夕顔(ゆうがお)14節

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.3.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「夕顔(ゆうがお)14節」を確認する。「源氏物語 目次」その他を参照する。

 2007.10.7日 れんだいこ拝


4、夕顔(ゆうがお)14節
4-1  源氏、五条の大弐乳母を見舞う
4-2 数日後、夕顔の宿の報告
4-3 空蝉の夫、伊予国から上京す
4-4 霧深き朝帰りの物語
4-5 源氏、夕顔の宿に忍び通う
4-6  八月十五夜の逢瀬
4-7 なにがしの院に移る
4-8  夜半、もののけ現われる
4-9 源氏、二条院に帰る
4-10 十七日夜、夕顔の葬送
4-11  忌み明ける
4-12  紀伊守邸の女たちと和歌の贈答
4-13  四十九日忌の法要
4-14  空蝉、伊予国に下る

【4、夕顔(ゆうがお)14節
 あらすじは次の通り。
 空蝉にうつつを抜かしていたころ、源氏は六条に住む高貴な女の所に忍んで通っていた。宮中から六条に向かう途中、源氏は夕顔の咲く家に住む女(夕顔)と知り合う。折しも六条の高貴な女との関係に気詰まりを感じていた源氏は、この女に耽溺していく。近所の声が聞こえるような家での逢瀬に嫌気が差した源氏は、女を廃院に連れ出す。その夜、源氏は物の怪に襲われるような夢を見て、目を覚ます。源氏は魔除けをさせたが、正気を失った夕顔はそのまま息を引き取った。 悲しみにくれる源氏は瘧病を患う。秋、病から癒えた源氏は、夕顔の侍女であった右近から、実は夕顔は頭中将との間に子まで成した女であったことを聞かされる。空蝉と夕顔とのはかない縁に、源氏は物思いにふける。

4-1、源氏、五条の大弐乳母を見舞う
 六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏よりまかでたまふ中宿(なかやどり)に、大弐(だいに)乳母(めのと)のいたくわづらひて尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家尋ねておはしたり。  源氏が六条辺りの女のもとに密かにお通いのころ、内裏から退出される途中に立ち寄る宿に、大弐(だいに)の乳母が長患いして尼になっているのを聞き、お見舞いしようとして五条にある家を尋ね尋ねして家を訪ねた。
御車(みくるま)入るべき門は鎖したりければ、人して惟光(これみつ)召させて、待たせたまひけるほど、むつかしげなる大路のさまを見わたしたまへるに、 御車が入れるような門は鎖をさしていたので、従者に命じて惟光をお召しになって、お待ちになっている間、むさ苦しい大路のようすを見渡しなさると、
この家のかたはらに、桧垣(ひがき)といふもの新しうして、上は半蔀(はじとみ)四五間ばかり上げわたして、簾などもいと白う涼しげなるに、をかしき額つきの透影(すきかげ)、あまた見えて覗く。 この家のそばに、檜垣というものが新しくしつらえてあり、上は半蔀(はじとみ)が四五間ほどずっと上げて、簾などもたいそう白く涼しそうなところに、美しい額の形をした人影が、簾ごしに何人も、こちらをのぞいているのが見えた。
立ちさまよふらむ下つ方思ひやるに、あながちに丈高き心地ぞする。 立ち歩く姿の下の方を想像するに、やたらに背が高い気がする。
いかなる者の集へるならむと、やうかはりて思さる。 どんな女たちが集まっているのだろうと、源氏は物珍しく思った。
御車(みくるま)もいたくやつしたまへり、 前駆(さきも追はせたまはず、誰れとか知らむとうちとけたまひて、すこしさし覗きたまへれば、 牛車もたいそうみすぼらしいもので、先追いもさせておらず、源氏は自分のことを誰も知るまいと安心なさって、少しお覗きになると、
門は蔀のやうなる、押し上げたる、見入れのほどなく、ものはかなき住まひを、あはれに、 門は蔀のようなものを押し上げていて、門と建物の間も狭く、奥まで見とおせるような粗末な住まいに、あわれを感じしみじみと、
「何処(いづこ)かさして」と思ほしなせば、玉の台も同じことなり。 古歌にある「いづこかさして(どこでも行き着いた処が自分の家だ)」と思えば、このみすぼらしい家も高殿(立派な宮殿)と同じだろう。
切懸(きりかけ)だつ物に、いと青やかなる葛(かづら)心地よげに這ひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり笑みの眉開けたる。 切り掛けのような粗末な板塀に、たいそう青々とした葛がいい感じに心地よく這い、白い花が笑んでおり、その姿たるや、美人が独りで微笑んでいるその眉のように美しく咲いている。
遠方人(をちかたびと)にもの申す」と独りごちたまふを、 (源氏)「遠方人(をちかたびとにもの申す」と独り言を言うと、
御隋身(みずいじん)ついゐて、「かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。 随身がひざまずいて、(随身)「あの白い花は夕顔と申します。
花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ咲きはべりける」と申す。 花は住んで居る女と似通っており、このように粗末な垣根に咲いておりますが、花も女も美しうございます」と申し上げる。
げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒のつまなどに這ひまつはれたるを、 確かに小さな家が並び、人目について何かと煩わしい界隈で、あちらこちらが今にも倒れそうな中を、家々の軒先などに這って延びている花を、
「口惜しの花の契りや。一房折りて参れ」とのたまへば、この押し上げたる門に入りて折る。 (源氏)「このまま置いておくのに惜しい花の命だ。一輪折って参れ」と仰るので、随身は押し上げた門に入り手折った。
さすがに、されたる遣戸口(やりどぐち)に、黄なる生絹(すずし)単袴(ひとえばかま)、長く着なしたる童の、をかしげなる出で来て、うち招く。 見すぼらしい建物だったが、しゃれた遣戸口に、黄色い生絹(すずし)の単袴(ひとえばかま)を長めに着た童女(めのわらわ)が出てきて招いた。
白き扇のいたうこがしたるを、「これに置きて参らせよ。枝も情けなげなめる花を」とて取らせたれば、門開けて惟光朝臣出で来たるして、奉らす。 香をたきしめた白い扇をだして、(童)「これに夕顔の花を乗せて差し上げて下さい。花も枝もありきたりのものですから」と、折しも門を開けて出てきた惟光朝臣に託して、源氏に差し上げた。
「鍵を置きまどはしはべりて、いと不便なるわざなりや。 (惟光)「鍵をどこに置いたか忘れてしまいまして、たいそう不便なことでございますよ。
もののあやめ見たまへ分くべき人もはべらぬわたりなれど、らうがはしき大路に立ちおはしまして」とかしこまり申す。 ものの良し悪しも見分けられるような者もございません界隈ですが、むさくるしい大路にお待たせいたしまして申し訳ありません」とかしこまって申し上げる。
 引き入れて、下りたまふ。  車を引き入れて源氏がお下りになる。
惟光が兄の阿闍梨(あざり、婿の三河守、娘など、渡り集ひたるほどに、かくおはしましたる喜びを、またなきことにかしこまる。 惟光の兄の阿闍梨、尼君の娘婿の三河守、娘などが集まり、こうして源氏が来られた喜びを、ありがたくかしこまる。
尼君も起き上がりて、「惜しげなき身なれど、捨てがたく思うたまへつることは、 尼君も起き上がって、「惜しくもないこの身だが、出家しがたく思っておりましたのは、
ただ、かく御前にさぶらひ、御覧ぜらるることの変りはべりなむことを口惜しく思ひたまへ、たゆたひしかど、 ただ、こうして源氏の御前に参上しての御目通りができなくなることを残念に思って、ぐずぐずしていました。
忌むことのしるしによみがへりてなむ、かく渡りおはしますを、見たまへはべりぬれば、 受戒して病が良くなりましたので、このようにお越しいただいくことができました。かくお会いできましたからには、
今なむ阿弥陀仏の御光(おんひかり)も、心清く待たれはべるべき」など聞こえて、弱げに泣く。 今はもう阿弥陀仏の御光も、心清く待つことができます」などと(尼君が)言って、弱々しく泣く。
「日ごろ、おこたりがたくものせらるるを、安からず嘆きわたりつるに、 (源氏)「日頃、病状が回復しないのを心配しておりましたが、
かく、世を離るるさまにものしたまへば、いとあはれに口惜しうなむ。 このように、俗世間を捨てたお姿になっていらっしゃる姿を見させていただくと、あわれで残念です。
命長くて、なほ位高くなど見なしたまへ。 長生きして、私の位が高くなるのを見届けてくださいよ。
さてこそ、九品(ここのしな)(かみ)にも、障りなく生まれたまはめ。 それでこそ、九品の最上位の上品(じょうぼん)に何の問題もなく生まれ変われませう。
この世にすこし恨み残るは、悪ろきわざとなむ聞く」など、涙ぐみてのたまふ。 この世に未練を残すのは、良くないと聞いております」など、(源氏は)涙ぐんで仰る。
かたほなるをだに、乳母(めのと)やうの思ふべき人は、あさましうまほに見なすものを、 できの悪い子でも、乳母から見れば呆れるほどすごく立派な子に見がちであるが、
まして、いと面立たしう、なづさひ仕うまつりけむ身も、いたはしうかたじけなく思ほゆべかめれば、すずろに涙がちなり。 まして今のように晴れがましくて、長年慣れ親しんでお仕え申し上げてきた我が身をいたわって下されることが、ありがたくもったいないと思われ、涙が止まらなかった。
 子どもは、いと見苦しと思ひて、「背きぬる世の去りがたきやうに、みづからひそみ 御覧ぜられたまふ」と、つきしろひ目くはす。  乳母の子どもたちは、見苦しいと思い、「捨てた世を去りがたく、自分から泣き顔をご覧入れている」と、互いに目配せしている。
君は、いとあはれと思ほして、「いはけなかりけるほどに、思ふべき人びとのうち捨ててものしたまひにけるなごり、 源氏はあわれと感じて、「私が幼いころ、可愛がってくれるはずの人たちが私を残して次々に先立った後に、
育む人あまたあるやうなりしかど、親しく思ひむつぶる筋は、またなくなむ思ほえし。 育ててくれた乳母はたくさんいたようようではありましたが、親しく睦んでくださる御方は他にいないと思っていました。
人となりて後は、限りあれば、朝夕にしもえ見たてまつらず、心のままに訪らひ参づることはなけれど、 成人してからは、身分上の制約があり、朝夕に会うこともできず、気ままに行き来することもできずにおりましたが、
なほ久しう対面せぬ時は、心細くおぼゆるを、 久しく会えない時は、心細うございました。
『さらぬ別れはなくもがな』」となむ、こまやかに語らひたまひて、 『さらぬ別れはあってほしくない』(避けたくない別れは避けられれば良いのに)と、(源氏は)その時の気持ちをこまやかに語られて、
おし拭(のご)ひたまへる袖のにほひも、いと所(せ)きまで薫り満ちたるに、 涙をぬぐう袖の匂いも、その移り香が部屋いっぱいに満ちて、
げに、 よに思へば、おしなべたらぬ 人の御宿世(みすくせぞかしと、尼君をもどかしと見つる子ども、皆うちしほたれけり。 もっともだ、よくよく思えば、並々ならぬ因縁があったのだ、と尼君をもどかしいと見ていた子供たちは、皆しゅんとなった。
 修法(ずほふ)など、またまた始むべきことなど掟てのたまはせて、出でたまふとて、惟光に紙燭(しそく召して、  源氏は尼君に、病気平癒の祈祷をなどを再開しなさいと言い置いて出ると、惟光に紙燭を持ってこさせて、
ありつる扇御覧ずれば、もて馴らしたる移り香、いと染み深うなつかしくて、をかしうすさみ書きたり。 例の扇を見れば、使いなれた香の移り香が深くしみて心惹かれ、興をそそる走り書きをしていた。
「心あてにそれかとぞ見る白露の 光そへたる夕顔の花」 「問わず語りに 輝いている白露に 光を添えている夕顔の花の美しさよ」
そこはかとなく書き紛らはしたるも、あてはかにゆゑづきたれば、いと思ひのほかに、をかしうおぼえたまふ。 それとなくお書き下される様子には、上品で嗜みがあるので、さすがに風情がおありでした。
 惟光に、「この西なる家は何人の住むぞ。問ひ聞きたりや」とのたまへば、  惟光に、「この西の家は誰が住んでいるのか。聞いたことがあるか」と仰せになり、
例のうるさき御心とは思へども、えさは申さで、 (惟光は)また浮気心が始まったかと思ったが、
「この五、六日ここにはべれど、病者(ばうざ)のことを思うたまへ扱ひはべるほどに、隣のことはえ聞きはべらず」など、はしたなやかに聞こゆれば、 「この四五日ここにおりますが、病人のことにかかずらって看病していましたので、隣のことは聞いておりません」など、無愛想に言ったので、
「憎しとこそ思ひたれな。されど、この扇の、尋ぬべきゆゑありて見ゆるを。 「気に入らないようだね。けれど、この扇は調べてみる必要があるね。
なほ、このわたりの心知れらむ者を召して問へ」とのたまへば、入りて、この宿守なる(をのこ)を呼びて問ひ聞く。 この辺りの様子を知っている者を呼んで問いなさい」と仰るので、中に入って、留守居の男に聞いた。
揚名介(やうめいのすけなる人の家になむはべりける。男(おとこ)は田舎にまかりて、妻(め)なむ若く事好みて、はらからなど宮仕人にて来通ふ、と申す。 「揚名介の家でございます。夫は田舎に行っており、妻は若く風流好みで、姉妹は宮仕えで、よく来る、と言ってます。
詳しきことは、下人(しもびと)のえ知りはべらぬにやあらむ」と聞こゆ。 詳しいことは下男では分かりません」と申し上げる。
「さらば、その宮仕人ななり。したり顔にもの馴れて言へるかな」と、「めざましかるべき際にやあらむ」と思せど、 「ではその宮廷人だな。得意げに言いなれているな」と「興ざめするほど低い身分か」ともお思いになるが、
さして聞こえかかれる心の、憎からず過ぐしがたきぞ、例の、この方には重からぬ御心なめるかし。 源氏を指して歌をおくってくる心意気が、憎からず見過ごせない、例によって、女のことになると、軽々しいご性格なのであろう。
御畳紙にいたうあらぬさまに書き変へたまひて、 懐紙に筆跡が誰と分からないようにして、
「寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔」ありつる御随身して遣はす。 「もっと近寄ってはっきりご覧になったらどうですかたそがれ時にぼんやり見えた夕顔の花を」。例の随身に持たせて遣わす。
まだ見ぬ御さまなりけれど、いとしるく思ひあてられたまへる御側目を見過ぐさで、 源氏の姿をまだ見ないうちに、横顔からはっきり源氏だと当てて見逃さず、
さしおどろかしけるを、答へたまはでほど経ければ、なまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて、 歌を送って驚かしたが、返歌がないまましばらくたち、きまりがわるくなったのが、このようにわざわざ返事があると、調子にのって、
「いかに聞こえむ」など言ひしろふべかめれど、めざましと思ひて、随身は参りぬ。 「どうご返事しようか」と言いあい始めたので、随身は呆れて帰って来た。
御前駆(おんさき松明(まつ)ほのかにて、いと忍びて出でたまふ。半蔀(はじとみ)は下ろしてけり。隙々より見ゆる灯の光、蛍よりけにほのかにあはれなり。 前駆(おんざき)の灯はほのかにして、こっそり出かけた。半蔀(はじとみ)は下ろしてあった。隙間からもれる明かりが、「蛍のように」淡く、あわれであった。
御(み)心ざしの所には、木立前栽など、なべての所に似ず、いとのどかに心にくく住みなしたまへり。 お目当て(六條辺りの女君)の所は、木立や前栽も普通とちがい、ゆったりと奥ゆかしく住んでいる。
うちとけぬ御ありさまなどの、気色ことなるに、ありつる垣根思ほし出でらるべくもあらずかし。 近寄りがたい様子など、まるで違った気色なので、例の垣根を思い出すことすらなかった。
 翌朝、すこし寝過ぐしたまひて、日さし出づるほどに出でたまふ。  翌朝、すこし寝過ごして、日が昇ってからお出かけになった。
朝明(あさけの姿は、げに人のめできこえむも、ことわりなる御さまなりけり。 朝帰りのお姿は、その美しさが評判になるのも、もっともなことだと思われた。
今日もこの蔀(しとみ)の前渡りしたまふ。来し方も過ぎたまひけむわたりなれど、ただはかなき一ふしに御心とまりて、 今日もこのしとみの前を通る。今までも通り過ぎていたのだが、何げないことがきっかけで心にとまり、
「いかなる人の住み処ならむ」とは、往き来に御目とまりたまひけり。 「どんな人が住んでいるのだろう」とは、行き帰りに気になったのである。

