紫式部の生涯履歴

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.6.27日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「れんだいこの源氏物語論」をものしておく。私の場合、竹取物語同様に文学的興味のみならず、背後の政治的隠喩を嗅ぎ取ろうとしている。

 2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.6.27日 れんだいこ拝


【源氏物語論その1】
 或る時不意に源氏物語を読みたくなった。当然、原文をである。しかしいきなり挑んでも読解できない。そこでネット検索で出て来た「」をベースの下敷きにした。これを写し取り、他の同様の労作と対照させて、次第にれんだいこ文に書き換えていくといういつもの手法を執ることにする。

 竹取物語の作者は不詳であるのに比して源氏物語の著者ははっきりしており、それは紫式部である。紫式部の生涯履歴は別途確認する。私の興味は、紫式部の執筆動機と、竹取物語同様の文章の奥に潜んでいる歴史的隠喩の嗅ぎ取りにある。よって、源氏物語の現代的訳そのものにはさほど興味はない。紫式部の執筆動機と、文章の奥に潜んでいる歴史的隠喩の嗅ぎ取りを正確にするために、その前提として源氏物語の現代的訳を正確にせねばならないと云う関係で捉えている。今日はここまで。

 よほどの文の名人と思われる。文体、語彙、語法、構成、難題の品などから、古代よりの伝承に造詣の深く、且つ和歌に秀で、且つ中国などの仏典、漢籍に深く通じた大陸文化に造詣の深い教養人でもあった文化教養人であると推定できる。

 これによると、源順、嵯峨天皇の皇子で臣籍に下った源(みなもととおる)融、三十六歌仙の一人で古今和歌集の編纂者の一人にして土佐日記の執筆者として知られる紀貫之(きのつらゆき)、今昔物語集の編者である源隆国(みなもとのたかくに)、和歌の六歌仙の一人にしてその作風から僧正遍照(そうじょうへんじょう)、漢文体「竹取物語」の出来栄えから空海(くうかい)、漢学者で大学頭の紀長谷雄などが取り沙汰されてきた。しかしながら確定できない。

 いつ頃作品化されたのかも定かではない。但し、紫式部が源氏物語絵合巻(絵合せの帖)の中で竹取物語に触れ、「物語の出で来はじめの祖(おや)」と述べており、日本最初の「物語」(「昔話」など口承・伝承的なものではない作り物語)と評されている。源氏物語には多くの「かぐや姫」的な女性たちが登場する。してみれば、紫式部の時代に既に読まれていたということになる。原形として万葉集に「竹取翁の物語」があるとのことである。してみれば、相当古くよりの物語り伝承であり、次第に形を整えてきたということになる。通説は、平安時代前期の貞観年間 - 延喜年間、特に890年代後半に書かれたとする。10世紀の大和物語に竹取物語にちなんだ和歌が詠まれて以降、宇津保(うつほ)物語の女主人公「あて宮」の造型に強い影響を与えている。11世紀の栄花物語、狭衣物語、12世紀の今昔物語集などにも竹取物語への言及ないしは影響が認められる。

 またこの説話に関連あるものとして丹後国風土記、万葉集巻十六、今昔物語集などの文献、謡曲「羽衣」、昔話「天人女房」、「絵姿女房」、「竹伐爺」、「鳥呑み爺」などが挙げられる。当時の竹取説話群を元にとある人物が創作したものと思われる。

 竹取物語かぐや姫譚を評するのに、世の研究者の常として、外国からの輸入品として位置づけ、外国説話との関連を問う癖がある。しかし、れんだいこは違うと思う。関連づけるのは良いとしても、それはそれとして窺うべきであり、基本的には国産オリジナル的なものを嗅ぎとる方が為すべき研究態度ではなかろうかと思っている。似た説話は似た説話どまりであり、一事万事同時並行的に発生することも又よくあることではないかと思っている。

