十月に朱雀院の行幸あるべし。 |
十月に朱雀院の行幸が予定されていた。 |
舞人など、やむごとなき家の子ども、上達部、殿上人どもなども、その方につきづきしきは、みな選らせたまへれば、親王達、大臣よりはじめて、とりどりの才ども習ひたまふ、いとまなし。 |
舞人など、高貴な出の子どもたちや、上達部、殿上人など、その方面にそれ相応な人びとは、皆選ばれたので、親王や大臣たちはそれぞれの技の練習に余念がなかった。 |
山里人にも、久しく訪れたまはざりけるを、思し出でて、ふりはへ遣はしたりければ、僧都の返り事のみあり。 |
尼君にも、久しく消息していなかったのを思い出し、人を遣わしたのだが、僧都の返事だけがあった。 |
「立ちぬる月の二十日のほどになむ、つひに空しく見たまへなして、世間の道理なれど、悲しび思ひたまふる」などあるを見たまふに、世の中のはかなさもあはれに、 |
「先月の二十日になりますか、ついに亡くなりまして、この世の習いですが、悲しみにひたっています」などとあるのを見ると、世の中のはかなさも感じられて、 |
「うしろめたげに思へりし人もいかならむ。幼きほどに、恋ひやすらむ。故御息所に後れたてまつりし」など、はかばかしからねど、思ひ出でて、浅からずとぶらひたまへり。 |
「残されて心配された子はどうしているだろう。まだ幼いから、恋しかろう。わたしも母の故御息所に先立たれたから」など、おぼろげながら思い出して、心をこめてお見舞いした。 |
少納言、ゆゑなからず御返りなど聞こえたり。 |
少納言は趣のある返事を書いた。 |
忌(み)など過ぎて京の殿になど聞きたまへば、ほど経て、みづから、のどかなる夜おはしたり。 |
忌中が過ぎて、京の邸にいると聞いていたので、他に用事がない夜、源氏自ら出かけた。 |
いとすごげに荒れたる所の、人少ななるに、いかに幼き人恐ろしからむと見ゆ。 |
ひどく荒れた所で、人が少なく、幼い子には恐ろしく感じるだろうと思われる。 |
例の所に入れたてまつりて、少納言、御ありさまなど、うち泣きつつ聞こえ続くるに、あいなう、御袖もただならず。 |
例の廂の間に通されて、少納言が、尼君の最後の様子などを、泣きながら細々と話すると、源氏ももらい泣きするのだった。 |
「宮に渡したてまつらむとはべるめるを、『故姫君の、いと情けなく憂きものに思ひきこえたまへりしに、 |
「父宮のお邸にお連れしようとしていますが、『亡くなった姫君が、(宮の北の方は)情が薄く嫌なお方と、話してられましたので、 |
いとむげに児ならぬ齢の、まだはかばかしう人のおもむけをも見知りたまはず、 中空なる御ほどにて、あまたものしたまふなる中の、 あなづらはしき人にてや交じりたまはむ』など、過ぎたまひぬるも、世とともに思し嘆きつること、しるきこと多くはべるに、 |
かわいい盛りの稚児でもなく、大人の思惑を見抜けるでもなく、中途半端な年頃なので、先様のお子様がたくさんいる中で、いじめられはしないか』など、亡くなった尼君も日頃から思い嘆いておりましたし、その証も多々ありましたので、 |
かくかたじけなきなげの御言の葉は、後の御心もたどりきこえさせず、いとうれしう思ひたまへられぬべき折節にはべりながら、 |
口先だけでも、このようなもったいないお言葉は、後々の御心は分かりませんが、今は大変うれしくありがたい時なのですが、 |
すこしもなぞらひなるさまにもものしたまはず、御年よりも若びてならひたまへれば、いとかたはらいたくはべる」と聞こゆ。 |
とても幼すぎてお似合いの相手にはなれませんし、さらに年齢よりも子どもっぽいので、困ってます」と(少納言が)申し上げる。 |
