手習い歌(いろは歌)考 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.7.12日
(れんだいこのショートメッセージ) |
五十音を覚える手習い歌として、「あめつちの歌」、「大為爾(たゐに)の歌」、「いろは歌」などがある。これを確認しておく。970年成立の源為憲「口遊」(くちずさみ)に、大為爾の歌とあめつちの歌の言及があるがいろは歌はない。これにより、あめつちの歌、大為爾の歌、いろは歌の順で登場したものと推定される。 |
【天地の歌(あめつちのうた)】 | ||||||||||||||
「天地の歌(あめつちのうた)」、「あめつち」、「あめつちほしそ」とも云う。文献上の初出は源順(みなもとのしたごう。911生-983没)の私家集である「源順集」(平安中後期成立)所収の沓冠(くつこうぶり)歌。上代特殊仮名遣のコの甲乙の区別は存在しないが、ア行のエとヤ行のエを区別している点から、平安初期(900年前後)の成立と見られる。中国の千字文を意識して1行に名詞が4語並ぶように作られているが、5行目で早くも動詞を使用するなど形式的にも破綻しており、6行目は無意味な語の羅列になっているなど、作品としての出来は決してよいとは言えない。しかしながら、いろは歌が普及する平安後期までは、もっぱら天地の歌が手習い歌として使用されていた。
え* - この「え」は、ヤ行の「え(je)」。 |
【大為爾の歌(たゐにのうた)】 | |||||||||||||||||||||||||||
「大為爾の歌(たゐにのうた)」も手習い歌として愛用されてきた。作者は源為憲ではないかと推測されるが、未詳。冒頭が「たゐに」で始まることからこの名がある。五七調の歌で、970(天禄元)年に源為憲が著した『口遊』(くちずさみ)という書物に掲載されている。為憲は当時普及していた天地(あめつち)の歌を引き合いに出し、これを里女の訛説として退け、この歌の方が勝っていると評している。七五調を基調とする今様形式のいろは歌が登場するまで、手習い歌としての天地の歌の地位は不動であった。
なお、本歌は天地の歌と異なり、ア行のエとヤ行のエの区別を存しないが、最終句「え船繋けぬ」が連体止めになっていることに注目して、本来は「え船繋けぬ江」で、原歌の成立は平安初期にまで遡るのではないかと指摘する説もある。 |
【伊呂波歌(いろはうた)作成経緯】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
手習い歌の代表歌で、47字の仮名を一度ずつ使って七五調四句の今様(いまよう)形式の歌にされている。このかなの配列順を「いろは順仮名47文字」と云う。「ん」が使われていないため「すべての仮名を使って」という要件を満たしていないが、次のような名句となっている。 ひらがな(カタカナ)表記
現存最古の漢音(和音)表記
現代仮名遣い表記
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【「金光明最勝王経音義」(こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)のいろは歌)】 | ||||||||||||||||
文献上に最初に見出されるのは1079年成立の「金光明最勝王経音義」(こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)である。音義とは経典での字義や発音を解説するもので、いろは歌は音訓の読みとして使われる仮名の一覧として使われている。ここでの仮名は万葉仮名であり、7字区切りで、大きく書かれた1字に小さく書かれた同音の文字1つか2つが添えられている。
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【伊呂波歌(いろはうた)の作者】 |
いろは歌が、いつ、誰により作られたかは不明である。ただ、それが余りにもよく出来た歌であることから空海(774年-8355年)の作とされている。最近では柿本人麻呂の作だという説が多くでている。通俗書では柿本人麻呂がいろは歌の作者だとする説もある。 いろは歌の全文が記録として確認できるのは、1079(承暦3)年の「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)」に万葉仮名で書かれているのが現存最古で、その書物は現在、大東急記念文庫が所有している、と云う。 1109(天仁2)年、源信僧都がいろはの作者を論じたという。1142(康治1)年、西念が、いろはを沓冠に置いた願極楽往生歌を詠んでいる。いろはがその頃から広く使われており、色葉字類抄、伊呂波字類抄、節用集など、いろは引きの辞書も作られるに至っている。いろはの最後に「京」の字を置くことは鎌倉時代に始まっているが、理由は明らかでない。 |
