【35、若菜下(わかなげ)(前半)39節】 |
あらすじは次の通り。 |
女三の宮のことが忘れられない柏木は、東宮に頼み、女三の宮の猫を借り受ける愛玩する。
四年の月日が流れた。冷泉帝は東宮に譲位し、明石の女御が産んだ皇子が東宮となった。女三の宮は二品に叙され、源氏はますます丁重に扱う。明石の君、女三の宮と比して、自分の立場の心細さを痛感する紫の上は出家を志す。
女三の宮との対面を望む朱雀院のため、源氏は朱雀院の五十の賀を計画する。それに備えて、源氏は女三の宮に琴を教授する。年が明け、院の賀に先立ち、源氏は六条院の女性たちによる女楽を催した。その直後、紫の上は重病に伏し、二条院に移される。源氏は紫の上につきっきりで看護にあたった。
柏木は女三の宮の姉(落葉の宮)を妻としていたが、女三の宮に固執していた。源氏不在に乗じて、柏木は小侍従の手引きで女三の宮と密通する。そのころ紫の上は重体に陥る。調伏を続けると六条御息所らしき霊が現れ源氏は慄然とするが、紫の上はなんとか息を吹き返す。
紫の上は小康状態を保ち、源氏は六条院に戻る。そこで女三の宮の懐妊を知り不審に思う。源氏は女三の宮の部屋で柏木の手紙を見つけ、事の次第を知る。真相を知られたことに気づいた柏木は焦燥のあまり、病に倒れる。
延期が続いていた朱雀院の五十の賀の試楽が行われた。病をおして出席した柏木は、源氏から痛烈な皮肉を浴びせられ、重病に伏す。柏木不在のまま十二月に賀が催された。 |
35.1 六条院の競射 |
ことわりとは思へども、
「うれたくも言へるかな。いでや、なぞ、かく異なることなきあへしらひばかりを慰めにては、いかが過ぐさむ。かかる人伝てならで、一言をものたまひ聞こゆる世ありなむや」
と思ふにつけて、おほかたにては、惜しくめでたしと思ひきこゆる院の御ため、なまゆがむ心や添ひにたらむ。
晦日の日は、人びとあまた参りたまへり。なまもの憂く、すずろはしけれど、「そのあたりの花の色をも見てや慰む」と思ひて参りたまふ。
殿上の賭弓、如月にとありしを過ぎて、三月はた御忌月なれば、口惜しくと人びと思ふに、この院に、かかるまとゐあるべしと聞き伝へて、例の集ひたまふ。左右の大将、さる御仲らひにて参りたまへば、次将たちなど挑みかはして、小弓とのたまひしかど、歩弓のすぐれたる上手どもありければ、召し出でて射させたまふ。
殿上人どもも、つきづきしき限りは、皆前後の心、こまどりに方分きて、暮れゆくままに、今日にとぢむる霞のけしきもあわたたしく、乱るる夕風に、花の蔭いとど立つことやすからで、人びといたく酔ひ過ぎたまひて、
「艶なる賭物ども、こなたかなた人びとの御心見えぬべきを。柳の葉を百度当てつべき舎人どもの、うけばりて射取る、無人なりや。すこしここしき手つきどもをこそ、挑ませめ」
とて、大将たちよりはじめて、下りたまふに、衛門督、人よりけに眺めをしつつものしたまへば、かの片端心知れる御目には、見つけつつ、
「なほ、いとけしき異なり。わづらはしきこと出で来べき世にやあらむ」
と、われさへ思ひつきぬる心地す。この君たち、御仲いとよし。さる仲らひといふ中にも、心交はしてねむごろなれば、はかなきことにても、もの思はしくうち紛るることあらむを、いとほしくおぼえたまふ。
みづからも、大殿を見たてまつるに、気恐ろしくまばゆく、
「かかる心はあるべきものか。なのめならむにてだに、けしからず、人に点つかるべき振る舞ひはせじと思ふものを。ましておほけなきこと」
と思ひわびては、
「かのありし猫をだに、得てしがな。思ふこと語らふべくはあらねど、かたはら寂しき慰めにも、なつけむ」
と思ふに、もの狂ほしく、「いかでかは盗み出でむ」と、それさへぞ難きことなりける。 |
小侍従の返事は当然のことと思うが、
「痛い所をついた言い方だ。いやしかし、どうしてこんな通り一遍の返事で、気休めにして過ごさなければならないのか。こんな人を介してではなく、本人から直接一言がほしい」
と思うにつけ、こんなことがなければ、素晴らしいお方と慕っている源氏に対して、よこしまな気持ちが起こったのであろうか。
晦日には、大勢の人が集まった。柏木は、気が重く、落ち着かない気がしたが、「姫君の近くの花の色を見て慰めにしよう」と思って行った。
殿上の賭弓は、二月の予定だったが延びて、三月は忌月なので、残念なことだ、と人々が思ったが、六条の院でこうした催しがあると聞いて、いつものように集った。 左右の大将は、身内ということで参上し、以下の次将たちが交互に競って、小弓ということだったが、歩弓の上手が参加していたので、召し出して射させた。
殿上人たちも射手としてふさわしい者はすべて、前後の組、左右に分けて、夕方になるまで、今日を限りの霞の様子も気ぜわしく、吹き乱れる夕風に、花の下から立去り難く、人々はすっかり飲みすぎて酔ってしまい、
「しゃれた賭物には、あちこちのご婦人方の趣味が見えますね。柳の葉を百発百中で射たという射手が、得意顔で受けるのも、面白くない。少しおっとりした連中も競わせるがよい」
ということで、大将たちから庭に下りて、柏木は、人より物思いに沈んでいる様子なので、事情を知っている夕霧には、それを見つけて、
「やはり、とても様子が変だ。やっかいなことが起きる仲になったのか」
と自分までが悩んでいる心地がするのだった。この君たちは、とても仲が良い。普通に仲が良いだけでなく、気心通じ合っているので、相手が物思わしく沈んでおるのをわがことのように分かるのだった。
柏木が、自分で源氏を見るときも、気恐ろしくまばゆく見えて、
「こんなことを思っていいものか。普通のことでも、不届きな、人に非難される振舞いはしないと思っているのに。身の程しらずのことを」
と思い悩んでは、
「あの猫だけでも、手に入れたい。思いを告げる相手にはならないが、寂しさを紛らす慰めに手なずけよう」
と思うと、狂おしくなって、「どうやって盗み出そう」と、それさえ難しく思われるのだった。 |
|
35.2 柏木、女三の宮の猫を預る |
女御の御方に参りて、物語など聞こえ紛らはし試みる。いと奥深く、心恥づかしき御もてなしにて、まほに見えたまふこともなし。かかる御仲らひにだに、気遠くならひたるを、「ゆくりかに,あやしくは、ありしわざぞかし」とは、さすがにうちおぼゆれど、おぼろけにしめたるわが心から、浅くも思ひなされず。
春宮に参りたまひて、「論なう通ひたまへるところあらむかし」と、目とどめて見たてまつるに、匂ひやかになどはあらぬ御容貌なれど、さばかりの御ありさまはた、いと異にて、あてになまめかしくおはします。
内裏の御猫の、あまた引き連れたりけるはらからどもの、所々にあかれて、この宮にも参れるが、いとをかしげにて歩くを見るに、まづ思ひ出でらるれば、
「六条の院の姫宮の御方にはべる猫こそ、いと見えぬやうなる顔して、をかしうはべしか。はつかになむ見たまへし」
と啓したまへば、わざとらうたくせさせたまふ御心にて、詳しく問はせたまふ。
「唐猫の、ここのに違へるさましてなむはべりし。同じやうなるものなれど、心をかしく人馴れたるは、あやしくなつかしきものになむはべる」
など、ゆかしく思さるばかり、聞こえなしたまふ。
聞こし召しおきて、桐壺の御方より伝へて聞こえさせたまひければ、参らせたまへり。「げに、いとうつくしげなる猫なりけり」と、人びと興ずるを、衛門督は、「尋ねむと思したりき」と、御けしきを見おきて、日ごろ経て参りたまへり。
童なりしより、朱雀院の取り分きて思し使はせたまひしかば、御山住みに後れきこえては、またこの宮にも親しう参り、心寄せきこえたり。御琴など教へきこえたまふとて、
「御猫どもあまた集ひはべりにけり。いづら、この見し人は」
と尋ねて見つけたまへり。いとらうたくおぼえて、かき撫でてゐたり。宮も、
「げに、をかしきさましたりけり。心なむ、まだなつきがたきは、見馴れぬ人を知るにやあらむ。ここなる猫ども、ことに劣らずかし」
とのたまへば、
「これは、さるわきまへ心も、をさをさはべらぬものなれど、その中にも心かしこきは、おのづから魂はべらむかし」など聞こえて、「まさるどもさぶらふめるを、これはしばし賜はり預からむ」
と申したまふ。心のうちに、あながちにをこがましく、かつはおぼゆるに、これを尋ね取りて、夜もあたり近く臥せたまふ。
明け立てば、猫のかしづきをして、撫で養ひたまふ。人気遠かりし心も、いとよく馴れて、ともすれば、衣の裾にまつはれ、寄り臥し睦るるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたく眺めて、端近く寄り臥したまへるに、来て、「ねう、ねう」と、いとらうたげに鳴けば、かき撫でて、「うたても、すすむかな」と、ほほ笑まる。
「恋ひわぶる人のかたみと手ならせば なれよ何とて鳴く音なるらむ
これも昔の契りにや」
と、顔を見つつのたまへば、いよいよらうたげに鳴くを、懐に入れて眺めゐたまへり。御達などは、
「あやしく、にはかなる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れたまはぬ御心に」
と、とがめけり。宮より召すにも参らせず、取りこめて、これを語らひたまふ。 |
弘徽殿の女御の所に行って、話をして紛らわそうとした。女御は、たしなみ深く、気恥ずかしくなるような様子で、じかに姿を見せない。こうした兄妹の間でも、隔てを置いていて、「あの垣間見の件は、思いがけずあり得ないことであった」と、さすがに思ったが、一途に思いつめた心には、姫宮の不注意とは思われなかった。
春宮の所に行って、「当然姫宮に似ているところがあるだろう」と、目をこらして見たが、匂うような容貌ではないが、尊いご身分の所作はさすがに、格別で、気品がありどことなく優雅な気配があった。
内裏の猫が、たくさん仔猫を産むので、あちこちにもらわれて、この宮にも来ているが、大そう可愛らしく歩くのを見ると、まず思い出されるので、
「六条の院の姫宮の方にいる猫こそ、まことに珍しい顔をして、かわいらしいです。ほんのちょっと見ました」
と話を持っていくと、春宮は格別に猫をかわいがるご性格で、詳しく問うた。
「唐猫で、ここのと違うような様子でした。猫は同じようなものに思われますが、利口で人に馴れれば、奇妙にかわいらしいものです」
などと、柏木は、春宮が興味をもつように、言うのだった。
春宮は聞いて置いて、桐壷の方から先方に伝えてもらうと、その猫が献上された。「本当にかわいい猫ですね」と人々が興じているので、柏木は「ほしいと思っていました」と春宮の気色を見て、日を経て参上した。
柏木は、子供の頃から、朱雀院がとりわけ目をかけて使っていたので、院が山に籠ってからは、この宮にも親しく参って、お仕えしていた。琴の弾き方を教えたりして、
「猫がたくさんいますね。どこにいるのかな、あの女が見た猫は」
と探し出して見付けた。とてもかわいらしく思って、撫でていた。春宮も、
「ほんとうにとてもかわいい猫だね。内心、まだ用心しているのは、見知らぬ人がいるからかな。ここの猫たちに、劣らない可愛さだね」
と春宮は仰せになる。
「猫は、そんな分別は、ないでしょうが、その中でも賢いのは、自ずから性根がすわっているのでしょう」などと柏木は言って、「もっとよい猫がいるようですから、これはしばらくお預かりしたい」
と申し出たのだった。心の内では、我ながらあまりに馬鹿げている、と思うのだが、これを預かって、夜も側に伏せさせた。
夜が明ければ、猫の世話をし、撫でてかわいがる。人になつかなかった性格も、よく馴れてきて、ともすれば、衣の裾にまつわって、寄り伏して甘えるのを、心からかわいいと思う。物思いに沈んでいると、端近くに寄って来て、「ねう、ねう」と、かわいく鳴けば、撫でて「いやに積極的だな」と微笑むのだった。
(柏木の歌)「恋焦がれる人の形見と思って撫でて親しんでいると
にゃにゃと何で鳴くのか
お前とこうしているのも前世の宿命だろう」
と顔を見ながら言うと、いよいよかわいらしく鳴くので、懐に入れて物思いに沈んでいる。女房の御達などは、
「不思議なこと、急に猫が好きになるとは。動物などお好きでないご性分なのに」
と不審がった。春宮より返すよう催促があっても、参上しないのだった。 |
|
35.3 真木柱姫君には無関心 |
左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも、右大将の君をば、なほ昔のままに、疎からず思ひきこえたまへり。心ばへのかどかどしく、気近くおはする君にて、対面したまふ時々も、こまやかに隔てたるけしきなくもてなしたまへれば、大将も、淑景舎などの、疎々しく及びがたげなる御心ざまのあまりなるに、さま異なる御睦びにて、思ひ交はしたまへり。
男君、今はまして、かのはじめの北の方をももて離れ果てて、並びなくもてかしづききこえたまふ。この御腹には、男君達の限りなれば、さうざうしとて、かの真木柱の姫君を得て、かしづかまほしくしたまへど、祖父宮など、さらに許したまはず、
「この君をだに、人笑へならぬさまにて見む」
と思し、のたまふ。
親王の御おぼえいとやむごとなく、内裏にも、この宮の御心寄せ、いとこよなくて、このことと奏したまふことをば、え背きたまはず、心苦しきものに思ひきこえたまへり。おほかたも今めかしくおはする宮にて、この院、大殿にさしつぎたてまつりては、人も参り仕うまつり、世人も重く思ひきこえけり。
大将も、さる世の重鎮となりたまふべき下形なれば、姫君の御おぼえ、などてかは軽くはあらむ。聞こえ出づる人びと、ことに触れて多かれど、思しも定めず。衛門督を、「さも、けしきばまば」と思すべかめれど、猫には思ひ落としたてまつるにや、かけても思ひ寄らぬぞ、口惜しかりける。
母君の、あやしく、なほひがめる人にて、世の常のありさまにもあらず、もて消ちたまへるを、口惜しきものに思して、継母の御あたりをば、心つけてゆかしく思ひて、今めきたる御心ざまにぞものしたまひける。 |
髭黒の北の方である玉鬘は、太政大臣の子息たちよりも、夕霧をば、今でも昔のままに、疎からず思っていた。玉鬘は気立てがはきはきして、気さくなお方で、対面するときも、細かく隔てを立てたりせずにもてなすので、夕霧も、桐壷の女御などのよそよそしく及び難く取り澄まし過ぎているのに比べて、玉鬘とは一風変わった親しさで付き合っていた。
夫の髭黒は、元の北の方とはすっかり縁が切れて、玉鬘をこの上なく大事にしている。この腹には、男の子ばかりで、物足りないので、あの真木柱の姫君をもらい受けて育てようと思ったが、祖父の式部卿の宮が、許そうとしないのであった。
「この娘だけは、人に笑われぬような立派な婿を取りたい」
と思い、言うのであった。
式部卿の宮の声望は高く、内裏も、この宮への信頼は、とても厚く、これは是非と奏することがあれば、帝も、お断わりにはなれず、心にかけて大切な方と思っておられるのだった。おおよその人柄も派手な性格で、源氏と太政大臣の次はこの方と思われ、人も宮邸に集まり、世人も重く思っていた。
髭黒も、この先世の重鎮になる有力者であれば、姫君の真木柱の世評も高く、どうして軽いことがあろうか。嫁にと希望を申し出る人も多く、何かにつけて申し出が多いのであるが、宮はお決めにならない。柏木は、猫より下に見ているのか、全然その気がないのは残念なことだった。
