帚木(ははきぎ)(雨夜の品定め)8節

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.3.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2007.10.7日 れんだいこ拝


【2、帚木(ははきぎ)8節
2-1 長雨の時節
2-2 宮中の宿直所、光る源氏と頭中将
2-3 左馬頭、藤式部丞ら女性談義に加わる
2-4 左馬頭の女性論総論
2-5 左馬頭の焼きもち焼き女の体験談物語
2-6 左馬頭の浮気な女の体験談物語
2-7 頭中将の常夏の女の体験談物語
2-8 式部丞の畏れ多い女の体験談物語

【2、帚木(ははきぎ)8節
 あらすじは次の通り。
 長雨の降り続くある夏の夜のこと、源氏の宿直所に葵上の兄であり、源氏のよきライバルである頭中将が訪れた。頭中将が源氏に贈られてきた恋文を見つけたことから、やがて話は女性論になる。そこに好き者として知られる左馬頭と藤式部丞が加わり「雨夜の品定め」が繰り広げられる。話の中で、源氏は頭中将が後見のない女性と通じ子まで成したのだが、正妻の嫌がらせを受けいつしか消えてしまったという話を聞く。また、源氏は自分とは縁がなかった中流の女性の魅力を三人の経験譚から知り、中流の女性に魅力を覚える。理想の女性はなかなかいないと言う彼らの話を聞きながら、源氏は理想の女性、藤壺にますます思慕を寄せる。

2-1、長雨の時節
 光る源氏、名のみことことしう、言ひ消(け)たれたまふ咎(とが)多かなるに、  光る源氏などと、名前こそ大層立派でございますが、この名を出したくないような失敗談が数多くありまして、
いとど、かかる好きごとどもを、末の世にも聞き伝へて、軽びたる名をや流さむと、 どうかして、このような色恋沙汰が後世にまで伝えられ、軽薄色男としての評判がたつのを、
忍びたまひける隠(かく)ろへごとをさへ、語り伝へけむ人のもの言ひさがなさよ。 できるだけ避けようと気遣いしながら内密にしていたことまでが、明るみにされ世間に語り伝えられております。どなたが漏らしたのかまでは分かりませんがお喋りな方が居られるものです。
さるは、いといたく世を憚り、まめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、交野(かたの)少将には笑はれたまひけむかし。 (源氏は)それほどまでに世評を気にしており、案外まじめでしたので、色めいておもしろい話などなく、好色小説に登場する交野の少将に堅物ぶりが笑われていたほどでございます。
まだ中将などにものしたまひし時は、内裏(うち)にのみさぶらひようしたまひて、大殿には絶え絶えまかでたまふ。 (源氏が)まだ中将でおられた頃は、内裏(だいり)にばかり伺候されており、自ずと宮中の宿直所暮らしになりました。この間、左大臣大殿の葵の上の御邸にはほんの時たまにしかおいでになられませんでした。
忍ぶの乱れやと、疑ひきこゆることもありしかど、 さてはほかにいい女(ひと)がいるのではないか、と疑われることもありましたが、
さしもあだめき目馴れたるうちつけの好き好きしさなどは好ましからぬ御本性にて、 (源氏は)世間に良くあるような人目を気にせずのあけっぴろげな色恋沙汰はお好きではない性分でございまして、
まれには、あながちに引き違へ心尽くしなることを、御心に思しとどむる癖なむ、 稀に、やむにやまれないような悩み多き恋をして、結果的に気苦労を抱え込む癖がありまして、
あやにくにて、さるまじき御振る舞ひもうち混じりける。 憎らしいことに、あるまじきお振舞も時になされることがおありでした。

2-2、宮中の宿直所、光る源氏と頭中将
 長雨晴れ間なきころ、内裏の御物忌(ものいみ)さし続きて、いとど長居さぶらひたまふを、大殿にはおぼつかなく恨めしく思したれど、  長雨が続き晴れ間のない鬱陶しい梅雨の日々が続いていた頃、内裏(宮中)では物忌み(御謹慎)が続いた為に、いっそう長居の務めとなってしまい、この間、左大臣の大殿邸の葵の上のところにはあまり帰らなかった為にご不満の様子がございました。
よろづの御よそひ何くれとめづらしきさまに調じ出でたまひつつ、御息子の君たちただこの御宿直所の宮仕へを勤めたまふ。 とはいえ、お着換えの装束の類は何くれとなく新しいものを調達してくれておりましたので困ることはありませんでした。この間、左大臣のご子息たちは(源氏の)宿直所の相手役を勤めておりました。
宮腹の中将は、なかに親しく馴れきこえたまひて、遊び戯れをも人よりは心安く、なれなれしく振る舞ひたり。 左大臣のご子息にして帝の妹君腹の頭中将(とうのちゅうじょう)は、源氏ととりわけ親しくなられ、遊び戯れも気兼ねなく、馴れなれしいほどまでに振る舞われておられました。
右大臣のいたはりかしづきたまふ住み処は、この君もいともの憂くして、好きがましきあだ人なり。 (この方は右大臣の姫君と結婚しておられましたが)右大臣の邸では丁重に遇されていましたのに、この中将もあまり邸には帰りたがらず、戯れの色事を好んでなさいました。
里にても、わが方のしつらひまばゆくして、君の出で入りしたまふにうち連れきこえたまひつつ、 中将の里におかれましても、自分の部屋を豪華にしつらえ、源氏の出入りのつど一緒にお連れになって、
夜昼、学問をも遊びをももろともにして、をさをさ立ちおくれず、いづくにてもまつはれきこえたまふほどに、 昼となく夜となく、学問のときも遊びのときもいつも行動をともにし、少しもひけをとらず、どこへ行くにもご一緒しているうちに、
おのづからかしこまりもえおかず、心のうちに思ふことをも隠しあへずなむ、むつれきこえたまひける。 お二人には自ずから遠慮もなくなり、互いに思うことも隠し立てせず、それほど仲むつまじいお付き合いをしておられました。
 つれづれと降り暮らして、しめやかなる宵の雨に、  一日中しめやかに雨が降り続いていた或る日の宵になって、
殿上にもをさをさ人少なに、御宿直所も例よりはのどやかなる心地するに、大殿油(おほとなあぶら)近くて書(ふみ)どもなど見たまふ。 殿上にも人が少なくなって、宿直所ものんびりした気分がただよい、源氏は灯火を近くに引き寄せ手紙などを読んでいました。
近き御厨子なる色々の紙なる文どもを引き出でて、中将わりなくゆかしがれば、 近くの御厨子にあるさまざまな色の紙に書かれた手紙を取り出していますと、頭中将がしきりに見たがるので、
「さりぬべき、すこしは見せむ。かたはなるべきもこそ」と、許したまはねば、 「差し支えないものは少しは見せても良いのですが、都合の悪いものもありますので」とお許しになられませんでした。
「そのうちとけて かたはらいたしと思されむこそゆかしけれ。 「親しい間柄にある相手から送られてきた、人に見られたら困る手紙にこそ興味が湧き、読ませてもらいたいのです。
おしなべたるおほかたのは、数ならねど、程々につけて、書き交はしつつも見はべりなむ。 ありきたりの世間並みのものは、私は源氏の君ほどそう多くではございませんが、私のような者でも程々にありまして、そういう文の交換を一応はして居りますよ。
おのがじし、恨めしき折々、待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ、見所はあらめ」と怨ずれば、 但し、自分の良いところを自画自賛するものであったり、恨みがましかったりするのが多いです。待ち顔して源氏の君が来られるのを心待ちにしている夕暮れの頃などの気持ちを伝える文こそ見たいのです」としつこく頼むので、
やむごとなくせちに隠したまふべきなどは、かやうにおほぞうなる御厨子などにうち置き散らしたまふべくもあらず、 高貴な女性から送られた絶対に隠しておかねばならない文などは、不用心な御逗子などに置くべくもありません。
深くとり置きたまふべかめれば、二の町の心安きなるべし。 奥深い場所に別にしまっておりますので、ここにあるのは二流どころの気安い文でしかありませんよ。
片端づつ見るに、「かくさまざまなる物どもこそはべりけれ」とて、心あてに「それか、かれか」など問ふなかに、 それでも良いから見せろよと云って読み始め、その一部を見て中将は、「いろんな方からのものがござりますねぇ」と感心しながら、当てずっぽうに「これはあれか、かれか」など問うたりします。
言ひ当つるもあり、もて離れたることをも思ひ寄せて疑ふも、をかしと思せど、言少なにてとかく紛らはしつつ、とり隠したまひつ。 その中には相手を言い当てているものもあり、外れているのに勝手に推測して疑っているだけのものもありました。それを聞きながら源氏は面白いとお思いになられましたが、言葉少なにはぐらかして、手紙を仕舞ってしまいました。
「そこにこそ多く集へたまふらめ。すこし見ばや。さてなむ、この厨子も心よく開くべき」とのたまへば、 (源氏が)「君こそ多くの文を集めただろう。少し見せてくだされ。そうすればこの逗子をもっと気持ちよく開けて見せませう」と言いますと、
「御覧じ所あらむこそ、難(かた)くはべらめ」など聞こえたまふついでに、 「君が見たいと願う文こそ、どうしても見せられないものです」と(源氏が)云うのを聞きながら、
「女の、これはしもと難(なん)つくまじきは、難(かた)くもあるかなと、やうやうなむ見たまへ知る。 (頭中将は、)「女性でこれならば完璧であると思える、欠点を指摘することができないような人は、なかなかいないものだ、とようやく知るようになりました。
ただうはべばかりの情けに、手走り書き、をりふしの答へ心得て、うちしなどばかりは、 随分によろしきも多かりと見たまふれど、 ただうわべだけの味わいで、手紙をさらさらと走り書きし、その時々の応答を心得て、文を取り交わすことなぞは、結構なものではありまして、そういう文の数は多いと思いますが、
そもまことにその方を取り出でむ選びにかならず漏るまじきは、いと難しや。 本当にその方面で優れた人を選び出そうとすると、その選出から外れない人を見つけるのはたいそう難しうございます。
わが心得たることばかりを、おのがじし 心をやりて、人をば落としめなど、かたはらいたきこと多かり。 自分の得意なことばかりを、勝手に自慢して、人を見下すなど、笑止千万な女が多いです。