れんだいこのカンテラ時評№1148 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 7月 1日 |
「平仮名いろは歌土器」考その1 2013.6.27日、京都市埋蔵文化財研究所が、「平仮名いろは歌土器」に関する画期的発表をした。それによると、1983(昭和53)年、平安京にあった平安貴族藤原氏の邸宅「堀河院」(京都市中京区、太政大臣藤原基経がつくったとされる大邸宅)邸跡の井戸から出土した土器の裏側に、「平仮名いろは歌」のほぼ全文が墨書されていたことが分かった。土器は12世紀末~13世紀初め(平安末期~鎌倉初期)のものと見られている。 過去に、三重県の斎宮跡で、平安時代後期の11世紀末から12世紀前半の作と推定されている「平仮名いろは歌土器」が9文字ほど書かれた土器の破片が見つかっている。「堀河院出土の平仮名いろは歌土器」がほぼ全文が判読できるものとして国内最古のものとなった。 土器は詳しく調査しないまま保存されていたが、昨年、西約1キロにある藤原良相(よしみ)邸跡から出土した土器に国内最古級の平仮名が書かれているのが確認され、同研究所が平安京の出土品の写真データベース約9万点を再調査して分かった。大きさは直径9センチ、高さ1・5センチの土師器(はじき)の小皿で、裏側にいろは歌が書かれていた。47文字中10文字は判読困難で、4文字は欠損している。「いろは……」と書き始めたが、徐々に余白がなくなって最後の行は右端に戻って書いている云々。 この「平仮名いろは歌土器」が何故に如何に重要なのか、これを愚考する。ちなみに、「いろは歌」とは、「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為(うゐ)の奥山 今日(けふ)越えて 浅き夢見じ 酔(ゑ)ひもせず」で知られている。れんだいこは、ここでも新観点を披歴しようと思う。「うゐの奥山」の「うゐ」は文意からして「有為」ではなく「憂い」と当てるべきで、「憂いの奥山」と解するのが正解ではないかと思っている。何故に意味不明の「有為」にするのかが分からない。 もとへ。この発見が如何に重要であるのか。「いろは歌」そのものは、1079(承暦3)年の「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)」で確認できる。その書物は現在、大東急記念文庫が所有しているとのことだが、万葉仮名で書かれている。こたびの発見は、平仮名で書かれている「いろは歌」の全文が確認できたところにある。この問題は、「いろは歌」の作者考、平仮名の発生考、そのそれぞれの発生時期考の三方面から興味が湧く。 「いろは歌」の作者考、「いろは歌」の発生時期考は別の機会に論ずることにする。一説には、余りにもよく出来た歌であることから空海(774年-8355年)の作とされているが、柿本人麻呂の作だとする説もある。「いろは歌」の発生時期は平安初期の頃とされているが正確には分からない。 ここでは、平仮名の発生考をしておくことにする。日本語に於ける平仮名はどういうルーツで生まれたものだろうかの問いである。誰か解けるだろうか。れんだいこの解は、実は相当に古いとみなしている。但し時期は分からない。作者も分からない。確認すべきは、平仮名とカタカナの由来を同時並行的にせねばならないのではなかろうかと思っている。 カタカナの由来については平仮名の由来より少し明らかなことがある。つまり、カタカナはカタカムナ文字、ホツマ文字に起源を発しているらしいことが分かっている。通説は漢字の崩しからばかりに由来を見るが疑問である。漢字の崩しからカタカナが生まれた面もあろうが、カタカムナ文字、ホツマ文字からの由来をも見るのが執るべき態度のように思っている。実際には、漢字崩し、カタカムナ文字、ホツマ文字崩しの総合アンサンブルで生まれている可能性が高い。これの論証は別の機会に譲る。 さて、平仮名は漢字の崩しからのみ生まれたのだろうか。そういう問いかけが起こる。れんだいこの研究はできていないが、カタカナがカタカムナ文字、ホツマ文字に起源を持つのに似て、平仮名も同様の影響があるのではなかろうかと思っている。そういう意味では、日本古代史上の有為なことは何でもインド、中国、朝鮮に起源を訪ね、日本近代史上の有為なことは何でも西欧に起源を求めようとする学的態度に反対である。日本のそれまでの固有の自生的なものをベースに外来ものとの練り合わせで生まれたとするのが正しい態度ではなかろうかと思っている。個別的にはいろいろあろうが概ねそうではなかろうかと思っている。 |
