかな
坂上是則
(さかのうえのこれのり) 
 桜花 けふよく見て むくれ竹の
 ひとよのほどに 散りもこそすれ
藤原定家   桜ばな こころに散らぬ 色ながら 
 いくたび春を うらみ来ぬらむ
清原元輔
(きよはらのもとすけ) 
 桜花 底なる影ぞ 惜しまるゝ
 沈める人の 春と思へば
紀貫之   さくら花 ちりぬる風の なごりには 
 水なきそらに 浪ぞたちける
詠み人しらず   桜花 時は過ぎねど 見る人の
 恋ふる盛りと 今し散るらむ
紀貫之  櫻花 とくちりぬとも おもほえず
 人の心ぞ 風もふきあへぬ
伊勢(いせ)   さくら花 春くははれる 年だにも 
 人の心に あかれやはせぬ
藤原定家   櫻ばな 待ち出づる春の うちをだに
 こふる日多く など匂ふらむ
詠み人しらず  さくら花 みかさの山の かげしあれば
 雪とふれども ぬれじとぞ思ふ
凡河内躬恒   さくら花 わがやどにのみ ありと見ば
 なきものくさは おもはざらまし
平忠度
(たいらのただのり) 
 さざ浪や 志賀の都は あれにしを
 昔ながらの 山ざくらかな
藤原定家   里あれぬ 庭の櫻も ふりはてて
 たそがれ時を とふ人もなし
藤原定家   白雲と まがふさくらに さそはれて
 心ぞかかる 山のはごとに
紀貫之   白雲と 見えつる物を 桜花
 今日は散るとや 色異になる
待賢門院堀川
(たいけんもんいんのほりかわ) 
 白雲と 峯のさくらは 見ゆれども
 月のひかりは へだてざりけり
大江匡房
(おおえのまさふさ) 
 高砂の 尾上の桜 さきにけり
 外山の霞 立たずもあらなむ
藤原定家   高砂の 松とみやこに ことづてよ
 尾上のさくら いまさかりなり
西行  たぐひなき 思ひ出羽の さくらかな
 うすくれなゐの 花のにほひは
大伴家持   立田山 見つつ越え来し 櫻花
 散りか過ぎなむ 我が帰るとに
藤原定家   たづねばや しのぶのおくの 桜花
 風にしられぬ 色やのこると
藤原定家  ちはやぶる 神世のさくら 何ゆゑに
 吉野の山を 宿としめけむ
藤原定家  千代までの 大宮人の かざしとや
 雲ゐのさくら にほひそめけむ
西行  ちるを見で 歸る心や 櫻花
 むかしにかはる しるしなるらむ
惟明親王
(これあきしんのう)
 つらきかな うつろふまでに 八重桜
 とへともいはで 過ぐる心は
藤原俊成  つらきかな などて櫻の のどかなる
 春の心に ならはざりけむ
西行  つれもなき 人に見せばや さくら花
 風に随ふ 心よわさを
藤原定家  中なかに をしみもとめじ われならで
 見る人もなき 宿のさくらは
藤原定家  なべてにぞ をしみもせまし 櫻花 
 思へば何の ちぎりなるらむ
慶政
(けいせい)
 匂へども しる人もなき 桜花
 ただひとり見て 哀れとぞ思ふ
源縁法師
(げんえんほうし)
 花桜 今年ばかりと 見しほどに
 八十歳までにも なりにけるかな
西行  花見にと むれつつ人の 来るのみぞ 
 あたら桜の とがにはありける
詠み人しらず  春霞 たなびく 山の桜花 
 うつろはむとや 色かはりゆく
紀友則  春霞 たなびく山の 桜花
 見れどもあかぬ 君にもあるかな
大伴黒主(おおとものくろぬし)  春雨の ふるは涙か さくら花 散るを惜しまぬ 人しなけれは
紀貫之  ひさしかれ あだに散るなと 桜花 かめにさせれどう つろひにけり
紀貫之  一目見し 君もやくると 櫻花
 けふは待ちみて ちらばちらなん
上野峯雄
(かんつけのみねお)
 深草の 野辺の桜し 心あらば
 今年ばかりは 墨染に咲け
藤原俊成  古(ふ)りにけり 昔を知らば さくら花
 ちりの末をも あはれとはみよ
藤原定家  ふりはつる 身にこそまたね 桜花 
 うへおく宿の 春なわすれそ
藤原忠房
(ふじわらのただふさ)
 ふるさとに 咲くとわびつる さくら花
 ことしぞ君に 見えぬべらなる
西行  佛には 桜の花を 奉れ
 わが後の世を 人とぶらはば
西行  待ち来つる 八上のさくら 咲きにけり
 荒くおろすな 三栖の山風
素性法師
(そせいほうし)
 見てのみや 人にかたらむ 桜花
 手ごとに折りて 家づとにせん
藤原定家  みやこ辺は なべてにしきと なりにけり
 さくらををらぬ 人しなければ
源頼政
(みなもとのよりまさ)
 深山木(みやまぎ)の そのこずゑとも みえざりし
 さくらは花に あらはれにけり
後鳥羽天皇
(ごとばてんのう)
 みよしのの 高嶺のさくら 散りにけり
 嵐もしろき 春のあけぼの
紀友則
(きのとものり) 
 み吉野の 山べにさける さくら花
 雪かとのみぞ あやまたれける
伊勢  見る人も なき山ざとの さくら花
 外のちりなん 後ぞさかまし
柿本人麻呂
(かきのもとのひとまろ) 
 見わたせば 春日の野辺に 霞たち
 咲きにほへるは 桜花かも
行尊
(ぎょうそん) 
 もろともに あはれと思へ 山桜
 花よりほかに 知る人もな
壬生忠見
(みぶのただみ) 
 もろともに 我しをらねば 桜花
 思ひやりてや 春をくらさん
式子内親王   八重にほふ 軒端の櫻 うつろひぬ
 風よりさきに 訪ふ人もがな
大伴家持   山峡に 咲ける桜を ただ一目
 君に見せてば 何をか思はむ
遍昭   山風に 桜吹きまき 乱れなん
 花のまぎれに 君とまるべく
紀貫之   山桜 霞の間より ほのかにも
 見てし人こそ 恋しかりけれ
周防内侍
(すおうのないし) 
 山ざくら をしむ心の いくたびか
 散る木のもとに 行きかへるらん
素性
(そせい) 
 山守は いはばいはなん 高砂の
 をのへの桜 折りてかざさむ
藤原定家   雪とちる 比良のたかねの 桜花
 猶ふきかへせ 志賀の浦かぜ
凡河内躬恒   雪とのみ ふるだにあるを 桜花
 いかにちれとか 風のふくらん
詠み人しらず   吉野山 きえせぬ雪と 見えつるは
 峯つづきさく 桜なりけり
平兼盛   よとともに 散らずもあらなむ 桜花
 あかぬ心は いつかたゆべき
在原業平
(ありわらのなりひら) 
 世の中に たえてさくらの なかりせば
 春の心は のどけからまし
能因
(のういん) 
 世ゝふとも われ忘れめや 桜花
 苔のたもとに 散りてかゝりし
大伴家持   我が背子が 古き垣内の 櫻花 
 いまだふふめり 一目見に来ね
平兼盛  我が宿に 咲ける桜の 花ざかり
 千とせ見るとも 飽かじとぞ思
詠み人しらず   わがやどの 桜の色は うすくとも
 花のさかりは きてもをらなむ
藤原定家  をしまじよ 櫻ばかりの 花もなし
 散るべきための 色にもあるらむ