親など立ち添ひもてあがめて、生ひ先籠れる窓の内なるほどは、ただ 片(かど)を聞き伝へて、心を動かすこともあめり。 私共が一番心惹かれるのは、親などが付き添い、大切に可愛がり、草木の間から見える深窓の令嬢が居て、その方のちょっとした才能の一端を聞き伝えすることで、お会いしたいものだと心を動かされることがあります。
容貌をかしくうちおほどき、若やかにて紛るることなきほど、はかなきすさびをも、人まねに心を入るることもあるに、おのづから一つゆゑづけてし出づることもあり。 容貌もよく、性格もおおらかで、若々しく、雑事に紛らわらされない頃は、芸事なども人をまねて一心にやれば、おのずから一芸をものにすることもあります。
見る人、後れたる方をば言ひ隠し、さて ありぬべき方をばつくろひて、まねび出だすに、 世話をする人は、劣った部分は隠して言わないものです。それなりに良い部分だけを取り繕って、それらしく言うものです。
『それ、しかあらじ』と、そらにいかがは推し量り思ひくたさむ。 (それに対して)『そうでもあるまい』と、会わないままで当て推量するのは難しいものです。
まことかと見もてゆくに、見劣りせぬやうは、なくなむあるべき」と、うめきたる気色も恥づかしげなれば、 それが本物だと思い込んで付き合ってみると、思ったほどでもないのです」と(中将が)照れながら嘆息して聞かせます。
いとなべてはあらねど、われ思し合はすることやあらむ、うちほほ笑みて、 (源氏は)中将の話のすべてではないが、思い当たることもあったので、少し苦笑して、
「その、片(かど)もなき人は、あらむや」とのたまへば、 「そんな、まったく才芸がない女性なんて実際にいるのでせうか」と、言えば、
「いと、さばかりならむあたりには、誰れかはすかされ寄りはべらむ。 「いや、そんなひどい女の処には、誰も騙されて寄りついたりはしないでしょう。
取るかたなく口惜しき際と、優なりとおぼゆばかりすぐれたるとは、数等しくこそはべらめ。 何の取柄もないつまらない女と、素晴らしいと思われる優れた女と、同じくらいの数がいるでしょう。
人の品高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて、隠るること多く、自然にそのけはひこよなかるべし。 身分が高く生まれれば、家人に大切に育てられて、人目に付かないことが多く、自然にその人の気配は良いものになりませう。
中の品になむ、人の心々、おのがじしの立てたるおもむきも見えて、分かるべきことかたがた多かるべき。 中流の女性になると、それぞれの気質や趣向も見えやすく、その個性によって区別されることが多くなるでしょう。
下のきざみといふ際になれば、ことに耳たたずかし」とて、 下流の人は、聞くまでもない」と、下層の女の身分の品定めとなると、特別な関心はもう抱けませんと言って、
いと隈なげなる気色なるも、ゆかしくて、 何でもよく知っている様子が面白くなり、もっと聞いてみたくて、
「その品々や、いかに。いづれを三つの品に置きてか分くべき。 「女性の等級というのは、どのようなものであるのか。何を基準にして三つの上、中、下の品格に分けることができるのでせうか。
元の品高く生まれながら、身は沈み、位みじかくて人げなき。 元々は身分の高い生まれでありながら、今は落ちぶれてしまい、位が落ちて人並みの生活ができていない人。
また直人(なほびと上達部(かむだちめ)などまでなり上り、我は顔にて家の内を飾り、人に劣らじと思へる。 一方で、普通の身分でありながら上達部などにまで出世して、自信に満ちて家のなかを飾り、人に負けないと思っている人がいる。

2-3、左馬頭、藤式部丞ら女性談義に加わる
 そのけぢめをば、いかが分くべき」と問ひたまふほどに、  その二人の等級を、どのように区別すれば良いのだろうか」と問うていたところへ、
左馬頭(ひだりのむまのかみ藤式部丞(とうしきぶのじょう、御物忌に籠もらむとて参れり。 そこへ、左馬頭(ひだりのむまのかみ藤式部丞(とうしきぶのじょう)が御物忌に籠るために参内してきました。
世の好き者にて物よく言ひとほれるを、中将待ちとりて、この品々をわきまへ定め争ふ。 二人とも世に知れた好き者にして且つ弁が立つので、中将はさっそく、この品定めの議論に巻き込みました。
いと聞きにくきこと多かり。 非常に聞きにくい話題が多うございました。
 「なり上れども、もとよりさるべき筋ならぬは、世人の思へることも、さは言へど、なほことなり。  「成り上がったとしても、元々、その地位に相応しい家柄でない者に対しては、世間の人は違った目で見るものです。
また、元はやむごとなき筋なれど、世に経るたづき少なく、 時世に移ろひて、おぼえ衰へぬれば、 また、元は高貴な家柄でも、世渡りの手立てが少なく、時勢に流されて、世間の評判も落ちてしまうと、
心は心としてこと足らず、悪ろびたることども出でくるわざなめれば、  気位は高くとも思うようにならず、経済力が足りず、都合の悪いことも出てくるものですから、
とりどりにことわりて、中の品にぞ置くべき。 それぞれに分別をつけて、中の品(身分)に位置づけるべきでしょう。
受領(ずりょう)と言ひて、人の国のことにかかづらひ営みて、 受領(ずりょう)と云う地方の国主のなかには、政治に掛かり切りになっており、
品定まりたる中にも、またきざみきざみありて、中の品のけしうはあらぬ、選り出でつべきころほひなり。 中流の地位を占め、そのなかにもさらに位階があり、その中からそこそこの者が出てくる時世ではあります。
なまなまの上達部よりも非参議の四位どもの、 なまじっかの上達部よりも非参議の四位あたりの連中で、
世のおぼえ口惜しからず、もとの根ざし卑しからぬ、 世間の評判もよく、元の家柄も卑しからずの人が、
やすらかに身をもてなしふるまひたる、いとかはらかなりや。 余裕をもって暮らしているのは、清々しく感じの良いものですね。
家の内に足らぬことなど、はたなかめるままに、省かずまばゆきまでもてかしづける女などの、 日々の生活には不足がなくて、その勢いで倹約もせずに眩しいほど大切にされて育てられた娘など、
おとしめがたく生ひ出づるもあまたあるべし。 けちのつけようもなく育っている娘子もたくさん居られます。
宮仕へに出で立ちて、思ひかけぬ幸ひとり出づる例ども多かりかし」など言へば、 宮仕えに出て、思いもかけぬ幸運をつかむ例も多いですよ」などと(左馬頭が)言えば、
「すべて、にぎははしきによるべきななり」とて、笑ひたまふを、 「すべて、良い女性に出会おうと思えば、羽振りの良いご家庭の子を探さねばならないということだね」と(源氏が)笑いながら言うと、
異人(ことびと)の言はむやうに、心得ず仰せらる」と、中将憎む。 「まさか、あなたらしくもない下世話なお言葉ですね」と中将がたしなめるように言う。
 「元の品、時世のおぼえうち合ひ、やむごとなきあたりの内々のもてなしけはひ後れたらむは、さらにも言はず、  「元々の家柄と時の羽振りが揃っていいるにも関わらず、高貴な出でありながら、家内での振る舞いやご様子が品性がなく劣っているような者は、論外として、
 何をしてかくひ出でけむと、言ふかひなくおぼゆべし。 どうしてこんな娘に育ってしまったのだろうと、がっかりしてしまいます。
うち合ひてすぐれたらむもことわり、 身分と羽振りが揃っている家庭の中から、優れた娘子が現れるのは当たり前の道理であり、
これこそはさるべきこととおぼえて、めづらかなることと心も驚くまじ。 この高貴な女性はそういう家庭の中から生まれたものと心得れば当然のことであって、何も珍しいことではありません。
なにがしが及ぶべきほどならねば、上が上はうちおきはべりぬ。 私ごときが及ばぬ身分のことゆえ、上の上の最上位の品のことはさておきます。
 さて、世にありと人に知られず、さびしくあばれたらむ葎の門に、  さて、世間に知られることなく、寂しく荒れ果てたような草深い家の門に、
思ひの外にらうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ、限りなくめづらしくはおぼえめ。 思いがけず美しい女(ひと)がひっそりと閉じ籠められるかのようにお住まいになっているのは、この上なく珍しいことのようにと思われます。
いかで、はたかかりけむと、思ふより違へることなむ、あやしく心とまるわざなる。 どうして、こんな素晴らしい人が(こんな相応しくない場所に)いらっしゃるのだろうかと、不思議に思えて気持ちが引きつけられてしまうことがあります。
父の年老い、ものむつかしげに太りすぎ、兄の顔憎げに、思ひやりことなることなき閨の内に、 年老いた父親が不様に太り過ぎてしまい、兄弟の顔も憎々しげなもので、思うに格別のものもない深窓に、
いといたく思ひあがり、はかなくし出でたることわざも、ゆゑなからず見えたらむ、 たいへん気位が高く、それとなく見せる才芸にも風情があり、
片(かど)にても、いかが思ひの外にをかしからざらむ。 その芸が優れものであればなおのこと、思いのほか興味がひかれることがあります。
すぐれて疵なき方の選びにこそ及ばざらめ、さる方にて捨てがたきものをは」とて、式部を見やれば、 まったく欠点のない女性選びには及びませんが、そういった女性にはそういった女性としての捨て難い魅力があるのです」と言って、(左馬頭が)式部の方を見れば、
わが妹どものよろしき聞こえあるを思ひてのたまふにや、とや心得らむ、ものも言はず。 (式部丞は)自分の妹が評判のいいのを知って言っているのかと思ったのか、心得てその話題については黙ったままです。
 「いでや、上の品と思ふにだに難げなる世を」と、君は思すべし。  「さあどうだろう、上流だってすぐれた女性はめったにいませんよ」と、源氏はお思いのご様子でございました。
白き御衣どものなよらかなるに、直衣ばかりをしどけなく着なしたまひて、 (源氏は)白い下着の衣のお召物を着られていますが、それが滑らかで、直衣だけを気楽な感じでお召しになつており、
紐などもうち捨てて、添ひ臥したまへる御火影、いとめでたく、女にて見たてまつらまほし。 紐なども結ばずに、物に寄り掛かっていらっしゃるその灯影は、とても美しいもので、女性として見てしまいたくなるほどでございました。
この御ためには上が上を選り出でても、なほ飽くまじく見えたまふ。 この源氏の為には、上の上の女性を選び出したとしても、なお満足がいかないように見えてしまいます。
