20 朝顔(あさがお)12節

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.3.3日

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 2007.10.7日 れんだいこ拝


【20、朝顔(あさがお)12節
2-1 長雨の時節
2-2 宮中の宿直所、光る源氏と頭中将
2-3 左馬頭、藤式部丞ら女性談義に加わる
2-4 女性論、左馬頭の結論
2-5 女性体験談(左馬頭、嫉妬深い女の物語)
2-6 左馬頭の体験談(浮気な女の物語)
2-7 頭中将の体験談(常夏の女の物語)
2-8 式部丞の体験談(畏れ多い女の物語)
2-9 天気晴れる
2-10 紀伊守邸への方違へ
2-11 空蝉の寝所に忍び込む
2-12 それから数日後
 あらすじは次の通り。
父宮の薨去により朝顔の姫君は斎院を退き、桃園の宮で暮らしていた。姫と同居する女五の宮の見舞いにかこつけて邸を訪問した源氏は朝顔の姫君に恋心を訴えるが、姫君は聞こうとしない。
 
世の人々は源氏と姫君のことを理想のふたりだと噂をする。それを聞いた紫の上は、さしたる後見のない自分の身と前斎宮である姫君をくらべ強い不安を覚える。
 
源氏の求愛を聞くことなく朝顔の姫君は勤行に明け暮れる。あきらめきれない源氏だが、紫の上を放っておくこともできず弁明に明け暮れる。雪が降る中、源氏と紫の上が女性論を交わしていると、藤壺の宮が源氏の夢枕に立ち、秘密の漏洩を深く恨んだ。
 20-1、九月、故桃園式部卿宮邸を訪問
斎院は、御服にて下りゐたまひにきかし。大臣、例の、思しそめつること、絶えぬ御癖にて、御訪らひなどいとしげう聞こえたまふ。宮、わづらはしかりしことを思せば、御返りもうちとけて聞こえたまはず。いと口惜しと思しわたる。
長月になりて、桃園宮ももぞののみやに渡りたまひぬるを聞きて、女五の宮のそこにおはすれば、そなたの御訪らひにことづけて参うでたまふ。故院の、この御子たちをば、心ことにやむごとなく思ひきこえたまへりしかば、今も親しく次々に聞こえ交はしたまふめり。同じ寝殿の西東にぞ住みたまひける。ほどもなく荒れにける心地して、あはれにけはひしめやかなり。
宮、対面したまひて、御物語聞こえたまふ。いと古めきたる御けはひ、しはぶきがちにおはす。年長このかみにおはすれど、故大殿の宮は、あらまほしく古りがたき御ありさまなるを、もて離れ、声ふつつかに、こちごちしくおぼえたまへるも、さるかたなり
「院の上、隠れたまひてのち、よろづ心細くおぼえはべりつるに、年の積もるままに、いと涙がちにて過ぐしはべるを、この宮さへかくうち捨てたまへれば、いよいよあるかなきかに、とまりはべるを、かく立ち寄り訪はせたまふになむ、もの忘れしぬべくはべる」
と聞こえたまふ。
「かしこくも古りたまへるかな」と思へど、うちかしこまりて、
「院隠れたまひてのちは、さまざまにつけて、同じ世のやうにもはべらず、おぼえぬ罪に当たりはべりて、知らぬ世に惑ひはべりしを、たまたま、朝廷に数まへられたてまつりては、またとり乱り暇なくなどして、年ごろも、参りていにしへの御物語をだに聞こえうけたまはらぬを、いぶせく思ひたまへわたりつつなむ」
など聞こえたまふを、
「いともいともあさましく、いづ方につけても定めなき世を、同じさまにて見たまへ過ぐす命長さの恨めしきこと多くはべれど、かくて、世に立ち返りたまへる御よろこびになむ、ありし年ごろを見たてまつりさしてましかば、口惜しからましとおぼえはべり」
と、うちわななきたまひて、
「いときよらにねびまさりたまひにけるかな。童にものしたまへりしを見たてまつりそめし時、世にかかる光の出でおはしたることと驚かれはべりしを、時々見たてまつるごとに、ゆゆしくおぼえはべりてなむ。内裏の上なむ、いとよく似たてまつらせたまへりと、人びと聞こゆるを、さりとも、劣りたまへらむとこそ、推し量りはべれ」
と、長々と聞こえたまへば、
「ことにかくさし向かひて人のほめぬわざかな」と、をかしく思す。
「山賤になりて、いたう思ひくづほれはべりし年ごろののち、こよなく衰へにてはべるものを。内裏の御容貌は、いにしへの世にも並ぶ人なくやとこそ、ありがたく見たてまつりはべれ。あやしき御推し量りになむ」
と聞こえたまふ。
「時々見たてまつらば、いとどしき命や延びはべらむ。今日は老いも忘れ、憂き世の嘆きみな去りぬる心地なむ」
とても、また泣いたまふ。
「三の宮うらやましく、さるべき御ゆかり添ひて、親しく見たてまつりたまふを、うらやみはべる。この亡せたまひぬるも、さやうにこそ悔いたまふ折々ありしか」
とのたまふにぞ、すこし耳とまりたまふ。
「さも、さぶらひ馴れなましかば、今に思ふさまにはべらまし。皆さし放たせたまひて」
と、恨めしげにけしきばみきこえたまふ。
斎院(朝顔の君)は、父の服喪のために下った。源氏は例によって、思い染めると諦められない御気性で、お見舞いなどひんぱんに出すのだった。前斎宮は、煩わしかったことを思い出し、返事も気安くは出さない。源氏は口惜しく思った。
九月になって、桃園の邸に移られたことを聞いて、女五の宮がそこに住んでいるので、その訪問を口実にして出かけた。故桐壷院が、兄弟姉妹のこの子らをとりわけ大事にされていたので、源氏は今も親しくそれぞれとおつきあいされていた。同じ寝殿の西と東に住んでおられた。久しくもたっていないのに、邸が荒れはじめた心地がして物寂しげな気配がするのだった。
女五の宮は、源氏と向かい合って、お話された。すごく歳をとった様子で咳をしながら話した。姉にあたる故大殿の宮(女三宮・大宮)は、美しく歳を取っていたが、妹君は少しも似たところがなく、声は太く、無骨な感じだが、宮の気品があった。
「院がお隠れになってから、万事が心細かったのですが、年とともに涙がちになっているのに、この宮さえわたしを捨ててしまわれたので、いよいよ生きているのか死んでいるのか分からない有様、こうしてお立ち寄りされますと、憂さも忘れてしまいます」
と仰せになった。
「おそろしく年をお取りになった」と思ったが、かしこまって、
「院がお隠れになってからは、何事につけても同じ世のようにはゆかず、身に覚えのない罪に問われて知らぬ土地に流されましたが、たまたま呼び戻されて朝廷に取立てられてからは、またあれこれの政務に暇がなくなり、年来、お越して昔話などをお聞きできていないのを、ずっと気にかけておりました」
などと仰せになると、
「本当に情けないこと、いずれも定めなき世の中、わたしはただ見ていただけで、命長ければ恨めしいことも多いですが、こうしてまた政に復帰して栄えるのをお慶びするにつけても、流浪のあの頃に死んでいたら、大変残念だったと思ったことでしょう」
と声を震わせて仰るので、
「実にお美しく大人になりましたね。子供のときに初めてお目にかかったとき、世の中にこれほど光り輝く子がお生まれになったものと驚きましたが、時々に見るたびに、空恐ろしく思っておりました。今上の帝が大臣によく似ていらっしゃると人びとが言っているのも、そうではあっても、帝の方が劣っておいでだ、と推察します」
と長々と仰せになると、
「こう面と向かって人をほめるとは」と、おかしく思うのだった。
「須磨の山里に住んで、ひどく落ち込んでいた年月の後、すっかり衰えてしまいました。内裏の御容貌は、昔の世にも並ぶ人がないほどで、ありがたく拝見しております。それは誤解ではないでしょうか」
と仰せになる。
「時々拝見していたら、この命ももっと延びるでしょう。今日は年を忘れて、憂き世の嘆きはみな去った心地です」
といって、また泣くのだった。
「三の宮がうらやまし、ちゃんとした縁もあって、親しく見ることができるのを、うらやみました。亡くなった宮もそういって悔いていたときもありましたよ」
と仰せになるのを、少し耳にとめたのだった。
「もしそうなっていれば、今もって思い通りに幸せだったでしょう。皆がわたしを見限ってしまった」
と、恨めしげに気色ばんで仰せになった。
 20.2 朝顔姫君と対話
あなたの御前を見やりたまへば、枯れ枯れなる前栽の心ばへもことに見渡されて、のどやかに眺めたまふらむ御ありさま、容貌も、いとゆかしくあはれにて、え念じたまはで、
「かくさぶらひたるついでを過ぐしはべらむは、心ざしなきやうなるを、あなたの御訪らひ聞こゆべかりけり」
とて、やがて簀子より渡りたまふ
暗うなりたるほどなれど、鈍色の御簾に、黒き御几帳の透影あはれに、追風なまめかしく吹き通し、けはひあらまほし。簀子はかたはらいたければ、南の廂に入れたてまつる。
宣旨せんじ、対面して、御消息は聞こゆ
今さらに、若々しき心地する御簾の前かな 神さびにける年月の労数へられはべるに、今は内外も許させたまひてむとぞ頼みはべりける
とて、飽かず思したり。
「ありし世は皆夢に見なして、今なむ、覚めてはかなきにやと、思ひたまへ定めがたくはべるに、労などは、静かにやと定めきこえさすべうはべらむ
と、聞こえ出だしたまへり。「げにこそ定めがたき世なれ」と、はかなきことにつけても思し続けらる。
人知れず神の許しを待ちし間に
ここらつれなき世を過ぐすかな