【梅和歌20選】
元良親王
(もとよししんのう)
 朝まだき おきてぞ見つる 梅の花
 夜のまの風の うしろめたさに
拾遺和歌集
(しゅういわかしゅう)
源実朝
(みなもとのさねとも)
 梅が香を 夢の枕に さそひきて 
 さむる待ちける 春の山風
和泉式部
(いずみしきぶ)
 梅の香を 君によそへて みるからに
 花のをり知る 身ともなるかな
和泉式部続集
(いずみしきぶぞくしゅう)
素性法師
(そせいほうし)
 梅の花 折ればこぼれぬ 我が袖に
 にほひ香うつせ 家づとにせむ
後撰和歌集
(ごせんわかしゅう)
藤原顕綱
(ふじわらのあきつな)
 梅の花 かばかりにほふ 春の夜の
 やみは風こそ うれしかりけれ
後拾遺和歌集
(ごしゅういわかしゅう)
【補足】「かばかり(これほどにの意)」と「香ばかり」が掛かっている。
赤染衛門
(あかぞめえもん)
 君とこそ 春来ることも 待たれしか
 梅も桜も たれとかは見む
赤染衛門集
(あかぞめえもんしゅう)
【補足】赤染衛門が夫を失った後に読んだ歌。
紀貫之
(きのつらゆき)
 暮ると明くと 目かれぬものを 梅の花
 いつの人まに うつろひぬらむ
古今和歌集
(こきんわかしゅう)
藤原定頼
(ふじわらのさだより)
 来ぬ人に よそへて見つる 梅の花
 散りなむ後の なぐさめぞなき
新古今和歌集
(しんこきんわかしゅう)
大伴坂上郎女
(おおとものさかのうえのいらつめ)
 酒坏(さかづき)に 梅の花浮け 思ふどち  飲みての後は 散りぬともよし 万葉集
源 実朝  咲きしより かねてぞをしき 梅の花
 ちりのわかれは 我が身と思へば
大江匡房
(おおえのまさふさ)
 にほひもて 分かばぞ分かむ 梅の花
 それとも見えぬ 春の夜の月
千載和歌集
(せんざいわかしゅう)
能因法師
(のういんほうし)
 ねやちかき 梅のにほひに 朝な朝な
 あやしく恋の まさる頃かな
後拾遺和歌集
小野篁
(おののたかむら)
花の色は 雪にまじりて見えずとも 香をだににほへ人の知るべく 古今和歌集
【補足】詞書(ことばがき)に「梅の花に雪のふれるをよめる」とあり、梅の花について詠んでいることがわかる。
凡河内躬恒
(おうしこうちのみつね)
 春の夜の 闇はあやなし 梅の花
 色こそ見えね 香やは隠るる
古今和歌集
大伴家持
(おおとものやかもち)
 雪のうへに 照れる月夜に 梅の花
 折りて贈らむ 愛はしき児もがも
万葉集
【補足】月夜は(つくよ)と読む。
紀友則(きのとものり)  雪ふれば 木ごとに花ぞ 咲きにける  いづれを梅と わきて折らまし 古今和歌集
大伴旅人
(おおとものたびと)
 我が岡に 盛りに咲ける 梅の花
 残れる雪を まがへつるかも
万葉集
山部赤人(やまべのあかひと)  我が背子に 見せむと思ひし 梅の花  それとも見えず 雪の降れれば 万葉集
【補足】背子(せこ)とは、夫や恋人を意味する言葉。
大伴旅人  我が園に 梅の花散る 久かたの
 天より雪の 流れ来るかも
万葉集
大伴旅人  我妹子が 植ゑし梅の木 見るごとに  心咽せつつ 涙し流る 万葉集