さまざまの人の上どもを語り合はせつつ、「おほかたの世につけて見るには咎なきも、 様々な女性について語り比べながら、「普通に付き合うには欠点も気にならないが、
わがものとうち頼むべきを選らむに、多かる中にも、えなむ思ひ定むまじかりける。 自分の生涯の伴侶としての妻として頼むに足る人を選ぶとすれば、たくさんいる中で、この人こそをと選ぶのは難しいものですね。
男の朝廷に仕うまつり、はかばかしき世のかためとなるべきも、 男が宮仕えする場合にも、抜きん出て世(王宮)の重鎮となるような役目に足りる、
まことの器ものとなるべきを取り出ださむには、かたかるべしかし。 真に優れた政治家の器と言える人物を選ぶのは難しいものです。
されど、賢しとても、一人二人世の中をまつりごちしるべきならねば、 しかし、賢者であっても、一人や二人で世の中の政治をできるわけではありませんから、
上は下に輔けられ、下は上になびきて、こと広きに譲ろふらむ。 上の人は下の者に助けられて、下の者は上の人に服してというように、大勢の人たちが譲り合って(助け合って)いるのですよ。
 狭き家の内の主人とすべき人一人を思ひめぐらすに、足らはで悪しかるべき大事どもなむ、かたがた多かる。  狭い家の中で主婦とすべき女性一人について考えると、足らない処があっては困る大事なことが色々と多くあるものです。
とあればかかり、あふさきるさにて、なのめにさてもありぬべき人の少なきを、 これは有るがあれは無い、と揃っていないものですが、不十分ながらも何とかやっていけるような女性は少ないものです。
好き好きしき心のすさびにて、人のありさまをあまた見合はせむの好みならねど、 浮気心の勢いのまま、世の女性のあり様を多く見比べようとの好奇心で、あれこれの女性に会うのは好みではないので、
ひとへに思ひ定むべきよるべとすばかりに、 この女(ひと)ならとただ一筋に思い定めとひたすら伴侶とすべき女性の手がかりを求めてしまう。
同じくは、 わが力入りをし直しひきつくろふべき所なく、心にかなふやうにもやと、選りそめつる人の、定まりがたきなるべし。 同じ恋をするのであれば、自分が骨を折って直したり教えたりしなければならないような短所がなくて、心に適うような女性はいないものかと、
心にかなふやうにもやと、選りそめつる人の、定まりがたきなるべし。 あれこれ選り好みしはじめた人が、なかなか相手が決まらないということはよくあることです。
かならずしもわが思ふにかなはねど、見そめつる契りばかりを捨てがたく思ひとまる人は、 ものまめやかなりと見え、 必ずしも自分の理想通りの女性ではありませんが、いったん見初めた前世の約束だけを破りがたいものと感じて浮気を思い止どまっている人は、誠実であるように思えます。
さて、保たるる女のためも、心にくく推し量らるるなり。 そうして、一緒にいる女性のために、奥ゆかしい気遣いがあると推量されます。
 されど、 何か、世のありさまを見たまへ集むるままに、心に及ばずいとゆかしきこともなしや。  けれども、さあどうでしょうか、世の中の男女の有り様をたくさん拝見していると、思っている以上にとても羨ましいと思われるような夫婦の仲はありませんよ。
君達の上なき御選びには、まして、いかばかりの人かは足らひたまはむ。 宮さまがたのような公達の最上流の方々の奥方選びには、なおさらのこと、どれほどの女性がお相手の身分にお似合いになるでせうか。
 容貌(かたち)きたなげなく、若やかなるほどの、おのがじしは塵もつかじと身をもてなし、  容貌がまずまずで、若々しく、 自分自身では塵もつけまいと身ぎれいに見繕いされている。
文を書けど、 おほどかに言選りをし、墨つきほのかに心もとなく思はせつつ、 文を書けば、おっとりとした風雅な言葉を選び、筆の墨付きも淡くて男の気を持たせ、
またさやかにも見てしがなとすべなく待たせ、わづかなる声聞くばかり言ひ寄れど、 もう一度そのお姿をはっきり見たいものだとじれったい思いで待たせられ、やっと声が聞こえるほどに近づけるようになっても、
息の下にひき入れ言少ななるが、いとよくもて隠すなりけり。 か細い声で言葉少なく、そういった思わせぶりな奥ゆかしい素振りは、とてもよく欠点を隠すものなのですよ。
なよびかに女しと見れば、あまり情けにひきこめられて、とりなせば、あだめく。 上品で女らしいと思えば思うほど、風情に隠されて、そのように遇すると、色っぽく艶を感じてしまうものです。
これをはじめの難とすべし。 これを第一の難点と云うべきです。
事が中に、なのめなるまじき人の後見の方は、もののあはれ知り過ぐし、はかなきついでの情けあり、 家事のなかで、疎かにできない夫の世話という面では、物に感じる情趣が度を過ぎてしまい、ちょっとした物事に対してまで情趣に引き寄せられてしまう。
をかしきに進める方なくてもよかるべしと見えたるに、 そういった趣き深さに過度にのめり込むのはなくても良いことだと思うのですが、
また、まめまめしき筋を立てて耳はさみがちに美さうなき家刀自(いえとうじの、ひとへにうちとけたる後見ばかりをして。 その一方で、家事だけに真面目に取り組んで、額の髪を耳に挟みがちで飾り気のない主婦になり、ひたすらに生活感のある所帯じみた夫の世話だけをするというのも(どうでせうか)。
 朝夕の出で入りにつけても、公私の人のたたずまひ、善き悪しきことの、目にも耳にもとまるありさまを、 朝夕の出勤や帰宅の時でも、公事・私事での他人の振る舞い、善いことや悪いこと、目や耳に入ってきたその有りさまを、
疎き人に、わざとうちまねばむやは。 親しくもない他人の女性にわざわざそっくり話して聞かせたりしたいでせうか。
近くて見む人の聞きわき思ひ知るべからむに語りも合はせばやと、 自分に近い妻なら聞いて理解し、そういった事を語り合いたいものだと思いますし。
うちも笑まれ、涙もさしぐみ、もしは、あやなきおほやけ腹立たしく、 心ひとつに思ひあまることなど多かるを、 つい微笑まれたり、涙ぐんだり、あるいは、筋の通らない公事に怒ったりできるし、胸の内に収めておけないことも多くあるのを、
何にかは聞かせむと思へば、うちそむかれて、人知れぬ思ひ出で笑ひもせられ、 自分を理解してくれない女に話して何になろうと思ってしまえば、ついそっぽを向いて、ひとりで思いだし笑いもし、
『あはれ』とも、うち独りごたるるに、『何ごとぞ』など、あはつかにさし仰ぎゐたらむは、いかがは口惜しからぬ。 『あぁ、虚しい』などとつい独り言を洩らしてしまいます。(その自嘲・嘆息に対して)『どうしたのですか』などと、間抜けな顔で見上げるような妻に言われると、なんと残念なことでせうか。
 ただひたふるに子めきて柔らかならむ人を、とかくひきつくろひてはなどか見ざらむ。  ただ子供っぽくて柔和な女(ひと)を、なんとか躾(しつけ)し直して妻とするのが良いようです。
心もとなくとも、直し所ある心地すべし。 頼りなくても、直し甲斐いがある気持ちになるでせう。
げに、さし向ひて見むほどは、さてもらうたき方に罪ゆるし見るべきを、 実際、差し向いで暮らしていれば、可愛いということで欠点も許せるが、
立ち離れてさるべきことをも言ひやり、をりふしにし出でむわざのあだ事にもまめ事にも、 離れていると必要な用事などを言いつけなければなりません。それぞれの時節に行うような風流な行事でも生活の用事でも、
わが心と思ひ得ることなく深きいたりなからむは、いと口惜しく頼もしげなき咎や、なほ苦しからむ。 自分では判断もできず深く考えないのは、たいへん口惜しく、頼りにならないのはやはり困ったことです。
常はすこしくそばそばしく 心づきなき人の、 普段は少し無愛想で親しみの持てないような女性が、
をりふしにつけて出でばえするやうもありかし」など、 何かの用事(行事)に際して、思いもよらない素晴らしい能力(気配り)を見せるようなこともあります」などと、
隈なきもの言ひも、定めかねていたくうち嘆く。 何事にも通じている論客(左馬頭、ひだりうまのすけ)も、妻とすべき女の魅力・良し悪しについては結論を出しかねてとても嘆いています。

2-4、左馬頭の女性論総論
 「今は、ただ、品(しな)にもよらじ。容貌(かたち)をばさらにも言はじ。  「今思うのに、妻を娶(めと)らば家柄ではありません。容貌でもありません。
いと口惜しくねぢけがましきおぼえだになくは、 どうしようもないほどひねくれた性格でさえなければ、
ただひとへにものまめやかに、静かなる心のおもむきならむよるべをぞ、 ひたすらに小まめに能く働く、一方で落ち着いた趣のある女(ひと)ならば、
つひの頼み所には思ひおくべかりける。 そういう人こそ生涯の伴侶として望むべきでせう。
あまりのゆゑよし心ばせうち添へたらむをば、よろこびに思ひ、 欲を言えば、気立ての良さを加えれば、これ以上の喜びはありません。
すこし後れたる方あらむをも、あながちに求め加へじ。 少し足らぬところがあっても、それはそれでバランスが取れているのであれば、無理に更に望まない方が良いでせう。
うしろやすくのどけき所だに強くは、 安心して家を任せられて、くつろいだ家庭になれることを強く願っています。
うはべの情けは、おのづからもてつけつべきわざをや。 うわべの教養などは自ずから身についてくるものでせう。
艶にもの恥ぢして、恨み言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて、上はつれなくみさをづくり、 平素は上品に恥ずかしぶる仕草などして、夫に恨み言を言うべきときも素知らぬ風で見逃し、表面は平静を装って貞淑にしていても、
心一つに思ひあまる時は、言はむかたなくすごき言の葉、 その気持ちが我慢の限度を越すや一気に、言いようのないほどの下品な酷(むご)い悲しい言葉を発する人もいます。
 あはれなる歌を詠みおき、しのばるべき形見をとどめて、深き山里、世離れたる海づらなどにはひ隠れぬるをり。  また哀しい和歌を詠み残して、後で偲べる形見を残し、深い山里や離れた辺鄙な海辺などに、秘かに隠れたりする人も居ます。
童にはべりし時、女房などの物語読みしを聞きて、いとあはれに悲しく、心深きことかなと、涙をさへなむ落としはべりし。 子供時代に、女房などが(そのような不遇の女の)物語を読むのを聞いて、とても気の毒に感じ、感動して涙すようなことがありました。