母君は、気が変になって、どうしたことか未だにおかしく、世間の普通の様子ではなく、廃人のようになっているのを残念に思い、継母の玉鬘のことを、心からあこがれており、今風の派手な気性であった。 |
|
35.4 真木柱、兵部卿宮と結婚 |
兵部卿宮、なほ一所のみおはして、御心につきて思しけることどもは、皆違ひて、世の中もすさまじく、人笑へに思さるるに、「さてのみやはあまえて過ぐすべき」と思して、このわたりにけしきばみ寄りたまへれば、大宮、
「何かは。かしづかむと思はむ女子をば、宮仕へに次ぎては、親王たちにこそは見せたてまつらめ。ただ人の、すくよかに、なほなほしきをのみ、今の世の人のかしこくする、品なきわざなり」
とのたまひて、いたくも悩ましたてまつりたまはず、受け引き申したまひつ。
親王、あまり怨みどころなきを、さうざうしと思せど、おほかたのあなづりにくきあたりなれば、えしも言ひすべしたまはで、おはしましそめぬ。いと二なくかしづききこえたまふ。
大宮は、女子あまたものしたまひて、
「さまざまもの嘆かしき折々多かるに、物懲りしぬべけれど、なほこの君のことの思ひ放ちがたくおぼえてなむ。母君は、あやしきひがものに、年ごろに添へてなりまさりたまふ。大将はた、わがことに従はずとて、おろかに見捨てられためれば、いとなむ心苦しき」
とて、御しつらひをも、立ちゐ、御手づから御覧じ入れ、よろづにかたじけなく御心に入れたまへり。 |
蛍兵部卿の宮は、未だに独身で、熱心に望んだことは皆成就せず、世の中が面白くなく、世間の笑いものになっていると思って、「こんなふうにのんびり構えていられない」と思って式部卿の宮家に寄って漏らしたところ、式部卿宮は、
「いや何、大事に世話したいと思う娘は、帝にさし上げる。次いでは、親王の妻にさし上げればいい。臣下人の堅い一方で、おもしろくない連中ばかりを、今の世の人が有り難がるのは、品がない」
と仰って、それほども気を持たせずにあっさりと、結婚を承諾されたのだった。
親王、あまりに恋の恨みがないのが、物足りなく思ったが、大体が軽んじられない権勢がある宮家なので、あえて言い逃れることもできず、通うことになった。大事にせわするのだった。
式部卿宮には娘がたくさんいて、
「様々に嘆かわしいときがあって、もう懲りたと思ったが、それでもこの娘のことは放っておけない。母君はおかしな正体もない人間になってしまい、年がたつにつれて悪化した。大将は、思い通りにならないと言って、北の方を見捨てたので、まことに不憫でね」
と言って、部屋の飾りも立ち居して、熱心に自ら世話をし、何かと恐れ多くも、自分でするのであった。 |
|
35.5 兵部卿宮と真木柱の不幸な結婚生活 |
宮は、亡せたまひにける北の方を、世とともに恋ひきこえたまひて、「ただ、昔の御ありさまに似たてまつりたらむ人を見む」と思しけるに、「悪しくはあらねど、さま変はりてぞものしたまひける」と思すに、口惜しくやありけむ、通ひたまふさま、いともの憂げなり。
大宮、「いと心づきなきわざかな」と思し嘆きたり。母君も、さこそひがみたまへれど、うつし心出で来る時は、「口惜しく憂き世」と、思ひ果てたまふ。
大将の君も、「さればよ。いたく色めきたまへる親王を」と、はじめよりわが御心に許したまはざりしことなればにや、ものしと思ひたまへり。
尚侍の君も、かく頼もしげなき御さまを、近く聞きたまふには、「さやうなる世の中を見ましかば、こなたかなた、いかに思し見たまはまし」など、なまをかしくも、あはれにも思し出でけり。
「そのかみも、気近く見聞こえむとは、思ひ寄らざりきかし。ただ、情け情けしう、心深きさまにのたまひわたりしを、あへなくあはつけきやうにや、聞き落としたまひけむ」と、いと恥づかしく、年ごろも思しわたることなれば、「かかるあたりにて、聞きたまはむことも、心づかひせらるべく」など思す。
これよりも、さるべきことは扱ひきこえたまふ。 せうとの君たちなどして、かかる御けしきも知らず顔に、憎からず聞こえまつはしなどするに、心苦しくて、もて離れたる御心はなきに、大北の方といふさがな者ぞ、常に許しなく怨じきこえたまふ。
「親王たちは、のどかに二心なくて、見たまはむをだにこそ、はなやかならぬ慰めには思ふべけれ」
とむつかりたまふを、宮も漏り聞きたまひては、「いと聞きならはぬことかな。昔、いとあはれと思ひし人をおきても、なほ、はかなき心のすさびは絶えざりしかど、かう厳しきもの怨じは、ことになかりしものを」、心づきなく、いとど昔を恋ひきこえたまひつつ、
故里にうち眺めがちにのみおはします。さ言ひつつも、二年ばかりになりぬれば、かかる方に目馴れて、ただ、さる方の御仲にて過ぐしたまふ。 |
蛍兵部卿の宮は、亡くなった北の方を、ずっと忘れがたく思っていて、「ただ、亡き北の方に似ている人を見つけたい」と思っていたので、「(真木柱は)悪くはないのだが、全然気配や感じが違う」と思うと、残念な気持ちがして、頻繁に通うのもいかにも億劫そうであった。
式部卿宮は、「まったくひどいやり方だな」と思い嘆いた。母君も、気がおかしな人だが、正気になった時には、「うまくいかない世」と、すっかり悲観している。
髭黒の大将も、「やはりそうか。とても好色な宮だからな」と初めから賛成ではなかったので、やはりそうかと面白くない気持ちだった。
尚侍の君(玉鬘)も、つれない蛍兵部卿の宮の仕打ちを、近くに聞いて「そのようなひどい扱いをわたしが受けたなら、君や大臣は、どう思うであろうか」など、何かおかしく、あわれに思った。
「その昔、結婚しようとは、思わなかったが、ただ、情のこもった優しい文を頂いた時があり、わたしが髭黒と一緒になって、手に平を返すように、軽薄な女と見下すようになったかも」と、恥ずかしく思い、年来思いだすことなので、「こんな近い間柄で、どんな噂が伝わるか、気を付けなければ」などと思うのだった。
玉鬘の方からも真木柱にそれとなくとりなした。真木柱の弟たちをつかって、このような冷たい仕打ちは知らぬふうに、親しく世話するので、宮も気の毒に思い、離縁するつもりはないが、大北の方という性悪女は、いつも恨み言を言っていた。
「親王たちは、おとなしく浮気をしないのが取り得で、その代わり華やかな暮らしぶりは期待できない、と思うべき」
とぶつぶつ言うのを、蛍式部卿の宮も漏れ聞いて、「いや、聞いたこともないひどい言い方だ。昔、あわれと思っていた北の方を差し置いて、それでも、折々の浮気はあったが、こんなきびしい恨み言は言われたことがない」と不愉快で、ますます昔が恋しく、
昔仲睦まじく住んでいた自邸でぼんやり時をすごしていた。そう言いながらも、二年も経つと、こうした間柄にも馴れて、そうした淡い夫婦仲で暮らしている。 |
|
35.6 冷泉帝の退位 |
はかなくて、年月もかさなりて、内裏の帝、御位に即かせたまひて、十八年にならせたまひぬ。
「嗣の君とならせたまふべき御子おはしまさず、ものの栄なきに、世の中はかなくおぼゆるを、心やすく、思ふ人びとにも対面し、私ざまに心をやりて、のどかに過ぎまほしくなむ」
と、年ごろ思しのたまはせつるを、日ごろいと重く悩ませたまふことありて、にはかに下りゐさせたまひぬ。世の人、「飽かず盛りの御世を、かく逃れたまふこと」と惜しみ嘆けど、春宮もおとなびさせたまひにたれば、うち嗣ぎて、世の中の政事など、ことに変はるけぢめもなかりけり。
太政大臣、致仕の表たてまつりて、籠もりゐたまひぬ。
「世の中の常なきにより、かしこき帝の君も、位を去りたまひぬるに、年深き身の冠を挂けむ、何か惜しからむ」
と思しのたまひて、左大将、右大臣になりたまひてぞ、世の中の政事仕うまつりたまひける。女御の君は、かかる御世をも待ちつけたまはで、亡せたまひにければ、限りある御位を得たまへれど、ものの後ろの心地して、かひなかりけり。
六条の女御の御腹の一の宮、坊にゐたまひぬ。さるべきこととかねて思ひしかど、さしあたりてはなほめでたく、目おどろかるるわざなりけり。右大将の君、大納言になりたまひぬ。いよいよあらまほしき御仲らひなり。
六条院は、下りゐたまひぬる冷泉院の、御嗣おはしまさぬを、飽かず御心のうちに思す。同じ筋なれど、思ひ悩ましき御ことならで、過ぐしたまへるばかりに、罪は隠れて、末の世まではえ伝ふまじかりける御宿世、口惜しくさうざうしく思せど、人にのたまひあはせぬことなれば、いぶせくなむ。
春宮の女御は、御子たちあまた数添ひたまひて、いとど御おぼえ並びなし。源氏の、うち続き后にゐたまふべきことを、世人飽かず思へるにつけても、冷泉院の后は、ゆゑなくて、あながちにかくしおきたまへる御心を思すに、いよいよ六条院の御ことを、年月に添へて、限りなく思ひきこえたまへり。
院の帝、思し召ししやうに、御幸も、所狭からで渡りたまひなどしつつ、かくてしも、げにめでたくあらまほしき御ありさまなり。 |
これという事もなくて、年月も経ち、内裏の帝は、即位して、すでに十八年が経った。
「世継ぎの君となる子もいないので、子孫が栄えるということもなく、先のことも心もとなく思われるのを、気楽に話しできる人々にも会って、自分の自由にしてのんびり暮らしたい」
と、年来思っていたことを、近頃はことに強く悩みを感じて、にわかに譲位したのだった。世間の人は、「まだ若い盛りの御代なのに、こうして譲られるとは」と惜しんで嘆くが、春宮も十分大人になったので、後を継いで、世の中の政事など、格別に大きな変化はなかった。
太政大臣は、辞職届を提出し、籠ってしまった。
「世は無常である、恐れ多い帝も、位を去り、老年のこの身も冠を掛けて去るに何か惜しまれよう」
と言って、左大臣の髭黒が、右大臣になって、世の政事の補佐をすることになった。承香殿の女御は、こうした御代を待たずに亡くなったので、規定のご称号を得たけれど、物陰に隠れた感じで、甲斐がなかった。
六條の女御(明石の姫君)のお生みになった第一の皇子は東宮の位についた。当然のことと予想はされたが、とりあえずめでたく、目も覚めるような事だった。右大将(夕霧)は、大納言になり、ますます良好な髭黒と夕霧の関係であった。
源氏は、退位した冷泉院に、直系の後継ぎがいないことを、大そう残念に思う。新春宮も同じ血筋だが、冷泉院が悩み多きことなく治世を全うしたことで、自分の罪は隠れて、末の世まで子孫が続かないことの宿世を、口惜しく物足りなく思うが、人に語ることもできないので、気が晴れない。
春宮の母である女御は、子供がたくさんいて、帝の寵愛も並ぶものがない。源氏の系統が、続いて后にいることを、世間では不満の声も上がったが、冷泉帝の后である秋好む中宮は、格別の理由もなく、強引に自分を后に据えたことを思うと、いよいよ源氏を、年月が経つにつれ、感謝するのであった。
冷泉院は、思った通りに、御幸も、窮屈でなく外出したりして、ご譲位の後も、確かに申し分のない暮らしぶりであった。 |
|
35.7 六条院の女方の動静 |
姫宮の御ことは、帝、御心とどめて思ひきこえたまふ。おほかたの世にも、あまねくもてかしづかれたまふを、対の上の御勢ひには、えまさりたまはず。年月経るままに、御仲いとうるはしく睦びきこえ交はしたまひて、いささか飽かぬことなく、隔ても見えたまはぬものから、
「今は、かうおほぞうの住まひならで、のどやかに行なひをも、となむ思ふ。この世はかばかりと、見果てつる心地する齢にもなりにけり。さりぬべきさまに思し許してよ」
と、まめやかに聞こえたまふ折々あるを、
「あるまじく、つらき御ことなり。みづから、深き本意あることなれど、とまりてさうざうしくおぼえたまひ、ある世に変はらむ御ありさまの、うしろめたさによりこそ、ながらふれ。つひにそのこと遂げなむ後に、ともかくも思しなれ」
などのみ、妨げきこえたまふ。
女御の君、ただこなたを、まことの御親にもてなしきこえたまひて、御方は隠れがの御後見にて、卑下しものしたまへるしもぞ、なかなか、行く先頼もしげにめでたかりける。
尼君も、ややもすれば、堪へぬよろこびの涙、ともすれば落ちつつ、目をさへ拭ひただして、命長き、うれしげなる例になりてものしたまふ。 |
女三の宮のことは、新帝も心にとどめられて、世間からも、大切にされ敬われていたが、紫の上の勢いには、到底及ばないのだった。年月を経ても、(源氏と紫上の)仲はむつまじく交わっていて親しく、いささかも不足な点はなく、互によそよそしいところもないので、
「今は、こうした成り行き任せではなく,心静かにお勤めをしたいと思う。この世はこの程度、と見極めがついた歳にもなりました。思いますのでこの願いを叶えてください」
と(紫上が)まじめにいう時が折々あるので、
「とんでもない、ひどい仰りようですね。わたし自身が、出家の本懐がありながら、あなたが後に残って物寂しく思い、まったく変わるだろう暮らしを心配して、果さないできたのです。わたしが思いを遂げてから、どうともお考え下さい」
などと、(源氏が)反対するのだった。
明石の姫君は、紫の上を本当の親と思っているので、明石の上は陰の世話役に甘んじて、しっかり分を守っているので、かえって将来が安心できるように思えるのだった。
尼君も何かといえば、こらえきれない喜びに涙が、どうかすると落ちるので、涙をぬぐった目もぱっちりして、長生きした、幸せ者の例になっておられる。 |
|
35.8 源氏、住吉に参詣 |
住吉の御願、かつがつ果たしたまはむとて、春宮女御の御祈りに詣でるためたまはむとて、かの箱開けて御覧ずれば、さまざまのいかめしきことども多かり。
年ごとの春秋の神楽に、かならず長き世の祈りを加へたる願ども、げに、かかる御勢ひならでは、果たしたまふべきこととも思ひおきてざりけり。ただ走り書きたる趣きの、才々しくはかばかしく、仏神も聞き入れたまふべき言の葉明らかなり。
「いかでさる山伏の聖心に、かかることどもを思ひよりけむ」と、あはれにおほけなくも御覧ず。「 さるべきにて、しばしかりそめに身をやつしける、昔の世の行なひ人にやありけむ」など思しめぐらすに、いとど軽々しくも思されざりけり。
このたびは、この心をば表はしたまはず、ただ、院の御物詣でにて出で立ちたまふ。浦伝ひのもの騒がしかりしほど、そこらの御願ども、皆果たし尽くしたまへれども、なほ世の中にかくおはしまして、かかるいろいろの栄えを見たまふにつけても、神の御助けは忘れがたくて、対の上も具しきこえさせたまひて、詣でさせたまふ、響き世の常ならず。いみじくことども削ぎ捨てて、世の煩ひあるまじく、と省かせたまへど、限りありければ、めづらかによそほしくなむ。 |
住吉神社への祈願は、とりあえずは御礼参りをしようと、明石の姫君のための祈願に詣でることとし、あの箱を開けると、さまざまなお礼参りのことが書いてある。
年ごとの春秋の神楽に、必ず行く末長く世の栄を祈願し、実に源氏の威勢がなければ、お礼参りを果せそうもないことは考えていなかったようだ。ただ走り書きであったが、学才の程が偲ばれ、神仏も聞き入れざるを得ない言葉の力があった。