【月和歌20選】
阿倍仲麻呂  天の原 ふりさけ見れば 春日なる
 三笠の山に 出でし月かも
百人一首7番
阿倍仲麻呂は19歳で遣唐使として唐に渡り、そこで驚くべき秀才ぶりを発揮して玄宗皇帝に気に入られた。渡唐後30年ほど経ったときに帰国を許されたが、舟が難破してなんと阿南(ベトナム)に漂着してしまう。そこから再び唐に戻れたが日本に帰ることはついに叶わなかった。唐の友人に王維、李白(どちらも漢詩の大家)がいる。
大江千里  月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ
 わが身一つの 秋にはあらねど
百人一首23番
是貞親王(宇多天皇の兄)の歌合によばれたときに詠んだ歌。白居易の「燕子桜(えんしろう)」という漢文の詩をふまえた、いわゆる「本歌取り」の歌である。自分が感じる秋の物悲しさを、白居易の切ない詩と見事に融合させている。
清原深養父  夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
 雲のいづこに 月宿るらむ
百人一首36番
清原深養父は清少納言(62番)の曾祖父。古今和歌集、後選和歌集に多くの歌が選ばれている。 官位は従五位下であまり高くないが、宮中儀式に使う織物や絵画、金銀細工、宝石、屏風、漆器などを管理する仕事をしていた。また、琴の名手としても知られていた。
紫式部  めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに
 雲がくれにし 夜半の月かな
百人一首57番
紫式部は藤原北家屈指の学者で詩人でもあった藤原為時の娘。藤原宣孝と結婚し、大弐三位(58番)を産んでいる。夫の死後、一条天皇の中宮・彰子に仕え、源氏物語を執筆した。
赤染衛門  やすらはで 寝なましものを 小夜更けて
 かたぶくまでの 月を見しかな
百人一首59番
赤染衛門は、この時期の代表的女流歌人の1人。藤原道長の妻・倫子に仕えた後、中
宮・彰子に仕えた。この歌は、妹の代筆といわれる。平安時代は、文(ラブレター)の代
筆を、歌の上手な身内に頼むことが多々あった。赤染衛門の妹は、このとき藤原道隆の
恋人だった。藤原道隆は儀同三司母(54番)の夫。
三条院  心にも あらでうき世に ながらへば
 恋しかるべき 夜半の月かな
百人一首68番
三条院は冷泉(れいぜい)天皇の第2皇子。皇太子となってから25年も天皇の位を待ってようやく即位できたが、眼病を患い6年後に後一条天皇に位を譲った。 在位中に二度も御所の火災に遭い、藤原道長が前の天皇の一条院と娘・彰子との間の皇子を即位させようとして、退位をせまったため苦難の連続となった。この歌は、目を患ったことを理由に藤原道長に退位を迫られた三条天皇が、退位を決心したときに詠んだ一首。その思いをくみ取って読むと、いっそう切なさが感じられる。
左京大夫顕輔  秋風に たなびく雲の 絶えまより
 もれ出づる月の 影のさやけさ
百人一首79番
左京大夫顕輔=藤原顕輔。父は六条藤原家を作った藤原顕季。和歌の師は、父の友人の源俊頼(74番)。息子は藤原清輔(84番)。『詞花和歌集』の選者として知られる。
西行法師  なげけとて 月やはものを 思はするか
 こち顔なる わが涙かな
百人一首86番
西行法師、俗名は佐藤義清。藤原俊成(83番)の友人。西行法師は、鎌倉武士。「北面の武士」として鳥羽院に仕えていたが、23歳で出家した。出家後は、陸奥(東北地方)や四国・中国などを旅して数々の歌を詠む。陸奥へ行ったのは、藤原実方(51番)を尊敬していたからとも言われている。陸奥は「歌枕」として有名な地でもある。放浪の旅に出て『山家集』などを執筆した。この歌は「月前の恋」というお題を与えられた題詠である。
素性法師  いま来むと 言ひしばかりに 長月の
 有明の月を 待ちいでつるかな
百人一首21番
素性法師は僧正遍照(12番)の息子。僧の子は僧になるべしという父の命令(←かなり横暴)により出家し、雨林院(うりんいん)別当に任ぜられる。三十六歌仙の一人。清和天皇・宇多天皇・醍醐天皇に仕えた。 「長月」は陰暦の9月、日が落ちるのが早くなる晩秋。「有明の月」は、15夜(満月)を過ぎた16夜以降の月のこと。夜更けに上り始め、夜明けまで空にうっすら残る美しい月である。秋の夜長に愛しい人を待っていた女性の心情を(想像して)詠んだ歌。
壬生忠岑  有明の つれなく見えし 別れより
 暁ばかり 憂きものはなし
百人一首30番
壬生忠岑は「古今和歌集」の選者の1人で三十六歌仙に数えられている。この人は、機転の利かせた歌を詠むのが得意。気の利いた言い回をして上司を助けたり、醍醐天皇に感心されてご褒美に絹をもらったりしたこともある。「有明の月」=「十六夜以降の夜更けにでて明け方近くまで白く光る月」は、寂しい心情を表すのに度々登場する。そっけない月と同じように、終わってしまった恋人との別れを惜しむ歌である。寂しさを「有明の月」が物語っている。
坂上是則  朝ぼらけ 有明の月と みるまでに
 吉野の里に ふれる白雪
百人一首31番
坂上是則は征夷大将軍・坂上田村麻呂の子孫で、坂上好蔭(よしかげ)の子ともいわれる。三十六歌仙の1人。この歌は、大和国(やまとのくに、今の奈良県)で勤務することになった是則が、吉野へ出張し宿に泊まった朝に詠んだ歌である。「月の白い光」を「白い雪」に見立てるのは、中国の漢詩でよく用いられていた技法(比喩)。平安時代前期の人は、漢詩がブームだったので、よく引用されている。冬の歌は物悲しい心情と掛けたものが多い中、この歌は景観の美しさに感動している気持ちを、素直に表現している。
後徳大寺左大臣  ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
 ただ有明の 月ぞ残れる
百人一首81番
後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)=藤原実定(さねただ)です。藤原俊成(83番)は叔父、藤原定家(97番)は従兄弟。「平治の乱」で勝利した平清盛が権勢を振るった時代に左大臣を務めました。祖父の実能が「徳大寺左大臣」だったので、「後」をつけて区別しました。詩歌のほか、今様・神楽・管絃の名手であり、蔵書家としても知られる。この歌は、ホトトギスの最初の声を聴くために、何人かで夜通し待った会で詠んだ歌。平安時代、貴族の間では、ホトトギスの最初の鳴き声、つまり「初音」を聴くのが、非常に風流なこととされていた。「春」はウグイス、「夏」はホトトギスが季節の代表の鳥とされた。ホトトギスは「夏」の始まりを告げる鳥で、山鳥の中で、朝一番早く鳴くといわれる。

