その10、親父の小言

 更新日/2017.3.24日

【「父の小ごと」】
 「親父の小言」(1852年)。

1.  火は粗末にするな
2.  朝、機嫌を良くしろ
3.  朝早く起きろ
4.  神仏(かみほとけ)を祈れ
5.  身を大切にもて
6.  不浄をみるな
7.  身の出世を願へ
8.  不吉を言ふな
9.  家内笑うて暮らせ
10.  人に腹を立たせるな
11.  人に恥をかかせるな
12.  人に割を食はせるな *損をさせるな
13.  人に馬鹿にされていろ
14.  人を羨むな
15.  利口は利口にしておけ
16.  年寄りをいたはれ
17.  恩はどうかして返せ
18.  万事油断をするな
19.  女房の言ふ事半分聞け
20.  子の言ふ事は九ッ聞くな
21.  家業は精を出いだせ
22.  何事も我慢をしろ
23.  子供の頭を打つな
24.  己が股をつねれ *わが身をつねって人の痛さを知れ
25.  たんと儲けて使へ
26.  借りて使ふな
27.  人には貸してやれ
28.  女郎を買ふな
29.  女房を探せ
30.  病人は労いたはれ
31.  難渋な人には施せ
32.  始末をしろ *無駄遣いをするな
33.  生き物を殺すな
34.  鳥獣(とりけだもの)は食ふな
35.  年忌・法事をよくしろ
36.  親の日は万事慎め *親の年忌・命日には謹慎しろ
37.  義理を欠くな
38.  子供はだまかせ *だまくらして上手に扱え
39.  女房に欺されるな
40.  博奕をするな
41.  喧嘩をするな
42.  大酒を飲むな
43.  大飯を食ふな
44.  判事(はんごと)はするな *印判を押す=保証人になるな
45.  世話焼きになるな
46.  門口(かどぐち)を奇麗にしろ
47.  三日に氏神へ参れ
48.  晦日に内を掃除しろ
49.  貧乏を苦にするな
50.  火事の覚悟をしておけ
51.  火事には人をやれ、内を守れ *出火の際は消火要員を出す一方で家も守れ
52.  風吹きに遠出をするな
53.  火事には欲を捨てろ
54.  火口箱(ほくちばこ)を湿すな *火打ち石などが入った道具箱を湿らすな
55.  水を絶やすな
56.  塩は絶やすな
57.  戸締まりをよくしろ
58.  夜更けに歩くな
59.  寒さを凌げ
60.  暑さも凌げ
61.  泊まりがけに出るな
62.  高見(たかみ)へ登るな *高見の見物のように傍観するな
63.  雷らいの鳴る時、仰向あおむいて寝るな
64.  寒気の時、湯に入るな
65.  怪我と災難はバチと思へ
66.  物を拾ひ、身に付けるな
67.  冬は物を取り、始末をして置け *冬場は物を大切に保管し、浪費をするな
68.  若い内は寝ずに稼げ
69.  年寄ったら楽をしろ
70.  折々に寺参りをしろ
71.  身寄りのない人を労いたはれ
72.  小商物こあきなひを値切るな *薄利の商売では値切るな
73.  風吹きには舟に乗るな
74.  何事も身分相応にしろ
75.  身持ち女は大切にしろ *妊婦は大事にしろ
76.  産後は、なほ大切にしろ
77.  小便は小便所へしろ
78.  泣き言を言ふな
79.  病気は仰山にしろ *病気は大袈裟に思え(軽々しく思うな)
80.  人の気を揉む時、力を付けてやれ
81.  悪しき事も「よし、よし」と祝ひ直せ