今は、何のいさめにか、かこたせたまはむとすらむ。なべて、世にわづらはしきことさへはべりしのち、さまざまに思ひたまへ集めしかな。いかで片端をだに
と、あながちに聞こえたまふ、御用意なども、昔よりも今すこしなまめかしきけさへ添ひたまひにけり。さるは、いといたう過ぐしたまへど、御位のほどには合はざめり
なべて世のあはればかりを問ふからに
誓ひしことと神やいさめむ

とあれば、
「あな、心憂。その世の罪は、みな科戸しなとの風にたぐへてき
とのたまふ愛敬も、こよなし。
「みそぎを、神は、いかがはべりけむ」
など、はかなきことを聞こゆるも、まめやかには、いとかたはらいたし。世づかぬ御ありさまは、年月に添へても、もの深くのみ引き入りたまひて、え聞こえたまはぬを、見たてまつり悩めり
「好き好きしきやうになりぬるを」
など、浅はかならずうち嘆きて立ちたまふ。
齢の積もりには、面なくこそなるわざなりけれ 世に知らぬやつれを、今ぞ、とだに聞こえさすべくやは、もてなしたまひける
とて、出でたまふ名残、所狭きまで、例の聞こえあへり。
おほかたの、空もをかしきほどに、木の葉の音なひにつけても、過ぎにしもののあはれとり返しつつ、その折々、をかしくもあはれにも、深く見えたまひし御心ばへなども、思ひ出できこえさす。
あちらの御前を見やれば、すっかり枯れた前菜の草花の風情も感じられて、(朝顔の君が)静かに眺め暮らしている有様や容姿もひどく気にかかって、我慢ができず、
「こうしてお伺いしたのに立ち寄らなければ、気がないように思われますので、あちらへ参ります」
と言って、そのまま簀子から渡っていった。
暗くなってきたので、鈍色の縁をかけた御簾に、鈍色の帷子が垣間見える几帳が風情あり、風がなまめかしく吹き通り、趣があった。簀子は恐れ多いので、南の廂の間に招じ入れる。
女房の宣旨は対面して、主人の挨拶をお伝えする。
「今さら、若者気取りで御簾の前ですか。長い年月、心をお寄せしてきたわたしの労苦からすれば、今は中に入れてもらえると思っていました」
と言って、不満に思った。
「昔のことはみな夢かと思い、夢覚めた今、かえってはかなく思うものか、はかり難く、功労のことなどはまた静かに考えさせていただきます」
と取次ぎを通して申し上げる。「確かに定めがたい世ではあるが」と、ふとしたやりとりにも思い続けるのだった。
(源氏の歌)「ひそかに神の許しを待っていた間
たいへんつれない世を過ごしてきました
今は神の何の戒めを口実になされるのでしょうか。あのような、苦しい目にあいましてからは、いろいろ感じることがございました。その一端でもお話を」
と、一方的に仰せになるが、その態度には昔よりもっと美しい気品さえ備わっていた。それというのは、年はめしておられるが、若く見えすぎて今の御身分には相応しくないということでしょう。
(朝顔の歌)「ひととおりのご挨拶をするだけでも、
誓いに背くと神が諫めるでしょう」
と返したので、
「あら、情けない。昔の罪は、みは科戸の風と一緒に捨てました」
と仰せになる冗談も、よし。
「神ははたしてその罪のみそぎをお受けになったのですか」
など、(宣旨が言う)たわいのないことでも、まじめな人には、聞くに堪えないだろう。前斎院の色恋にうといご性格は、年月がたっても、慎重になるばかりで、ご返事もないのを、女房たちは悩むのだった。
「色めいたお話になりましたね」
などと、並々ならぬ思いで嘆き、お立ちになるのだった。
「年をとると、臆面もなくなるものです。ひどくやつれて、今こそこの姿をご覧あれ、とも言えないほどにひどいお仕打ちでした」
とお立ちになった名残で、女房たちは噂をしあった。 
時は秋、空も風情があり、木の葉が落ちる音につけても、過ぎ去ったもののあわれを思い出し、その折々に風情がありあわれをさそう源氏の深い御心ばえを、女房たちは思い出すのだった。
 20.3 帰邸後に和歌を贈答しあう
心やましくて立ち出でたまひぬるは、まして、寝覚がちに思し続けらる。とく御格子参らせたまひて、朝霧を眺めたまふ。枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれにはひまつはれて、あるかなきかに咲きて、匂ひもことに変はれるを、折らせたまひてたてまつれたまふ。
けざやかなりし御もてなしに、人悪ろき心地しはべりて、うしろでもいとどいかが御覧じけむと、ねたく。されど、
見し折のつゆ忘られぬ朝顔の
花の盛りは過ぎやしぬらむ