【鳥和歌20選】
阿倍仲麻呂  天の原 ふりさけ見れば 春日なる
 三笠の山に 出でし月かも
百人一首7番
阿倍仲麻呂は19歳で遣唐使として唐に渡り、そこで驚くべき秀才ぶりを発揮して玄宗皇帝に気に入られた。渡唐後30年ほど経ったときに帰国を許されたが、舟が難破してなんと阿南(ベトナム)に漂着してしまう。そこから再び唐に戻れたが日本に帰ることはついに叶わなかった。唐の友人に王維、李白(どちらも漢詩の大家)がいる。
大江千里  月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ
 わが身一つの 秋にはあらねど
百人一首23番
是貞親王(宇多天皇の兄)の歌合によばれたときに詠んだ歌。白居易の「燕子桜(えんしろう)」という漢文の詩をふまえた、いわゆる「本歌取り」の歌である。自分が感じる秋の物悲しさを、白居易の切ない詩と見事に融合させている。
清原深養父  夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
 雲のいづこに 月宿るらむ
百人一首36番
清原深養父は清少納言(62番)の曾祖父。古今和歌集、後選和歌集に多くの歌が選ばれている。 官位は従五位下であまり高くないが、宮中儀式に使う織物や絵画、金銀細工、宝石、屏風、漆器などを管理する仕事をしていた。また、琴の名手としても知られていた。
紫式部  めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに
 雲がくれにし 夜半の月かな
百人一首57番
紫式部は藤原北家屈指の学者で詩人でもあった藤原為時の娘。藤原宣孝と結婚し、大弐三位(58番)を産んでいる。夫の死後、一条天皇の中宮・彰子に仕え、源氏物語を執筆した。
赤染衛門  やすらはで 寝なましものを 小夜更けて
 かたぶくまでの 月を見しかな
百人一首59番
赤染衛門は、この時期の代表的女流歌人の1人。藤原道長の妻・倫子に仕えた後、中
宮・彰子に仕えた。この歌は、妹の代筆といわれる。平安時代は、文(ラブレター)の代
筆を、歌の上手な身内に頼むことが多々あった。赤染衛門の妹は、このとき藤原道隆の
恋人だった。藤原道隆は儀同三司母(54番)の夫。
三条院  心にも あらでうき世に ながらへば
 恋しかるべき 夜半の月かな
百人一首68番
三条院は冷泉(れいぜい)天皇の第2皇子。皇太子となってから25年も天皇の位を待ってようやく即位できたが、眼病を患い6年後に後一条天皇に位を譲った。 在位中に二度も御所の火災に遭い、藤原道長が前の天皇の一条院と娘・彰子との間の皇子を即位させようとして、退位をせまったため苦難の連続となった。この歌は、目を患ったことを理由に藤原道長に退位を迫られた三条天皇が、退位を決心したときに詠んだ一首。その思いをくみ取って読むと、いっそう切なさが感じられる。
左京大夫顕輔  秋風に たなびく雲の 絶えまより
 もれ出づる月の 影のさやけさ
百人一首79番
左京大夫顕輔=藤原顕輔。父は六条藤原家を作った藤原顕季。和歌の師は、父の友人の源俊頼(74番)。息子は藤原清輔(84番)。『詞花和歌集』の選者として知られる。
西行法師  なげけとて 月やはものを 思はするか
 こち顔なる わが涙かな
百人一首86番
西行法師、俗名は佐藤義清。藤原俊成(83番)の友人。西行法師は、鎌倉武士。「北面の武士」として鳥羽院に仕えていたが、23歳で出家した。出家後は、陸奥(東北地方)や四国・中国などを旅して数々の歌を詠む。陸奥へ行ったのは、藤原実方(51番)を尊敬していたからとも言われている。陸奥は「歌枕」として有名な地でもある。放浪の旅に出て『山家集』などを執筆した。この歌は「月前の恋」というお題を与えられた題詠である。
素性法師  いま来むと 言ひしばかりに 長月の
 有明の月を 待ちいでつるかな
百人一首21番
素性法師は僧正遍照(12番)の息子。僧の子は僧になるべしという父の命令(←かなり横暴)により出家し、雨林院(うりんいん)別当に任ぜられる。三十六歌仙の一人。清和天皇・宇多天皇・醍醐天皇に仕えた。 「長月」は陰暦の9月、日が落ちるのが早くなる晩秋。「有明の月」は、15夜(満月)を過ぎた16夜以降の月のこと。夜更けに上り始め、夜明けまで空にうっすら残る美しい月である。秋の夜長に愛しい人を待っていた女性の心情を(想像して)詠んだ歌。
壬生忠岑  有明の つれなく見えし 別れより
 暁ばかり 憂きものはなし
百人一首30番
壬生忠岑は「古今和歌集」の選者の1人で三十六歌仙に数えられている。この人は、機転の利かせた歌を詠むのが得意。気の利いた言い回をして上司を助けたり、醍醐天皇に感心されてご褒美に絹をもらったりしたこともある。「有明の月」=「十六夜以降の夜更けにでて明け方近くまで白く光る月」は、寂しい心情を表すのに度々登場する。そっけない月と同じように、終わってしまった恋人との別れを惜しむ歌である。寂しさを「有明の月」が物語っている。
坂上是則  朝ぼらけ 有明の月と みるまでに
 吉野の里に ふれる白雪
百人一首31番
坂上是則は征夷大将軍・坂上田村麻呂の子孫で、坂上好蔭(よしかげ)の子ともいわれる。三十六歌仙の1人。この歌は、大和国(やまとのくに、今の奈良県)で勤務することになった是則が、吉野へ出張し宿に泊まった朝に詠んだ歌である。「月の白い光」を「白い雪」に見立てるのは、中国の漢詩でよく用いられていた技法(比喩)。平安時代前期の人は、漢詩がブームだったので、よく引用されている。冬の歌は物悲しい心情と掛けたものが多い中、この歌は景観の美しさに感動している気持ちを、素直に表現している。
後徳大寺左大臣  ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
 ただ有明の 月ぞ残れる
百人一首81番
後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)=藤原実定(さねただ)です。藤原俊成(83番)は叔父、藤原定家(97番)は従兄弟。「平治の乱」で勝利した平清盛が権勢を振るった時代に左大臣を務めました。祖父の実能が「徳大寺左大臣」だったので、「後」をつけて区別しました。詩歌のほか、今様・神楽・管絃の名手であり、蔵書家としても知られる。この歌は、ホトトギスの最初の声を聴くために、何人かで夜通し待った会で詠んだ歌。平安時代、貴族の間では、ホトトギスの最初の鳴き声、つまり「初音」を聴くのが、非常に風流なこととされていた。「春」はウグイス、「夏」はホトトギスが季節の代表の鳥とされた。ホトトギスは「夏」の始まりを告げる鳥で、山鳥の中で、朝一番早く鳴くといわれる。

鶯(うぐいす)を詠んだ歌

万葉集には、霍公鳥(ほととぎす)についで多くの歌に詠まれています。春(はる)梅(うめ)とのセットで詠まれることが多く、「鴬鳴くも」というフレーズが多く詠み込まれています。昔から春の鳥の代表格なのですね。