   以上、八十一ヶ条

   上様や大名方は生きた神 滅多にするとバチが怖ひぞ

   我人と隔てのつくが凡夫なり 仲良くするが仏付き合ひ

     嘉永五壬子年九月吉日      施主 神田住

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 朝きげんよくしろ
  恩は遠くからかえせ
  人には馬鹿にされていろ
  年忌法事をしろ
  家業には精を出せ
  働いて儲けて使え
  ばくちは決して打つな
  おおめしは食らうな
  亭主はたてろ
  初心は忘れるな
  後始末はきちんとしろ
  神仏はよく拝ませ
  何事も身分相応にしろ
  水は絶やさぬようにしろ
  戸締りに気をつけろ
  自らに過信するな
  怪我と災いは恥と思え
  袖の下はやるな貰うな
  書物を多く読め
 火は粗末にするな
  難儀な人にはほどこせ
  風吹きに遠出するな
  人には貸してやれ
  貧乏は苦にするな
  借りては使うな
  義理は欠かすな
  大酒は飲むな
  人の苦労は助けてやれ
  年寄りはいたわれ
  家内は笑って暮らせ
  出掛けに文句を言うな
  万事に気を配れ
  泣きごとは言うな
  女房は早く持て
  人には腹を立てるな
  産前産後は大切にしろ
  不吉は言うべからず
  病気はよくよく気をつけろ

 


 「つもり違いの十箇条」。

 一、高いつもりで低いのが教養
  二、低いつもりで高いのが気位
  三、深いつもりで浅いのが知識
  四、浅いつもりで深いのが欲望
  五、厚いつもりで薄いのが人情
  六、薄いつもりで厚いのが面の皮
  七、強いつもりで弱いのが根性
  八、弱いつもりで強いのが自我
  九、多いつもりで少ないのが分別
  十、少ないつもりで多いのが無駄


 「これは矢島徳人さんと言う方からメールでご紹介いただいた十箇条です。警視庁本庁の生活安全課の方から、とある講習会の時頂いたとの事です。三は智慧でも合いますね、有難うございました」とある。

 「アメリカインディアンの教え」。
 子供たちはこうして生き方を学びます。
  1、批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。
  2、敵意に満ちた中で育った子は、誰とでも戦います。
  3、ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります。
  4、ねたみを受けて育った子は、何時も悪い事をしているような気持ちになります。
  5、心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。
  6、励ましを受けて育った子は、自信をもちます。
  7、ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。
  8、公明正大な中で育った子は、正義心を持ちます。
  9、思いやりのある中で育った子は、信仰心を持ちます。
  10、人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事にします。
  11、仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。

 親思う心にまさる親心

 吉田松陰です。

 吉田松陰らが心服した上杉鷹山公が藩主隠居後に江戸屋敷の新しい藩主に嫁ぐことになった孫娘(参姫二十歳)に藩主の妻たるべきものの心得を懇切丁寧に説いて手紙にしたためました。「上杉鷹山に学ぶ」鈴村進著(三笠書房)から著者による現代語訳文を長文乍ら全文転載します。

 ◎上杉鷹山公「参姫への手紙」

 「人は三つのことによって、成育するものである。父母によって生まれ、師によって教えられ、君によって養われるのである。これはすべて深い恩なのだが、その中で最も深く尊いのは父母の恩である。これは山よりも高く、海よりも深いものであって、これに報いることはとてもできないが、せめてその万分の一だけでもと、心の及ぶだけ、力の届くだけを尽くし、努めることを孝行という。

 その仕方にはいろいろあるが、結局は、この身が天地の間に生まれたのは父母の高恩であり、この身は父母の遺体であることを常に忘れず、真実より父母をいとおしみ、大切にする心に少しの偽りもないことが、その根本である。ここに誠実さがあれば実際に多少の手違いがあっても、心が届かぬということはないものである。このことは、自分は徳がないからとても行き届きません、と遠慮すべきではない。その気になって、できる限りのことを十分に努めるべきである。そうしておれば、やがては徳も進み、相手に心が達するものである。あらん限りの力をもって尽くされたい。

 男女の別は人の道において、大きな意義のあるところである。男は外に向かって外事をし、女は内にあって、内事を治めるものである。国を治め、天下の政(まつりごと)を行うといえば、大変なことのように思われるであろうが、天下の本は国であり、国の本は家である。家がよくととのえられるためには、一家の男女の行いが正しいことがその根本となる。根本が乱れて、末が治まることはありえない。

 普通に考えれば、婦人は政治には関係がないと思われるであろうが、政治の本は一家の中から起こることであり、身を治め徳を積み、夫は妻の天であってこの天にそむいてはならない。これを常に心に銘記して恭敬を忘れず、夫に従順であれば、やがては政事を輔(たす)けることとなるものである。

