大和やまと言葉考

 更新日/2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6)年.1.13日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、大和(やまと)言葉考をものしておく。

 2006.8.31日 れんだいこ拝


【大和言葉考】
 女性に人気「大和言葉」…しとやかな雰囲気を醸す」を参照する。
 大和言葉は、日本語から漢語やカタカナ語などの外来語を除いたもので、万葉集や古事記にも見られる古くからの言葉。丁寧さに加え、言葉の響きが柔らかく、好印象を与える。情景が浮かびやすく、意味が容易に伝わる特徴もある。

 「お心遣い痛み入ります」、「お口汚しですが」。「自分の文章は漢字が多くて何だか堅苦しい」。「甚だ恐縮に存じますが、適切な対処をご教授賜れますと幸いに存じます」等々、大和言葉に言い換えると「読みやすくて柔らかい言葉」になる。メール文も、「大変恐れ入りますが、しかるべき対処をお教え願えますと助かります」と、しとやかになる。


 この言葉が再評価された一つのきっかけが、2014年11月発売の「日本の大和言葉を美しく話す」(東邦出版)だ。著者のことば研究家、高橋こうじさんが、デートを指す「逢瀬おうせ」、妥協するという意味の「折り合う」など、日常で使える大和言葉を語源などを交えて紹介し、27万部を売る人気となった。その後、関連書籍が続々刊行され、大和言葉に関する講演が各地で開かれるようになった。講演活動も行う高橋さんは「お年寄りは懐かしく、若い人は新鮮に感じている」と話す。若者に人気の理由として、メールやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の普及も指摘する。「文章を書く機会が増え、人と違う言葉の引き出しが欲しいと考えた人が大和言葉に関心を寄せたのではないか」。

 「襟を正す」、「袖振る」など着物関連の大和言葉も多いという。「奥ゆかしく感じます」、「たおやかな言葉を学ぶ」。

普通の言い回し 大和言葉
意外と 思いのほか
お気遣いなく お構いなく
恐縮です 恐れ入ります
時間のある時に お手すきの時に
ご配慮ありがとうございます お心配りありがとうございます
心が広い 懐が深い
これ以上ないくらい この上なく
ご協力お願いします お力添えをお願いします
ご尽力いただきまして お骨折りいただきまして
再会を楽しみにしています またお目にかかることを楽しみにしております
ささやかなものですが ほんのしるしですが
支援 お力添え
仕方なく やむなく
失礼ですが 不躾(ぶしつけ)ですが
少しの間 しばし
その通りです ごもっともです
だいたい おおむね
妥協点を見つける 折り合いをつける
何度も 重ね重ね
荷が重い 荷が勝つ
待っています 心待ちにしています
了解しました かしこまりました

【大和言葉考】
 2015.5.20日、「いま一度、日本語の美しさを実感 大和言葉入門」。
 日本は古くからほかの国々の言葉を巧みに取り入れながら、豊かな表現世界をつくり上げてきた。しかし、日本固有の大和言葉は影を潜めつつあるという。美しく味わい深い「和の表現」を使いこなせば、これまでとは違った印象を残せるはずだ。日本語は、その生い立ちから大きく3つに分けることができる。日本で生まれ育った「大和言葉」、中国から取り入れた「漢語」、さらに中国以外の国々から入ってきた「外来語」だ。この3つを、普段は特に意識することなく使って暮らしている。しかし近頃は漢語や外来語に押され、大和言葉があまり使われなくなっているという。『日本の大和言葉を美しく話す』(東邦出版)の著者、高橋こうじさんは「日本固有の美しい言葉がたくさんあるのに、もったいない」と嘆く。

 大和言葉とは、どんな言葉なのか。例えば万葉集に収められた歌は、わずかな例外はあるものの、ほぼすべてが大和言葉。誰もが一度は耳にしているであろう『故郷』など、「千年以上の後、明治期に作られた唱歌も、ほとんどに大和言葉が使われています」(高橋さん)。声に出して読むと、どちらも耳に優しく響き、なぜか心に染みる。「それこそが大和言葉の良さ。初めて耳にした単語も、どこか懐かしく、美しいと感じるのは、やはり日本の風土のなかで生まれ、大切に育まれてきた日本固有の言葉だからなのだと思います」(高橋さん)。

 ではなぜ、人々の口に上らなくなったのか。漢語が多用されるようになったのは、実は明治期以降。漢語は造語能力が高く、『経済』『哲学』など抽象的な概念や新しい物事を表現するのに便利だったからだ。また、頭に「新」と付ければ新しく、「再」なら繰り返しと分かるなど、「漢語は文字を重ねて次々と新しい単語を作ることができる。横文字(外来語)も、新しさや一見おしゃれな感じが好まれて、ますます増えています」(高橋さん)。

 アイデアや発想は「ひらめき」、手紙・書状も「文・便り」など、探してみると身近なところに味わい深い大和言葉が眠っていることに気づく。仕事の場面でも「漢語や外来語が並ぶなかに、『たまさか』『憚(はばか)りながら』など大和言葉を1つ挟むとそれがアクセントになり、聞き手の印象に残る」と言う。また「気に入った大和言葉を心に留めておくだけでも、表現の幅はぐっと広がります。初めは古めかしく感じるかもしれませんが、年を重ねるほどにしっくり来ます」(高橋さん)とも。ただし使い過ぎは禁物。使い慣れない言葉は妙に目立ってしまう。「繰り返し使って、しつこいと思われては逆効果。まずは、スピーチや手紙などあらかじめ準備できるものに、ひと色差すようなつもりで盛り込むとよいでしょう」(高橋さん)
 知っているようで知らない「大和言葉」10の問い