0824: 梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも

0827: 春されば木末隠りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に

0837: 春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く

0838: 梅の花散り乱ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて

0841: 鴬の音聞くなへに梅の花我家の園に咲きて散る見ゆ

0842: 我がやどの梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ

0845: 鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため

0948: ま葛延ふ春日の山はうち靡く春さりゆくと山の上に.......(長歌)

1012: 春さればををりにををり鴬の鳴く我が山斎ぞやまず通はせ

1053: 吾が大君神の命の高知らす布当の宮は.......(長歌)

1057: 鹿背の山木立を茂み朝さらず来鳴き響もす鴬の声

1431: 百済野の萩の古枝に春待つと居りし鴬鳴きにけむかも

1441: うち霧らひ雪は降りつつしかすがに我家の苑に鴬鳴くも

1443: 霞立つ野の上の方に行きしかば鴬鳴きつ春になるらし

1755: 鴬の卵の中に霍公鳥独り生れて己が父に.......(長歌)

1819: うち靡く春立ちぬらし我が門の柳の末に鴬鳴きつ

1820: 梅の花咲ける岡辺に家居れば乏しくもあらず鴬の声

1821: 春霞流るるなへに青柳の枝くひ持ちて鴬鳴くも

1824: 冬こもり春さり来ればあしひきの山にも野にも鴬鳴くも

1825: 紫草の根延ふ横野の春野には君を懸けつつ鴬鳴くも

1826: 春されば妻を求むと鴬の木末を伝ひ鳴きつつもとな

1829: 梓弓春山近く家居れば継ぎて聞くらむ鴬の声

1837: 山の際に鴬鳴きてうち靡く春と思へど雪降りしきぬ

1840: 梅が枝に鳴きて移ろふ鴬の羽白妙に沫雪ぞ降る

1845: 鴬の春になるらし春日山霞たなびく夜目に見れども

1850: 朝な朝な我が見る柳鴬の来居て鳴くべく森に早なれ

1854: 鴬の木伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ

1873: いつしかもこの夜の明けむ鴬の木伝ひ散らす梅の花見む

1888: 白雪の常敷く冬は過ぎにけらしも春霞たなびく野辺の鴬鳴くも

1890: 春山の友鴬の泣き別れ帰ります間も思ほせ我れを

1892: 春山の霧に惑へる鴬も我れにまさりて物思はめやも

1935: 春さればまづ鳴く鳥の鴬の言先立ちし君をし待たむ

1988: 鴬の通ふ垣根の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ

3221: 冬こもり春さり来れば朝には白露置き.......(長歌)

3915: あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鴬の声

3941: 鴬の鳴くくら谷にうちはめて焼けは死ぬとも君をし待たむ

3966: 鴬の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折りかざさむ

3968: 鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも

3969: 大君の任けのまにまにしなざかる越を治めに.......(長歌)

3971: 山吹の茂み飛び潜く鴬の声を聞くらむ君は羨しも

4030: 鴬は今は鳴かむと片待てば霞たなびき月は経につつ

4166: 時ごとにいやめづらしく八千種に草木花咲き.......(長歌)

4277: 袖垂れていざ我が園に鴬の木伝ひ散らす梅の花見に

4286: 御園生の竹の林に鴬はしば鳴きにしを雪は降りつつ

4287: 鴬の鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふらむか

4290: 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも

4445: 鴬の声は過ぎぬと思へどもしみにし心なほ恋ひにけり

4488: み雪降る冬は今日のみ鴬の鳴かむ春へは明日にしあるらし

4490: あらたまの年行き返り春立たばまづ我が宿に鴬は鳴け

4495: うち靡く春ともしるく鴬は植木の木間を鳴き渡らなむ

霍公鳥(ほととぎす)を詠んだ歌

万葉集では153首にも登場します。大伴家持(おおとものやかもち)が詠んだ歌が多いですね。また、卯の花橘(たちばな)などの花とのセットで詠まれている歌も多くあります。

0112: いにしへに恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし我が念へるごと

0423: つのさはふ磐余の道を朝さらず行きけむ人の.......(長歌)

1058: 狛山に鳴く霍公鳥泉川渡りを遠みここに通はず

1465: 霍公鳥いたくな鳴きそ汝が声を五月の玉にあへ貫くまでに

1466: 神奈備の石瀬の社の霍公鳥毛無の岡にいつか来鳴かむ

1467: 霍公鳥なかる国にも行きてしかその鳴く声を聞けば苦しも

1468: 霍公鳥声聞く小野の秋風に萩咲きぬれや声の乏しき

1469: あしひきの山霍公鳥汝が鳴けば家なる妹し常に偲はゆ

1470: もののふの石瀬の社の霍公鳥今も鳴かぬか山の常蔭に

1472: 霍公鳥来鳴き響もす卯の花の伴にや来しと問はましものを

1473: 橘の花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しぞ多き

1474: 今もかも大城の山に霍公鳥鳴き響むらむ我れなけれども

1475: 何しかもここだく恋ふる霍公鳥鳴く声聞けば恋こそまされ

1476: ひとり居て物思ふ宵に霍公鳥こゆ鳴き渡る心しあるらし

1477: 卯の花もいまだ咲かねば霍公鳥佐保の山辺に来鳴き響もす

1480: 我が宿に月おし照れり霍公鳥心あれ今夜来鳴き響もせ

1481: 我が宿の花橘に霍公鳥今こそ鳴かめ友に逢へる時

1482: 皆人の待ちし卯の花散りぬとも鳴く霍公鳥我れ忘れめや

1483: 我が背子が宿の橘花をよみ鳴く霍公鳥見にぞ我が来し

1484: 霍公鳥いたくな鳴きそひとり居て寐の寝らえぬに聞けば苦しも

1486: 我が宿の花橘を霍公鳥来鳴かず地に散らしてむとか

1487: 霍公鳥思はずありき木の暗のかくなるまでに何か来鳴かぬ

1488: いづくには鳴きもしにけむ霍公鳥我家の里に今日のみぞ鳴く

1490: 霍公鳥待てど来鳴かず菖蒲草玉に貫く日をいまだ遠みか

1491: 卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴き渡る

1493: 我が宿の花橘を霍公鳥来鳴き響めて本に散らしつ

1494: 夏山の木末の茂に霍公鳥鳴き響むなる声の遥けさ

1495: あしひきの木の間立ち潜く霍公鳥かく聞きそめて後恋ひむか

1497: 筑波嶺に我が行けりせば霍公鳥山彦響め鳴かましやそれ

1498: 暇なみ来まさぬ君に霍公鳥我れかく恋ふと行きて告げこそ

1499: 言繁み君は来まさず霍公鳥汝れだに来鳴け朝戸開かむ

1501: 霍公鳥鳴く峰の上の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ

1505: 霍公鳥鳴きしすなはち君が家に行けと追ひしは至りけむかも

1506: 故郷の奈良思の岡の霍公鳥言告げ遣りしいかに告げきや

1507: いかといかとある我が宿に百枝さし.......(長歌)

