れんだいこの辞世の句考

 (最新見直し2013.03.25日)

 (れんだいこのショートメッセージ)


 れんだいこのカンテラ時評bP126  投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 3月27日
 れんだいこの辞世の句考

 ふと「辞世の句」を確認したくなった。直接的には「特攻隊員の手記及び辞世の句」に影響を受けたのかも知れない。そこで急きょ辞世の句サイトを作った。以下の通りである。

 「辞世の句」
 (gengogakuin/inrituku/inrituku_jiseiku.htm
 「一族及び集団辞世句」
 (gengogakuin/inrituku/inrituku_syudanjiseiku.htm
 「兵士の手記、遺稿集」
 (rekishi/daitoasensoco/heishinosyukico/heishinosyukico.htm

 気づきとはこうである。日本は、直前の大東亜戦争まで辞世の句を遺すことを教養人の嗜みとしていたのではなかろうか。この作風が戦後日本から消えたのではなかろうか。それは紛れもない敗戦後遺症ではなかろうか。無論、戦後日本においても辞世の句を遺す者は居るには居る。しかしながら社会の風潮として嗜まなくなった。これは偶然ではない気がする。そこで、我が社会から辞世の句が消えた理由を探ろうと思う。

 なぜ戦後日本から辞世の句が消えたのか。思うに、教養人に辞世の句を遺すような生きざまが消えたことに関連しているのではなかろうか。辞世の句を遺すには、己の真っ当な生きざまが前提となる。その上で己の人生の総決算を凝縮して和歌に託したのが辞世の句の本質なのではなかろうか。専ら政治家、武将、軍人、芸人、求道者が好んで遺して来たが、遺さなかった者も遺した者の句を見て共感してきた筈のものである。それは日本の古来よりの伝統に基づいている。辞世の句が遺されてきた時代の日本人には、辞世の句を遺すことへの緊張感を内在させた生き方が備わっていたのではなかろうか。それは戦争に負けたからと云って消え去るべき筋合いのものではない。

 にも拘わらずなぜ消えたのだろうか。れんだいこの気づきは、戦後の教養人から「真っ当な生きざま」が消えたことに関係しているのではなかろうかと読む。なぜ「真っ当な生きざま」が消えたのか。それは、戦後日本下で重用された彼らが等しく日本精神とは全く異質の国際金融資本の雇われとなり、彼らのアジェンダの請負仕事に勤しみ、彼らが奏でるネオシオニズムの虜(とりこ)になり、なべて「今が良ければ、己が良ければ」式の金満の道へ誘われた。その精神には「お国」を思う気持ちがない。そういう野卑な心性が辞世の句を遺すような生き様とそぐわなくなった為ではなかろうか。

 辞世の句を遺す為には、まずは己の生きざまを肯定せねばならない。政治家、武将、軍人が戦に負けようとも、それは武運つたなき故であり、生きざまそのものは勝敗とは関係ない。故に辞世の句を遺せることになる。芸人然りで、如何に芸道が至らなかろうと至ろうとした生きざまに恥じるところのものはない。そこで辞世の句を遺すことになる。求道者然りである。

 してみれば、辞世の句を遺せなくなった戦後日本の生きざまを疑惑し、我々は元々の日本の伝統の良き例に倣うべきではなかろうか。辞世の句を遺せるような人生を得て、各自思い思いの辞世の句を詠うべきではなかろうか。そういうところから日本の再改造が可能になるのではなかろうか。辞世の句のない社会はつまらない、寂しい。これをなくさせられた戦後日本を疑え。こういうことが云いたかった。


 jinsei/





(私論.私見)