れんだいこのカンテラ時評№1149 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 7月 2日 |
「平仮名いろは歌土器」考その2 日本語上の平仮名、カタカナの発明の世界史性がどのようなものであるのか、これに関する逸話を確認しておく。時は1972(昭和47).9.27日、日中国交回復交渉時の毛沢東&田中角栄の日中最高首脳部会談の一幕で、毛沢東が次のように述べている。「いろは、アイウエオ、平仮名とカタカナを創り出した日本民族は偉大な民族です。今、日本語の勉強をしています。日本に留学したいと思っているのですよ」。 これに対し、大平外相が、「では、私たちはどうやってあなたの世話をしたらいいのですか。難しいですよ。やはり他の国に留学してください」と茶化し、毛主席曰く、「大平先生は友好的でないですね」と応えた云々。会談時の友好ムードが伝わる逸話であるが、れんだいこは、「いろは、アイウエオ、平仮名とカタカナを創り出した日本民族は偉大な民族です」の言に注目している。毛主席さすがの慧眼の言ではなかろうかと思っている。 れんだいこが思うに、日本語は独り日本のみならず人類が生み出した世界に冠たるスーパー功労賞もの言語なのではなかろうか。今後に於いて、国際公用語として英語が普及するのは構わない。だがしかし日本語もまた第二国際公用語として使われていくべきではなかろうか。それに値する世界最高傑作芸術言語足り得ているのではなかろうか。日本語はその他の技芸同様に独り日本のみならず世界に普及していくべき能力を持っているのではなかろうかと思っている。 その言語の「元一日」が大和王朝以前に確立していたことは疑いない。れんだいこの「原日本論新日本論」に照らせば、原日本時代の出雲王朝の御世に於いて獲得されていたと推理している。これ一事をもってしても出雲王朝御世の素晴らしさが分かろう。ここではそれを問わない。 ここで問うのは、日本語の根幹を規定している「48音」の由来である。一体、日本人は、どのようにして「48音」を獲得したのだろうか。世界の言語がそれぞれ何音で構成されているのか知らないが、日本語同様の「48音」を持っている言語は他にあるのだろうか。恐らくなかろう。それはこの際どうでも良い。見過ごせないのは、日本語の「48音」が「あいうえお」の母音系5列と「あかさたなはまやらわ」の子音系10列+「ん」から成り立つ規則正しい関係構造を見せていることである。この知恵がどこから生まれ、どのようにして獲得されたのか誰もわからない。分かっているのは、ここに現にそのような日本語があるということである。 以下は宮地正典氏の「人類文明の秘宝 新説ホツマツタエ」に教示いただいたのだが、「日本語48音」が不思議なことに「元素の周期律表」と親和していると云う。「元素の周期律表」とは、1871年、ロシアの化学者メンデレーエフ博士(1834-1907年)が、宇宙に存在する物質は元素で作られているとして、その元素の性質を原子量に従って並べて行き、8個の元素が一回りの転移となるという発見を元に作り上げたものである。この周期律表は今日でもなお最も重要な科学原則として通用している。 驚くべきは、「メンデレーエフの元素の周期律表」の両端を繋いで円図にすれば、日本語原語のホツマ文字の「ふとまにの図」になると云う。これを逆に云うと、「ふとまにの図」は「メンデレーエフの元素の周期律表」を先取りしていたことになる。即ち、日本語原語のホツマ48文字が、48原子と対応していたことになる。即ち日本語が原子の周期律構造に対応した言語となっていると云う。ホツマ伝えは、その「言語の周期律表」を下に宇宙の真理に至る正道として「八の決まり」に基づく「あめなるみち(天成る道)」を説いている。ここに日本語の不思議が見られる云々。 このことに驚くのは、れんだいこだけだろうか。そう云えば相撲の48手、性交体位の48手も何やら示唆的である。昔から48と云う数字が意識されていたことになる。夫婦の「阿吽の呼吸」も然りで、正確には「あうんの呼吸」と平仮名表記されるべきであろう。