【川柳虎の巻】 |
川柳は和歌の一種です。元を辿れば川柳も俳句も和歌に行き着きます。和歌は万葉集に収録されています。大和歌(やまとうた)とも呼ばれ、日本語48音を踏まえ「五音と七音のリズム」を用いて作られます。日本発祥(オリジナル)の韻律歌です。同様の種類に短歌、長歌、旋頭歌(せどうか)、回し歌、狂歌等があります。
和歌の代表的なのが短歌で、百人一首に収録されています。「五、七、五、七、七」の31音で詠みます。「五、七、五」の部分を上の句、「七、七」の部分を下の句と云います。短歌は情愛や恋愛読みを得意としております。例えば、在原業平が詠んだ歌は次の通りです。
「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
(川が真っ赤に染まるように私の心もあなたへの想いでいっぱいです) |
鎌倉時代に、今までは一人の人間が詠んできた和歌を、上の句(5・7・5)と下の句(7・7)に分け、それぞれ別の人間が詠むという試みが起こりました。上の句を受けて別の人が下の句を詠む。その下の句を受けてさらに別の人が次の上の句を詠むというような、多くの歌人が次々と詠み継いでいく「連歌」(れんが)が生まれました。俳諧とも呼ばれます。連歌にユーモアやアイロニーを盛り込み始めると、連歌はさらに庶民にとって親しみやすい文芸へと変化しました。このユーモアやアイロニーを含んだ連歌のことを特に「俳諧連歌」(はいかいれんが)と言います。連歌は江戸時代中期にかけて和歌を凌ぐ程の人気となり、広く人々に浸透しました。
連歌から俳句が生まれ、後に川柳が生まれました。「川柳は俳句と一卵性双生児」で、「上五、中七、下五」(かみご、なかしち、しもご)の三句体17音韻文で詠まれます。俳句ともども「日本語特有の世界最短の韻文文芸詩」にして「老若男女で楽しめるすばらしい文芸」です。
その違いは次の通りです。短歌の上の句と下の句を別々の人が詠む文芸が連歌ですが、連歌の第1句(発句)の五・七・五を独立させた、いわば「俳諧のお頭(かしら)」歌として俳句が生まれました。後に、連歌の下の句がお題となり、気の利いた上の句を詠む付け句(つけく)を競う文芸が生まれました。さらに下の句がなくても意味が通じる平句(ひらく)が独立した「一句立て文芸」が生まれました。こうして「一句立て文芸」が競技性・遊戯性の高い新しい文芸として愛好されるようになると、作品の優劣を決める点者(前句附点者、宗匠、評価者)によって採点され、優秀な作品は句集に掲載されるようになりました。江戸時代中期の1765(明和2)年7月、誹風柳多留(はいふうやなぎだる)が刊行されました。付け句の興行である万句合の中で、お題の下の句を除いても分かりやすい優秀な句を集めた句集で人気を博しました。掲載する句を選んだ点者の名前が柄井川柳(からいせんりゅう)だったことから、その点者の名前を採って川柳と呼ぶようになりました。これが川柳です。誹風柳多留が教本となり作句されるようになりました。呉陵軒可有が記した柳多留の序は次の通りです。
「一句にて句意のわかり安きを挙て一帖となしぬ。なかんつく当世誹風の余情をむすへる秀吟・・」。 |
江戸時代までの川柳を古川柳、明治後期に復興された川柳を新川柳又は単に川柳と呼んで区別しています。
|
短歌 |
(31音) |
5・7・5・7・7 |
与謝野晶子 |
狂歌 |
(31音) |
5・7・5・7・7 |
|
都々逸 |
(26音) |
7・7・7・5 |
都々逸坊扇歌 |
俳句 |
(17音) |
5・7・5 |
松尾芭蕉、正岡子規 |
川柳 |
(17音) |
5・7・5 |
柄井川柳、岸本水府 |
|
短歌と同じ「五、七、五、七、七」の31音で読む和歌に狂歌があります。時代の世相を皮肉や風刺で詠む和歌です。有名なのは次の句です。
「白河の 清きに魚も すみかねて もとの濁りの 田沼こひしき」
「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四杯で 夜も眠れず」
「七、七、七、五」の26音で詠むのが都々逸(とどいつ)です。江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大成された口語による和歌です。元来は、三味線と共に歌われる俗曲で、音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物でした。