「どうしてあのような山伏の聖心に、このようなことが思いつけたのだろう」とあわれを感じ、分に過ぎたことと思うのだった。「前世の因縁で人の姿に身をやつした、昔は修行僧だったのだろう」などと思いめぐらす、ますます軽くは扱えない。
今回は、明石の女御の行く末の祈願を表に立てず、ただ源氏の物詣ということで出立した。須磨明石に流浪して苦労した当時の願はみな成就してしまって、さらに、なお世の中で栄華の頂を極めて、いろいろの栄を得たので、神の助けは忘れがたく、紫の上も同行して、詣でさせたので、世間の騒ぎは並大抵ではなかった。大げさにならないように質素にして、世間に迷惑をかけないようにしたが、身分が身分なので限りがあり、またなくきらびやかなものになった。 |
|
35.9 住吉参詣の一行 |
上達部も、大臣二所をおきたてまつりては、皆仕うまつりたまふ。舞人は、衛府の次将どもの、容貌きよげに、丈だち等しき限りを選らせたまふ。この選びに入らぬをば恥に、愁へ嘆きたる好き者どもありけり。
陪従も、石清水、賀茂の臨時の祭などに召す人びとの、道々のことにすぐれたる限りを整へさせたまへり。加はりたる二人なむ、近衛府の名高き限りを召したりける。
御神楽の方には、いと多く仕うまつれり。内裏、春宮、院の殿上人、方々に分かれて、心寄せ仕うまつる。数も知らず、いろいろに尽くしたる上達部の御馬、鞍、馬副、随身、小舎人童、次々の舎人などまで、整へ飾りたる見物、またなきさまなり。
女御殿、対の上は、一つに奉りたり。次の御車には、明石の御方、尼君忍びて乗りたまへり。女御の御乳母、心知りにて乗りたり。 方々のひとだまひ、上の御方の五つ、女御殿の五つ、明石の御あかれの三つ、目もあやに飾りたる装束、ありさま、言へばさらなり。さるは、
「尼君をば、同じくは、老の波の皺延ぶばかりに、人めかしくて詣でさせむ」
と、院はのたまひけれど、
「このたびは、かくおほかたの響きに立ち交じらむもかたはらいたし。もし思ふやうならむ世の中を待ち出でたらば」
と、御方はしづめたまひけるを、残りの命うしろめたくて、かつがつものゆかしがりて、慕ひ参りたまふなりけり。 さるべきにて、もとよりかく匂ひたまふ御身どもよりも、いみじかりける契り、あらはに思ひ知らるる人の御ありさまなり。 |
上達部も、左右の大臣を除いて、皆随行した。舞人は衛府の次将たちの中で、容貌がよく、背丈もそろったものを選んだ。この選にもれた者たちがそれを恥じて、愁え嘆いた芸熱心な者たちも大勢いた。
専従の楽人たちも、石清水、加茂の臨時の祭りなどに召される人々を選び、それぞれの楽器に優れたのを選んで整えた。加わった二人の楽人も、 近衛府の名高い者を選んだ。
神楽の方は、大勢そろった。内裏、春宮、院の殿上人、それぞれに目指す方に奉仕するのだった。大勢が、善美を尽くして、上達部の馬、鞍、馬の従者、護衛の兵、小舎人童、それぞれの舎人などに至るまで、選んで飾り立てたのは見物で、またとなく素晴らしい。
明石の女御と紫の上は、ひとつの車に乗り、次の車には明石の上と尼君が乗った。女御の乳母は、事情を知る者として同乗した。それぞれ女房たちの車は、紫の上のは五つ、女御のは五つ、明石の上は三つで、目も鮮やかに飾った装束、その有様は、言うまでもない。実は、
「尼君を、どうせなら、老いのしわも延びるように、家族の一員として連れて行こう」
と、源氏は仰せになったが、
「今回は世をあげての盛んな催しに御一緒するのも憚られます。もし思うよな世が来たら、その時でも」
と明石の上は止めたのだが、余命が心配で、ともあれ盛儀の様も見たくて、ついてお出でになったのだった。。高い宿縁により、元々こうして栄達する身分ではなく、まことに素晴らしい宿縁によって、はっきり思い知られる御身であった。 |
|
35.10 住吉社頭の東遊び |
十月中の十日なれば、神の斎垣にはふ葛も色変はりて、松の下紅葉など、音にのみ秋を聞かぬ顔なり。ことことしき高麗、唐土の楽よりも、 東遊びの耳馴れたるは、なつかしくおもしろく、波風の声に響きあひて、さる木高き松風に吹き立てたる笛の音も、ほかにて聞く調べには変はりて身にしみ、御琴に打ち合はせたる拍子も、鼓を離れて調へとりたるかた、おどろおどろしからぬも、なまめかしくすごうおもしろく、所からは、まして聞こえけり。
山藍に摺れる竹の節は、松の緑に見えまがひ、插頭の色々は、秋の草に異なるけぢめ分かれで、何ごとにも目のみまがひいろふ。
「求子」果つる末に、若やかなる上達部は、肩ぬぎて下りたまふ。匂ひもなく黒き袍に蘇芳襲の、葡萄染の袖を、にはかに引きほころばしたるに、紅深き衵の袂の、うちしぐれたるにけしきばかり濡れたる、松原をば忘れて、紅葉の散るに思ひわたさる。
見るかひ多かる姿どもに、いと白く枯れたる荻を、高やかにかざして、ただ一返り舞ひて入りぬるは、いとおもしろく飽かずぞありける。 |
十月の中旬になり、神社の斎垣に這う葛も色が変わって、松の下の紅葉も、風の音だけでなく色も変わって秋知り顔である。 ものものしい高麗唐土の楽よりも、東遊びの耳馴れた音がやさしくおもしろく、波風の音に呼応して、小高い松風に吹きたてた笛の音も他で聞くのと違って身に染みて、琴に合わせた拍子も、鼓をつかわずに調子をとって、大げさなところがないのも、優雅でこころに響く、場所が場所だけにいっそう素晴らしい。
山藍で染めた竹の節は、松の緑に見えまがい、插頭の花のさまざまな色は秋の草花と違い、どれもこれも目先がちらつく。
求子の終わるころに、若い上達部たちは、右肩を脱いで庭に出た。何の映えもない黒の袍に蘇芳襲の、葡萄染の袖を、にはかに引き出して、紅深き衵の袂の、さっと時雨てほんのわずか濡れて、松原にいるのを忘れて、紅葉の散る思いがする。
皆見栄えのする容姿で、その中で白く枯れた荻を冠に高くかざして、ただひと舞して退出するのは、大へん趣があった。 |
|
35.11 源氏、往時を回想 |
大殿、昔のこと思し出でられ、中ごろ沈みたまひし世のありさまも、目の前のやうに思さるるに、その世のこと、うち乱れ語りたまふべき人もなければ、致仕の大臣をぞ、恋しく思ひきこえたまひける。
入りたまひて、二の車に忍びて、
「誰れかまた心を知りて住吉の 神代を経たる松にこと問ふ」
御畳紙に書きたまへり。尼君うちしほたる。かかる世を見るにつけても、かの浦にて、今はと別れたまひしほど、女御の君のおはせしありさまなど思ひ出づるも、いとかたじけなかりける身の宿世のほどを思ふ。世を背きたまひし人も恋しく、さまざまにもの悲しきを、かつはゆゆしと言忌して、
「住の江をいけるかひある渚とは 年経る尼も今日や知るらむ」
遅くは便なからむと、ただうち思ひけるままなりけり。
「昔こそまづ忘られね 住吉の神のしるしを見るにつけても」
と独りごちけり。 |
源氏は昔のことを思い出し、須磨明石に流浪した頃の落ち込んでいた時のことを、つい昨日のように思い出し、その頃のことを、思う存分語りあえる人もいないので、致仕の大臣を恋しく思うのだった。
二の車に入って、
(源氏の歌)「わたしの他に誰かまた昔のことを知っていて、
住吉の神代を経た松に話かけるでしょうか」
懐紙に書いた。尼君は涙にくれている。このような栄えある世を見るにつけても、あの浦で、今生の別れをしたこと、女御の君が明石で暮らした頃の様子を思い出して、大へん身の程過ぎた幸運な宿世を思うと、出家した人も恋しくて、さまざまに物悲しいのを、縁起でもないと思い直して、
(尼の歌)「この住の江を生きてきた甲斐がある渚と
年を経た尼も今日やっと知ることであった」
遅くなっては失礼と思い、思ったままを詠った。
(尼の歌)「昔のことが忘れられない
住吉の神の霊験あらたかなしるしを見るにつけても」
と独り言を口ずさむのだった。 |
|
35.12 終夜、神楽を奏す |
夜一夜遊び明かしたまふ。二十日の月はるかに澄みて、海の面おもしろく見えわたるに、霜のいとこちたく置きて、松原も色まがひて、よろづのことそぞろ寒く、おもしろさもあはれさも立ち添ひたり。
対の上、常の垣根のうちながら、時々につけてこそ、興ある朝夕の遊びに、耳古り目馴れたまひけれ、御門より外の物見、をさをさしたまはず、ましてかく都のほかのありきは、まだ慣らひたまはねば、珍しくをかしく思さる。
「住の江の松に夜深く置く霜は 神の掛けたる木綿鬘かも」
篁の朝臣の、「比良の山さへ」と言ひける雪の朝を思しやれば、祭の心うけたまふしるしにやと、いよいよ頼もしくなむ。女御の君、
「神人の手に取りもたる榊葉に 木綿かけ添ふる深き夜の霜」
中務の君、
「祝子が木綿うちまがひ置く霜は げにいちじるき神のしるしか」
次々数知らず多かりけるを、何せむにかは聞きおかむ。かかるをりふしの歌は、例の上手めきたまふ男たちも、 なかなか出で消えして、 松の千歳より離れて、今めかしきことなければ、うるさくてなむ。 |
ひと晩中遊び明かした。二十日の月はくっきり澄み渡って、海の面が美しく見渡せて、霜がたくさんおりていて、松原も霜に紛れて、すべてがそぞろ寒く、趣もあわれもともにひどく身に染るのだった。
紫の上は、普段は邸の内にいながら、ときどきは、興ある朝夕の遊びに、見聞きして馴れていたのだが、自邸の外で物見は、ほとんどしたことがなかったので、ましてこのように都の外では、まだ慣れていなく、珍しく興あることと思った。
(紫上の歌)「住江の松に夜遅くおく霜は
神が掛けた木綿鬘かも」
篁の朝臣の、「比良の山さへ」と詠んだ雪の朝が思いやられ、奉納を神がお受けになった徴だろうと、いよいよ心強くなった。女御の君、
(女御の歌)「神に仕える人が手に取った榊の葉に
木綿を掛けたのかと見まがう夜の霜です」
中務の君は、
(中務の君の歌)「神に仕える人が手にする木綿かとうちまがう
霜はほんとうに神の応答のしるしでしょう」
次々とたくさん歌が詠まれたが、何でいちいち覚えておりましょう。こうした祝いの歌は、歌の上手な男たちも、かえってぱっとしたこともなく、「松の千歳」といった決まり文句を離れて、今風のものがなく、わずらわしい。 |
|
35.13 明石一族の幸い |
ほのぼのと明けゆくに、霜はいよいよ深くて、本末もたどたどしきまで、酔ひ過ぎにたる神楽おもてどもの、おのが顔をば知らで、おもしろきことに心はしみて、庭燎も影しめりたるに、なほ、「万歳、万歳」と、榊葉を取り返しつつ、祝ひきこゆる御世の末、思ひやるぞいとどしきや。
よろづのこと飽かずおもしろきままに、千夜を一夜になさまほしき夜の、何にもあらで明けぬれば、返る波にきほふも口惜しく、若き人びと思ふ。
松原に、はるばると立て続けたる御車どもの、風にうちなびく下簾の隙々も、常磐の蔭に、花の錦を引き加へたると見ゆるに、袍の色々けぢめおきて、をかしき懸盤取り続きて、もの参りわたすをぞ、下人などは目につきて、めでたしとは思へる。
尼君の御前にも、浅香の折敷に、青鈍の表折りて、精進物を参るとて、「めざましき女の宿世かな」と、おのがじしはしりうごちけり。
詣でたまひし道は、ことことしくて、わづらはしき神宝、さまざまに所狭げなりしを、帰さはよろづの逍遥を尽くしたまふ。言ひ続くるもうるさく、むつかしきことどもなれば。
かかる御ありさまをも、かの入道の、聞かず見ぬ世にかけ離れたうべるのみなむ、飽かざりける。難きことなりかし、交じらはましも見苦しくや。世の中の人、これを例にて、心高くなりぬべきころなめり。よろづのことにつけて、めであさみ、世の言種にて、「明石の尼君」とぞ、幸ひ人に言ひける。かの致仕の大殿の近江の君は、双六打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」とぞ、賽は乞ひける。 |
ほのぼのと明けてゆき、霜はいよいよ深く、神楽の本末も見分けがつかず、酔いすぎた神楽人の面が、自分の顔の様も知らず、面白くて夢中になり、庭の火影も弱くなり、それでも、「万歳、万歳」と榊葉を取り直しして、末の世を祝っているのを、想像するのはめでたい限りだ。
何もかもがこの上なく面白く、千夜を一夜にしたような夜の、あっけなく明けてゆけば、返る波と競うように帰るのも口惜しく、若い人々は思うのだった。
松原に延々と車がとまっていて、風に揺られて御簾の下の方に隙間があって、常盤の松の陰に、花の錦を加えたように見えるので、袍の色がいろいろ違って、立派な膳にのせた食事が運ばれ、下人には目新しくて、めでたいと思うのだった。
尼君の御前にも、浅香の盆に青鈍の絹を折り敷いて、精進物を供するので、「何とも大そうな女の宿世だこと」と男たちは陰口を言うのだった。
こちらまでの道中は、ものものしく、疎略に扱えない神宝や、いろいろあって窮屈だったが、帰りは物見遊山であった。これ以上書き連ねるのも面倒なので、略します。
このような盛儀にも、あの入道が、聞けず見れず、世をかけ離れてしまったのは残念だった。入道が参列するのは難しい、また見苦しいことだろう。世の中の人は、これを先例として、高望みが流行りそうである。何かにつけて、喜び驚き、世の言い草になって、「明石の尼君」と、運のいい人を言うのだった。あの致仕の大臣の近江の君は、双六の時に、「明石の尼君、明石の尼君」と言って、賽を振った。 |
|
35.14 女三の宮と紫の上 |
入道の帝は、御行なひをいみじくしたまひて、内裏の御ことをも聞き入れたまはず。春秋の行幸になむ、昔思ひ出でられたまふこともまじりける。姫宮の御ことをのみぞ、なほえ思し放たで、この院をば、なほおほかたの御後見に思ひきこえたまひて、うちうちの御心寄せあるべく奏せさせたまふ。二品になりたまひて、御封などまさる。いよいよはなやかに御勢ひ添ふ。
対の上、かく年月に添へて、かたがたにまさりたまふ御おぼえに、
「わが身はただ一所の御もてなしに、人には劣らねど、あまり年積もりなば、その御心ばへもつひに衰へなむ。さらむ世を見果てぬさきに、心と背きにしがな」
と、たゆみなく思しわたれど、さかしきやうにや思さむとつつまれて、はかばかしくもえ聞こえたまはず。内裏の帝さへ、御心寄せことに聞こえたまへば、おろかに聞かれたてまつらむもいとほしくて、渡りたまふこと、やうやう等しきやうになりゆく。
さるべきこと、ことわりとは思ひながら、さればよとのみ、やすからず思されけれど、なほつれなく同じさまにて過ぐしたまふ。春宮の御さしつぎの女一の宮を、こなたに取り分きてかしづきたてまつりたまふ。その御扱ひになむ、つれづれなる御夜がれのほども慰めたまひける。いづれも分かず、うつくしくかなしと思ひきこえたまへり。 |
朱雀院入道は、お勤めを一途に行う日常で、帝のおいさめにも耳を貸さないのだった。春秋の朝観行幸にも、出家前のことも時々思いだされて話されるのであった。姫宮のことだけは、今なお忘れることなく、源氏を、表向きの後見と思い込んで、帝にも内々のご配慮をされるよう奏するのだった。(女三宮は)二品の位を賜って、封戸も増えた。ますます勢いがつくようであった。
紫の上も、年月が経ち、何かにつけ三の宮の声望が高くなるので、
「わたしは、ただ御一人方の寵愛を受けて、人には劣らないが、あまり年をとったら、そのご寵愛も衰えるだろう。そんなことになってしまわないうちに、出家しよう」