「あうんの呼吸」とは「あ」から「ん」までの息遣いを指しているのではなかろうかと思われる。 今、気になって「阿吽の呼吸」を辞書検索すると、「阿」は口を開いて発音することから「吐く息」という意味で、「吽」は口を閉じて発音することから「吸う息」という意味。それを合わせることを「阿吽の呼吸」と云うとある。この説明は良いとして、続いて「阿」はサンスクリットの十二母音の最初の音で、「吽」は最後の音であることから、密教では「万物の根源」の象徴とされており、神社や社殿前にある狛犬の一対は、一方が口を開けた「阿形」、もう一方が口を閉じた「吽形」で、「阿吽」を表している云々とある。それもそうなのだろうが、日本語上の「あ」から「ん」までの50音の息遣いが合っているサマを表現していると受け止めても良いのではなかろうか。これによれば、何でも漢字表記したり外国知識に由来を求めて得心するのは愚の骨頂と云うことになる。 さらに言えば、日本語の母語とも云うべきカタカムナ文字、ホツマ文字は哲理的図象文字で獲得されている。その48図象文字が一字ずつまことに味わい深い。時間があれば研究してみたいと思っているが、なかなかその時間が作り出せない。 もとへ。我らが祖先は、漢字渡来期に、日本固有の哲理的図象文字と漢字を比べて偉大なる格闘をしたと思われる。その結果、大胆なる決断で文字としては哲理的図象文字を捨て漢字に切り替えた。これが万葉仮名と云われるものである。但し、文字は捨てたが言葉は捨てなかった。これが大和言葉と云われるものである。 これにより漢字は大和言葉に宛(あて)がう形で使われることになった。これを訓読みと云う。漢字の発音通りに使うのを音読みと云う。但し、音読みにせよ訓読みにせよ日本語構文の中で使い切っているところに日本語の才と冴えを見て取れる。俗にこれを咀嚼するという。 この時代の相当期間を経て万葉仮名時代に終わりを告げることになる。それが平仮名、カタカナの発明時期に即応している。こうして文字としての日本語は平仮名、カタカナ、漢字との混交文を生み出していく。この営為を毛沢東が絶賛したのは既に述べた通りである。 以上、日本語の素晴らしさの一端が分かってくれたなら本稿の願い叶ったりである。(この後、その3に続く) |
れんだいこのカンテラ時評№1150 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 7月 4日 |
「平仮名いろは歌土器」考その3 こういう日本語には他の言語ではマネのできない芸当がある。それが和歌である。和歌は日本語特有のもので、日本語が汲み出されたところの哲理的な言語リズムに乗って作られる。古事記、日本書紀以前の歴史書として評価されるべき「ホツマ伝え」は全文が「五、七調」、「五、七、七調」のホツマ図象文字で表記されている。 和歌はこれより発していると思われるが、やがて五、七、五、七、七の31文字を正調とするようになる。この31文字は古代太陰暦の1ヶ月の日数と関係している。これは偶然ではないように思われる。してみれば、和歌とは、宇宙のリズムから汲み出されている日本語を、そのリズムそのままに日本語的に表現する歌と云うことになる。そういう意味で、和歌は日本語に不即不離であり、日本語の生命そのものと云える。 これにより日本語言霊(ことだま)論が生まれる。即ち、日本語の言葉自体が宇宙、自然の摂理から汲み出されており、それ故に宇宙、自然に神が宿っている以上、それと通底して生み出されている日本語にも神が宿ると云うことになる。これが言霊論の論拠である。 留意すべきは、ここで云う神はユダヤ-キリスト教的な一神教的な創造主ではない。ユダヤ-キリスト教的な意味では被創造主になるその被創造主の中に既に神が宿っている、しかもそれぞれに神が宿っているとする汎神論的なものである。神のこのような性格既定の差が文明の差となって表れていると云う意味で重要であるが、ここでは問わない。 もとへ。西欧文明に悪しく汚染される以前の日本に於いては和歌の嗜みこそ知識人の証しであった。知識人は和歌を通して自然の摂理を聞き分けていた。この聞き分けが知識人の教養であり、この態度こそが日本的な学的素養であった。これが日本語の、ひいては日本精神の伝統である。外国人が日本語の魅力を語るとき、日本語のこういう深さに対する畏敬が込められている。当の日本人がそれを忘れさせられているのは嘆かわしい敗戦国現象と云わねばなるまい。 