年ごろの積もりも、あはれとばかりは、さりとも、思し知るらむやとなむ、かつは
など聞こえたまへり。おとなびたる御文の心ばへに、「おぼつかなからむも、見知らぬやうにや」と思し、人びとも御硯とりまかなひて、聞こゆれば、
秋果てて霧の籬にむすぼほれ
あるかなきかに移る朝顔

似つかはしき御よそへにつけても、露けく
とのみあるは、何のをかしきふしもなきを、いかなるにか、置きがたく御覧ずめり。青鈍の紙の、なよびかなる墨つきはしも、をかしく見ゆめり。人の御ほど、書きざまなどに繕はれつつ その折は罪なきことも つきづきしくまねびなすには ほほゆがむこともあめればこそ、さかしらに書き紛らはしつつ、おぼつかなきことも多かりけり。
立ち返り、今さらに若々しき御文書きなども、似げなきこと、と思せども、なほかく昔よりもて離れぬ御けしきながら、口惜しくて過ぎぬるを思ひつつ、えやむまじくて思さるれば、さらがへりて、まめやかに聞こえたまふ。
気持ちのおさまらぬままお帰りになったので、よく寝られないまま思い続けた。翌朝は早く格子を上げさせて、朝霧を眺めた。枯れた花々のなかに、朝顔があちこちにからみついて、ほそぼそと咲いていて色香もすっかりおとろえのを手折って、前斎院に差し上げるのだった。
「昨夜の素っ気ないおもてなしに、見っともない姿をお見せまして、さぞ情けない後姿だったでしょうと、気にさわります。しかし、
(源氏の歌)いつぞや拝見した朝顔が忘れられません
花の盛りは過ぎましたでしょうか
年来の思いも、かわいそうと思ってくれるか、お分かりいただいてくれているのか」
などとお書きになった。大人びた文面なので、「ご返事をさしあげないのも、心ないこと」と思って、女房たちも硯を用意して、しきりに勧めるので、
(朝顔の君の歌)「秋も終わって霧のなかの垣根にからまって
人知れず咲く朝顔のようなわたしです
よく似合った喩えをお聞きしまして、涙をもよおします」
とのみで、何の風情もないのだが、源氏は文を置きがたく、ご覧になっていた。青鈍の紙に、上品な墨の具合は 趣きがあった。一般に贈答の歌などは、その人の身分や書き様などに影響されて、そのときは難なく思われても、後でもっともらしく言い伝える時には、事実と異なることもあり、利口そうに書いていても、がっかりすることが多いものだ。
昔にかえって、今さら若々しい文なども似合わないと思うが、前斎院は昔から素っ気なくはなさらむものの、口惜しく過ぎてきたことを思い、あきらめられないので、今さらのように真剣に文を書くのであった。
 20.4 源氏、執拗に朝顔姫君を恋う
東の対に離れおはして、宣旨を迎へつつ語らひたまふ。さぶらふ人びとの、さしもあらぬ際のことをだに、なびきやすなるなどは 過ちもしつべく、めできこゆれど 宮は、そのかみだにこよなく思し離れたりしを、今は、まして、 誰も思ひなかるべき御齢、おぼえにて、「はかなき木草につけたる御返りなどの、折過ぐさぬも、軽々しくや、とりなさるらむ」など、人の物言ひを憚りたまひつつ、うちとけたまふべき御けしきもなければ、古りがたく同じさまなる御心ばへを、世の人に変はり、めづらしくもねたくも思ひきこえたまふ。
世の中に漏り聞こえて、
「前斎院を、ねむごろに聞こえたまへばなむ、女五の宮などもよろしく思したなり。似げなからぬ御あはひならむ」
など言ひけるを、対の上は伝へ聞きたまひて、しばしは、
「さりとも、さやうならむこともあらば、隔てては思したらじ」
と思しけれど、うちつけに目とどめきこえたまふに、御けしきなども、例ならずあくがれたるも心憂く、
まめまめしく思しなるらむことを つれなく戯れに言ひなしたまひけむよと 同じ筋にはものしたまへど、おぼえことに、昔よりやむごとなく聞こえたまふを、御心など移りなば、はしたなくもあべいかな。年ごろの御もてなしなどは、立ち並ぶ方なく、さすがにならひて、人に押し消たれむこと」
など、人知れず思し嘆かる。
かき絶え名残なきさまにはもてなしたまはずとも いとものはかなきさまにて見馴れたまへる年ごろの睦び あなづらはしき方にこそはあらめ
など、さまざまに思ひ乱れたまふに、よろしきことこそ、うち怨じなど憎からず聞こえたまへ、まめやかにつらしと思せば、色にも出だしたまはず。
端近う眺めがちに、内裏住みしげくなり、役とは御文を書きたまへば、
「げに、人の言葉むなしかるまじきなめり けしきをだにかすめたまへかし
と、疎ましくのみ思ひきこえたまふ。
(源氏は)東の対に離れていて、宣旨を迎えにやって相談した。お付きの女房たちのなかには、たいした身分でもない男にもなびいてしまうような連中のなかには、間違いを起こしかねないほどほめるのもいるが、宮は昔も心を寄せてこなかったのに、まして今は、それぞれが色恋沙汰を過ぎた年になり、感興をもよおせば、「ちょっとした木草につけて返りの文など、その時をはずないのも、軽率だととられたら」など、人の噂を憚って、打ち解けた気色も見せない、昔に変わらぬ心ばえであり、普通の女とは違って、珍しく癪にさわるお方と思うのだった。
噂が立って、
「前斎院に、源氏の君はしきりと文を贈っていて、女五の宮も喜んでいる。お似合いの間柄でしょう」
などと言っているのを、紫の上は伝え聞いて、初めは、
「しかしながら、そういうことがあれば、隠さなくてもよいものを」
と思っていたので、気をつけて見ていると、いつもと違ってうわの空の御様子に、心配になり、
「真剣に思っているのに、何気ない冗談のように言っているのは、あのお方(朝顔の君)は同じく親王のお生まれで、世間の評判もよく、昔から貴く重んじられてきた方であり、もし君の御心が移ってしまえば、情けないことになる。年来の君のご寵愛は肩をならべる人もないお扱いだったし、それが他の人に移ったら」
などと、人知れず嘆くのだった。
「すっかり名残なく見捨ててしまうことはないにしても、幼少の頃から親代わりになれ親しんだ長い仲なので、つい軽く見られてしまうのであろうか」
など、様々に思い乱れるのであったが、どうでもいいことなら恨みごと憎まれ口も言うのだが、本当につらいことは、顔色に出さないのだった。
軒端に座って物思いに沈み、内裏住みもしげく、文ばかり書いているので、
「実際、人の噂は本当なのだ。ほんの一言でもいいので言ってくださらないかしら」
と疎ましく思うのだった。
 20.5 朝顔姫君訪問の道中
夕つ方、神事かみわざなども止まりてさうざうしきに、つれづれと思しあまりて、五の宮に例の近づき参りたまふ。雪うち散りて艶なるたそかれ時に、なつかしきほどに馴れたる御衣どもを、いよいよたきしめたまひて、心ことに化粧じ暮らしたまへれば、いとど心弱からむ人はいかがと見えたり。さすがに、まかり申しはた、聞こえたまふ。
「女五の宮の悩ましくしたまふなるを、訪らひきこえになむ」
とて、ついゐたまへれど、見もやりたまはず、若君をもてあそび、紛らはしおはする側目の、ただならぬを、
「あやしく、御けしきの変はれるべきころかな。罪もなしや。塩焼き衣のあまり目馴れ、見だてなく思さるるにやとて、とだえ置くを、またいかが」
など聞こえたまへば、
馴れゆくこそ、げに、憂きこと多かりけれ
とばかりにて、うち背きて臥したまへるは、見捨てて出でたまふ道、もの憂けれど、宮に御消息聞こえたまひてければ、出でたまひぬ。
「かかりけることもありける世を、うらなくて過ぐしけるよ」
と思ひ続けて、臥したまへり。鈍びたる御衣どもなれど、色合ひ重なり、好ましくなかなか見えて、雪の光にいみじく艶なる御姿を見出だして、
「まことに離れまさりたまはば」
と、忍びあへず思さる。
御前など忍びやかなる限りして、
「内裏より他の歩きは、もの憂きほどになりにけりや。桃園宮の心細きさまにてものしたまふも、式部卿宮に年ごろは譲りきこえつるを、 今は頼むなど思しのたまふも、ことわりに、いとほしければ
など、人びとにものたまひなせど、
「いでや。御好き心の古りがたきぞ、あたら御疵なめる」
「軽々しきことも出で来なむ」
など、つぶやきあへり。
夕方、宮中の神事が取りやめになったので、何か物寂しく気持ちをもてあまし、例によって五の宮を訪問しようと思った。雪がちらついて風情あるたそがれどき、着慣れた衣を重ね、よく香をたきしめて、念入りにおめかして、志操の弱い女はすぐなびいてしまいそうだ。さすがに、紫の上のもとへ上がり、出かける挨拶をした。
「女五の宮がお加減が良くないので、お見舞いに行きます」
と仰せになって、ひざまずいていたが、(紫上は)見向きもせず、若君をあやしている横顔がただならない気配なので、
「この頃は変によそよそしいですね。悪いことはしていません。塩焼衣よろしく、見慣れすぎて見栄えもしない、留守がちなので、機嫌が悪いですね」
などと仰せになると、
「馴れると、本当に憂きことが多い」
と(紫上は)言うばかりで、背を向けて臥してしまったので、見捨ててでかけるのも気になったが、宮に文を出していたので、お出かけになった。
「こんなこともある仲なのに、今まで無邪気に過ごしてきたものよ」
と思って、(紫上は)臥した。(源氏は)鈍色の衣だったが、色合いを重ねて、美しく見えて、雪の光にすばらしく艶やかな姿を(紫上は)見送って、
「本当にこれ以上二人が離れてしまったら」
と、堪えがたい思いであった。
前駆などもごく内輪の者だけにして、
「内裏の他に出かけるのは、物憂い年になってしまった。桃薗の宮(女五宮) が心細く暮らしているのも、式部卿の宮に年頃はお任せしていたのだが、今はあなたが頼りだと言われれば、もっともなことと思いますので」
などと、人びとに言い訳などしているが、
「なあに、また好き心でしょう、玉に瑕ですよ」
「よからぬことが起きなければよいが」
などと、つぶやき合うのだった。
 20.6 宮邸に到着して門を入る
宮には、北面の人しげき方なる御門は、入りたまはむも軽々しければ、西なるがことことしきを、人入れさせたまひて、宮の御方に御消息あれば、「今日しも渡りたまはじ」と思しけるを、驚きて開けさせたまふ。
御門守、寒げなるけはひ、うすすき出で来て、とみにもえ開けやらず。これより他の男はたなきなるべし。ごほごほと引きて、
「錠のいといたく銹びにければ、開かず」
と愁ふるを、あはれと聞こし召す。
「昨日今日と思すほどに、三年のあなたにもなりにける世かな。かかるを見つつ、かりそめの宿りをえ思ひ捨てず、木草の色にも心を移すよ」と、思し知らるる。口ずさびに、
いつのまに蓬がもととむすぼほれ
雪降る里と荒れし垣根ぞ