1509: 妹が見て後も鳴かなむ霍公鳥花橘を地に散らしつ

1755: 鴬の卵の中に霍公鳥独り生れて己が父に.......(長歌)>

1756: かき霧らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きて行くなりあはれその鳥

1937: 大夫の出で立ち向ふ故郷の神なび山に.......(長歌)

1938: 旅にして妻恋すらし霍公鳥神なび山にさ夜更けて鳴く

1939: 霍公鳥汝が初声は我れにもが五月の玉に交へて貫かむ

1940: 朝霞たなびく野辺にあしひきの山霍公鳥いつか来鳴かむ

1942: 霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く娘女

1943: 月夜よみ鳴く霍公鳥見まく欲り我れ草取れり見む人もがも

1944: 藤波の散らまく惜しみ霍公鳥今城の岡を鳴きて越ゆなり

1945: 朝霧の八重山越えて霍公鳥卯の花辺から鳴きて越え来ぬ

1946: 木高くはかつて木植ゑじ霍公鳥来鳴き響めて恋まさらしむ

1947: 逢ひかたき君に逢へる夜霍公鳥他時よりは今こそ鳴かめ

1948: 木の暗の夕闇なるに霍公鳥いづくを家と鳴き渡るらむ>

1949: 霍公鳥今朝の朝明に鳴きつるは君聞きけむか朝寐か寝けむ

1950: 霍公鳥花橘の枝に居て鳴き響もせば花は散りつつ

1951: うれたきや醜霍公鳥今こそば声の嗄るがに来鳴き響めめ

1952: 今夜のおほつかなきに霍公鳥鳴くなる声の音の遥けさ

1953: 五月山卯の花月夜霍公鳥聞けども飽かずまた鳴かぬかも

1954: 霍公鳥来居も鳴かぬか我がやどの花橘の地に落ちむ見む

1955: 霍公鳥いとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ

1956: 大和には鳴きてか来らむ霍公鳥汝が鳴くごとになき人思ほゆ

1957: 卯の花の散らまく惜しみ霍公鳥野に出で山に入り来鳴き響もす

1958: 橘の林を植ゑむ霍公鳥常に冬まで棲みわたるがね

1959: 雨晴れの雲にたぐひて霍公鳥春日をさしてこゆ鳴き渡る

1960: 物思ふと寐ねぬ朝明に霍公鳥鳴きてさ渡るすべなきまでに

1961: 我が衣を君に着せよと霍公鳥我れをうながす袖に来居つつ

1962: 本つ人霍公鳥をやめづらしく今か汝が来る恋ひつつ居れば

1963: かくばかり雨の降らくに霍公鳥卯の花山になほか鳴くらむ

1968: 霍公鳥来鳴き響もす橘の花散る庭を見む人や誰れ

1976: 卯の花の咲き散る岡ゆ霍公鳥鳴きてさ渡る君は聞きつや

1977: 聞きつやと君が問はせる霍公鳥しののに濡れてこゆ鳴き渡る

1978: 橘の花散る里に通ひなば山霍公鳥響もさむかも

1979: 春さればすがるなす野の霍公鳥ほとほと妹に逢はず来にけり

1980: 五月山花橘に霍公鳥隠らふ時に逢へる君かも

1981: 霍公鳥来鳴く五月の短夜もひとりし寝れば明かしかねつも

1991: 霍公鳥来鳴き響もす岡辺なる藤波見には君は来じとや

3165: 霍公鳥飛幡の浦にしく波のしくしく君を見むよしもがも

3352: 信濃なる須我の荒野に霍公鳥鳴く声聞けば時過ぎにけり

3754: 過所なしに関飛び越ゆる霍公鳥多我子尓毛止まず通はむ

3780: 恋ひ死なば恋ひも死ねとや霍公鳥物思ふ時に来鳴き響むる

3781: 旅にして物思ふ時に霍公鳥もとなな鳴きそ我が恋まさる

3782: 雨隠り物思ふ時に霍公鳥我が住む里に来鳴き響もす

3783: 旅にして妹に恋ふれば霍公鳥我が住む里にこよ鳴き渡る

3784: 心なき鳥にぞありける霍公鳥物思ふ時に鳴くべきものか

3785: 霍公鳥間しまし置け汝が鳴けば我が思ふ心いたもすべなし

3909: 橘は常花にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ

3910: 玉に貫く楝を家に植ゑたらば山霍公鳥離れず来むかも

3911: あしひきの山辺に居れば霍公鳥木の間立ち潜き鳴かぬ日はなし

3912: 霍公鳥何の心ぞ橘の玉貫く月し来鳴き響むる

3913: 霍公鳥楝の枝に行きて居ば花は散らむな玉と見るまで

3914: 霍公鳥今し来鳴かば万代に語り継ぐべく思ほゆるかも

3916: 橘のにほへる香かも霍公鳥鳴く夜の雨にうつろひぬらむ

3917: 霍公鳥夜声なつかし網ささば花は過ぐとも離れずか鳴かむ

3918: 橘のにほへる園に霍公鳥鳴くと人告ぐ網ささましを

3919: あをによし奈良の都は古りぬれどもと霍公鳥鳴かずあらなくに

3946: 霍公鳥鳴きて過ぎにし岡びから秋風吹きぬよしもあらなくに

3978: 妹も我れも心は同じたぐへれどいやなつかしく相見れば.......(長歌)

3983: あしひきの山も近きを霍公鳥月立つまでに何か来鳴かぬ

3984: 玉に貫く花橘をともしみしこの我が里に来鳴かずあるらし

3988: ぬばたまの月に向ひて霍公鳥鳴く音遥けし里遠みかも

3993: 藤波は咲きて散りにき卯の花は.......(長歌)