「何か、かう繰り返し聞こえ知らする心のほどを、つつみたまふらむ。その言ふかひなき御心のありさまの、あはれにゆかしうおぼえたまふも、契りことになむ、心ながら思ひ知られける。 |
「繰り返し申し上げているのですが、まともに受け取ってもらえませんね。その言うかいなき御子のことも、あわれを感じ由あることと覚えたのも、前世の因縁が特別だから、と心から思います。 |
なほ、人伝てならで、聞こえ知らせばや。あしわかの浦にみるめはかたくとも こは立ちながらかへる波かは めざましからむ」とのたまへば、 |
では、人を介せずに、直接お話したい。(源氏の歌)葦の若芽が生える浦で海松布に逢うのは難しいが返す波のように、このまま会わずに帰れようか、あんまりでしょう」と仰ると、 |
「げにこそ、いとかしこけれ」とて、「寄る波の心も知らでわかの浦に玉藻なびかむほどぞ浮きたるわりなきこと」と聞こゆるさまの馴れたるに、すこし罪ゆるされたまふ。 |
「いかにも、畏れ多いことです」とて、(少納言の歌)「寄り来る波の本心も知らないで和歌の浦に誘われて玉藻がなびくのは軽率なことです、しかたがありません」と言うのが心得た様子だったので、少し機嫌をなおした。 |
「なぞ越えざらむ」と、うち誦じたまへるを、身にしみて若き人びと思へり。 |
「どうして逢わずに帰れよう」と、口ずさむと、若い女房たちは感じ入った。 |
君は、上を恋ひきこえたまひて泣き臥したまへるに、御遊びがたきどもの、「直衣着たる人のおはする、宮のおはしますなめり」と聞こゆれば、 |
姫君は亡き尼君を恋しがって、泣き伏していたが、遊び仲間の誰かが、「直衣を着た人がいるよ、宮がおいでになったのでしょう」と言うので、 |
起き出でたまひて、「少納言よ。直衣着たりつらむは、いづら。宮のおはするか」とて、寄りおはしたる御声、いとらうたし。 |
起きだして、「少納言よ。直衣着た人はどこにいるの。宮が来ているのか」と言って寄ってくる声が、かわいらしい。 |
「宮にはあらねど、また思し放つべうもあらず。こち」とのたまふを、恥づかしかりし人と、さすがに聞きなして、悪しう言ひてけりと思して、乳母にさし寄りて、「いざかし、ねぶたきに」とのたまへば、 |
「宮ではないが、まったくの他人でもないよ。こちらへおいで」と仰ると、あの立派な人だと、さすがに、いけないことを言ってしまったと思って、乳母に寄って、「さあ、行きましょう、眠たいよ」と言うと、 |
「今さらに、など忍びたまふらむ。この膝の上に大殿籠もれよ。今すこし寄りたまへ」とのたまへば、 |
「今さらどうして逃げるの。この膝の上で寝たらどうですか。もっと寄りなさい」と(源氏が)仰ると、 |
乳母の、「さればこそ。かう世づかぬ御ほどにてなむ」とて、押し寄せたてまつりたれば、何心もなくゐたまへるに、手をさし入れて探りたまへれば、 |
乳母の、「ほら、まったく子どもですので」と言って、押しやると、何心なく座ったので、手を簾の下から入れて探れば、 |
なよらかなる御衣に、髪はつやつやとかかりて、末のふさやかに探りつけられたる、いとうつくしう思ひやらる。 |
着慣れたやわらか衣に、髪がつややかにかかって、端がふさやかにまといつくさまは、美しくなるだろうと思いやられた。 |
手をとらへたまへれば、うたて例ならぬ人の、かく近づきたまへるは、恐ろしうて、「寝なむ、と言ふものを」とて、強ひて引き入りたまふにつきてすべり入りて、「今は、まろぞ思ふべき人。な疎みたまひそ」とのたまふ。 |