とずっと思い続けていたが、小賢しいと思われそうで、はっきりとは言い出せなかった。内裏の帝も格別の配慮を女の三宮は賜っているので、疎略に扱っていると思われるのも心苦しく、夜の通いも、(紫上と)ようやく等しくなった。
紫の上は、それも当然のこととは思いながらも、穏やかではなかったが、素知らぬ顔をして普段と変わらぬようにしていた。春宮に次いで生まれた妹の女一の宮を自分の方に引き寄せてかわいがっている。そのお世話に、所在ない源氏の来ない夜のつれづれに慰めている。紫の上はどの宮様もかわいらしくかわいらしく愛おしいと思う。 |
|
35.15 花散里と玉鬘 |
夏の御方は、かくとりどりなる御孫扱ひをうらやみて、大将の君の典侍腹の君を、切に迎へてぞかしづきたまふ。いとをかしげにて、心ばへも、ほどよりはされおよすけたれば、大殿の君もらうたがりたまふ。少なき御嗣と思ししかど、末に広ごりて、こなたかなたいと多くなり添ひたまふを、今はただ、これをうつくしみ扱ひたまひてぞ、つれづれも慰めたまひける。
右の大殿の参り仕うまつりたまふこと、いにしへよりもまさりて親しく、今は北の方もおとなび果てて、かの昔のかけかけしき筋思ひ離れたまふにや、さるべき折も渡りまうでたまふ。対の上にも御対面ありて、あらまほしく聞こえ交はしたまひけり。
姫宮のみぞ、同じさまに若くおほどきておはします。女御の君は、今は公ざまに思ひ放ちきこえたまひて、この宮をばいと心苦しく、幼からむ御女のやうに、思ひはぐくみたてまつりたまふ。 |
夏の御方である花散里は、紫の上がたくさんの孫の面倒を見ているのをうらやましく、夕霧の典侍腹の子を、切に頼んで世話をしているのだった。大そう可愛らしく、心ばえも、年の割には利発でしっかりしているので、源氏もかわいがるのであった。後継ぎが少ないと思ったが、末広がりで、あちらこちらと多くなり、今はただ、これらをかわいがって、つれづれの慰めにしていた。
右大臣の髭黒は以前より親しく頻繁に来るようになり、今は北の方もすっかり落ち着いた年になって、あの昔の色めかした気持ちはなく、何かの折にはご挨拶にお見えになる。紫の上とも対面して、申し分のない睦まじいお付き合いである。
姫宮だけは、変わらずに若く子供っぽくおっとりしている。女御の君のことは、すっかり帝にお任せして、この三の宮だけを気にかけて、幼い幼女のように、かわいがっていた。 |
|
35.16 朱雀院の五十賀の計画 |
朱雀院の、
「今はむげに世近くなりぬる心地して、もの心細きを、さらにこの世のこと顧みじと思ひ捨つれど、対面なむ今一度あらまほしきを、もし恨み残りもこそすれ、ことことしきさまならで渡りたまふべく」、聞こえたまひければ、大殿も、
「げに、さるべきことなり。かかる御けしきなからむにてだに、進み参りたまふべきを。まして、かう待ちきこえたまひけるが、心苦しきこと」
と、参りたまふべきこと思しまうく。
ついでなく、すさまじきさまにてやは、はひ渡りたまふべき。何わざをしてか、御覧ぜさせたまふべき」
と、思しめぐらす。
「このたび足りたまはむ年、若菜など調じてや」と、思して、さまざまの御法服のこと、斎の御まうけのしつらひ、何くれとさまことに変はれることどもなれば、人の御心しつらひども入りつつ、思しめぐらす。
いにしへも、遊びの方に御心とどめさせたまへりしかば、舞人、楽人などを、心ことに定め、すぐれたる限りをととのへさせたまふ。右の大殿の御子ども二人、大将の御子、典侍の腹の加へて三人、まだ小さき七つより上のは、皆殿上せさせたまふ。兵部卿宮の童孫王、すべてさるべき宮たちの御子ども、家の子の君たち、皆選び出でたまふ。
殿上の君達も、容貌よく、同じき舞の姿も、心ことなるべきを定めて、あまたの舞のまうけをせさせたまふ。いみじかるべきたびのこととて、皆人心を尽くしたまひてなむ。道々のものの師、上手、暇なきころなり。 |
朱雀院の、
「もうすっかり生涯の終わりに近い心地がして、心細く、さらにこの世のことは顧みないと覚悟していたが、今一度会いたいと、万一未練が残ってはいけないから、大げさにはせず、御所にお出になるように、と女三の宮にお便りしたので、源氏も、
「ほんとうに、そうだ。わざわざこういう申し入れがなくても、こちらから進んで参るべきことだ。まして、待たせているのは、お気の毒だ」
と、ご訪問のことを計画なさる。
「何の都合もなく、ただ気軽に来られるわけにもゆくまい。どういう儀礼をして、お目にかけたらいいだろう」
と源氏は思いめぐらすのだった。
「この度五十になられたので、若菜など調進しようか」と思って、さまざまな僧衣のこと、精進料理の段取り、何くれとなく、出家者への待遇なので、人の意見も聞きながら、思いめぐらすのであった。
朱雀院は昔から音楽のほうに関心があったので、舞人、楽人など、入念に選び、優れた者ばかりを選んだ。髭黒の子二人、夕霧の子で藤典侍腹の子一人を加えて、計三人、まだ小さい者たちで七つから上は、今回皆殿上させるのだった。兵部卿宮の童孫王、すべてのしかるべき宮たちの子や、名家の子たちを、選りすぐって選び出した。
若い殿上人たちも、容姿よく、同じ舞の姿でも、目立つのを定めて、たくさんの舞の準備をなさるのであった。大へんな盛儀になるだろうことなので、皆心を尽くして練習した。その道の師や、上手、が忙しかった。 |
|
35.17 女三の宮に琴を伝授 |
宮は、もとより琴の御琴をなむ習ひたまひけるを、いと若くて院にもひき別れたてまつりたまひしかば、おぼつかなく思して、
「参りたまはむついでに、かの御琴の音なむ聞かまほしき。さりとも琴ばかりは弾き取りたまひつらむ」
と、しりうごとに聞こえたまひけるを、内裏にも聞こし召して、
「げに、さりとも、けはひことならむかし。院の御前にて、手尽くしたまはむついでに、参り来て聞かばや」
などのたまはせけるを、大殿の君は伝へ聞きたまひて、
「年ごろさりぬべきついでごとには、教へきこゆることもあるを、そのけはひは、げにまさりたまひにたれど、まだ聞こし召しどころあるもの深き手には及ばぬを、何心もなくて参りたまへらむついでに、聞こし召さむとゆるしなくゆかしがらせたまはむは、いとはしたなかるべきことにも」
と、いとほしく思して、このころぞ御心とどめて教へきこえたまふ。
調べことなる手、二つ三つ、おもしろき大曲どもの、四季につけて変はるべき響き、空の寒さぬるさをととのへ出でて、やむごとなかるべき手の限りを、取り立てて教へきこえたまふに、心もとなくおはするやうなれど、やうやう心得たまふままに、いとよくなりたまふ。
「昼は、いと人しげく、なほ一度も揺し按ずる暇も、心あわたたしければ、夜々なむ、静かにことの心もしめたてまつるべき」
とて、対にも、そのころは御暇聞こえたまひて、明け暮れ教へきこえたまふ。 |
女三の宮は、もともと琴の琴を習っていたが、ごく若いときに院と別れてしまって暮らしたので、(院は)気がかりに思っていて、
「参上するついでに、姫の琴が聞きたい。それでも、琴くらいは上手に弾けるようになっただろう」
と、陰口を言うように仰せになったのを、帝にも聞こえて、
「本当に、やはり相当に上達されたでしょう。院の御前で秘術を尽くす技を聞きたいものだ、わたしも参ろう」
などと仰せになるのを、源氏の君は伝え聞いて、
「年頃そのような機会がある度に、お教えしてきましたが、その技量は、上達していますが、院にお聞かせするほどの深味のある所までは行きません。そんなおつもりはなく来られて、院がたって所望されて、ぜひお聞きしたいと申されれば、三の宮は大へん困るだろう」
と、(三の宮を)気の毒に思って、この頃は熱心に教えておられるのだった。
珍しい調子の曲を、二つ三つ、興のある大曲を、四季につけて変わる響きを、気候の寒暖で音色で変わるような微妙な曲を選んで、上手な弾き方を、取り分けて熱心に教えたので、初めは自信なさそうに弾いていたが、ようやく三の宮も得心したように、たいそうよくなった。
「昼は、人の出入りも多く、弦を一押しする間も、落ち着かないので、夜になって静かになったら、いろいろな勘所を教えましょう」
と言って、紫の上にも、暇を取って、明けても暮れても練習するのだった。 |
|
35.18 明石女御、懐妊して里下り |
女御の君にも、対の上にも、琴は習はしたてまつりたまはざりければ、この折、をさをさ耳馴れぬ手ども弾きたまふらむを、ゆかしと思して、女御も、わざとありがたき御暇を、ただしばしと聞こえたまひてまかでたまへり。
御子二所おはするを、またもけしきばみたまひて、五月ばかりにぞなりたまへれば、神事などにことづけておはしますなりけり。十一日過ぐしては、参りたまふべき御消息うちしきりあれど、かかるついでに、かくおもしろき夜々の御遊びをうらやましく、「などて我に伝へたまはざりけむ」と、つらく思ひきこえたまふ。
冬の夜の月は、人に違ひてめでたまふ御心なれば、おもしろき夜の雪の光に、折に合ひたる手ども弾きたまひつつ、さぶらふ人びとも、すこしこの方にほのめきたるに、御琴どもとりどりに弾かせて、遊びなどしたまふ。
年の暮れつ方は、対などにはいそがしく、こなたかなたの御いとなみに、おのづから御覧じ入るることどもあれば、
「春のうららかならむ夕べなどに、いかでこの御琴の音聞かむ」
とのたまひわたるに、年返りぬ。 |
明石の女御にも、紫の上にも、琴は習わせなかったので、この折に、めったに聞いたこともない曲を弾くのを、聞きたいと思って、女御も、特にお許しの出ない暇を、ほんの少しだけとお願いして里下がりして来たのであった。
子が二人いるが、またも懐妊の兆しがあって、五か月ばかりになるので、宮中の神事にかこつけて、里下がりするのであった。十二月十一日も過ぎて、帝から帰るよう催促が何度もあって、こんな折りに、面白い夜々の遊びがうらやましく、「どうしてわたしに伝授してくださらなかったのか」と、恨めしく思うのだった。
冬の夜の月は、源氏が人と違って特に好んだので、おもしろい夜の雪の光に、この季節に合った曲のあれこれを弾いて、側に仕える女房たちも、少したしなみのある者はたちは、とりどりに合奏して遊ぶのであった。
年の暮れ方で、紫の上などは、忙しく、あちこちのご婦人方の新春の支度に、どうしても自分ですることもあるので、
「新春のうららかな夕べにぜひ女三の宮の琴を聞きたいものだ」
と言っているうちに、年が改まった。 |
|
35.19 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定 |
院の御賀、まづ朝廷よりせさせたまふことどもこちたきに、さしあひては便なく思されて、すこしほど過ごしたまふ。二月十余日と定めたまひて、楽人、舞人など参りつつ、御遊び絶えず。
「この対に、常にゆかしくする御琴の音、いかでかの人びとの箏、琵琶の音も合はせて、女楽試みさせむ。ただ今のものの上手どもこそ、さらにこのわたりの人びとの御心しらひどもにまさらね。
はかばかしく伝へ取りたることは、をさをさなけれど、何ごとも、いかで心に知らぬことあらじとなむ、幼きほどに思ひしかば、世にあるものの師といふ限り、また高き家々の、さるべき人の伝へどもをも、残さず試みし中に、いと深く恥づかしきかなとおぼゆる際の人なむなかりし。
そのかみよりも、またこのころの若き人びとの、されよしめき過ぐすに、はた浅くなりにたるべし。琴はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか。この御琴の音ばかりだに伝へたる人、をさをさあらじ」
とのたまへば、何心なくうち笑みて、うれしく、「かくゆるしたまふほどになりにける」と思す。
二十一、二ばかりになりたまへど、なほいといみじく片なりにきびはなる心地して、細くあえかにうつくしくのみ見えたまふ。
「院にも見えたてまつりたまはで、年経ぬるを、ねびまさりたまひにけりと御覧ずばかり、用意加へて見えたてまつりたまへ」
と、ことに触れて教へきこえたまふ。
「げに、かかる御後見なくては、ましていはけなくおはします御ありさま、隠れなからまし」
と、人びとも見たてまつる。 |
朱雀院の五十の御賀は、まず帝から始まって盛大になるので、重なってはいけないと思い、少し過ぎてから行うことにした。二月十余日と決めて、楽人、舞人などを呼んで、練習に励んだ。
「紫の上が、いつも聞きたいと思っていた琴の音、どうかして他の婦人たちの箏や、琵琶も合わせて、女楽をやってみたい。ただ今の上手どもは、六條の邸にいる婦人方のたしなみには及ばないね。
わたしは、本格的に伝授されたことはないのだが、どんなことでも何とかして、知らないことがないようにと、幼いころから思っていたので、世間で師と言われる人、また名家のしかるべき人の秘伝をすべて試すうちに、とても造詣がふかくて、こちらが恥じ入る程の人はいなかった。
その頃より、今頃の若い人々はしゃれて風流ぶりが過ぎるので、浅薄になってしまったようです。琴はまた、さらに、学ぶ人も少なくなってしまったようだ。あなたの琴の音ほどに弾ける人は、めったにいないでしょう」
と(源氏が)仰せになると、女三の宮は、ただもうにっこりして、うれしく、「これほど認めてくれるほどになった」と思った。
二十一、二ほどになっていたが、まだとても幼げで年端もいかないような気がして、細くなよなよとかわいらしく見える。
「院に久しく会わずに、年が経ってしまったが、立派に大人になったと見るだろう。十分に気を配ってお会いするように」
と、ことある毎に、教えきかすのだった。
「ほんとうに、このような後見がなければ、子供っぽい幼さが目立っていたことだろう」
と、人々も見ていた。 |
|
35.20 六条院の女楽 |
正月二十日ばかりになれば、空もをかしきほどに、風ぬるく吹きて、御前の梅も盛りになりゆく。おほかたの花の木どもも、皆けしきばみ、霞みわたりにけり。
「月たたば、御いそぎ近く、もの騒がしからむに、掻き合はせたまはむ御琴の音も、試楽めきて人言ひなさむを、このころ静かなるほどに試みたまへ」
とて、寝殿に渡したてまつりたまふ。
御供に、我も我もと、ものゆかしがりて、参う上らまほしがれど、こなたに遠きをば、選りとどめさせたまひて、すこしねびたれど、よしある限り選りてさぶらはせたまふ。
童女は、容貌すぐれたる四人、赤色に桜の汗衫、 薄色の織物の衵、浮紋の表の袴、紅の擣ちたる、さま、もてなしすぐれたる限りを召したり。女御の御方にも、御しつらひなど、いとどあらたまれるころのくもりなきに、おのおの挑ましく、尽くしたるよそほひども、鮮やかに二なし。
童は、青色に蘇芳の汗衫、唐綾の表の袴、衵は山吹なる唐の綺を、同じさまに調へたり。明石の御方のは、ことことしからで、紅梅二人、桜二人、青磁の限りにて、衵濃く薄く、擣目などえならで着せたまへり。
宮の御方にも、かく集ひたまふべく聞きたまひて、童女の姿ばかりは、ことにつくろはせたまへり。青丹に柳の 汗衫、葡萄染の衵など、ことに好ましくめづらしきさまにはあらねど、おほかたのけはひの、いかめしく気高きことさへ、いと並びなし。 |
正月も二十日ばかりになると、空模様も変わり、ぬるい風が吹き、御前の梅も盛りになっていく。ほとんどの花の木が、皆芽吹いて、霞がかかっていた。