ちなみに史書に於ける和歌の登場は、出雲神話におけるスサノウの命の「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を」が初見とされている。以下続々と史的和歌が登場することになる。出雲王朝の御世に於いて為政者の能力証明として和歌が磨きに磨かれ、その伝統が大和王朝の御世に於いても継承されたことは疑いないように思われる。あるいは、大和王朝の御世に於いて出雲王朝の御世を恋するように歌われたことが疑いないように思われる。 和歌集としては、日本最古のものとして万葉集、勅撰和歌集として古今和歌集、新古今和歌集などがある。他にも小倉百人一首などのように個人が撰出した和歌集(私撰集)もある。これら及び諺(ことわざ)、格言、名言、逸話に習熟しておくのが日本的知識人としての素養であった。これが日本人の心の琴線を為している。恥ずかしながら、れんだいこはその教養を浴びていない。今頃になって関心を増しつつあるが時すでに遅しと云うべきか生きているうちなら気がつけばまだ良い方と思い直すべきか。 この和歌をやや短く「五、七、五」に短型にしたものが短歌であり、同じ形式で歌う内容をさらに哲理的に歌うのが俳句であり、社会風刺的にしたものが川柳である。他にも狂歌、都都逸(どどいつ)がある。専門的には別の表現があるだろうが、れんだいこはかく理解している。 |
中でも傑作は「いろは歌」である。日本語48音全てを1音たりとも漏れることなく重なることなく一度使用することによる名歌創出と云う離れ業(わざ)の歌である。その最高傑作が「いろは歌」であろう。既述したが「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 憂(う)ゐの奥山 今日(けふ)越えて 浅き夢見じ 酔(ゑ)ひもせず」は何たる秀逸作であろうか。 |
「回し歌」も傑作である。頭から読んでも尾から読んでも同じ読みにさせ、なおか且つ和歌に仕上げねばならないという決まりの歌である。「ホツマ伝え」には、和歌姫の「紀志伊こそ 妻を身際に 琴の音の 床には君を 待つそ恋しき」。その返歌としての「長き夜の 遠(とお)の眠りの 皆な目覚め 波乗(の)り船の 音の良きかな」が載せられている。 |
更なる傑作として連歌がある。多人数による連作形式で歌をつなげながら読む歌である。他にも駄洒落(だじゃれ)歌がある。駄洒落とは同じあるいは非常に似通った音を持つ言葉を掛けて創作する歌である。河内音頭のような音頭歌もある。全て節回しのリズムがバネになっている。民謡然りであろう。 |
これらには相当高度な言語能力が問われている。これをまじめにあるいは言葉遊びとして楽しんできた日本人の言語能力は称賛されるべきではなかろうか。同時に考えてみなければならないことは、こういう芸当ができる言語が日本語を除いて他にあるのだろうかと云うことである。先に日本語は独り日本のみならず人類が生み出した世界に冠たるスーパー功労賞もの世界最高傑作芸術言語と述べたが、まことにその通りなのではなかろうか。 こういう日本語を誇りにして大事にすることこそ政治の肝要であるのに、瑣末に扱う昨今の政治は日本政治ではない。日本語を粗末に扱うような政治は外国勢力のエージェント特有の売国精神故にもたらされているとしか考えられない。そういう連中が口先で幾ら愛国を云おうとも、それは云えば云うほどイチジクの葉でしかなかろう。そういう意味で極めつきの売国政治に勤しんだ中曽根、小泉が首相としての靖国神社公式参拝で悶着起こしたのは偶然ではなかろう。その愛国振りの裏で何たる売国政治に耽ってきたことか。そういう者がよりによって名宰相と称され、真に愛国的であった角栄が諸悪の元凶呼ばわりされたまま歴史が経過している。どこかで歴史評価の振り子を戻さねばなるまい。 最後に、最近の英語教育の早期化政治に一言しておく。英語教育の早期化自体が悪いのではない。これに並行して母国語としての日本語教育が粗末にされることに問題がある。これは子供教育だけの話しではない。最近では企業の社内言語に日本国内に於いてさえ英語を強制する傾向が出始めている。基本的には勝手であろうが、日本語が世界に冠たる最優秀言語であることを思えば、それを軽視する精神がさもしい。日本語能力に粗末な者が英語になると言語能力を増すことはない。実際には逆で日本語能力を磨きに磨くことが外国語習得の近道になる。これを思えば、日本国内に於ける英語強制を自慢する経営者および取り巻き役員はよほどお調子者と云うことになろう。こういう愚行が流行りつつある風潮を危ぶみたい。 |