手をとると、びくっとして、いつもはいない人がこんなに近くいるので、(幼子は)恐くなって、「寝ると言っているのに」とて、強いて御簾の中に引っ込もうとするのを、一緒に滑り込んで、「今はわたしがお世話する人ですよ。嫌わないで」と(源氏が)仰る。 |
乳母、「いで、あなうたてや。ゆゆしうもはべるかな。聞こえさせ知らせたまふとも、さらに何のしるしもはべらじものを」とて、苦しげに思ひたれば、 |
乳母は、「あら、困ったこと。大変なことをなされる。じかに言い伝えても、その甲斐もない何も分からない年頃なのに」とて、苦しげに思ったが、 |
「さりとも、かかる御ほどをいかがはあらむ。なほ、ただ世に知らぬ心ざしのほどを見果てたまへ」とのたまふ。 |
「そうですが、こんなに幼いのではどうしようもない。だがわたしの人並み以上情愛を、見届けてください」と(源氏は)仰る。 |
霰降り荒れて、すごき夜のさまなり。 |
霰が降って、荒れてぞっとする夜だった。 |
「いかで、かう人少なに心細うて、過ぐしたまふらむ」と、うち泣いたまひて、いと見棄てがたきほどなれば、 |
「人が少なく心細いのに、どうやって夜をすごすのか」と(源氏は言って)、泣いてしまい、見捨てられなかったので、 |
「御格子参りね。もの恐ろしき夜のさまなめるを、宿直人にてはべらむ。人びと、近うさぶらはれよかし」とて、いと馴れ顔に御帳のうちに入りたまへば、 |
「格子を下ろしなさい。今夜は恐ろしい夜になるので、わたしが宿直人になろう。みんな、近くに寄りなさい」と言って、慣れた様子で御帳の中に入るので、 |
あやしう思ひのほかにもと、あきれて、誰も誰もゐたり。 |
女房たちはとんでもないことと思い、皆あきれてしまった。 |
乳母は、うしろめたなうわりなしと思へど、荒ましう聞こえ騒ぐべきならねば、うち嘆きつつゐたり。 |
乳母は、心配で困ったことと思ったが、声を荒げて騒ぐべきほどでもないので、ただ嘆いている。 |
若君は、いと恐ろしう、いかならむとわななかれて、いとうつくしき御肌つきも、そぞろ寒げに思したるを、らうたくおぼえて、単衣ばかりを押しくくみて、わが御心地も、かつはうたておぼえたまへどあはれにうち語らひたまひて、 |
姫君は、恐ろしくて、どうなることかと震えて、美しい肌も鳥肌が立つような感じになり、(源氏は、)それをかわいらしいと思い、単衣だけにおし包んだが、自分でも馬鹿なことをしていると思う一方、やさしく声をかけながら、 |
「いざ、たまへよ。をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に」と、心につくべきことをのたまふけはひの、いとなつかしきを、 |
「さあ、いらっしゃい。家には絵がたくさんあるし、雛遊びもできますよ」と、幼い心にうれしいことを仰る様子が、やさしいので、 |
幼き心地にも、いといたう怖ぢず、さすがに、むつかしう寝も入らずおぼえて、身じろき臥したまへり。 |
幼い心にも、それほど怖がらなかったが、さすがに、落ち着かず、寝付けないで、もじもじして伏している。 |
夜一夜、風吹き荒るるに、「げに、かう、おはせざらましかば、いかに心細からまし」「同じくは、よろしきほどにおはしまさましかば」とささめきあへり。 |
一晩中、風が吹き荒れて、女房たちは、「君がいらっしゃらなければ、どんなに心細かっただろう」「どうせなら、姫君がお似合いであらせられたら」とささやいている。 |
乳母は、うしろめたさに、いと近うさぶらふ。風すこし吹きやみたるに、夜深う出でたまふも、ことあり顔なりや。 |
乳母は、心配で、すぐ近くに控えている。風が少し吹き止んで、夜更けに出たが、何か朝帰りの風情である。 |