4-2、数日後、夕顔の宿の報告
 惟光、日頃ありて参れり。  惟光が、何日も経ってから来た。
「わづらひはべる人、なほ弱げにはべれば、とかく見たまへあつかひてなむ」など、聞こえて、近く参り寄りて聞こゆ。 「病人が、まだ弱っておりますので、なにやかやと看病いたしておりまして」など申し上げて近くによって報告する。
「仰せられしのちなむ、隣のこと知りてはべる者、呼びて問はせはべりしかど、はかばかしくも申しはべらず。 「仰せがあってから、隣のことを知っている者を、呼んで聞きましたが、はっきりしたことは分かりませんでした。
『いと忍びて、五月のころほひよりものしたまふ人なむあるべけれど、その人とは、さらに家の内の人にだに知らせず』となむ申す。 『ごく内密に、五月頃から居られる人がいますが、その人のことは、家の者にも知らせておりません』と申し上げる。
時々、中垣のかいま見しはべるに、げに若き女どもの透影すきかげ見えはべり。 時々、中垣から垣間見ると、確かに若い女たちの影が見えます。
褶(しびら)だつもの、かことばかり引きかけて、かしづく人はべるなめり。 上裳(うわも)をもうしわけ程度に着ていますので、主人となる人はいるのでしょう。
昨日、夕日のなごりなくさし入りてはべりしに、文書くとてゐてはべりし人の、顔こそいとよくはべりしか。 昨日、夕陽がいっぱいに射し込んで、文を書く人がおりましたが、顔は美しかった。
もの思へるけはひして、ある人びとも忍びてうち泣くさまなどなむ、しるく見えはべる」と聞こゆ。 物思う様子が感じられ、その場の人びとも忍び泣く様など、はっきり見えました」と申し上げる。
君うち笑みたまひて、「知らばや」と思ほしたり。 源氏は笑みをたたえ、「知りたいものだ」と仰る。
おぼえこそ重かるべき御身のほどなれど、御よはひのほど、人のなびきめできこえたるさまなど思ふには、 (惟光はこう思った。)源氏の君は、世評の高いご身分であるが、年が若いことや、人から好かれ愛されていることから、
好きたまはざらむも、情けなくさうざうしかるべしかし、 まったく堅物であったら、不風流でつまらないだろうし、
人のうけひかぬほどにてだに、なほ、さりぬべきあたりのことは、このましうおぼゆるものを、と思ひをり。 人から問題にもされない低い身分の者であっても、それなりの女がいれば、好ましいだろう。
「もし、見たまへ得ることもやはべると、はかなきついで作り出でて、消息など遣はしたりき。 「もしかして、何か分かることがあるかも知れないと、ちょっとした用事を作って、手紙を出しました。
書き馴れたる手して、口とく返り事などしはべりき。 書きなれた手で、すぐ返書が来ました。
いと口惜しうはあらぬ若人どもなむはべるめる」
と聞こゆれば、「なほ言ひ寄れ。尋ね寄らでは、さうざうしかりなむ」とのたまふ。
そこそこの若い女房がいるのでしょう」と報告すれば、「もっと近づけ。探らなければ、気が済みそうにない」と仰る。
かの、しもしもと、人の思ひ捨てし住まひなれど、その中にも、思ひのほかに口惜しからぬを見つけたらばと、めづらしく思ほすなりけり。 頭中将(とうのちゅうじょう)が言ったように、下の下で人が顧みない住いであるが、そのなかにも思いもよらずいい女を見つけたならばと、珍しく思うのだった。

4-3、空蝉の夫、伊予国から上京す
 さて、かの空蝉のあさましくつれなきを、この世の人には違ひて思すに、  さて、あの空蝉の驚くほどの冷淡さは、世間の人とは違うと思われたが、
おいらかならましかば、心苦しき過ちにてもやみぬべきを、 もっと素直であったら、可哀そうだが一時の過ちで終わったはずだが、
いとねたく、負けてやみなむを、心にかからぬ折なし。 負けて終わったので、口惜しくて、忘れられない。
かやうの並々までは思ほしかからざりつるを、ありし「雨夜の品定め」の後、 このような並みの女にまで思いをかけるつもりはなかったが、あの「雨夜の品定め」の後、
いぶかしく思ほしなる品々あるに、いとど隈なくなりぬる御心なめりかし。 知りたくなった階層の者たちにも、隈なく目配りするようになった。
うらもなく待ちきこえ顔なる片つ方人(かたびとを、あはれと思さぬにしもあらねど、つれなくて聞きゐたらむことの恥づかしければ、 何の疑いもなく待っているもう一方の軒端の萩を、あわれと思うが、空蝉が素知らぬ顔で詳細を聞いていると思うと恥かしく、
「まづ、こなたの心見果てて」と思すほどに、伊予介上りぬ。 「まずこちらの心を見定めて」と思っていると、伊予介が上京した。
まづ急ぎ参れり。舟路ふなみちのしわざとて、すこし黒みやつれたる旅姿、いとふつつかに心づきなし。 伊予介は、急いで参上した。船旅で少し日焼けしてやつれた旅姿は、無骨で風情がない。
されど、人もいやしからぬ筋に、容貌(かたち)などねびたれど、きよげにて、ただならず、気色よしづきてなどぞありける。 けれど、身分はいやしからず、容貌も老けてはいたけれど、きれいで、人並みすぐれて気色だった趣きがあった。
国の物語など申すに、「湯桁はいくつ」と、問はまほしく思せど、あいなくまばゆくて、御心のうちに思し出づることもさまざまなり。 (伊予介が)任地の話をするので、「湯桁は幾つ」と話を合わせたかったが、故なくまぶしくて、様々なことが心に浮かんだ。
「ものまめやかなる大人を、かく思ふも、げにをこがましく、うしろめたきわざなりや。げに、これぞ、なのめならぬ片はなべかりける」と、馬頭(うまのかみの諌め思し出でて、 「実直な大人を前に、こんな思いをするのは、見っともなく、後ろめたい。まさに、ひどく不様なことではないか」と、馬頭の誡めも思い出されて、
いとほしきに、「つれなき心はねたけれど、人のためは、あはれ」と思しなさる。 伊予介を気の毒に思ったが、「冷たい態度はくやしいが、夫のためには、感心なことだ」と思われた。
「娘をばさるべき人に預けて、北の方をば率て下りぬべし」と、聞きたまふに、ひとかたならず心あわたたしくて、 「娘を適当な人に縁づかせて、北の方を連れて任地へ行きます」と聞いたので、あれこれ思って心あわただしく、
「今一度はえあるまじきことにや」と、小君を語らひたまへど、人の心を合せたらむことにてだに、軽らかにえしも紛れたまふまじきを、 「もう一度逢えないだろうか」と小君に相談するが、たとえ空蝉が同意をしたところで、容易にはお忍びで行けないし、
まして、似げなきことに思ひて、今さらに見苦しかるべし、と思ひ離れたり。 まして(空蝉は)分不相応なことで今更見苦しいだけだ、と諦めていた。
さすがに、絶えて思ほし忘れなむことも、いと言ふかひなく、憂かるべきことに思ひて、 さすがに、源氏にすっかり忘れられるのも、とても嫌だと思うが、
さるべき折々の御答へなど、なつかしく聞こえつつ、なげの筆づかひにつけたる言の葉、あやしくらうたげに、目とまるべきふし加へなどして、 しかるべき折々のご返歌などは気を引くようにし、ちょとした筆使いでつけた言葉も、可愛らしく見えるように一工夫し、あわれを感じている人の気配をいつも感じるので、
あはれと思しぬべき人のけはひなれば、つれなくねたきものの、忘れがたきに思す。 (源氏は)つれなくされて妬ましいが、忘れがたく思うのであった。
いま一方は、主強くなるとも、変らずうちとけぬべく見えしさまなるを頼みて、とかく聞きたまへど、御心も動かずぞありける。 もう一方の女(軒端荻)は、夫が決まっても、かわらず受け入れるだろうから、いろいろ噂を聞くが、心を動かすことはなかった。

4-4、霧深き朝帰りの物語
 秋にもなりぬ。人やりならず、心づくしに思し乱るることどもありて、大殿には、絶え間置きつつ、恨めしくのみ思ひ聞こえたまへり。  秋になった。源氏は自らまねいたことで思い悩むことがあって、左大臣邸に帰るのが間遠になり、葵の上が苛々している様子が伝わって来ていた。
六条わたりにも、 とけがたかりし御気色(みけしき)をおもむけ聞こえたまひて後、ひき返し、なのめならむはいとほしかし。 六条辺りの女君も、うちとけない態度がとけて口説き落としてからは、急に熱が冷めてしまっては、可愛そうだ。
されど、よそなりし御心惑ひのやうに、あながちなる事はなきも、いかなることにかと見えたり。 だが自分になびかず、他人であった頃のように、熱中しないのは、どうしたことだろう。
女は、いとものをあまりなるまで、 思ししめたる心ざまにて、齢のほども似げなく、人の漏り聞かむに、 女は、物事をとことん思いつめるたちで、年齢の違いもお似合いではなく、世間に漏れたらどうしようと、
いとどかくつらき御(おん)夜がれの寝覚め、思ししをるること、いとさまざまなり。 源氏が来ぬ夜は、あれこれ思って寝られずに過ごすのだった。
霧のいと深き朝、いたくそそのかされたまひて、ねぶたげなる気色に、うち嘆きつつ出でたまふを、 霧のとても深い朝、しきりにせかされて、源氏はまだ眠たいのを嘆きつつお帰りになるのを、
中将のおもと、格子一間上げて、見たてまつり送りたまへ、とおぼしく、几帳引きやりたれば、御頭(みぐし)もたげて見出だしたまへり。 中将のおもとが格子を一間上げて、六条の君がお見送りできるようにと、几帳が少しずらされたので、(女君は)頭をあげてご覧になった。
前栽(せんざいの色々乱れたるを、過ぎがてにやすらひたまへるさま、げにたぐひなし。 前栽の色々咲き乱れた庭を、(源氏が)見過ごしがたく立ち止まったお姿は、実に美しい。
廊の方へおはするに、中将の君、御供(おんとも参る。 廓の方へ、中将の君はお供する。
紫苑色(しをんいろの折にあひたる、羅(うすもの)、鮮やかに引き結ひたる腰つき、たをやかになまめきたり。 (中将の君の)時節に合った紫苑色の着物に、薄絹の裳を引き結んだ腰つきは、優雅であった。
見返りたまひて、隅の間の高欄(かうらん)に、しばし、ひき据ゑたまへり。 源氏はふり返って、隅の間の高欄の近くに中将を座らせた。
うちとけたらぬもてなし、髪の下がりば、めざましくも、と見たまふ。 すきのない物腰、肩にかかる下がり端の具合が見事だった。
「咲く花に移るてふ名はつつめども 折らで過ぎ憂き今朝の朝顔 いかがすべき」とて、手をとらへたまへれば、 「咲く花に心が移った、と噂を立てられては困るが、手折らないでは通り過ぎることのできない今朝の朝顔のようなあなたですどうしましょうか」と言って、手をとったが、
いと馴れてとく、「朝霧の晴れ間も待たぬ気色にて 花に心を止めぬとぞ見る」と、おほやけごとにぞ聞こえなす。 馴れた手つきですぐ、「朝霧の晴れ間を待つ間もなくお出かけでは花に心を止める余裕などございませんでしょう」とわざと主人の返歌として返す。
をかしげなる侍童(さぶらいわらわ)の、姿このましう、ことさらめきたる、指貫(さしぬき)の裾、露けげに、花の中に混りて、朝顔折りて参るほどなど、絵に描かまほしげなり。 可愛らしい侍童の姿が好ましく、特別にあつらえた指貫の裾が、露にぬれて、花の中に混じって朝顔を手折っくるなど、絵に描きたいくらいだ。
大方に、うち見たてまつる人だに、心とめたてまつらぬはなし。 特にかかわりのない人でも、源氏を見るどんな人でも、心に止めない人はいないだろう。
物の情け知らぬ山がつも、花の蔭には、なほやすらはまほしきにや、 物の情け知らぬ山賎やまがつでも、花の影に休みたいだろうに、
この御光(おんひかりを見たてまつるあたりは、ほどほどにつけて、我がかなしと思ふ女を、仕うまつらせばやと願ひ、 この光る源氏と言われる御方を見る人々は、その身分に応じて、自分が可愛いと思う女を、邸でお仕えさせたいと願い、
もしは、口惜しからずと思ふ妹など持たる人は、卑しきにても、なほ、この御あたりにさぶらはせむと、思ひ寄らぬはなかりけり。 もしくは、人前に出して恥かしくないと思う妹を持つ人は、下仕えでも、源氏に仕えさせようと、思い寄らない者はいないであろう。
まして、さりぬべきついでの御(おん)言の葉も、なつかしき御気色(みけしき)を見たてまつる人の、すこし物の心思ひ知るは、いかがはおろかに思ひきこえむ。 まして、何げなくついでに言われた言葉にも、源氏の優しい気色を見ている人で、少し物の心を知る者は、その言葉をどうしておろそかにできよう。
明け暮れうちとけてしもおはせぬを、心もとなきことに思ふべかめり。 (源氏が)朝夕にくつろいでいらっしゃる暇がないのを、(人は)残念に思うのである。