主として男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれます。七・七・七・五の音数律に従うのが基本ですが、五字冠りと呼ばれる五・七・七・七・五という形式もあります。
|
●俳句と川柳の違い
|
俳句と川柳の違いで知るべきは俳諧上の立ち位置つまりポジションの差です。俳句は、短歌であれば後続する下の句の七・七の言葉を連想させ易くする為に「余韻」を残す作句を作法としています。川柳には後続する下の句との繋がりがありません。単独句で「言い得て妙」とうなづかせる句を作法としています。俳句と川柳は同じ「五、七、五」ですが、こういう風に立ち位置が違っているところに特徴があります。
「季語(きご)のあるなし」も大きな違いです。俳句には、俳諧の発句に課せられた季語の約束事がそのまま引き継がれています。川柳には季語を入れる必要がありません。さらに題材の違いもあります。俳句では発句としての格調が保てるものを選ぶのが決まりです。主に自然にまつわることを題材として取り上げます。これに対して、テーマに制約のない川柳では、人間模様や社会に対する風刺など、日常にある様々な場面が詠まれることになります。
さらに、俳句ではリズムや余韻を生み出す為に句の切れ目に助詞・助動詞の「切れ字」(や、かな、けり、なり、ぞ、がも)を用います。川柳では季語、題材、「切れ字」の縛りがありません。念のため、縛りがないとは、絶対に使ってはいけないという意味ではありません。必要やむを得ない場合などは使っても構いません。要するに、俳句の縛りを極力なくしているのが川柳の特徴になっているということです。
川柳と俳句では言葉遣いも違います。一般的に川柳では日常言葉(普段話している言葉)が使われ、俳句では本に書いてあるような言葉が使われます。これを「話し言葉(口語)」、「書き言葉(文語)」と言います。
|
比較は次の通りです。
お題 |
|
|
「蝉」 |
俳句 |
閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 |
川柳 |
蝉の音も かすれて響く 都市砂漠 |
「法隆寺」 |
俳句 |
柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 |
|
川柳 |
法隆寺 雀にすれば ただの屋根 |
|
俳句と川柳はどちらも「言葉と心を磨く生涯修行文芸」です。「人生を豊かにし心の友として楽しむのが作句人の心意気」です。句法の違いを端的に云えば、「自然を読むのが俳句、人間を読むのが川柳」と云われております。
俳句は世相に流されず、自然そのもの(花鳥諷詠)を題材にして凝視し、客観写生しながら、その深遠の姿を描きだしつつ余韻を生ませる句を理想としています。そういう意味で、俳句は文芸上高踏的です。
これに対して、川柳は庶民的な文芸です。人の心や人情、世相を見つめ、潜んだ本質を滲みださせるような平易な句を良しとしています。人間や家庭、職場や世の中の諸事象、日常の身近なことなどを題材にして、喜怒哀楽、社会風刺、皮肉、滑稽、あてこすり、処世上の気づき、思案、発想、感動を、五・七・五のリズムに乗せて普段話している言葉(口語)で「生活の詩」(くらしのうた)を汲み出し「人を読み世を読む」のが川柳です。句の中にドラマを読み込み、句のどこかに人間の息遣いがあることを良しとしています。「川柳は世相を映す鏡だ」とも云われて愛好されています。このことを安藤紀楽氏は次のように述べています。
「江戸時代に生まれた一卵性双生児のようなもの。俳句は〈ちょっと気取った優等生のお兄さん〉、対して川柳は〈ちょっとやんちゃな庶民的な弟分〉と思ってください」。 |
「作者の生きていく上での思い(喜怒哀楽)が句の底に流れていてほしい」。 |
|
川柳には雑詠(自由吟)と題詠(課題吟)があります。題詠(課題吟)には事前課題の兼題と当日課題の席題があります。題詠の場合には「お題」を主役として、その主役を引き立てる句作りが望まれます。 |
●作句の決めごと としての5・7・5の17音リズム(韻律:いんりつ)
俳句、川柳は「17文字」ではなく「17音」となっています。この「5・7・5の17音リズム」は日本古来のものであり48音からなる日本語の特性から生まれているように思われます。美しい川柳を詠むための要件です。リズムが守られているものは覚えやすく、人を引き付ける効果もあります。幼い頃に遊んだ百人一首やかるたなどの文句を大人になっても覚えているのは、このリズムが付いているからに他なりません。