今思ふには、いと軽々しく、 ことさらびたることなり。 今思うに、それはあさはかで、わざとらしい振る舞いでした。
心ざし深からむ男をおきて、見る目の前につらきことありとも、 愛情の深い夫を残し、よしんば目の前に辛いことがあったとしても、
人の心を見知らぬやうに逃げ隠れて、人をまどはし、心を見むとするほどに、 夫の気持ちを無視するように逃げ隠れして、夫を困らせ、本心を探ろうとするなどは、
長き世のもの思ひになる、いとあぢきなきことなり。 生涯消えぬ悔いを残すことになります。とてもお粗末にして愚かな仕打ちです。
『心深しや』など、ほめたてられて、あはれ進みぬれば、やがて尼になりぬかし。 『お心が深い』などと、褒(ほ)められたものなら、ついつい調子に乗ってしまい、そのまま尼になってしまいます。
思ひ立つほどは、いと心澄めるやうにて、世に返り見すべくも思へらず。 出家を思い立った時は、心も澄んだ気持ちになり、俗世に戻ろうとは思いません。
『いで、あな悲し。かくはた思しなりにけるよ』などやうに、 『ああ、何という傷ましいことか。これほど思いつめていたとは』などと人に言われ、
あひ知れる人来とぶらひ、 ひたすらに憂しとも思ひ離れぬ男、聞きつけて涙落とせば、 とても仲良しの知人が寺院まで来訪し、女に未練があり妻のことを諦めてない夫が駆けつけて、戻って来て欲しいと涙ながらに懇願すると、
使ふ人、古御達など、『君の御心は、あはれなりけるものを。あたら御身を』など言ふ。  女の侍女や老女たちが、『ご主人はこんなに深い愛情をお持ちされております。なまじ出家して御身を落とすのが惜しうございます』などと言う。
みづから額髪(ひたいがみ)をかきさぐりて、あへなく心細ければ、うちひそみぬかし。 女は短くなった額髪(ひたいがみ)をいじって、手応えがないのを今更気づいて心細くなり、泣き顔になってしまう。
忍ぶれど涙こぼれそめぬれば、折々ごとにえ念じえず、悔しきこと多かめるに、 堪えようとしても涙があふれ、何につけても我慢ができなくなり、後悔が次第に増し始めます。
仏もなかなか心ぎたなしと、見たまひつべし。 こうなると、仏様も心が定まっていない出家と見做すでせう。
濁りにしめるほどよりも、なま浮かびにては、かへりて悪しき道にも漂ひぬべくぞおぼゆる。 俗世に生きるより、中途半端な出家ではかえって悪しき道に惑うことになるかもしれません。
絶えぬ宿世浅からで、尼にもなさで尋ね取りたらむも、やがてあひ添ひて、 前世からの因縁が深く、尼として落ち着く前に夫が連れ帰り、そのまま連れ添って、
とあらむ折もかからむきざみをも、見過ぐしたらむ仲こそ、契り深くあはれならめ、 どういうことがあろうとも危機を乗り越えた間柄こそ、夫婦の絆が深いものとなります。
我も人も、うしろめたく心おかれじやは。 自分も相手も、お互いに気のおけない夫婦になるというものでせう。
 また、なのめに 移ろふ方あらむ人を恨みて、気色ばみ背かむ、はたをこがましかりなむ。  また、ごく普通に他の女に心を移した夫を恨んで、気色ばみ離縁しようとするのは、みっともなく愚かでせう。
心は移ろふ方ありとも、見そめし心ざしいとほしく思はば、 夫の気持ちが別の女性に移ろうことがあっても、見初めた頃を思っていとおしく思えば、
さる方のよすがに思ひてもありぬべきに、 それをよすがとして処すべきであるのに、
さやうならむたぢろきに、絶えぬべきわざなり。 そうはならずにごたごたを起こして、破局に至っております。
すべて、よろづのことなだらかに、怨ずべきことをば見知れるさまにほのめかし、 概ねどのようなことでも心穏やかにして、浮気のような恨み事の際にも分かっておりますのよとほのめかすぐらいにして、
恨むべからむふしをも憎からずかすめなさば、それにつけて、あはれもまさりぬべし。 恨み言をいうべき時でも可愛らしくやんわりと言うのが宜しい。それによってあなたの値打ちが上がると云うものです。
多くは、わが心も見る人からをさまりもすべし。 多くの場合、夫の浮気心も妻の出方次第で納まるものです。
あまりむげにうちゆるべ見放ちたるも、心安くらうたきやうなれど、 (そうは云っても)あまりに夫を放し飼いに放任しても、大らかで能くできた女房のように見えますが、
おのづから軽き方にぞおぼえはべるかし。 それだと夫から軽く見透かされてしまうでせう。
繋がぬ舟の浮きたる例も、 げにあやなし。 繋がない舟は漂うの譬(たと)えもあるように、それはそれで芸がありません。
さははべらぬか」と言へば、中将うなづく。 そうではありませんか」と言えば、中将が頷(うな)ずく。
 「さしあたりて、をかしともあはれとも心に入らむ人の、頼もしげなき疑ひあらむこそ、大事なるべけれ。  「さしあたって、可愛らしいと感じ心惹かれる気に入った女(ひと)がいて、その人に他の男がいる疑いがあるような恋愛の場合、こちらの方がよほど一大事です。
わが心あやまちなくて見過ぐさば、 さし直してもなどか見ざらむとおぼえたれど、それさしもあらじ。 自分の気持ちが乱れずに寛容に接していれば、相手の気持ちが変わって上手く付き合えるということもあると思いますが、必ずしもそうはいきますまい。
ともかくも、違ふべきふしあらむを、のどやかに見忍ばむよりほかに、ますことあるまじかりけり」と言ひて、 ともかく、互いに問題があるにせよ、気長に我慢することより他に勝るものはないでせう」と(中将は)言いました。
わが妹の姫君は、この定めにかなひたまへりと思へば、君のうちねぶりて言葉まぜたまはぬを、さうざうしく心やましと思ふ。 自分の妹の葵の上はこの状況に当てはまると思いましたが、源氏の君は眠っていて口をさしはさまないので、もの足りなく残念に思いました。
 馬頭、物定めの博士になりて、ひひらきゐたり。  左馬頭は、女品定め審判の判事になって盛んに弁てじたてております。
中将は、このことわり聞き果てむと、心入れて、あへしらひゐたまへり。 頭中将は、左馬頭の弁論を仕舞いまで聞こうと、集中し、熱心に話し相手になっています。
 「よろづのことによそへて思せ。  「色々な物事にことよせて考えてみませう。
木の道の匠のよろづの物を心にまかせて作り出だすも、  木工の匠(指物師)は、心に思うままに色々なものを作り出しますが、
臨時のもてあそび物の、その物と跡も定まらぬは、 その場限りの飾り物で、手本もないのに、
そばつきさればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、 外見は洒落ていて品よく、こうも作れるものかと思われ、
時につけつつさまを変へて、今めかしきに目移りてをかしきもあり。 その時々に応じて様式をかえて、今風な作りを考え出して面白いものを作ります。
大事として、まことにうるはしき人の調度の飾りとする、あわせて物を難なくし出づることなむ、 本格的な仕事では、貴人の調度類の飾りなど、一定の決まった様式の物を難なく作り出すなど、
なほまことの物の上手は、さまことに見え分かれはべる。 真の上手の作った物は、どこか普通の物とは違いさすがの名人芸であることが見てわかります。
また絵所に上手多かれど、墨がきに選ばれて、次々にさらに劣りまさるけぢめ、ふとしも見え分かれず。 また、絵所には上手な絵描きがたくさんいますが、師匠たる墨書きに選ばれた者の作品を次々に見て参りましても、優劣はまったく分かりません。
かかれど、人の見及ばぬ蓬莱の山、荒海の怒れる魚の姿、唐国のはげしき獣の形、目に見えぬ鬼の顔などの、おどろおどろしく作りたる物は、 そうではありますが、人が見たことのない蓬莱山や、荒海に怒る魚の姿や、唐国のはげしい獣の形や、見えない鬼の顔など、仰々しく描いた絵は、
心にまかせてひときは目驚かして、実には似ざらめど、さてありぬべし。 想像の赴くままに描かれていて驚かされますが、本当は似ていないのでせうが、それはそれで(想像力を生かした作品として楽しめば)良いのでせう。
世の常の山のたたずまひ、水の流れ、目に近き人の家居ありさま、げにと見え、 (それに対して)世に普通に見かける山のたたずまい、川の流れ、見慣れた人家の様子は、いかにもそのように見えます。
なつかしくやはらいだる形などを静かに描きまぜて、すくよかならぬ山の景色、木深く世離れて畳みなし、け近き籬の内をば、 懐かしく柔らかい形などを静かに描きまぜていて、なだらかな山の姿や、人里離れた林の奥の重なる景色、近景の籬(垣根)の内側など、
その心しらひおきてなどをなむ、上手はいと勢ひことに、悪ろ者は及ばぬ所多かめる。 その心づかいや描法の点で、上手の筆力には描写に勢いがあります。下手な絵師では及ばぬところが多々あります。
手を書きたるにも、深きことはなくて、ここかしこの、点長に走り書き、そこはかとなく気色ばめるは、 文筆の場合でも、深い毛筆の素養がなくて、あちこちの線を長く書いたりするのは、どことなく気取っているような感じになります。
うち見るにかどかどしく気色だちたれど、なほまことの筋をこまやかに書き得たるは、 ちょっと見ると才能があり立派な人物のようにも見えますが、やはり正式な書法を丁寧に習得している人の場合には、
うはべの筆消えて見ゆれど、今ひとたびとり並べて見れば、なほ実になむよりける。 うわべの筆勢が消えたように見えても、もう一度名人でない人とその書字を並べ直して見れば、実力は歴然としています。
はかなきことだにかくこそはべれ。 才芸についてすらこうです。
まして人の心の、時にあたりて気色ばめらむ見る目の情けをば、え頼むまじく思うたまへ得てはべる。 まして女の心をはかるのに、その時々の大袈裟で演技がかっているような気どった見た目の風情を頼りにはできないと心得るべきでせう。
そのはじめのこと、好き好きしくとも申しはべらむ」とて、近くゐ寄れば、君も目覚ましたまふ。 私の初めの頃ですが、色っぽい話になりますが、申し上げましょう」と左馬頭が言って膝を進めれば、源氏の君も目を覚ましました。
中将いみじく信じて、頬杖をつきて向かひゐたまへり。 中将はひどく本気になり、頬杖をして向き合いました。
法の師の世のことわり説き聞かせむ所の心地するも、かつはをかしけれど、 僧が世の道理を説いて聞かせているような心地がして、おかしかったのですが、