 4-5、源氏、夕顔の宿に忍び通う
 まことや、かの惟光が預かりのかいま見は、いとよく案内(あない)見とりて申す。  そうそう、あの惟光が日課の隣家の覗き見は、よく見て知らせてくれる。
「その人とは、さらにえ思ひえはべらず。人にいみじく隠れ忍ぶる気色になむ見えはべるを、つれづれなるままに、南の半蔀(はじとみ)ある長屋にわたり来つつ、車の音すれば、若き者どもの覗きなどすべかめるに、この主とおぼしきも、はひわたる時はべかめる。容貌なむ、ほのかなれど、いとらうたげにはべる。 「その女は、どういう方なのか、まったく分かりません。世間から隠れて生活しているように見えますが、暇なので、南の半蔀(はじとみ)のある長屋に行き来して、牛車の音がすれば、若い女房たちが覗き見しますが、ここの主人と思しき女も渡ってくる時があります。容姿などは、はっきり見えませんが、とても美しいようです。
一日、前駆まえ追ひて渡る車のはべりしを、覗きて、童女わらはべの急ぎて、『右近の君こそ、まづ物見たまへ。中将殿こそ、これより渡りたまひぬれ』と言へば、 ある日、先払いをつけて通る牛車があり、覗いた童女がいそいで『右近様ほら、見てください。中将殿が通りますよ』と言ったので、
また、よろしき大人出で来て、『あなかま』と、手かくものから、『いかでさは知るぞ、いで、見む』とて、はひ渡る。 今度はかなりの女房が出て来て、『うるさいのう』と手で制して、『どうして分かるか。どれ見ましょう』と言って渡る。
打橋だつものを道にてなむ通ひはべる。 打橋のような処を通って来る。
急ぎ来るものは、衣の裾を物に引きかけて、よろぼひ倒れて、橋よりも落ちぬべければ、 いそいでいたので衣の裾を物に引っかけて、よろけて倒れて、橋から落ちると、
『いで、この葛城(かづらきの神こそ、さがしうしおきたれ』と、むつかりて、物覗きの心も冷めぬめりき。 『この葛城の神はなんて危なっかしい橋を作ったものよ』と、機嫌を悪くし、物見の気持ちも失せてしまったようだ。
『君は、御直衣(おんなほし姿にて、御随身(みずいじんどももありし。なにがし、くれがし』と数へしは、頭中将の随身、その小舎人童(こどねりわらわをなむ、しるしに言ひはべりし」など聞こゆれば、 『君は御直衣を着け、御随身たちもお供している。誰だ彼だ』と(童女が)ひとりひとり特定して、頭中将お付の小舎人童の名をあげていました」など報告しているのだが、
「たしかにその車をぞ見まし」とのたまひて、「もし、かのあはれに忘れざりし人にや」と、思ほしよるも、いと知らまほしげなる御気色(みけしき)を見て、 (源氏は)「その車を見たかったなあ」と仰り、「もしや、あの頭中将のあわれな忘れがたい女ではないか」思ったが、
「私の懸想(けそうもいとよくしおきて、案内も残るところなく見たまへおきながら、ただ、我れどちと知らせて、物など言ふ若きおもとのはべるを、そらおぼれしてなむ、隠れまかり歩く。 (源氏が)もっと知りたい気色なのを見て、「わたくしの女がよくやってくれまして、家の中は残らず見ましたが、皆が仲間の女房だ、とよそおっている若い女がいて、女主人と思いましたが、空とぼけて、こっそり行き来しています。
いとよく隠したりと思ひて、小さき子どもなどのはべるが言誤りしつべきも、言ひ紛らはして、また人なきさまを強ひてつくりはべる」など、語りて笑ふ。 うまく隠していると相手に思わせ、小さい子供などが間違って敬語など使うと、言い紛らし、主人はいない風をしています」など、惟光は笑いながら語る。
「尼君のとぶらひにものせむついでに、かいま見せさせよ」とのたまひけり。 「尼君のお見舞に行ったついでに、わたしにも覗かせてくれ」と仰るのだ。
かりにても、宿れる住ひのほどを思ふに、「これこそ、かの人の定め、あなづりし下の品ならめ。 仮の宿とはいえ、住いから見ると「これこそ、あの頭中将が顧みなかった下の品であろう。
その中に、思ひの外にをかしきこともあらば」など、思すなりけり。 その中に意外とすばらしいものがあったら」などと、(源氏は)思っていた。
惟光、いささかのことも御心に違はじと思ふに、おのれも隈なき好き心にて、いみじくたばかりまどひ歩きつつ、しひておはしまさせめてけり。 惟光は、すべて源氏の御心のままにやろうと思っていたので、自分も根っからの好き者なので、あれこれと考えて動き、源氏をご案内しようとしていた。
このほどのこと、くだくだしければ、例のもらしつ。 詳細はくどくなるので例によって省略する。
女、さしてその人と尋ね出でたまはねば、我も名のりをしたまはで、いとわりなくやつれたまひつつ、例ならず下り立ちありきたまふは、おろかに思されぬなるべし、と見れば、我が馬をばたてまつりて、御供に走りありく。 女の素性がよく分からないので、自分も名乗ろうとせず、ひどく粗末な服装をして、いつも以上に熱心に歩かれるので、これはいい加減な気持ちじゃない、と惟光は思い、自分の馬を源氏に差し出し、自分は走ってお供した。
「懸想人のいとものげなき足もとを、見つけられてはべらむ時、からくもあるべきかな」とわぶれど、 「恋する者としては、冴えない徒歩姿を見られたら、辛いなあ」と惟光は愚痴をこぼすが、
人に知らせたまはぬままに、かの夕顔のしるべせし随身ばかり、さては、顔むげに知るまじき童一人ばかりぞ、率ておはしける。 (源氏は)人に知らせずあの夕顔の手引きをした随身と、顔を知られていない童一人のみ連れて出かけた。
「もし思ひよる気色もや」とて、隣に中宿をだにしたまはず。 「もし相手に気付かれることになれば」と思い、隣の乳母の家にも立ち寄らなかった。
女も、いとあやしく心得ぬ心地のみして、御使に人を添へ、暁の道をうかがはせ、御在処見せむと尋ぬれど、そこはかとなくまどはしつつ、 女も、奇妙な感じがして納得がいかず、文遣いの帰りに尾行をつけたり、暁のお帰り時に後をつけさしたり、住いを見つけようとしたが、
さすがに、あはれに見ではえあるまじく、この人の御心にかかりたれば、便なく軽々しきことと、思ほし返しわびつつ、いとしばしばおはします。 源氏はその都度くらましていたが、さすがにあわれを感じ逢わずにはいられず、軽率なこと、と思いながらも、しばしばお出かけになった。
かかる筋は、まめ人の乱るる折もあるを、いとめやすくしづめたまひて、人のとがめきこゆべき振るひはしたまはざりつるを、 このような色恋沙汰は、実直な人も狂ってしまうことがあるが、源氏はうまくおさめて、人から咎められるような振舞はしなかったが、
あやしきまで、今朝のほど、昼間の隔ても、おぼつかなくなど、思ひわづらはれたまへば、かつは、いともの狂ほしく、さまで心とどむべきことのさまにもあらずと、いみじく思ひさましたまふに、 物狂おしく、別れたばかりの朝なのに、昼間のあいだはぼーっとして、思い焦がれているので、一方では、こんなに気ちがいじみて、心に留めるべきでないと、まことに思うのだが、
人のけはひ、いとあさましくやはらかにおほどきて、もの深く重き方はおくれて、ひたぶるに若びたるものから、世をまだ知らぬにもあらず。 女の実に柔和でうちとけた所作は、物事を慎重に考えて処する方は足りないが、ただ若々しくそれでいて男女の仲を知らぬでもない。
いとやむごとなきにはあるまじ、いづくにいとかうしもとまる心ぞ、と返す返す思す。 身分は高くはないだろうが、女のどこに引き付けられたのだろう、と(源氏は)つくづく思うのである。
いとことさらめきて、御装束(おんさうぞくをもやつれたる狩の御衣(おんぞをたてまつり、さまを変へ、顔をもほの見せたまはず、 源氏はことさらに、装束もやつれた狩衣を着て、身なりを変え、顔も見せないようにして、
夜深きほどに、人をしづめて出で入りなどしたまへば、昔ありけむものの変化めきて、うたて思ひ嘆かるれど、人の御けはひ、はた、手さぐりもしるべきわざなりければ、 夜更けに、人が寝静まった頃出入りするので、昔語りの化け物のようで、女はひどく怖がっていたが、男の気配や手さぐりの様子などが際だっていたので、
「誰ればかりにかはあらむ。なほこの好き者のし出でつるわざなめり」と、大夫(たいふくを疑ひながら、 「誰だろうか。いずれにしてもこの好き者が仕掛けたに違いない」と大夫(惟光)を疑っていたが、
せめてつれなく知らず顔にて、 かけて思ひよらぬさまに、たゆまずあざれありけば、いかなることにかと心得がたく、女方もあやしうやう違ひたるもの思をなむしける。 (惟光は)素知らぬ顔で、まったく思いもよらない風で出入りし、いつも女房たちとふざけていたので、女の方でもどうしたものかと納得がいかず、何かあやしく違った物思いになるのだった。

4-6、八月十五夜の逢瀬
 君も、「かくうらなくたゆめて はひ隠れなば、 いづこをはかりとか、我も尋ねむ。  源氏も「このようにすっかり油断させて、ひっそり隠れてしまったら、何を目処に探そうか。
かりそめの隠れ処と、はた見ゆめれば、いづ方にもいづ方にも、移ろひゆかむ日を、いつとも知らじ」と思すに、 ここが仮の隠れ家と見えるが、どこかに行ってしまう日が、いつか分からないだろう」と思い、
追ひまどはして、 なのめに思ひなしつべくは、ただかばかりのすさびにても過ぎぬべきことを、さらにさて過ぐしてむと思されず。 追いかけて見失い、それで諦めがつくのだったら、その程度の遊びに過ぎないが、(源氏は)決してそうは思わなかった。
人目を思して、隔ておきたまふ夜な夜ななどは、いと忍びがたく、苦しきまでおぼえたまへば、「なほ誰れとなくて二条院に迎へてむ。 (源氏は思った)人目を気にして、通わない夜毎に、我慢できず苦しい思いがつのるので、「素性が分からぬまま、二条院に迎えようか。
もし聞こえありて便なかるべきことなりとも、さるべきにこそは。 もし世間に知れて好からぬことになっても、そうなる宿縁なのだ。
我が心ながら、いとかく人にしむことはなきを、いかなる契りにかはありけむ」など思ほしよる。 自分の心ながらこんなに執着することはなかった、どんな前世の因縁があったのか」と思った。
「いざ、いと心安き所にて、のどかに 聞こえむ」など、語らひたまへば、 「さあ、安心できる所で、ゆったりと話しましょう」などと仰れば、
「なほ、あやしう。かくのたまへど、世づかぬ御もてなしなれば、もの恐ろしくこそあれ」と、いと若びて言へば、「げに」と、ほほ笑まれたまひて、 「あら、怪しい。仰せですが、世にあらぬお振舞なれば、何か恐ろしゅうございます」と子供っぽく言えば、
「げに、いづれか狐なるらむな。ただはかられたまへかし」と、なつかしげにのたまへば、女もいみじくなびきて、さもありぬべく思ひたり。 「本当だ」と微笑んで、「実際、どちらが狐だろう。だまされたと思いなさい」と親しげに仰れば、女もすぐにうなずいて、そうだと思うのであった。
「世になく、かたはなることなりとも、ひたぶるに従ふ心は、いとあはれげなる人」と見たまふに、 「しごく不自然なことにも、疑うことなく従ってくる心根は、可愛い人」と思うが、
なほ、かの頭中将の常夏疑はしく、語りし心ざま、まづ思ひ出でられたまへど、「忍ぶるやうこそは」と、あながちにも問ひ出でたまはず。 まだあの頭中将の常夏の女が疑わしく、中将が語った様子が思い出されたが、「隠す理由があるのだ」と思い、あえて問わないのであった。
気色ばみて、ふと背き隠るべき心ざまなどはなければ、 芝居じみて、ふと身を隠してしまうことはないだろうが、
「かれがれにとだえ置かむ折こそは、さやうに思ひ変ることもあらめ、心ながらも、すこし移ろふことあらむこそあはれなるべけれ」とさへ、思しけり。 「夜離れがちに放置されれば、(女が)心変わりすることもあろうが、自分としては、女がそうしてくれた方があわれを感じる」とさえ(源氏は)思った。
 八月十五夜、隈なき月影、隙多かる板屋、残りなく漏り来て、見慣らひたまはぬ住まひのさまも珍しきに、 八月十五日の夜、月影が隈なく照り、隙間の多い板屋に漏れ入り、見なれぬ住いの様子も珍しく、
暁近くなりにけるなるべし、隣の家々、あやしき賤の男の声々、目覚まして、「あはれ、いと寒しや」「今年こそ、なりはひにも頼むところすくなく、田舎の通ひも思ひかけねば、いと心細けれ。北殿こそ、聞きたまふや」など、言ひ交はすも聞こゆ。 暁近くになって、隣の家々のいやしい男たちのが目をさまし、声が聞こえて、「実に、寒いのう」「今年は商いがよくないし、田舎通いの行商も見込みがないから、心細いのう。北のお隣さん、聞いていますか」など、言い交わす声も聞こえる。
いとあはれなるおのがじしの営みに起き出でて、そそめき騒ぐもほどなきを、女いと恥づかしく思ひたり。 気の毒にも自分たちの生業(なりわい)のために起き出して、ざわめき騒ぐ音がすぐ近くにするのも、女はすごく恥かしく思った。
艶(えんだち気色ばまむ人は、消えも入りぬべき住まひのさまなめりかし。 体裁を気にして気どっている人なら、恥かしくて消え入りたいほどの住いであろう。
されど、のどかに、つらきも憂きもかたはらいたきことも、思ひ入れたるさまならで、我がもてなしありさまは、いとあてはかにこめかしくて、またなくらうがはしき隣の用意なさを、いかなる事とも聞き知りたるさまならねば、なかなか、恥ぢかかやかむよりは、罪許されてぞ見えける。 けれど、ゆったりして、辛いことも憂いことも恥かしいことも、気にする風もなく、その人のもてなしは、まことに上品で子供っぽく、まったくがさつな隣家の様子も、何事かと知りたがる風もなく、かえって、恥かしがって赤くなるよりは、罪がないように思えた。
ごほごほと鳴る神よりもおどろおどろしく、踏み轟かす唐臼の音も枕上まくらがみとおぼゆる。 ごろごろと鳴る雷よりも恐ろしげに、唐臼を踏み鳴らす音が枕元で鳴っているようだ。
「あな、耳かしかまし」と、これにぞ思さるる。 「ああ、うるさい」とさすがに思った。
何の響きとも聞き入れたまはず、いとあやしうめざましき音なひとのみ聞きたまふ。くだくだしきことのみ多かり。 (源氏は)何の音かも分からず、実に異様で人を驚かすような音が聞こえている。ごたごたしたことが多いのである。
白妙の衣うつ砧の音も、かすかにこなたかなた聞きわたされ、空飛ぶ雁の声、取り集めて、忍びがたきこと多かり。 白妙の衣を打つ砧の音も、かすかに遠くあちこちから聞こえ、空飛ぶ雁の声も、混じって、堪えがたい趣きがある。
端近き御座所おましどころなりければ、遣戸を引き開けて、もろともに見出だしたまふ。 端近くの御座所なので、遣戸を引いて開け、二人で外を見た。
ほどなき庭に、されたる呉竹、前栽(せんざいの露は、なほかかる所も同じごときらめきたり。 広くはない庭に、さわさわと呉竹がなり、前栽せんざいの露は、ここでも同じくきらめいている。
虫の声々乱りがはしく、壁のなかの蟋蟀(きりぎりすだに間遠に聞き慣らひたまへる御耳に、さし当てたるやうに鳴き乱るるを、なかなかさまかへて思さるるも、御心ざし一つの浅からぬに、よろづの罪許さるるなめりかし。 虫の声もかしましく、壁の中の蟋蟀きりぎりすくさえ邸ではたまに聞くほどだったが、耳元で鳴き乱れる様子は、かえって違った趣きがあると思うのも、女への一途な思いが深いあまり、その他の事は許されるのであった。
白きあわせ、薄色のなよよかなるを重ねて、はなやかならぬ姿、いとらうたげにあえかなる心地して、そこと取り立ててすぐれたることもなけれど、ほそやかにたをたをとして、ものうち言ひたるけはひ、「あな、心苦し」と、ただいとらうたく見ゆ。 (夕顔は)白い袷に、薄紫の小袿(こうちき)を羽織って、その姿にはなやかな処はないが、品があって可愛らしく、とりたててすぐれた処はないのだが、細くたおやかなで、物をいう感じも「すごく、いじらしく」、いとおしく思うのであった。
心ばみたる方をすこし添へたらば、と見たまひながら、なほうちとけて見まほく思さるれば、 もう少し自分を出して気張った処があってもいいと思いながら、もっとうちとけた気持ちで心置きなく見たいと思い、
「いざ、ただこのわたり近き所に、心安くて明かさむ。かくてのみは、いと苦しかりけり」とのたまへば、 「さあ、この近くでゆったりして夜を明かしましょう。この様なところばかりでは、気が休まらない」と仰ると、
「いかでか。にはかならむ」と、いとおいらかに言ひてゐたり。 「あれ、ずいぶん急なことですこと」と女はおっとり言った。
この世のみならぬ契りなどまで頼めたまふに、うちとくる心ばへなど、あやしくやう変はりて、世馴れたる人ともおぼえねば、人の思はむ所もえ憚りたまはで、右近を召し出でて、随身を召させたまひて、御車引き入れさせたまふ。 源氏は来世の契りまで持ち出して頼りがいがあるように言うと、女はうちとけてすぐに態度を変え、男女の仲を知っているとも思えないが、源氏は世間のことはどうでもいい気持になり、右近を呼んで、随身も呼び出し、お車を引入れさせた。
このある人びとも、かかる御心ざしのおろかならぬを見知れば、おぼめかしながら、頼みかけきこえたり。 この家の女房たちも、源氏の気持ちが強いのを知っているので、よくわからぬ処もあるが、頼みにしていたのであった。
 明け方も近うなりにけり。鶏の声などは聞こえで、御嶽精進(みたけそうじにやあらむ、ただ翁びたる声にぬかづくぞ聞こゆる。 明け方も近くなり、鶏の声は聞こえず、御嶽精進(みたけそうじ)であろう、年よりじみた声で、額ずくのが聞こえる。
起ち居のけはひ、堪へがたげに行ふ。いとあはれに、「朝の露に異ならぬ世を、何を貧る身の祈りにか」と、聞きたまふ。 起居たちいをするのが苦しそうだ。大そうあわれに、朝露のようにはかないこの世で、何を祈願しているのか」と思い耳をすます。
南無当来導師なもたうらいだうし」とぞ拝むなる。 「弥勒菩薩に帰依し奉る」と拝んでいる。
「かれ、聞きたまへ。この世とのみは思はざりけり」と、あはれがりたまひて、 「あれ、聞いてご覧。この世のことのみ思っているわけではないんだ」とあわれを感じ、
優婆塞(うばそく)が行ふ道をしるべにて来む世も深き契り違ふな」長生殿の古きためしくはゆゆしくて、翼を交さむとは引きかへて、弥勒の世をかねたまふ。 (源氏の歌)「優婆塞(うばそく)の勤行を道案内にして、来世も、二人の堅い約束を違えぬように」唐の長生殿の古い事例は不吉だが、比翼の鳥の願望に換えて、弥勒菩薩の来世を願う。
行く先の御頼め、いとこちたし。「前の世の契り知らるる身の憂さに 行く末かねて頼みがたさよ」 先行きのお頼みが、何と大げさなことであるよ。(夕顔の歌)「前世の宿縁の程度も知られるこの身ゆえ、来世まで頼むわけには参らないようです」
かやうの筋なども、さるは、心もとなかめり。 このような返歌の仕方も、実に、心もとないのである。