3996: 我が背子が国へましなば霍公鳥鳴かむ五月は寂しけむかも

3997: 我れなしとなわび我が背子霍公鳥鳴かむ五月は玉を貫かさね

4006: かき数ふ二上山に神さびて立てる栂の木.......(長歌)

4007: 我が背子は玉にもがもな霍公鳥声にあへ貫き手に巻きて行かむ

4008: あをによし奈良を来離れ天離る鄙にはあれど.......(長歌)

4035: 霍公鳥いとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ

4042: 藤波の咲き行く見れば霍公鳥鳴くべき時に近づきにけり

4043: 明日の日の布勢の浦廻の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも

4050: めづらしき君が来まさば鳴けと言ひし山霍公鳥何か来鳴かぬ

4051: 多古の崎木の暗茂に霍公鳥来鳴き響めばはだ恋ひめやも

4052: 霍公鳥今鳴かずして明日越えむ山に鳴くとも験あらめやも

4053: 木の暗になりぬるものを霍公鳥何か来鳴かぬ君に逢へる時

4054: 霍公鳥こよ鳴き渡れ燈火を月夜になそへその影も見む

4066: 卯の花の咲く月立ちぬ霍公鳥来鳴き響めよ含みたりとも

4067: 二上の山に隠れる霍公鳥今も鳴かぬか君に聞かせむ

4068: 居り明かしも今夜は飲まむ霍公鳥明けむ朝は鳴き渡らむぞ

4069: 明日よりは継ぎて聞こえむ霍公鳥一夜のからに恋ひわたるかも

4084: 暁に名告り鳴くなる霍公鳥いやめづらしく思ほゆるかも

4089: 高御倉天の日継とすめろきの神の命の.......(長歌)

4090: ゆくへなくありわたるとも霍公鳥鳴きし渡らばかくや偲はむ

4091: 卯の花のともにし鳴けば霍公鳥いやめづらしも名告り鳴くなへ

4092: 霍公鳥いとねたけくは橘の花散る時に来鳴き響むる

4101: 珠洲の海人の沖つ御神にい渡りて.......(長歌)

4111: かけまくもあやに畏し天皇の.......(長歌)

4116: 大君の任きのまにまに取り持ちて.......(長歌)

4119: いにしへよ偲ひにければ霍公鳥鳴く声聞きて恋しきものを

4166: 時ごとにいやめづらしく八千種に草木花咲き.......(長歌)

4168: 毎年に来鳴くものゆゑ霍公鳥聞けば偲はく逢はぬ日を多み

4169: 霍公鳥来鳴く五月に咲きにほふ.......(長歌)

4171: 常人も起きつつ聞くぞ霍公鳥この暁に来鳴く初声

4172: 霍公鳥来鳴き響めば草取らむ花橘を宿には植ゑずて

4175: 霍公鳥今来鳴きそむあやめぐさかづらくまでに離るる日あらめや

4176: 我が門ゆ鳴き過ぎ渡る霍公鳥いやなつかしく聞けど飽き足らず

4177: 我が背子と手携はりて明けくれば.......(長歌)

4178: 我れのみし聞けば寂しも霍公鳥丹生の山辺にい行き鳴かにも

4179: 霍公鳥夜鳴きをしつつ我が背子を安寐な寝しめゆめ心あれ

4180: 春過ぎて夏来向へばあしひきの.......(長歌)

4181: さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし

4182: 霍公鳥聞けども飽かず網捕りに捕りてなつけな離れず鳴くがね

4183: 霍公鳥飼ひ通せらば今年経て来向ふ夏はまづ鳴きなむを

4189: 天離る鄙としあればそこここも.......(長歌)

4192: 桃の花紅色ににほひたる面輪のうちに.......(長歌)

4193: 霍公鳥鳴く羽触れにも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花

4194: 霍公鳥鳴き渡りぬと告ぐれども我れ聞き継がず花は過ぎつつ

4195: 我がここだ偲はく知らに霍公鳥いづへの山を鳴きか越ゆらむ

4196: 月立ちし日より招きつつうち偲ひ待てど来鳴かぬ霍公鳥かも

4203: 家に行きて何を語らむあしひきの山霍公鳥一声も鳴け

4207: ここにしてそがひに見ゆる我が背子が.......(長歌)

4208: 我がここだ待てど来鳴かぬ霍公鳥ひとり聞きつつ告げぬ君かも

4209: 谷近く家は居れども木高くて里はあれども.......(長歌)

4210: 藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山霍公鳥などか来鳴かぬ

4239: 二上の峰の上の茂に隠りにしその霍公鳥待てど来鳴かず

4305: 木の暗の茂き峰の上を霍公鳥鳴きて越ゆなり今し来らしも

4437: 霍公鳥なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな我を音し泣くも

4438: 霍公鳥ここに近くを来鳴きてよ過ぎなむ後に験あらめやも

4463: 霍公鳥まづ鳴く朝明いかにせば我が門過ぎじ語り継ぐまで

4464: 霍公鳥懸けつつ君が松蔭に紐解き放くる月近づきぬ

 雁(かり/がん)を詠んだ歌
 カモ目カモ科ガン亜科の水鳥の総称。通常、鴨より大きい。雁は万葉の頃は「かり」と呼ばれていたが、室町時代あたりから少しずつ「がん」という呼び方が始まった。

万葉集には「雁(かり)が音(ね)」と詠まれた歌が非常に多くあります。「雁(かり)が音(ね)」は、「雁の鳴く声」の意味ですが、「雁」そのものの意味にも使われています。

0182: 鳥座立て飼ひし雁の子巣立ちなば真弓の岡に飛び帰り来ね

0948: ま葛延ふ春日の山はうち靡く春さりゆくと山の上に.......(長歌)