 耳にしたことはあっても、実はその意味を知らなかったり、誤解していたりする大和言葉も多いのではないだろうか。美しい言葉は正しく使ってこそ生きるもの。まずはこの10の問いで、「大和言葉力」をチェックしてみよう。語源を知ると正しい意味や使い方を覚えやすく、日々の会話でもさりげなく使えるようになる。

【大和言葉考】
 知っているようで知らない「大和言葉」10の問い

 耳にしたことはあっても、実はその意味を知らなかったり、誤解していたりする大和言葉も多いのではないだろうか。美しい言葉は正しく使ってこそ生きるもの。まずはこの10の問いで、「大和言葉力」をチェックしてみよう。語源を知ると正しい意味や使い方を覚えやすく、日々の会話でもさりげなく使えるようになる。
手だれ 優れた技を持っている。「名人」「達人」など漢語でも表現できるが、「手だれ」「腕利き」など、体の名称を使った大和言葉のほうが、技を繰り出す巧みな姿が生き生きと伝わってくる。
きざはし 階段。「きざ」は刻む、「はし」は橋。その昔、橋は「2カ所をつなぐもの」という意味で使われ、「はしご」もそこから来た言葉。きざはしは、2つの地点をギザギザと刻む道という意味。
まろうど 客。語源は「まれ(稀)ひと」。たまに来る人、つまり客人を指す。枕草子にも、急用があるときに来て「長言(長話)するまらうと」にはイラッとする、と使われている。
しもたや 普通の民家。「仕舞(しも)うた屋」が語源。つまり今は商いをやめた家、の意。店じまいという言葉は今もよく使うが、廃業するなら「店を畳む」と言ったほうが誤解を生まない。
目もあや きらびやか。「あや」は「怪しい」。身に着けた衣服や飾りがあまりにきらびやかで、目がクラクラするほど、という意味。「派手」よりも激しい表現だ。
ゆくりなく 思いがけず。どことなくのどかな響きがあるが、実は「突然のことで」と驚きや戸惑いを表す言葉。パーティーの席などで「ゆくりなくもスピーチのご指名を受け…」などと使う。
誼(よしみ)を結ぶ 親しくする。「誼」は親しく思う気持ちや、そこから生まれる交流・交遊を指す。目上の人と付き合いがあることを、「○○様と誼を結ばせていただいております」などと使う。
敷居が高い 心苦しくて訪問しづらい。よく使われる慣用句だが、「あのレストランは高級で、どうも~」は誤用。恩師など世話になった人に不義理や失礼をしたままで心苦しい、顔向けできないというときに使う。
むべなるかな なるほどと思う。「むべ」は「なるほど」という意味。驚いたり感心したりしたことの背景を聞き、「ああ、なるほど!」と納得したときに「それは“むべなるかな”です」などと使う。
ほんのお口汚しですが… 量が少ないですが。おしなべて食べ物は口を汚すもの。量が十分なら腹は満ちるが、口を汚すだけで腹の足しにならないほど少し、という意味。お茶菓子や酒肴(しゅこう)を出すときに謙遜して使う。
お手すきのときに 「手が空いているとき…」「お暇なとき…」という表現は直接的なのでNG!「お手すきのときに」を使用することで、快くお願いを聞いてくれる。
しばし 「もう少し時間がかかります」という表現よりも、「しばし」を使うことで、相手の焦る気持ちを静めることが期待できる。
心待ち 「ご返信を、首を長くして待っております」という気持ちを伝える言い回しに使われる。「早急な返信をお願いします」よりも、「ご返信を心待ちにしております」の方が、返信に対する期待感を相手に伝えることができる。
不躾(ぶしつけ) 「失礼なのは十分承知のうえですが…」の言い回しに使われる。「不躾」を使うことにより、相手に敬意、自分を卑下した表現により効果が期待できる。
致しかねます 「〜できません」という言い方よりも、「致しかねます」を使うことにより丁寧に断ることができる。
恐れ入ります 「恐れ入りますが、会社名を教えていただけないでしょうか」のように使われ、柔らかい表現になる。
おおむね 会議資料は「おおむね」作成しました 。「だいたい」や「ほとんど」ではなく、「おおむね」、「あらまし」に言い換えることにより知的な表現になる。 

 義訓
 義訓(ぎくん)とは、漢字に固定化した訓ではなく、文脈に合わせて個人的にその場限りの訓を当てることをいう。表記の面から言えば、当て字である。特に『万葉集』など上代文献での漢字の使い方をいう。「暖(はる)」「寒(ふゆ)」「金(あき)」「未通女(おとめ)」「数多(あまねし)」「間置而(へだたりて)」など。

また「天皇」を「すめらみこと」、「大臣」を「おとど」、「一寸」を「ちょっと」と読んだり、「閑話休題」を「それはさておき」と読んだりもする。訓読みと言うよりも、漢語(中国語)を日本語に意訳して訓むものといえる。現代において漫画などで「本気」と書いて「マジ」と振り仮名をつけるのも義訓の一種といえる。

義訓がのちに固定的に使われるようになって正訓となることがある。


 国訓
 漢字が本来表す中国語の意味ではなく日本独自の訓を当てるものを国訓(こっくん)という。たとえば、「鮎」は中国語では「なまず」であるが、訓は「あゆ」であり、「沖」は中国では「つく」(衝→簡化: 冲)などの意味であるが、訓は「おき」である。これらは漢字で日本語を表記できるようになったためにできたものである。




(私論.私見)