4-7、なにがしの院に移る
 いさよふ月に、ゆくりなくあくがれむことを、女は思ひやすらひ、とかくのたまふほど、にはかに雲隠れて、明け行く空いとをかし。  山の端をたゆたう月に、突然出かけることに女はためらったが、何やかやと説得するうちに、にわかに雲に隠れて、明け方の空は美しい。
はしたなきほどにならぬ先にと、例の急ぎ出でたまひて、軽らかにうち乗せたまへれば、右近ぞ乗りぬる。 人目に付かぬうちにと、いつものように急いで、女を軽やかにのせると、右近も急いで乗った。
そのわたり近きなにがしの院におはしまし着きて、預り召し出づるほど、荒れたる門の忍ぶ草茂りて見上げられたる、たとしへなく木暗し。 その辺りの何とかいう院に着いて、管理人が出てくる間、荒れた門に茂る忍草を見上げると、うす気味悪くほの暗い。
霧も深く、露けきに、簾をさへ上げたまへれば、御袖もいたく濡れにけり。 霧も深く、露もおりて、前方の簾を上げたままにしていたので、源氏の袖もずいぶん濡れてしまった。
「まだかやうなることを慣らはざりつるを、心尽くしなることにもありけるかな。いにしへもかくやは人の惑ひけむ 我がまだ知らぬしののめの道 慣らひたまへりや」とのたまふ。 「このようなことはまだ経験したことがないのだが、ずいぶん気苦労もあるな。(源氏の歌)昔の人もこのようにさ迷ったのだろうか わたしの知らないしののめの恋の道行にご経験がありますか」とお言いになる。
女、恥ぢらひて、「山の端の心も知らで行く月は うはの空にて影や絶えなむ 心細く」とて、もの恐ろしうすごげに思ひたれば、「かのさし集ひたる住まひの慣らひならむ」と、をかしく思す。 女は恥かしそうに、(夕顔の歌)「山の端をどことも知らずに移ろう月は 途中の空で光が消えてしまわないかしら 心細いわ」とて、女が恐ろしく気味悪げに思ったので、「あの建て込んだ所に住んでいたからだろう」と君は思った。
御車入れさせて、西の対に御座おましなどよそふほど、高欄こうらんに御車ひきかけて立ちたまへり。 牛車を入れて、西の対に御座所を用意している間、牛を離し欄干にながえをかけて車を止めた。
右近、艶なる心地して、来し方のことなども、人知れず思ひ出でけり。預りいみじく経営(けいめいしありく気色に、この御ありさま知りはてぬ。 右近は、浮き浮きした気持ちになり、来し方を人知れず思い出した。管理人が懸命に世話するので、君のご身分がすっかり分かった。
ほのぼのと物見ゆるほどに、りたまひぬめり。かりそめなれど、清げにしつらひたり。 ようやく物影が見える頃に、車からおりた。にわか作りだったが、御座所は美しくできていた。
御供(おんともに人もさぶらはざりけり。不便なるわざかな」とて、むつましき下家司(しもげいしにて、殿にも仕うまつる者なりければ、参りよりて、「さるべき人召すべきにや」など、申さすれど、 「お供の人もほとんどいない。ご不便でしょう」と言って、親しく仕えている下家司(しもげいしで、北の御殿にも仕えている者がきて、「どなたか呼びましょうか」と申し出るが、
「ことさらに人来まじき隠れ家求めたるなり。さらに心よりほかに漏らすな」と口がためさせたまふ。 「あえて人の来ない家を求めたのだ。あなたの胸におさめて他言するなよ」と口封じした。
御粥など急ぎ参らせたれど、取り次ぐ御まかなひうち合はず。 御粥などを急ぎ用意したが、取次の給仕する手がたりない。まだ経験のない旅寝では、「
まだ知らぬことなる御旅寝に、「息長川(おきながかわ」と契りたまふことよりほかのことなし。 まだ経験のない旅寝では、「息長川(おきながかわ)」と尽きない契りを誓うばかりだった。
日たくるほどに起きたまひて、格子手づから上げたまふ。 陽が高くなって起きて、源氏は格子をご自分で上げた。
いといたく荒れて、人目もなくはるばると見渡されて、木立いとうとましくものふりたり。 すごく荒れた景色で、人影もなく広く見渡せて、木立は気味がわるく古びた感じがした。
け近き草木などは、ことに見所なく、みな秋の野らにて、池も水草に埋もれたれば、いとけうとげになりにける所かな。 近くの草木は見るべき処もなく、どれも秋の野といった風情で、池も水草が埋まり、恐ろしげな所であった。
別納(べちなふの方にぞ、曹司などして、人住むべかめれど、こなたは離れたり。 別の棟の建屋に部屋があって、人が住んでいるのだが、こちらの棟は離れていた。
「けうとくもなりにける所かな。さりとも、鬼なども我をば見許してむ」とのたまふ。 「気味の悪い所だな。そうだとしても、鬼はわたしを見逃してくれるだろ」と仰るのであった。
顔はなほ隠したまへれど、女のいとつらしと思へれば、「げに、かばかりにて隔てあらむも、ことのさまに違ひたり」と思して、 (源氏は)まだ覆面で顔を隠しているが、女がつらいだろうと思うと、「まったくこんな仲になって隔てがあるのも、よくない」と思って、
「夕露に紐とく花は玉鉾の たよりに見えし縁にこそありけれ 露の光やいかに」とのたまへば、後目(しりめに見おこせて、「光ありと見し夕顔のうは露は たそかれ時のそら目なりけり」とほのかに言ふ。 (源氏の歌)「夕露を置いて美しく咲く花の顔をお見せするのは、通りすがりの道端で会った縁があったからでしょう どうですか近々とみたわたしの顔は」と仰せになると、女は流し目で、(夕顔の歌)「美しいと見た夕顔におく露は夕暮れ時の見まちがいでした」と戯れて言う。
をかしと思しなす。げに、うちとけたまへるさま、世になく、所から、 まいてゆゆしきまで見えたまふ。 こんな歌も可愛いと思う。実に、源氏のくつろいだ様子は、この世のものとも思われず、場所がら、まことに怖いほどだった。
「尽きせず隔てたまへるつらさに、あらはさじと思ひつるものを。今だに名のりしたまへ。いとむくつけし」とのたまへど、「海人の子なれば」とて、さすがにうちとけぬさま、いとあいだれたり。 「いつまでも名を教えてくださらないの恨めしく、顔は見せまいと思っていたのだが。この際、名乗ったらどうか。気味が悪いよ」と仰せになるが、「卑賎の身だから」と突っぱねるが、いかにも甘える風情もあった。
「よし、これも我からなめり」と、怨みかつは語らひ、暮らしたまふ。 「しょうがない、わたしのせいだ」と、怨みかつ語らって、過ごした。
惟光、尋ねきこえて、御くだものなど参らす。右近が言はむこと、さすがにいとほしければ、近くもえさぶらひ寄らず。 惟光が探し当てて、くだものなど持参する。右近にお叱りを受けそうで、かえって気の毒で、近くに寄れない。
「かくまでたどり歩きたまふ、をかしう、 さもありぬべきありさまにこそは」と推し量るにも、「我がいとよく思ひ寄りぬべかりしことを、譲りきこえて、心ひろさよ」など、めざましう思ひをる。 源氏が女のことで「これほどまでに歩き回るのも、興味深く、それほどの女なのだろう」と推し量るにも、「わたしが口説けたのだが、譲ってあげたのだ、心がひろいなあ」などと、勝手に思っている。
たとしへなく静かなる夕べの空を眺めたまひて、奥の方は暗うものむつかしと、女は思ひたれば、端のすだれを上げて、添ひ臥したまへり。 たとえようもなく静かな夕暮れの空を眺めて、奥の方は暗く気味が悪いと女は思っているので、(源氏は) 端の簾を上げて横に臥した。
夕映えを見交はして、女も、かかるありさまを、思ひのほかにあやしき心地はしながら、よろづの嘆き忘れて、すこしうちとけゆく気色、いとらうたし。 夕映えに輝く顔を見交わして、女もこのような事態を、思いのほかあやしい気持ちになり、種々の不幸を忘れて、すこしうちとけそうな気色なのが、可愛らしい。
つと御かたはらに添ひ暮らして、物をいと恐ろしと思ひたるさま、若う心苦し。 (女が) じっと添い寝していて、物を怖がるさまは、幼くいじらしい。
格子とく下ろしたまひて、大殿油参らせて、「名残りなくなりにたる御ありさまにて、なほ心のうちの隔て残したまへるなむつらき」と、恨みたまふ。 格子を早目に下ろし、灯火を持ってこさせて、「すっかり仲良くなったのに、まだ心のうちの隔てが残っているのはつらい」と(源氏は)恨めしく思う。
「内裏に、いかに求めさせたまふらむを、いづこに尋ぬらむ」と、思しやりて、かつは、「あやしの心や。六条わたりにも、いかに思ひ乱れたまふらむ。恨みられむに、苦しう、ことわりなり」と、いとほしき筋は、まづ思ひきこえたまふ。
「宮中ではどんなに探しているだろう、何処を探させているだろう」とお思いになり、かつ「おかしなものだ。六条辺りも、どんなに心配し気をもんでいるだろう。恨まれても仕方がない」と、不憫におもう筋をまず思いやるのであった。
何心もなきさしむかひを、あはれと思すままに、「あまり心深く、見る人も苦しき御ありさまを、すこし取り捨てばや」と、思ひ比べられたまひける。 何心なくさしむかっている女を、あわれと思うが、(六条の女君が)「深く考えて、人を息苦しくさせる処は、すこし捨ててほしいものだ」と、比べてしまうのであった。