「いとあはれに見たてまつる御ありさまを、今はまして、片時の間もおぼつかなかるべし。明け暮れ眺めはべる所に渡したてまつらむ。かくてのみは、いかが。もの怖ぢしたまはざりけり」とのたまへば、 |
「すごく可愛いと思って見ているので、今はかえって、気にかかって片時も安心できない。明け暮れ眺められる所に連れ行きたい。こんな状態でどうするのか。わたしを怖がってなかった」と(源氏が)仰れば、 |
「宮も御迎へになど聞こえのたまふめれど、この御四十九日過ぐしてや、など思うたまふる」と聞こゆれば、 |
「父宮がお迎えに来ると言うことですが、この四十九日を過ぎてから、と思っております」と(乳母が)申し上げれば、 |
「頼もしき筋ながらも、よそよそにてならひたまへるは、同じうこそ疎うおぼえたまはめ。今より見たてまつれど、浅からぬ心ざしはまさりぬべくなむ」
とて、かい撫でつつ、かへりみがちにて出でたまひぬ。 |
「頼もしい筋ですが、日ごろ別々に暮らしているので、疎遠なのはわたしと同じでしょう。今からお世話しますが、愛情の深さではこちらが勝っています」とて、髪をかきなでつつ、後ろ髪を引かれる思いで出た。 |
いみじう霧りわたれる空もただならぬに、霜はいと白うおきて、まことの懸想もをかしかりぬべきに、さうざうしう思ひおはす。 |
ひどく霧がかかった空も風情があったが、霜が真っ白におりて、これがまことの恋なら興ある風情だが、今は物足りなく思う。 |
いと忍びて通ひたまふ所の道なりけるを思し出でて、門うちたたかせたまへど、聞きつくる人なし。かひなくて、御供に声ある人して歌はせたまふ。 |
忍んで通っていた所の道なのを思い出し、門を叩かせたが、聞きつける人はいない。仕方なく、供のなかで声のいいのを選んで歌わせる。 |
「朝ぼらけ霧立つ空のまよひにも 行き過ぎがたき妹が門かな」と、二返りばかり歌ひたるに、よしある下仕ひを出だして、 |
(源氏の歌)「明け方の霧立つ空に迷っても、行き過ぎがたい妹の門は分かります」と二度ほど歌ったが、物の分かった下使いが出てきて、 |
「立ちとまり霧のまがきの過ぎうくは 草のとざしにさはりしもせじ」と言ひかけて、入りぬ。 |
(女の歌)「立ち止まって霧深いまがきが過ぎづらければ 草の閉ざした門は支障ございませんでしょう」と言いかけて入る。 |
また人も出で来ねば、帰るも情けなけれど、明けゆく空もはしたなくて殿へおはしぬ。 |
また人も出て来ず、このまま帰るのも情けないが、空が明けてからでははしたないので、邸に帰った。 |
をかしかりつる人のなごり恋しく、独り笑みしつつ臥したまへり。 |
愛おしかった姫君の余韻にひたり、ひとり微笑んで伏した。 |
日高う大殿籠もり起きて、文やりたまふに、書くべき言葉も例ならねば、筆うち置きつつすさびゐたまへり。をかしき絵などをやりたまふ。 |
日が高くなってから起きて、文を用意したのだが、書くべき事もいつもと違うので、筆を置いては考え熱心に書いた。面白い絵も同封した。 |
かしこには、今日しも、宮わたりたまへり。 |
あちらでは、折りしも今日、父宮がお見えになる。 |
年ごろよりもこよなう荒れまさり、広うもの古りたる所の、いとど人少なに久しければ、見わたしたまひて、 |
最近とみに邸は荒れて、広く古くなった所に、久しく来訪者もいなかったので、(宮は)あたりを見渡して、 |
「かかる所には、いかでか、しばしも幼き人の過ぐしたまはむ。なほ、かしこに渡したてまつりてむ。何の所狭きほどにもあらず。乳母は、曹司などしてさぶらひなむ。君は、若き人びとあれば、もろともに遊びて、いとようものしたまひなむ」などのたまふ。 |