「月が改まれば、催しも近く、支度に騒がしくなるだろう、合奏する琴の音も、予行演習になると、人も取りざたするでしょうから、静かな今のうちに練習したらいい」
と仰せになって、寝殿に行くのであった。
お供に、我も我もとご一緒したくて、参加したがるのが多かったが、こうした方面に疎い女房は選んで残して、少し年配であっても、たしなみのある者を選んで参加させた。
童女は、容貌の優れたのを四人、赤色の表着に桜襲の汗衫、薄紫の織物の衵、浮紋の表袴、紅の艶出ししたもの、姿形のよい者を選んである。女御の方も、部屋のしつらいなど、面目を改めた新春の風情は華やかで、女房たちも競って意匠を尽くした装いは、鮮やかだった。
童は、青色に蘇芳襲の汗衫、唐綾の表の袴、衵は山吹なる唐の綺を、同じように整えている。明石の御方の童女は、大げさではなく、紅梅襲二人、桜襲二人、それぞれに青磁色の汗衫を着せ、衵の紫が濃く薄く、擣目など、素晴らしかった。
女三の宮にもこのように集っている旨報告して、童女の姿はことに整えた。青丹に柳の 汗衫、葡萄染の衵など、とりわけ好ましく珍しいものではないが、全体の雰囲気は、厳粛で気高いこと、この上ないものだった。 |
|
35.21 孫君たちと夕霧を召す |
廂の中の御障子を放ちて、こなたかなた御几帳ばかりをけぢめにて、中の間は、院のおはしますべき御座よそひたり。今日の拍子合はせには童べを召さむとて、右の大殿の三郎、尚侍の君の御腹の兄君、笙の笛、左大将の御太郎、横笛と吹かせて、簀子にさぶらはせたまふ。
内には、御茵ども並べて、御琴ども参り渡す。秘したまふ御琴ども、うるはしき紺地の袋どもに入れたる取り出でて、明石の御方に琵琶、紫の上に和琴、女御の君に箏の御琴、宮には、かくことことしき琴はまだえ弾きたまはずやと、あやふくて、例の手馴らしたまへるをぞ、調べてたてまつりたまふ。
「箏の御琴は、ゆるぶとなけれど、なほ、かく物に合はする折の調べにつけて、琴柱の立処乱るるものなり。よくその心しらひ調ふべきを、女はえ張りしづめじ。なほ、大将をこそ召し寄せつべかめれ。この笛吹ども、まだいと幼げにて、拍子調へむ頼み強からず」
と笑ひたまひて、
「大将、こなたに」
と召せば、御方々恥づかしく、心づかひしておはす。明石の君を放ちては、いづれも皆捨てがたき御弟子どもなれば、御心加へて、大将の聞きたまはむに、難なかるべくと思す。
「女御は、常に上の聞こし召すにも、物に合はせつつ弾きならしたまへれば、うしろやすきを、和琴こそ、いくばくならぬ調べなれど、あと定まりたることなくて、なかなか女のたどりぬべけれ。春の琴の音は、皆掻き合はするものなるを、乱るるところもや」
と、なまいとほしく思す。 |
廂の中の障子を取り払って、それぞれのご婦人たちには几帳だけを仕切りにして、なかの間には、源氏の御座をつくった。今日の練習には童べを召し出して、髭黒の三男の三郎、尚侍の君(玉鬘)の御腹の兄君には、笙の笛、夕霧の子の御太郎には横笛を吹かせるので、簀子に控えさせている。
なかでは、敷物を並べて、琴を方々にお渡しする。(源氏)秘蔵の琴も立派な紺地の袋に入れていたのを取り出して、明石の御方には琵琶、女御の君には筝の琴、女三の宮には、このように大そう由緒ある楽器はまだ弾けないだろうと、心配になって、いつも稽古に使っていて馴れているのを、調子を整えて渡した。
「筝の琴は、弛むというのではないが、合奏するとき、よく琴柱の位置がずれる。よくその点に気を付る必要があるが、女は絃を張るのが難しいだろう。そうだ、大将(夕霧)を呼んだらいい。この笛吹きたちは、まだ幼くて、調子合せには頼みにならない」
と笑って、
「大将、こちらへ」
と呼び寄せると、ご婦人方は緊張して、気を遣っている。明石の君を除いては、どなたも皆大切な弟子たちなので、気を遣って、大将が聞いて、難点がないようにと思う。
「女御は、いつも帝が聞いていて、合奏するのが馴れているから、心配ないが、和琴こそ、たいして変化のない音色だが、奏法に決まったものがなくて、かえって女はとまどうだろう。春の琴の音は、皆で合奏するので、乱れるところもでてくるだろう 」
と、いささか気がかりのようだ。 |
|
35.22 夕霧、箏を調絃す |
大将、いといたく心懸想して、御前のことことしく、うるはしき御試みあらむよりも、今日の心づかひは、ことにまさりておぼえたまへば、あざやかなる御直衣、香にしみたる御衣ども、袖いたくたきしめて、引きつくろひて参りたまふほど、暮れ果てにけり。
ゆゑあるたそかれ時の空に、花は去年の古雪思ひ出でられて、枝もたわむばかり咲き乱れたり。ゆるるかにうち吹く風に、えならず匂ひたる御簾の内の香りも吹き合はせて、鴬誘ふつまにしつべく、いみじき御殿のあたりの匂ひなり。御簾の下より、箏の御琴のすそ、すこしさし出でて、
「軽々しきやうなれど、これが緒調へて、調べ試みたまへ。ここにまた疎き人の入るべきやうもなきを」
とのたまへば、うちかしこまりて賜はりたまふほど、用意多くめやすくて、「壱越調」の声に発の緒を立てて、ふとも調べやらでさぶらひたまへば、
「なほ、掻き合はせばかりは、手一つ、すさまじからでこそ」
とのたまへば、
「さらに、今日の御遊びのさしいらへに、交じらふばかりの手づかひなむ、おぼえずはべりける」
と、けしきばみたまふ。
「さもあることなれど、女楽にえことまぜでなむ逃げにけると、伝はらむ名こそ惜しけれ」
とて笑ひたまふ。
調べ果てて、をかしきほどに掻き合はせばかり弾きて、参らせたまひつ。この御孫の君達の、いとうつくしき宿直姿どもにて、吹き合はせたる物の音ども、まだ若けれど、生ひ先ありて、いみじくをかしげなり。 |
夕霧はひどく緊張して、帝の御前でやる厳粛な、華やかな試楽のときよりも、今日の心遣いは、ことのほか緊張しているので、鮮やかな直衣、香を焚いた衣、袖によく焚きしめて、身なりをしっかり整えて参上するときには、すっかり日も暮れていた。
趣のある黄昏の空に、花は去年の残雪を思わせて、枝もたわむばかりに咲き乱れていた。緩やかに吹く風に、すばらしく匂う御簾の内の香りも一緒に吹き合わせて、鶯を誘うきっかけになりそうな、すばらしい御殿のあたりの香りであった。御簾の下から、筝の琴の端が少し見えていて、
「左大将にぶしつけですが、この弦を調弦していただけませんか。他の親しくない人が入るべきでもありませんので」
と仰せになると、すっかりかしこまって、非の打ちどころのない所作で受け取り、「壱越調」の調子で発の緒に合わせて、それだけで終わったので、
「掻き合わせわせをしたら、一曲、興のある曲を弾いてください」
と仰せになると、
「とても今日の皆様方に交らって演奏のお相手が務まるほど、腕前に自信はありません」
と夕霧が遠慮する、
「そうかもしれないが、女楽の相手もできずに逃げたと噂でも立ったら、どうしますか」
と仰せになって笑う。
調弦して、おもしろい掻き合わせをさらりと弾いて、お返しした。この孫の君達が、大そう美しい宿直姿で合奏する音は、まだ若いけれど、これから先の上達が見込まれて、とても可憐に聞こえるのだった。 |
|
35.23 女四人による合奏 |
御琴どもの調べども調ひ果てて、掻き合はせたまへるほど、いづれとなき中に、琵琶はすぐれて上手めき、神さびたる手づかひ、澄み果てておもしろく聞こゆ。
和琴に、大将も耳とどめたまへるに、なつかしく愛敬づきたる御爪音に、掻き返したる音の、めづらしく今めきて、さらにこのわざとある上手どもの、おどろおどろしく掻き立てたる調べ調子に劣らず、にぎははしく、「大和琴にもかかる手ありけり」と聞き驚かる。深き御労のほどあらはに聞こえて、おもしろきに、大殿御心落ちゐて、いとありがたく思ひきこえたまふ。
箏の御琴は、ものの隙々に、心もとなく漏り出づる物の音がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞こゆ。
琴は、なほ若き方なれど、習ひたまふ盛りなれば、たどたどしからず、いとよくものに響きあひて、「優になりにける御琴の音かな」と、大将聞きたまふ。拍子とりて唱歌したまふ。院も、時々扇うち鳴らして、加へたまふ御声、昔よりもいみじくおもしろく、すこしふつつかに、ものものしきけ添ひて聞こゆ。大将も、声いとすぐれたまへる人にて、夜の静かになりゆくままに、言ふ限りなくなつかしき夜の御遊びなり。 |
琴の調弦をし終えて、合奏したところ、優劣つけがたい中で、明石の君の琵琶がきわめて上手で、神々しい手つきで、澄んだ音色が美しく響く。
紫の上の和琴に、夕霧も耳を止めて聞くと、やさしく魅力的な爪音に、掻き立てた音の、珍しく今めきて、当節世間に名の通った上手たちの、ものものしく掻き立てた調べ調子に劣らず、華やかで、「大和琴にもこのような弾き方があるのだ」と感嘆を禁じ得ない。深いたしなみのほどが見えて、おもしろく、源氏は安堵して、ほんとうにまたとないお方だ、と思うのだった。
女御の筝の琴は、他の琴の合間々々に、心もとなく漏れいづる音のようで、可憐で優美な音色だった。
女三の宮の琴は、まだ未熟といっていい程度だが、習っている最中なので、たどたどしくはなく、よく響きあって、「上手になったものだ、この琴の音は」と、夕霧は聞いた。拍子をとって、謡う。源氏も時々扇を鳴らして、謡いだした声は、昔よりもとてもおもしろかった。少し声が太く、どっしりした感じが加わって聞こえる。夕霧も、声がよく、夜が静かになってゆく程に、得も言われぬ優しい夜の遊びであった。 |
|
35.24 女四人を花に喩える |
†月心もとなきころなれば、灯籠こなたかなたに懸けて、火よきほどに灯させたまへり。
宮の御方を覗きたまへれば、人よりけに小さくうつくしげにて、ただ御衣のみある心地す。匂ひやかなる方は後れて、ただいとあてやかにをかしく、二月の中の十日ばかりの青柳の、わづかに枝垂りはじめたらむ心地して、鴬の羽風にも乱れぬべく、あえかに見えたまふ。
桜の細長に、御髪は左右よりこぼれかかりて、柳の糸のさましたり。
「これこそは、限りなき人の御ありさまなめれ」と見ゆるに、女御の君は、同じやうなる御なまめき姿の、今すこし匂ひ加はりて、もてなしけはひ心にくく、よしあるさましたまひて、よく咲きこぼれたる藤の花の、夏にかかりて、かたはらに並ぶ花なき、朝ぼらけの心地ぞしたまへる。
さるは、いとふくらかなるほどになりたまひて、悩ましくおぼえたまひければ、御琴もおしやりて、脇息におしかかりたまへり。ささやかになよびかかりたまへるに、御脇息は例のほどなれば、およびたる心地して、ことさらに小さく作らばやと見ゆるぞ、いとあはれげにおはしける。
紅梅の御衣に、御髪のかかりはらはらときよらにて、火影の御姿、世になくうつくしげなるに、紫の上は、葡萄染にやあらむ、色濃き小袿、薄蘇芳の細長に、御髪のたまれるほど、こちたくゆるるかに、大きさなどよきほどに、様体あらまほしく、あたりに匂ひ満ちたる心地して、花といはば桜に喩へても、なほものよりすぐれたるけはひ、ことにものしたまふ。
かかる御あたりに、明石はけ圧さるべきを、いとさしもあらず、もてなしなどけしきばみ恥づかしく、心の底ゆかしきさまして、そこはかとなくあてになまめかしく見ゆ。
柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、小袿着て、羅の裳のはかなげなる引きかけて、ことさら卑下したれど、けはひ、思ひなしも、心にくくあなづらはしからず。
高麗の青地の錦の端さしたる茵に、まほにもゐで、琵琶をうち置きて、ただけしきばかり弾きかけて、たをやかに使ひなしたる撥のもてなし、音を聞くよりも、またありがたくなつかしくて、五月待つ花橘、花も実も具しておし折れる薫りおぼゆ。 |
月の出が遅い頃なので、灯籠を軒先のあちこちにかけて、ちょうど程よい明るさであった。
女三の宮の御方を覗いてみると、一段と小さくかわいい感じで、衣だけがそこにあるような感じであった。つややかな美しさは劣るが、気品があって美しく、二月の半ば頃の青柳のわずかに枝がたれ始めた風情もかくやと思われ、鶯の羽風にも乱れそうな、か弱げに見える。
桜襲の細長に、髪は左右に美しくよりかかって、まるで柳の糸のようだ。
「これこそは、この上ない高貴な人の様子というものだ」と見えるが、女御の君の方は、同じような優雅な姿だが、いま少しつややかさが加わって、物腰しといい感じといい奥ゆかしく、風情のある様子で、よく咲いた藤の花の、夏にかけて、そばに美しさを競う花のない、朝ぼらけの心地がする。
とは言え、女御の君は(懐妊で)とてもふっくらとして、気分がすぐれないので、琴も脇に押しやって、脇息に寄りかかっている。小柄でなよなよと寄りかかっているので、脇息は通常のものなので、無理に背を伸ばしている感じで、特別小さく作ったらと思われるのが、とても可憐だった。
紫の上は、紅梅襲の衣に、髪がかかってはらはらと美しく、火影の姿、またとなくかわいらしげだが、葡萄染めだろうか、色の濃い小袿、薄蘇芳の細長に、髪の量も多くゆったりとして、体の大きさも程よく、姿つきも申し分なく、あたり一面照り映えるほどの美しさで、花というなら桜に譬えても、なお衆に抜きんでた様子は、格別の風情がある。
明石の上は、こうした方々のお側では、圧倒さるだろうに、そうでもなく、身のこなしは風格があり、心底を覗いてみたい気がして、どことなく気品がありあでやかに見える。
柳襲の織物の細長、薄緑だろうか小袿を着て、羅の裳のはかな気な感じなのを身に着けて、自分を卑下した様子だが、その様子は立派で、とても見下せない。
高麗の青地の錦の端を縁取りした敷物に、まともに座らず、琵琶を置いて、ほんの少しばかり弾こうとして、しなやかにさばいた撥ちの扱いよう、音を聞くよりも、立派でやさしく、五月を待つ花橘、花も実も一緒に手折った香りもかくやと覚える。 |
|
35.25 夕霧の感想 |
これもかれも、うちとけぬ御けはひどもを聞き見たまふに、大将も、いと内ゆかしくおぼえたまふ。対の上の、見し折よりも、ねびまさりたまへらむありさまゆかしきに、静心もなし。
「宮をば、今すこしの宿世及ばましかば、わがものにても見たてまつりてまし。心のいとぬるきぞ悔しきや。院は、たびたびさやうにおもむけて、しりう言にものたまはせけるを」と、ねたく思へど、すこし心やすき方に見えたまふ御けはひに、あなづりきこゆとはなけれど、いとしも心は動かざりけり。
この御方をば、何ごとも思ひ及ぶべき方なく、気遠くて、年ごろ過ぎぬれば、「いかでか、ただおほかたに、心寄せあるさまをも見えたてまつらむ」とばかりの、口惜しく嘆かしきなりけり。あながちに、あるまじくおほけなき心地などは、さらにものしたまはず、いとよくもてをさめたまへり。 |
どのご婦人方も、隙のないたしなみ深い様子は、夕霧も、覗いてみたくなるのだった。紫の上は、以前見たときよりも、ずっと美しくなられたであろう様子が一目見たくて、じっとしていられない。
「三の宮は、いま少し宿世が違っていたら、自分のものとして見られたのに。のんびり構えていたのが悔しい。朱雀院はたびたびそのように水を向けて、陰でも仰っていたのに」と、悔やまれるが、少し近づきやすい軽率そうな女三の宮の様子に、軽く見るわけではないが、夕霧の心は動かないのであった。