4-8、夜半、もののけ現われる
 宵過ぐるほど、すこし寝入りたまへるに、御枕上(おんまくらがみに、いとをかしげなる女ゐて、「己がいとめでたしと見たてまつるをば、尋ね思ほさで、かく、ことなることなき人を率ておはして、時めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」とて、この御かたはらの人をかき起こさむとす、と見たまふ。  宵が過ぎる頃、すこし寝入ってから、(源氏の)枕元に実に美しい女がいて、「この私が、たいそうご立派なお方とお慕い申しているのに、尋ねようともせず、こんな取り柄のない女を連れて、大切にしてるのは、実につらい」と言って、かたわらに臥す女を起こそうとしている。
物に襲はるる心地して、おどろきたまへれば、火も消えにけり。 何かに襲われる気がして、驚いたが、火も消えていた。
うたて思さるれば、太刀を引き抜きて、うち置きたまひて、右近を起こしたまふ。 異様な感じがしたので、太刀を引き抜いて、わきに置き、右近を起こした。
これも恐ろしと思ひたるさまにて、参り寄れり。 右近も恐ろしげに思っていて寄って来た。
渡殿わたどのなる宿直人とのいびと起こして、『紙燭さして参れ』と言へ」とのたまへば、「いかでかまからむ。暗うて」と言へば、「あな、若々し」と、うち笑ひたまひて、手をたたきたまへば、山彦の答ふる声、いとうとまし。 「渡殿わたどのの宿直とのいびとを起こして、『灯りをもって来い』と言いなさい」と言うと、「どうやって行けましょう。暗くて」と(右近が)言うので、「なんと、子供じみて」と笑って、手を叩いたが、返ってくる山彦がこだまして、実に気味が悪い。
人え聞きつけで参らぬに、この女君、いみじくわななきまどひて、いかさまにせむと思へり。 聞きつけて来る者もなく、夕顔はひどくわななき怯えて、どうしていいかわからない態(ていであった。
汗もしとどになりて、我かの気色なり。 汗びっしょりで、正体を失っていた。
「物怖ぢをなむわりなくせさせたまふ本性にて、いかに思さるるにか」と、右近も聞こゆ。 「(夕顔は)根っからの怖がり性ですから、どんな気持ちでおられるか」と、右近も言う。
「いとか弱くて、昼も空をのみ見つるものを、いとほし」と思して、「我、人を起こさむ。手たたけば、山彦の答ふる、いとうるさし。 「か弱くて、昼も空ばかり見ていて、かわいそうだ」と思って、「か弱くて、昼も空ばかり見ていて、かわいそうだ」と思って、「わたしは人を起こしてくる。手を叩いても山彦が返ってくるだけでうるさい。
ここに、しばし、近く」とて、右近を引き寄せたまひて、西の妻戸に出でて、戸を押し開けたまへれば、渡殿の火も消えにけり。 ここにしばしいてくれ」と(源氏は)言って、右近を引き寄せ、西の妻戸を押し開けたが、渡殿の火も消えていた。
風すこしうち吹きたるに、人は少なくて、さぶらふ限りみな寝たり。この院の預りの子、むつましく使ひたまふ若き男、また 風がわずかに吹いていて、人は少なく、控えの者はみな寝ていた。
この院の預りの子、むつましく使ひたまふ若き男、また上童うえわらわ一人、例の随身ばかりぞありける。 この院の管理人の子で、親しく使っている若い男と、殿上童一人と、それに例の随身だけであった。
召せば、御答へして起きたれば、「紙燭(しそくさして参れ。『随身も、弦打つるうちして、絶えず声づくれ』と仰せよ。人離れたる所に、心とけて寝ぬるものか。惟光朝臣の来たりつらむは」と、問はせたまへば、 呼べば、返事をして起きたので、「紙燭をつけて持って来い。『随身も弦打つるうちちして、たえず声を出せ』と仰せになった。こんな人気のない所で、気を許して寝るやつがあるか。惟光が来ていたようだが」と問うたのだが、
「さぶらひつれど、仰せ言もなし。暁に御迎へに参るべきよし申してなむ、まかではべりぬる」と聞こゆ。 「おいでになりましたが、言伝はありませんでした。暁にお迎えに来ると仰って、お帰りになりました」と言う。
この、かう申す者は、滝口なりければ、弓弦いとつきづきしくうち鳴らして、「火あやふし」と言ふ言ふ、預りが曹司の方に去ぬなり。 この者は、滝口の武士であったので、弓の弦を慣れた手つきでうちならし、「火の用心」と言いながら、管理人の部屋の方へ行った。
内裏を思しやりて、「名対面(なだいめんは過ぎぬらむ、滝口の宿直奏(とのいもうし)、今こそ」と、推し量りたまふは、まだ、いたう更けぬにこそは。 内裏を思って、名対面は過ぎて、宿直奏しをやっている頃か」と推し量っていたのは、夜はまだ更けていなかった。
帰り入りて、探りたまへば、女君はさながら臥して、右近はかたはらにうつぶし臥したり。 部屋に帰って、入って探ってみると、女はもとのままに臥していて、右近はそばにうつ伏している。
「こはなぞ。あな、もの狂ほしの物怖ぢや。荒れたる所は、狐などやうのものの、人を脅やかさむとて、け恐ろしう思はするならむ。まろあれば、さやうのものには脅されじ」とて、引き起こしたまふ。 「これはどうしたことだ。ああ、なんとばかばかしい怖がりようか。荒れた所は、狐などが人を脅かそうとして、すごく恐い思いにさせるのだ。わたしがいれば、そんなものには脅されぬ」と、(右近を)引き起こした。
「いとうたて、乱り心地の悪しうはべれば、うつぶし臥してはべるや。御前(おまえ)にこそわりなく思さるらめ」と言へば、「そよ。などかうは」とて、かい探りたまふに、息もせず。 右近は「ひどく気分が悪いので、うつ伏していました。それよりお方様こそ、ひどく恐がっていませんか」と(右近が)言えば、「そうだ、どうしてこう怖がるのか」と言って、探ってみると、息をしていない。
引き動かしたまへど、なよなよとして、我にもあらぬさまなれば、「いといたく若びたる人にて、物にけどられぬるなめり」と、せむかたなき心地したまふ。 ゆすったが、なよなよとして、正体もない有様で、「たいそう子供っぽいので、物の怪に魂を奪われたのだろう」と、なすすべもない。
紙燭持て参れり。右近も動くべきさまにもあらねば、近き御几帳(みきちょうを引き寄せて、「なほ持て参れ」とのたまふ。 (管理人の子の若い男が)紙燭を持ってきた。右近も取り次ぎ継ぎできそうにないので、近くの御几帳を引き寄せて、「もっと寄れ」と(源氏は)仰せになる。
例ならぬことにて、御前近くもえ参らぬ、つつましさに、長押なげしにもえ上らず。 異例のことなので、御前の近くにも来ない慎ましさで、長押にも上がらない。
「なほ持て来や、所に従ひてこそ」とて、召し寄せて見たまへば、ただこの枕上まくらがみに、夢に見えつる容貌したる女、面影に見えて、ふと消え失せぬ。 「もっと来い、作法も場合によりけりだろう」といって、紙燭を近くに寄せて見るに、その枕元に夢に出た顔の女が、その面影が見えて、ふと消えた。
「昔の物語などにこそ、かかることは聞け」と、いとめづらかにむくつけけれど、まづ、「この人いかになりぬるぞ」と思ほす心騒ぎに、身の上も知られたまはず、添ひ臥して、「やや」と、おどろかしたまへど、ただ冷えに冷え入りて、息は疾く絶え果てにけり。 「昔の物語に、このようなことがあったと聞いている」と、そうとう気味が悪かったが、まず、「この女はどうなった」と思って胸騒ぎして、自分の身もかえりみず、添い臥して、「これこれ」と起こそうとしたが、冷たくなって、息絶えていた。
言はむかたなし。頼もしく、いかにと言ひ触れたまふべき人もなし。法師などをこそは、かかる方の頼もしきものには思すべけれど。 何とも言いようがない。頼もしく相談できる人もいない。法師などはこのような時に頼みになると思われたが。
さこそ強がりたまへど、若き御心にて、いふかひなくなりぬるを見たまふに、やるかたなくて、つと抱きて、「あが君、生き出でたまへ。いといみじき目な見せたまひそ」とのたまへど、冷え入りにたれば、けはひものうとくなりゆく。 あんなに強がっていたけれど、さすがに年若くて、(夕顔が)空しく死んでしまったのを見ると、なすべき方もなく、抱きしめて、「ああ、あなた、生き返ってくれ。わたしを惨めにさせないでくれ」と仰せになるが、冷たくなって、生気が失わてゆく。
右近は、ただ「あな、むつかし」と思ひける心地みな冷めて、泣き惑ふさまいといみじ。 右近は、ただ「ああ、恐い」との思いは消し飛んで、主人の死に泣きじゃくっている。
南殿の鬼の、なにがしの大臣脅やかしけるたとひを思し出でて、心強く、「さりとも、いたづらになり果てたまはじ。夜の声はおどろおどろし。あなかま」と諌めたまひて、いとあわたたしきに、あきれたる心地したまふ。 南殿の鬼が誰だったか大臣を脅したことを思いだして、気をもち直して、「そうはいっても、このまま亡くなってしまうことはあるまい。夜の声はひびく。静かに」と注意するが、あわただしい成り行きに、茫然自失の態である。
この男を召して、「ここに、いとあやしう、物に襲はれたる人のなやましげなるを、ただ今、惟光朝臣の宿る所にまかりて、急ぎ参るべきよし言へ、と仰せよ。なにがし阿闍梨あざり、そこにものするほどならば、ここに来べきよし、忍びて言へ。かの尼君などの聞かむに、おどろおどろしく言ふな。かかる歩き許さぬ人なり」など、物のたまふやうなれど、胸塞がりて、この人を空しくしなしてむことのいみじく思さるるに添へて、大方のむくむくしさ、たとへむ方なし。 管理人の若い男を呼んで、「ここに実に怪しい物の怪に襲われた人が苦しんでいるので、今すぐ惟光朝臣の泊まっているところに行って、急ぎ来るように言え、と随身に伝えよ。もしだれか阿闍梨がそこにいれば、ここに来るように、こっそり言いなさい。尼君に聞こえるから、大声では言うな。気楽な遊び歩きなど許さない人だから」など、気丈夫に言ったが、胸は塞がり、この女を死なせてしまったら大変だの思いがあり、それに辺りはたとえようもなく薄気味わるかった。
夜中も過ぎにけむかし、風のやや荒々しう吹きたるは。まして、松の響き、木深こぶかくく聞こえて、気色ある鳥のから声に鳴きたるも、「梟」はこれにやとおぼゆ。 夜中が過ぎた頃だろうか、風が少し荒く吹いてきた。さらに松風の音が奥の方から聞こえ、異様な鳥がしわがれ声で鳴くのは、「梟」だろうと思われる。
うち思ひめぐらすに、こなたかなた、けどほく疎ましきに、人声はせず、「などて、かくはかなき宿りは取りつるぞ」と、悔しさもやらむ方なし。 あたり一面が遠く疎ましい感じがして、人声はせず、「どうしてこんな怪しげな所に宿をとったのだろう」と、くやしくてたまらなかった。
右近は、物もおぼえず、君につと添ひたてまつりて、わななき死ぬべし。 右近は、正体をなくし、源氏に寄り添い、死ぬばかりに震えている。
「また、これもいかならむ」と、心そらにて捉へたまへり。我一人さかしき人にて、思しやる方ぞなきや。 「この女もどうにかなってしまう」と源氏は上の空で掴まえていた。しっかりしているのはわたしだけか、と途方に暮れている。
火はほのかにまたたきて、母屋もやの際に立てたる屏風のかみ、ここかしこの隈々(くまぐましくおぼえたまふに、物の足音、ひしひしと踏み鳴らしつつ、後ろより寄り来る心地す。「惟光、とく参らなむ」と思す。 灯火はほのかに明滅し、母屋の際にたてた屏風の上の方や、あちこちの暗がりの隈々から、物の足音が、ひしひしと踏み鳴らして、後ろから寄ってくる心地がする。「惟光、早く来い」と思う。
ありか定めぬ者にて、ここかしこ尋ねけるほどに、夜の明くるほどの久しさは、千夜を過ぐさむ心地したまふ。 居場所の定まらぬ者のこと、あちらこちら探している間、夜が明けるまでの長さは、千夜を過ぎる心地がした。
からうして、鶏の声はるかに聞こゆるに、「命をかけて、何の契りに、かかる目を見るらむ。 やっとのことで、鶏の声が遠くに聞こえると、「命がけで、何の因果があって、こんな目にあうのか。
我が心ながら、かかる筋に、おほけなくあるまじき心の報いに、かく、来し方行く先の例となりぬべきことはあるなめり。忍ぶとも、世にあること隠れなくて、内裏に聞こし召さむをはじめて、人の思ひ言はむこと、よからぬ童(わらわべ)の口ずさびになるべきなめり。ありありて、 をこがましき名をとるべきかな」と、思しめぐらす。 自分のことながら、女性関係で身の程知らずやり過ぎたことの報いがあって、過去にも未来にも伝わる例となってしまうだろう。隠しても、世間のことは隠しきれず、内裏に聞こえてしまい、それからさがない人々の口の端にのるだろうり。つまるところ、汚名だけが残ることになる」と、思うのだった。