 あなたはまだ稚(おさな)いので、人々から程遠い奥向きで徳を積んでみても、その影響が一国に及ぶはずがないと思われるであろう。しかし、感通とは妙なもので、人に知られず身を修めていると、いつかはそれが知られて、効果が大いに表われることは疑いのないところである。『鶴九皐に泣いて声天に聞こゆ(かく、きゅうこうにないて、せい、てんにきこゆ ・・・鶴は奥深い谷底で 鳴いても、その気品ある泣き声は天に届く。つまり優れた人物はどこに身を隠しても、その名声は自然に広く世間に知れ渡るというたとえ)』と詩経に書かれているのはこのことである。奥向きで正しく徳のある行いをしておれば、一国の賢夫人と仰がれるようになる。そうなれば、あなたの行いによって人々が感化されないはずがない。誠があれば、それは決して隠れたままにはならない。ひたすら努めに努められよ。

 年が若いので、時折美しい着物を着たいと思われることもあるだろう。それも人情ではあるが、少しでもそんなことに心を動かして、これまでの質素な習慣を失うことのないよう、『終わり有る鮮し(詩経の大雅・蕩 「初め有らざること靡(な)し 克(よ)く終わり有ること鮮(すくな)し」 何事でも、初めはともかくもやっていくが、それを終わりまで全うするものは少ない) 』の戒(いまし)めを守られるべきである。そうすれば、いつまでも従来の質素な習慣は続けられるであろう。そして、養蚕女工のことを思い、一方では和歌や歌書などを勉強されたい。しかし、ただ物知りになったり、歌人になったりしようなどとは考えるべきではない。学問は元来、自分の身を修める道を知るためのものである。昔のことを学んで、それを今日のことに当てはめ、善いことを自分のものとし、悪いことは自分の戒めとされよ。和歌を学べば、物の哀れを深く知るようになり、月花に対して感興を深くし、自然に情操を高めることとなるであろう。

 くれぐれも両親へ孝養を尽くし、その心を安んじるとともに、夫に対しては従順であり、貞静の徳を積み、夫婦睦まじく、家を繁栄させて、わが国の賢夫人と仰がれるようになってもらいたい。出発に際して、末永く祝うとともに、婦徳を望む祖父の心中を汲み取られよ。他へこそ行かないが、今日より後、いつ会えるかわからないので、名残り惜しく思う。

  武蔵野の江戸なる館へ赴きたまうはなむけに

  春を得て花すり衣(ごろも)重ぬとも わが故郷(ふるさと)の寒さ忘るな         はる憲」

 魏志倭人伝にも記されているように、大昔から親が天から授かった我が子を何物にも替え難い宝であると我が家の中で自分より立派な大人になるよう願いを込めて敬い慈しみ育ててきた大和民族庶民が、最近のように我が子を自分に附属した所有物だとして人間では無く物扱いするとか奴隷扱いするようになったのは、いつ頃からでしょうか。私は、カラーテレビが日本人の家庭に入り込んできたときからだと認識しております。

 動物として考えると、子どもがこの世で一番会いたい人は誰でしょうか。なったばかりの2歳児(昔で言えば数え三歳の三つ子)にそう訊けば100%お母さんかお父さんつまり親だと答えます。お母さん(時々お父さん)に親がこの世で一番会いたい人は誰ですかと訊けばほぼ100%子どもと答える。その一番会いたい者同士が会うのはどこで会うかと言えば家の中です。

 だいたいこどもは皆保育園とか行って親は日中働いてますから、会えるのは夕方から翌朝までの間しかない。そして夜は皆寝るから実質一日のうち三時間くらいしか会えない。会うというのは、お互いに目と目を合わせてお話しすることだし、子どもはだっこされることを一番喜ぶから、大昔から白黒テレビの昭和まで子どもも親もその短い貴重な時間を抱っこを介して思う存分会いたい人に会って過ごして来た。それこそが本当の家族の団らんでした。

 だから大和民族庶民のこどもは卑弥呼以前の大昔から白黒テレビの昭和の田中角栄時代までずっと、大好きないつも優しい親に反抗したり無礼なタメ口をきいたりなど絶対にしないで、いつも親を尊敬して親の言うことに従順に従い幼くとも自分が弁える最高の礼儀を以て親に相対して、子どものうちに親から人間としてのすべてを学んで、数え16歳満14歳で元服して成人すれば死ぬまで親孝行に尽くしてきたのです。