日本の短詩型(たんしけい)文芸の命です。
川柳の僅かな決まりの一つが「上五、中七、下五」拍の決まりで定型と云います。「上五」に限り6ないし7文字を可としております。「中七」は厳格に守られるべきで、8音にするのは「中八」(なかはち)と呼ばれ避けるべきです。音韻リズムを悪くするのが理由です。「中六」も然りで、律調を崩すので避けるのが良いです。「下五」も厳守されるべしです。
例外もあります。川柳では破調(はちょう:規定の音数を外れること)が許されています。5音のところを6音、7音のところを8音にした句は「字余り」と呼ばれます。逆は「字足らず」、句と句にまたがってひとつの言葉を置いてしまう「句またがり」といい認められていますが、リズムを悪くすることが多いので注意しなければなりません。「上八、下九」、「上九、下八」式17音句も認められています。但しそれなりのリズム感で詠まれているのが条件です。 |
●文字と音の数え方
|
音(おん)の種類と数え方は次の通り。
長音 |
(ちょうおん) |
1音 |
音を長く伸ばす引っ張り音で「-」表記します。1音で数えます。
例/「オリーブ」は4音で数えます。 |
促音 |
(そくおん) |
1音 |
小さい「っ」の詰まる表記を言い、1音で数えます。
例/「ゆったり」は4音で数えます。 |
撥音 |
(はつおん) |
1音 |
「ん」は撥音表記又は「はねるおん」とも言われ、1音で数えます。 |
拗音
|
(ようおん) |
半音 |
「きゃ」、「ひょ」等の小さい「ゃ、ゅ、ょ」表記を言い2文字で1音として数えます。
例/「救急車」(きゅうきゅうしゃ)は8文字ですが「きゅ」、「しゃ」を1音として5音で数えます。 |
|
音(おん)の数え方 |
音(おん)の数え方例は次の通りです。
2音 |
山(やま)、お茶(おちゃ) |
3音 |
桜(さくら)、切符(きっぷ)、一寸(ちょっと)、ボール |
4音 |
友達(ともだち)、作った(つくった)、サークル |
5音 |
母子手帳(ぼしてちょう)、チャップリン、ハーモニー |
|
●川柳の表記のしかた
漢字仮名交じり文が日本語の基本ですが、仮名づかいを正しく書かねばなりません。漢字、仮名、片仮名を句意に相応しい文字で使い分け、より適切な表記を心掛けます。難しい字、差別語、低俗卑猥な言葉、言葉のダブリは不可です。
|
●テニヲハの位置に留意
助詞のあるなしや位置を変えただけで句の印象が変わりますのでテニヲハの位置に留意を要します。
|
●川柳は口語体
川柳は、漢字仮名交じり現代文で表記します。このため、「俳句は文語(書き言葉)、川柳は口語体(話し言葉)」と云われます。
|
●「分かち書き」をしない
一字空けの書き方を「分かち書き」と云います。俳句も川柳も「分かち書き」をせずに棒書きします。句読点や読み方ルビも不要です。選者、読者が読み解くのが原則です。
|
●川柳の三要素
|
良い川柳の共通の条件として、川柳は、「穿(うが)ち、軽(かる)み、おかしみ」を三要素とします。江戸時代の伝統的な川柳(古川柳)に濃厚に見られます。三要素の原形は、阪井久良伎により明治36年の「川柳梗概」により提唱され、翌年の「川柳久良岐点」によって明確にされました。 |
しかしその説明の盲点になっていることがあります。それは共認性です。句の意味が速攻で伝わり、幅広く親しまれることが 「穿(うが)ち、軽(かる)み、おかしみ三要素
」の前提になっています。 故に独りよがりの句はダメです。川柳にとって重要なのは人に伝わることです。頭を巡らせないと理解できないような言葉で表現すると伝わりにくくなってしまいます。簡明な、角張らず優しく、明瞭な表現で、誰にでもすぐ分かる言葉で句意が分かる句を心がけるのが良いです。一般的でない表現や、まわりくどい表現も避けたほうが賢明です。
「一読明快」、「言い得て妙」、「頷いて共感する、耳に入って心に落ち、読み易く語呂良くリズミカルな、キラリと光る句が良い」と云われております。
|
穿(うが)ち |