やや久しう、ひこしらひ開けて、入りたまふ。
桃園の館では、北面の人通りの多い門から入るのは、身分からふさわしくないので、西の立派な門から供人を入れて宮の御方に来意をつげれば、「今日はもう来ないだろう」と思っていたので、驚いて開けさせた。
門守は、寒そうにしてあわてて出てきたが、すぐには開けられなかった。他の下男はいないのだろう。ごろごろ引いて、
「錠がひどくさびているので、開かない」
と嘆いているのを、あわれと聞いたのだった。
「昨日今日と思っているうちに、はや三年も経ってしまった。こうした世の移り変わりを見ても、仮の宿のこの世を捨てきれず、木草の色にも感懐をもよおしている」と思い知るのだった。口ずさびに、
(源氏の歌)「いつのまに蓬が繁り
垣根に雪のふりしく荒れた里になってしまったのか」
ややしばらくあって、門を無理して開けて入った。
 20.7 宮邸で源典侍と出会う
宮の御方に、例の、御物語聞こえたまふに、古事どものそこはかとなきうちはじめ、聞こえ尽くしたまへど、御耳もおどろかず、ねぶたきに、宮も欠伸うちしたまひて、
「宵まどひをしはべれば、ものもえ聞こえやらず」
とのたまふほどもなく、鼾とか、聞き知らぬ音すれば、よろこびながら立ち出でたまはむとするに、またいと古めかしきしはぶきうちして、参りたる人あり。
「かしこけれど、聞こし召したらむと頼みきこえさするを、世にある者とも数まへさせたまはぬになむ。院の上は、祖母大殿おばおとどと笑はせたまひし」
など、名のり出づるにぞ、思し出づる。
源典侍げんないしのすけといひし人は、尼になりて、この宮の御弟子にてなむ行なふと聞きしかど、今まであらむとも尋ね知りたまはざりつるを、あさましうなりぬ。
「その世のことは、みな昔語りになりゆくを、はるかに思ひ出づるも、心細きに、うれしき御声かな。親なしに臥せる旅人と、育みたまへかし」
とて、寄りゐたまへる御けはひに、いとど昔思ひ出でつつ、古りがたくなまめかしきさまにもてなして、いたうすげみにたる口つき、思ひやらるる声づかひの、さすがに舌つきにて、うちされむとはなほ思へり
言ひこしほどに」など聞こえかかる、まばゆさよ。「今しも来たる老いのやうに」など、ほほ笑まれたまふものから、ひきかへ、これもあはれなり。
「この盛りに挑みたまひし女御、更衣、あるはひたすら亡くなりたまひ、あるはかひなくて、はかなき世にさすらへたまふもあべかめり。入道の宮などの御齢よ。あさましとのみ思さるる世に、年のほど身の残り少なげさに、心ばへなども、ものはかなく見えし人の、生きとまりて、のどやかに行なひをもうちして過ぐしけるは、なほすべて定めなき世なり」
と思すに、ものあはれなる御けしきを、心ときめきに思ひて、若やぐ。
年経れどこの契りこそ忘られね
親の親とか言ひし一言

と聞こゆれば、疎ましくて、
身を変へて後も待ち見よこの世にて
親を忘るるためしありやと

頼もしき契りぞや。今のどかにぞ、聞こえさすべき」
とて、立ちたまひぬ。
西面には御格子参りたれど、厭ひきこえ顔ならむもいかがとて、一間、二間は下ろさず。月さし出でて、薄らかに積もれる雪の光りあひて、なかなかいとおもしろき夜のさまなり。
ありつる老いらくの心げさうも、良からぬものの世のたとひとか聞きし」と思し出でられて、をかしくなむ。今宵は、いとまめやかに聞こえたまひて、
「一言、憎しなども、人伝てならでのたまはせむを、思ひ絶ゆるふしにもせむ」
と、おり立ちて責めきこえたまへど
「昔、われも人も若やかに、罪許されたりし世にだに、故宮などの心寄せ思したりしを、なほあるまじく恥づかしと思ひきこえてやみにしを、世の末に、さだすぎ、つきなきほどにて、一声もいとまばゆからむ」
と思して、さらに動きなき御心なれば、「あさましう、つらし」と思ひきこえたまふ。
さすがに、はしたなくさし放ちてなどはあらぬ人伝ての御返りなどぞ、心やましきや。夜もいたう更けゆくに、風のけはひ、はげしくて、まことにいともの心細くおぼゆれば、さまよきほど、おし拭ひたまひて、
つれなさを昔に懲りぬ心こそ
人のつらきに添へてつらけれ