かかるついでは、おのおの睦言もえ忍びとどめずなむありける。 このような時は、それぞれの色恋ごとの打ち明け話も自ずと出てくるものです。

2-5、左馬頭の焼きもち焼き女の体験談物語
 「はやう、まだいと下臈にはべりし時、あはれと思ふ人はべりき。  (左馬頭の話)「昔、私がまだ下臈(下級役人)だった頃、いいなと思う女がいました。
聞こえさせつるやうに、容貌などいとまほにもはべらざりしかば、 申し上げましたように、容貌はいまいちだったので、
若きほどの好き心には、この人をとまりにとも思ひとどめはべらず、 若い時期の好色旺盛な時期の気持ちとしては、この女を生涯の伴侶にしようとは思わず、
よるべとは思ひながら、さうざうしくて、とかく紛れはべりしを、 時々寄る処としていましたが、もの足りない気がして、とかく気紛れに他の女の処にも寄っていましたところ、
もの怨じをいたくしはべりしかば、心づきなく、 その女は、すごく焼きもち焼きでしたので、興醒めしてしまい、
いとかからで、おいらかならましかばと思ひつつ、 本当はこうではなくて、もっとおっとりして穏やかであれば良いものをと思ったりしながらも、
あまりいと許しなく疑ひはべりしもうるさくて、 あまりに強い態度で疑ってくる様子を煩わしく感じて、
かく数ならぬ身を見も放たで、などかくしも思ふらむと、心苦しき折々もはべりて、 自分のようなとるに足らない男を見捨てずに、どうしてこんなに気にかけてくれるのか、胸が詰まるときもあり、
自然に心をさめらるるやうになむはべりし。 そうこうしているうちに自然と浮気心がなくなりました。
 この女のあるやう、もとより思ひいたらざりけることにも、いかでこの人のためにはと、なき手を出だし、  この女の性格は、元々気が回らないことにでも、何とかして夫の為に役立とうとして工夫をこらし、
後れたる筋の心をも、なほ口惜しくは見えじと思ひはげみつつ、 不得意な面も、男にダメな女と思われたくないために努力をするといった感じなのです。
とにかくにつけて、ものまめやかに後見、つゆにても心に違ふことはなくもがなと思へりしほどに、 何かにつけてこまめに世話を焼いてくれ、少しでも夫の意に沿わないことがないようにと思って頑張っていまして、
進める方と思ひしかど、とかくになびきてなよびゆき、 気の強い負けず嫌いな女だとも思いましたが、やがて何かと言うことを聞くようになり性格が柔軟になってきて、
醜き容貌をも、この人に見や疎まれむと、わりなく思ひつくろひ、 醜い容貌も、私に嫌われまいと務めて化粧し、
疎き人に見えば、面伏せにや思はむと、憚り恥ぢて、 さほど親しくない人に顔を見せる時には、夫の面目・見栄を潰すことがないだろうかと遠慮したり恥じたりで、いつも気を配っていました。
みさをにもてつけて見馴るるままに、心もけしうはあらずはべりしかど、 慣れ親しんでくると、気立ても悪くはなかったのですが、
ただこの憎き方一つなむ、心をさめずはべりし。 ただ強い嫉妬心だけは、収まることがありませんでした。
そのかみ思ひはべりしやう、かうあながちに従ひぢたる人なめり、 その頃思っていたのは、このようにむやみに私に従い恐れる女だったので、
いかで懲(こ)るばかりのわざして、おどして、この方(かた)もすこしよろしくもなり、さがなさもやめむと思ひて、 なんとか懲(こら)しめて、脅(おど)せば、嫉妬も和らぎ、意地の悪い性格も直るだろうと思い、
まことに憂しなども思ひて絶えぬべき気色ならば、かばかり我に従ふ心ならば思ひ懲りなむと思うたまへ得て、 本当に嫌になったから縁を切るという態度を取れば、私にこのように従順なのだから懲りるだろうと思い、
ことさらに情けなくつれなきさまを見せて、例の腹立ち怨ずるに、 ことさら薄情でつれない態度を見せると、例のごとく腹を立て恨み言を言い始めました。その時、
『かくおぞましくは、いみじき契り深くとも、絶えてまた見じ。 『そんなにおぞましい強情を言い張るのなら、宿世の深い夫婦の契りでも、縁を切ってもう二度と会わないことにする。
限りと思はば、かくわりなきもの疑ひはせよ。 これで最後と思うならば、このような根拠のない疑いをいくらでもすればよい。
行く先長く見えむと思はば、つらきことありとも、念じてなのめに思ひなりて、 先行き長い夫婦として連れ添おうと思うならば、多少辛いことがあっても、我慢して平静を保つのが良い。
かかる心だに失せなば、いとあはれとなむ思ふべき。 お前の僻(ひが)み根性がなくなれば、とても愛しい女と思えるのだが。
人並々にもなり、 すこしおとなびむに添へてまた並ぶ人なくあるべき』やうなど、 私も人並みに出世し、もう少し一人前になれば、お前は私の妻として並ぶ者なくなるだろう』とこのように、
かしこく教へたつるかなと思ひたまへて、われたけく言ひそしはべるに、 我ながら上手く言ったものだと自分で思いながら、得意になって言っておりましたところ、
すこしうち笑ひて、『よろづに見立てなく、 ものげなきほどを見過ぐして、 女は苦笑して、『何事につけても見栄えがせず、一人前になっていない期間をじっと我慢して、
人数(ひとかずなる世もやと待つ方は、いとのどかに思ひなされて、心やましくもあらず。 いつか人並みに出世するだろうと思って待つのは気になりません。ゆっくりと待っていることができるし、嫌ではありません。
つらき心を忍びて、思ひ直らむ折を見つけむと、年月を重ねむあいな頼みは、いと苦しくなむあるべければ、 しかし夫の浮気の間の辛い心をじっと我慢して、いつかは帰ってくるだろうと、あてのない年月を過ごすのは、とても辛くて堪えがたいものです。
かたみに背きぬべききざみになむある』とねたげに言ふに、 お互いに別れるときが来たのでしょう』と憎らしそうに言ったので、
腹立たしくなりて、憎げなることどもを言ひはげましはべるに、 腹立たしくなり、こちらも同様に言い返すうちに、
女もえをさめぬ筋にて、およびひとつを引き寄せて喰ひてはべりしを、おどろおどろしくかこちて、 女もおさまらず、私の指を取って噛んだので、大げさに痛い痛いと文句を言いながら、
『かかる疵さへつきぬれば、いよいよ交じらひをすべきにもあらず。辱めたまふめる 『こんな傷をつけられては、世の中に出ていけない。
辱めたまふめる官位(つかさくらい)、いとどしく何につけてかは人めかむ。世を背きぬべき身なめり』など言ひ脅して、 軽蔑されるような官位も、これではどうして人並みに出世できようか。私はもう出家でもするしかないようだ』などと言い脅して、
 『さらば、今日こそは限りなめれ』と、この指をかがめてまかでぬ。 『さらばだ、今日こそ最後だ』と言って、この指を痛そうに折り曲げて家を退出しました。
『手を折りてあひ見しことを数ふればこれひとつやは君が憂きふしえうらみじ』など言ひはべれば、さすがにうち泣きて、 『指を折ってあなたとの日々を数えますと、この一つだけがあなたの嫌な点でした。恨まないでくれ』などと言うと、さすがに泣き出して、
『憂きふしを心ひとつに数へきてこや君が手を別るべきをり』など、言ひしろひはべりしかど、 『あなたのつらい仕打ちをひとり胸に堪えて来ましたが、今度こそあなたと別れるときなのでしょうか』など言い争いしましたが、
まことには変るべきこととも思ひたまへずながら、日ごろ経るまで消息も遣はさず、あくがれまかり歩くに、 本当に別れるとは思っていませんでした。何日ものあいだ手紙も書かず消息も知らせず、あちこち遊び呆けておりました。
臨時の祭の調楽に、夜更けていみじう霙降る夜、これかれまかりあかるる所にて、思ひめぐらせば、なほ家路と思はむ方はまたなかりけり。 加茂神社の臨時の祭りの調楽(練習)が終わった、夜更けの霙()ふるとき、誰彼と別れて帰る家路につきましたが、その時に思い巡らしたところ、自分の家と思えるような家は、その女がいる家の他にはなかったのですよ。
内裏わたりの旅寝すさまじかるべく、気色ばめるあたりはそぞろ寒くや、と思ひたまへられしかば、 宮中の宿直所で眠るのは気乗りがしないし、気どった女の家では気持ちが打ち解けず却って寒いだろうしとか思い、
いかが思へると、気色も見がてら、雪をうち払ひつつ、なま人悪ろく爪喰はるれど、 あの女はどうしているだろうと様子を見がてらに、雪を払いつつ向いました。なんとなくきまり悪くもじもじしたが、
さりとも今宵日ごろの恨みは解けなむ、と思うたまへしに、 今夜辺りは日頃の恨みが溶けるかもしれないと思い、
火(ほのか)に壁に背け、萎えたる衣どもの厚肥えたる、大いなる籠にうち掛けて、引き上ぐべきものの帷子(かたびら)などうち上げて、今宵ばかりやと、待ちけるさまなり。 家に入ると、燭台はほの暗く壁の方に向けて、このところ使われていないと思える柔らかな綿入れの衣は大きな伏籠(ふせご)にかぶせ、上げるべき帷子(かたびら)の類は引き上げて、女のほうも今夜あたりは来るのではないかと待っていた様子でした。
さればよと、心おごりするに、正身(そうじみ)はなし。 やはり、待っていてくれたのかといささか自惚れたのですが、本人がいませんでした。
さるべき女房どもばかりとまりて、『親の家に、この夜さりなむ渡りぬる』と答へはべり。 留守の世話をする女房たちがだけが残っており、『夜分に親の家に行きました』と答えるのでした。
艶なる歌も詠まず、気色ばめる消息もせで、いとひたや籠もりに情けなかりしかば、あへなき心地して、 女は、しゃれた歌を詠み置くでなし、思わせぶりな置手紙をするでなし、まったく不愛想だったので、拍子抜けした気持ちになってしまいました。
さがなく許しなかりしも、我をうとみねと思ふ方の心やありけむと、 あのように口やかましく容赦なかったのも、私を嫌ってくださいとの女の気持ちがあったからなのだろうかと、
さしも見たまへざりしことなれど、心やましきままに思ひはべりしに、 それはあり得ないことなのですが、面白くない気持ちのままにそう思ったりもしました。
着るべき物、常よりも心とどめたる色あひ、しざまいとあらまほしくて、 しかし、準備してあった着物は、普段より念を入れた色合いであり、仕立てのほうも非常に素晴らしいもので、
さすがにわが見捨ててむ後をさへなむ、思ひやり後見たりし。 やはり妻は離別した後でも、自分に気配りして世話をしてくれてもいたのです。
さりとも、絶えて思ひ放つやうはあらじと思うたまへて、とかく言ひはべりしを、 そうは言っても、完全に袖にすることはないだろうと思いつつ、あれこれ便りなどしていましたが、
