さて、五六日ありて、この子率て参れり。こまやかにをかしとはなけれど、 なまめきたるさまして、 あて人()と見えたり。 |
そうこうして五、六日して、(紀伊守は)その子を連れて参上した。細かいところまで申し分ないとは言えないが、優美な姿をしており、良家の子弟のように見えた。 |
召し入れて、いとなつかしく語らひたまふ。 |
(源氏は)招じ入れて、とても親しく話をされた。 |
童心地に、いとめでたくうれしと思ふ。いもうとの君のことも詳しく問ひたまふ。 |
子供心にも、とても誇らしく嬉しく思っていた。姉のことも詳しくお尋ねになられた。 |
さるべきことは答へ聞こえなどして、恥づかしげにしづまりたれば、うち出でにくし。 |
答えられることについてはお答えして、その後は恥ずかしくなるほどきちんと畏まっているので、源氏はなかなか用向きを言い出しにくかった。 |
されど、いとよく言ひ知らせたまふ。 |
だが、うまく話を振ることができた。 |
かかることこそはと、ほの心得るも、思ひの外なれど、幼な心地に深くしもたどらず。 |
そのような男女の仲のことは、なんとなく分かったが、意外なことだったので、子供心に深くは考えられなかった。 |
御文を持て来たれば、女、あさましきに涙も出で来ぬ。 |
(弟の小君が)源氏の文を持ってくると、空蝉は思いがけぬこともあって涙を滲ませた。 |
この子の思ふらむこともはしたなくて、さすがに、御文を面隠()しに広げたり。 |
弟がどう思っているだろうかと思うと決まりが悪いのだが、そうは言っても、お手紙で顔を隠すようにして広げた。 |
いと多くて、「見し夢を逢ふ夜ありやと嘆くまに 目さへあはでぞころも経にける 寝る夜なければ」など、 |
こまごまと書かれていて、「先夜の逢瀬は夢のようでした。再び逢える夜があるのだろうかと嘆いて暮らしていて、 目さえ合わせられないことを思い、眠れない夜を何日も送っております」など、 |
目も及ばぬ御書きざまも、霧り塞がりて、心得ぬ宿世うち添へりける身を思ひ続けて臥したまへり。 |
見たこともないような素晴らしいご筆跡で書かれている文を読むうちに、(空蝉は)たちまち目が曇ってしまい、好きでもない夫と結婚した不本意な運命が更につきまとってくる我が身を思うと、苦しくて病に臥せってしまわれた。 |
またの日、小君(こぎみ)召したれば、参るとて御返り乞ふ。 |
翌日、帝が小君をお召しになられた。小君は参上してきますと言って、姉に源氏への返事を催促する。 |
「かかる御文見るべき人もなし、と聞こえよ」とのたまへば、 |
「このようなお手紙を読んで、その気になるような人はおりませんでせう、と申し上げなさい」と言ったので、 |
うち笑みて、「違ふべくものたまはざりしものを。いかが、さは申さむ」と言ふに、 |
(小君は)にこっと微笑んで、「住む世界が違って交わらないものをお望みされても難しゅうございます。こうはっきり仰りませう。そう申して宜しいでせうか」と言うと、 |
心やましく、残りなくのたまはせ、知らせてけると思ふに、つらきこと限りなし。 |
姉は不愉快に感じ、源氏が弟にそのお気持ちを何もかもお話になられて、知らせているのだと思うと、この上なくつらく感じられた。 |
「いで、およすけたることは言はぬぞよき。さは、な参りたまひそ」とむつかられて、「召すには、いかでか」とて、参りぬ。 |
「まあ、ませたことを言うんじゃありません。そういうことなら、もう源氏の君のところに参上してはいけません」と不機嫌になられて、「お召しがあったので、行かないわけにはいきません」と云って、邸へ参上されたた。 |
紀伊守、好き心にこの継母(ままはは)のありさまをあたらしきものに思ひて、追従しありけば、この子をもてかしづきて、率てありく。 |
紀伊守は、好色心をもってこの継母が父の妻であることがもったいないと思っており、何かとおもねって機嫌を取ろうとしており、この子を大事にして連れ歩いた。 |