紫の上の方をば、手の届かない方として、何のかかわりも持てずに何年も過ごしてきたが、「どうかして、ただ家族の一員として、好意を寄せているのを伝えたい」とばかり、不本意に思っていた。一方的な、大それた気持ちなどは、さらさらないのだった。大へんよく冷静に身を処していた。 |
|
35.26音楽の春秋論 |
夜更けゆくけはひ、冷やかなり。臥待の月はつかにさし出でたる、
「心もとなしや、春の朧月夜よ。秋のあはれ、はた、かうやうなる物の音に、虫の声縒り合はせたる、ただならず、こよなく響き添ふ心地すかし」
とのたまへば、大将の君、
「秋の夜の隈なき月には、よろづの物とどこほりなきに、琴笛の音も、あきらかに澄める心地はしはべれど、なほことさらに作り合はせたるやうなる空のけしき、花の露も、いろいろ目移ろひ心散りて、限りこそはべれ。
春の空のたどたどしき霞の間より、おぼろなる月影に、静かに吹き合はせたるやうには、いかでか。笛の音なども、艶に澄みのぼり果てずなむ。
女は春をあはれぶと、古き人の言ひ置きはべりける。げに、さなむはべりける。なつかしく物のととのほることは、春の夕暮こそことにはべりけれ」
と申したまへば、
「いな、この定めよ。いにしへより人の分きかねたることを、末の世に下れる人の、えあきらめ果つまじくこそ。物の調べ、曲のものどもはしも、げに律をば次のものにしたるは、さもありかし」
などのたまひて、
「いかに。ただ今、有職のおぼえ高き、その人かの人、御前などにて、たびたび試みさせたまふに、すぐれたるは、数少なくなりためるを、そのこのかみと思へる上手ども、いくばくえまねび取らぬにやあらむ。このかくほのかなる女たちの御中に弾きまぜたらむに、際離るべくこそおぼえね。
年ごろかく埋れて過ぐすに、耳などもすこしひがひがしくなりにたるにやあらむ、口惜しうなむ。あやしく、人の才、はかなくとりすることども、ものの栄ありてまさる所なる。その、御前の御遊びなどに、ひときざみに選ばるる人びと、それかれといかにぞ」
とのたまへば、大将、
「それをなむ、とり申さむと思ひはべりつれど、あきらかならぬ心のままに、およすけてやはと思ひたまふる。上りての世を聞き合はせはべらねばにや、衛門督の和琴、兵部卿宮の御琵琶などをこそ、このころめづらかなる例に引き出ではべめれ。
げに、かたはらなきを、今宵うけたまはる物の音どもの、皆ひとしく耳おどろきはべるは。なほ、かくわざともあらぬ御遊びと、かねて思うたまへたゆみける心の騒ぐにやはべらむ。唱歌など、いと仕うまつりにくくなむ。
和琴は、かの大臣ばかりこそ、かく折につけて、こしらへなびかしたる音など、心にまかせて掻き立てたまへるは、いとことにものしたまへ、をさをさ際離れぬものにはべめるを、いとかしこく整ひてこそはべりつれ」
と、めできこえたまふ。
「いと、さことことしき際にはあらぬを、わざとうるはしくも取りなさるるかな」
とて、したり顔にほほ笑みたまふ。
「げに、けしうはあらぬ弟子どもなりかし。琵琶はしも、ここに口入るべきことまじらぬを、さいへど、物のけはひ異なるべし。おぼえぬ所にて聞き始めたりしに、めづらしき物の声かなとなむおぼえしかど、その折よりは、またこよなく優りにたるをや」
と、せめて我かしこにかこちなしたまへば、女房などは、すこしつきしろふ。 |
夜が更けてゆく気配が、冷ややかだ。遅い月がわずかに出でて、
「心もとないね、春の朧月は。それに較べて秋のあわれは、このような楽の音、虫の声が合わさって、格別の趣で、この上なく響きあう心地がする」
と仰せになれば、夕霧が、
「秋の夜の澄み渡った月は、何もかも遠くまで見渡せるので、琴笛の音も、はっきり澄んだ心地がするが、(秋の空の)ことさら作ったような空模様や、花の露も、いろいろ目移りして心が散漫になり、自ずから限界があります。
春の空の、ぼんやりした霞の間から、おぼろな月影に、静かに吹き合わせるのはどうでしょうか。笛の音なども、しゃれた感じで澄み渡るでしょう。
女は春をあわれむと、昔の人は言い残していますが、実際、そうでしょう。優雅にすべてのものがしっくり調和するというのは、春の夕暮れこそ格別です」
と夕霧が申し上げると、
「いや、この春秋の議論だが、昔から、判断しかねた問題だし、末世の劣った者が、はっきり結論をだすことはできないだろう。調子や楽曲については、確かに律を呂の次としたのは、さもあろう」
などと仰せになって、
「どうであろう。現在、名手といわれている、あれこれの人を、帝の御前などで奏するのをたびたび聞いたが、名手は、数が少なくなったが、人に勝っていると自認する上手も、どれほども習得していないのではないだろうか。この頼りない女たちの中で弾かせても、飛びぬけて優れているとも思えない。
年来こうして埋もれて暮らしていると、耳なども少しおかしくなっているのだろうか。残念だ。どういうわけか、ここのご婦人方は、ちょっと習った芸事も、場所柄からして見栄えがするのだろう。御前で演奏する、第一等の上手の誰それと較べてどうだろう」
と仰せになれば、夕霧は、
「それを、言おうと思っていましたが、物の分からぬわたしごときが、偉そうな口をきくのもいかがとおもいました。ずっと昔の世のことは聞いていませんが、衛門督(柏木)の和琴、蛍兵部卿宮の琵琶など、当代随一と言われています。
確かに、お二人とも比べる者もない名手ですが、今宵お聞きしました演奏は、皆が皆驚くほどの上手だった。ごく気楽な催しなので、事前に軽く思っていたので、なおさら心が騒ぐのだろう。謡いなどとてもお付き合いしがたい。
和琴は、前太政大臣こそ、その時々につけて、巧みにその場に合わせた音色など、思いのままに掻き立てていましたが、格別の上手です、この琴はなかなかとびぬけて巧みには弾けない楽器であるが、(紫の上)は全く見事に弾かれた」
と誉めるのだった。
「それほどの技量でもないと思うのだが、大そう誉めてくれのですね」
とて、源氏も得意そうに笑うのだった。
「ほんとうに、悪くもない弟子たちだな。琵琶はともかく、わたしが口を出すことでもないのだが、やはり、どことなく普通とは違うのだ。意外な場所で聞き始めたのだが、世にも珍しい上手の音色だと記憶しているが、その時よりも、いっそう上達している」
と、何もかも自分の手柄のように自慢するので、女房たちは目引き袖引きした。 |
|
35.27 琴の論 |
よろづのこと、道々につけて習ひまねばば、才といふもの、いづれも際なくおぼえつつ、わが心地に飽くべき限りなく、習ひ取らむことはいと難けれど、何かは、そのたどり深き人の、今の世にをさをさなければ、 片端をなだらかにまねび得たらむ人、さるかたかどに心をやりてもありぬべきを、琴なむ、なほわづらはしく、手触れにくきものはありける。
この琴は、まことに跡のままに尋ねとりたる昔の人は、天地をなびかし、鬼神の心をやはらげ、よろづの物の音のうちに従ひて、悲しび深き者も喜びに変はり、賤しく貧しき者も高き世に改まり、宝にあづかり、世にゆるさるるたぐひ多かりけり。
この国に弾き伝ふる初めつ方まで、深くこの事を心得たる人は、多くの年を知らぬ国に過ぐし、身をなきになして、この琴をまねび取らむと惑ひてだに、し得るは難くなむありける。げにはた、明らかに空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲雷を騒がしたる例、上りたる世にはありけり。
かく限りなきものにて、そのままに習ひ取る人のありがたく、世の末なればにや、いづこのそのかみの片端にかはあらむ。されど、なほ、かの鬼神の耳とどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまにまねびて、思ひかなはぬたぐひありけるのち、これを弾く人、よからずとかいふ難をつけて、うるさきままに、今はをさをさ伝ふる人なしとか。いと口惜しきことにこそあれ。
琴の音を離れては、何琴をか物を調へ知るしるべとはせむ。げに、よろづのこと衰ふるさまは、やすくなりゆく世の中に、一人出で離れて、心を立てて、唐土、高麗と、この世に惑ひありき、親子を離れむことは、世の中にひがめる者になりぬべし。
などか、なのめにて、なほこの道を通はし知るばかりの端をば、知りおかざらむ。調べ一つに手を弾き尽くさむことだに、はかりもなきものななり。いはむや、多くの調べ、わづらはしき曲多かるを、心に入りし盛りには、世にありとあり、ここに伝はりたる譜といふものの限りをあまねく見合はせて、のちのちは、師とすべき人もなくてなむ、好み習ひしかど、なほ上りての人には、当たるべくもあらじをや。まして、この後といひては、伝はるべき末もなき、いとあはれになむ」
などのたまへば、大将、げにいと口惜しく恥づかしと思す。
「この御子たちの御中に、思ふやうに生ひ出でたまふものしたまはば、その世になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ手の限りも、とどめたてまつるべき。三の宮、今よりけしきありて見えたまふを」
などのたまへば、明石の君は、いとおもだたしく、涙ぐみて聞きゐたまへり。 |
どんなことでも、その道を極めようとして学ぶならば、才芸というものは、限りがないものだが、自分の気持ちとして十分やったと言えるほど習い尽くすのは難しく、そうした奥義を極めた人は今ではほとんどいない、ほんの一端を学んだ人が、その一端で満足してしまいがちなものだが、この琴はそれでも厄介で、なかなか手を出しにくいものだ。
この琴(七絃の琴)は、ほんとうに奏法通りに技量を身につけた昔の人は、天地を揺るがし、鬼神の心をやわらげ、他の楽器の域をでることなく、悲しみも喜びに変わり、賎しく貧しい者も高貴になり、宝を得て、世に認められ尊敬される者が多い。
この国に伝えられた初めの頃は、深くこの道を心得た人は、長年異国で過ごし、身命をなげうって、この琴を学ぼうとあらゆる努を力したのだが完全に習得するのは難しかった。確かに、明らかに空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲雷を騒がせた例が、昔の話にはある。
このように最高の楽器なので、それを習得しようとするう人はめったになく、末の世ならば、その昔の一端をも伝わっていようか。けれども。あの鬼神も耳を傾け、傾聴するのも遠い昔からされてきたものだから、生半可に学んで、出世が果たせなかった例があってから、これを弾く人は不幸になるなどと難癖をつけて、面倒に思われるままに、今は伝える人がいなくなったのは、まことに残念です。
琴の音なくして、どの楽器を音律の基準にできようか。何事もすたれてしまう末の世で、何事も安易になってしまう世の中で、実際、自分ひとりが世間に背を向けて、唐土、高麗と、渡り歩いて苦労し、親子を離れることは、世の変わり者とされるだろう。
どうして、それほどにしなくても、それでもこの道を習い一端でも、知っておきたいものだ。曲ひとつでも、極めつくすと、計り知れないものがある。いわんや、多くの曲の中には、手がかかるのもたくさんあるが、わたしが、熱中していた頃は世にありとあらゆる、伝わっていた譜をすべて較べて、のちのちは、師とする人もなく、好きで学んでいたが、それでも昔の人には、かないそうもなかったのです。まして、この後の世となれば、伝授する子孫もないのは、寂しいことだ」
などと源氏が仰せになり、夕霧は残念で恥ずかしいと思う。
「女御の御子たちのなかで、思うように成長されたなら、わたしもそれまで生き長らえるようだったら、わたしの中の幾ばくもない手の限りを、伝授することもできるだろう。三の宮は、今からでも素質はあるようだが」
などと仰せになると、明石の君は大そう名誉なことと、涙ぐんで聞いている。 |
|
35.28 源氏、葛城を謡う |
女御の君は、箏の御琴をば、上に譲りきこえて、寄り臥したまひぬれば、和琴を大殿の御前に参りて、気近き御遊びになりぬ。「葛城」遊びたまふ。はなやかにおもしろし。大殿折り返し謡ひたまふ御声、たとへむかたなく愛敬づきめでたし。
月やうやうさし上るままに、花の色香ももてはやされて、げにいと心にくきほどなり。箏の琴は、女御の御爪音は、いとらうたげになつかしく、母君の御けはひ加はりて、揺の音深く、いみじく澄みて聞こえつるを、この御手づかひは、またさま変はりて、ゆるるかにおもしろく、聞く人ただならず、すずろはしきまで愛敬づきて、輪の手など、すべてさらに、いとかどある御琴の音なり。
返り声に、皆調べ変はりて、 律の掻き合はせども、なつかしく今めきたるに、琴は、五個の調べ、あまたの手の中に、心とどめてかならず弾きたまふべき五、六の発剌を、いとおもしろく澄まして弾きたまふ。さらにかたほならず、いとよく澄みて聞こゆ。
春秋よろづの物に通へる調べにて、通はしわたしつつ弾きたまふ。心しらひ、教へきこえたまふさま違へず、いとよくわきまへたまへるを、いとうつくしく、おもだたしく思ひきこえたまふ。 |
女御の君は、筝の琴を紫の上に譲って、寄りかかっていたので、和琴が源氏の御前に出されて、くつろいだ遊びになった。「葛城」を奏した。華やかでおもしろい。源氏が繰り返しを謡う声が、たとえようもなく魅力があっておもしろい。
月がようやくさし昇ってきて、花の色香が一段とさえて、心憎いほどだった。筝の琴の、女御の爪音は、かわいらしく優しい音色で、母君の気配すら感じられて、揺の音が深く、きれいに澄んで聞こえるが、紫の上の手さばきは、また違って、ゆったりとしておもしろく、聞く人は感に堪えず、気もそぞろになるほど、魅力があって、輪の手法を加えて、すべてにわたって才気溢れた琴の音であった。
律の調べに全体が変わって、律の掻き合わせも、親しみがあってしゃれていて、琴は五個の調べで、たくさんの奏法のなかで、注意して弾くところの五六のはらを女三の宮はおもしろく、澄んだ音色で弾いた。少しもおかしなところはなく、美しく澄んで聞こえる。
(女三の宮が)春秋どちらの季節にも調和する調子で、自由自在に弾いている。その心配りは、源氏がそっくり教えた通りであったので、(源氏は)大そう可憐で、晴れがましく思うのだった。 |
|
35.29 女楽終了、禄を賜う |
この君達の、いとうつくしく吹き立てて、切に心入れたるを、らうたがりたまひて、
「ねぶたくなりにたらむに。今宵の遊びは、長くはあらで、はつかなるほどにと思ひつるを。とどめがたき物の音どもの、いづれともなきを、聞き分くほどの耳とからぬたどたどしさに、いたく更けにけり。心なきわざなりや」
とて、笙の笛吹く君に、土器さしたまひて、御衣脱ぎてかづけたまふ。横笛の君には、こなたより、織物の細長に、袴などことことしからぬさまに、けしきばかりにて、大将の君には、宮の御方より、杯さし出でて、宮の御装束一領かづけたてまつりたまふを、大殿、
「あやしや。物の師をこそ、まづはものめかしたまはめ。愁はしきことなり」