背きもせずと、尋ねまどはさむとも隠れ忍びず、かかやかしからず答へつつ、 特段に別れようとするわけでもなく、自分に探させようとして行方を晦まして隠れるわけでもなく、こちらに恥をかかせないように返事もくれていたのです。
ただ、『ありしながらは、えなむ見過ぐすまじき。あらためてのどかに思ひならばなむ、あひ見るべき』など言ひしを、 ただ『今までのような心のままでは、とても我慢ができません。あなたの心が改まり落ち着くのであれば、また一緒に暮らすことができませう』などと書きつけてありました。
さりともえ思ひ離れじと思ひたまへしかば、しばし懲らさむの心にて、 そう強く言ってはいても私を捨てることはあるまいと思っていましたので、少し懲らしめてやろうという気持ちもあり、
『しかあらためむ』とも言はず、いたく綱引きて見せしあひだに、 『そのように気持ちを改めませう』とも言わず、かなり強情を張ってみせたおりましたところ、
いといたく思ひ嘆きて、はかなくなりはべりにしかば、戯れにくくなむおぼえはべりし。 女は大変嘆いて、あっけなく亡くなってしまったのです。戯れも程々にやるものだ、と思い知りました。
 ひとへにうち頼みたらむ方は、 さばかりにてありぬべくなむ思ひたまへ出でらるる。  一途に思って生涯を連れ添おうとする本妻にするなら、このような女が良いと思っております。忘れられない女でした。
はかなきあだ事をもまことの大事をも、言ひあはせたるにかひなからず、 風流なことでも生活上の用件でも、相談すればしっかりと応えてくれて、
龍田姫と言はむにもつきなからず、 織女の手にも劣るまじくその方も具して、うるさくなむはべりし」とて、いとあはれと思ひ出でたり。 竜田姫といってもいいほど染色の腕もあり、織姫といってもいいほど裁縫の腕もあり、家事についても行き届いておりました」と左馬頭はしみじみと語って、亡き妻を懐かしく思い出していました。
中将、「その織女の裁ち縫ふ方をのどめて、長き契りにぞあえまし。げに、その龍田姫の錦には、またしくものあらじ。 中将が、「織女の裁縫の腕があるような方と、七夕の長い契りをしてみたい、あやかりたいのものだね。妻を娶らば、竜田姫錦を織る女に優るものはいないでしょう。
はかなき花紅葉といふも、をりふしの色あひつきなく、はかばかしからぬは、露のはえなく消えぬるわざなり。 花の命は短くて、紅葉もそうですが、季節の色合いを出すのが難しい。できの良くないのは見映えしないし、露の命のように消えてしまうものです。
さあるにより、 難き世とは定めかねたるぞや」と、言ひはやしたまふ。 そんな素晴らしい女性が早死にするのだから世の中は分かりません。良妻を得るというのは難しいものなのですよ』と言って話を盛り上げました。

2-6、左馬頭の浮気な女の体験談物語
 「さて、また同じころ、まかり通ひし所は、人も立ちまさり心ばせまことにゆゑありと見えぬべく、  (左馬頭の話は続く)「さて、おなじ頃、通っていた所は、家柄も性格も良く、気も良く効く上に、
うち詠み、走り書き、掻い弾く爪音、手つき口つき、みなたどたどしからず、見聞きわたりはべりき。 サラサラと歌を詠み、スラスラと文を書き、つま弾いている琴の音色をよくし、手つき口つきともに上手で、世間の評判もようございました。
見る目もこともなくはべりしかば、このさがな者を、うちとけたる方にて、時々隠ろへ見はべりしほどは、こよなく心とまりはべりき。 容貌もそこそこで、先ほどの嫉妬深い女を普段通う所とし、こちらは時々隠れて会っていましたのが、そのうちにすっかり気に入ってしまいました。
この人亡せて後、いかがはせむ、あはれながらも過ぎぬるはかひなくて、しばしばまかり馴るるには、 かの女が亡くなってからは、どうしようかと悩みました。可哀そうでしたが亡くなった者はどうしようもないので、その(芸事に長けた)女の元へ頻繁に通うようになりました。
すこしまばゆく 艶(えん)に好ましきことは、 目につかぬ所あるに、うち頼むべくは見ず、 少し派手なところがあり妖艶な感じがしており、何か私に分からないところがありましたので、頼りにできる女とは思えないまま、
かれがれにのみ見せはべるほどに、忍びて心交はせる人ぞありけらし。 ほんの時々会っていたのですが、実は内緒で心を許していた男がいたようなのです。
 神無月のころほひ、月おもしろかりし夜、内裏よりまかではべるに、ある上人来あひて、この車にあひ乗りてはべれば、大納言の家にまかり泊まらむとするに、 神無月の頃、月の美しい晩、内裏より帰ろうとすると、ある殿上人と一緒になって、私の牛車に相乗りすることになり、大納言殿の家で泊まろうと思いましたが、
この人言ふやう、『今宵人待つらむ宿なむ、あやしく心苦しき』とて、 この人が言うには、『今宵待っている女がいる、すごく気にかかる』と云って、
この女の家はた、避(よ)きぬ道なりければ、 偶々(たまたま)この女の家が途中にありましたので通ることになりました。
荒れたる崩れより池の水かげ見え、月だに宿る住処を過ぎむもさすがにて、下りはべりぬかし。 荒れて崩れた築地から池の水に映った月影が見えましたので、月でさえ留まっているこの宿をこのまま通り過ぎてしまうのは惜しいという気持ちになり、その女の家の前で車を降りたのでございます。
もとよりさる心を交はせるにやありけむ、この男いたくすずろきて、門近き廊の簀子(すのこ)だつものに尻かけて、とばかり月を見る。 かなり前から心を通わせていたのでせう、この男は非常にそわそわして落ち着かず、気もそぞろで、門近くの廊下の簀子(すのこ)に腰を下ろして、しばし月を眺めていました。
菊いとおもしろく 移ろひわたり、風に競へる紅葉の乱れなど、あはれと、げに見えたり。 菊が一面に咲いてとても色が美しく、風に揺れる紅葉が散り乱れているなど、あわれな風情を感じました。
懐なりける笛取り出でて吹き鳴らし、『蔭もよし』などつづしり謡ふほどに、よく鳴る和琴を、調べととのへたりける、うるはしく掻き合はせたりしほど、けしうはあらずかし。 懐より笛を取り出して吹き、『蔭もよし(月影も良いな)』を口ずさむと、はっきり琴の音が聞こえ、調子を整えて合わせて上手に合奏したところまで、悪くはありませんでした。
律の調べは、女のものやはらかに掻き鳴らして、簾の内より聞こえたるも、今めきたる物の声なれば、清く澄める月に折つきなからず。 律の調べを、女はものやわらかにかきならし、簾の内から聞こえて来ましたが、今風の音色でしたので、清く澄む月に似合っていませんでした。
男いたくめでて、簾のもとに歩み来て、『庭の紅葉こそ、踏み分けたる跡もなけれ』などねたます。 男は大いに喜んで、簾に近づき、『庭の紅葉を、踏み分けた跡がありませんね(誰も来られていないようですね)』とからかう。
菊を折りて、『琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける悪ろかめり』など言ひて、 菊を手で折って、『琴の音も月影も素晴らしいお宅なのですが、愛情の薄い人故に引き止められなかったようですね。上手くいかないものですね』など言って、
『今ひと声、聞きはやすべき人のある時、手な残いたまひそ』など、いたくあざれかかれば、 『もう一曲、喜んで聞きたいという私がいるのだから、弾き惜しみをしないで下さい』など、調子にのって言えば、
女、いたう声つくろひて、『木枯に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべき言の葉ぞなき』となまめき交はすに、 女は、気どった作り声で、『木枯らしのようなうら寂しい風情で弾く琴の音に調子を合わせて吹くことのできるような笛の名手の方を、お引き止めする術を持ちません』と色っぽく交わすのを聞いて、
憎くなるをも知らで、また、箏の琴を盤渉調ばんしきちょうに調べて、今めかしく掻い弾きたる爪音、かどなきにはあらねど、まばゆき心地なむしはべりし。 (初めて会った男にそんな浮気めいた応え方をするのを見て)私が憎らしく思い始めたことも知らずに、また、琴を盤渉調ばんしきちょうに整え直して今様に弾いた音は、才能がないわけではなかったのですが、目を覆いたい悲しい気持ちになりました。
ただ時々うち語らふ宮仕へ人などの、あくまでさればみ好きたるは、さても見る限りはをかしくもありぬべし。 時々気心の知れた宮仕えの女房たちが、戯れに気どった調子で遊ぶのは、そうして付き合う限りではおもしろいものです。
時々にても、さる所にて忘れぬよすがと思ひたまへむには、頼もしげなくさし過ぐいたりと心おかれて、その夜のことにことつけてこそ、まかり絶えにしか。 時々であっても、通い妻の一人として一時を共にしようと思う女としては、頼りにならず派手過ぎると嫌気がさして、その夜のことがあってから、通わなくなりました。
 この二つのことを思うたまへあはするに、若き時の心にだに、なほさやうにもて出でたることは、いとあやしく頼もしげなくおぼえはべりき。  この二つの場合を比べてみると、若い日の心でさえも、木枯らしの女のような目立ちすぎる振舞いは、とても心が乱れ頼りにならないと思えました。
今より後は、ましてさのみなむ思ひたまへらるべき。 これからは、なおのことそのように思うようになることでせう。
御心のままに、折らば落ちぬべき萩の露、拾はば消えなむと見る玉笹の上の霰などの、 思いのままに、手折れば落ちる萩の露、拾えば消えそうな笹の上の霰などのような、
艶にあえかなる好き好きしさのみこそ、をかしく思さるらめ、今さりとも、七年あまりがほどに思し知りはべなむ。 色気を廻る色恋の風流なものばかりに、興味深くお思いになるでせうが、これより7年も経てば、お分かりになるでせう。
なにがしがいやしき諌めにて、好きたわめらむ女に心おかせたまへ。 私のような至らない者のお説教ですが、色ごとが好きでその方面にご発展する女は、用心してください。
過ちして、見む人の かたくななる名をも立てつべきものなり」と戒む。中将、例のうなづく。 女が過ちを犯せば、世間の人は、男の愚かさの噂を立てるものですよ」と言う。頭中将は、いつものようにうなずいて聞いていました。
君すこしかた笑みて、さることとは思すべかめり。 源氏の君は笑みを浮かべて、そのようなものかと思っているようでした。