4-9、源氏、二条院に帰る
 からうして、惟光朝臣参れり。  ようやく、惟光朝臣が来た。
夜中、暁といはず、御心に従へる者の、今宵しもさぶらはで、召しにさへおこたりつるを、憎しと思すものから、召し入れて、のたまひ出でむことのあへなきに、ふとも物言はれたまはず。 夜中でも明け方でも、伺候するはずが、今夜にかぎって控えておらず、呼び出しても出ないのは、けしからぬとお思いになるが、召しだして、説明しようとするともう言ってもどうにもならない気がして、何も言わない。
右近、大夫のけはひ聞くに、初めよりのこと、うち思ひ出でられて泣くを、君もえ堪へたまはで、我一人さかしがり抱き持たまへりけるに、この人に息をのべたまひてぞ、悲しきことも思されける、とばかり、いといたく、えもとどめず泣きたまふ。 右近は、惟光が来たとの様子を感じて、初めからのことを思いだして泣き出し、源氏もこらえきれず自分一人気丈夫に女を抱きかかえていたが、拍子抜けして、あらためて悲しみがよみがえってきて、はげしくとめどもなく泣くのであった。
ややためらひて、「ここに、いとあやしきことのあるを、あさましと言ふにもあまりてなむある。かかるとみの事には、誦経ずきょうなどをこそはすなれとて、その事どもせさせむ。願なども立てさせむとて、阿闍梨ものせよ、と言ひつるは」とのたまふに、 やや気持ちが静まってから、「ここで実に怪しいことがあった、驚いたと言っても始まらない。このような急なことには、読経をすべきと言われているので、それをさせよう。願も立てようと思って、阿闍梨を連れてこいと言ったのに」と(源氏が)言われると、
「昨日、山へまかり上りにけり。まづ、いとめづらかなることにもはべるかな。かねて、例ならず御心地ものせさせたまふことやはべりつらむ」、 「昨日山へ帰りました。なんと、不思議なことが起こったもんですねえ。日頃から、どこか御気分が悪いなどということがありましたか」、
「さることもなかりつ」とて、泣きたまふさま、いとをかしげにらうたく、見たてまつる人もいと悲しくて、おのれもよよと泣きぬ。  「そんなことはなかった」と(源氏が)言って泣く様は、実に美しくかわいらしい、それを見る惟光もだった悲しくなり、もらい泣きするのだった。
 さいへど、 年うちねび、 世の中のとあることと、 しほじみぬる人こそ、もののをりふしは頼もしかりけれ、いづれもいづれも若きどちにて、言はむ方もなけれど、 さて、年をとって世の中の様々なことを経験している人は、いざという時に頼りになるが、どちらも若い者同士、良い知恵も浮かばなかったが、
「この院守などに聞かせむことは、いと便なかるべし。この人一人こそ睦しくもあらめ、おのづから物言ひ漏らしつべき眷属も立ちまじりたらむ。まづ、この院を出でおはしましね」と言ふ。 「ここの管理人に言うのは、よくない。あれひとりだけは気心が知れていても、つい喋ってしまう身内の者もいるだろう。まずこの院を出ることにしましょう」と(惟光が)言う。
「さて、これより人少ななる所はいかでかあらむ」とのたまふ。 「さて、ここより人のすくない所があるだろうか」と(源氏が)仰る。
「げに、さぞはべらむ。かの故里ふるさとは、女房などの、悲しびに堪へず、泣き惑ひはべらむに、隣しげく、とがむる里人多くはべらむに、おのづから聞こえはべらむを、山寺こそ、なほかやうのこと、おのづから行きまじり、物紛るることはべらめ」と、思ひまはして、「昔、見たまへし女房の、尼にてはべる東山の辺に、移したてまつらむ。 「それがあるんです。あの五条の夕顔の宿は、女房たちが悲しみに堪えず泣きまどうでしょうし、隣人も多く、聞き耳をたてる里人も多いでしょうから、おのずから噂も広まるでしょう、山寺こそこのようなことが目立たずに、自然になされることでしょう」と思いまわして、「昔、知っていた女房が、尼になって東山の辺りに転居しています。
惟光が父の朝臣の乳母にはべりし者の、みづはぐみて住みはべるなり。辺りは、人しげきやうにはべれど、いとかごかにはべり」と聞こえて、明けはなるるほどの紛れに、御車寄す。 惟光の父の朝臣の乳母であった者ですが、すっかり年老いて住んでいます。辺りは人が多いようですが、大変静かなところです」と(惟光は)言って、夜明けのざわめきに紛れて、車をつけた。
この人をえ抱きたまふまじければ、上蓆(うわむしろ)におしくくみて、惟光乗せたてまつる。いとささやかにて、疎ましげもなく、らうたげなり。 女を抱きかかえることができず、上蓆に包んで、惟光が乗せた。小柄で、忌避すべき感じもなく、いとおしい。
したたかにしもえせねば、髪こぼれ出でたるも、目くれ惑ひて、あさましう悲し、と思せば、なり果てむさまを見むと思せど、「はや、御馬にて、二条院へおはしまさむ。人騒がしくなりはべらぬほどに」とて、右近を添へて乗すれば、徒歩より、君に馬はたてまつりて、くくり引き上げなどして、かつは、いとあやしく、おぼえぬ送りなれど、御気色のいみじきを見たてまつれば、身を捨てて行くに、君は物もおぼえたまはず、我かのさまにて、おはし着きたり。 しっかりくるんでいないので、髪がこぼれ出て、源氏は目がくらみ、とても悲しいと思って、最後まで見届けたいと思ったが、「早く、馬に乗って二条院へお帰りください。人が騒がしくならないうちに」と(惟光は)言って、右近を車に乗せ、馬は源氏にさし上げ、自分は徒歩で、指貫の括りをたくし上げ、まあ奇妙な突然の葬列ではあるが、(源氏の)ひどい落ち込み様を見ると、自分の身は顧みず、源氏は何もわからず、茫然自失の状態でお着きになられた。
人びと、「いづこより、おはしますにか。なやましげに見えさせたまふ」など言へど、御帳(みちょうの内に入りたまひて、胸をおさへて思ふに、いといみじければ、 二条院の女房たちは「どちらから来られたのですか。悩ましげに見えます」と言ったが、(源氏は)御帳の中に入って、胸を押さえて実に悲しいので、
「などて、乗り添ひて行かざりつらむ。生き返りたらむ時、いかなる心地せむ。見捨てて行きあかれにけりと、つらくや思はむ」と、心惑ひのなかにも、思ほすに、御胸(おんむねせきあぐる心地したまふ。 「どうして、一緒に乗って行かなかったのだろう。(夕顔が)生き返ったとき、どう思うだろう。見捨てられてしまったと、辛い気持ちになるだろう」と、心惑いながらも思い、胸がいっぱいで詰まっくる。
御頭(みぐしも痛く、身も熱き心地して、いと苦しく、惑はれたまへば、「かくはかなくて、我もいたづらになりぬるなめり」と思す。 頭も痛く、熱がでたようで、実に苦しく惑い、「こんなふうに病みついて、わたしも死んでしまうのだろうか」と思った。
日高くなれど、起き上がりたまはねば、人びとあやしがりて、御粥(おんかゆなどそそのかしきこゆれど、苦しくて、いと心細く思さるるに、内裏より御使おんつかいあり。 日が高くなっても起きてこないので、人びとが不審がって、お粥などをお勧めするが、苦しくて心細く思っているさなか、帝よりお使いが来た。
昨日、え尋ね出でたてまつらざりしより、おぼつかながらせたまふ。 昨日は、源氏を探し出せなかったので、御心配されていらっしゃる。
大殿の君達参りたまへど、頭中将ばかりを、「立ちながら、こなたに入りたまへ」とのたまひて、御簾みすの内ながらのたまふ。 左大臣邸の子息たちも来たが、頭中将だけを「一寸の間、中に入りなさい」と仰って、御簾の内からお話になるのであった。
「乳母にてはべる者の、この五月のころほひより、重くわづらひはべりしが、頭剃り忌むこと受けなどして、そのしるしにや、よみがへりたりしを、このごろ、またおこりて、弱くなむなりにたる、『今一度、とぶらひ見よ』と申したりしかば、いときなきよりなづさひし者の、今はのきざみに、つらしとや思はむ、と思うたまへてまかれりしに、 「乳母だった者が、この五月頃から重い病にかかり、そのため剃髪受戒したのだが、そのかいあって、一時は回復に向かったのだが、この頃また悪くなって、弱ってきたので、『もう一度お見舞いに来てほしい』と、頼まれていたのだが、幼いころからかわいがってくれた人なので、今わの際に心残りがあっては辛いだろう、と思ってお見舞いに行ったのだが、
その家なりける下人の、病しけるが、にはかに出であへで亡くなりにけるを、怖ぢ憚りて、日を暮らしてなむ取り出ではべりけるを、聞きつけはべりしかば、 その家の下人が病気だったのが、急いで外へ出す間もなく亡くなったのを、畏れ憚って日暮れを待って外に出したことを聞いたので、
神事なるころ、いと不便なること、と思うたまへかしこまりて、え参らぬなり。この暁より、しはぶき病みにやはべらむ、頭いと痛くて苦しくはべれば、いと無礼にて聞こゆること」などのたまふ。 神事の多い時期でもあり、たいそう不都合なことと思い、畏まりまして参内しませんでした。また今朝は、風邪だろうと思うが、頭が痛く胸が苦しいので、このようなご無礼をお許しください」などとお言いになる。
中将、「さらば、さるよしをこそ奏しはべらめ。昨夜も、御遊びに、かしこく求めたてまつらせたまひて、御気色悪しくはべりき」と聞こえたまひて、 中将は、「それでは、その旨をご報告しましょう。昨夜も、管弦の遊びの折、(帝は)熱心に探されて、ご機嫌が悪うございました」と言ってから、
立ち返り、「いかなる行き触れにかからせたまふぞや。述べやらせたまふことこそ、まことと思うたまへられね」と言ふに、胸つぶれたまひて、「かく、こまかにはあらで、ただ、おぼえぬ穢らひに触れたるよしを、奏したまへ。いとこそたいだいしくはべれ」と、 帰りがけに、「どんな行きずれの穢れですか。仰せになったことは、本当とは思えませんな」と言われて、どきりとして、「こんなに細かく言わないで、ただ、思わぬ穢れにあった旨、報告していただきたい。まことに面目ありません」と、
つれなくのたまへど、心のうちには、言ふかひなく悲しきことを思すに、御心地も悩ましければ、人に目も見合せたまはず。 さりげなく仰るが、心の内には言うに言われぬ悲しみがあり、気分もわるいので、人の顔をまともに見ない。
蔵人弁(くらうどのべんを召し寄せて、まめやかにかかるよしを奏せさせたまふ。大殿などにも、かかることありて、え参らぬ御消息など聞こえたまふ。 供できた蔵人弁を呼び寄せて、まめにその由を説明し奏させようとする。。左大臣邸にも、このようなことがあって行けない旨を連絡するのであった。

4-10、十七日夜、夕顔の葬送
 日暮れて、惟光参れり。かかるけがら)ひありとのたまひて、参る人びとも、皆立ちながらまかづれば、人しげからず。 日暮れて、惟光が来た。このような穢れがあると知らせるので、来る人々も皆すぐ退出するので、人気はない。
召し寄せて、「いかにぞ。今はと見果てつや」とのたまふままに、袖を御顔に押しあてて泣きたまふ。 近くに呼んで、「どうだった。もうだめか」と仰りながら、(源氏は)袖を顔に当てて泣き出した。
惟光も泣く泣く、「今は限りにこそはものしたまふめれ。長々と籠もりはべらむも便なきを、明日なむ、日よろしくはべれば、とかくの事、いと尊き老僧の、あひ知りてはべるに、言ひ語らひつけはべりぬる」と聞こゆ。 惟光も泣きながら、「もう最後だろうと思われます。長く籠っているのも都合が悪いし、明日が、日がいいので、この事を、尊い老僧を知っているのでお頼みしました」と、惟光が申し上げる。
「添ひたりつる女はいかに」とのたまへば、「それなむ、また、え生くまじくはべるめる。我も後れじと惑ひはべりて、今朝は谷に落ち入りぬとなむ見たまへつる。『かの故里人に告げやらむ』と申せど、『しばし、思ひしづめよ、と。ことのさま思ひめぐらして』となむ、こしらへおきはべりつる」と、語りきこゆるままに、いといみじと思して、「我も、いと心地悩ましく、いかなるべきにかとなむおぼゆる」とのたまふ。 「付き添っていた女房はどうした」と源氏が仰ると、「それがまた、生きていたくない様子です。自分も後を追わんばかりに乱れて、今朝は谷に飛び込みそうになりました。『あの元の家の人たちに知らせたい』と言いますが『落ち着いてください。この事態をよく考えてから』と言って、なだめておきました」と、事態を報告するにつれて、ひどく悲しくてたまらず、「わたしも気持ちがすごく落ち込んで、どうにかなってしまいそうだ」と(源氏が)仰る。
「何か、さらに思ほしものせさせたまふ。さるべきにこそ、よろづのことはべらめ。人にも漏らさじと思うたまふれば、惟光おり立ちて、よろづはものしはべる」など申す。 「何をいまさら、くよくよなさいますか。何事も前世の因縁でしょう。人に気づかれないようにするため、惟光が自分で何でもします」などと(惟光が)言う。
「さかし。さ皆思ひなせど、浮かびたる心のすさびに、人をいたづらになしつるかごと負ひぬべきが、いとからきなり。少将の命婦などにも聞かすな。尼君ましてかやうのことなど、諌めらるるを、心恥づかしくなむおぼゆべき」と、口かためたまふ。 「そうさ。みな前世の因縁だと思っているが、浮ついた遊び心で、人をいたずらに死なせてしまった恨みを負うのがつらいのだ。少将の命婦にも話すな。まして尼君はこのようなことを諌められるので、わたしは恥かしいのだ」と口止めする。
「さらぬ法師ばらなどにも、皆、言ひなすさま異にはべる」と聞こゆるにぞ、かかりたまへる。 「ほかの法師たちには、皆違う話をしています」と申し上げるので、源氏は頼みにしている。
ほの聞く女房など、「あやしく、何ごとならむ、穢らひのよしのたまひて、内裏にも参りたまはず、また、かくささめき嘆きたまふ」と、ほのぼのあやしがる。 小耳にはさんだ女房などは、「何事だろう、穢れを理由にして、内裏にも参内せず、ひそかに嘆いていらっしゃる」と、なんとなく怪しいと思っている。
「さらに事なくしなせ」と、そのほどの作法のたまへど、「何か、ことことしくすべきにもはべらず」とて立つが、いと悲しく思さるれば、「便なしと思ふべけれど、今一度、かの亡骸を見ざらむが、いといぶせかるべきを、馬にてものせむ」
とのたまふを、いとたいだいしきこととは思へど、「さ思されむは、いかがせむ。はや、おはしまして、夜更けぬ先に帰らせおはしませ」と申せば、このごろの御やつれにまうけたまへる、狩の御装束着替へなどして出でたまふ。
「内密にやってくれ」と、(源氏は)その事の作法も仰せになるが、「何も、大げさにすべきものでもありますまい」と(惟光は)言って、退出しようとするが、君は悲しく思い、「厄介なことだと思うだろうが、今一度、あの亡骸を見なければ、気持ちが沈んでしまう、馬で行こう」と仰せになるので、実に面倒なことと思ったが、「そう思われるのでしたら、仕方ないでしょう。早く出かけて、夜遅くならないうちに戻りましょう」と申し上げると、この頃のお忍び用にあつらえた狩りの装束に着替えて、お出かけになった。
御心地かきくらし、いみじく堪へがたければ、かくあやしき道に出で立ちても、危かりし物懲りに、いかにせむと思しわづらへど、なほ悲しさのやる方なく、「ただ今の骸を見では、またいつの世にかありし容貌をも見む」と、思し念じて、例の大夫、随身を具して出でたまふ。 源氏の心は暗く、ひどく堪えがたかったので、このような怪しい道に出かけるには、危ない物の怪のこともあり、どうしようかと迷ったが、悲しみのやり場がなく、「ただ今の亡骸を見ないで、またいつの世にあの顔を見れるだろうか」と思って、惟光と随身だけを伴って出かけた。
道遠くおぼゆ。十七日の月さし出でて、河原のほど、御前駆の火もほのかなるに、鳥辺野の方など見やりたるほどなど、ものむつかしきも、何ともおぼえたまはず、かき乱る心地したまひて、おはし着きぬ。 道は遠く感じられた。十七日の月が出て、加茂川の河原あたりも、先払いの火もほのかに、鳥辺野の方向を見るに、不気味な感じだったが、何とも思わず、胸がかき乱れる心地して、お着きになった。
辺りさへすごきに、板屋のかたはらに堂建てて行へる尼の住まひ、いとあはれなり。御燈明の影、ほのかに透きて見ゆ。 辺りはぞっとする光景で、板屋の傍らに堂を建てて尼君が勤行している様子は、あわれであった。灯明の影がほのかに透いて見える。
その屋には、女一人泣く声のみして、外の方に、法師ばら二、三人物語しつつ、わざとの声立てぬ念仏ぞする。 家では、女ひとりの泣く声が聞こえ、簾の外に法師たち二三人が話をしながら、無言念仏のお勤めをしている。
寺々の初夜(そやも、みな行ひ果てて、いとしめやかなり。清水の方ぞ、光多く見え、人のけはひもしげかりける。 々の初夜の勤行もみなおわり、静かな夕べだ。清水寺の方は明かりが多く見え、人の気配も多そうだ。
この尼君の子なる大徳の声尊くて、経うち読みたるに、涙の残りなく思さる。 寺尼の子の大徳の声が尊く、読経のあいだ、涙が出尽くした。
入りたまへれば、火取り背けて、右近は屏風隔てて臥したり。いかにわびしからむと、見たまふ。恐ろしきけもおぼえず、いとらうたげなるさまして、まだいささか変りたるところなし。 家の中に入ると、灯を遺骸からそむけ、右近は屏風を隔てて臥していた。なんと悲しいことだろう、と思った。(源氏は)遺体を恐ろしいとも思わず、実に可愛らしい姿で、まったく変わっていない。
手をとらへて、「我に、今一度、声をだに聞かせたまへ。いかなる昔の契りにかありけむ、しばしのほどに、心を尽くしてあはれに思ほえしを、うち捨てて、惑はしたまふが、いみじきこと」と、声も惜しまず、泣きたまふこと、限りなし。 手をとって、「もう一度わたしに声を聞かせておくれ。どんな前世の約束があったのか、ほんの短い間だったが、心から愛したのに、わたしを捨てて途方にくれさせるとは、ひどいじゃないか」と声のかぎりに、泣くのであった。
大徳たちも、誰とは知らぬに、あやしと思ひて、皆、涙落としけり。 大徳たちも、誰とは知らず、いわくあげに思い、皆涙を流した。
右近を、「いざ、二条へ」とのたまへど、「年ごろ、幼くはべりしより、片時たち離れたてまつらず、馴れきこえつる人に、にはかに別れたてまつりて、いづこにか帰りはべらむ。いかになりたまひにきとか、人にも言ひはべらむ。悲しきことをばさるものにて、人に言ひ騒がれはべらむが、いみじきこと」と言ひて、泣き惑ひて、「煙にたぐひて、慕ひ参りなむ」と言ふ。 右近に、「二条院へ行こう」と仰るが、「長年、小さいころから、片時も離れず親しんできましたので、突然別れてしまっては、どこに行けましょう。どうなりました、と人に言えましょう。悲しいのはさておいても、人からあれこれ言われるのが、つらいのです」と(右近は)言って、泣きまどい、「煙と一緒に、慕って行きたい」とまで言う。
「道理なれど、さなむ世の中はある。別れと言ふもの、悲しからぬはなし。とあるもかかるも、同じ命の限りあるものになむある。思ひ慰めて、我を頼め」と、のたまひこしらへて、「かく言ふ我が身こそは、生きとまるまじき心地すれ」とのたまふも、頼もしげなしや。 「もっともだけれど、世の中はこういうものです。別れとは、悲しいもの。長生きするのも早世するのも、おなじ限りある命です。思い直して、わたしを頼りにしなさい」と(源氏は)仰るのだが、「こう言うわたしも、生きて世にとどまる気がしない」と仰って、心もとない。
惟光、「夜は、明け方になりはべりぬらむ。はや帰らせたまひなむ」と聞こゆれば、返りみのみせられて、胸もつと塞がりて出でたまふ。 惟光が、「夜も明けました。さあ、早く帰りましょう」と申し上げると、君はふり返りながら、胸をふさげての出発となった。
道いと露けきに、いとどしき朝霧に、いづこともなく惑ふ心地したまふ。 道はしっとり露にぬれ、深い朝霧の中、どこかに迷い込んでしまう気がした。
ありしながらうち臥したりつるさま、うち交はしたまへりしが、我が御紅おんくれない御衣(おんぞの着られたりつるなど、いかなりけむ契りにかと道すがら思さる。 生きているかのように臥していた夕顔の姿を思い、互いに交わした自分の紅の衣を着ていたなど、前世にどんな契りがあったのか、と道すがら思う。
御馬(おんうまにも、はかばかしく乗りたまふまじき御さまなれば、また、惟光添ひ助けておはしまさするに、堤のほどにて、御馬よりすべり下りて、いみじく御心地惑ひければ、「かかる道の空にて、はふれぬべきにやあらむ。さらに、え行き着くまじき心地なむする」とのたまふに、 馬にもしっかり乗れない様子なので、惟光が付き添って行くうちに、堤の辺りで馬からすべり落ちて、ひどく気がふさいで気分が悪くなってしまって、「こんな道端で、野垂れ死にしてしまうのではないか。とても帰れそうにない」と仰ると、
惟光心地惑ひて、「我がはかばかしくは、 さのたまふとも、かかる道に率て出でたてまつるべきかは」と思ふに、いと心あわたたしければ、川の水に手を洗ひて、清水の観音を念じたてまつりても、すべなく思ひ惑ふ。 惟光はあわてて、「わたしがしっかりしていたら、君が行こうと言われても、このような所にお連れするのではなかった」と思うと、心が落ち着かず、川の水で手を洗い、清水の観音様に祈ったが、どうしようもない気持ちだった。
君も、しひて御心を起こして、心のうちに仏を念じたまひて、また、とかく助けられたまひてなむ、二条院へ帰りたまひける。 源氏も、気持ちを奮い立たせて、心に仏を念じ、またなんとか助けられて、二条院へお帰りになった。
あやしう夜深き御歩きを、人びと、「見苦しきわざかな。このごろ、例よりも静心なき御忍び歩きの、しきるなかにも、昨日の御気色の、いと悩ましう思したりしに。いかでかく、たどり歩きたまふらむ」と、嘆きあへり。 怪しい深夜のお出かけを、女房たちは、「見苦しいこと。この頃は、何かあわただしく忍び歩いておられるが、昨日はことに悩ましい気色であらせられた。どうして、こうお出かけになるでしょう」と、互いに嘆いていた。
まことに、臥したまひぬるままに、いといたく苦しがりたまひて、二、三日になりぬるに、むげに弱るやうにしたまふ。 ほんとうに、床につくとそのままひどく苦しがり、二三日たつとすっかり弱ってきた。
内裏にも、聞こしめし、嘆くこと限りなし。 帝もお聞きになって、たいへんなお嘆きであった。
御祈り、方々にひまなくののしる。まつりはらえ修法ずほうなど、言ひ尽くすべくもあらず。世にたぐひなくゆゆしき御ありさまなれば、世に長くおはしますまじきにやと、天の下の人の騷ぎなり。 御祈祷は方々で絶え間なく行われた。祭り、祓、修法など、あらゆるものに及んだ。(源氏は、)世に類いなく恐るべき美しさなので、長生きは出来ないのではないか、と国中の人びとが騒いだのであった。
苦しき御心地にも、かの右近を召し寄せて、局など近くたまひて、さぶらはせたまふ。 (源氏は)苦しい状態でも、あの右近を呼び寄せて、局などを近くに与えて、仕えさせた。
惟光、心地も騒ぎ惑へど、思ひのどめて、この人のたづきなしと思ひたるを、もてなし助けつつさぶらはす。 惟光は、自責の念にかられていたが、気持ちを落ち着かせて、右近の頼りない立場を思い、なにくれとなく助けした。
君は、いささか隙ありて思さるる時は、召し出でて使ひなどすれば、ほどなく交じらひつきたり。 源氏は小康状態になると、右近を召して使ったので、ほどなくして女房たちにも慣れた。
服、いと黒くして、容貌かたちなどよからねど、かたはに見苦しからぬ若人なり。 黒い喪服を着て、器量はよくなかったが、見苦しくない若い女であった。
「あやしう短かかりける御契りにひかされて、我も世にえあるまじきなめり。年ごろの頼み失ひて、心細く思ふらむ慰めにも、もしながらへば、よろづに育まむとこそ思ひしか、ほどなくまたたち添ひぬべきが、口惜しくもあるべきかな」と、忍びやかにのたまひて、弱げに泣きたまへば、言ふかひなきことをばおきて、「いみじく惜し」と思ひきこゆ。 (源氏は、)「 不思議に短かった宿縁に引かされて、わたしも生きられそうもないだろう。お前も年来の頼みとする主人(夕顔)を失って、心細さを慰めるためにも、もしわたしが生きながらえれば、万事面倒見ようと思っていたが、すぐに自分も後を追いそうなのが、残念だ」と、ひそかに仰って、弱弱しげに泣けば、言う甲斐のないことはさておき、「たいへんもったいない」と右近は思うのであった。
殿のうちの人、足を空にて思ひ惑ふ。内裏より、御使、雨の脚よりもけにしげし。 お邸の人びとは、うろたえて右往左往している。帝からの使者が、雨脚よりもしげくやってくる。
思し嘆きおはしますを聞きたまふに、いとかたじけなくて、せめて強く思しなる。 (帝が)ご心配しお嘆きあそばすのをお聞きして、たいへんありがたくて、気を強く持った。
大殿も経営(けいめいしたまひて、大臣おとど、日々に渡りたまひつつ、さまざまのことをせさせたまふ、しるしにや、二十余日、いと重くわづらひたまひつれど、ことなる名残のこらず、おこたるさまに見えたまふ。 左大臣も忙しく世話して、ご自身が毎日来られては、様々なことをさせた甲斐があったのだろうか、二十余日のあいだ重かった病状が、余病もなく快方に向かうようだった。
穢(けがら)ひ忌みたまひしも、一つに満ちぬる夜なれば、おぼつかながらせたまふ御心、 わりなくて、内裏の御宿直所おんとのいどころに参りたまひなどす。 穢れの忌明けも、おなじ日に満ちたので、帝が御心配されているお気持ちも、恐れ多いことで、内裏の宿直所へ参内するなどした。
大殿、我が御車にて迎へたてまつりたまひて、御物忌なにやと、むつかしう慎ませたてまつりたまふ。 左大臣は自分の車で迎えに来て、物忌みやなにやかや、うるさく慎むべきことを申し上げた。
我にもあらず、あらぬ世によみがへりたるやうに、しばしはおぼえたまふ。 (源氏は)まだ自分が自分でない、別世界に生まれ変わったような気がした。