心づからの」
とのたまひすさぶるを、
「げに」
「かたはらいたし」
と、人びと、例の、聞こゆ。
あらためて何かは見えむ人のうへに
かかりと聞きし心変はりを

昔に変はることは、ならはず」
など聞こえたまへり。
女五の宮に、源氏はいつものように昔話をなさるが、宮は古い事をとりとめもなく言いはじめ、いろいろお話なさるが、格別面白いこともなく、眠そうに宮もあくびをし、
「宵のうちから眠くて、お話もようできません」
と仰るうちに、ほどなく、いびきなのか聞いたこともない音がしはじめたので、喜んで立ち去ろうとすると、また一層年寄りじみた咳払いをしながら、来る人があった。
「恐れ多くも、この邸にご奉公しているのはお聞き及びでしょうが、この世にまだ生きているとは。桐壺院には、祖母大殿おばおとどとからかわれました」
などと名乗りを上げたので、源氏は思い出した。
源典侍という人は、尼になって、この宮の弟子になってお勤めしていると聞いていたが、今まで生きているとはご存知なかったので、すっかりあきれてしまった。
「故院の御代のことは、みな昔話になってしまい、思い出すのも心もとなく、うれしい声をお聞きしました。親無しで臥す旅人、と思ってください」
と(源氏が)冗談を言って、もたれかかっいる所作に、典侍はすっかり昔を思い出して、いつまでたっても色っぽいしなをつくって、すぼまった口元からでる声はさすがにろれつがあやしのだが、遊び心が感じられた。
「お互い年をとりましたね」などと言い寄ってきた。「今老いが来たかのような」口ぶりで苦笑したが、かえって、これもまたあわれだった。
「この典侍が女盛りの頃に、帝の寵を競った女御、更衣たちも、すっかり亡くなった者や、あるいは寄る辺なく零落してしまった者もいよう。亡くなった入道の宮(藤壺)のお年を考えよ。あまりに激しい移り変わりの世に、年もとり余生も残り少なくなって、心ばえも浅はかと思われた人が、生きながらえて、のんびりと勤行などをしているさまは、すべて定めなき世だ」
と思う感慨深い君の様子を、ときめいたと勘違いして、はしゃぐのだった。
(源典侍の歌)「年を経てもご縁は忘れられません
おばあちゃんと呼ばれた一言は」
と詠まれて、(源氏は)うっとおしくなって、
(源氏の歌)「生まれ変わって来世に行っても見てください
この世で親を忘れた子があるだろうか
変わることのないご縁ですよ。いずれゆっくりお話を」
と仰せになって、お立ちになった。
西面では格子は下ろしたが、嫌っていると思われるのを避けて、一間、二間は下ろしていない。月が出て、薄く積もった雪に月の光がさし、なかなか風情のある夜だった。
「あの老いの好き心も、すさまじきものの喩えにされていると聞いていて」思い出して、おかしくなった。今宵は、ごくまじめに(朝顔の君を)口説いて、
「一言、嫌いだ、と人を介せず直接に言われたのなら、あきらめもしましょう」
と強く説得したが、
「昔、自分も君もまだ若くて、結婚してもおかしくなかった頃でさえ、故父宮も好ましく思い、それでもひどく恥ずかしいことに思って断念したのに、年もとり盛りもすぎて、似合わない頃になって、その一言が言えません」
と思う、変わらぬ気持ちを、源氏は「「なんというひどい仕打ち」と思うのだった。
さすがに、人づての返事などを通しては冷たく突き放したりはしないのだが、それが心を悩ませるのだった。夜もそうとうに更けて、風の気配激しく、実に心細く感じたので、涙をていよく拭いて、
(源氏の歌)「むかしのつれなさに懲りもせず
あなたのつらいお気持ち以上にわたしもつらいのです
心から」
と思うまま仰せになるのを、
「ほんとうに」
「気が気でありません」
と女房たちは、例によって言うのだった。
(朝顔の歌)「今さら心変わりして何が見えるというのでしょう
他の人には心変わりがあると聞きますが
わたしは昔と違ったことはできません」
などとおっしゃるのだった。
 20.8 朝顔姫君、源氏の求愛を拒む
いふかひなくて、いとまめやかに怨じきこえて出でたまふも、いと若々しき心地したまへば、
「いとかく、世の例になりぬべきありさま、漏らしたまふなよ。ゆめゆめ。いさら川などもなれなれしや
とて、せちにうちささめき語らひたまへど、何ごとにかあらむ。人びとも、
「あな、かたじけな。あながちに情けおくれても、もてなしきこえたまふらむ
「軽らかにおし立ちてなどは見えたまはぬ御けしきを。心苦しう」
と言ふ。
げに、人のほどの、をかしきにも、あはれにも、思し知らぬにはあらねど、
もの思ひ知るさまに見えたてまつるとて おしなべての世の人のめできこゆらむ列にや思ひなされむ かつは、軽々しき心のほども見知りたまひぬべく 恥づかしげなめる御ありさまを」と思せば、「なつかしからむ情けも、いとあいなし よその御返りなどは、うち絶えで おぼつかなかるまじきほどに聞こえたまひ、人伝ての御応へ、はしたなからで過ぐしてむ。年ごろ、沈みつる罪失ふばかり御行なひを」とは思し立てど、 「にはかにかかる御ことをしも、もて離れ顔にあらむも なかなか今めかしきやうに見え聞こえて、人のとりなさじやは」と、世の人の口さがなさを思し知りにしかば、かつ、さぶらふ人にもうちとけたまはず、いたう御心づかひしたまひつつ、やうやう御行なひをのみしたまふ。
御兄弟の君達あまたものしたまへど、ひとつ御腹ならねば、いとうとうとしく、宮のうちいとかすかになり行くままに、さばかりめでたき人の、ねむごろに御心を尽くしきこえたまへば、皆人、心を寄せきこゆるも、ひとつ心と見ゆ。
言っても無駄なので、まじめに恨み言を言って退去しても、年に相応しくないと思って、
「世間の噂になるようなことを、漏らしてくれるな。決して。いさら川などのいうのも馴れ馴れしすぎて」
とて、(宣旨に)一心にささやいたのだが、何を話していたのだろう。女房たちも、
「ああ、もったいないこと。(姫は)どうしてつれない仕打ちをなさるのでしょう」
「軽々しい振る舞いをなさるとは見えないお方なのに。お気の毒に」
と言うのだった。
実に、源氏のお人柄が、ご立派ともお優しいとも思っていない訳ではなく、