 そして子どものうちに親から学んだ知識と技術を大人になったら存分に揮って、親が成し遂げたことよりもさらに進化したことを成し遂げてきた。これが地球の歴史で常に同時代世界一の真善美慈悲道徳和合仏心社会を営々と伝えてきた大和民族庶民の大和魂なのです。

 国を治めんと欲すれば先ず家を治めよ。庶民の家がこのように親の無私の慈愛によって治まってきたからこそ、おのずとこの国がどの時代においても常に世界一治まった奇蹟の品格国民和合国家であり続けることが出来たことは、言を俟たないでしょう。

 その世界一治まった日本人の家庭の中に今から40年ばかり前にいっせいにカラーテレビが送り込まれたのです。カラーテレビの画面に映る色は赤青黄三原色の電気的発光体をとり混ぜて色を作っているため、色から電磁波が出ています。我々や自然物天然物の天然色から電磁波は出ていない。二種の性質が異なる色が混在すれば眼のある動物は犬猫でも人間でも皆が電磁波が出ている刺激が強い色に視線を強制的に奪われる。

 その結果、何万年も昔から家の中で目と目を合わせてお話ししてこの世で互いに一番会いたい者同士である親とその子が会い続けた大和民族庶民の最も大切な大和魂を伝える「家族の団らん」が、全員がカラーテレビに視線を奪われて互いにまったく会えなくなることで家の中から消し去られてしまったのです。

 このように家の中が治まらなくさせられると直ちに国が乱れて、現在の日本は世界中どこの国にも無い小学生以下の国語能力算数能力しか無い白痴の智慧遅れが総理大臣になってるという、世界一破廉恥な恥ずかしい国になり果てているのです。これがフリーメーソン総務省鬼畜の日本人子ども皆殺し大和民族絶滅作戦であることはもはや明々白日ですね。

 投稿: 通りがけ | 2015年3月20日 (金) 10時03分


 「幕末名医の食養学 沼田 勇・著、光文社」。
 www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-shokuyougaku.html

 ●一物全体食論

 石塚左玄は口癖のように、「健康を保つには生命あるものの全体を食べることだ。野菜は皮をむいたり、湯がいたりせず、魚なら骨やはらわたを抜かず、頭から尻尾まで食べよ。食物に陰陽の別はあっても、生きているものは、すべてそれなりに陰陽の調和が保たれているのだから、その部分だけを食べたのでは健康長寿は望めない。自然界の動物たちの食べ方をよく見るべきだ。彼らは人間のように包丁を用いたり、味付けをしたりはしない」と、言っていました。

 片瀬学説で知られる片瀬淡(あわし)元阪大教授も、「あらゆる生物がすみやかに発育するには、生体内における酸とアルカリとの間の平衡が保たれていなければならない。小魚でも平衡を保った生体であり、それを丸ごと食べれば人体も平衡が乱れる恐れはない。野菜、果実、その他あらゆる食物についても同じことが言える。牛でも豚でも全体を食べれば何の害もないのだが、こんな大きな動物になると、肉だけ食べて骨も内臓も捨ててかえりみないから、その害たちどころに至るのである」と述べています。

 ●たくましき自然食者たち

 戦前、私は山梨県の河口湖畔で、休憩中の連隊と出会ったことがあります。連隊長と知り合いだったので声をかけたところ、連隊長は、周りでぐったりしている将兵を指して、「この連隊を率いて三ツ峠を越えてきたが、あのとおりのざまで動こうとしない。それにつけても思い出されるのは武田軍団の強さだよ。武田一万の軍勢は鎧兜の完全武装で早朝甲府を出て、この三ツ峠を越え、鐘カ淵で戦い、その日の夕方には甲府に引き上げた。どうして一万もの兵を動かせるのか分からない。道も今より狭くて通りにくかっただろうし、食糧は梅干し入りの麦飯のにぎり飯だった。彼らの頑強さには驚くほかないね」 と、苦笑まじりに言うのでした。武田軍団の活力のもとは、自然食と梅干しだったのです。これは、肉食でなければエネルギーを出せないと、誤った食事観に毒されている一部の現代人には、どうにも理解できないことでしょう。