4-11、忌み明ける
 九月二十日のほどにぞ、おこたり果てたまひて、いといたく面痩せたまへれど、なかなか、 いみじくなまめかしくて、ながめがちに、ねをのみ泣きたまふ。  九月二十日の頃、(源氏の)病は完全に癒えて、ひどく顔はやつれていたけれど、かえって、すばらしく美しい風情で、外を眺めながら、声をだして泣いていた。
見たてまつりとがむる人もありて、「御物の怪なめり」など言ふもあり。 それを見た女房たちのなかには、不審げに「物の怪でしょう」と言うものもいた。
右近を召し出でて、のどやかなる夕暮に、物語などしたまひて、「なほ、いとなむあやしき。などてその人と知られじとは、隠いたまへりしぞ。まことに海人の子なりとも、さばかりに思ふを知らで、隔てたまひしかばなむ、つらかりし」とのたまへば、 右近を召し出して、のどかな夕暮れに、話などするに、「まだ、分からないことがある。どうして、(夕顔は)自分を知られないように隠したのか。ほんとうに卑賎の子だったとしても、これほどのわたしの思いを無みして、疎んじられたのが、辛かった」と仰ると、
「などてか、深く隠しきこえたまふことははべらむ。いつのほどにてかは、何ならぬ御名のりを聞こえたまはむ。初めより、あやしうおぼえぬさまなりし御ことなれば、『現ともおぼえずなむある』とのたまひて、『御名隠しも、さばかりにこそは』と聞こえたまひながら、『なほざりにこそ紛らはしたまふらめ』となむ、憂きことに思したりし」と聞こゆれば、 「どうして、深く隠そうなどとすることがありましょう。いつか頃合いをみて、何でもない名前をお告げしたことでしょう。初めから、尋常でない思いもかけない事でしたので、『現実とも思えない』と仰って、『お名前を隠しているのも、ご身分のせいでしょう』とお察し申し上げて、『お遊びだから名を隠すのでしょう』と思って悩んでいました」と申し上げれば、
「あいなかりける 心比べどもかな。我は、しか隔つる心もなかりき。ただ、かやうに人に許されぬ振る舞ひをなむ、まだ慣らはぬことなる。内裏に諌めのたまはするをはじめ、つつむこと多かる身にて、はかなく人にたはぶれごとを言ふも、御所狭(ところせ、取りなしうるさき身のありさまになむあるを、はかなかりし夕べより、あやしう心にかかりて、あながちに見たてまつりしも、かかるべき契りこそはものしたまひけめと思ふも、 あはれになむ。またうち返し、つらうおぼゆる。かう長かるまじきにては、など、さしも心に染みて、あはれとおぼえたまひけむ。なほ詳しく語れ。今は、何ごとを隠すべきぞ。七日七日に仏描かせても、誰が為とか、心のうちにも思はむ」とのたまへば、 「つまらぬ意地の張り合いをしたものだ。わたしは、そのように名を隠しておくつもりはなかった。ただ、このような世間に許されぬ忍び歩きは、まだ慣れていないのだ。帝が諌められるのをはじめ、気を使うことも多い身としては、ちょっとした冗談を言うにしても、気づまりで、うるさく取り沙汰されるので、あのひとときの夕べの事があってから、あやしく心にかかって、強引に逢いに行ったのだが、このような契りこそ前世の因縁であったのかと思うと、あわれだ。また、反対に、つらくもある。こんなに短いひとときだったのに、どうして心に染みて、あわれを感じるのだろう。もっと詳しく話してくれ。今は隠すべきもないだろう。七日七日に仏を描かせても、誰のためなのか」と(源氏が)仰ると、
「何か、隔てきこえさせはべらむ。自ら、忍び過ぐしたまひしことを、亡き御うしろに、口さがなくやは、と思うたまふばかりになむ。 「どうして隠すことがありましょう。自ら世を忍んでおりますのに、亡くなってから申し上げるのは、口さがないと思うばかりです。
親たちは、はや亡せたまひにき。三位中将となむ聞こえし。 ご両親はすでに亡くなりまして、三位中将であったと聞いております。
いとらうたきものに思ひきこえたまへりしかど、我が身のほどの心もとなさを思すめりしに、命さへ堪へたまはずなりにしのち、はかなきもののたよりにて、頭中将なむ、まだ少将にものしたまひし時、見初めたてまつらせたまひて、三年ばかりは、志あるさまに通ひたまひしを、去年の秋ごろ、かの右の大殿より、いと恐ろしきことの聞こえ参で来しに、物怖ぢをわりなくしたまひし御心に、せむかたなく思し怖ぢて、西の京に、御乳母住みはべる所になむ、はひ隠れたまへりし。それもいと見苦しきに、住みわびたまひて、山里に移ろひなむと思したりしを、今年よりは塞がりける方にはべりければ、違ふとて、あやしき所にものしたまひしを、見あらはされたてまつりぬることと、思し嘆くめりし。世の人に似ず、ものづつみをしたまひて人に物思ふ気色を見えむを、恥づかしきものにしたまひて、つれなくのみもてなして、御覧ぜられたてまつりたまふめりしか」と、語り出づるに、「さればよ」と、思しあはせて、いよいよあはれまさりぬ。 女君をたいそう可愛がっておられ、自分の出世の不運を気にしていましたが、そのうち亡くなってしまいましてから、ふとしたご縁で、頭中将がまだ少将であった時に、見初められて、三年ばかり熱心に通われていましたが、去年の秋ごろ、あの右大臣家からたいそう恐ろしいことを申してきましたので、人一倍恐がりのご性格ですので、どうしょうもなく怖がって、西の京の乳母が住んでいる所へ、こっそり隠れましたのでございます。そこは見苦しく住みづらい所でしたので、山里に移ろうとも思っていたのですが、今年から方塞がりの方角にあたっていたので、方違いのため、一時的にもせよむさくるしい所に住んでいるのを、見つけられてしまった、と嘆いていました。世間の一般の人と異なって、たいそう内気な性格で、物思いをしていると人に見られるのも恥かしく思い、何げない風を装って、お目にかかっておりましたのでございます」と、(右近が)語るにつれて、「やっぱりそうか」と思い合せて、いよいよあわれがまさったのであった。
「幼き人惑はしたりと、中将の愁へしは、さる人や」と問ひたまふ。 「幼い子が行方不明、と中将が言っていたのはその子か」と問われる。
「しか。一昨年の春ぞ、ものしたまへりし。女にて、いとらうたげになむ」と語る。 「そうです。一昨年の春に生まれました。女の子で、たいへん可愛らしいのです」と答える。
「さて、いづこにぞ。人にさとは知らせで、我に得させよ。あとはかなく、いみじと思ふ御形見に、いとうれしかるべくなむ」とのたまふ。「かの中将にも伝ふべけれど、言ふかひなきかこと負ひなむ。とざまかうざまにつけて、育まむに咎あるまじきを。そのあらむ乳母などにも、ことざまに言ひなして、ものせよかし」など語らひたまふ。 「さて、どこにいるのか。人には知らせないで、わたしが引き取ろう。あっけなく亡くなった人の悲しみの形見としたら、それはうれしいことだ」と仰る。 「あの中将にも知らせるべきだが、つまらぬ苦情をもらうだけだろう。いずれにしても、わたしが育てるに不都合はあるまい。その乳母にも適当に言いつくろって、連れてくるのだ」などと、仰せになる。
「さらば、いとうれしくなむはべるべき。かの西の京にて生ひ出でたまはむは、心苦しくなむ。はかばかしく扱ふ人なしとて、かしこに」など聞こゆ。 「それはうれしゅうございます。あの西の京で育てるのは、お気の毒です。しっかり面倒見る人がいなくて、あそこには」など(右近は)申し上げる。
夕暮の静かなるに、空の気色いとあはれに、御前の前栽枯れ枯れに、虫の音も鳴きかれて、紅葉のやうやう色づくほど、絵に描きたるやうにおもしろきを見わたして、心よりほかにをかしき交じらひかなと、かの夕顔の宿りを思ひ出づるも恥づかし。竹の中に家鳩といふ鳥の、ふつつかに鳴くを聞きたまひて、かのありし院にこの鳥の鳴きしを、いと恐ろしと思ひたりしさまの、面影にらうたく思し出でらるれば、 夕暮れは静かで、空の様子があわれで、御前の前栽は適当に枯れて、虫の音も鳴きかれて、紅葉がようやく色づきはじめ、絵に描いたような美しい眺めを見渡して、思いのほかすばらしい宮仕えかなと、あの夕顔の宿を思い出して恥かしい、と右近は思う。竹の中に家鴨という鳥の、ぎこちなく鳴くのを聞いて、あの時の院でこの鳥が鳴いたのを、夕顔が怖がったときの面影が美しく思い出されて、
「年はいくつにかものしたまひし。あやしく世の人に似ず、あえかに見えたまひしも、かく長かるまじくてなりけり」とのたまふ。 「年はいくつだったのか。世間の人とは違って、ひどくか弱く見えたのも、長生きできないからだろう」と仰る。
「十九にやなりたまひけむ。右近は、亡くなりにける御乳母の捨て置きてはべりければ、三位の君のらうたがりたまひて、かの御あたり去らず、ほしたてたまひしを思ひたまへ出づれば、いかでか世にはべらむずらむ。いとしも人にと、悔しくなむ。ものはかなげにものしたまひし人の御心を、頼もしき人にて、年ごろならひはべりけること」と聞こゆ。 「十九になりました。右近は、亡くなった乳母が残した子でして、三位の君から可愛がられ、女君から離さずに一緒に育ててくれましたのを思いますと、 どうしてわたしだけが、この世に生き残っておられましょう。『いとしも人に』親しくなり過ぎたのが、悔しいです。頼りなげな姫君の御心を頼りにして、長年お仕えしてきました」と(右近は)申し上げる。
「はかなびたるこそは、らうたけれ。かしこく人になびかぬ、いと心づきなきわざなり。自らはかばかしくすくよかならぬ心ならひに、女はただやはらかに、とりはづして人に欺かれぬべきが、さすがにものづつみし、 見む人の心には従はむなむ、あはれにて、我が心のままにとり直して見むに、なつかしくおぼゆべき」などのたまへば、 「その頼りなさそうな風情が、可愛いのです。賢くて人の言いなりにならない女は、好きになれない。わたし自身が、気が強い性格ではないので、女はただ穏やかで、うっかりして男にだまされかねないくらいがよく、遠慮がちで、心を許した人には従うのが、あわれで、自分の好みのままに直したりするのが、いいのだ」などと(源氏が)仰るので、
「この方の御好みには、もて離れたまはざりけり、と思ひたまふるにも、口惜しくはべるわざかな」とて泣く。 「このお方のお好みに、適ったお方だった、と思われるのも、残念なことだ」と(右近は)泣く。
空のうち曇りて、風冷やかなるに、いといたく眺めたまひて、「見し人の煙を雲と眺むれば夕べの空もむつましきかな」と独りごちたまへど、えさし答へも聞こえず。 空は曇り、風が冷たくなり、じっと眺めていて、「愛しい人を野辺に送った煙が雲になったと眺めれば夕べの空も慕わしく思われる」と(源氏は)独り言で詠ったが、(右近は)返歌もできない。
かやうにて、おはせましかば、と思ふにも、胸塞がりておぼゆ。耳かしかましかりし砧の音を、思し出づるさへ恋しくて、「正に長き夜」とうち誦じて、臥したまへり。 このように、お二人しておられたらと思うと 胸がふさがった。うるさかった砧の音も、思い出すさえ恋しく、「正に長き夜」と、(源氏は)誦して臥した。