「もし物のあわれを知る女としてお付き合するにしても、世間一般の女が君にあこがれるのと同列に思われるでしょうし、また、こちらの浅い心の内を見すかされもしよう、ご立派なお方だもの」と思うと、「優しい心遣いで応じても、何にもならない、ご無沙汰にならぬ程度にご返事は途切らせず、人づてのいらえなども、失礼のないようにしよう。年ごろ仏事から遠ざかっていた罪が消えるようにお勤めを」と思っていたので、「このようににわかな求愛を、避けているような気色を見せるのも、かえってきざに人目を引くように見えて、人びとが取りざたするのではないか、と世の人の口さがなさを知っているので、側に仕える女房たちにも気を許さず、たいへん気を遣って、少しずつお勤めに専念するのであった。
ご兄弟の君達もたくさんいたが、ご同腹ではないので、とても疎遠になり、宮の邸がひっそりしてゆくにつれて、そんな立派な人が、心からご執心されるのであれば、女房たちもみな賛成するのは同じ心だろう。
 20.9 紫の君、嫉妬す
大臣は、あながちに思しいらるるにしもあらねど、つれなき御けしきのうれたきに、負けてやみなむも口惜しく、げにはた、人の御ありさま、世のおぼえことに、あらまほしく、ものを深く思し知り、世の人の、とあるかかるけぢめも聞き集めたまひて、昔よりもあまた経まさりて思さるれば、今さらの御あだけも、かつは世のもどきをも思しながら、
「むなしからむは、いよいよ人笑へなるべし。いかにせむ」
と、御心動きて、二条院に夜離よが重ねたまふを、女君は、たはぶれにくくのみ思す。忍びたまへど、いかがうちこぼるる折もなからむ。
「あやしく例ならぬ御けしきこそ、心得がたけれ」
とて、御髪をかきやりつつ、いとほしと思したるさまも、絵に描かまほしき御あはひなり。
「宮亡せたまひて後、主上のいとさうざうしげにのみ世を思したるも、心苦しう見たてまつり、太政大臣おおおとどもものしたまはで、見譲る人なきことしげさになむ。このほどの絶え間などを、見ならはぬことに思すらむも、ことわりに、あはれなれど、今はさりとも、心のどかに思せ。おとなびたまひためれど、まだいと思ひやりもなく、人の心も見知らぬさまにものしたまふこそ、らうたけれ」
など、まろがれたる御額髪、ひきつくろひたまへど、いよいよ背きてものも聞こえたまはず。
「いといたく若びたまへるは、誰がならはしきこえたるぞ」
とて、「常なき世に、かくまで心置かるるもあぢきなのわざや」と、かつはうち眺めたまふ。
「斎院にはかなしごと聞こゆるや、もし思しひがむる方ある。それは、いともて離れたることぞよ。おのづから見たまひてむ 昔よりこよなうけどほき御心ばへなるを、さうざうしき折々、ただならで聞こえ悩ますに、かしこもつれづれにものしたまふ所なれば、たまさかの応へなどしたまへど、まめまめしきさまにもあらぬを、かくなむあるとしも、愁へきこゆべきことにやは。うしろめたうはあらじとを、思ひ直したまへ」
など、日一日慰めきこえたまふ。
大臣は、ひたすらご執心というほどでもないが、つれない仕打ちが腹立たしく、負けたまま引き下がるのも口惜しく、また実際に、 源氏の人となりや世間の評判も理想的なものになり、ものを深く知り、世の中の人の生き様の違いも聞き集めていたので、また昔より経験も積んでいると思っているので、今さらの浮気やまた世間の非難も思いながら、
「実を結ばなければ、いよいよ物笑いなるだろう。どうしようか」
と心が騒いで、二条院に夜帰らない日が続いたので、女君は、戯れを通り越して恋しさがつのった。堪えるが、涙がこぼれる時もあった。
「何か、いつもと違うな、どうしたのか」
と、(源氏が)髪をとかしながらいとおしがる様子は、絵に描いてみたいほどの美しい間柄だ。
「藤壺の宮がお亡くなりになった後、帝が寂しそうにしており、お気の毒ですが、太政大臣も今は亡く、後を任せる人もないので忙しいのです。この頃、家を空けるのも、今までなかったと思うのもごもっともですが、おつらいでしょうが、今はしかしご安心してください。大人になったようですが、物事の深い考えもなく、わたしの心を良くわかっていらっしゃらないのも、可愛いですよ」
など、もつれた前髪をほぐすのだが、(紫上は)かえって背を向けて何も言わないのだった。
「そんなに子供みたくすねているのは、誰のしつけなのですか」
とて、「この常なき世に、これほどまでに冷たい仕打ちをされるのは、味気ない」と、一方では思うのだった。
「斎院にたわいもないことを申しあげたのも、思い違いをしてませんか。たいへんな見当違いですよ。いずれ自然に分かるでしょう。あの方は昔からわたしには全く親しくしてくれないので、物寂しい折に心を静めがたく文を出したりしますが、あちらも所在無くお暮らししていますので、時々はご返事などが来ますが、本気のやりとりではありませんから、泣き言を言うほどのことではありません。心配しないと、思い直してください」
などと一日慰めるのだった。
 20.10 夜の庭の雪まろばし
雪のいたう降り積もりたる上に、今も散りつつ、松と竹とのけぢめをかしう見ゆる夕暮に、人の御容貌も光まさりて見ゆ。
「時々につけても、人の心を移すめる花紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄める月に、雪の光りあひたる空こそ、あやしう、色なきものの、身にしみて、この世のほかのことまで思ひ流され、おもしろさもあはれさも、残らぬ折なれ。すさまじき例に言ひ置きけむ人の心浅さよ」
とて、御簾みす巻き上げさせたまふ。
月は隈なくさし出でて、ひとつ色に見え渡されたるに、しをれたる前栽の蔭心苦しう、遣水もいといたうむせびて、池の氷もえもいはずすごきに、童女下ろして、雪まろばしせさせたまふ。
をかしげなる姿、頭つきども、月に映えて、大きやかに馴れたるが、さまざまのあこめ乱れ着、帯しどけなき宿直姿、なまめいたるに、こよなうあまれる髪の末、白きにはましてもてはやしたる、いとけざやかなり。
小さきは、わらわげてよろこび走るに、扇なども落して、うちとけ顔をかしげなり。