「このような所に、どうして、幼い子が少しでも過ごせようか。やはり、あちらに来てもらおう。どうして気詰まりなことがあろうか。乳母には、部屋を用意する。姫君は、(北の方の)小さい子どもたちがいるのだから、一緒に遊んだりできるだろう」などと(父宮は)仰る。 |
近う呼び寄せたてまつりたまへるに、かの御移り香の、いみじう艶に染みかへらせたまへれば、「をかしの御匂ひや。御衣はいと萎えて」と、心苦しげに思いたり。 |
父宮は、姫君を近くに呼び寄せると、(源氏の)移り香がすごく艶っぽく染みた衣から匂ったので、「いい匂いだ。衣は着慣れたものを着ているが」と心苦し気に思った。 |
「年ごろも、あつしくさだ過ぎたまへる人に添ひたまへるよ、かしこにわたりて見ならしたまへなど、ものせしを、あやしう疎みたまひて、人も心置くめりしを、かかる折にしもものしたまはむも、心苦しう」などのたまへば、 |
「長年、老いたる病人と暮らしていたので、一度あちらに来て、見てなじんではどうか、と言ったのだが、強く拒否されて、北の方も気にかけていたのだが、こんな状態になってからでは、かわいそう」と(宮が)仰せなので、 |
「何かは。心細くとも、しばしはかくておはしましなむ。すこしものの心思し知りなむにわたらせたまはむこそ、よくははべるべけれ」と聞こゆ。 |
「いいえ。心細くとも、しばらくはこうしていたいのです。少し物の心を知れる年頃になって、行かせたほうがいいでしょう」と(少納言が)言う。 |
「夜昼恋ひきこえたまふに、はかなきものもきこしめさず」とて、げにいといたう面痩せたまへれど、いとあてにうつくしく、なかなか見えたまふ。 |
「夜も昼も慕って、わずかな物もお召し上がりになりません」とて、(若姫の)顔はだいぶ痩せていたが、かえって品があり、かなりの美しさであった。 |
「何か、さしも思す。今は世に亡き人の御ことはかひなし。おのれあれば」
など語らひきこえたまひて、暮るれば帰らせたまふを、いと心細しと思いて泣いたまへば、 |
「どうして、そう悲しむ。亡くなった人のことは仕方ない。わたしがいる」などと語らって、日が暮れたので帰ろうとしたが、姫君はひどく心細く感じて泣き出したので、 |
宮うち泣きたまひて、「いとかう思ひな入りたまひそ。今日明日、渡したてまつらむ」など、返す返すこしらへおきて、出でたまひぬ。 |
父宮も泣いて、「そんなに思い込んではいけません。今日明日にも、連れて行きましょう」など何度もなだめて、(父宮は)帰った。 |
なごりも慰めがたう泣きゐたまへり。 |
父宮が帰ったあとも、慰めがたく泣いている。 |
行く先の身のあらむことなどまでも思し知らず、ただ年ごろ立ち離るる折なうまつはしならひて、今は亡き人となりたまひにける、と思すがいみじきに、幼き御心地なれど、胸つとふたがりて、例のやうにも遊びたまはず、昼はさても紛らはしたまふを、夕暮となれば、いみじく屈したまへば、かくてはいかでか過ごしたまはむと、慰めわびて、乳母も泣きあへり。 |
この先、自分の身がどうなるかもしらず、ただ年来離れずそばにいて、今は亡き人になったと思う、そのことがつらく、幼い心の胸ふさがり、いつものように遊ぶことなく、昼はまだしも紛れることもあるが、夕暮れになれば、すっかり気がふさぎ、このようではどうやって日を過ごしたらいいか、慰めもできず、乳母も泣いてしまうのであった。 |
君の御もとよりは、惟光をたてまつれたまへり。 |
源氏の元からは惟光が使いでやって来た。 |