「穿(うが)ち」は、穴をあけるという意味の動詞「穿つ」の名詞形に当たり、「ウガったことを言う」という風に使われ、表面や正面からは見えにくいもの、人が見落としているような事柄に目を向けて、横や斜め、はたまた後ろから、側面又は裏面からといった具合に様々な視点で掘り下げ、物事の本質を明るみに取り出して提示したり、常識的な仮面を剥ぎ取って本質を垣間見せたり、本来見落とされているような物事の本質を突き急所を捉えて読者をハッとさせる表現を云います。これが「一句にて寸鉄を刺す」(「寸鉄人を刺すような」)風刺や批評に繋がります。川柳のこの特質から、川柳の一部表現が弾圧されることもありました。
「蝉の音も かすれて響く 都市砂漠」 |
「無礼講 課長は薄目 あけている」 |
|
「軽み」 |
「軽み」は、並べ立てて何もかも言おうとすると、句が重くなるばかりか内容的なふくらみがなくなることを踏まえて、盛り込み過ぎないように「さりげなくサラリ」、「おおらかで柔らかく」、「軽妙洒脱」に詠むことで奥行きや広がりを生む、爽快でキレの良い表現を云います。工夫が集約されるこの「軽み」にこそ技術や経験の差が出ます。
|
「おかしみ」 |
「おかしみ」は、ウィットに富んだユーモアや滑稽さで興味深い同調を引き出し、その波紋がゆっくり伝わる表現を云います。どちらかと言えば古文に見る「をかし」のニュアンスに近いものです。卑俗な事柄や言葉を使って笑いを取ろうとするのは直接的過ぎて邪道です。言葉遊び句、だじゃれ句、くすぐり、ジョーク、語呂合わせなどは川柳の「おかしみ」とは別なものです。洒落センスのある掛け言葉、比喩は可です。
じわりと湧いてくる笑い、自然のユーモアが望ましい。ちなみに、「笑う」には「嘲う」、「嗤う」があり微妙に感情の違いがあります。
「退職後 今度は妻に 叱られる」 |
「単身赴任 電話の声が 明る過ぎ」 |
|
川柳は「一に発想、二に発想、三に表現」と云われます。身の回りや自然の移り変わりを観察し、発見したり感動したり、気づきを得ることで句が生まれます。身構えずに、日々の暮らしで見える風景を詠むのが良く、「頭で作るのではなく目で書く」芸と云われます。個性的新鮮な着想を心掛け、その感性を込めて句をひねり出し、その表現が共感を呼ぶのが肝要です。なるほどそういう読みもあるのかと膝を叩かれるように評価されるのが良いとされております。 |
句の中にいろいろ詰め込みすぎない。あれもこれもと盛り過ぎると「お題」の主役が分からなくなり、何を言いたいのか焦点がぼやけてしまいます。言葉に頼り過ぎないことが肝要です。 |
「お題」の心を句に生かす。題を説明する説明句、単なる報告句、教訓句、季節はずれの句はダメです。 |
教訓川柳例は「悔しいと思わないから進歩せず」がそうで、「良いことを言っている」だけの教訓川柳になっています。これを仮に「悔しいと思うわりには進歩せず」と詠むと川柳らしくなります。 |
時の流行や世相を風刺などタイムリーな話題を詠むのが川柳の得意分野で、その詠み方に川柳らしさが生まれます。人物、場所をはっきりすると句が生きると云われています。その反対に、何にでもどうにでも言い換えられる文句は「軸が動く」と云われ敬遠されます。
|
既に詠まれている人真似句、他の人との同想句もダメ。使い古されている言葉は避けるのが良いです。五、七、五の二枠をそのまま使えば盗作、一枠だけなら使用可です。 |
生活川柳の他に時事川柳があり、時事がらみの句は時事川柳へ投句するのが望ましいです。他にサラリーマン川柳、老人川柳など分野別川柳もあります。
|
良い川柳を詠むための秘訣は、何ごともそうだと思われますが、当の対象のものの知識を深め、技術的に向上することです。川柳の場合、もうひとつの秘訣として相応しいテーマを見つけることがあります。川柳は、日常の何気ない一コマを詠むという意味で、決して敷居の高い文芸ではありませんが、日常の中から汲み出すことによる難しさもあります。より良い川柳を詠むためには、着眼点や掘り下げ方が重要になってきます。たとえ同じテーマで川柳を詠むとしても、着眼点や掘り下げ方の良し悪しで作品の価値が大きく変わります。より良いテーマで川柳を詠むためにはできるだけ新鮮で面白みのある題材に目を向けることです。素材が良ければ、同じように料理しても完成形に差が出ます。自分の視点や考えといった独自のフィルターを通して、自分だからこそ詠める内容を詠み、それが共認されるものにならなければなりません。まずは何気ないテーマから連想できる言葉を書き出してみるの良いでせう。このときにもオリジナリティを意識するのがポイントです。 |