いと多うまろばさらむと、ふくつけがれど、えも押し動かさでわぶめり。かたへは、東のつまなどに出でゐて、心もとなげに笑ふ。
雪がたくさん降って、今もふり続いて、松と竹の違いがおもしろく見える夕暮れ時、君の姿もいっそう輝いて見えた。
「四季折々に、人の心を引く花や紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄んだ月に、雪明りに映えた空こそ、あやしく、色はないものの、身にしみて、あの世のことまで思い知らされ、おもしろさもあわれさも、ここに尽きてしまう。興ざめの例にあげた人の気が知れない」
とて、御簾を巻き上げさせた。
月は隈なく輝いて、すべて一色に見わたせられ、しおれた前栽の茂みが痛々しく、遣水も流れがつまった音を立て、池の氷もいいよううもなく身にしみて、童女を庭に下ろして、雪遊びをさせた。
かわいらしい姿、髪の形などが月に映えて、年かさのいったものなれた子たちが色さまざまの表着を無造作に着て、帯をしどけなく結んだ宿直姿があでやかに、表着の裾よりずっと長い髪が、雪の白に引き立って、あざやかだ。
童は子供っぽくよろこんで走り回り、扇も落とし、はめをはずしているのも可愛い。
もっと大きく丸めよう、頑張るが、動かなくなって困っている。向こうのほうでは、東の縁先まで行って、なんとなく笑っている。
 20.11 源氏、往古の女性を語る
一年ひととせ、中宮の御前に雪の山作られたりし、世に古りたることなれど、なほめづらしくもはかなきことをしなしたまへりしかな。何の折々につけても、口惜しう飽かずもあるかな。
いとけどほくもてなしたまひて、くはしき御ありさまを見ならしたてまつりしことはなかりしかど、御交じらひのほどに、うしろやすきものには思したりきかし。
うち頼みきこえて、とあることかかる折につけて、何ごとも聞こえかよひしに、もて出でてらうらうじきことも見えたまはざりしかど、いふかひあり、思ふさまに、はかなきことわざをもしなしたまひしはや。世にまた、さばかりのたぐひありなむや。
やはらかにおびれたるものから、深うよしづきたるところの、並びなくものしたまひしを、君こそは、さいへど、紫のゆゑ、こよなからずものしたまふめれど、すこしわづらはしき気添ひて、かどかどしさのすすみたまへるや、苦しからむ。
前斎院の御心ばへは、またさまことにぞ見ゆる。さうざうしきに、何とはなくとも聞こえあはせ、われも心づかひせらるべきあたり、ただこの一所や、世に残りたまへらむ」
とのたまふ。
尚侍ないしのかみこそは らうらうじくゆゑゆゑしき方は、人にまさりたまへれ。浅はかなる筋など、もて離れたまへりける人の御心を、あやしくもありけることどもかな」
とのたまへば、
「さかし。なまめかしう容貌よき女の例には、なほ引き出でつべき人ぞかし。さも思ふに、いとほしく悔しきことの多かるかな。まいて、うちあだけ好きたる人の、年積もりゆくままに、いかに悔しきこと多からむ。人よりはことなき静けさ、と思ひしだに
など、のたまひ出でて、尚侍の君の御ことににも、涙すこしは落したまひつ。
「この、数にもあらずおとしめたまふ山里の人こそは、身のほどにはややうち過ぎ、ものの心など得つべけれど、人よりことなべきものなれば、思ひ上がれるさまをも、見消ちてはべるかな。いふかひなき際の人はまだ見ず。人は、すぐれたるは、かたき世なりや。
東の院にながむる人の心ばへこそ、古りがたくらうたけれ さはた、さらにえあらぬものを さる方につけての心ばせ、人にとりつつ見そめしより、同じやうに世をつつましげに思ひて過ぎぬるよ。今はた、かたみに背くべくもあらず、深うあはれと思ひはべる」
など、昔今の御物語に夜更けゆく。
「ある年、藤壷中宮の前で、雪の山が作られたことがあって、昔のことだが、珍しくてちょっとした遊びをしたものだ。何の折につけても、藤壷の宮のことを、いとおしく思い出すのだった。
(藤壷の宮は、)自分を遠ざけていたので、詳しく様子を拝見することはできなかったが、内裏にお暮らしの間は、自分は安心できる方と思われていた。
自分は頼みにしていて、あれこれとその折につけて、何でも相談しましたが、表立っててきぱきとなさることはなかったが、言う甲斐はあり、頼まれたことはどんな些細なことでもなさいました。この世にあのようなお方がいらっしゃいましょうか。
(藤壷の宮は、)女らしく柔和でおおらかなご性格で、また深いたしなみは比類ないものがありましたが、あなたはさすがに、同じ血筋だけあって、この上ないすばらしい性格をしていますが、少々厄介なのは、利発さが勝っていることです。
前斎院の心ばえは、また違っていると思われます。物寂しい折、何事もなく文を交わし、こちらも気を遣うようにさせられるなどは、この方だけ、他におられないでしょう」
と仰せになる。
「尚侍(朧月夜)ほど、何でもできて奥ゆかしい方は、他にはいないでしょう。軽々しい振る舞いなどご縁の無い方と思われましたが、浮き名を流しましたね」
と(紫上が)申し上げれば、
「そうさ。色っぽく容貌も良い女の例としては、あげなければならない人だね。そう思うと、不憫で後悔することが多いです。まして浮気っぽい男が、年をとってゆくと、後悔することが多いものです。人よりはるかにおとなしかったとと思うわたしでさえも」
などと(源氏が)仰せになって、尚侍の君のことにも、少し涙を落とすのだった。
「この、物の数にも数えられない山里のお方(明石上)も、身分以上にものの心を心得ていますが、同列には扱えないので、気位の高いところを見過ごしています。言う甲斐もない身分の女にはまだ世話したことがありません。世に優れた人は、なかなかいないものです。
東の院に寂しく暮らしている人(花散里)の気立ては、変わらず可愛いものです。あのようにはとてもできないものですが、あの人の心遣いを見初めてから、変わらず慎ましやかにこの世を過ごしているのです。今は互いに離れられそうもなく、いとおしく思っています」
など、昔や今の話で、夜は更けてゆきます。
 20.12  藤壺、源氏の夢枕に立つ
月いよいよ澄みて、静かにおもしろし。女君、
氷閉ぢ石間の水は行きなやみ
空澄む月の影ぞ流るる