0954: 朝は海辺にあさりし夕されば大和へ越ゆる雁し羨しも

1161: 家離り旅にしあれば秋風の寒き夕に雁鳴き渡る

1513: 今朝の朝明雁が音聞きつ春日山もみちにけらし我が心痛し

1515: 言繁き里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひて行かましものを

1539: 秋の田の穂田を雁がね暗けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも

1540: 今朝の朝明雁が音寒く聞きしなへ野辺の浅茅ぞ色づきにける

1556: 秋田刈る仮廬もいまだ壊たねば雁が音寒し霜も置きぬがに

1562: 誰れ聞きつこゆ鳴き渡る雁がねの妻呼ぶ声の羨しくもあるか

1563: 聞きつやと妹が問はせる雁が音はまことも遠く雲隠るなり

1566: 久方の雨間も置かず雲隠り鳴きぞ行くなる早稲田雁がね

1567: 雲隠り鳴くなる雁の行きて居む秋田の穂立繁くし思ほゆ

1574: 雲の上に鳴くなる雁の遠けども君に逢はむとた廻り来つ

1575: 雲の上に鳴きつる雁の寒きなへ萩の下葉はもみちぬるかも

1578: 今朝鳴きて行きし雁が音寒みかもこの野の浅茅色づきにける

1614: 九月のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも

1699: 巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし

1700: 秋風に山吹の瀬の鳴るなへに天雲翔る雁に逢へるかも

1701: さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空ゆ月渡る見ゆ

1702: 妹があたり繁き雁が音夕霧に来鳴きて過ぎぬすべなきまでに

1703: 雲隠り雁鳴く時は秋山の黄葉片待つ時は過ぐれど

1708: 春草を馬咋山ゆ越え来なる雁の使は宿り過ぐなり

1757: 草枕旅の憂へを慰もることもありやと.......(長歌)

2097: 雁がねの来鳴かむ日まで見つつあらむこの萩原に雨な降りそね

2126: 秋萩は雁に逢はじと言へればか声を聞きては花に散りぬる

2128: 秋風に大和へ越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲隠りつつ

2129: 明け暮れの朝霧隠り鳴きて行く雁は我が恋妹に告げこそ

2130: 我が宿に鳴きし雁がね雲の上に今夜鳴くなり国へかも行く

2131: さを鹿の妻どふ時に月をよみ雁が音聞こゆ今し来らしも

2132: 天雲の外に雁が音聞きしよりはだれ霜降り寒しこの夜は

2133: 秋の田の我が刈りばかの過ぎぬれば雁が音聞こゆ冬かたまけて

2134: 葦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁鳴き渡る

2135: おしてる難波堀江の葦辺には雁寝たるかも霜の降らくに

2136: 秋風に山飛び越ゆる雁がねの声遠ざかる雲隠るらし

2137: 朝に行く雁の鳴く音は我がごとく物思へれかも声の悲しき

2138: 鶴がねの今朝鳴くなへに雁がねはいづくさしてか雲隠るらむ

2139: ぬばたまの夜渡る雁はおほほしく幾夜を経てかおのが名を告る

2144: 雁は来ぬ萩は散りぬとさを鹿の鳴くなる声もうらぶれにけり

2181: 雁が音の寒き朝明の露ならし春日の山をもみたすものは

2183: 雁がねは今は来鳴きぬ我が待ちし黄葉早継げ待たば苦しも

2191: 雁が音を聞きつるなへに高松の野の上の草ぞ色づきにける

2194: 雁がねの来鳴きしなへに韓衣龍田の山はもみちそめたり

2195: 雁がねの声聞くなへに明日よりは春日の山はもみちそめなむ

2208: 雁がねの寒く鳴きしゆ水茎の岡の葛葉は色づきにけり

2212: 雁がねの寒く鳴きしゆ春日なる御笠の山は色づきにけり

2214: 夕されば雁の越え行く龍田山しぐれに競ひ色づきにけり

2224: この夜らはさ夜更けぬらし雁が音の聞こゆる空ゆ月立ち渡る

2238: 天飛ぶや雁の翼の覆ひ羽のいづく漏りてか霜の降りけむ

2266: 出でて去なば天飛ぶ雁の泣きぬべみ今日今日と言ふに年ぞ経にける

2276: 雁がねの初声聞きて咲き出たる宿の秋萩見に来我が背子

2294: 秋されば雁飛び越ゆる龍田山立ちても居ても君をしぞ思ふ

3048: み狩りする雁羽の小野の櫟柴のなれはまさらず恋こそまされ

3223: かむとけの日香空の九月のしぐれの降れば.......(長歌)

3281: 我が背子は待てど来まさず雁が音も.......(長歌)

3345: 葦辺行く雁の翼を見るごとに君が帯ばしし投矢し思ほゆ

3665: 妹を思ひ寐の寝らえぬに暁の朝霧隠り雁がねぞ鳴く

3676: 天飛ぶや雁を使に得てしかも奈良の都に言告げ遣らむ

3691: 天地とともにもがもと思ひつつありけむものを.......(長歌)

3947: 今朝の朝明秋風寒し遠つ人雁が来鳴かむ時近みかも

3953: 雁がねは使ひに来むと騒くらむ秋風寒みその川の上に

4144: 燕来る時になりぬと雁がねは国偲ひつつ雲隠り鳴く

4145: 春まけてかく帰るとも秋風にもみたむ山を越え来ざらめや [一云 春されば帰るこの雁]

4224: 朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我が宿の萩

4296: 天雲に雁ぞ鳴くなる高円の萩の下葉はもみちあへむかも

4366: 常陸指し行かむ雁もが我が恋を記して付けて妹に知らせむ

 雉(きじ)を詠んだ歌
 雉(きじ)はキジ目キジ科の鳥で、日本の国鳥です。万葉の頃は雉(きぎし)と呼ばれていた。大きさは雄の方が大きく雌の方が一回り小さいが、おおよそは全長が60~80センチくらい。尾が長いのが特徴。雄は濃い緑色で顔に赤い肉腫があるが、雌は地味な茶褐色。
海神はくすしきものか淡路島中に立て置きて.......(長歌) 万葉集0388
かけまくもあやに畏し我が大君皇子の命の.......(長歌) 万葉集0478
1446: 春の野にあさる雉の妻恋ひにおのがあたりを人に知れつつ

1866: 雉鳴く高円の辺に桜花散りて流らふ見む人もがも

3210: あしひきの片山雉立ち行かむ君に後れてうつしけめやも

3310: 隠口の泊瀬の国にさよばひに我が来れば.......(長歌)

3375: 武蔵野のをぐきが雉立ち別れ去にし宵より背ろに逢はなふよ

4148: 杉の野にさ躍る雉いちしろく音にしも泣かむ隠り妻かも

4149: あしひきの八つ峰の雉鳴き響む朝明の霞見れば悲しも

 雲雀(ひばり)を詠んだ歌
うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば 万葉集4292
朝な朝な上がるひばりになりてしか都に行きて早帰り来む 万葉集4433
ひばり上がる春へとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく 万葉集4434


  





(私論.私見)