とのたまふに、宮のおはします御几帳のそばより、御笛をたてまつる。うち笑ひたまひて取りたまふ。いみじき高麗笛なり。すこし吹き鳴らしたまへば、皆立ち出でたまふほどに、大将立ち止まりたまひて、御子の持ちたまへる笛を取りて、いみじくおもしろく吹き立てたまへるが、いとめでたく聞こゆれば、いづれもいづれも、皆御手を離れぬものの伝へ伝へ、いと二なくのみあるにてぞ、わが御才のほど、ありがたく思し知られける。 |
この子供たちが、上手に吹いて、一生懸命な心持なのを、かわいく思って、
「もう眠くなったであろうに。今宵の遊びは、長くならずにほんの短い間と思っていたが、止めるのは惜しい楽の音だったので、甲乙つけがたく、聞き分けるほどの耳がないので、ぐずぐずしているうちに、すっかり夜も更けた。気がつかなかった」
といって、(源氏は)笙の笛吹く君に盃を差し出して、衣を脱いで賜った。横笛の君には、紫の上から織物の細長に袴など、大げさにならぬように、ほんの形ばかりのことで、夕霧の君には、女三の宮より、盃が出されて宮の装束一揃いを賜ったので、源氏は、
「おかしいな、師匠のわたしこそ引き立ててもらいたいものだ。残念なことだ」
と仰せになると、宮のいる几帳の端から、笛が奉られた。笑って手に取った。素晴らしい高麗笛であった。少し吹き鳴らすと、皆退出するところであったが、夕霧が立ち止まって、子の持っていた笛を取って、大そう調子よく吹きたてると、興にのってすばらしく聞こえたので、誰もが皆源氏が手ずから伝授されたものであってみれば、すばらしく上手なので、それぞれが皆自分の楽才が世にも稀なものと思い知るのであった。 |
|
35.30 夕霧、わが妻を比較して思う |
大将殿は、君達を御車に乗せて、月の澄めるにまかでたまふ。道すがら、箏の琴の変はりていみじかりつる音も、耳につきて恋しくおぼえたまふ。
わが北の方は、故大宮の教へきこえたまひしかど、心にもしめたまはざりしほどに、別れたてまつりたまひにしかば、ゆるるかにも弾き取りたまはで、男君の御前にては、恥ぢてさらに弾きたまはず。何ごともただおいらかに、うちおほどきたるさまして、子ども扱ひを、暇なく次々したまへば、をかしきところもなくおぼゆ。さすがに、腹悪しくて、もの妬みうちしたる、愛敬づきてうつくしき人ざまにぞものしたまふめる。 |
夕霧は、子供たちを車に乗せて、月が澄んでいるうちに、退出した。道すがら、筝の琴の、弾き手が変わって(紫の上)のゆったりした音が、耳について恋しく思う。
わが北の方の雲井の雁は、故大宮が教えたのだが、熱心に習わないうちに、別れたので、ゆっくりと伝授されることもなかったので、男君の御前では、恥じて決して弾こうとしなかった。何事にも、素直でおっとりしていて、次々と子供の世話に忙しく、暇がなくて、風情がないと夕霧は思っている。そうはあっても、一筋縄ではいかないところがあって、機嫌が悪く、嫉妬することもあり、愛嬌があって、憎めないのであった。 |
|
35.31 源氏、紫の上と語る |
院は、対へ渡りたまひぬ。上は、止まりたまひて、宮に御物語など聞こえたまひて、暁にぞ渡りたまへる。日高うなるまで大殿籠れり。
「宮の御琴の音は、いとうるさくなりにけりな。いかが聞きたまひし」
と聞こえたまへば、
「初めつ方、あなたにてほの聞きしは、いかにぞやありしを、いとこよなくなりにけり。いかでかは、かく異事なく教へきこえたまはむには」
といらへきこえたまふ。
「さかし。手を取る取る、おぼつかなからぬ物の師なりかし。これかれにも、うるさくわづらはしくて、暇いるわざなれば、教へたてまつらぬを、院にも内裏にも、琴はさりとも習はしきこゆらむとのたまふと聞くがいとほしく、さりとも、さばかりのことをだに、かく取り分きて御後見にと預けたまへるしるしにはと、思ひ起こしてなむ」
など聞こえたまふついでにも、
「昔、世づかぬほどを、扱ひ思ひしさま、その世には暇もありがたくて、心のどかに取りわき教へきこゆることなどもなく、近き世にも、何となく次々、紛れつつ過ぐして、聞き扱はぬ御琴の音の、出で栄えしたりしも、面目ありて、大将の、いたくかたぶきおどろきたりしけしきも、思ふやうにうれしくこそありしか」
など聞こえたまふ。 |
源氏は、自分の居室の東の対へお帰りになった。紫の上は残って、三の宮に話をして、東の対へ暁に帰った。日が高くなるまで、寝ていた。
「宮の琴の音は、ずいぶん上達しましたね。どうお聞きになりましたか」
と源氏が、紫の上に問うと、
「初めは、あちらで弾いているのをちらりと聞きまして、どうかと思いましたが、とても良くなりました。熱心に教えられたのですから」
と紫の上がお答えになる。
「そうだ。手を取らんばかりに、しっかり教えた師匠だったからね。どなたにとっても、琴は厄介で伝授するのに時間がかかるので、教えたがらない、院にも帝にも、琴はそうは言っても習っているでしょうと聞くのも気の毒なので、それでも、そのようなことでも、あえて後見として預かった証し、と思い起こして頑張りました」
などと源氏は答えたついでにも、
「昔、あなたが幼くて、お世話したときは、その頃は暇もなくて、ゆっくりと特別に教えることができず、近頃になっても、次々と用事が出来て忙しさに紛れて、身を入れて聞いてあげなかったあなたの琴の音の、出来栄えがよくて、わたしも面目が立ったが、夕霧がひどく不思議がって感心していたので、うれしかったのです」
などと(源氏は)仰せになる。 |
|
35.32 紫の上、三十七歳の厄年 |
かやうの筋も、今はまたおとなおとなしく、宮たちの御扱ひなど、取りもちてしたまふさまも、いたらぬことなく、すべて何ごとにつけても、もどかしくたどたどしきこと混じらず、ありがたき人の御ありさまなれば、いとかく具しぬる人は、世に久しからぬ例もあなるをと、ゆゆしきまで思ひきこえたまふ。
さまざまなる人のありさまを見集めたまふままに、取り集め足らひたることは、まことにたぐひあらじとのみ思ひきこえたまへり。今年は三十七にぞなりたまふ。見たてまつりたまひし年月のことなども、あはれに思し出でたるついでに、
「さるべき御祈りなど、常よりも取り分きて、今年はつつしみたまへ。もの騒がしくのみありて、思ひいたらぬこともあらむを、なほ、思しめぐらして、大きなることどももしたまはば、おのづからせさせてむ。故僧都のものしたまはずなりにたるこそ、いと口惜しけれ。おほかたにてうち頼まむにも、いとかしこかりし人を」
などのたまひ出づ。 |
紫の上は、このような音楽の面でも、年配者らしく、孫たちの世話も、自分から買ってやり、至らぬところなく、何事につけ、非の打ちどころがなく、世にも稀な有様なので、このように何もかも備わっている人は、長生きはしないといわれる例ももあり、源氏はひどく心配されるのであった。
様々な多くの女性を見てきたが、すべてにわたって備わっていて難がない人は、まことに類がないと源氏は思うのであった。今年三十七になる。今まで一緒に暮らしてきた歳月のことを、感慨深く思いめぐらすにつけ、
「必要な祈祷など、常よりも、特別にやって、今年は用心してください。わたしはいつも取り紛れているので、気のつかないこともあるでしょうが、もしあなたの方で考えて、大がかりな仏事を催すのでしたら、当然わたしの方でさせましょう。僧都が亡くなったのが、残念です。仏事のことで頼むのに、信頼できる人だったのに」
などと仰せになるのだった。 |
|
35.33 源氏、半生を語る |
「みづからは、幼くより、人に異なるさまにて、ことことしく生ひ出でて、今の世のおぼえありさま、来し方にたぐひ少なくなむありける。されど、また、世にすぐれて悲しきめを見る方も、人にはまさりけりかし。
まづは、思ふ人にさまざま後れ、残りとまれる齢の末にも、飽かず悲しと思ふこと多く、あぢきなくさるまじきことにつけても、あやしくもの思はしく、心に飽かずおぼゆること添ひたる身にて過ぎぬれば、それに代へてや、思ひしほどよりは、今までもながらふるならむとなむ、思ひ知らるる。
君の御身には、かの一節の別れより、あなたこなた、もの思ひとて、心乱りたまふばかりのことあらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれより次々は、やむごとなき人といへど、皆かならずやすからぬもの思ひ添ふわざなり。
高き交じらひにつけても、心乱れ、人に争ふ思ひの絶えぬも、やすげなきを、親の窓のうちながら過ぐしたまへるやうなる心やすきことはなし。そのかた、人にすぐれたりける宿世とは思し知るや。
思ひの外に、この宮のかく渡りものしたまへるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる心ざしのほどを、御みづからの上なれば、思し知らずやあらむ。ものの心も深く知りたまふめれば、さりともとなむ思ふ」
と聞こえたまへば、
「のたまふやうに、ものはかなき身には、過ぎにたるよそのおぼえはあらめど、心に堪へぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける」
とて、残り多げなるけはひ、恥づかしげなり。
「まめやかには、いと行く先少なき心地するを、今年もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも聞こゆること、いかで御許しあらば」
と聞こえたまふ。
「それはしも、あるまじきことになむ。さて、かけ離れたまひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れの隔てなきうれしさのみこそ、ますことなくおぼゆれ。なほ思ふさま異なる心のほどを見果てたまへ」
とのみ聞こえたまふを、例のことと心やましくて、涙ぐみたまへるけしきを、いとあはれと見たてまつりたまひて、よろづに聞こえ紛らはしたまふ。 |
「自分は、幼い時から、人と異なった境遇で、大そうな育ち方をして、今も世人から尊崇されること、過去にもその例がないほどです。しかし、またとない悲しみの極みを、経験していることも、人並み以上でしょう。
まずは、かわいがってくれた人々に先立たれ、残り少ない齢になっても、いっそう悲しいことが多く、不本意で感心しないことも多く、妙に物思いがちで、不満足な思いが付きまとったままに暮らしてきたが、その代わりというか、思ったより、今まで長生きしたのだ、と思い知るのです。
あなたについては、あの時の別離より他に、その前もそのあとも、悩みごとといって、心を乱すほどのことはなかったであろうと思います。后といっても、ましてそれより下位の高貴な方々でも、皆必ずや心穏やかならぬ物思いはあるものです。
入内して交わるにも、心を乱し、人と競う思いが絶えず、安らかではないし、親の家で深窓に過ごすような気楽なことはないでしょう。その点ではあなたは良い宿世だったと思い知るべきでしょう。
思いがけなく、この宮(女三の宮)がお輿入れされたのも、何ともつらいでしょうが、それについては、いよいよ勝るわたしの愛情を、ご自身で、お気づきでないのでしょうか。物の心を深くお知りなのですから、承知のことと思いますが」
と仰せになれば、
「仰るように、寄る辺なき身には、過ぎた宿世だと世間で言われていますが、心に嘆きが絶えないのは、それが自分の祈祷の元となっているのでしょうか」
と言って多くを言い残した様子は、源氏が気後れするほどだった。
「本当のところ、先行き少ない心地がします。厄年の今年も知らぬ顔で過ごしているのは、心配です。先にもお願いしましたように、どうか出家をお許しください」
と紫の上が申し上げる。
「それは、できない。そのように、あなたと離れてわたしが世に残っては、何の生き甲斐がありましょう。ただなんとなく過ごす年月のように思われますが、明け暮れ親しく過ごすのはうれしいことです。最後まで、格別にあなたを思う気持ちを見届けてください」
と仰せになって、いつものこととつらくて、(紫の上が)涙ぐんでいるのを、あわれと思い、あれこれと仰せになって(源氏が)慰めている。 |
|
35.34 源氏、関わった女方を語る |
「多くはあらねど、人のありさまの、とりどりに口惜しくはあらぬを見知りゆくままに、まことの心ばせおいらかに落ちゐたるこそ、いと難きわざなりけれとなむ、思ひ果てにたる。
大将の母君を、幼かりしほどに見そめて、やむごとなくえ避らぬ筋には思ひしを、常に仲よからず、隔てある心地して止みにしこそ、今思へば、いとほしく悔しくもあれ。
また、わが過ちにのみもあらざりけりなど、心ひとつになむ思ひ出づる。うるはしく重りかにて、そのことの飽かぬかなとおぼゆることもなかりき。ただ、いとあまり乱れたるところなく、すくすくしく、すこしさかしとやいふべかりけむと、思ふには頼もしく、見るにはわづらはしかりし人ざまになむ。
中宮の御母御息所なむ、さま異に心深くなまめかしき例には、まづ思ひ出でらるれど、人見えにくく、苦しかりしさまになむありし。怨むべきふしぞ、げにことわりとおぼゆるふしを、やがて長く思ひつめて、深く怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか。
心ゆるびなく恥づかしくて、我も人もうちたゆみ、朝夕の睦びを交はさむには、いとつつましきところのありしかば、うちとけては見落とさるることやなど、あまりつくろひしほどに、やがて隔たりし仲ぞかし。
いとあるまじき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きを、いみじく思ひしめたまへりしがいとほしく、げに人がらを思ひしも、我罪ある心地して止みにし慰めに、中宮をかくさるべき御契りとはいひながら、取りたてて、世のそしり、人の恨みをも知らず、心寄せたてまつるを、かの世ながらも見直されぬらむ。今も昔も、なほざりなる心のすさびに、いとほしく悔しきことも多くなむ」
と、来し方の人の御上、すこしづつのたまひ出でて、
「内裏の御方の御後見は、何ばかりのほどならずと、あなづりそめて、心やすきものに思ひしを、なほ心の底見えず、際なく深きところある人になむ。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬけしき下に籠もりて、そこはかとなく恥づかしきところこそあれ」
とのたまへば、
「異人は見ねば知らぬを、 これは、まほならねど、おのづからけしき見る折々もあるに、いとうちとけにくく、心恥づかしきありさましるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかに見たまふらむと、つつましけれど、女御は、おのづから思し許すらむとのみ思ひてなむ」
とのたまふ。
さばかりめざましと心置きたまへりし人を、今はかく許して見え交はしなどしたまふも、女御の御ための真心なるあまりぞかしと思すに、いとありがたければ、
「君こそは、さすがに隈なきにはあらぬものから、人により、ことに従ひ、いとよく二筋に心づかひはしたまひけれ。さらにここら見れど、御ありさまに似たる人はなかりけり。いとけしきこそものしたまへ」
と、ほほ笑みて聞こえたまふ。
「宮に、いとよく弾き取りたまへりしことの喜び聞こえむ」
とて、夕つ方渡りたまひぬ。我に心置く人やあらむとも思したらず、いといたく若びて、ひとへに御琴に心入れておはす。