 竹取物語かぐや姫譚はいつ頃書かれたものなのだろうか。登場人物から推定するに、7世紀後半の壬申の乱から天武―持統朝の藤原京時代に政治風刺的に作品化されていたように思われる。作中に登場する求婚者は相互に対比的に描かれている。中でも、車持の皇子は藤原不比等をモデルにしている風があり、批判的見地からの辛辣な文意よりして、藤原氏に怨みあるいは反感を持つ作者の眼が感ぜられる。

 誰が何故に書き著したのかは分からない。分かるのは、相当な文筆の達者の手になる作品であると云うことである。その後何度か書き換えられているようにも思われる。写本の形で流布され、その際に若干の書き換えが為されている。原典版は存在せず、現存の写本は16世紀頃に書き写されたものがもっとも古いとされている。

 この時代には今日と違って著作権などと云うものはない。世の良いことの共通として、現代人のように作品が真似られた、取った取られたなどと自己顕示売りしない。作品が広まり伝わることのみに関心を持ち、人口に膾炙し、より練られることをのみ本望と思っている風が感ぜられる。確かイエスもそういう風なことを云っていた。中山みきも云っている。世の聖人のスタンスは、こういうところが共通している。これを思えば、この善良な伝統に棹差し、万事金権化せんと悪巧みの風潮には逆に棹差し返さねばなるまい。これを推進する例の狂人石工組合の流れの者とは闘うしかあるまい。

 もとへ。竹取物語の原文は漢文と思われる。作者がかくも自由闊達に漢文をこなしていたことに感心させられる。恐らく、これを書いたのが漢人と云うのではなく、日本語古語によほど習熟している者が、それを下地にして漢文を咀嚼吸収し、かくなる名文をものしたと窺うべきではなかろうか。その出来栄えは驚くべき技と云う他ない。これを思えば、外国語吸収には、その前提として母国語の習熟が必要であり、日本語は太古の昔よりそれに耐える秀逸な言語足り得ていると思う。

 幕末維新期の志士、書生が、現代人の我々よりも欧米語の吸収を能く為し得たのは、母国語の習熟を下地にして外国語である漢文を先行してこなしていたからであり、この能力を欧米語に振り向けたからではないかと思われる。それほど国語を重視する必要があると思う。これを思えば、昨今の英米語の早期学習は、それ自体は悪くないにしても母国語の軽視とセットして行われるべきものではなかろう。母国語の軽視に向かわせるのは、例の狂人石工組合の差し金であろう。

 もとへ。竹取物語かぐや姫譚は、そういう名漢文を原典にしていることにより、現代人の我々が、これをそのままに読むのは困難である。そういう訳で、原文たる漢文を日本語古語で和訳した古文の竹取物語を読むことになる。但し、それでさえ、現代人の我々が読むのは困難である。

 その困難さには別の理由がある。困ったことに日本語古文は、漢文の竹取物語ほどには情景を生き生きと描写していない。竹取物語のあらましの筋を伝えているが、漢文に読みとれる生き生きとした情意の部分が殺がれている。よって値打ちを損ねており、これが読む人を遠ざけている原因の一つとなっているように思われる。良くできてはいるが漢文には見劣りするという意味である。

 更に困ったことがある。実は古文はまだ良い。現代文竹取物語となるともっと酷いものに化けてしまっている。多くの訳者が居るように思われるが、れんだいこの評するところ、伝えるのはあら筋ばかりで、情意の部分は全く殺がれている。よって、読んでも面白さが伝わらない。これが竹取物語を堕作にしてしまっており、特段に読まねばならないほどのものではないものにしているように思われる。実に、竹取物語の面白さは、原文の漢文物語から古文物語、古文物語から現代文物語へと転じるほどに愚作になっている。

 このことを知ったので、れんだいこが現代文で竹取物語の粋を再確認することにした。但し、一字一句忠実に訳せないことと、仮に訳してもあまり意味がないと思うことにより、現代感覚に合うように多少意訳した。そのでき栄えは、読まれた方の評に託すしかない。れんだいこ文は今後更に手直しされ、推敲される。永遠の未完になると思う。そういうものであるから著作権には馴染まない。どなたでも良い、自由に活用して下されば良い。