を見出だして、すこし傾きたまへるほど、似るものなくうつくしげなり。髪ざし、面様の、恋ひきこゆる人の面影にふとおぼえて、めでたければ、いささか分くる御心みこころもとり重ねつべし鴛鴦おしのうち鳴きたるに、
かきつめて昔恋しき雪もよに
あはれを添ふる鴛鴦の浮寝か

入りたまひても、宮の御ことを思ひつつ大殿籠もれるに、夢ともなくほのかに見たてまつる、いみじく恨みたまへる御けしきにて、
「漏らさじとのたまひしかど、憂き名の隠れなかりければ、恥づかしう、苦しき目を見るにつけても、つらくなむ」
とのたまふ。御応へ聞こゆと思すに、襲はるる心地して、女君の、
「こは、など、かくは」
とのたまふに、おどろきて、いみじく口惜しく、胸のおきどころなく騒げば、抑へて、涙も流れ出でにけり。今も、いみじく濡らし添へたまふ。
女君、いかなることにかと思すに、うちもみじろかで臥したまへり。
とけて寝ぬ寝覚さびしき冬の夜に
むすぼほれつる夢の短さ

なかなか飽かず、悲しと思すに、とく起きたまひて、さとはなくて、所々に御誦経などせさせたまふ。
「苦しき目見せたまふと、恨みたまへるも、さぞ思さるらむかし。行なひをしたまひ、よろづに罪軽げなりし御ありさまながら、この一つことにてぞ、この世の濁りをすすいたまはざらむ」
と、ものの心を深く思したどるに、いみじく悲しければ、
「何わざをして、知る人なき世界におはすらむを、訪らひきこえに参うでて、罪にも代はりきこえばや」
など、つくづくと思す。
「かの御ために、とり立てて何わざをもしたまはむは、人とがめきこえつべし。内裏にも、御心の鬼に思すところやあらむ」
と、思しつつむほどに、阿弥陀仏を心にかけて念じたてまつりたまふ。「同じ蓮に」とこそは、
亡き人を慕ふ心にまかせても
影見ぬ三つの瀬にや惑はむ

と思すぞ、憂かりけるとや。
月はいっそう澄みわたって、静かだ。女君(紫上)は、
(紫上の歌)「池に氷が張って水の流れがよどんでいる
空に澄みわたる月の光が移ろっている」
外を眺めて、少し首をかしげている様は、比べようもなく美しい。髪の具合や面差しが、恋する人の面影に似ていて、すばらしいので、前斎院に分けていた御心も戻ってくることであろう。鴛鴦おしの鳴き声に、
(源氏の歌)「あれこれと恋しい昔が思い出される雪景色に
あはれをさそう鴛鴦おしであることよ」
寝所に入っても、藤壺のことを思いながら寝入ったが、夢がうつつかほのかに現れて、相当に怨んでいる気色で、
「漏らさないと仰せになったが、浮き名が出てしまいましたので、恥ずかしく、苦しい目にあっていて、つらい」
と仰せになる。お答えしようとして、何かに襲われる気がして、紫上の、
「まあ、どうなされました」
との声に、目覚めて、たいへん残念で、胸がひどく騒ぐので、抑えている涙も流れ出た。今も袖を濡らすのだった。
女君は、何があったのかと思ったが、源氏は身じろぎもせずに臥していた。
(源氏の歌)「安らかに眠れずふと目を覚ます冬の夜
なんと短い夢を見たことか」
満たされぬままに、悲しく、早く起きて、それと特定することはなく、あちこちに供養の読経をさせた。
「苦しい目にあっていると怨まれるのも、さぞそう思っているからだろう。生前お勤めをして、万事罪を軽くしようとしておられたが、このことひとつで、この世の濁りをすすげないでいるのだろう」
と、ものの道理を深く思いたどると、実に悲しく、
「どんなことをしても、親しい人もない世界におられるのを、参上して、罪を代わってあげたい」
などとつくづく思うのだった。
「あの方のために、特別の法要などをいとなむのは、世間の人が変だと思うだろう。帝も気がとがめて心配するだろう」
と気にかけて、阿弥陀仏に心から念ずるのだった。「同じ蓮に」往生したいと願って、
(源氏の歌)「亡き人を慕うあまり心にまかせてあの世に行っても
姿も見えず三つの瀬に迷うことだろう」
と思い、情けない気持ちだった。




(私論.私見)