 ●細嚼(さいしゃく)は飢え難し

 噛まずに丸飲みする者は満腹に馴れ、食物が乏しくなると一番先にまいってしまうけれど、よく噛む者はたやすく飢えない、という意味です。俳人の外川飼虎(とがわしこ)は戦時中、粗悪で乏しい食物で生き抜くことを余儀なくされたとき、この言葉を思い出して、ひたすら噛み続けました。よく噛まない戦友たちは栄養不良になり、病気を併発して全員死亡したそうです。それは、寒い夜、干し藁(わら)を噛み続ける馬だけが凍死を免れたことと相通じるのです。

 ●日本人に少ないラクターゼ

 私たち日本人の小腸には、乳糖を分解する酵素であるラクターゼが欠如しています。乳糖とは哺乳動物の乳の中にある当分のことです。このラクターゼは乳児には認められるけれど、離乳期になると消えてしまいます。これは離乳を促すメカニズムの一つだといわれますが、欧米人には大人になっても、このラクターゼが小腸内に残っているので、老人になってからでも牛乳を飲めるのです。日本人の食物アレルギーの半数近くは、牛乳および乳製品のせいだという研究報告もあります。牛乳が日本に渡来したのは七世紀のころといわれ、その後の江戸時代にもオランダ人が持ち込んだという記録はありますが、日本人の食生活の中に定着しませんでした。いずれにせよ、日本人を含め東洋人は牛乳を飲まない民族であったことは、その遺伝子が証明しています。第二次大戦後、牛乳の栄養価は高く評価されて、学校給食に欠かせなくなりました。粉ミルクの功徳は計り知れないほどですが、そのかわり、昔はなかったアトピーや花粉症は、このあたりからきているとも考えられます。

 ●肉食後、体内はどうなるか

 仏教伝来後、肉食の習慣を断ってきた日本人が、何万年も肉食をつづけてきた欧米人なみの食生活に軽々しく切り替えてよいはずがありません。前にも記したように、モンゴリアンが肉食のイヌイットになるには1~2万年の年月と厳しい淘汰が必要だったのです。私たちが動物性食品を摂取すると、腸内菌はあの鼻持ちならぬ悪臭を発する化学変化を起こし、肝臓はそれを解毒するための働きを求められます。その肝臓に障害があれば、もちろん解毒できなくなり、その結果、アンモニア血症や肝性脳症、肝性昏睡などを引き起こします。寿命や老化に腸内菌が深くかかわっていることは明らかです。(略)肉食後の糞便のインドール(不快臭)は、菜食の場合の十倍になるといわれます。たとえ必須アミノ酸から成る優れた蛋白質でも、過剰に摂りこまれた分は排泄されるか、さもなければ肝臓に負担をかけるアンモニアの原料になります。しかもそのアンモニアは肝臓で尿素になり、これを排泄するにはたくさんの水を使わなければならず、排泄が不十分だと尿素から尿酸がつくられ、これが結晶状のまま関節周辺の軟組織に蓄積されて、あの激痛を伴う痛風を引き起こすのです。(略) 肉を食べると当然、肉に含まれている燐酸や硫酸が血液を酸性にするので、これを中和させるために歯や骨のカルシウムを溶かすことになります。肉食の欧米人に骨粗しょう症や骨の多孔症、骨のわん曲が多いのはそのせいなのです。

 ●ヨーロッパ人と肉食

 ヨーロッパ人は昔から、ずっと肉食をつづけてきましたが、それにはそれなりの背景があります。日本では台風も含めて多量の雨が降り、夏には太陽が照りつけるため、牧畜に向かない繊維の硬い植物が繁茂しています。この気候風土が日本人を、米や雑穀、野菜などをつくられる農耕民族にしたのです。牛1頭を飼うには1ヘクタールの牧草を必要としますが、その1ヘクタールから穫れる米は30俵から160俵で、12人から64人の人間を養うことができます。つまり日本は、その労力さえ惜しまなければ、牧畜よりはるかに効率のよい食糧(米)をつくる条件を備えているのです。

 投稿: 通りがけ | 2015年3月20日 (金) 10時30分





(私論.私見)