4-12、紀伊守邸の女たちと和歌の贈答
 かの、伊予の家の小君、参る折あれど、ことにありしやうなる言伝てもしたまはねば、憂しと思し果てにけるを、いとほしと思ふに、かくわづらひたまふを聞きて、さすがにうち嘆きけり。  あの伊予介の家の小君は、来るのだが、かってのように(源氏の)言伝ことづてを持参しないので、(君に)諦められてしまったのを(空蝉は)お気の毒に思ったが、病気のことを聞き、さすがに嘆くのであった。
遠く下りなどするを、さすがに心細ければ、思し忘れぬるかと、試みに、「承り、悩むを、言に出でては、えこそ、問はぬをもなどかと問はでほどふるに いかばかりかは思ひ乱るる 『益田』はまことになむ」と聞こえたり。 遠くへ下るなど、心細かったので、忘れられてしまったのか、試みに、「ご病気とお聞きし、言葉には出せませんが、病気見舞いがないのはどうしてか、と問われないままに日がたち私も心を痛めております 『益田の生けるかいなし』はどちらが言いたい科白でしょう」と書いた。
めづらしきに、これもあはれ忘れたまはず。 (空蝉の)文は珍しく、源氏も忘れていなかった。
「生けるかひなきや、誰が言はましことにか。空蝉の世は憂きものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ はかなしや」と、御手もうちわななかるるに、乱れ書きたまへる、いとどうつくしげなり。 「生きる甲斐がないなどと、他に誰が言いたいのか。空蝉の世は憂きものと知ってはいたが、言葉をいただいて再び命が湧いてきます 頼りないものですね」と、手もふるえるので、乱れた筆跡がたいへん美しい。
なほ、かのもぬけを忘れたまはぬを、いとほしうもをかしうも思ひけり。 なお、あの脱ぎ捨てた小袿こうちきのことを忘れていないのも、お気の毒でもあり、おかしくもあった。
かやうに憎からずは、聞こえ交はせど、け近くとは思ひよらず、さすがに、言ふかひなからずは見えたてまつりてやみなむ、と思ふなりけり。 このように憎からず思い文を交わしたが、逢おうとはせず、さすがに、つれない女だとは思われないようにしたい、と思うのであった。
かの片つ方は、蔵人少将をなむ通はす、と聞きたまふ。 あのもう一方の女(軒端荻)は、蔵人少将を通わせている、と聞いた。
「あやしや。いかに思ふらむ」と、少将の心のうちもいとほしく、また、かの人の気色もゆかしければ、小君して、「死に返り思ふ心は、知りたまへりや」と言ひ遣はす。 「おもしろい。どう思っているのだろう」と少将を気の毒に思い、またあの女の心の内も知りたいと思い、小君と遣わして、「死ぬほど思っている気持ちをご存じか」と伝えさせた。
「ほのかにも軒端の荻を結ばずは
露のかことを何にかけまし」
(源氏の歌)「一夜でも軒端の荻との契りがなければ
とるに足りない恨み言も何にかこつけて言えましょうか」
高やかなる荻に付けて、「忍びて」とのたまへれど、「取り過ちて、少将も見つけて、我なりけりと思ひあはせば、さりとも、罪ゆるしてむ」と思ふ、御心おごりぞ、あいなかりける。 丈の高い荻につけて、「人に見られないように」と仰るが、「間違いがあって、少将が見つけても、わたしだと分かれば、許してくれるだろう」と思う、源氏の心のおごりが、どうしようもない。
少将のなき折に見すれば、心憂しと思へど、かく思し出でたるも、さすがにて、御返り、口ときばかりをかことにて取らす。 少将のいない時に見せると、女は、困ったことと思うが、思い出してくれるのもうれしく、返事は早いのが取得とりえとばかり小君に渡す。
「ほのめかす風につけても下荻の 半ばは霜にむすぼほれつつ」 (軒端荻の歌)「あの夜をほのめかすお便りですが荻の下葉は 半ばは霜があたって思いしおれております」
手は悪しげなるを、紛らはしさればみて書いたるさま、品なし。火影に見し顔、思し出でらる。 筆跡のよくないのをごまかし、しゃれたように書いた様は、品がない。灯火で見た顔を、思い出している。
「うちとけで向ひゐたる人は、えうとみ果つまじきさまもしたりしかな。何の心ばせありげもなく、さうどき誇りたりしよ」と思し出づるに、憎からず。 「きちんと対座していた人は、何か惹かれるものがあった。この女は何らかの嗜みがありそうもなく、騒いで得意になっていた」と思い出すが、憎からず思う。またも「懲りずに、浮名をたてる」源氏の好き心だこと。
なほ「こりずまに、またもあだ名立ちぬべき」御心のすさびなめり。 またも「懲りずに、浮名をたてる」源氏の好き心だこと。

4-13、四十九日忌の法要
 かの人の四十九日、忍びて比叡の法華堂にて、事そがず、装束よりはじめて、さるべきものども、こまかに、誦経などせさせたまひぬ。  夕顔の四十九日は、ひそかに比叡山の法華堂で、諸事きちんと行い、装束をはじめ、必要なものはすべて調ととのえ、読経などを行わせる。
経、仏の飾りまでおろかならず、惟光が兄の阿闍梨、いと尊き人にて、二なうしけり。 経巻や仏前の装飾も怠りなく、惟光の兄の阿闍梨が高僧で、立派にお勤めをしてくれた。
御書おんふみの師にて、睦しく思す文章博士おんぞうはかせ召して、願文作らせたまふ。 学問の師で、親しくしている文章博士を招き、願文を作ってもらう。
その人となくて、あはれと思ひし人のはかなきさまになりにたるを、阿弥陀仏に譲りきこゆるよし、あはれげに書き出でたまへれば、「ただかくながら、加ふべきことはべらざめり」と申す。 どこの誰とも明らかにせず、愛する人が亡くなってしまったので、阿弥陀仏にお任せ申し上げる由、趣きある筆致で書き出すと、「このままで、加えるところはありません」と博士が言う。
忍びたまへど、御涙もこぼれて、いみじく思したれば、「何人ならむ。その人と聞こえもなくて、かう思し嘆かすばかりなりけむ宿世の高さ」と言ひけり。 我慢していたが、涙がこぼれて、大変悲しかったので、「どんな人だろう。名前が分からなくても、これほどまでに君を嘆かせるとは、なんと高い宿縁だろう」と(博士が)言った。
忍びて調ぜさせたまへりける装束の袴を取り寄せさせたまひて、「泣く泣くも今日は我が結ふ下紐をいづれの世にかとけて見るべき」 布施としてひそかに新調してお包みした装束の袴を取り寄せて、(源氏の歌)「今日は泣く泣く一人で結ぶ下紐をいづれの世になったらふたりで解いて契ることができようか」
「このほどまでは漂ふなるを、いづれの道に定まりて赴くらむ」と思ほしやりつつ、念誦(ねんず)をいとあはれにしたまふ。 「今は中有ちゅううなのでただよっているだろうが、六道のいずれの道に決まるのだろうか」と思いつつ、念誦を熱心に行う。
頭中将を見たまふにも、あいなく胸騒ぎて、かの撫子の生ひ立つありさま、聞かせまほしけれど、かことに怖ぢて、うち出でたまはず。 頭中将を見かけても、理由もなく胸騒ぎがして、あの幼児の様子などを聞かせたいのだが、苦言をおそれて、言い出せないのだった。
かの夕顔の宿りには、いづ方にと思ひ惑へど、そのままにえ尋ねきこえず。右近だに訪れねば、あやしと思ひ嘆きあへり。確かならねど、 あの夕顔の宿では、どこへ行ったのだろうと騒ぎ惑っているが、問い合わせることもできない。右近も来ないので、不思議だと嘆いている。
確かならねど、けはひをさばかりにやと、ささめきしかば、惟光をかこちけれど、いとかけ離れ、気色なく言ひなして、 なほ同じごと好き歩きければ、 いとど夢の心地して、「もし、受領の子どもの好き好きしきが、頭の君に怖ぢきこえて、やがて、率て下りにけるにや」とぞ、思ひ寄りける。 確かではないが、気配からして源氏の君ではないかと噂し、惟光のせいにしたが、まるで素知らぬふうで、相変わらず同じく女のところに通って来たので、 夢のような気がして、「もしや、受領の子に好き者がいて、頭中将をおそれて、一緒に地方へ下ったのではないか」とも思った。
この家主人(いえあるじ)ぞ、西の京の乳母の女なりける。 この家の家主は、西の京の乳母だった女だ。
三人その子はありて、右近は他人ことひとなりければ、「思ひ隔てて、御ありさまを聞かせぬなりけり」と、泣き恋ひけり。 三人の子があって、右近は他人だったので、「日頃疎遠だから、夕顔の居所を知らせないのだ」と、泣いて慕った。
右近はた、かしかましく言ひ騒がむを思ひて、君も今さらに漏らさじと忍びたまへば、若君の上をだにえ聞かず、あさましく行方なくて過ぎゆく。 また右近は、世間がかしましく騒ぐのを嫌い、君も今更噂が立つのを避けているので、撫子のことさえ聞けず、宿にはまったく消息不明まま、日が経って行った。
君は、「夢をだに見ばや」と、思しわたるに、この法事したまひて、またの夜、ほのかに、かのありし院ながら、添ひたりし女のさまも同じやうにて見えければ、「荒れたりし所に住みけむ物の、我に見入れけむたよりに、かくなりぬること」と、思し出づるにもゆゆしくなむ。 源氏は、「夢にでも見たい」と思っていると、法事の終わった次の夜、かすかながらあの院が浮かび、枕元に現れたあの夜とそっくりの女が見えたので、「荒れた所住む物の怪が、わたしに見入ったついでに、こんなことになったのかも」と思い出し、恐ろしくなった。

4-14、空蝉、伊予国に下る
 伊予介、神無月の朔日ついたちごろに下る。 伊予介は神無月の朔日ころ任地に出発した。
女房の下らむにとて、たむけ心ことにせさせたまふ。 女房たちも下向するので、餞別に心を込めた。
また、内々(うちうち)にもわざとしたまひて、こまやかにをかしきさまなる櫛、扇多くして、幣(ぬさなどわざとがましくて、かの小袿(こうちき)も遣はす。 また内々には、それと分かるように細工のいい美しい櫛や扇を多めにし、幣なども分かるように用意し、例の小袿も返すようにした。
「逢ふまでの形見ばかりと見しほどに ひたすら袖の朽ちにけるかな」 「また逢うまでの形見と思っていましたが わたしの涙で袖が濡れてすっかり朽ちてしまいました」
こまかなることどもあれど、うるさければ書かず。 細かなことはいろいろあるが、煩雑なので書かない。
御使、帰りにけれど、小君して、小袿の御返りばかりは聞こえさせたり。 使者は帰ってきたけれど、小君に託して、小袿の返歌だけを送ってきた。
「蝉の羽もたちかへてける夏衣 かへすを見てもねは泣かれけり」 「蝉の羽のように薄い夏衣を衣替えした後では 
それをお返しされると、思いがあふれて、声に出て泣いてしまいます」
「思へど、あやしう人に似ぬ心強さにても、ふり離れぬるかな」と思ひ続けたまふ。 「思えば、人並み以上に強い意志をもって、別れて行ってしまった」と思い続ける。
今日ぞ冬立つ日なりけるも、しるく、うちしぐれて、空の気色いとあはれなり。 今日は立冬であるのも暦通りで、時雨がしぐれて空の気色が美しい。
眺め暮らしたまひて、「過ぎにしも今日別るるも  二道に行く方知らぬ秋の暮かな」 眺めていて、「亡くなった女も今日別れる女も二つの道をゆく その行方は知らない秋の暮れであることよ」
なほ、かく人に知れぬことは苦しかりけりと、思し知りぬらむかし。 なお、このように人に知られぬ恋は、苦しいものと思い知ったでしょう。
かやうのくだくだしきことは、あながちに隠ろへ忍びたまひしもいとほしくて、 みな漏らしとどめたるを、 こんな瑣事は、努めて隠していて、気の毒なので、何も言わずにいたのだが、
「など、帝の御子ならむからに、見む人さへ、かたほならずものほめがちなる」と、作りごとめきてとりなす人ものしたまひければなむ。 「なぜ、帝の御子だからといって、知っている人でさえ、不始末には目をつぶり、褒めようとするのか」と、作り話だからと誤解する人もいるので、念のため。
あまりもの言ひさがなき罪、さりどころなく。 慎みなく言い過ぎた罪は、免れないでしょう。




(私論.私見)