「いづ方につけても、人悪ろくはしたなかりける身物語かな」とて、うち笑ひおはさうず。 (源氏)「どちらの話にしても、体裁が悪くて見っともない体験談ですね」と言って、皆でどっと笑って興じられました。

2-7、頭中将の常夏の女の体験談物語
 中将、「なにがしは、痴者(しれもの)の物語をせむ」とて、  中将が、「私が阿呆な男の話をしましょう」と語り始めた。
「いと忍びて見そめたりし人の、さても見つべかりしけはひなりしかば、 「ごく内緒で会っていた女で、そうした関係を長く続けても良さそうな様子だったので、
ながらふべきものとしも思ひたまへざりしかど、馴れゆくままに、あはれとおぼえしかば、 長く続くとは思っていなかったのですが、馴れ親むにつれて、愛しい女のように思われましたので、
絶え絶え忘れぬものに思ひたまへしを、 通うのが途絶えがちになりながらも忘れられない女と感じていました。
さばかりになれば、うち頼めるけしきも見えき。 そんな関係が続くと、私を頼りにする気色も見え始めました。
頼むにつけては、恨めしと思ふこともあらむと、心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを、見知らぬやうにて、 頼りにする男という風に見始めると、疎ましいこともあるだろうと、我ながら思われるところもございましたが、女は気に掛けない様子を見せており、
久しきとだえをも、かうたまさかなる人とも思ひたらず、ただ朝夕にもてつけたらむありさまに見えて、 久しく行かなかったときも、時々しか来ない人とも思わず、朝夕の務めも何気なくこなし、
心苦しかりしかば、 頼めわたることなどもありきかし。 私も心苦しく思っていましたので、自分を頼みにしてもいいよ、と言ったこともありました。
親もなく、いと心細げにて、さらばこの人こそはと、事にふれて思へるさまもらうたげなりき。 親もなく、とても心細い様子であり、この人こそはと頼りにする様子も見られて、いじらしいものがありました。
かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、 このようにおっとりして親しみがあることに安心して、長い間、通わずにいたところ、
この見たまふるわたりより、情けなくうたてあることをなむ、さるたよりありてかすめ言はせたりける、後にこそ聞きはべりしか。 私の妻の近くにある人が、ある時とてもひどいことを女に対して言っていたと、後になってあるツテからそれとなく聞きました。
さる憂きことやあらむとも知らず、心には忘れずながら、消息などもせで久しくはべりしに、 そのような辛い思いをさせていたとは知らず、心中では忘れていないとはいうものの、便りなども出さずに長い間いたのでした。
むげに思ひしをれて心細かりければ、幼き者などもありしに思ひわづらひて、撫子の花を折りておこせたりし」とて涙ぐみたり。 すっかり将来を悲観して不安な様子であり、私とその女の間には幼い子供もいたことで思い悩み、撫子(なでしこ)の花を折って送って寄こしたのです』と言って涙ぐみました。
 「さて、その文の言葉は」と問ひたまへば、  「それで、その手紙には何と」と源氏が問えば、
「いさや、ことなることもなかりきや。 「いや、特別なことは何も書かれておりませんでした。
『山がつの垣ほ荒るとも折々にあはれはかけよ撫子の露』  『山賤の家の垣根は荒れていても、時々はかわいがってやってくださいね、撫子の花を』。
思ひ出でしままにまかりたりしかば、例のうらもなきものから、 思い出して行ってみると、例によって表裏なき信じ切った様子でありましたが、
いと物思ひ顔にて、荒れたる家の露しげきを眺めて、虫の音に競へるけしき、昔物語めきておぼえはべりし。 とても物思いをしている様子で、荒れた家の露を眺めて、虫の音に競えるほどに泣く様が、昔物語の一場面のようでありました。
『咲きまじる色はいづれと分かねどもなほ常夏にしくものぞなき』 『庭に色々と咲いている花は、いずれも美しいものですが、やはり常夏の花が一番美しく思われます』。
大和撫子をばさしおきて、まづ『塵をだに』など、親の心をとる。 (中将は)大和撫子のことはさておき、まず『塵をだに(せめても塵だけは払っておこう)』の、常夏の親の方の機嫌を取りました。
『うち払ふ袖も露けき常夏にあらし吹きそふ秋も来にけり』とはかなげに言ひなして、まめまめしく恨みたるさまも見えず。 『露を払う私の袖も露でいっぱいです。涙で濡れた常夏に嵐をはらんだ秋が来そうです』と、(女は)さりげなく言いつくろって、本気で恨んでいるようには見えませんでした。
涙をもらし落としても、いと恥づかしくつつましげに紛らはし隠して、つらきをも思ひ知りけりと見えむは、わりなく苦しきものと思ひたりしかば、 涙を落としていても、とても恥ずかしそうに遠慮して取り繕い、その泣いている姿を隠しています。辛い気持ちでいることを私に見られるのが、かえって心苦しいと思っていましたので、
心やすくて、またとだえ置きはべりしほどに、跡もなくこそかき消ちて失せにしか。 安心してまた行くのをやめておりましたところ、女は跡形もなく居なくなってしまいました。
まだ世にあらば、はかなき世にぞさすらふらむ。 まだ生きているなら、みじめな恵まれない生活をしていることでせう。
あはれと思ひしほどに、わづらはしげに思ひまとはすけしき見えましかば、かくも あくがらさざらまし。 私が愛している間に、愛しいと思っていました時、うるさいくらいにまとわりついてくる様子を見せてくれたならば、こういう風に行方が分からなくなるような事にはさせなかったのに。
こよなきとだえおかず、さるものにしなして長く見るやうもはべりなまし。 こんなに長く途絶えはせずに、通い妻の一人として末永く面倒をみたでせうに。
かの撫子のらうたくはべりしかば、いかで尋ねむと思ひたまふるを、今もえこそ聞きつけはべらね。 あの撫子は可愛く思っていたので、何とかして捜し出したいと思っていますが、今だに消息が分かりません。
 これこそのたまへるはかなき例なめれ。  これがおっしゃられていた頼りない女の例です。
つれなくてつらしと思ひけるも知らで、あはれ絶えざりしも、益なき片思ひなりけり。 女が、つれなく感じ辛い思いに苦しんでいたとも知らずに、相手が平気を装いながら辛いと思っていることを知らず、関係し続けていたのは甲斐なき片思いに過ぎませんでした。
今やうやう忘れゆく際に、かれはたえしも思ひ離れず、折々人やりならぬ胸焦がるる夕べもあらむとおぼえはべり。 今は少しずつ忘れかけているのですが、あの女は女でまだ私を忘れられず、時折、自分のために胸を焦がしている夕べもあるのだろうと思っています。
これなむ、え保つまじく頼もしげなき方なりける。 これが、縁が続かず頼りにならない女の物語例ですよ。
されば、かのさがな者も、思ひ出である方に忘れがたけれど、 ですから、あの嫉妬深い指喰い女も、思い出すよすがとしては忘れがたいのですが、
さしあたりて見むには わづらはしくよ、よくせずは、飽きたきこともありなむや。 普段生活を共にするには煩わしく、悪くすると、その嫉妬深さが厭になることもありませう。
琴の音すすめけむかどかどしさも、好きたる罪重かるべし。 琴の達者な才走った女も、浮気の罪は重いでせう。
この心もとなきも、疑ひ添ふべければ、いづれとつひに思ひ定めずなりぬるこそ。 この心もとない女も、疑えばきりがないし、どちらが良いとは結局、決定しがたいものですね。
世の中や、ただかくこそ。とりどりに比べ苦しかるべき。 世の中はこのようなもの。それぞれ比べて悩みます。
このさまざまのよき限りをとり具し、難ずべきくさはひまぜぬ人は、いづこにかはあらむ。 それぞれの良いところばかりを身に備え、非難されるところを持たないような女は、一体どこにおりませう。
吉祥天女(きちじょうてんにょ)を思ひかけむとすれば、 法気(ほうけづき、くすしからむこそ、また、わびしかりぬべけれ」とて、皆笑ひぬ。 吉祥天女に思いをかけようとすれば抹香臭くなるし、人間離れしている人もまた面白くないですからね」と言って、皆で笑い合いました。

2-8、式部丞の畏れ多い女の体験談物語
 「式部がところにぞ、けしきあることはあらむ。すこしづつ語り申せ」と責めらる。  「式部の丞のところにも、面白い話があるだろう。少しずつ話して聞かせよ」と促されます。
下(しも)下(しも)の中には、 なでふことか、聞こし召しどころはべらむ」と言へど、 「下の下である私ごとき者には、何をお聞きあそばすような話がありませうか」と言えば、
頭の君、まめやかに「遅し」と責めたまへば、何事をとり申さむと思ひめぐらすに、 中将の君がむきになって「早く」と急(せ)かせるので、何をお話ししようかと思いめぐらすうちに、
「まだ文章生(もんじょうのしょう)にはべりし時、かしこき女の例をなむ見たまへし。 「まだ文章生(もんじょうのしょうだった頃、賢い女の例を拝見しました。
かの、馬頭(うまのかみ)の申したように、公事をも言ひあはせ、私ざまの世に住まふべき心おきてを思ひめぐらさむ方もいたり深く、 さきほど、馬頭(うまのかみ)が申されたように、公事をも相談することができ、私生活にかかわる生きる処世の心得も深く、
才の際なまなまの博士恥づかしく、すべて口あかすべくなむはべらざりし。 その才覚は生半可な博士の及びもしない程で、万事につけて私が口を出す余地はありませんでした。
それは、ある博士のもとに学問などしはべるとて、まかり通ひしほどに、主人のむすめども多かりと聞きたまへて、はかなきついでに言ひ寄りてはべりしを、 馴れ初めは、ある博士のもとに学問を習いに通っていた時のこと、博士の娘がたくさんいると聞きまして、ちょっとした折に言い寄りましたところ、
親聞きつけて、盃持て出でて、『わが両つの途歌ふを聴け』となむ、聞こえごちはべりしかど、 父親が聞きつけて、盃を持ち出して来て、『我が二つの途を歌うを聴け』とやりだしたので、
をさをさうちとけてもまからず、かの親の心を憚りて、さすがにかかづらひはべりしほどに、 心から打ち解けることもないまま、あの親心をはばかりながらも、かかわりあっていましたが、
いとあはれに思ひ後見、寝覚の語らひにも、身の才つき、 女は情が深く世話してくれて、閨房の語らいするうちにも、私の学才がつき、