君、召し寄せて、「昨日待ち暮らししを。なほあひ思ふまじきなめり」と怨じたまへば、顔うち赤めてゐたり。 |
源氏は、小君をお召しになって、「昨日は一日中返事を待ち暮れたぞ。やはりお前は私ほどには私のことを思ってくれていないんだね」と恨み言をおっしゃると、(小君は)顔を赤らめて畏まっていた。 |
「いづら」とのたまふに、しかしかと申すに、「言ふかひなのことや。あさまし」とて、またも賜へり。 |
「返事はどこに」と聞くに、これこれしかじかですと事情を申し上げるので、「頼みがいがないね。なさけない」と言って、またしても手紙を小君にお与えになられた。 |
「あこは知らじな。その伊予の翁よりは、先に見し人ぞ。 |
「お前は知らないだろうが、あの伊予の爺さんよりも、私の方が先に契っていたのだよ。 |
されど、頼もしげなく頚(くび)細しとて、ふつつかなる後見(うしろみ)まうけて、かく侮りたまふなめり。 |
だが、私が頼りなく首の細い男と思われたから、不恰好な好きでもない爺さんを後見にして、私をこのように侮っているのだ。 |
さりとも、あこはわが子にてをあれよ。この頼もし人は、行く先短かりなむ」とのたまへば、 |
そうであっても、お前は私の子でいてほしい。あなたの姉君が頼りにしている男は、どうせ老い先短いだろう」とおっしゃると、 |
「さもやありけむ、いみじかりけることかな」と思へる、「をかし」と思す。 |
「そういうことがあったのですか。深刻な話のようですね」と(小君が)思い込むのを、源氏はその姿を「かわいらしい(おかし)」とお思いになられました。 |
この子をまつはしたまひて、内裏にも率て参りなどしたまふ。 |
(源氏の君は)この子をいつも側に従えて、内裏にも連れて参上されていた。 |
わが御匣殿(みくしげどの)にのたまひて、装束などもせさせ、まことに親めきてあつかひたまふ。 |
自分の裁縫所(衣裳係)にお命じになり、小君の装束なども新調させて、本当の親のように世話をしておられた。 |
御文(おんふみ)は常にあり。 |
源氏は、文を姉の元にしきりに寄せられた。 |
されど、この子もいと幼し、心よりほかに散りもせば、軽々しき名さへとり添へむ、 |
しかし、(空蝉は思う)この子はとても幼くて、うっかりして世間に漏らしてしまえば、幼い子を使った軽薄さも加わり、軽々しい女だという浮名を負わされることになろう。 |
身のおぼえをいとつきなかるべく思へば、めでたきこともわが身からこそと思ひて、うちとけたる御答(おんいらえ)へも聞こえず。 |
我が身の風評が悪くなると思うと、幸せも自分の身分に合ったものでなければならないのだと思い、心を許した返事を差し上げることもできずにいたのだった。 |
ほのかなりし御けはひありさまは、「げに、なべてにやは」と、思ひ出できこえぬにはあらねど、 |
あの夜のほのかに拝見した感じやご様子は、「本当に、並々の人物ではなく素晴らしかった」と、思い出し申さずにはいられないのだが、 |
「をかしきさまを見えたてまつりても、何にかはなるべき」など、思ひ返すなりけり。 |
「そのお気持ちに応えたとしても、今さら何になることだろうか(恥をかくだけではないか)」などと、考え直すのだった。 |
君は思(おぼ)しおこたる時の間もなく、心苦しくも恋しくも思し出づ。 |
源氏の君は、思いのやむ時がなく、心苦しくもあり恋しく焦がれていた。。 |
思(おも)へりし気色などのいとほしさも、晴るけむ方なく思しわたる。 |
(空蝉の)悩んでいる様子のいじらしさも、思い出さないわけにはいかず、気持ちの晴れる時がなかった。 |
軽々しく這ひ紛れ立ち寄りたまはむも、人目しげからむ所に、便なき振る舞ひやあらはれむと、人のためもいとほしく、と思しわづらふ。 |
軽々しくひそかに隠れてお立ち寄りになろうとしても、人目の多い所だから、不都合な振る舞いになってしまう危険があり、相手も気の毒な思いをするかもと思い悩んでおられた。 |