れんだいこのカンテラ時評№1154 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 7月 16日 |
「平仮名いろは歌土器」考その4 「平仮名いろは歌土器」考で云い忘れていたことがありその4として追加しておく。「日本語には他の言語ではマネのできない芸当がある。それが和歌である」として縷々述べたが、歌のほかにも話芸があり、これについても述べておく。他の言語でも可能なのだろうが、日本語が鍛えに鍛えてきた独特の次のような話芸があることを確認せねばならない。 その筆頭は落語であろう。小話しから長話しまで演目は二千をくだらない。次に漫才、漫談、講談、浪曲、浪花節、詩吟、民話小話しと続く。これに歌舞伎、能、狂言、文楽、浄瑠璃等の古典芸能の語りも加わる。一体、世界の諸言語の中で、これほど話芸を磨いている言語が他にあるのだろうか。 世界最古の長編文学として知られる紫式部の源氏物語、同時代の清少納言の随筆は日本の宝である。全編が流暢な大和言葉で書かれている。この大和言葉の過半がその後の日本語から消えており、今では古文学の素養をもってしか読めない。史書はさらに古く古事記、日本書紀、古史古伝がある。それらは他のどの民族のそれに比しても引けを取らない民族の歴史書足り得ているであろう。平家物語、太平記等の軍記物も残されている。これらを思えば、日本語そのものが最初の国宝に値するのではなかろうかとさえ思う。 2013(平成25).7.16日付けの毎日新聞「余録」が興味深い次のような話しを記している。「その場面を想像すると、思わず頬が緩んだ。今月初…」と題して「今月初め、ブルネイで開かれた東南アジア諸国連合地域フォーラム(ARF)に参加した中国の王毅(おう・き)外相と米国のラッセル国家安全保障会議アジア上級部長が宿泊先で、日本語で立ち話をしたという。知日派の2人は、北朝鮮の核問題などで意見交換したようだ▲ラッセル氏は近く国務次官補に就任する東アジア外交のキーマンだ。大阪・神戸総領事時代に何度か話す機会があったが、日本語のうまさにはいつも感心させられた。一緒に参加した国際シンポジウムでも、日本語での当意即妙(とういそくみょう)の受け答えで聴衆を魅了した▲王氏の日本語能力も負けてはいない。日本大使時代、財界人相手に行った講演を聴いたことがあるが、見事な日本語で中国の立場や日中関係の重要性を訴えていた。あの2人が日本語で話し合ったのなら、細かなニュアンスまでやり取りしたことだろう▲外交官として日本語を身に着けた両人は特別なケースとしても、国際交流基金の昨年の調査によると、海外での日本語学習者は398万人を超え、2009年の調査に比べ9%増えている。国・地域別では、中国が27%増の約105万人で、初めてトップになった」云々。 れんだいこには実に興味深い話しだ。フォーラムの席で、米中二人の外交官が国際公用語としての英語ではなく日本語で立ち話しをしたと云う。これはどういうことだろうか。日本語に習熟すれば英語よりも「細かなニュアンスまでやり取り」できると云うことではなかろうか。 次に海外での日本語学習者が増えていることも伝えている。これは、日本の経済力が増す中での現象であれば容易く理解できる。ところが承知のように日本の国際的地位がどんどん低下しつつある中での日本語学習者の増大である。これをどう理解すべきだろうか。れんだいこには、芸術言語としての日本語の魅力が次第に世界で認知されつつあるとしか考えにくい。台湾では日本統治時代に得た日本語が廃れていないとも聞く。 これらを思えば、当の日本が日本語を粗末にしながら英語国民化へ向かおうとしている折柄、世界が日本語を育てようとしていると云う仮説に辿り着く。滑稽な話しではなかろうか。黒船以来百五十年の間に米欧イズムの捕囚とされた政治家が「バスに乗り遅れるな」として日本語不要論、英語早期教育論をけしかけつつあるが、「バスに乗り遅れている」のは果たしてどちらなのだろうかと考えてみたくなる。 2013.7.16日 れんだいこ拝 jinsei/ |
「★阿修羅♪ > 雑談専用39」の エテ公氏の2011 年 10 月 23 日付け投稿「昔の日本はエロかった。 学校やマスコミが絶対に教えてくれない『裏・日本民俗史』」のコメント№3の「 2011年10月24日 j8DlsR41DQ」の「TPP、日本の公用語が英語になる日が来る?(TPPその3) すべては『気づき』」の一部を転載しておく。
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(私論.私見)