「今は、暇許してうち休ませたまへかし。物の師は心ゆかせてこそ。いと苦しかりつる日ごろのしるしありて、うしろやすくなりたまひにけり」
とて、御琴どもおしやりて、大殿籠もりぬ。 |
「多くはないが、女性の人柄は、それぞれに見捨てがたい立派な女性を知るにつけ、本当の心ばせがおおらかで落ち着いている女性は、めったにいないものだ、と思うようになりました。
夕霧の母は、幼い頃に見初めて、大事にしなけならない大切な方だ思っておりましたが、常に仲が良くなくて、打ち解けた心地になれずに終わってしまったのは、今思えば、残念に思います。
また、わたしばかりの落ち度でもないが、自分の胸ひとつに思い出しています。端正で重々しく、どの点が不満と思われることもなかった。ただあまりくつろいだことがなく、几帳面で、頭が良すぎる人だったのです、離れて思うには信頼がおけて、共に暮らすには面倒な人だった。
中宮の母の御息所は、人並み優れてたしなみ深い例としてまず思い出されるが、付き合いにくく、気づまりなことも多かった。恨むのも当然と思われることを、長く思いつめて、深く恨むようになったのは、大そうつらいことだった。
一時も油断できず気を張っているので、わたしも相手も、朝夕に睦び交わすのは、遠慮されるところがあって、気を許しては馬鹿にされるのではないか、と体裁をつくろって、そのまま疎遠になってしまった。
わたしと浮名を流して、身分にふさわしくない軽薄さを嘆き、ひどく思いつめていたのが気の毒で、確かに人柄を思いましても、わたしが悪かった気がして終わったので、罪滅ぼしに、中宮をこのような宿世にあったとはいえ、取り立てて、世のそしり、人の恨みも意に介さず、お世話したので、あの世からも見直されるだろう。今も昔も、いい加減な好き心に、気の毒なことをし、悔やまれます」
と、今までかかわりのあった女性を少しづつ仰せになって、
「今上帝の女御の母(明石の上)は、大した身分でもないので、と軽く見て、気楽な相手と思っていたが、それでも心の底は見えず、きわめて深いところがある人です。うわべは、人に従って、おっとりして見えますが、気を許さないところが底にあって、どことなく気を遣う必要のある人です」
と仰せになって、
「他の人は知りませんが、明石の上は、はっきりとではありませんが、何かと様子を見る機会もあるので、とても気安くできず、気おくれするので、わたしの途方もない単純なところを、どう見ていたことか、気が引けますが、女御は、大目に見てくださるだろうと思っています」
と仰せになる。
あれほど身分が低いと遠ざけていた人を、今はこうして許して会って交わるのも、女御の御為に真心から思っているからだと思うに、大そうありがたければ、
「あなた(紫の上)こそ、心に思うところ無きにしもあらずなのに、相手により、事と次第により、二筋に心遣いしている。まったく大勢の女を見てきましたが、あなた程の人はいない。とても感心させられるお人柄です」
と微笑んで仰せになる。
「三の宮によく弾けたお祝いを言いに行きましょう」
と言って、夕方お渡りになった。三の宮は、自分を快からず思っている人がいると思いもせず、無邪気に、ひたすら琴を弾いていた。
「今はお暇をいただいて休養させて頂きたい。師匠を、喜ばせてあげないと。つらい日々の苦労があって、もう安心できるまでに上達しましたよ」
と言って、琴を押しやって、寝るのだった。 |
|
35.35 紫の上、発病す |
対には、例のおはしまさぬ夜は、宵居したまひて、人びとに物語など読ませて聞きたまふ。
「かく、世のたとひに言ひ集めたる昔語りどもにも、あだなる男、色好み、二心ある人にかかづらひたる女、かやうなることを言ひ集めたるにも、つひに寄る方ありてこそあめれ。あやしく、浮きても過ぐしつるありさまかな。げに、のたまひつるやうに、人より異なる宿世もありける身ながら、人の忍びがたく飽かぬことにするもの思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ。あぢきなくもあるかな」
など思ひ続けて、夜更けて大殿籠もりぬる、暁方より、御胸を悩みたまふ。人びと見たてまつり扱ひて、
「御消息聞こえさせむ」
と聞こゆるを、
「いと便ないこと」
と制したまひて、堪へがたきを押さへて明かしたまひつ。御身もぬるみて、御心地もいと悪しけれど、院もとみに渡りたまはぬほど、かくなむとも聞こえず。 |
紫の上は、源氏がいない夜は、宵の間起きていて、女房たちに物語など読ませて聞いているのだった。
「こうして、世間によくある話として集められた昔物語にも、浮気な男や好色な男や、不実な男にかかわった女、こんな話をたくさん集めたものにも、ついには頼りになる人がいるのだが、自分は寄る辺ない生涯であった。事実、源氏が仰せになったように、人より恵まれた宿世である身ながら、人の堪えがたく不満な気持ちである物思いが離れぬ身で終わるのか。つまらない一生であった」
などと思い続けて、夜更けてから就寝した。明け方頃から、胸が痛む。女房たちが介抱に手を焼いて、
「君にお知らせしよう」
と言うのを聞いて、
「いけません」
と制して、堪えがたいのを押さえて夜を明かした。体も熱くなって、気分が悪かったが、源氏も早くは戻ってこないので、これこれとも、知らせないのだった。 |
|
35.36 朱雀院の五十賀、延期される |
女御の御方より御消息あるに、
「かく悩ましくてなむ」
と聞こえたまへるに、驚きて、そなたより聞こえたまへるに、胸つぶれて、急ぎ渡りたまへるに、いと苦しげにておはす。
「いかなる御心地ぞ」
とて探りたてまつりたまへば、いと熱くおはすれば、昨日聞こえたまひし御つつしみの筋など思し合はせたまひて、いと恐ろしく思さる。
御粥などこなたに参らせたれど、御覧じも入れず、日一日添ひおはして、よろづに見たてまつり嘆きたまふ。はかなき御くだものをだに、いともの憂くしたまひて、起き上がりたまふこと絶えて、日ごろ経ぬ。
いかならむと思し騒ぎて、御祈りども、数知らず始めさせたまふ。僧召して、御加持などせさせたまふ。そこところともなく、いみじく苦しくしたまひて、胸は時々おこりつつ患ひたまふさま、堪へがたく苦しげなり。
さまざまの御慎しみ限りなけれど、しるしも見えず。重しと見れど、おのづからおこたるけぢめあらば頼もしきを、いみじく心細く悲しと見たてまつりたまふに、異事思されねば、御賀の響きも静まりぬ。かの院よりも、かく患ひたまふよし聞こし召して、御訪らひいとねむごろに、たびたび聞こえたまふ。 |
女御の方から使いがあって、
「(紫の上が)お具合が悪い」
と(女房から)返事があって驚き、女御から源氏に伝わり、源氏がびっくりして急いで行くと、大そう苦しそうにしている。
「どんな気持ちだ」
と体に触ってご覧になると、ひどく熱いので、昨日紫の上に仰せになった格別に用心すようにとのことを思い合わせて、恐ろしく感じた。
御粥などが持参され供されたが、源氏は見向きもしないで、日がな一日側にいて何やかやと介護して嘆いているのだった。ちょっとした果物もひどく物憂い気持ちになり、億劫がり、起き上がらずに、日が経った。
どうなることかと胸騒ぎがして、祈りなど、数知れず始めさせた。僧を呼んで、加持をさせた。どこということもなく、ひどく苦しがって、胸の痛みは時々発作が起きて苦しがる様は、堪えがたい苦しみのようだ。
様々の禁忌の慎みが数限りなくされたが、しるしが見えない。重態と見えても、たまたま快方に向かうような兆しがあれば希望が持てるが、ひどく心細く悲しいと思うので、他のことを考える余裕もないので、朱雀院の準備も沙汰止みになった。朱雀院からも、紫の上の病が重いと聞いて、お見舞いが何度も来るのだった。 |
|
35.37 紫の上、二条院に転地療養 |
同じさまにて、二月も過ぎぬ。いふ限りなく思し嘆きて、試みに所を変へたまはむとて、二条の院に渡したてまつりたまひつ。院の内ゆすり満ちて、思ひ嘆く人多かり。
冷泉院も聞こし召し嘆く。この人亡せたまはば、院も、かならず世を背く御本意遂げたまひてむと、大将の君なども、心を尽くして見たてまつり扱ひたまふ。
御修法などは、おほかたのをばさるものにて、取り分きて仕うまつらせたまふ。いささかもの思し分く隙には、
「聞こゆることを、さも心憂く」
とのみ恨みきこえたまへど、限りありて別れ果てたまはむよりも、 目の前に、わが心とやつし捨てたまはむ御ありさまを見ては、さらに片時堪ふまじくのみ、惜しく悲しかるべければ、
「昔より、みづからぞかかる本意深きを、とまりてさうざうしく思されむ心苦しさに引かれつつ過ぐすを、さかさまにうち捨てたまはむとや思す」
とのみ、惜しみきこえたまふに、げにいと頼みがたげに弱りつつ、限りのさまに見えたまふ折々多かるを、いかさまにせむと思し惑ひつつ、宮の御方にも、あからさまに渡りたまはず。御琴どももすさまじくて、皆引き籠められ、院の内の人びとは、皆ある限り二条の院に集ひ参りて、この院には、火を消ちたるやうにて、ただ女どちおはして、人ひとりの御けはひなりけりと見ゆ。 |
同じ状態が続いて、二月も過ぎた。言いようもなく思い嘆いて、試しに場所を変えてみようと、二条の院に移転した。六条院の中は大騒ぎで、思い嘆く人も多かった。
冷泉院も聞いて嘆くのであった。紫の上が亡くなれば、源氏も、必ず出家の本懐を遂げてしまうだろうと、夕霧も懸命になって世話をするのだった。
修法などは、普通に行うのはもとより、特別のものを行わせた。紫の上の意識がはっきりしている時は、
「かねてお願いしていることは、お許しがなく情けないです」
とのみ、残念そうに言うが、寿命で死んで別れるよりも、目の前に自分で出家した姿に身をやつしたのを見ることになれば、いっそう片時も堪えがたく、悲しいだろうと思い、
「昔から自分が出家願望を持っていて、後に残って寂しい思いをするのを心苦しく思っていたのに、反対に、お前がわたしを捨てて出家なさるのか」
とのみ、(源氏は)引き留めるのだが、確かに、望みが持てないほど弱って、もう最後と思われる折も多々あったので、どうしようかと思い惑いつつ、宮の部屋にも行かなくなった。琴も弾かず、皆片付けられて、六条院の人々は、皆二条の院に集まって、こちらの院は、火を消したようになって、ただ女房たちがいるだけで、紫の上一人の存在がこの院をにぎわしていたのだと見えるのだった。 |
|
35.38 明石女御、看護のため里下り |
女御の君も渡りたまひて、もろともに見たてまつり扱ひたまふ。
「ただにもおはしまさで、もののけなどいと恐ろしきを、早く参りたまひね」
と、苦しき御心地にも聞こえたまふ。若宮の、いとうつくしうておはしますを見たてまつりたまひても、いみじく泣きたまひて、
「おとなびたまはむを、え見たてまつらずなりなむこと。忘れたまひなむかし」
とのたまへば、女御、せきあへず悲しと思したり。
「ゆゆしく、かくな思しそ。さりともけしうはものしたまはじ。心によりなむ、人はともかくもある。おきて広きうつはものには、幸ひもそれに従ひ、狭き心ある人は、さるべきにて、高き身となりても、ゆたかにゆるべる方は後れ、急なる人は、久しく常ならず、心ぬるくなだらかなる人は、長き例なむ多かりける」
など、仏神にも、この御心ばせのありがたく、罪軽きさまを申し明らめさせたまふ。
御修法の阿闍梨たち、夜居などにても、近くさぶらふ限りのやむごとなき僧などは、いとかく思し惑へる御けはひを聞くに、いといみじく心苦しければ、心を起こして祈りきこゆ。すこしよろしきさまに見えたまふ時、五、六日うちまぜつつ、また重りわづらひたまふこと、いつとなくて月日を経たまへば、「なほ、いかにおはすべきにか。よかるまじき御心地にや」と、思し嘆く。
御もののけなど言ひて出で来るもなし。悩みたまふさま、そこはかと見えず、ただ日に添へて、弱りたまふさまにのみ見ゆれば、いともいとも悲しくいみじく思すに、御心の暇もなげなり。 |
女御の君もやってきて、源氏と一緒に介護した。
「普通の身体ではないのですから、物の怪が移ると恐ろしい、早くお帰りください」
と、苦しい中で言うのであった。連れていた若宮の、大そう美しい姿を見ても、ひどく泣き出して、
「大きくなるのを、見られないでしょう。わたしのことは、お忘れになるでしょう」
と紫の上が言えば、女御は涙をとどめがたく悲しいと思う。
「縁起でもない。そんなことを思ってはいけません。人は気の持ちようで、どうにもなります。広い心をお持ちの人は幸いもそれに従い、狭い心の人には、そうなるものでして、出世をしても、ゆとりのある点では劣り、気の短い人は、長く地位を保ことはないし、心が穏やかな人は、寿命も長くなる例が多いのです」
と仰せになり、神仏にも(紫の上の)心ばせが稀有で、罪も軽いことを、誓おう。
修法の阿闍梨たちは、寝所の近くに夜中も詰めて、お側近くに控えている高僧などは、源氏が取り乱している様を聞くと、いたわしく思い、奮起して祈るのであった。少し快方に向かったと思われる時が、五、六日あって、また、具合が悪くなって、いつ果てるともなく月日が経ったので、「やはりどうなるのだろう、よくならない病気なのか」と、思い嘆くのだった。
物の怪が出てくるわけでもない。病気の原因が、どこが悪いとも見えず、ただ日が経って、弱ってゆく様子ばかりなので、とにかく悲しく、つらいのだった。心に余裕もない。 |
|
35.39 柏木、女二の宮と結婚 |
まことや、衛門督は、中納言になりにきかし。今の御世には、いと親しく思されて、いと時の人なり。身のおぼえまさるにつけても、思ふことのかなはぬ愁はしさを思ひわびて、この宮の御姉の二の宮をなむ得たてまつりてける。下臈の更衣腹におはしましければ、心やすき方まじりて思ひきこえたまへり。
人柄も、なべての人に思ひなずらふれば、けはひこよなくおはすれど、もとよりしみにし方こそなほ深かりけれ、慰めがたき姨捨にて、人目に咎めらるまじきばかりに、もてなしきこえたまへり。
なほ、かの下の心忘られず、小侍従といふ語らひ人は、宮の御侍従の乳母の娘なりけり。その乳母の姉ぞ、かの督の君の御乳母なりければ、早くより気近く聞きたてまつりて、まだ宮幼くおはしましし時よりいときよらになむおはします、帝のかしづきたてまつりたまふさまなど、聞きおきたてまつりて、かかる思ひもつきそめたるなりけり。 |
そう言えば、衛門督(柏木)は、中納言になった。今上のご時世では、ご信任が厚く、今を時めく人だった。声望が高まるにつれ、思いの叶わない愁えが心にわだかまっていて、女三の宮の姉の二の宮を北の方に得た。身分の低い更衣腹であったので、多少軽く思う気持ちがどうしてもあった。
人柄も、普通の身分の女に較べれば、上品な気配はするけれど、元々心にしみている方への思いは深かった。慰めがたい姨捨の月ではないが、人目にあやしまれない程度に、大切に遇していた。
今なお、内心に刻まれた思いが忘れられず、小侍従という相談相手は、宮の侍従の乳母の娘であった。その乳母の姉が、あの柏木の乳母だったので、早くから親しく聞いていて、まだ宮が幼いころから、大そう美しいのを聞いていた。帝がとても大切にお育てしている様子などを、聞いていたので、このような思いも生じたのだろう。 |
|