例の、内裏に日数経たまふころ、さるべき方の忌み待ち出でたまふ。 |
例によって、御所に何日もいらっしゃる時に、都合の良い方違えの日をお待ちになられていた。 |
にはかにまかでたまふまねして、道のほどよりおはしましたり。 |
急に(左大臣邸へ)行くふりをして、途中から紀伊守の邸宅に向かった。 |
紀伊守おどろきて、遣水の面目とかしこまり喜ぶ。 |
紀伊守はおどろき、遣水が気に入られたのだ、と恐縮して喜んだ。 |
小君には、昼より、「かくなむ思ひよれる」とのたまひ契れり。 |
小君には、昼から、「こうするつもりだ」と言い含めていた。 |
明け暮れまつはし馴らしたまひければ、今宵もまづ召し出でたり。 |
朝に夕に小君を連れて従えていらっしゃったので、今宵もすぐに小君をお召しになられた。 |
女も、さる御消息ありけるに、思したばかりつらむほどは、浅くしも思ひなされねど、 |
女も、手紙で知らされていたので、自分に逢おうとして工夫して下さる源氏のお気持ちのほどは、浅いものとは思わなかったが、 |
さりとて、うちとけ、人げなきありさまを見えたてまつりても、あぢきなく、 |
そうかといって、気を許しうちとけて、見苦しい姿をお見せするのも、情けないものである。 |
夢のやうにて過ぎにし嘆きを、またや加へむ、と思ひ乱れて、なほさて待ちつけきこえさせむことのまばゆければ、 |
夢のように過ぎ去ってしまう嘆きを、再びまたも味わおうとするのかと、思い悩み、やはりこうしてお待ち申し上げていることが気恥ずかしいく感じたので、 |
小君が出でて往ぬるほどに、「いとけ近ければ、かたはらいたし。なやましければ、忍びてうち叩かせなどせむに、ほど離れてを」とて、 |
小君が出て行くとすぐに、「寝所があまりに近いので、具合が悪い。いろんな不都合がありますので、こっそりと肩・腰でも叩いても差し上げませう。その為には少し離れた所のほうが良いのです」とて、 |
渡殿()に、中将といひしが局したる隠れに、移ろひぬ。 |
渡殿にある中将という女房が待っている局のところに移った。 |
さる心して、人とく静めて、御消息あれど、小君は尋ねあはず。よろづの所求め歩きて、渡殿に分け入りて、からうしてたどり来たり。 |
源氏は初めからそのつもりで、供の者たちを早く休ませた。小君は女の都合を聞こうとしたが、姉の居所が分からなかった。あちこち探して、渡殿に分け入り、やっとのことで探し当てることができた。 |
いとあさましくつらし、と思ひて、「いかにかひなしと思さむ」と、泣きぬばかり言へば、 |
本当にひどく冷たい事をするなと、情けない気持ちになって、「私がどんなに役立たずな頼りにならない奴と思われてしまいます」と泣き出しそうに言えば、 |
「かく、けしからぬ心ばへは、つかふものか。幼き人のかかること言ひ伝ふるは、いみじく忌むなるものを」と言ひおどして、 |
「そんな不埒な考えを、子どもが持っていいとは思えません。子供がこのような男女の事を取次ぎするのは、とても悪いことだと言うのに」と厳しく叱って、 |
「『心地悩ましければ、人びと避けずおさへさせてなむ』と聞こえさせよ。あやしと誰も誰も見るらむ」と言ひ放ちて、 |
「疲れているので、侍女たちを側に呼んであんまをしてもらっています』とお伝えしなさい。こんな所に来ていると、皆が変に思ってしまいますよ」と言い放ったが、 |
心の中には、「いと、かく品定まりぬる身のおぼえならで、過ぎにし親の御けはひとまれるふるさとながら、 |
内心では、「本当にこのように結婚してしまった身分の定まった状況ではなく、亡くなった親の気配の残っている旧邸にいたままで、 |
たまさかにも待ちつけたてまつらばをかしうもやあらまし。 |
たまに来るのをお待ち申し上げるならば、喜んでそうしたいところなのですが。 |
しひて思ひ知らぬ顔に見消つも、いかにほど知らぬやうに思すらむ」と、心ながらも、胸いたく、さすがに思ひ乱る。 |