「参り来べきを、内裏より召あればなむ。く心苦しう見たてまつりしも、しづ心なく」とて、宿直人たてまつれたまへり。 |
「自ら来るべきですが、内裏からお召しがありますので。お気の毒な様子が、気がかりです」とて、宿直人 を差し向けた。 |
「あぢきなうもあるかな。戯れにても、もののはじめにこの御ことよ」 |
「味気ないこと。戯れであっても、そもそもの初めからこんな調子では」 |
「宮聞こし召しつけば、さぶらふ人びとのおろかなるにぞさいなまむ」 |
「父宮が聞きつけたら、付き添い人たちの怠慢で非難されましょう」 |
「あなかしこ、もののついでに、いはけなくうち出できこえさせたまふな」など言ふも、それをば何とも思したらぬぞ、あさましきや。 |
「いいこと、物のはずみで、絶対にこのことを口に出してはいけません」など言っているが、それをなんとも思わない、幼さであった。 |
少納言は、惟光にあはれなる物語どもして、
「あり経て後や、さるべき御宿世、逃れきこえたまはぬやうもあらむ。ただ今は、かけてもいと似げなき御ことと見たてまつるを、あやしう思しのたまはするも、いかなる御心にか、思ひ寄るかたなう乱れはべる。今日も、宮渡らせたまひて、『うしろやすく仕うまつれ。心幼くもてなしきこゆな』とのたまはせつるも、いとわづらはしう、ただなるよりは、かかる御好き事も思ひ出でられはべりつる」
など言ひて、 |
少納言は、惟光にあわれな話をあれこれして、
「月日が経つうちに、君が思っている宿命から逃れられないこともあるでしょう。ただ今は、少しも似つかわしくないのに、君が異常に思い込むお気持ちに、たいへん戸惑っております。今日も父宮が来られて、『後の心配がないようにお仕えしなさい。軽々しく遇しないように』と仰りましたが、それも気になりまして、普段よりも、あのようななさり方がよけい思い出されます」
など語って、 |
「この人もことあり顔にや思はむ」など、あいなければ、いたう嘆かしげにも言ひなさず。 |
「この人もことあり顔にや思はむ」など、あいなければ、いたう嘆かしげにも言ひなさず。 |
大夫も、「いかなることにかあらむ」と、心得がたう思ふ。 |
惟光も、「どういうことだろうか」と、得心がゆかない。 |
参りて、ありさまなど聞こえければ、あはれに思しやらるれど、さて通ひたまはむも、さすがにすずろなる心地して、「軽々しうもてひがめたると、人もや漏り聞かむ」など、つつましければ、「ただ迎へてむ」と思す。 |
帰って、あちらの様子を報告するに、君はあわれを感じ、やはり通うのはやりすぎの心地がして、「軽率な行いだ、と世間で噂する」などと思って、やめたのだが、「ただ連れてくるだけにしよう」と思った。 |
御文はたびたびたてまつれたまふ。暮るれば、例の大夫をぞたてまつれたまふ。「障はる事どものありて、え参り来ぬを、おろかにや」などあり。 |
文はたびたび出した。暮れになると、例の惟光を使わした。「都合のわるいことがあり、行けない。疎かにしているのではない」などと書いている。 |
「宮より、明日にはかに御迎へにとのたまはせたりつれば、心あわたたしくてなむ。年ごろの蓬生()を離れなむも、さすがに心細く、さぶらふ人びとも思ひ乱れて」と、 |
「宮から、明日急にお迎えに行くと言ってきたので、あわただしくしています。年来の古い舘も離れるとなると、さすがにしんみりして、侍女たちも困っていて」と、 |
言少なに言ひて、をさをさあへしらはず、もの縫ひいとなむけはひなどしるければ、参りぬ。 |
(少納言は)言葉少なに言うが、はっきり返答もできず、物を縫ったりする気配がしたので、(惟光は)早々に退出した。 |