朝廷に仕うまつるべき道々しきことを教へて、いときよげに消息文にも仮名といふもの書きまぜず、むべむべしく言ひまはしはべるに、 宮仕えに役立つの漢学の素養を教えてくれて、美しい消息文も仮名をつかわず、格式のある調子でしたためるので、
おのづからえまかり絶えで、その者を師としてなむ、わづかなる腰折文作ることなど習ひはべりしかば、今にその恩は忘れはべらねど、 (そういった知性にも惹かれて)ついつい別れることができずに、その女を先生として、下手な漢詩文を作ることなどを習いましたので、今でもその恩は忘れるものではありません。
なつかしき妻子とうち頼まむには、無才の人、 なま悪ろならむ振る舞ひなど見えむに、恥づかしくなむ見えはべりし。 親しみが持てる妻にと頼むには、私に学才がなく、愚かな振る舞いなどを見られたりしたら、恥をかくことになるだろう。
まいて君達の御ため、はかばかしくしたたかなる御後見は、何にかせさせたまはむ。 まして、あなた方のような高貴な若殿には、しっかりし過ぎていて一切の手ぬかりがない(男が緊張を強いられるような)後見人(奥方)は、どうして必要でせうか。
はかなし、口惜し、とかつ見つつも、ただわが心につき、宿世の引く方はべるめれば、 妻とするには、(自分よりも賢すぎるような女性は)つまらなくて残念だと一方では思いながらも、ただ自分が気に入っていたり、前世からの宿縁があればそれでいいのであり、
男しもなむ、仔細なきものははべめる」と申せば、残りを言はせむとて、 男というのは他愛ない、しようがないものですね」と言えば、頭中将は続きを言わそうとして
「さてさてをかしかりける女かな」とすかいたまふを、心は得ながら、鼻のわたりをこづきて語りなす。 「実におもしろい女だなあ」と(中将が)おだてると、式部丞は心得ていて、鼻のあたりをヒクヒクさせてまた語りだした。
 「さて、いと久しくまからざりしに、もののたよりに立ち寄りてはべれば、  「そうして、随分と長くその女の元へは行きませんでしたが、何かのついでに立ち寄ってみますと、
常のうちとけゐたる方にははべらで、心やましき物越しにてなむ逢ひてはべる。 いつもいるくつろいだ部屋には入れて貰えず、不愉快にも物越しに会うことになりました。
ふすぶるにやと、をこがましくも、また、よきふしなりとも思ひたまふるに、 嫉妬しているのかと、僭越にも感じ、また縁を切るいい機会だとも思いましたが、
このさかし人はた、軽々しきもの怨じすべきにもあらず、世の道理を思ひとりて恨みざりけり。 この賢い女は、軽々しく嫉妬するような人ではなく、男女の仲をわきまえていて恨み言などは言いませんでした。
声もはやりかにて言ふやう、『月ごろ、風病重きに堪へかねて、極熱の草薬を服して、いと臭きによりなむ、え対面賜はらぬ。 何げない調子で早口に言うには。『この何ケ月か、風邪が重くなり、熱冷ましの薬草を飲んでおり、その臭いが強いので、御目通りできません。
目のあたりならずとも、さるべからむ雑事らは承らむ』と、いとあはれにむべむべしく言ひはべり。 ご対面できなくても、しかるべき雑務はお受けしませう』と、殊勝にもきちんと言うのでございました。
答へに何とかは。ただ、『承りぬ』とて、立ち出ではべるに、さうざうしくやおぼえけむ、 なんと応じればいいのか。ただ、『了解した』と言って立ち上がると、女はもの足りない気がしたのか、
『この香失せなむ時に立ち寄りたまへ』と高やかに言ふを、聞き過ぐさむもいとほし、しばしやすらふべきに、はたはべらねば、 『この臭いが消えたら立ち寄ってください』と声高に言うので、聞き捨ててしまうのも気の毒だったのですが、暫く間、ためらっていられる状況でもなく(きょろきょろしながら逃げ時を伺い)、
げにそのにほひさへ、はなやかにたち添へるも術なくて、逃げ目をつかひて、 臭いも強くなり、逃げ腰になって、
『ささがにのふるまひしるき夕暮れにひるま過ぐせといふがあやなさ、いかなることつけぞや』と、言ひも果てず走り出ではべりぬるに、 『蜘蛛がさわぐ夕暮れは私が来るのを知っていますのに、昼間まで待てとは、合点がいきません。なんという口実でしょう』と、言い終わらないうちに逃げ出しましたところ、
追ひて、『逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならばひる間も何かまばゆからまし』。 追いかけてきて、『逢う時に一夜も置かずに逢っている夫婦の仲ならば、蒜の臭っている昼間に逢ったからといってどうして恥ずかしいことなどありましょうか』。
さすがに口疾くなどははべりき」と、しづしづと申せば、 さすがにその返歌は素早いものでございました」と、式部丞が落ち着いて申し上げるので、
君達あさましと思ひて、「嘘言」とて笑ひたまふ。 公達は興醒めに感じて、『それは嘘だろう』と言ってお笑いになられた。
「いづこのさる女かあるべき。おいらかに鬼とこそ向かひゐたらめ。むくつけきこと」と爪弾きをして、「言はむ方なし」と、式部をあはめ憎みて、 「どこにそのような女がいるだろうか。おとなしく鬼とでも向かい合っていたほうがまだましだ。気味の悪い話だ」と爪はじきして、「話にならん」と、式部を哀れみけなして、
「すこしよろしからむことを申せ」と責めたまへど、「これよりめづらしきことはさぶらひなむや」とて、をり。 「もっとましな話をせよ」と責めたのだが、「これより珍しい話はありません」といって、開き直っている。
 「すべて男も女も悪ろ者は、わづかに知れる方のことを残りなく見せ尽くさむと思へるこそ、いとほしけれ。  (左馬頭が語る)「すべて男も女も教養のない者は、少し知っているだけの知識を全て承知しているとして知識をひけらかそうとするから困るんですよ。
三史五経、道々しき方を、明らかに悟り明かさむこそ、愛敬(あいぎょうなからめ、 三史五経など道理を説く学を究めようとする女は、可愛げがない者が多い。
などかは、女といはむからに、世にあることの公私(おおやけわたくしにつけて、むげに知らずいたらずしもあらむ。 しかし女だからといって世の中の公事(おおやけごと)私事(わたくしごと)を、あえて知らないでいいものだろうか(そうとばかりは言っておられますまい)。
わざと習ひまねばねど、すこしもかどあらむ人の、耳にも目にもとまること、自然(じねん)に多かるべし。 本格的な学問の勉強まではしなくても、少しの才気があれば、耳から目から入ってくることが、自然に多くなり身につくものです。
さるままには、真名(まんな)を走り書きて、さるまじきどちの女文に、なかば過ぎて書きすすめたる、 それにしても、漢字をさらさらと走り書きして、お互い漢字を書かないはずの女同士の手紙文に、半分以上も漢文で書き進めているのを見ると、
あなうたて、この人のたをやかならましかばと見えたり。 ああ鬱陶しい。そう知識人ぶらず、もっと女らしかったらいいのにと思います。
心地にはさしも思はざらめ、おのづからこはごはしき声に読みなされなどしつつ、 ことさらびたり。 書いた本人は気持ちの上でそんな風に知識を鼻にかけているわけではないでしょうが、声に出してその手紙を読むと自然にごつごつしたものになり、如何にももったいぶったものになってしまうのです。
上臈の中にも、多かることぞかし。 これは上流の身分が高い貴婦人(上臈)にも、多く見られることです。
歌詠むと思へる人の、やがて歌にまつはれ、をかしき古言(ふること)をも初めより取り込みつつ、 すさまじき折々、詠みかけたるこそ、ものしきことなれ。 和歌を詠むことを鼻にかけている人が、そのまま和歌にのめり込んで、趣ある古歌を初句から取り込み取り込みしながら、相応しくもない折々に、それを詠みかけてくるのは、不愉快なことです。
返しせねば情けなし、えせざらむ人ははしたなからむ。 返歌しなければ風流を解さないことになり、返さない人は体裁が悪い不作法と見られます。
さるべき節会(せちなど、五月の節に急ぎ参る朝、何のあやめも思ひしづめられぬに、えならぬ根を引きかけ、  然るべき宮中の節会などで、五月の節句に急ぎ参内する朝、落ち着いて歌を味わったりはできない心の時に、そんな時に、素晴らしい菖蒲にかこつけた歌を寄せてきたり、
九日の宴に、まづ難き詩の心を思ひめぐらして暇なき折に、 九月九日の重陽の節句の宴会で、難しい詩の言葉に四苦八苦している最中に、
菊の露をかこち寄せなどやうの、 つきなき営みにあはせ、 菊の露にかこつけたような、相応しからぬ歌に付き合わせるという具合です。
さならでもおのづから、げに後に思へばをかしくもあはれにもあべかりけることの、その折につきなく、目にとまらぬなどを、 そういう場合でなくても、自然になるほど素晴らしいと後から考えれば風情があってしみじみとするはずの歌が、その場合に相応しくなくて(相手が忙しくてしているのに)、目にも止めて貰えないのを、
推し量らず詠み出でたる、なかなか心後れて見ゆ。 察しもせずに一方的に歌を詠んで寄こすのは、逆に気が利かないだけの人のように思われます。
よろづのことに、などかは、さても、とおぼゆる折から、時々、思ひわかぬばかりの心にては、よしばみ情け立たざらむなむ目やすかるべき。 万事につけ、どうしてそんなことになるのか、時と場合によって、分別できる心をもち合わさない程度の思慮深さでは、気取ったり風流めかしたりしないほうが無難でせうね。
すべて、心に知れらむことをも、知らず顔にもてなし、言はまほしからむことをも、一つ二つのふしは過ぐすべくなむあべかりける」と言ふにも、 すべて、知っていることも知らない風をし、言いたいことも十のうち一つ二つは控えておくのが良いのですよ」と(左馬頭が)言う間中(あいだじゅう)、
君は、人一人の御ありさまを、心の中に思ひつづけたまふ。 源氏の君は、あるお方のご様子(藤壺のご様子)を胸の中で思い続けていらっしゃられた。
「これに足らずまたさし過ぎたることなくものしたまひけるかな」と、ありがたきにも、いとど胸ふたがる。 「あの方は、この結論と比べても、足りないものもなく、過ぎたることもない立派な方でいらっしゃるな」と、理想のお方だと思うにつけ、胸が一杯になるのであった。
いづ方により果つともなく、果て果てはあやしきことどもになりて、明かしたまひつ。 どういう結論に達するということもなくて、しまいには変な話になって、夜が明けたのでございます。





(私論.私見)