 なぜ竹取物語を読むべきなのか。それは、日本人つまり日本文化が過去に於いて生みだした古典文学の傑作品の一つであり、そのやり取りを知ることが現代人の薄っぺらにされた脳を鍛え直してくれると思うからである。こういう優秀作品を知らぬまま死んでいく現代人が多い。これはとても残念なことであると思う。そういうことに気づいたので、れんだいこが、みんなが読み易く、且つ原文に忠実且つ原文通りに面白い竹取物語を創作した。これを天下に公開しておくことにする。

 付言すれば、この思いは、「共産主義者の宣言」の時もそうだった。れんだいこは若かりし頃、既存の市井本を幾ら読んでも物足りなかった。重要な個所でピンとこなかった。そういうものを読んで、読んだ気になって来られた共産主義者に脱帽するしかない。れんだいこは、そういう連中に比して頭が良くないので、得心行くよう原文から読み直した。もっとも本当の原文であるドイツ語訳に当たるのは今後の課題として、とりあえず英訳を下敷きとして、その転訳としての日本語訳に取りかかった。マルクス在世中に英訳が出ており、書いた本人が目を通しているはずだから、英訳にはさほど問題がなかろうと思っている。

 その英文訳と既存の日本文訳を比べると、明らかに日本文訳の方が見劣りする。意図的故意の改悪訳の箇所が多過ぎる。それを疑問もなしに読み終えることのできた安上がりの共産主義者に脱帽してしまう。それではれんだいこの性が得心できないので、れんだいこ訳を作った。さほど注目されていないが、れんだいこ訳の方がよほど原文に忠実で、原文の意味がより良く通じていることを自負している。これを復読三省するよう期待したい。いつか、既成訳とれんだいこ訳を参照させてみたいと思っているが、本業ではないのでそのままにしている。どなたかやってくれればよい。サイトは次の通りである。

 共産主義者の宣言考
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/gensyokenkyuco/kyosansyugisyasengenco/
 kyosansyugisyasengenco.htm)

 もとへ。竹取物語も同じである。「共産主義者の宣言」は政治もの、竹取物語は文学作品と云う違いはあるが、文量が適当で本来読みやすいにも拘わらず悪訳により価値が殺がれている点で同じである。どちらも読むべき読まれるべき語り継がれるべき名作であるのに、ないがしろにされていると云う点でも共通している。

 竹取物語の要旨は次の通りである。竹藪で拾われたかぐや姫がその後すくすく成長し、世に並ぶもののない美人の誉れを噂されるようになる。このかぐや姫に求婚するものが殺到し、最後に五名の貴人が残る。この者たちに結婚の条件としてお題が与えられ、それぞれが悪戦苦闘する。この活劇描写が格段に面白い。最後に帝が登場し、恋愛劇の総まとめに向かう。しかし、帝さえ思うようにならないまま八月十五日の満月の夜に天より迎えの者が来て、かぐや姫も去って行く。この道中での、翁のかぐや姫、五人衆、帝とのやり取りも面白い。全体が政治風刺のパロディーにもなっており、その意味するところは未だ分からない面もあるがとにかく比類なき面白い。

 れんだいこ文は、これを現代文で当初の漢文レベルの面白さで再現しようと試みている。繰り返すが、原文に忠実に訳すより、その意味するところを汲みとり意訳した。もし面白くないとしたら、れんだいこの一人豪語ということになる。それでも良いと思っている。これをきっかけに誰かが注目し、別訳のもっと面白いものを生み出してくれれば本望であるからである。その間を惜しみなく貰い、惜しみなく与えようと思う。川端康成氏の訳本があるとのことなので、これを今取り寄せている。読んで更に推敲しようと思っている。

 竹取物語考
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/kodaishico/taketorimonogatarico/top.html)

 2010.3.20日 れんだいこ拝




(私論.私見)