敢えて源氏のお気持ちを分からないように装って無視したのも、どんなに身の程を知らない女のように思われていることでせう」と、自分で決めたことながら胸が痛み、どうしても心が乱れてしまいます。 |
「とてもかくても、今は言ふかひなき宿世なりければ、無心に心づきなくて止みなむ」と思ひ果てたり。 |
「いずれにせよ、今はどうにもならない運命(人妻である現状)なのだから、このまま非常識な気にくわない女ということで押し通そう」と心に決め諦めております。 |
君は、いかにたばかりなさむと、まだ幼きをうしろめたく待ち臥したまへるに、 不用なるよしを聞こゆれば、あさましくめづらかなりける心のほどを、 |
源氏の君は、小君がどのように計らってくれるのかと、まだ小さいので不安に思いながらも横になって待っていらっしゃると、駄目でしたとの報告を受けて、女の驚くべき稀有な強情な気性を知り、 |
「身もいと恥づかしくこそなりぬれ」と、いといとほしき御気色なり。とばかりものものたまはず、いたくうめき憂しと思したり。 |
「我が身まで本当に恥ずかしくなってしまったよ」と気の毒な程落ちこんだ。しばしものも言わず、ひどくがっかりして嘆息なさり、辛そうでございました。 |
「帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな 聞こえむ方こそなけれ」とのたまへり。 |
「近づけば消えるという帚木のようなあなたの心も知らず園原への道で空しく迷ってしまいました。申し上げる術さえもありませんと歌を詠んで贈られた。 |
女も、さすがに、まどろまざりければ、「数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木」と聞こえたり。 |
女も、さすがに眠れずにいたので、「とるにたらない伏屋に生まれたしがない境遇に生きる身ですので、居たたまれずに帚木のようにあなたの前から消えるのです」と返歌した。 |
小君、いといとほしさに眠たくもあらでまどひ歩くを、人あやしと見るらむ、とわびたまふ。 |
小君は、(源氏の)君を気の毒に思い、眠気も忘れてうろうろと行き来しているのを、女(空蝉)は他の女房たちが変に思うのではないかと心配なさっている。 |
例の、人びとはいぎたなきに、一所()すずろにすさまじく思し続けらるれど、 |
いつものように、供人たちは眠りこけているが、源氏一人はぼうっとした感じで思い続けていらっしゃられた。 |
人に似ぬ心ざまの、なほ消えず立ち上れりける、とねたく、かかるにつけてこそ心もとまれと、かつは思しながら、 |
他の女とは違う気の強さが、やはり消えるどころかはっきり現れてきて、思い通りにならないのが悔しく、こういう女であったからこそ心が惹かれたのだと、一方ではお思いになる。 |
めざましくつらければ、さばれと思せども、さも思し果つまじく、 |
しかし、女の冷たい対応が癪に障って自分が情けないので、もうどうでも良いやとお思いにもなるが、そう簡単には諦めきれず、 |
「隠れたらむ所に、なほ率て行け」とのたまへど、「いとむつかしげにさし籠められて、人あまたはべるめれば、かしこげに」と聞こゆ。 |
「隠れている所に、それでも連れて行け」と仰せになったが、「とてもむさ苦しい所に籠もっていて、女房も大勢いますので、源氏を連れて行くのは畏れ多いです」と申し上げる。 |
いとほしと思へり。「よし、あこだに、な捨てそ」とのたまひて、御かたはらに臥せたまへり。 |
(小君は)大変お気の毒に思った。「よし、お前だけは私を捨てないでくれ」と仰って傍らに寝かせた。 |
若くなつかしき御ありさまを、うれしくめでたしと思ひたれば、つれなき人よりは、なかなかあはれに思さるとぞ。 |
(源氏は)若くて優しげな小君の姿を、嬉しく感じ素晴らしいとも思っているので、あの薄情なつれない女よりも、かえってかわいく思われたりもした。 |