和歌 |
更新日/2017.4.11日
【出雲和歌】 | |
(解説) 古事記に登場する日本最古の和歌。和歌から連歌が生まれ、そこから俳句、川柳が生まれる。 |
【民のかまど】 | |||||||||||||||||||||||||||
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【主な派生歌】は次の通り。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/nintoku.html |
【大伴家伝承の歌】 | ||
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【御歌】 | |||||
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【「後拾遺和歌集」の兼明(かねあきら)親王の「七重八重花歌」】 | |
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(解説) 出典は、「後拾遺和歌集」の兼明(かねあきら)親王の句。七重八重花は、実を結ばない花であることを踏まえて詠っている。狩の途中、蓑を借りようとした太田道灌(どうかん)に、土地の娘が無言で山吹の一枝を差し出した逸話にちなむ和歌である。道灌は、古歌の意味が分からず恥をかき、以来歌道に励んだと伝えられている。 |
「人を思ふ 心は雁に あらねども 雲居にのみも なきわたるかな」(清原深養父・清少納言の曽祖父)(古今集所収) 「人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」(藤原兼輔・紫式部の曽祖父)(後撰集所収) (解説) 清少納言は、一条天皇の皇后定子(ていし)、紫式部は中宮彰子(しょうし)に仕え、王宮で確執した。この歌は、最近のコンピューター解析により、清原深養父の元歌に藤原兼輔が替え歌している様子が判明した。平安時代を代表した清少納言と紫式部の因縁の関係が曽祖父時代からのものであることが明らかとされ、話題を呼んでいる。 |
ただ人は情あれ朝顔の花の上なる露の世に 閑吟集 |
「久方(ひさかた)の 光のどけき春の日に しづ心無く 花の散るらむ」(紀友則「古今集」) |
「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」(藤原敏行・古今集169) |
「瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」(崇徳院) |
【小野小町】 |
「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」 |
【在原業平】 | ||
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【藤原定家】 | |
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【一休宗純】 | |
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【西行法師】 | |
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「生まれてはつひに死ぬてふ事のみぞ 定めなき世に定めありける」(平維盛) |
「嘆きつつ一人寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る」(右大将道綱母) |
【大田資長】 | ||
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【四方赤良・よものあから】 | |||||||||
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「今は梅干婆あでも 若いときには色香も深く うぐいす鳴かせた こともある」 |
【本居宣長】 | |
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【明治天皇】 | |
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(私論.私見)
良寛さんの「霞立つながき春日を子どもらと手まりつきつつこの日くらしつ」の心境です。